投稿者 踊る藁人形 日時 2001 年 4 月 08 日 03:11:24:
それでは、遅くなったのですが、それなりに書いてみます。
>がしかし, 「ほんとの歴史が実は完成品として存在する」かのよ
>うな信念はすげーぶっとんでると思うし, それからかけ離れたも
>のは排除だ, みたいな考え方は普通で無い.
>
>もし将来, タイムマシーンが発明されても正しい歴史なるものは
>決して完成しないでしょう.
(『ぶっとんでる』『普通では無い』…とはどういう意味の主観的相対表現かな?)
ここで言う『ほんと歴史が完成品として存在する(か否か)』には、
『確定した解釈や評価』の概念が含まれるのでしょうか?そう察して書きます。
で、それ以前の話として、
他者に対して破壊的・攻撃的・収奪的な「カルト自殺史観論者」らは、
自分たちの悪魔教義的な価値観を正当化する結論を絶対前提とし、
その目的遂行のために、
時間的に連続的な過去の事実としての「情報総体」の流れの中から特定の一部分を恣意的に抽出し、その『情報切片』を自分たちに都合よく遡上的に再構成するという「合理性の辻褄合わせ=修正主義」を教科書記述中にやってのけた――
その手口に対して、警戒心を喚起したつもりです。
これを言い直すと、
『カルト自殺史観を合理的に正当化するという結論が先にあって、実際の出来事がそれに従属的に再構成させられる』
のです。結果が先に出来上がっていて、後から原因が「合理的に」定義されていく。
あの「カルト自殺史観歴史教科書」の検定前の段階では、「歴史は科学ではない」という意味の記述があったそうですから、彼らは最初から、
『歴史とは、盗日妖怪のカルト教義同然に、どうにでもしてよい』
なんていう考えのつもりなのでしょうかね。
そんな連中が教育に介入する事に、今後とも何の規制も加えられず放任され続けるのであれば、彼らは教育機能の破綻を目指して義務教育のカルト化をエスカレートさせる事でしょう。
ご投稿No.8610には「数学…」という表現が書かれていましたので、
それに合わせて平易に表現してみると、こうでしょうか…
今、あなたの先祖伝来の土地が所有権争いに巻き込まれたとします。 ある大きさの円を書いた範囲内が、あなたが所有する正しい土地の範囲だとします。 あなたは、その円周上から任意に4点を選び、杭を立てて所有権を宣言しました。 ところが、隣人の悪者が難癖をつけてきました。 『あなたが所有する土地は、4点を直線で結んだ四角形のみである。 しばらくすると、更に巧妙な悪知恵ネタを仕入れてパワーアップしたその隣人が、 『オマエの土地は、実は4点を直線で結んだ×印の線上のみである。以下同文。』 |
中・韓・朝・台・華僑・越…までも、周辺諸国の失望と非難と侮蔑と無言の罵声が浴びせられている「カルト自殺史観」的な歴史教科書の記述においても、類似の要素を有するのかと思いましたけど。
「○」がもっとも事実に忠実で正確な記述の筈なのに、屁理屈の詭弁を並べ立てて「□」や「×」だと決めつける事が教科書執筆者の自由だ、と言っていいんでしょうか?
○である事を証明する重要な情報を恣意的に削り去り、勝手に線を結んで再構成して、□や×だと決めつける連中を、私はカルトだと見なします。
ついでながら、
『史実など、実在した社会現象に対する「解釈」「評価」「学説」「常識」…の何が「正しい」のか「間違っている」のか程度の情報の意味づけを与えなければならないか否か』
なんていう「○×相対二元論」の発想で私は書いたのでも当然ない。
盗日妖怪のロボット信者では何事にも必要な思考路程かも知れませんけど、
それでは幼児並みの論理でしかないですね。
社会現象の道理には、大抵、それなりの奥行きがあるものです。
>>国家を自壊に導くカルトの癌が、国家権力に属する領域におい
>>てもふてぶてしく現れ始めた――
>>彼らのやる事なす事こそ、「自由」をはき違えていないか。
>
>これ本気で言ってます?
>だとしたら今時珍しいくらいの全体主義思想ですよ.
