「洗剤と強肝剤」 日本の消費者運動の始まり

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投稿者 くま 日時 2001 年 3 月 05 日 21:23:35:

”言い換えれば、これまで飽きるほど論じられてきたが、日本は構造改革が不可能な体質になっている。
構造改革とは何か。いろいろな側面から論じられ、それぞれもっともな意見だとは思うが、私は、この本質的意味は、日本の仕組みをフェアの原則にそって、組替えられることではないかと考えている。
フェアの原則と言っても、小難しいことではない。ルールを守るということに過ぎない。
日本人に、もっとも不得意な競技はゴルフだと思っている。球を打つ技術のことではない。ゴルフの基本は、「自分に有利になることはするな」という真髄を会得することと、自己申告制にあるが、このルールを正しく守る精神が、欠けていることをいうわけだ。
最近、「人が見ていなければ何をやってもいい」或は「見付からなければやり得」といった思考パターンは、これは日本民族固有の天性ではないか、との絶望的気分さえ感じている。
回顧と題して、過去をなぞってきているが、話題は、どうも昭和30年代に集中することになる。
我々世代にとって、20年代は戦後の廃墟の中であっても、厚い雲にぽっかりあいた、青空を見上げるような新時代への希望があった。
アメリカに与えられたものだったかどうか、また民主主義、自由主義と、呼び名などはどうでもよい。日本は変わる、という希望だった。
漠然としてはいたが、これは「自由、民主」を支えるフェア、公正の観念が、日本社会に定着するのではないかという期待、精神構造の変化への、期待のようなものだったのではなかろうか。
閉塞的社会から、溌剌としたオープンな社会に変わるという期待でもあり、確かにその芽はあったと思う。
30年代は、これが変質する経過だったような気がする。いま、当時が、閉塞的「秩序」に回帰する動きが、強くなった時代だったように感じているわけだ。
当時、左翼陣営は「反動」と呼んだが、これとは違った意味でまさに「反動」だった。
モラル・ハザードというか、企業社会には、倫理感の欠如を示す事例が頻発する。その典型例を、証券界にみることができる。
株式市場は、言うまでもなく資本主義の代表だ。その意味で、この時代の証券界は、当時の企業社会を象徴的に示しているとも考えている。
そして、つい3、4年前に起こった、バブル経済崩壊と共に明らかにされた「飛ばし」や「損失補填」を始めとする証券不祥事に、形態、規模こそ違うが類似点が多いことに、改めて驚いたのを覚えている。[経営者に良心はあるか/寺川雄一著]”
しかし、このようなことを考える人がいるのだから、日本民族というのも捨てたもんじゃないと思う。
それで、「日本民族固有の天性ではないか」について少し云えば、たとえば欧米などにおいては、この問題にはキリスト教の思想による影響が大きくあるようだ。無論そればかりではないかもしれないが。・・・
こんな話がある。ソ連の軍事裁判で、被告が全てを淡々と告白し始めた。会場はどよめいた。なぜなら、彼は自分がそれを言えば死刑になるとわかっているのに、彼以外には誰も知らない事実を今述べているからだ。「彼は気が変になったのではないか」と言う者もいた。とにかく、彼がしでかした罪業と、今の彼に見られる誠実な正直さとが皆には折り合いがつかないものに思えたのだ。
だが、彼はキリスト教者であったということから、彼は「キチガイ」にはされずにすんだ。無論死刑にはなったが、彼の正直さは、「告解」にも見られるような、神や自己に対する誠実さとして納得されたのである。
これは別の言い方をすると、そのような態度はそこにいる聴衆をも驚かしたということで、それは誰しもが「言わなければわからないのだ」ということを、当り前だが考えるということを示してもいる。そして、そこは日本ではなかった・・・・・
”(ファン・ゴイティソーロ談)一つの別の例を挙げたいと思います。ベルリンを訪れたときのことです。私はベルリンの街が大好きなのですが、あるとき東ベルリンで東ドイツ政府がアレキサンドル広場に建てたあの恐ろしく醜い塔にのぼりました。塔の上からはまず連合軍の爆撃によって壊された建築物の残骸が見えました。そして次に東ドイツ政府によって建てられた不格好だとしかいいようのない建物が見えました。そしてその後突然18世紀のプロシアふうの建物が目に入りました。その建物の屋根は崇高とすらいえるほどの完璧な美しさを持っていました。
