投稿者 日経記事転載 日時 2000 年 12 月 31 日 16:51:56:
教育を問う(4)
スローガン行政 夢に溺れ 現場は困惑
第2部 教えの衰退
正答率は七割の問題で低下――。文部省は資料の山に一つのデータが眠っている。それは一九八〇年代から九〇年代にかけて中学生の学力がどう変わったかを示している。
答えは「調査中」
約十年ごとの学習指導要領の改定のあわせて実施する学力調査。八二―八三年と、九五―九六年の調査結果を比べると、全く同じ中学理科の問題十九問のうち十四問、中学国語の十問のうち七問で正答率が下がった。
文部省は「数学では正答率が上がった問題が多い。統計には誤差もある」と弁明するが、【阿修羅掲示板No.8413のリンク先をどうぞ】学力低下の「黄信号」だ。ところが、この学力データが文相の諮問機関である教育課程審議会には「学力状態はおおむね良好」と報告される。九七年のことだ。そこで二〇〇二年から小中学生に教える内容を約三割減らす新指導要領が固まった。
米国は六九年からほぼ毎年全米学力調査を実施。カリキュラムや予算配分の見直しに生かしている。しかし日本にその仕組みがなく、調査も政策に生かされないできた。
「教育改革を進めているのに、どうして不登校が十二万人にも増えるのか」
六月一五日、教育改革国民会議の会合。文部省の担当者に質問が集まったが、答えは「客観的にどう評価するか調査中」。九九年の国際調査で日本の中学生の理数離れが一段と鮮明になった。その原因も「これから総合的に分析しなければならない」。
いつも答えは「わからない」か「調査中」。その場しのぎにきゅうきゅうとする官僚の悪弊がのぞきみえる。文部省は「生きる力」「新しい学力観」という教育改革のスローガンを掲げるが、現実は「重要な政策変更の成果を、実体を踏まえて評価する意識がない」(苅谷剛彦東大教授)。
変革に拒否反応
一八七一年(明治四年)の設置から百三十年。文部省には「日本の教育を守るという自負があった」(諸沢正道元事務次官)。それが「管理への過信」に変わり、変化への思考停止を生んでいるようにみえる。
十一月二十九日午前の霞が関合同庁舎四号館。政府の規制改革委員会が教育についてまとめる文案の起草会合が開かれた。委員会側から大田弘子・政策研究大学院大学助教授、小川正人東大教授らが出席。文部省は初等中等教育局の玉井日出夫審議官と主要課長が勢ぞろいした。
議論は鋭く対立した。公立の小中学校に対応できない子供の受け皿となっているフリースクールや、地域住民などが運営主体となるチャータースクールを「学校」として認めるかどうか。
委員会側「フリースクールなどでの学習を正規の教育として認めたらどうか」
玉井審議官「絶対に認められない。学校制度を崩すことになる」
一歩も譲らぬ姿勢に最後は委員会側が音を上げた。今月十二日に発表された今後の規制緩和の基本方針。フリースクールなどでの学習は「公の学校を補完するもの」という表現に後退した。
文部省は小中学校について大学や高校のような設置基準を示していない。私立小学校の設立は昨年までの五年間でたったの五校。どんな条件を満たせば認められるかわからず、事実上の参入規制にあたるという見方が学者の間では多い。自由化し、競争にさらすことで教育サービスを多様化、向上させるという発想がどこにもない。
要領が実質上限
二〇〇三年度から使われる高校物理の新教科書。その執筆にあたる大学教授が最近、教科書会社から注意を受けた。鉱石ラジオの作り方を載せようとしたら、「新指導要領になく、検定を通らない」。本人は「回路を学ぶのに一番わかりやすい。文部省の言う通り、生徒の考える力が向上すると思ったのだが……」。創意工夫が許されない。
文部省は指導要領について「(修得すべき)最低水準であって、上限規制でない」(御手洗康・初等中等教育局長)と説明する。だが役所の顔色をみる教科書会社や学校現場は、今も「上限規制」として受け止めている。
教育改革国民会議の委員でもある川越市立城南中学校の河上亮一教諭は「文部省は夢の世界で生きている。それで教育の多様化といっても現場は混乱するだけだ」と話す。
八五年一月。文部省は臨時教育審議会(臨教審)に「日本の初等中等教育は世界最高水準」との文章を提出した。いじめや校内暴力が社会問題化していた時のことだ。現実を直視しない行政は今も続く。「ゆとり」といった修辞だけが先行して、夢に溺(おぼ)れるようでは、教育改革は掛け声倒れに終わる。
(「教育を問う」取材班)=関連企画は7面に
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★コメント
自習型教育方式で成果を上げている業者もあるのだし、学習内容の下限を満たしてカルトを排除した上での小学校課程の質的競争は、決して無意味ではないと思います。
それにしても、文部省というのはやはり「被支配家畜階級の調教計画センター」だったのか?
毎度、同じような事ばかり書いて恐縮しているのですが、
自称超人による日本植民地支配をより容易に達成しようと、絶対多数の民衆を世代毎にどんどん愚かに、そしてその意図を勘づかれないよう静かに階級二極化を進め、蛇の締め上げ愚民化を進めていく……
「教育改革」の口実でカモフラージュしながら、大衆教育の破壊を画策する悪魔教団の奉仕工作員らが多数スパイ活動しているものとすれば、それこそ「国賊」でしかなかろう。
国民の脳を静かにゆっくりと蝕み、やがて一気に滅ぼし尽くす魂胆だろうから。
そういえば、「パブロフの犬」は教育課程から削除されたんだそうです。
これで犬教団の手先は教育界を自由に徘徊できる…?
(ところで、日経のこういう記事にもすっかり「ひらがな」がおおくなりました。)