投稿者 踊る藁人形 日時 2001 年 6 月 16 日 02:35:16:
あの誇らしげな悪評高き歴史教科書の陰に隠れて、公民教科書についての関心が何か目立たないような気がします。
そこで、公民教科書を斜め読みした感想を書いてみました。
いわゆる「右」表現としての程度の問題(例:自衛隊、ヒノマル…)以外の、特にキレた記述部分などを挙げておきます。
なお、これは単なる私見の落書きに過ぎません。
p.15
>西洋から入ってきた近代の合理主義と、古くから日本にある伝統的考え方や
>生活習慣の調和という問題が、依然として残されている。
#近代の(西洋の)合理主義と、日本の伝統的考え方や生活習慣とは、
#その合理性、科学性において対立が必須であるとまず見なすべきだろうか。
#『西洋の外来思想』の導入が、果たして自分たちにどれほど有益なのか。
#『日本の伝統的思想や習慣』や『西洋の外来思想』の意味や長所・欠点を正確に
#理解して、その思想的本質を見抜く事を可能にするには、私たちにはどのような
#知恵やそのための努力を必要とするのか。そういった、情緒的反応に固執させない
#思考経路としての目安を提示すべきではなかったか?
P.53
>(きれいなカラー写真)
# \ | / のーばすおるどせくろーらむぅ(発光中)
# /\
# ─/<め>\─ せんせー、この<め>は何を見通す<め>ですか〜。
#  ̄ ̄ ̄ ̄ せんせー、今度のテストに<め>の秘密が出ますか〜。
p.59
>わが国の歴史には天皇を精神的な中心として、国民が一致団結して、
>国家的な危機を乗り越えた時期が何度もあった。
>明治維新や第二次世界大戦で焼土と化した状態からの復興は、その代表例である。
#まず、「焼土」でなく「焦土」ですね。焼き物ではない。
#先の大戦では優秀な若者をデタラメな大本営の生け贄として大量死させるため、
#自殺戦争強行に向けた大衆洗脳のダシ扱いとして、どういう勢力が、
#皇室を絶対威厳へと祀り上げさせたのか。どういう勢力が、
#「大君の 辺にこそ死なめ…」(玉砕出撃や特攻隊出陣で唄われたのに、載せない?)や、
#「生きて虜囚の辱めを受けず」…の有無を云わさぬ奴隷死を国家制度的に強制したのか。
#であるから、近代史のほんの一時期だけを一方的に取り上げてそれを
#「従順な国民史の代表例」とし、ほかの遙かに永い歴史的事実を無視するにも無理があろう。
#古代より明治に至るまで、永きに亘る絶え間ない多民族国家群の時代においては、
#一致団結どころか凄惨な民族闘争の思想的根幹と無縁ではなかったはずだぞ?
#
#私は皇室制度に関しては肯定的な見地から書きますが、
#あの歴史教科書の書き方も、だけれど、
#「皇室」って何か?何のために「皇室」が存在して、憲法に定められているのか?
#単に「いい人」だから? それともブルジョア特権階級の頂点だからか?
#では、欧米を構成する王家群は、なぜ一貫して血統主義なのか。
#きちんとした思想的説明が、公民や歴史教科書のどこに書いてあるか。
#誤魔化しの一切ない合理的説明を、自称「民族主義」の連中は直ちに示せないのか。
#
#そういう意味で、「つくる会」がひたすらガラ悪く喧伝する「民族主義」を訝しく思う。
#「民族」の概念自体を、カルトで付和雷同的な暗黙知の記号形態としてしか
#国民に対して理解させない姿勢かの様に見えるのだが。
#曰く、「民族は幻想だ。」の国際亡国主義論者による反日プロパガンダの論拠を
#補強するだけの、単に形骸化した合意強制の域を出ないかのような…。
#それは反日悪魔教団のカルト洗脳手法と一体、何が異なるというのか?
