投稿者 倉田佳典 日時 2001 年 3 月 13 日 16:57:59:
回答先: Re: 『ガンは寄生虫が原因だった』 投稿者 マジですか? 日時 2001 年 3 月 13 日 11:12:58:
http://www.pavc.ne.jp/~ryu/wjn/13/167-2.html
にあった、はずですけど、削除されてますね(^-^;
他の部分で参考資料もありますので、アップしておきます。
【EIR 二〇〇〇年十一月二四日號】
アメリカの選擧危機とは何か。
コ
―― リンドン・ラルーシュJR ――
最惡の金融危機
今日の危機の根柢にある政治腐敗の第二點は、過去三世紀のヨーロッパ文明史上、最惡の世界全體の金融危機に我々が直面してゐるといふ事實です。そして、この危機は現在、始まりつつあります。ごく近い將來のある時點で、おそらくアメリカの上部二〇%の高額所得世帶の人々のうちの半數は、雇傭の見通しが持てなくなつて事實上、破産し、路頭に迷ふことになるでせう。これに伴つて、より低い所得世帶(二〇%)のグループは、一九二九〜三一年の不況よりも、さらに惡い不況が今後數週間のうちに襲來するにつれて、ますます極貧の状態に陷つていくでせう。今囘の金融危機を避けることは出來ません。それに對して對策を立てたり、治療策を講ずる事は可能です。けれども、それは襲來しつつあります。止める事は出來ません。そして「それはソフト・ランディングになる。」とする、すべてのニュース解説はナンセンスなものです。皆さんはヨーロッパ文明史の過去三世紀のうちで最も過酷なハード・ランディングを經驗しやうとしてゐるのです。それは現在、足速に近付きつつあります。
大統領候補者逹は選擧戰の過程でこれらの問題のいづれをも議題にされる事を許しませんでした。さうした事は、話のついでに一、二度論じられましたが、候補者逹は、それらの問題を避けたのです。つまり、アメリカ國民と全世界の人々が直面する眞の諸問題についておそらく世界最強の國、アメリカ合衆國の最高の役職を目指して立候補した人々は何ら言及しなかつたといふ事なのです。それこそ、まさに政治的腐敗以外の何物でもありません。彼らが質問に答へてゐないといふ事を私逹一人一人が心にとどめておかなければならないのです。
合衆國はまた、戰略的に恐るべき状況にあります。皆さんのうちには私が一九八八年十一月、十一月十二日のコロンブス記念日に、ドイツのベルリンで講演をした事を覺えてゐる方がおいでになるかもしれません。その講演は全國的なテレビ番組で後に同年十月、再放送されましたが、この時のテーマは遠くない將來、ソビエト體制の經濟的崩壞が東歐から始まるだらうとの豫測でした。そしてまた、近い將來におけるドイツの再統一と、その再統一されたドイツの首都としてベルリンが再建されるだらう事も豫見しました。
その時點で私は實施さるべき、いくつかの政策を指摘しました。現在、さうした政策は實施されてゐません。實際に起こつた事で唯一良かつた點は、當時アメリカのドイツ駐在大使、ヴァーノン・ワルターズがジョージ・ブッシュに對して、英國首相、マーガレット・サッチャーと完全に共同歩調をとらぬやう懸命に説得した事でした。ヴァーノン・ワルターズのブッシュ大統領への警告のおかげで、事態はもし共同歩調をとつてゐれば陷つてゐたであらう程には惡くはならなかつたのです。でも他の點ではブッシュは、あらゆる惡い事を行ひました。
その結果起きたのは、當時サッチャーに代表された聯合王國とブッシュに代表された合衆國とがアングロ=アメリカ世界帝國の設立に動き始めたといふ事でした。それは、とりもなほさず、一九八九年から一九九二年のかうした事態の進展の結果、全世界のすべてのNATO參加國や合衆國の他の同盟國の地位へと格下げになつたといふ事態なのです。砂漠の嵐作戰(譯注・灣岸戰爭)の際にはかつたやうに、また最近のバルカンでの事態の進行の過程でわかつたやうに、日本、ドイツ、フランスなどのやうな重要な同盟諸國が、たんなる總督が統治する領地(satrapy)同然のものとなり、アメリカ人逹に命じられるままに行動する、ただの使ひ走りの少年へと格下げにされてしまつたのです。
