投稿者 ずっこけ善財童子 日時 2001 年 6 月 15 日 23:36:59:
回答先: 日蓮曼荼羅の問題点 投稿者 山幸彦 日時 2001 年 6 月 07 日 13:32:31:
三月の初め、まだ寒さも消えやらぬ日、彼はまたあらためて四回目の法華経を
読みはじめていた。法華経の開経である無量義経からである。
・・・仏とは生命なんだ!生命の表現なんだ。外にあるものでなく、
自分自身の命にあるものだ。いや外にもある。それは宇宙生命の一実体なんだ!
彼は叫びたかった。あらゆる人々に向って
11月中旬、元旦から決意した唱題は、すでに200万遍になろうとしていた。
・・・彼は自然の思いのうちに、いつか虚空にあった。数かぎりない、
六万恒河沙の大衆の中にあって、金色燦然たる大御本尊に向って合唱している
彼自身を発見したのである。・・・よろしい、これでおれの一生は決まった。
きょうの日を忘れまい。この尊い大法を流布して、おれは生涯を終わるのだ!
『小説 人間革命』の第4章『生命の庭』
御本尊不敬は罰を受けるか