>自由をはき違えているのは,
>「異なる主張や教科書にはフタをしましょう」
>こういう態度なのでは...?
全体主義思想ですか?
その部分は、「自由をはき違えていないか」という敵の言い回し方を真似しました。
確かに盗日妖怪など敵の手口は、人類家畜化ユートピア粛清支配を目指すポルポト指向の全体主義程度にしか見えない。彼らに都合が悪いと、口汚く恫喝する。暴力を使う事もあると聞く。
>が, しかし学校で教えてもらえる歴史なんてそれでいいのかも.
ということは、あなたは「国民のロボット全体主義化教育」に否定的ではないんですか?
>「国家を自壊に導くカルトの癌」
部分のこちらの意図は、
国家が憲法などで規定する「自由」の概念には、
『主権存在としての国家の枠組み自体を破綻へと導き、ポルポト式植民地支配下に落ちて国民が奴隷にさせられる「自己否定の自由」』
をも許容するのだろうか、
そんな価値観を、他者が私たちに有無を言わさず強制すべきだろうか、といったところです。
だから、『おまえがする事も、おれがする事も、同じようなものじゃないか』といった、
「鏡像」「オウム返し」のような対象性に依拠した論法は成立しません。
私たちに対する一方的な侵略目的の加害者は、超国家悪魔勢力側だからです。
文 明の疫病は社会や政治や治安機構の闇に潜伏し、増殖を図る。
たとえ私たちが悪魔勢力の存在に何も気が付かなくとも、
悪魔勢力は私たちのあらゆる弱点を狙って、洗脳の触手を執拗に伸ばし続けます。
そのくせ悪魔的な加害者責任を認める気がない。
悪魔勢力は自分らがやる事なす事棚に上げて、
私たちに「自己中心的だ」などと加害者呼ばわりする二重基準論者なのです。
この非対称的罪悪を消す事は絶対に出来ません。
>多様性
何かにつけ、最近やたらその表現を目にします。
いただいたレスの趣旨からちょっと離れまして、
多少上記と重複しますが、「一般市民に勘違いしてほしくない」
と思うこととして:
「多様性」だからと言って、私たちの生命を脅かす敵の『カルト自殺史観』の大衆洗脳をのさばらすのでは、それは私たちの自己否定を意味してしまいます。
「自分たちの安全を脅かす敵を国の中にのさばらす害悪」までもを「多様性」と呼び、自分たちに、敵の併存を強制しなければならないのですか?
そういう考え方のことを、「思想的武装解除」と言います。
つまり、民衆の脳では容易に反論できないような屁理屈や錯覚の詭弁を使って巧みに丸め込み、敵に対して自衛しようとする気力や動機などを、心理的に潰していくのですね。
ジャングル原生林がそのままの豊かな生態系が手つかずで維持できる状況は、生態系の「多様性」です。しかし、そこに生態系を根底から破壊する生物兵器や、大量の放射性元素、有害な産業廃棄物、がてんこ盛りだったり、ブルドーザーが入ってぐちゃぐちゃに潰しまくったら、それは「混乱」「侵入」「破壊」でしょう。少なくとも「多様性」ではありません。
では、「多様性」を維持するための「多様性」の条件とは何でしょう?
原則的に、その存在が自然の摂理の枠内で無害中立か、否定的であってもその影響が破滅的でなく一定閾値内で均衡的であるとか、または私たち自身の生存維持に好都合な結果をもたらす効果を有していなければ、「多様性」の存在自体が成立しないと思います。
ですから、自然の摂理に根底から反逆する悪魔教超国家機構が、私たちに攻撃的害悪を及ぼすことなしに、私たちの隣人として平和裏に共存しつづける選択肢も、理論的可能性も、金輪際あり得ません。よって、悪魔教義に取り憑かれた勢力には「多様性」の資格がありません。
盗日妖怪を長年にわたって放置した結果は、明白です。
『盗日妖怪は極悪なる悪魔団体であり、
私たちの「生態系」にとって破滅的・致死的な害毒でしかない』
という事実認識として既に確立されてしまっているのです。
だから、もはや叩き出すしかない。
この辺で失礼。