そこで私は疑問に思いました。この建築家はきわめて調和のとれたすばらしい屋根をつくったわけですが、だれがそれを見ることができると思ったのでしょうか。神のためでしょうか。天使のためでしょうか。いや、自分自身のためなのです。そこには完璧さを求める秘められた欲求があったのです。
それと同じことはその他の芸術作品や詩についてもいえると思います。そしてこれと同じことを私はサラエヴォで学んだのです。爆弾が投下され、街が破壊されつつある状況のなかでも、詩を書き続け、言葉というものの力を信じ、自分の芸術的技術を完璧なものにしようとしつづける人たちがいたのです。このような生き方が、だれも見ることができないのに、それでも完璧な屋根をつくっていたベルリンの建築家の生き方と同じように私の心に最も大きな感銘をあたえたのです。[不安の世紀から/辺見庸著]”
日本にも様々な分野に「職人」と言われていた人たちがいたが(近代ではそういう人々は、多くは「市場原理」とやらで存在しがたくなっている)、彼らはここに書かれているような誠実さを持っている。また、文化遺産だとか、広く芸術作品というものではなくても、日常的な仕事や行為などにおいて、そのような誠実さをもっている人に僕は多く会っている。無論僕の場合ほとんどが市民階層の人々である。
先に書いたように、日本人が「天性だ」と諦めてしまって、アイデンティティの問題から、本当に「天性」のようになってしまうのはよくないので書いた。
しかし、この本の著者が、フィールドからいって、その活動の体験から,そう思わざるをえないような場面に多く接してきたというのは事実であろうとも思われる。
しかし、日本が厳密に単一民族だというのは錯覚だし、だとすれば、「天性」というのは有り得ない。もしあるとすれば、他の「民族」にもなければならない理屈になる。だとすれば、それは「固有」のものではない。
それにしても、昭和30年代といえば、最終的に、アメリカが掲げた戦争責任者の「追放」も有名無実に終わり、その代わりに「レッド・パージ」という嵐が吹き荒れ様々な悲劇をも生んだ。そして前者の「追放」の対象者であった人間たちは「完全に蘇生し、政界、財界、官界、あらゆる所で安楽に活動をつづけている」という連中が「現場」に復帰し、体制を整えなおした時期なのではないのだろうか。或は、息を潜めていた連中が表に現れるようになった年代なのではなかろうか。・・・・・
ともあれ、この 本の著者は、消費者運動のハシリのような人だったようだ。中性洗剤の危険性を指摘、そして追及し、日本から駆逐したのは彼だった。
”昭和31年、「経済白書」は「戦後は終わった」と宣言したが、戦争は終わったが30年代の日本にはまだまだ、貧しさが至るところに残っていた。
30年代の消費をリードしたのは三種の神器といわれた白黒テレビ、電気冷蔵庫、電気洗濯機だったが、商品を「神器」と呼ぶこと自体、日本の大衆社会は「貧しさ」の裏返しともいえる、商品への盲目的信仰に支配されていた。
「成長神話」に支えられた生産者と、消費者の「古き良き」蜜月時代だったと言えようか。
アメリカのカーソン女史の「沈黙の春」が話題になるのも、もう少し後になってからであり、水俣病の有機水銀原因説が表沙汰になり、四日市喘息が社会問題化しようとしていたが、「公害」という言葉も、まだ生まれていない。
BHCの牛乳混入事件、カネミ油症事件、森永砒素ミルク事件、薬禍によるサリドマイド症事件などが頻発しているが、これはまだ単なる「事件」であり、「事故」であった。「欠陥商品」を生み出す社会経済的背景への追及のメスは、まだ入っていなかった。
この話も、当時の「私の」貧しさと関係する。
昭和29年、東京八重洲のバラック造りの松下電器で、円筒形の攪ハン式の電気洗濯機を4万円(月給8千円の5ヶ月分)出して買ったが、2枚しかない敷布を破ってしまい、クレームをつけて引き取って貰ったが、この時のメーカーの態度が悪く、いまだに「松下」と聞くと背中にムシズが走る。
