投稿者 踊る藁人形 日時 2001 年 4 月 05 日 03:02:39:
すでにいろいろな報道がなされて来たのですが、
彼らの背後にはどういう組織が蠢いているのだろうか。
3/17朝日37面記事、
『「つくる会」じわり浸透 ポストに冊子・1800円の本』
より抜粋します。なお、引用資料中の【 】は、私による注釈です。
マクヤ(日本語ではない)ってのは、聞くところによると、
イスラエル大使館に信者多数が勤務し、日本人旅行者のイスラエル観光で現地通訳ガイドを務めるのも、その多くが彼らだという話があります。
日本人は一般的に政治情勢に無知無能が多いので、情報のフィルタリングの余地も大きいことでしょう。
「つくる会」の自称「非自虐史観」も、パレスティナ人に対する彼らの見解、立場のそれと軌を一にするのではないのだろうか?
で、上の引用記事中で、
>全員がつくる会の会員というわけではないし、
>組織全体で支援しているというわけではない
そーなんですか?その言い方、世間ではよく聞かれますねぇ。
では、未成年者を除いた全信者のうち、「つくる会」に関係している者はどのくらいの割合になりますか?
なぜこういう書き方をしたかと申しますと、
この教団の小冊子は、以前は「○を×だと言われれば容易にそう信じ込む、現世から乖離して仮想空間に浮いていた」調の記事が多かったのに、
ある時点から突然、内容の一部が「神道の神と原始キリスト教の神は同じ神」的な論理に貫かれた、中身がないコスプレニセウヨクじみた論調に化けてしまったからです。(では、「アッラー」とはなぜ連続しないのかな?)
以下に、その教団の小冊子「生命の光」2000年7月第576号を見てみましょう。
発行人は勿論、手島千代子代表となっています。
こんな内容で、「教団ぐるみではない」に類する言い訳が通用するんでしょうか?
P.23 大和紀行 神武天皇の御足跡をたどる 祈りは国の柱 きびしい戦いのさなかに、人はその真の姿を表すといいます。 第一代天皇・神武天皇は、日向を出帆されて数年、一度も戦果を交えることなく、神を祀るという宗教的な方法で諸部族を治められました。【※1】… 神武天皇のお足跡を『日本書紀』に照らしながら、生駒山からたどってみました。 【※1:これは大衆に対する戦火なき心理戦を経て、被支配民族に心理的隷属を強いる、という意味なのか?】 |
P.31 【豚の胴体に蛇の尾と犬の首を、背中には白鳥の羽を移植したキメラな獣か?】 日本人に生まれてよかった ――女子青年の大和巡り―― |
P.49 「編集室」 ▼読者のお便りで、本誌が「民族主義的では」というご意見を頂きました。 手島郁郎先生は、「大和島根を祭壇にして、この福音が世界に祝福を及ぼす日が来る」と言われました。世界の諸民族の戦いのために、まず私たちが祝福の基となることが大事です。私たちに注がれている生命、友のためには己を失ってもかまわない【※3】ほどのキリストの愛が、それを可能ならしめます。 今の荒廃した日本の救いこそ急務と思います。それなくして一緒に、といっても、世界の笑い者になるでしょう。【※4】【以下略】 【そういう「結果の辻褄合わせ修正主義論法」の曖昧かつゴーマンな誇大妄想型選民思想では、非ヤコブ的である。そんな思想的隷属態度では、国民は悪魔犬のエジキとなるしかない。大衆心理操作の幼稚な罠に引っかかって、最悪の選択が最良であると誤認させられ、他民族を巻き込んで死滅する(敵はそれを『浄化』と呼ぶ)のがせいぜいだから、やめるべきであると思う。】 |
「つくる会」の主張は、
「宗主国の論理」なる人種差別的概念を含むと私は思う。世間の通り相場では「人種差別」をことさら忌避するはずのこちらの宗教団体関係者までもが、
民衆の無知誤認を扇動して人種差別を助長する、このような教育破壊活動になぜ熱心なんだろうか?それって、どういう意味だ?
何でも、S●Cが「つくる会」の教科書検定合格に懸念を表明したという!
S●Cは、マクヤ信者のこうした活動を、なぜ阻止しないのか?
(S●Cの情報網に引っかからない程、彼らの能力が低いのか?)
日本の教育破壊に加担している、という事であるならば、宗教法人たるこの教団は、教団としての思想的見解を明らかにすべきではないのかい?
事務局担当者の言い分、
『すべての信者が「つくる会」ではない』
…だから何だってえの?活動をヤメさせる気がない、という事ですか?
彼らは駐日イスラエル大使館との関係が深いそうです。しかしその一方で、
イスラエル本国が国益に沿って、このような日本国民に非常に敵対的で悪辣な対日政策をとる現実的必要性なるものを、我々が短絡的に断定してよいものか…
一個人がこの場でどうこう書いても、それだけなのだろうけど、
私の関心は以下の2点あたりです。
#日本のマクヤの、教科書問題に対する政治化した介入、「信仰」の逸脱行為は、
イスラエル政府の意向とは無関係でなされたのか?
それとも、特定のユダヤ教宗派ないし営利団体に属する駐日大使館員の関与が
存在するのだろうか?また、それら挙動はどのレベルの意向なのか?
#これらの状況は、紛争の真っ只中にあるイスラエル本国と、日本との関係に
悪影響をもたらし得る性質の問題だと思います。ですから、
マクヤに対し、教科書問題の介入から手を退かせるべきだと思います。
イスラエルには、日本人の家畜化調教に関与してほしくありません。
では、「つくる会」に話を戻します。
【「自称愛国者の正義」に難癖をつける悪い外国】
→【だから外国は加害者で、日本人は被害者だ】
→【よって、被害国・日本の国民は感情を害する】
というような感情としての先入観をひっくり返してみると、どうなるだろうか…
「被害国、加害国」の情緒的プロパガンダに着目点を攪乱されてはならない。
それは、この問題の本質ではない。論点を逸らさせてはならない。
連中の主張は、
【欧米列強の植民地支配と比較して、日本だけが相対的に悪くない】
【中国人も日本人を虐殺した事があるから、日本だけが相対的に悪くない】
などの相対表現で単純集約化した○×命題を、
【日本(がやった事)は絶対的に悪くない】
へと、すり替えて強引に決めつけている様に見えます。更に、
【日本の植民地支配は、統治の方法や統治の程度が『正しかった』。
被支配地域は大いなる経済発展をもたらしたので、すべてが正当化される】
の、すり替え2段論法を上塗りする…
そこには、支配者の一方的論理のみが並べ立てられても、加害者意識および被支配を強いられる側の視点を意図して欠落させています。
【欧米の宗主国や王家が過去の植民地支配を謝罪した例を私は知らないが、】
だからと言って、自国の教科書に将来に亘って自国への植民地支配を肯定する記述を載せた責任から免れる事はできないはずだ。
とりあえず私はここに、
「植民地支配は人権侵害、政治的虐待、帝国主義的奴隷制度の一形態、
かつ人種差別的概念を育む温床であり、人道に対する罪である。」
と、書いておく。
(ただし、財政基盤が伝統的かつ平和裏に脆弱なため、宗主国に財政依存する
歴史的継承を住民自らが望む一部の例では、事実上の除外が可能でしょうね…)