投稿者 翻訳 村上 徹(歯科医師・医学博士) 日時 2001 年 1 月 27 日 03:21:40:
奇怪な三角関係
フッ素と歯,そして原爆
著者 ジョエル・グリフィス
クリス・ブライソン
翻訳 村上 徹(歯科医師・医学博士)
http://user3.allnet.ne.jp/f-poison-alert-net/page/05/index.htm
目 次
掲載までの経緯
著者について
わき上がる疑惑
フッ素と国家の安全
フッ素と冷戦
原爆計画と水道フッ素化
訳者あとがき
文 献
掲載までの経緯
以下の記事は、1997年の春にクリスチャン・サイエンスモニター紙から委託されたものであるが、同紙の編集者からは多大の好感をもって迎えられたにもかかわらず、何故かこの記事と、記事を裏づける全ての証拠書類は同紙には掲載されずにきた。その理由は同紙に訊ねて頂きたい。電話番号は617-450-2000。
この記事はどんな基準から見ても、全国紙にとって何らかの賞に値するほどのスクープである。このレポートは、アメリカ人が毎日摂取しているフッ素という蓄積性の毒物の歴史を一瞥している。著者であるグリフィスとブライソンは、このための調査に一年以上を費やした。そして彼らは、このような情報はこれ以上公開されずにおくべきではないという信念の下に、ウェイスト・ノットやほかのメディアに「どのように使用して頂いても結構です」というノートを添えてこの記事を付託してきたのである。
公共上水道をフッ素化するための科学は、極めて場当たり的で、よく言っても、見かけ倒しの安物にすぎない。このレポートを読めばわかるように、その科学の基盤のルーツは、合衆国の原爆計画を訴訟から擁護することにあったのである。アメリカ人は、フッ素は歯をよくすると言われ続けてきて、世界のほかのどの国民より、フッ素化された飲料水を飲み続けてきた。しかし、我々はここで、フッ素化水をお人好しの世間に売るために、科学に汚れた政治がいかに関与してきたを十分に知ることができた。我々はフッ素について3か月間も調査した。その結果は、本誌373号に、未曾有の長さのニューズレターとして掲載した。我々は、フッ素は骨に蓄積する毒物であるのを知っている。その害作用をいくつかあげてみると、若い男性のガンや骨粗鬆症、IQの低下、高齢者の腰部骨折などに関連しているのである。ジョージ・オーエルが生きていたなら、歯科や公衆衛生の官僚によるこの毒物の推進と、環境コミュニティがこの問題を避けて通ってきたということに目くるめきを覚えたかもしれない。我々は、合衆国公衆衛生局によるフッ素化推進の汚ならしい50年の歴史が、アメリカ歯科医師会と非常に多くの関係をもっていると考えている。フッ素が人間の健康に脅威を与えるという数々の証拠を認めるよりも、彼らは、こうした事実を公言する科学者や歯科医師らに対してイヤガラセをするというような戦術をとることで、彼らの地歩を確保してきたのである。
著者について
ジョエル・グリフィスはニューヨーク市に住む医学記者であり、医学問題や一般むけの多数の記事、放射能傷害に関する著作等がある。ジョエルに連絡したい方は電話212−622−6695まで。クリス・ブライソンはコロンビア大学ジャーナリズム学部より修士を受け、BBC、マンチェスター・ガーディアン、クリスチャン・サイエンス・モニター、パブリック・テレビなどで仕事をした。クリスの電話番号は212−665−3442。
(編集部)
わき上がる疑惑
合衆国が子どものむし歯を減らすために水道にフッ素を添加してから50年ほどたったが、機密リストから外された政府の公文書によると、フッ素と核時代の幕開けとの間に驚くべき結託があった事が明らかであり、今なお論争されているこの公衆衛生の一手段のルーツが新しい光で照らし出されている。
合衆国では全体の水道の約2/3がフッ素化されている。しかし、多くの自治体は今なおその実施に抵抗しており、政府のいう安全性に不信を投げかけている。
合衆国が世界で最初に原爆を製造して優位にたった第2次世界大戦以来、公衆衛生の指導者たちは、一貫して、フッ素は安全であり子どもの歯にはよいものだと言い続けてきた。しかし、この安全だという判断は、私たちが入手にした第2次大戦中の原爆の製造に関係した当時のマンハッタン計画の秘密文書を見てみると、大いに再検討しなければならない。
