道元禅師と法華経

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投稿者 ずっこけ善財童子 日時 2001 年 6 月 16 日 02:16:18:

回答先: 日蓮曼荼羅の問題点 投稿者 山幸彦 日時 2001 年 6 月 07 日 13:32:31:

「法華経は諸仏如来一大事因縁なり、大師釈尊所説の諸経のなかには法華経
これ大王なり、大師なり、余経余法はみなこれ法華経の臣民なり眷属なり」
「法華経中の所説これまことなり、余経中の所説みな方便を帯せり、
仏の本意にあらず」
臨終に近づいた道元は『法華経』の「如来神力品」を唱えながら経行。
そして面前の柱に『妙法蓮華経庵』と書きとどめた。

菩提心をおこすというは己未だ度らざるさきに一切衆生を度さんと発願し
営むなり、たとい在家にもあれ、たとい出家にもあれ、或いは天上にもあれ、
あるいは人間にもあれ、苦にありというとも、楽にありというとも、早く
自未得度先度他の心をおこすべし。その形いやしというともこの心をおこせば
すでに一切衆生の導師なり、たとい七歳の女流なりとも即ち四衆の導師なり、
衆生の慈父なり、男女を論ずることなかれ、これ佛道極妙の法則なり。
もし菩提心をおこして後六趣四生に輪てんすといえどもその輪てんの因縁
みな菩提の行願となるなり、しかあれば従来の光陰はたといむなしくすごす
というとも、今生の未だ過ぎざるあいだに急ぎて発願すべし、たとい佛に成る
べき功徳熟して円満すべしというとも、尚めぐらして衆生の成佛得道に回向
するなり、或いは無量劫行いいて衆生を先に度たして自らはついには佛に
成らず、ただし衆生を利益すというは四枚の般若あり、ひとつには布施
ふたつには愛語、みつには利行、よつには同時、これすなわち薩たの行願なり、
(道元禅師・修証義より)



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コメント
 
1. 2017年4月02日 03:24:31 : kobMJpPvPc : OCM2SndsGAg[5]
道元禅師 正法眼蔵 現代訳の試み

道元禅師の著作、正法眼蔵(ショウボウゲンゾウ)を読んでその教えを学びます。
http://www.dogen-shobogenzo.com/


ーーーー


安岡正篤 至福の言霊
http://member.hot-cha.tv/~htc05528/CCP022.html 抜粋


【 但惜身命と不惜身命】
  お互いがこうして生きている。考えてみれば、これくらい不思議なことはない。
  この悠久なる時間と、この茫漠たる空間の中にあって、たまたま時と所を一にしてこうしているという、こんな
  不思議なことはないということがわかれば、この現実、この刹那、この寸陰(わずかの時間)、
  この場、この身というものが、何よりも大事なのである。

  無限に愛惜すべきものになる。これを「但惜身命」という。
  それを把握するためには、取りとめのない日常の身命などは、値打ちがない。
  これは不惜身命(身命を惜しまぬ)である。
  真に道を得るためには、それこそ不惜身命でなければならない。
  何が故に身命を惜しまぬかといえば、但惜身命――本当の身命というものを限りなく愛するからである。
  真の自己・真の存在というものを限りなく愛着するが故に、この取りとめない、はかない、迷える身命など、
  問題ではない。命がけで命を惜しむ。但惜身命なるが故に、不惜身命。不惜身命にして、但惜身命になる。



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