冬の寒い日の下着の洗濯は一苦労だった。いつもいつも女房の手を煩わすわけにもいかず、風呂に入ったあとの残り湯の中に、洗剤をぶち込んで足踏みしながら洗濯した。我ながら合理的だと思っていた。が、これが石鹸と洗剤の区別を知らない、無知のなせる業だと気付いたのは、何日か後のことである。ちなみに電気洗濯機ブームは、わが国の洗濯史上、強力な洗浄力をうたう、石鹸から中性洗剤への転機になった。
気がつくと、足首の部分が軽い火傷の跡のように、赤くカブレ気味になっていた。
こうしたとき、東京都衛生局臨床実験部長の柳沢文正博士と会った。知人の一人が柳沢先生に糖尿病薬の調合を依頼していて、たまたま彼と同伴したときのことだった。何かのはずみで私の足の洗濯による火傷の話題になり、靴下を脱いで傷跡を見せると、一目見るなり先生は中性洗剤の毒性によるものだと喝破した。
「この毒性はジワジワと内蔵を侵す。しかもまだ誰も知らない。中性洗剤は大量に売られ、野放し状態になっている。放っておくと大量の患者を発生させ、国民の健康にとって重大な問題になる。ジャーナリストなら、徹底的に調べて、世の中に警鐘を鳴らすべきではないか」
柳沢先生は、それまで何度も問題を提起してきたが、その都度黙殺されてきた経緯を、悲憤を交えて語ってくれた。
先生の示唆に促されて、取材を開始した。[経営者に良心はあるか/寺川雄一著]”
”また夏のお中元の季節に、高島屋の配送センターにアルバイトできていた学生が、救急車で病院に運ばれた。調べたところ、急性肝炎だ。
この学生は、運んでいた配達中の箱が破れ、中に入っていた洗剤の粉を、頭から被っている。
こうした事例を丹念に集めていくと、中性洗剤には急性毒性の危険性さえあるとの疑いが、濃厚に感じられる。
柳沢先生と共に、市販の洗剤を使って動物実験をすると、花王石鹸のワンダフルも、ライオン油脂のライポンFでもラットは次々に死亡する、無論、普通の使用状態を想定したものではなく、濃度の濃いものから薄いものまで、10組のネズミの皮膚に塗布した結果、殆ど1−−3週間ぐらいの間に死亡している。「劇薬」を思わせるこの実験結果には、慄然とするものがあった。
薬品など、大量に服用すると危険な製品も市販されているが、それには必ず「使用上の注意」が付記されている。ところが、ワンダフルにも、ライポンFにも洗浄力を誇示する文面はあっても、「使用上の注意」は、どこにも見当たらない。
それどころか、安全性は厚生省の実験証明済みとある。
調べてみると「厚生省」が実験を委嘱したのは「日本食品衛生協会」という財団法人であり、その会長は元厚生省の技官。塩野義製薬社長の女婿であり、当時順天堂大学の教授を兼任していた。
この経歴は厚生省と製薬メーカーとの、官財癒着そのもを想像させるが、それはともかく「日本食品衛生協会」は、事務局があるわけでもない、当の理事長がたった一人の、いわばペーパー財団だった。
厚生省とあるから、厚生省に存在するものと思い、厚生省に行くと、そんなものが厚生省にある訳がないという。よく調べてみると、有楽町の勧業銀行の2階の一室に、事務所だけはあった。
実験内容を追及したところ、簡単にいうと「ボールの中に鯉を泳がせて、何日間か、洗剤を投与したが、鯉は死ななかった」という程度のものだった。
幽霊財団の杜撰な実験だけで、「厚生省実験証明済み」と権威付けされていたわけだ。
こうしたデータを集めて、洗剤メーカーに取材を始めたが、花王もライオンも責任者は逃げ回って出てこようとしない。”
”いま思い出しても怒りを覚えるのは、丸田専務の冷笑を浮かべながら言ってのけた、次の大嘘発言だ。
「洗剤の安全性は保証されている。我が家では節約のため古米を食べているが、研ぎ水にもウチの洗剤を入れて使っている。よく研げて新米並みに美味しくなる」。
安全保障の根拠が、先に触れた噴飯ものの「厚生省実験済み」だが、花王の専務の家庭で「古米」を洗剤で研いで食べていると、白々しい大嘘をヌケヌケと、言ってのけたのには二の句が継げず、唖然としてしまった。
取材記者の枠を越えて、「中性洗剤反対」キャンペーンに走らせた契機は、この丸田氏の大嘘に始まる。
なお念のため、丸田家に電話を掛け「古米を洗剤入りの水で研いでいるかどうか」を問い質してみた。答えは案の定というべきか、「ウチでは古米など一粒たりとも食べてはいません」と、丸田夫人は、電話の向こう側で、柳眉を逆立てた形相を想像させるような、カナキリ声を上げておられた。