これらの文書によれば、フッ素は原爆製造のカギとなる物質であった。核兵器の製造には欠かせないウラニウムやプルトニウムの生産には、何百万トンものフッ素が不可欠であった。このようにして、最も毒性が強い物質の一つであるフッ素は、合衆国の原爆の製造計画の中で、労働者や工場付近の地域住民に健康障害をもたらすな物質として急速にその姿を現してきた。秘密文書はこのことを明らかにしている。
さらに内幕をあばいてみよう。
少量のフッ素は人間にとって安全だという証拠は、そもそも原爆計画の科学者らにより意図的に作り出されたものであり、彼らは極秘裡に、フッ素により傷害を受けた市民らの提訴に対抗する訴訟の請負人のために、「訴訟が有利になる証拠」を提供するよう命令したのであった。原爆計画で国が告訴された最初の裁判は、放射能ではなく、フッ素による傷害をめぐってのものだったことをこれらの文書は示している。
そのためには人体実験が必要だった。原爆計画の科学者たちは、1945年〜1956年にニューヨーク州ニューバーグ市で実施された合衆国のもっとも広範な水道フッ素化の人体研究のなかで主導的な役割を果たした。その後、「F計画」という暗号で呼ばれている研究のなかで、彼らは州保健部の総力をあげた協力の下にニューバーグ市民の血液や組織を集めて分析した。
1948年に、F計画の科学者の手でアメリカ歯科医師会雑誌に発表された報告書の極秘の原文によると(その極秘版は我々が入手したものである)、フッ素による健康傷害の数々の事実が、合衆国原子エネルギー諮問委員会( U.S.Atomic Energy Commission )の手で検閲されていたという事実がよくわかる。この委員会こそ、冷戦下における最も強力な国家機関だったのであり、その理由は国家の安全のためなのであった。
原爆計画のフッ素の安全性研究はロチェスター大学で行われたのであるが、そのロチェスター大学こそ、冷戦時代に、放射能人体実験をやった所として最も悪名が高いものの一つである。その人体実験とは、何の関係もない入院患者に、中毒量の放射性プルトニウムを注射したというものである。このフッ素研究もそれと同一の考え方で実施したも
のであり、「国家の安全」が至上命令なのであった。
政府の矛盾する関心とフッ素は安全だという動機とは、1950年代以降この問題をめぐって今なお激烈な論争が続けられている一般社会と、民間の研究者や健康問題の専門家、ジャーナリストたちにはまだ明らかにはされていない。
解禁された秘密文書は、おびただしく蓄積し続けている科学的事実と共鳴し、環境フッ素の健康への影響に対して疑問の合唱を引き起こしてくるのだ。
人間が急速にフッ素に曝露されるようになったのは第2次世界大戦以後のことであるが、これは何も、フッ素化された飲料水やフッ素 入り歯みがき剤だけによるのではなく、アルミニウムから殺虫剤の生産に至るまでの大企業による環境汚染にも原因がある。フッ素は危険な産業化学物質なのだ。
その悪影響は端的に子どもの笑顔のなかに見て取れる。合衆国の非常に多数の若い人たちが、(ある都市ではじつに80パーセントにも達している)、歯牙フッ素症にかかっており、合衆国研究協議会によれば、これこそ過剰フッ素の曝露の最初の兆候なのだ。(この兆候は、特に前歯に白っぽい斑点として現れ、重症のものでは黒ずんだ点や帯状の縞模様となる。)
一般にはよく知られていないが、フッ素は同時に骨に蓄積する。「歯は骨の窓ですよ」と、セント・ローレンス大学(ニューヨーク)の化学科のポール・コネット教授は説明している。小児科の骨の専門家は、合衆国の若者に骨折が増加していることについて警告的だ。コネット教授や他の科学者は、1930年代以降の骨の傷害に関する研究によって、その原因としてフッ素に関心を寄せている。
解禁された秘密文書を読むと、事態はさらに緊迫してくる。というのも、我々のこの調査によれば、少量のフッ素が子どもの骨にとって安全であるという証言は、原爆計画の科学者が言い出したものだからなのだ。
「情報は埋められてしまったのですよ」と、ボストンにあるフォーサイス・デンタル・センターの元首席毒物学者であり、現在フッ素化クリニックに勤めているフィリス・マレンニクス博士は結論した。1990年代の初めにフォーサイスで行った博士らの動物実験では、フッ素は強力な中枢神経毒であり、たとえ少量であっても、フッ素は人間の脳機能に有害だと考えられた。(現在では、中国の疫学研究で、子どもが少量のフッ素に曝露されるとIQの低下が起こるという関係性が示されており、この考えを支持をしている。)マレンニクス博士の研究は、ピア・レビューの完備した立派な科学雑誌に発表されている。(脚注1)(脚注2)