中南米においても同樣の事態が進行してゐます。アフリカでは英國やブッシュ政權の置き土産による支援の下に身の氣のよだつやうな大量虐殺が行はれました。アジアの國々でも似たやうな事が行はれてゐます。アル・ゴアも後日、その問題に關與しました。
ですから、アメリカ合衆國は全世界の目から見ると中南米、アフリカ、アジアの國々だけでなく、私逹の最も親密なかつてのヨーロッパの同盟諸國の背中に乘つた抑壓的な帝國として存在し續けてゐるのです。かうした政策の故に、世界中にはワシントンに對する深い怒りとますます増大する憎しみさへ充滿してゐるのです。
私逹は極めて近い將來、かうした危機の勃發の中でアメリカ・ドルがかなり急速に四〇%位暴落するといふ事態に直面することになります。現在、私逹はウォールストリートを支へるためにアメリカ内部に吸ひ込まれてくる、年間三兆ドル以上の金をまんまと手に入れる事でアメリカ市場の安定を保ち續けてゐます。アメリカ・ドルが暴落する時には現在の會計赤字の影響と外國からの金融供給杜絶の影響とが相まつて、合衆國を經濟的に崩壞させる事になるでせう。
その時には合衆國のパートナーや友人逹を必死になつて求める状況に立ち至るでせう。他の國と同樣に、合衆國をも、この同じ方向へと引き戻すために我々と協力して働いてくれるやうなパートナーを。
私逹は偉大な英國の詩人、シェリーがその詩「オジマンディアス」で描いた情況にあります。世界最大の超大國アメリカ合衆國はその權力の見せかけの頂點において崩れ去つて砂漠の砂にならうとしてゐます。その諸斷片は砂漠に粉々にまき散らされるでせう。そこには一枚の看板があるだけです。「全世界の人々よ、餘のすばらしさ、餘の權力のすばらしさをしつかりと目にとどめよ。」それこそが私逹の現在の情況なのです。
これが現實なのだと認識出來ない事こそが政治的腐敗の一つの形態なのです。
同時に、皆さんにもはつきりとおわかりのやうに、總じて合衆國では八〇%の低所得世帶のグループは過去四半世紀にわたつて、ますます貧窮の度合ひを増大させ續けてゐます。老人、いはゆる少數者集團その他の人々の生活條件、勞働條件、農場經營者の状態、低所得層のコミュニティの状況、さうしたすべてのものが急速にますます惡化してゐます。生活そのものが不安定なものになりつつありますが、大統領候補者逹の背後にゐる連中は誰もさうした事など氣にかけませんでした。誰もそんな問題について論議せず、さうしたことの解決策も提案しませんでした。彼らが提案したのは、おそらく、眞白い大邸宅の裏口のドアに立つ奴隸逹に對して何がしかの施し物を與へる提案であつて、それ以外の何物でもありません。それは政治の腐敗なのです。
いまや私逹は私逹が學ぶ事が出來る、いくつかの過去からの教訓を手にしてゐます。それらの教訓は未來に關はるものなのです。私は二つの型の教訓を述べる事にしませう。まづ初めに、過去の經驗から、疑ふ餘地のない教
訓を述べる事にします。
三つの歴史的教訓−F・D・ルーズベルトの先例をよみがへらせやう。
セオドア・ルーズベルトの選擧戰の結果、合衆國は荒廢しました。テディ・ルーズベルトとウヰルソンは南部の人種差別的傳統に立つ南部生れの男逹でした。實際のところ、ウヰルソン自身、クー・クラックス・クランの支持者だつたのです。そして彼がホワイトハウスにゐて大統領だつた間、ウヰルソンはクー・クラックス・クランの二度目の復興を押し進め、それは最初のものより大きくなりました。一九二〇年代と一九三〇年代初めのクー・クラックス・クランはウッドロー・ウヰルソンの仲間(clan)であり、ウヰルソンはそれを公式にまた公然とホワイトハウスから推進したのです。ですから彼らが善良過ぎる等といふわけではないのです。
クーリッジも同じやうなものです。アンドリュー・メロンは、無能な(poor)アラン・グリーンスパンが摸倣してゐる人物ですが、邪惡で有力な存在でした。