この会見の後、花王石鹸の植草秘書課長は「お前は共産党だろう。街なかで出会うことがあったら、棍棒で殴ってやる」と息巻いていた。丸田専務によほど激しく叱責されたものと推察した。
これまで、私は数々の悪評を受けていたが、面と向かって「共産党」呼ばわりをされたのは、このときが初めてだった。
自ら顧みて、これほど私に相応しくないレッテルはないと思ったが、企業の「反社会的行為」の糾弾は、十把一絡げに「共産党」と呼ぶところに、当時の日本企業の文化水準が、示されているような気がする。
同じ洗剤メーカーでもライオン油脂の富山新一専務は、全く紳士的というか学者タイプで、専務室で夜 の一時頃まで、黒板に化学記号を並べたてて、真剣に合成洗剤の化学物としての特性の説明をしたのと、花王の丸田専務とは対照的だった。
京大の農芸化学科の講座を持っているとかで、時々京都に出張した折、宇治の銘茶を北松園から送ってくれたり、新幹線の中で偶然会って、洗剤ではなく「農薬」の毒性を、私に熱心に語ってくれたのが、印象に残っている。
この当時、中性洗剤は景品によく使われていた。デパートの大売出しの景品、これは今も続いているが当時も、新聞拡張時のいわゆる「拡販材料」として、よく使われていた。”
”中性洗剤の安全性問題は、折りから燃え拡がった「公害反対」の市民運動の波に乗り、主婦連などの市民団体も、大きく取上げ一時期、かつてない高揚を見せる。
だが、政府、業界の対応も素早く、問題の重点は、いつの間にか「毒性」から泡による「環境問題」にスリ変わり、アメリカに遅れること10年だが、「ソフト化」で乗切ってしまう。
その後、中性洗剤と「環境」問題は、河川、湖沼、海洋の富栄養化との関係が指摘されるようになる。
日本では琵琶湖汚染、瀬戸内海の赤潮発生の原因として、洗剤に含まれているリン(トリポリリン酸ソーダ)が問題になるが、この問題も無リン洗剤の開発でクリアしている。いまは「安全」問題はすっかり、下火になっているのが実情だ。
その後については詳しくないが、中性洗剤は酵素洗剤、バイオ濃縮洗剤と「変化」してきている。昭和30年代に提起された「安全性」問題は、技術進歩で解消されたのか。
技術のことはともかく、コンシューマーズ・ユニオンのウォーン博士の忠告から私は、洗剤「企業」が「進歩」しているかどうか・・・・・が、カギになるのではないかと思っている。
いま洗剤マーケットの王座にあるのは、革新的商品と呼び声の高い花王の「アタック」だといわれている。
花王では、丸田社長時代に、「商品開発五原則」を決定しているが、アタックは、その成果だというのだが・・・・・。
曰く 「真に社会にとって今後とも有用であるかどうか」
曰く 「商品化される前に、徹底的な消費者テストがあらゆる面で行われ、そのスクリーニングに耐えたかどうか」
以上、五原則の中からニ項だけを抜粋したものだが、アタックは、この原則に基づいて開発されたものだという。が、どうしても「古米を洗剤で洗った」専務時代の大嘘を思い出してしまう。
私の警鐘が、氏の反省の糧の一つになったと、満足すべき結果なのだろうとは思う。それとも、三つ児の魂百までも・・・・・なのか。是非とも現役の諸子に検証してもらいたいものと考えている。[経営者に良心はあるか/寺川雄一著]”
実は昨年出版された「買ってはいけない」には次のような箇所がある。さすがに唖然とした。
”船瀬 日本消費者連盟にいたときに、九州でせっけん運動を10年以上やっている女性から電話がかかってきました。ライオンの小林社長(当時)が、ライオン奥様サロンとかいった集まりに妻を連れてきたので、「ライオンさんはあれだけ合成洗剤のテレビ広告をやって、なんですか。今日はライオンの社長さんがおるから聞きたいのだけど、あんたのところは、おたくのライオンの合成洗剤を使うておらっしゃるとでしょうね」と社長に聞いたそうです。
「もちろん、わたしの家ではわが社の合成洗剤を愛用しております」と答えたけれど、妻が袖を引っぱって「あれは危ないからというのでみんなせっけんに替えたじゃないですか」とやったので、会場がみんなア然となったというんだね。”
「買ってはいけない」の、企業に対する追及のアプローチは広報課止まり、どころか広報課すらまともに取り合わない所もあるのが現状。これが近代化システムというものだろうか?
