「本能的には反権力」と語る亀井静香氏 共同

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投稿者 倉田佳典 日時 2001 年 2 月 23 日 17:56:01:

02/23 15:01 60年安保が転機の亀井 「サザンの感性」辻元 行 政治333

 「日本人はいつから(人の)あら探しをしていい気になり、快感
を覚えるような民族に成り下がったのか。失政もない森喜朗首相を
寄ってたかって引きずり下ろすことが、この国のためになるのか」
―。                            
 首相への無償ゴルフ会員権問題が発覚し「森おろし」の動きが加
速した二月十五日夜。自民党政調会長亀井静香は山口県内での講演
で、四面楚歌(そか)の首相を独り擁護した。         
 「日本人は数千年間、足らざるところを補い合う『ムラ社会』の
原理の下で生きてきた。祖先が持っていた美しい魂を失ったことが
今の日本の一番の問題だ」というのが亀井の持論。首相擁護論も、
日本の伝統的な相互扶助の精神を重視する文脈で語られる。   
 しかし、自民党内には「世代交代が進む中で、首相の人事権を頼
みの綱に要職に踏みとどまりたいだけ」(ベテラン議員)との冷や
やかな見方があるのも事実だ。亀井の言葉には政治的思惑が隠され
ているケースが多い。                    
 亀井が名をはせたのは、自民党が野党時代の創価学会攻撃や細川
護煕首相(当時)に対するスキャンダル追及。その後の自社さ連立
劇で舞台回しに奔走した功績が認められ党内実力者にのし上がった
。鋭い舌ぽうと警察庁時代に養った情報収集能力が最大の武器だ。
 警察官僚を志したのは一九六○年。東大卒業後、いったん民間企
業に就職したが、安保闘争で学生が国会に突入する光景をテレビで
見て「治安を守る仕事をしよう」と決意した。         
 「本能的には反権力」と語る亀井は、高校時代にはマルクス・レ
ーニン全集や野間宏、椎名麟三らの「戦後文学」に耽溺(たんでき
)した。「今の姿からは想像できないほど青白く、暗く、神経質」
な青年だった。当時の友人は「なぜ亀井が共産党でなく自民党なの
か」と不思議がるという。                  
 しかし大学に入って始めた合気道の恩師と交流するうちに「日本
の文化、伝統からは逃れられない。外から思想を直輸入しても駄目
だ」と考えるようになる。                  
 「政界の暴れん坊」と評される抜群の行動力は、西郷隆盛と大塩
平八郎、中南米の革命家ゲバラに学んだ。彼らのように「苦しんで
いる人々への共感に基づく生き方」をしてきたつもりだ。三人とも
戦いに倒れた。「おれもそのうち殺される」と思っている。   
 公共事業の見直しや政府開発援助(ODA)予算の削減など、世
論の動向をにらみトップダウンで政策を打ち出すのが「亀井流」の
真骨頂だ。しかしそれ以前の議論を覆す強引な手法には、毀誉褒貶
(きよほうへん)がつきまとう。               
 政調会長就任直後には介護保険について「子が親の面倒を見るの
が道徳だ」との伝統的な家族観に基づき制度の見直しを主張。保険
料徴収の一部凍結と家族手当の支給にこぎ着けたが、「選挙目当て
のばらまき行政」と批判された。               
 経済政策も「市場原理至上主義は、助け合って生きてきた日本人
の遺伝子と相いれない」というのが基本スタンスだが、酒販規制緩
和への異論や金融機関のペイオフ実施の延期は「業界団体に配慮し
た構造改革の先送り」と指摘される。             
 亀井の真の政策目的は額面通りとは限らない。「変幻自在」、「
千手観音」と呼ばれるゆえんだ。               
 亀井流について、社民党政審会長辻元清美は「場当たり的な利益
誘導にすぎず、個別の政策を貫く理念が見えない。ビジョンなきパ
ッチワークだ」と断じる。                  
 「したたかな市民派」を自任する辻元の強みはフットワークの軽
さ。特定非営利活動促進法(NPO法)の議員立法に奔走した際は
、自民党参院幹事長だった村上正邦を説得するために埼玉県志木市