#それとも、正確な民族思想の周知を国民に拒絶させる理由が何処かにあるのか。
#「天皇制」についてその民族情報としての正確な姿を国民が知るとなれば、
#「つくる会」連中は根底から自己否定せざるを得ないような、何か隠し事でもあるのか。
#
#説明が非常に長くなりそうなので、ここらで切り上げる事にしますけど、
#「民族」という概念は、彼らの主張のごとく表層的でカルトで形骸化した、
#付和雷同な情緒反応ですべてを占めるべきではない、と個人的には認識しています。
#むしろ、言語外認知に及ぶ情報カテゴリーをも多分に含むかと思う。
#つくる会はその重要な思想的コアを自ら踏みにじり、
#偽善の亡国「民族主義」を植え付けて大衆をミスリードしていないか。
#
#「国家」「皇室」「民族」「愛国心」「奉仕」…は、
#近未来の対日植民地支配完成時のドサクサ紛れに「サタンのお父様」へと
#すり替えて、破綻国家の無能国民を強制奉仕労働に使い潰すための概念ではない。
#「民族主義」は、国家の経済体制を指す「共産主義」「資本主義」とは全然別個の
#概念であるから、例えば「共産主義」をその二元論的対立概念だと機械的に決めつける事自体が、
#誤っている。それではすべての点において、民衆は政治的認識を誤らせる原因となる。
#カルト的崇拝への服従を強要するなら、従順か、反感を持つか、に民衆は二分される。
p.73
>また国家の基本秩序が、祖先の努力によって長い歴史をへてできあがったこと
>をよく理解しなくてはならない。そして、この秩序を次の時代に受け渡し、
>子孫たちもまた享受できるように努力しなければならない。
#「つくる会」の歴史教科書では、明治までの日本列島は多民族国家で
#あること、および熾烈な民族闘争の真実の歴史を特に隠蔽した。
#積極性すら窺えるかのように我等庶民の先祖の血を冒涜していないか。そういう
#あからさまな捏造史観論的立場のくせに、なぜこんな二枚舌的な書き方をしたのか。
#「秩序」「享受」ってのは、何だ?
#「お国のために死ね、と命じれば、おとなしく死ぬ、」
#そこには、愚かで従順な庶民を見下す従順な家畜庶民扱い、かつ非人道的な
#差別的概念が込められてないか。
#私たち被支配階級畜生民の扱いは、周辺諸国に対する非礼の屁理屈史観と、
#実は、何ら違わなかったりして…?庶民が気付かせられていないだけ、かな?
p.117
>わが国周辺でも、北朝鮮の核兵器開発の疑惑が高まり、1998年には
>わが国に向けて実験用ミサイルが発射されている。
#「北朝鮮」は日本における通称や俗称ではあっても、正式な国名でも略称でも
#ありません。やはり国際的に正式な国名を一言併記す
べきでなかったか。
#また、その「実験用ミサイル」は核弾頭搭載を想定した運用条件ではなかった。
#技術的には長距離地対地ミサイルと共通領域が確かに少なくはないが、
#衛星実験の可能性を科学的に否定できないのだし、その場合では、
#地球の自転の関係上、日本上空を通らざるを得なかったのではないか?
#したがって、故意に核ミサイル説をほのめかすこの表現はやはりいただけない。
p.119
>(横田めぐみさん拉致説)
#断言こそ避けているが、「民間の調査によれば」と事実上決めつけている。
#それらの「調査」自体に正しいという保証がないばかりか、信憑性に大きな疑問を
#投げかける公的な指摘も存在する以上、ここのページは政治的に偏向した記述だと
#思われます。政治的洗脳の意図すら感じられ、教科書としては不適当です。
p.125
>私たちの経済を計画によって運営することは不可能という以外にない。
#不正確で短絡的な書き方だと思った。社会主義体制国家群の多くが崩壊した事を
#念頭に置いた表現だろうとは想像したが、誤解を与えないか。
#『私たちの経済を国家による100%計画経済によってのみ
# 運営することは、不可能という以外にない。』 …ならば、納得できるのだが。
#しかも、先の戦時中は国家による統制経済基調だったし、敗戦後も永きに亘り、
#共産主義的な準計画経済体制を構築してきたという経緯を否定できない筈では。
#経済の「計画性」自体を問題とするのなら、政府の貿易、通貨、金融、経済成長率…
#などの施政目標値や、多国間の経済協調政策等についてはどう理解すればよいのか?
#要は国家主権たるマクロ政策が、経済のどのレベルまで関与すべきかできるのか、
#の次元とは言えまいか?それとも、政治の経済・金融管理機能に対する全否定か?
