投稿者 YM 日時 2001 年 2 月 12 日 22:24:12:
回答先: 「恐怖の病原体が東京中にぱらまかれている」(感染研) 投稿者 YM 日時 2001 年 2 月 12 日 22:20:09:
週刊文春2001.2.8号
「菌まき散らし疑惑」今度は科学者に訴えられた「国立感染研究所」
「私が週刊文春にお話ししたり、著書に書いた内容は、七年前の『予研=感染研
の移転・実験差し止め要求裁判』で原告側証人として証言したことがほとんど
で、裁判所に証拠として残っています。しかも、その内容は、私の科学者として
の良心や、クリスチャンとしての信条に基づいて語ったことばかりです。それを
『歪曲』や『誹謗中傷』と言われるのは、『思想及ぴ良心の自由』や『信教の自
由』、『表現の自由』に反すること。まったく納得できません」
日頃は温厚な新井秀雄氏(58)が、顔を真っ赤にして怒ったのには、充分な理
由がある。
新井氏は、国立感染症研究所(新宿区戸山。竹田美文所長。職員は約四百人。以
下『感染研』)の主任研究官で、百日咳菌や溶血連鎖球菌の研究を行っている国
家公務員である。
氏は、小誌昨年十一月二日号で「恐怖の病原体が東京中にぱらまかれている」と
実名内部告発を行い、同時期に『科学者として』(幻冬舎利)を出版した。
ところが新井氏のそれらの行為に対して、感染研は、一月四日、竹田所長名で、
『厳重注意書』を手渡したのである。内容は以下の通り。
〈当研究所の研究内容や運営実態を歪曲し、幹部職員を事実に反して誹謗中傷す
る内容を発表したことは、当研究所の信用を著しく傷つけ、公務の円滑な遂行に
支障を来すものであり、まことに遺憾である〉
そして、今年六月の勤勉手当て(ボーナス)の約八パーセント(約四万六千円)
をカットすると通告した。この感染研の処分に対して新井氏は、一月二十五日、
高村正彦・法務大臣と竹田所長、倉田毅副所長らの三名を相手どり、『処分無
効』と『慰謝料五百万円』を求める民事訴訟を、東京地裁に提訴したのである。
いったい、小誌記事のどこが『歪曲』でへどこが『誹謗中傷』なのか。
話は、新井氏が査問された、昨年十一月二十七日までさかのぼる。
新井氏が所属する細菌部部長から呼び出しがあり、所長室に行くと、所長のほか
に副所長、総務部長など六人の幹部が待っていた。
新井氏は、「私は、一体何のために呼ぱれたんでしょうか」とたずねると、所長
が、小誌記事のコピーに赤線を引いた部分を指さしながら、「これについて、あ
なたはどう思いますか」と、質問したという。
その箇所は──。
(1)〈「恐怖の病原体が東京中にぱらまかれている」(タイトル)〉
(2)〈倉田部長の行為は、「私文書偽造」や「法廷侮辱罪」に相当する。しか
し、彼は、裁判所に偽造文書を提出した〃功績”で、副所長(現職)に昇進し
た〉
(3)〈狂犬病ウイルスが神経細胞をよく伝わるという性質を利用して、狂犬病ウ
イルスに遺伝子を組み込んで、〃運び屋〃として使おうというアイデアを持って
いる研究者もいる。(中略)私には、恐ろしくてできません〉
(4)〈今年のたしか六月頃にも、五十代半ばの研究室の女性スタッフが、やはり
ガンで亡くなったばかりです〉
……などであったという。
所長が問題にした四点のうち、(1)はタイトルだし、(2)は、小誌編集部が作成し
た文章であるから、文責および編集権は小話編集部にある。
(2)の「倉田部長の行為」とは、『予研=感染研裁判』の中で、被告側(感染
研)が指名した米国人査察班による鑑定書の署名が、偽造だったというスキャン
ダルである。新井氏は著書で、〈それが感染研の倉田毅・感染病理部長(当時)
が書いたものだということがわかった。大スキャンダルだ。倉田氏は自分からそ
れを明らかにした〉と指摘。原告団は、倉田部長を刑事告発して、現在、東京地
検が調査中である。
(3)は、感染研に限定しない一般論だ。(4)については、所長が「名誉棄損」だと
言ったそうだが、事実であり、実名を書いているわけでもない。
いったいどこに問題があるのか。小誌も問題点といわれた箇所を徹底的に検証し
てみたが、さっぱりわからない。
新井氏は、感染研や病原体の研究を否定しているのではない。早稲田大学に隣接
している住宅密集地に、地域住民の反対があるのに、機動隊を導入して研究所を
強行建設したことを批判しているだけである。
実際、氏は、〈施設内で働く人も、周辺住民も、もっと友好的な形で、必要な研
究ができるはずです。なぜ、そのような選択をしないのかと、問題提起をしてい
るのです〉
と、小誌記事を結んでいる。
しかし感染研は査問から五週間後に、突然処分を言い渡し、処分に納得がいかな
い新井氏が、総務部長に処分の理由を尋ねたところ、
「実は(幹部が)政務次官に呼びつけられた。津島雄二厚生大臣(当時)から彼
(新井氏)を辞めさせろと言われた」
と、責任転嫁したという。ところが、両代議士に取材を申し込んだところ、津島
代議士は取材拒否だったが、当時の厚生政務次官だった福島豊代議士の秘書から
は、「大臣から指示を受けたこともなければ、指示をしたこともありません。一
体どこから、そういう話が出てきたんでしょうか。(新井氏の)処分のことも、
初めて聞きました」
小誌は、感染研に対して、一月二十六日に取材を申し込んだ。しかし、感染研側
は、〈明日午前中にご返事します〉(二十九日)、〈勝手ながら返事はそれ(午
後三時)以降とさせて頂きたく〉などと、期限を一方的に引き延ばし、結局、回
答はなかった。感染研には、科学研究の場にあるまじき、真実を隠蔽し、責任逃
れの体質しかないようだ。