これらの大統領とその政策の下に、一九〇一年から三一年までの期間、アメリカは一歩一歩、荒廢し、つひには一九二一年〜三一年の大恐慌へと歸結したのです。ここで、一人の大統領候補者が出現しました。フランクリン・ルーズベルトです。彼はテディ・ルーズベルトの從弟でしたが、テディとは全く違つてゐました。彼は大きな方向轉換を行つたのです。ルーズベルトは一般大衆に向つて話しかけました。ルーズベルトは「忘れられてゐる人々」にとつて必要なものについて話しました。ルーズベルトは合衆國創建の基盤となつた諸生産を復活させました。皆さんは、それらの政策を獨立宣言の最初の三つの節と合衆國憲法前文の中に見出す事が出來るでせう。それは公衆の福祉(general welfare)といふ概念です。つまり、行政府にとつての唯一の正當な基盤は、國民一人一人の、そして全員のための公衆の福祉と彼らの繁榮を推進するために政府が效果的に、これに關はる事にあります。それこそルーズベルトが強調した點でした。大恐慌によつて代表される諸問題に着手し、テディ・ルーズベルト、ウッドロー・ウヰルソン、カルヴィン・クーリッジ、アンドリュー・メロン逹によつて作り出されてゐた腐敗を覆えすために、フランクリン・ルーズベルトは合衆國政府が國家防衞だけでなく、公衆の福祉の推進者にして保護者として、その正當な權限を行使せねばならないと主張したのです。
今日、私逹は類似した問題に直面してゐます。私逹は第二次世界大戰から出發しました。ルーズベルトは不幸にして亡くなり、彼が企圖した事は完全には實施されませんでした。けれども、とりわけ一九四五年頃から一九六五年までのアメリカとヨーロッパの間の關係に關しては、いくつかの良い政策が、實施されました。ヨーロッパとアメリカとの協力の結果、合衆國はヨーロッパとの關係によつて繁榮しました。ヨーロッパはアメリカとの協調關係によつて繁榮しました。私逹はうまく進んでゐたのです。合衆國内の私逹の生活條件は好轉しました。公衆の福祉は改善されました。生活水準は向上しました。多くの惡い事が起きたのも事實ですが、實質的には私逹は進歩をとげたのです。
次いで一九六六年、私逹は下り坂にさしかかりました。最初はあまり速くはありませんでしたが私逹は下り坂を歩んでゐたのです。それ以降、私逹は南部戰略の影響の下に、坂を下り續けてゐます。南部戰略は共和黨、民主黨、兩黨の頂點での支配權を握つたのです。
ですから現在、私逹は繁榮してゐた合衆國が惡い政策と惡い指導者逹によつて荒廢させられるといふ、同じ種類の状況へと立ち至つてゐるのです。過去にはテディ・ルーズベルト、ウッドロー・ウヰルソン、クーリッジがゐたのと全く同樣に、私逹の前にはニクソン、カーター、ジョージ・ブッシュがゐたのです。これらの大統領が現在の私逹を零落させたのです。ちやうど、ルーズベルト以前の大統領逹が當時のアメリカ國民を零落させたのと全く同じやうに。ですから歴史の教訓から學ぶといふ事、そしてフランクリン・ルーズベルトが、かつて合衆國を大恐慌から浮揚させ、戰爭中に國を守り、さらには戰爭直後の二〇年以上にわたつて私逹をますます繁榮させるに至つた、さうした諸原則から離れてしまつたといふ事が、かつてない最大の過ちであつたのに氣づく事こそが正しい解決策なのです。
今必要とされてゐる事は、さうした諸政策への復歸であり、さらにはデキシークラットやカーペットベッガー逹の諸政策、奴隸所有者や株主たちの諸政策をひつくり返して、縁を切り、ゴミとして捨て去り、投げ捨て、消し去つてしまふ事なのです。
戰後の時期、私逹には復興の問題がありました。ルーズベルトは、すべての植民地、とりわけポルトガル、ドイツ、イギリス、フランスの植民地を廢止する事に贊成の立場でした。そして植民地とされてゐた、これらの地域をアメリカが戰後のヨーロッパに許したやうなアメリカとの協調關係を保つ獨立國家として確立させやうとしました。ルーズベルトは、これらの新たな獨立國が眞に繁榮する共和國へと發展する事に贊成の立場だつたのです。私逹はそれを逹成出來ませんでした。何故なら、チャーチルがそれに反對したからです。ルーズベルトが亡くなつた時、トルーマンはチャーチルの壓力の下に、戰時中、一時的に自分逹を解放してゐた諸國家に宗主國の權限を復活させるために、直ちに樣々な軍事力を行使したのです。
アメリカは現在、さうした政策をとつてゐます。私逹は南アメリカ、アフリカそしてアジア諸國を植民地として扱つてゐます。それらの國々は、アメリカや英國がアフリカでアメリカ軍やその他の手段を用ゐて行つてゐる大量虐殺に象徴されるやうな政治手法で新植民地化されつつあるのです。そしてアフリカでの大量虐殺は現在、この惑星上の最も恐るべき光景の一つなのです。