内の自宅に「夜討ち」をかけたことも。            
 「時代の変化に対応できない『草の根封建オヤジ』がごろごろい
る」という国会の赤じゅうたんの上をスニーカー履きでかっ歩する
辻元を「土井チルドレン」と呼ぶ人は少なくなった。      
 子供の時は、父がマージャン、競馬で借金を背負うたびに「夜逃
げ同然」で大阪、奈良を転々とした。小学校卒業までに引っ越した
回数は十九回に上る。                    
 父は「生粋の自由人」だった。辻元が小学六年の時には突然行方
不明に。三年後、名古屋の電車内で親せきに偶然見つけられ、家に
戻った父は辻元を見て「大きなったなあ」とのんきに言った。母か
らは「男に頼って生きたらあかん」と毎日聞かされ続けた。   
 少女のころから正義感が強かった。銭湯で在日韓国・朝鮮人に向
かって「朝鮮人が入ってきた」などと差別を口にする人には、頭か
ら冷水を掛けて回った。                   
 早大に進学して平和問題の集会に出入りした。しかし「難しい専
門用語を使う暗いおっちゃんたち」には違和感を持った。    
 「サザンオールスターズの良さが分かり合える感性を持った人た
ちと新しいムーブメントをつくりたい」。そんな思いから在学中の
八三年、アジアの戦地を船で訪ねて平和を考える「ピースボート」
を設立。以来、交流や援助活動で延べ二万人の若者を組織し、六十
カ国以上を回った。                     
 転機は九六年。社民党党首土井たか子からの電話だった。「市川
房枝さん(元参院議員、故人)に多くを学んだ。今度はあなたにバ
トンタッチしたい」。大海原から永田町へかじを切った。    
 「おまえの方が大ばくち打ちやないか」。名古屋に腰を落ち着け
、母と立ち食いうどん屋を営むようになった父は、初陣を飾った辻
元にこう笑いかけた。                    
 辻元はピースボートを通じて「二十一世紀は非政府組織(NGO
)が社会でイニシアチブを持つ時代になる」と気付いた。    
 情報公開法、NPO法制定に取り組んだのも「これからは市民と
政府、自治体、政党が、情報を共有しながら問題解決に向かうパー
トナーシップを築くことが重要。その橋渡し役が政治家だ」との観
点からだ。                         
 政策立案の基本理念には「安心」を掲げる。「モノの普及や道路
建設など『便利』を求める声にこたえるのが旧来の政治だった。今
は照明が少し暗くなっても未来に核廃棄物を残したくないという価
値観に変わってきた」と考える。               
 七月には参院選がある。新世紀の有権者の琴線に触れる政策をい
かに打ち出すか。亀井と辻元の真価が問われる。(敬称略)   
(了)  010223 1500              
[2001-02-23-15:01]

02/23 15:01 亀井、辻元両氏のデータ  政治334

 亀井 静香氏(かめい・しずか)東大経済学部卒。62(昭和3
7)年警察庁に入り、主に警備・公安畑で連合赤軍事件などを手掛
ける。79年衆院選で初当選し、以降衆院8回当選。94年に運輸
相として初入閣し、党組織広報本部長、建設相を経て、99年10
月から党政調会長。合気道5段で、近年は油絵の筆を握る時が一番
の楽しみ。人懐こい笑顔は「政界一」との評判も。64歳。広島県
出身。                           
 辻元 清美氏(つじもと・きよみ)早大教育学部卒。96(平成
8)年衆院選の比例近畿ブロックで初当選。昨年の衆院選には大阪
10区から出馬し、次点と約700票の小差で2回目の当選を果た
した。党幹事長代理などを経て昨年7月から政審会長。今年の世界
経済フォーラム年次総会(ダボス会議)には「明日の世界のリーダ
ー100人」の一人として出席した。40歳。奈良県出身。   
(了)  010223 1500              
[2001-02-23-15:01]






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