研究しているうちに、マレンニクス博士は、フッ素の人間の脳に対する作用の研究が、それ以前のアメリカでは殆どといっていい程やられていないのを知ってびっくりした。その後、彼女は中枢神経研究に対する研究費の助成を申請したが、国立衛生研究所(National Institutes of Health)によって却下された。同研究所の評価委員らから、彼女はニベもなくこういわれたという。「フッ素には中枢神経作用なんてありはしませんよ。」
原爆計画の機密文書には、他にもこんなことが書かれている。1944年4月29日のマンハッタン計画のメモ。「臨床的所見からみると、6フッ化ウランにはかなり強い中枢神経的作用があるようである。成分としてF(フッ素の暗号)は、T(ウランの暗号)よりも、よりその因子となりやすい。」
極秘のスタンプが押されたそのメモは、マンハッタン計画の医学部門の首席であるスタッフォード・ワレン大佐に提出された。ワレン大佐は、中枢神経に対する動物研究を許可するように要請された。「これらの成分を扱う仕事が不可欠な以上、これらに曝露されるとどんな心理状態が起こるかは、前もって知っておくことが必要である。これは、特定の誰彼を保護するということばかりではなく、取り乱した作業員が仕事をいい加減にし、そのために他人を傷害する事になるのを予防するという点からも重要である。」
同日、ワレン大佐はその研究計画を承認した。当時は1944年であって第2次大戦が最も熾烈を極わめ、世界で最初に原爆を持とうとする国家間の競争が最高潮に達した時でもあった。そんな重大な局面にフッ素の中枢神経研究が承認されたの考え合わせてみれば、メモに沿って提案書に述べられていた臨床的所見なるものは、よほど重大なものだったに違いない。
しかし、その提案書は合衆国国立公文書記録のファイルにはないのである。
「メモが見つかったとしても、それが言及している文書はありません。おそらく、まだ秘密扱いとなっているのでしょう。」と、メモが見つかった公文書舘アトランタ支部の主任書士であるチャールス・リーブは述べている。同様に、マンハッタン計画中で実施されたフッ素の中枢神経に関する研究の結果もファイルにはない。
このメモを検討したマレニックス博士は「びっくりしたなんてものじゃありません」という。
彼女はさらにこう言った。「なぜ衛生研は私に、『フッ素には中枢神経に対する作用はない』などと言ったのでしょうか。こんな文書がありながらですよ」。彼女は、中枢神経に対するフッ素研究はマッハッタン計画の中でやられたのに間違いないと言い、「原爆製造に従事するフッ素労働者の仕事がいい加減になって、それが原爆計画そのものに支障をきたすというこの警告が無視されたとは、とても考えられない」ともいう。しかし、この結果は極秘にされたのだ。恐らく、政府にとって国民との関係上、厄介な法律問題になると考えられたからなのであろう。
この中枢神経研究の提案書を書いた者は、H・C・ホッジ博士であった。彼は、この時期、マッハッタン計画のロチェスター大学部門のフッ素の毒性研究の主任であった。その50年近くも後になって、マレニックス博士は、ボストンのフォーサイス歯科センターで、彼女が行う中枢神経研究のコンサルタントだといわれて、物静かにゆっくりと歩く高齢な人物を紹介された。H・C・ホッジ博士だった。この時までには、ホッジは、フッ素の安全性に関する世界的権威者として名誉ある地位を確立していた。「しかし、彼は、私の相談に乗ってくれることになっていたのに、マンハッタン計画中の中枢神経研究には一言も触れませんでした」。とマレニックス博士は語る。この「ブラックホール」は、疑問を捨てきれないマレニックス博士には、到底受け入れられない。「現在でもフッ素の曝露は少なくないのに、私たちは、何が起こっているのか全く知らないでいるのです。ここから立ち去ることはできません。」という。
マレニックス博士の研究費の申請に関与した衛生研究所の科学評価担当者であるアントニオ・ノローラ博士は、彼女の申請は科学評価グループによって却下されたのだという。彼は、フッ素の中枢神経研究に対する研究所の見解には偏見があるという彼女の主張は「こじつけだ」といい
、さらに言葉を継いで、「我々は事態の中に政治が介入してこないように、研究所のなかで懸命に努力しているのですよ」という。
フッ素と国家の安全
こうした一連の文書は、第2次世界大戦が最も熾烈を極めた1944年から始まっているが、丁度この時期は、ニュージャージー州ディープウォターにあるE・I・デュポン・ド・ヌムール会社の化学工場の風下に深刻な公害事件が起こった時である。その工場では、マンハッタン計画のために何百万ポンドというフッ素を製造していたのであるが、この事は世界で最初の原爆をつくり出すという競争の超極秘事項なのであった。