第二次大戰中に私逹が直面してゐた問題は同じ類の状況の結果でした。一時期、イングランド銀行總裁で、合衆國内のアヴェレル・ハリマンのグループ(interests)を操つてゐたモンタギュー・ノーマンはヒットラーの黒幕でした。アヴェレル・ハリマンやハリマン一味(clan)の支援の下にヒットラーをドイツで政權につけたのはモンタギュー・ノーマンでした。この派閥はジョージ・ブッシュやその他、いく人かの人々の派閥でもあります。さうした事が實際に行はれたのです……。それが行はれた方法を今日思ひ出す事は大變重要です。
一九三二年末の時點でドイツ國民は大恐慌に對處する政策の採用を既に決定してゐました。この政策はフリードリッヒ・リスト協會(ドイツ名 Friedlich-List-Gesellschaft)と呼ばれる組織によつて作られました。このグループはラウテンバッハ・プランと呼ばれる政策を作つてゐましたが、それはアメリカでルーズベルトが經濟復興のために行つたのと同じ事を事實上、實行するための政策でした。つまり、公的信用を利用して社會基盤整備や他の手段で大量雇傭を作り出し、經濟の復興を促すものでした。
ヒットラーは一九三二年末には樣々な理由で退潮傾向にありました
。この時期、ドイツ國民はクルト・フォン・シュライヒヤーといふ人物に政權を託して、彼は一時、ドイツの首相(the Chancellor)だつたのです。もしこの人物が、アメリカで、ちやうど大統領に選ばれてゐたルーズベルトが大統領となつた一九三三年三月まで權力の座に留まつてゐたとすれば、第二次世界大戰が起きる事はなかつたでせう。何故なら、フォン・シュライヒヤーが權力を持つたままであつたとしたら、世界規模での景氣恢復の中、ドイツは合衆國のパートナーとなつてゐたからです。ナチ黨は消えて無くなり、戰爭もなかつたでせう。厖大な制裁もなかつたのです。
しかしながら、さうした事は起こりませんでした。モンタギュー・ノーマンはアヴェレル・ハリマンとニューヨークの彼の友人逹、後の大統領ジョージ・ブッシュの父やジョージ・ブッシュ州知事の祖父を含む友人逹の支援を受けてゐました。私はジョージ・ブッシュ州知事が祖父が何者たるかを知つてゐるのかどうか、わかりませんが、――いづれにせよ、彼はアヴェレル・ハリマンとともにモンタギュー・ノーマンの指揮のした、アドルフ・ヒットラーをドイツで政權に就けるために働いた人物の孫なのです。
ですから、皆さんがブッシュ候補、ブッシュが大統領となる事にあまり信頼を置いてゐないのは自然な事なのです。
けれども、いづれにせよ、ここで學ばれるべき教訓は、ドイツのナチ黨のやうな現象や今囘の選擧スキャンダルに表はれた形でのアメリカ合衆國のブッシュとゴア二人組による乘つ取りのやうな現象が出現するのを見付けた時には、皆さんは常に行動に訴へねばならないといふ事なのです。さうしたものを見つけた時には、あなたは「そんな事は手遲れにならぬうちにやめなさい。ヒットラーの教訓に學ばなければならない。」と云ふべきなのです。もし私逹が出來るうちにフォン・シュライヒヤーを支援し、ハリマンの一味が一九三三年一月にヒットラーを權力の座に押し上げるのを妨げる事でヒットラーの進出をくひ止めてゐたとすれば、私逹は決して第二次世界大戰を經驗する事も身の氣もよだつやうなナチ黨の一件を見る事もなかつたでせう。手遲れにならないうちに、今、さうした事を沮止しませう。そして、さうした事態を(フランクリン・ルーズベルトが實施した樣な)政策によつて防止しなければなりません。――フランクリン・デラノ・ルーズベルトは完璧とは云へないかもしれませんが、それでも現在、この國をさうした危機から救ひ出すために一人の大統領が備えていなければならない矜持や心構へを體現してゐると云へませう。(續)
(森 通曉・譯)
小紙前號(一六六號)訂正
11頁上段本文17行目 金がかせぜず → 金がかせげず
11頁下段17行目 權力をとるやうな資金提供 → 權力をとるやうに資金提供