ともあれ、企業は、日本で問題になり売れなくなった洗剤は、発展途上国に工場ごと移して生産、販売する。ところが、・・・・・・
”中性洗剤を開発したのは、第一次世界大戦中に、ドイツ最大の化学メーカー、I・G・ファルベン社だったが、その普及にともなってライン河流域の農産物の汚染が激しくなり、また河水が泡で汚染され、ライン河観光に問題が起こるようになってきた。
連邦議会の禁止の動きを察知したI・G・ファルベン社は、いちはやく技術特許をイギルスのシェル・ケミカル社に売却して、この分野から撤退している。
河川の短い英国でも問題視されはじめるや、シェルは、この技術をアメリカの化学メーカー、モンサント・ケミカルとカリフォルニア・ケミカルに売却する。そのアメリカでもABSの起泡による、下水道処理の問題が起り、より可分解性の高い「ソフト型」に転換が進んでいた・・・・・。
30年代の日本経済は石油化学の台頭に代表される。これは同時に欧米先進工業国からの技術導入競争時代でもあり、中性洗剤の製造技術も、その一つだった。
この問題については、別の機会に触れるつもりだが、石油化学技術は高分子合成によって、自然界には存在しない物質を製造し、自然の生態系に影響を与えている点だけを、ここでは指摘しておくことにする。
例えばゴミ処理、海洋汚染との関連で腐敗しないプラスティック問題が今日、なお大きな社会経済問題になっているように、経済成長による環境破壊の「負の遺産」の多くは、非分解性の「石油化学物質」に淵源している。
ともかく、中性洗剤の技術は、アメリカのモンサント・ケミカルから同社と三菱化成の合弁の三菱モンサントに伝えられ、ライオン油脂(現ライオン)に原料が送られ、カリフォルニア・ケミカルの技術は三井物産経由で日石化学工業に伝えられ、花王石鹸(現花王)で製造され、両者がわが国二大洗剤メーカーになっている。
中性洗剤は、日本を代表する旧財閥系企業に、深く関係していたわけだ。[同]”
I・G・ファルベンという会社は、ナチスのユダヤ殲滅強制収容所で使用する毒ガスの製造を請け負っていた会社である。またモンサント社は現在遺伝子組み替え作物で、全世界を震撼させている化学企業の主要企業の一つである。

”時系列的にいうと「投資信託」「丸善石油」問題と、私にとっても最も強烈に記憶に残っている事件が間に挟まれるが、消費者サイドに立ったメーカー批判の分かりやすい例として、中性洗剤の次に「アリナミン」問題を簡単に取上げることにする。
昭和40年の初めであり、前年には小誌「LAインタ−ナショナル」の前身「国際経済」誌を創刊している。この発行の動機、経緯なども後に回すことにする。
今日、医薬品業界、5兆円産業と呼ばれ、長引く深刻な平成不況の中で、数少ない成長産業として毎年、業績を伸ばし続けてきている。だが「医薬品企業」と呼び名は立派だが、実は戦後派であり、それも近代的意味での産業らしい体をなしたのは昭和30年代からで、たかだか30年前後の歴史しかない。かなり長い間、大阪・道修町の薬種問屋的、閉鎖的体 質のまま経営されてきた。
近代化の基礎をつくったのが、30年代の「大衆薬ブーム」だった。「医薬品業界」というがまだ「医」はついていない。ただの「薬業界」と「打錠屋」だった。
いまでは医療用薬品メーカーと、大衆薬品メーカーが区分され、マーケットでも棲み分け(ドリンク剤で再び混戦状態になっているようだが・・・・)が出来ているが、当時は大手と呼ばれる薬品メーカーの、いずれも「大衆薬」が中心であり、このときの「薬九層倍」の儲けが、近代化の基礎になっている(大衆薬の全生産額に占める割合は当時、5割以上、現在は約15%)。