グローセスター郡とセーレム郡の風下にある農場は、その産物の質が極めてよいことで有名だった。桃はニューヨークのワルドルフ・アストリア・ホテルに直送され、トマトはキャンベル・スープによって買い占められていた程である。
しかし、1943年の夏あたりから作物は枯れ出し、農民たちの言葉によれば「このあたりの桃は何かで焼き尽くされてしまったようになった」のであった。
彼らは、雷雨が一晩中続いた後でアヒルが全滅したことがあったともいっている。ある農場の従業員は、その畑の産物を摘んで食べたため翌日まで一晩中嘔吐で苦しんだ。
「私は覚えていますが、馬は病気のようになり、硬直して動けなくなりました。」
私たちに、その時期に十代であったミルドレッド・ジォルナード氏はこう語った。牛はビッコになって立っていられなくなり、腹でイザって動いていたという。
この話は、フィラデルフィアのサドラー研究所のフィリップ・サドラーによって、彼が死去ぬ直前に行った録音インタビューのテープで確かめられている。サドラー研究所というのは、アメリカで最も古い化学コンサルタント会社であり、サドラーは、この被害に関する初期の研究を個人的に指導していたのである。
農民たちは知らなかったのだが、私たちによって明かにされた機密解除文書によれば、マンハッタン計画と政府への配慮から、このニュージャージイ事件はクギづけで封印されてしまったのである。戦争が終了したあと、1946年3月1日づけのマンハッタン計画にの秘密メモのなかで、フッ素毒性研究の主任であったH・C・ホッジは、彼の上司でありかつ医学部門の長であったスタッホード・L・ワォレン大佐にあてて困惑気味にこう書いている。「ニュージャージイのある部門でのフッ素による環境汚染に関しては、明らかに4つの疑問がありました。」ホッジは次のように述べている。
1.1944年の桃の被害に関する疑問。
2.この地域で栽培された野菜中の異常なフッ素濃度の報告。
3.この地域の住民の血中のフッ素濃度の異常な上昇。
4.この地域の馬や牛に重症な中毒があったとの疑いを起こさせる報告。
ニュージャージイの農民らは戦争が終わるのを待ち、デュポン社とマンハッタン計画をフッ素被害により告発した。これは合衆国の原爆計画に対する最初の提訴であったといわれている。
この訴訟はごくありふれた裁判のよう思われたが、じつは政府を震撼させたものであったことを極秘文書は明らかにしている。マンハッタン計画の長であったL・R・グルーブス大将の指示の下に、ワシントンで秘密会議が招集され、軍当局、マンハッタン計画当局、食品薬品局、農務省、法務省、合衆国化学戦当局、エッジウッド兵器厰、基準局、デュポン社の弁護士など、多数の科学者や官僚が強制的に出席させられた。解禁されたこの会議の秘密メモを見ると、ニュージャージイの農民を裁判で負かすために、政府が極秘裡に全勢力を動員したことが明らかである。
マンハッタン計画に従事していたクーパー・B・ローデス中佐がグルーブス将軍にあてたメモで言明している所によれば、「これらの各部門は、ニュージャージーの桃園のオーナーによる訴訟に対抗して、政府の利益を守るために法廷で使用される証拠を獲得するための科学的研究を行った」のである。
1945年8月27日
1:ニュージャージー州ローヤー・ペンス・ネックにおける農作物被害の件。宛先:ワシントンDC、ペンタゴンビル、陸軍司令官殿。
陸軍大臣の要請により、農務省は、マンハッタン計画に関連するプラントの排煙に起因する農作物の被害の訴えを調査することに同意した。署名 合衆国陸軍大将 L・R・グルーブス
「司法省は、この訴訟から我々を防御することに協力している」と、グルーブス将軍は合衆国上院原子力委員会の委員長に提出した1946年2月28日のメモに記している。
なぜ、ニュージャージーの農民の提訴が、国家の安全上の緊急事態なのか。1946年には、合衆国は原爆の製造に全勢力を傾注しはじめていたのだ。アメリカ以外の国はまだどこも核兵器の実験を行ったところはなく、原爆はアメリカにとって戦後の国際社会での主導権を確保するために極めて重要と考えられていたのである。ニュウジャージーのフッ素訴訟は、この戦略に対する深刻な障害となったのである。
「際限のない訴訟の亡霊が軍を悩ませていたのである」と、ランシング・レイモントは、世間から喝采を浴びた「三位一体の日」という彼の本の中に書いている。彼はこの本で最初の原爆実験を描いている。