#すなわち「日本経済を絶対無計画で自由放任な市場原理主義的に染めるべきだ」
#なんていう、多国籍金融資本の利益とも一致した放任経済亡国論だろうか。
p.186
>自立した個人とは、自己の生活と利益を大切にするだけでなく、
>公共的な精神をもあわせもった人間のことをいう。
#(太字個所は表記のまま)
#「自立した個人」とは、自分で飯を食う事を意味しては何故いけないのか。
#どうしてこんな拡大解釈的な決めつけ方をしたのでしょうね。
#「公共的な精神」の必要性を強調したいのなら、それは具体的な社会参加の
#形態や意義、それにあくまで自発性に基づく旨を正確に示すべきではないか。
#でないと独善的で一方的な「公共的な精神」の指図を口実にした、
#個性や自由の拘束を正当化させたいがための表現でないのか、と思いたくなります。
p.213
>この果て[世界の均質化、個人の孤独化]に予測されるのは人間
>のロボット化である。人間は、情報機器をはじめとするさまざまな機器なしに
>は生きられなくなるという未来イメージに、遅かれ早かれ、反発し始めるに
>違いない。そして歴史的な秩序感覚と歴史的な良識感覚をもって、
>ロボットのではなく血の通った人間の交友関係、つまり、家族、地域社会、
>そして国家といった共同体的な人間関係を再び築きあげようとする。
>このような、故郷意識から国家意識にいたる広い意味でのナショナルな
>感覚が、高度情報化社会に対する抵抗の砦となるだろう。
(注:↑時事一般掲示板@Der Angriff No.10098 χさんのカキコより引用)
#その予測をなぜ「ロボット化」だと決めつけるのか、その根拠が更に必要では
#ないのか。社会常識的には論理が薄弱で飛躍していないか。
#仮にその予想が合理的だとしても、高度情報社会に対する『歴史的な秩序・良識感覚』
#への固執といったアプローチ程度では、「抵抗の砦」(心理障壁?)とはなり得ないのではないか。
#何故なら、その人類ロボット化は絶対強制力を伴う世界支配の政治的手段として
#用いられる筈だろうから。技術や世界の現状は、その方向へと急激に動いている。
#だから、
#『おまえら、黙示録の通りにロボットにさせられるぞ』の決めつけ扇り調なのに、
#逆に見当違いの「対抗策」を示して情報奴隷化それ自体への直接的な関心の
#あり方を回避させているような印象さえした。そこのくだりは、
#『家畜ロボットになる運命からは、どうあがこうとお前らは決して逃れられないの
# だから、せいぜい当面は「ナショナルな意識」のつもりで結束しろ、
# そうして過渡的国家権力に服従するための心理的動機にしておけ』
#つまり、情報奴隷時代に対面する心構えとしては、
#『まず情報工学的な感覚を知ること。動物的な情緒に任せて常軌を逸した自暴自棄
# 自滅行動に訴えるのではなく、理数教科の勉学も振作し涵養し、歴史のみならず
# 情報技術を含む科学的な知恵を備える事が望ましい。たとえ人類史上前例がない、
# 未知の厳しい事態に直面しても、最善の解決策を見いだせるよう賢くなること。』
#のような事は書いていないようだ。(↑出任せですけど)
#「情報ロボット化に対抗するため」という動機を提示しておいて、逆に目的と手段を
#乖離、断絶させていないか。
#下の文とも繰り返すが、それでは衆愚すなわち亡国への道だと私は考える。それと、
#「ナショナルな」…こんなおかしな日本語を使わないでもらいたいものです。
#自称民族主義のはずが、これでは日本人の心の根源のはずの日本語を卑下している
#としか解釈の仕様がない。それは、
#ナショナルな自称インテリの押しつけがましく迷惑なだけの誇大妄想と自己陶酔か?
#ナショナルなセ○ズリをむりやり公衆の面前にさらす変態露出売国癖か?
#表向き吹き回ってきた愛国精神とやらは所詮ウソだ、と白状したも同然ではないのか?
p.214
>こうした状況[自然環境の悪化、麻薬や性犯罪といった社会的問題の続発]
>への解決策は容易に見つからないが、その糸口が新しい情報・技術を
>取捨選択するときの知恵にあることは疑いようがない。
>そして、その知恵を探るための第一歩が、「国民の歴史」振り返るところに
>あるのもたしかである。
(注:↑時事一般掲示板@Der Angriff No.10098 χさんのカキコより引用)
>そして人間の精神は、精神の中心である言葉がそうであるように、
>つねに歴史的に醸成される以外にないのである。
#ここの最後の一文が、この教科書全体に幻滅×印のイメージを見た。
#この文章の活字一つ一
つに、赤鉛筆で×印を書き殴りたい気分になった。
#『歴史的』→『生物学的』ならば私は異議を唱えないが、
#そこの決めつけ方ってのは、明らかに異常だと思ったぞ?