大衆薬ブームは、まずビタミン剤から始まる。初めの頃は、ビタミンB2、続いてB1とか、Cと、単体ビタミンだったが、やがて行詰まり、複合とか総合ビタミンの時代がしばらく続くが、これも飽きられ、変わって登場したのが強肝剤だった。
この変遷をTVコマーシャルの動きと関連させると面白い。薬品と洗剤、酒はいまでもCM御三家だが、アルコール、とくにサントリー、ニッカなどの洋酒が、躍進したのも、この頃だ。
「大風吹いて、桶屋・・・・」ではないが、当時の日本人の多くが中性洗剤と、洋酒ブームの蔭で、サリチル酸入りの日本酒など、悪い酒を飲んで強肝剤が売れる。三共、武田薬品の如きは洗剤も売っていた。なにやら「陰謀」めいた話になってくるわけだ。
当時の強肝剤を列挙すると、武田のメチオニン、三共のメルチオニン、田辺製薬・ネストン、住友化学・ユーボン、藤沢薬品・アスパラ、中外製薬・グロンサン、大塚製薬・グルクロンサン・・・・ざっと思い出しても、これだけある。
ところが、これだけ強肝剤が売られているのに、厚生省のデータなどを調べてみると、日本の肝硬変、肝炎などの肝臓病は増えこそすれ、少しも減ってはいない。果たして、本当に効くのだろうか。素朴に、そう考えたわけだ。
さらに調査を進めると、日本の肝臓薬はただの一つとして世界の肝臓学会では、認められていないことが判明した。
「外人の肝臓には効かないが、日本人の肝臓には有効なのか」、製薬メーカーに聞いて回ったが、担当者は口を濁し明確な回答ができるところは、一社もなかった。[同]”
引用したこの節には「左手に洗剤、右手に強肝剤の薬業界」との小題がついているが、当時は強肝剤の一大ブームが起こり、その強肝剤を売っている会社が、同時に肝臓を侵す中性洗剤も売っていたからである。
ドリンク剤などの実態については、現在でも「買ってはいけない」に記されている通りの状況である。
「陰謀」とあるが、著者はそう決めつけているわけではない。
しかし、武田薬品は戦時は関東軍に医薬品を納入していたし、七三一部隊につながる「武田研究所」も設立していた。「スモン病」のおりには、患者が多発しても薬害を認めず15年に渡ってキノホルムを販売し続けている。「薬害エイズ」で破綻したミドリ十字を、人脈の面から吸収したのもこの武田である。
ところで日本で3百人以上の被害者を出したサリドマイド禍のそのサリドマイド製剤が、「エイズ患者に対して、発症を遅らせるなどの治療効果がある」とうたわれ、ブラジルで製造され世界に輸出されているらしい(96年当時の状況で、今はわからないが)。
一体、「情報化社会」とは、またサミットで議題の一つにされた「IT」とは何なのだろうか。

”我が国では、医薬品等による健康被害(以下、薬害という)が繰り返し発生している。主なものでも、サリドマイドをはじめとして、スモン、クロロキン、非加熱製剤による血友病患者のHIV感染(以下、薬害エイズという)などが発生しており、国民に数多くの被害者を生んできた。
本研究は、司法の場における個人に対する責任追及とは別の観点から、繰り返し生じた薬害の構造的要因を明らかにした上で、薬害の恒久的防止策を検討し、一つの体系として提言することをその目的としている。
本研究では、まず、薬害エイズに焦点を当て薬害発生の構造的要因を分析し、「患者中心の医療」が存在しなかったこと、また、産官学医の間に構造的問題が存在することを明らかにした。こうした構造が患者不在の医療をもたらし、医療現場で発生した情報の解釈や知識の適用を歪め、不適切な行政の判断となり、ひいては薬害を導いたと考えられる。そしてさらに、過去の主要な薬害も含めて分析し、薬害を防止し、国民に良質な医療を提供するには、産官学医の閉鎖的な関係を解消し、「患者中心の医療」を確立するとともに、国民の生命と健康を第一の目的とする知識創造的な相互関係である、共創システムを構築する必要があるとした。このシステムにおいては、必要な情報の公開、明確なルールや遵守メカニズムの存在と自己責任原則を前提に、産官学医の当事者はそれぞれの役割を最大限に果たすことが期待される。特に、厚生省は、共創システムを主導し、知識管理行政を進める政策官庁に移行するべきである。[NIRA研究報告書・薬害等再発防止システムに関する研究]”