11頁下段本文後から10行目 南武戰略 → 南部戰略
11頁下段本文後から5行目 現實の世界には生きていけません。
→ 現實の世界には生きてゐません。
(以上)
週刊日本新聞 一六七號(12・12・25)
編 集 後 記
編輯主幹 太 田 龍
○ 「世界」、二〇〇一年一月號、三十一頁以下)。「罷免された強權政治家フヂモリ」、小倉英敬(國際基督教大學非常勤講師)。
○ これは、フヂモリ前ペルー大統領に對する敵意をムキ出しにした、ユダヤイルミナティ三百人委員會の手先そのもの、の文章。
◯ 「世界」(岩波)が、ユダヤイルミナティ世界權力の工作機關(左翼・リベラル派)であることを自己曝露する。文章。
◯ ちなみに、この「世界」と云ふ雜誌には西暦年號表記のみ。日本の元號は、どこにも記されて居ない。
◯ しかし、岩波左翼と年がら年中喧嘩して居る、「右翼」「保守」「民族主義」の産經新聞もまた、フヂモリ・ペルー大統領に對して、敵意をムキ出しにして居た。
◯ これはをかしいか。
◯ 否、すこしもをかしくはない。
◯ 「産經」もまた、ユダヤイルミナティ世界權力の日本民族皆殺し作戰の工作隊(反共親米英親西洋)の一つ、なのだ。
◯ 「ムー」(學研)平成十三年一月號、百八十頁、ブック・フォーラム欄に、デーヴィッド・アイク著「大なる祕密」(上、下、三交社)が紹介されて居る。
◯ 赤間 剛さんからお手紙。
前略
いつもお世話になつてをります。
『週刊日本新聞』にはいつも泪する思ひで讀んでをります。孤立無縁よくも 戰つておられると感心しきりです。
日頃のお禮に代へて商品劵をわづかですがお贈りします。圖書劵にでもして下さい。
どうぞお體を大切に!
赤間拜
◯ 赤間さん、どうもありがたう。
○ 十一月十六日(十七日かも知れない)、町田(東亰都下)簡易裁判所から「特別送逹」の郵便(十一月十五日付の消印)が來た。
○ 何ごとか、と思つて封を開けると、口頭辯論期日呼出状、答辯書催告状。
あなたに對する訴状が提出されました。十二月二十一日午前十時に、町田簡易裁判所に必ずお越し下さい。と云ふ。
○ 笹川英資(町田市在住)なる人物が、私を訴へた、と云ふ。週刊日本新聞で原告(笹川)を中傷して居る。損害賠償六〇萬圓、慰藉料三〇萬圓、計九〇萬圓を支拂へ、との趣旨である。
○ 私の住居から町田市へ行つて法廷に出る。往復半日がかりか。
○ この件は追つて小紙上で必要に應じて報告したい。
○ この一件はもちろん例の「中丸薫」に關聯して居る。
○ 林檎栽培農家の讀者から、お手紙と林檎一箱頂いた。
前略 毎週樂しみに新聞を待つてゐます。
一六四號ではアメリカ大統領選擧のうらが興味深く、新聞をみる時初めに編 集前記、次に後記を讀み、大事なところにエンピツでラインやマルで圍んだりと、農業とは全く別の世の中をのぞかせてもらつてゐます。
又、大いなる祕密の上下を讀んでゐる最中であり、背景はレプティリアンであるとは頭では理解できるが變身してるところを見てみたい氣持ちが大である。
この樣な内容を知りえても今のところ一般の人や友人等には話せないなと思つてゐる。
宇宙的、地球的な視野で物事をみつめ心のバランスを保ち、自分の今(りんご栽培)を大きな目で心で生きていかう。
とりとめない文になつてしまつた。自分が作つたりんご食べて頂きたい、これくらゐしか情報を與へてくれた禮が出來ません。御元氣で。
田舎から日本、世界をみる百姓。
○ 林檎とおたよりをありがたう。
○ 小紙、次號(一六八號、平成十三年一月一日)は、十二月末に發送。その次一月八日はお休み。一月十五日號(一六九號)は、十二日金曜日か十三日土曜日に屆くでせう。
○ 日本義
塾
一月二十五日(木)午後六時半〜九時(六時開場)
會場 文京シビックセンター四階會議室
○ EIR、二〇〇〇年十二月八日號。
「アジアの新しい協定は世界經濟を救ふことが出來るかも知れない」。
○ これは、十一月二十四、五日、シンガポールで開催された、アセアン(東南アジア諸國機構)プラス3(日中韓)會議についての特輯である。チャルマーズ・ジョンソン博士は「シンガポール首腦會談はアジアに於ける米國の帝國主義支配の終りを示す」と。
平成十二年十二月十四日記
戻る