#なぜなら歴史的事実の回顧は、解決策を得る精神活動を導くための
#必要条件(one of them)ではあっても、十分条件(all of them)たり得ない!
#違いますか?
#それだと、繰り返しますが世界IT奴隷化などの全く新しい未知の事態に直面しても、
#脳ミソを論理的に駆使して果敢に対処させないための前例踏襲主義の強制に等しい。
#創造的で科学的な思考動機を遮断する大衆愚鈍化スローガンに外ならないではないか?
#大本営が率いた大日本帝国が惨敗したように、日本人は死ぬまで愚かになれ、ってのか?
#これぞ衆愚亡国を導く呪縛スローガンそのものかと個人的には読めたのだが、
#そんな反科学的姿勢こそ、独善的で加害者意識が欠如した精神の片輪なのか。
#この教科書の書き手自身が何かを決定的に勘違いしているのだろうか。
[上記p.214に関して私が思い出した資料から、ご参考までに挙げておきます。] 110年前に書かれ、人種差別を目的とした偽書であるというのが国際的には「常識」だという、プロトコールは云う…
注: この書物の引用をしましたのは、所謂「人種差別」の意図は全くなく、ただ個人としてその書の内容を思想的に重視している、という認識に過ぎません。なんなら、プロトコール中の「○○ヤ人」→「日本人」に読み替えてみてください。私がもしも歴史や公民教科書を書くとしたら、旧約聖書の箴言などと共にこういう思想的解説をつけてみたいのですが。 |
***全体を通して***
以下は上の記述個所を除いて、一般的な感想を書きます…
ほかの公民教科書と読み比べるとよくわかりますが、一言であまりに突出してむずかし過ぎるように思いました。あいにく抽象的で難解な言葉遣いだらけで文章密度も濃く、量的にもちょっと多過ぎます。
日本の中学生が読むべき水準だとはどうしても言えないでしょうし、大学の教養相当に匹敵するかも知れません。日経新聞を読みこなせる位のレベルでないと、普通の親でさえ的確な理解は難しいだろうと思います。
文部省の要請を踏みにじってでも先行発売を強行したその本に、何故わざわざこういう非常識なまでの書き方をしたのかは、やはり、
すり替え自殺史観を込めた教科書の「正当性」を洗脳多数決世論として既成事実化させ、デッチ上げたいが為でしょうね。でもねぇ…;;
『チョーわかんない。漢字読めない。そんな言葉、一度も使った事なーい。意味が全然わかんなーい。落ちこぼれ決定だね。公民やーめた!さよなら〜チョムカ(携帯絵文字)』
たぶん何とか内容を理解してついて行けそうな中学生は、全体の5%以下ではないだろうか。教師側にも生徒への説明能力としての思想規範の確立を要するだろうし、そんな次元より前に、教科書に出てくる言葉や概念の解説だけで授業時間が潰れてしまうでしょう。
それにしても、彼ら執筆者〜出版社や彼らの人脈に至るまで態度が悪すぎる。
連中が緻密に組み成した亡国への調教論理のみならず、やることなすこと、その恫喝や罵声の巧みさと汚さはまるで、「つくる会」に賛同する統×××に洗脳された国賊スパイ議員級が持ち出す心理兵器並みの手口に見えて仕方がない。
特に歴史教科書問題においてはさんざん他社の教科書をなじって来たくせに、
彼らに批判が向かうと一転して「迫害には負けない」式の被害者意識のみをがなり立てる癖が見られるようだ。しかし「白表紙本を流出させられた」「外国の内政干渉」云々如何で、情緒化させた政治や歴史の修正主義的記述や態度を正当化できるワケはなかろう。
現在の教科書検定制度における盲点「洗脳表現の自由」のはき違えをこれ以上利用させないよう、抜本的な改善措置を望む。
・この公民教科書をお読みになられたみなさんは、各自どのようなご感想を持たれましたか?