投稿者 阪神タイガース 日時 2001 年 2 月 11 日 22:03:25:
悔し涙で言葉を詰まらせる実習船「えひめ丸」の大西尚生船長(ハワイで) 【ホノルル10日=田原徳容】潜水艦は見ていただけだった――。ハワイで起きた宇和島水産高校の実習船「えひめ丸」と米原子力潜水艦「グリーンビル」の衝突事故で、救助された大西尚生船長(58)は十日(現地時間)、ホノルル市内で記者会見し、グリーンビルの対応を厳しく非難した。
沈没から米沿岸警備隊に救出されるまで漂流すること約一時間。原潜からは、ついに助けの手は差し伸べられなかった。いかだにたどり着けず、不明となった九人の乗員。大西船長は「懸命に探したんですが……」と悔し涙で言葉を詰まらせた。
「一時間は、長かった。潜水艦には救命ボートもないのかと思った」
事故直後、海に飛び込んだ乗員らは、やっとの思いで救命いかだに取りついた。原潜は一瞬、通り過ぎたが、すぐに反転し、そばで止まった。
「ハッチが開いて、司令塔に数人が上がり、縄ばしごを下ろしたのが見えた」
高まる救助の期待。しかし、それだけだった。大西船長が「監視されている感じもした」というほど、その態度は冷たいものに映った。
いかだにはい上がった大西船長らは、泳いでいた者を次々に引き揚げた。さらに、いかだが散らばらないように乗っていた三隻をつなぎ、「ほかにも浮遊物があったので、だれかがすがっているんじゃないか」と目を凝らし続けた。
この間、原潜の乗務員は周囲を見張るだけで、結局、沿岸警備隊の小型艇が来るまで、ずぶぬれで助けを待ったという。
米海軍は「波が強く、救助が困難だった」と説明する。これに対し、大西船長は「風力3程度。いかだも波で揺れないほどだったし、潜水艦にも波はうちつけていなかった」と反論した。
・81年4月9日
鹿児島県沖の東シナ海で、浮上してきた米海軍原子力潜水艦ジョージ・ワシントン(6019トン)が、愛媛県の貨物船日昇丸(2,350トン)の船底に衝突、そのまま逃げた。日昇丸は沈没し、船長ら2人が死亡。