投稿者 踊る藁人形 日時 2001 年 5 月 26 日 02:01:41:
石原慎太郎知事が24日、母校の一橋大学で講演した。同大の創立125周年記念行事の一環。
知事は「日本の可能性」と題し、「有色人種の中で日本は初めて近代国家をつくった」「微分積分を初めて考えたのは日本人」「米軍機に使われている液晶は日本製」と語り、「居丈高にいばる必要はないが、もうちょっと自身を持とう」と締めくくった。
会場の行動には約1200人の学生や市民が集まり、「二階席の床が落ちないだろうか」と職員は心配するほどだった。
[朝日5/25]
★「原則論的」私見…
「日本が自信を持つ」のでなく、「日本国民」が自信を持つ、のはずですね。
何が語られたのかは知りませんけど、
【欧米の帝国主義を上辺だけ猿真似した挙げ句、時価1000兆円相当と膨大な人命を失うべくして失い、半実験用途の原爆をぶっこまれて惨敗した日本人】
【論理的な考え方ができずに、全体の雰囲気に隷属して自暴自棄の戦争にまで突き進んだ、考えなしの日本人】
【バブルで踊らされた末に約10年間で1600兆円も喪失させられ、敗戦後初の恐慌デフレに突き落とされても右往左往するのみ、相変わらず死ぬまで抽象思考力が欠如した奴隷根性の動物、働けば働くほど貧しくさせられていく日本人】
【訳もわからないくせに政治に安易な多数決を行使する癖のある、野蛮な途上国並みに政治意識が低レベルの日本人】
【人の生体解剖を組織的にやって、戦後米軍に人体実験データを高く評価された日本人】
…とは決して言わなかったのでしょうね。
まずは自分たち自身の、ありのままの負の要素――弱点や欠点、失敗した事などを「なぜそうなったのか」をきちんと科学的、論理的に分析し、
「では今後はどうずれば繰り返さないか」という対策に生かしてこそ、
私たちの更なる絶対能力の裏付けになり得るはずです。
物事の基本のはずなのに、何故か学校で意識的に習った記憶がない…?
上記の『(欧米を模倣した)近代国家』や液晶量産化は、
そういう思考作業の成果でもあるのではないか?空想の事物ではない。
政治と違って、科学技術の世界ではゴマカシが効かない現実に直面させられたのか、近年失敗続きの日本のロケット開発体制においても、ようやく民間企業並みにそのような機運が見られることとなった。
文科省科技部門ほか、の「失敗学」推進の動きです。
ですから、自分がその場に居合わせて指揮した訳ではないのに過去の歴史的成功事例のみを抽出・再構成して失敗例を決して直視せず、
罪なき他者をひどい支配下に置き多大な苦痛を与えた事実に関心を払うことなく、
あのカルト自殺史観洗脳教科書のごとく国民の意識を論理的思考の機会から意図的に遠ざけさせ、成功例や追憶を並べ立てて有頂天になり、
「日本人は優秀だ」の陶酔を覚えただけでは、ただのバカ犬程度でしかなかろう。
日本国と日本人の破滅を願う悪魔教団におだてられ、エサで釣られてニセウヨク国賊工作員へと飼い慣らされ、日本解体の道具として使い捨て同然だ。
そんな記号化した虚構の高揚心を「民族主義」だと決めつけて粗暴な態度に終始し、それを国民全体にひけらかす幼稚なバカ犬根性の風潮こそ「日本の可能性」を確実に壊し、選択肢を奪い、必ずや日本国民の全滅を招く。
向精神薬に溺れ周囲に誇大妄想を吹きまわる迷惑と、一体何の差があろうか?
自分自身の負の要素を客観視できずして、どうして自分の弱点や欠点を克服できよう?
今の日本人は数十年かけて心身とも弱体化が充分に図られた事だろうし、
地球規模化された世界にあっては、今度はもはや取り返しがつかない自体を招くはずだ。日本経済が現にボロ負けにさせられたように、このままでは抽象化された高度なハイテク戦争にも国民は絶対に対応できない。
さて、あの某新聞紙上では「中国人が外国に拡散したがるのは中国人のDNAが…」のようにやって、その新聞の社会的常識を改めて疑ったものですが、
私は、中国系の人たちの所謂『拡散癖』に関しては、
「中国語系言語は情報密度が高い」等の特質性を有するために、情報密度が低いほかの外国語を比較的容易に修得でき、現地に適応しやすいことが一つの大きな理由だろうか、と思ったのだけれど。
(この場合の「高い/低い」は言語の優劣ではありません。)
DNA情報が人の顔かたちを決定するのと同じように、個人の、特に情緒や感性に係る深い意識においては確かに影響を与えるのかも知れない。しかし、『中国人の「拡散癖」はDNAのせい』では少なくとも、ない。今の定着した日本本土の混血庶民こそ朝鮮や福建などの遺伝子を濃く含む者が多いのだから、「民族」の観点を歪曲したそんな決めつけ方は明らかに科学的に誤っている。
それに「人種の優位性」論ってのは、過去の奴隷制度を黄色に流用した解釈の枠内でないのか?その座標軸の大前提は、所詮は「優れた白人」像に心理拘束させられていないのか。それこそ自虐的で視野狭窄的で卑屈過ぎないか?
2000年前には、そんな概念はなかった。たとえ裏世界の白人王家群が今も本心では我々を見下そうとも、それ自体は『個別問題』だ。
こういう『人種論』は、たとえポピュリズム目的の演技だろうと、なかろうと、
責任ある政治的影響力を持つ立場の者が発信すべき情報ではないと思います。
(独断メモ)
昔の話ではあるが、政治教育を受けた近隣諸国の大学生と政治を論じられるくらいの政治意識を持つ学生は、一橋大でもそんなに多くはなかったのではないか。
三流大の学生よりは確かに理解力が優れているが、偏りなき政治情報の絶対量が不足しているし、何よりも思考の筋道というべき知的訓練を必ずしも受けていない印象を持ったものです。やはり教育体系の欠陥か?
そんなでは、国民全体に政治思想のヒントを浸透させる機会自体が少ないのも当然ではないか。能力が高いパソコンに、お粗末なソフトでは意味なかろうに。
★以上、思いつきで書いたため、お見苦しい点はご容赦ください。