この「産官学医」というのは一体何であろうか。
”この名簿をみても、兵士と幹部の間の戦後の足どりは画然と分かれている。そして幹部たちがいかに戦後の医学の世界で影響力の大きい地位を得ているかが判るだろう。副知事、大学学長、大学教授、病院長、研究所長、研究所教授等がズラリと並んでいる。ナチスの強制収容所における人体実験者がアルゼンチンのジャングル等に追いこまれ、現在もなお追及を受けつづけているのとくらべて何という違いだろうか?私は「日本の医学界は七三一部隊天国なのだ」と思った。
これらの研究者たちが戦後の医療・医学の世界で何をしたのか。私はさらにこれらの人々が生きる現代医療の構造の中で、彼らの思想が、変革されるべきモメントを失ったまま行動する時、どのように医療の荒廃を発生させるものであるのかを、特に現在問題になっている新薬開発の中で発生した諸事件を、一人の人物を通じて描いてみよう。[にっぽんのアウシュウィッツを追って/高杉晋吾著]”
”日本の現代医療は、七三一部隊と変わりのない人と物を見る思想状況と、患者をマルタとして扱って、最後には殺してしまっても平然としていられる技術と環境状況が広く存在している。その原点に七三一部隊が存在しているのである。
私たちは現在、医療や製薬メーカーの凄まじい荒廃を嘆いている。むしろ医療によって、薬によってわが子の命を奪われ、わが健康を奪われるという恐るべき状況に追いこまれている現実と、七三一部隊のマルタの現実を結びつけるイメージ力を、誰が持っていなくても不思議ではないのだが、しかし歴史的、状況的現実はゆくりなくもそのことをハッキリ示しているのである。つまり日本の医療も医学も、患者を見る基本的視線は七三一部隊の目なのである。
ところで、日本医療の価値観の逆転の機会を失った最大のモメントは米占領軍と元七三一部隊との「免罪取引」にあったといわれている。
私は、この「免罪取引」の経過をまとめながら、米軍は単に「七三一部隊員」の生存基盤を作っただけではない。米軍の責任の最大のものは、日本医療の腐敗の思想的根拠地を日本に作った事だ、と痛感している。それは前述の、「思想的影響力」による医療汚染と荒廃の恐ろしさを痛感するからだ。
七三一部隊にとって本当の悲劇は、戦犯になって捕らえられることなのではない。むしろその姿を秘して日本に帰り、日本の暗部にひそんで、その思想を増殖したことにある。彼らには、その思想を変えるべきモメント=契機が存在しなかった。そこにこそ彼らの悲劇があり、日本医療の悲劇があった。その思想的変革を阻んだ元凶は米軍であった。米軍が、七三一部隊と「犯罪協定」を結んで、七三一部隊の免罪と糧道の確保と拠点作りを保証したのである。[同]”
NIRAの報告書が1999年、「にっぽんのアウシュウィッツを追って」が1984年の出版である。
この「にっぽんのアウシュウィッツを追って」という本には、元細菌部隊の幹部が設立した「ミドリ十字」も薬害エイズとはまた違う問題で出ていた。これが出版された当時、タブーにせず皆が真摯に対応していれば、その後に起きることになる薬害エイズ被害も避けることができたかもしれない。




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