フッ素の場合に即していえば、「もし、農民が勝訴するようなことがあれば、さらに次々と訴訟が起こり、そうなれば、フッ素を使用する原爆計画そのものを妨げることになりかねなかったのでしょう」と、ジャックリーン・キッテルは述べる。彼女はテネシー州の核問題に詳しい弁護士で(彼女は放射能の人体実験裁判で原告に名を連ねた)、解禁されたフッ素文書を調査した。
彼女はさらにこう言う。
「人体の傷害に関する報告は、PR問題だけでなく莫大な和解費用を要することになるという点からも、政府にとっては脅威となったでしょう」。
1946年のマンハッタン計画の極秘メモによれば、このことは勿論デュポン社にとっても「心理的な反動が起こりかねない」という事で非常な関心事となった。その地域の農産物の「フッ素濃度が異常に高い」という理由で食品薬品局から通商停止になりかねないという危機に直面して、デュポン社はワシントンの食品薬品局に直ちに弁護士を派遣した。その結果、そこで急遽、会議が開かれた。
その翌日にグルーブス将軍に宛てられたメモによれば、デュポン社の弁護士はそこで次のような熱弁を奮った。「係争中のことがらに関して、もし、食品薬品局が何らかの行動をとるような事があれば、それはデュポン社にとって深刻な影響を及ぼしましょうし、弊社と一般社会との関係も非常に悪化するのは間違いありません。」会議が保留となった後で、マンハッタン計画の指揮官であったジョン・デービスは、食品薬品局の食品部門の
主任であるホワイト博士と接触し、食品薬品局がとる処置によっては発生しかねない結果について、強い関心があることを表明した。
通商停止は起こらなかった。その代わり、ニュージャージィ地区におけるフッ素問題に関する新しい検査は、農務省ではなく、軍の化学戦当局が指揮をとることとなった。その理由は「化学戦当局の手によってなされる研究の方が、もし、原告による裁判が開始されれば、証拠としてより重要なものとなる」からであった。このメモにはグルーブス将軍のサインがしてある。
一方、一般社会との関係は未解決のまま残された。その地方の市民らはフッ素でパニックに陥っていた。
農民の代表者であるウィラード・キレは、個人的にグルーブス将軍に招待されて食事を共にした。グルーブス将軍は、1946年3月26日当時の戦争局では「最初に原爆をつくった男」として知られていた。キレは主治医からフッ素中毒症と診断されていたが、政府の良識を信じて昼食に出かけた。その翌日、彼は将軍にあてて、彼以外の農民もそこに出席できていたならとの希望を述べ、次のように書いた。「私以外の者もきっと、この特殊な事件に対する彼らの関心が、〔将軍のような〕誰もが納得する誠実さをもつ極めて地位の高い人によって保護されているという実感ももって立ち帰ったことでありましょう。」
それに続くマンハッタン計画の極秘メモには、一般社会との関係に関する問題解決策が、フッ素毒性研究の主任研究員であったH・C・ホッジによって示唆されている。彼はワレン大佐に次のように書いている。「セーレム地区やグローセスター郡の住民が抱いているフッ素に対する恐怖感をやわらげるために、フッ素について、ひょっとしたらフッ素は歯の健康にはいいものだという趣旨の講演を企画してみたら如何がかと思いますが。」勿論こんな講演はニュージャージイ州ばかりでなく、冷戦時代のアメリカでは至るところで行われたのであった。
ニュージャージイの農民の訴訟は、結局は、裁判を和解に導いたかもしれない決定的な情報、つまり、戦争中にデュポン社がどれほどのフッ素を環境中に放出していたかを明らかにする事を政府が拒否したため、困難な立場に追い込まれた。マンハッタン計画のC・A・タニー二世少将は「この情報開示は合衆国の軍事上の安全に対して有害である」と書いている。この農民の子孫はまだこの地区に住んでいるが、この人たちに行ったインタビューによれば、農民らは経済的な補償で和解するように懐柔されたという。
「私たちが知っていることの全ては、とにかくデュポン社がこの周辺の桃の木を枯れつくさせるような何らかの化学物質を排出したという事だけなのです」と、アンジェロ・ジオルダーノは当時を振り返って言う。彼の父のジェームスは、最初の原告の一人であった。「それ以後、桃の木はとにかくダメになりまして、我々は桃を諦めるより仕様がなかったのでした。」彼の妹さんのミルドレッドも、当時を思い出しながら「馬も牛も体が硬直して、うまく動けないようでしたわ」といった。「それもこれもフッ素のせいだったのかしらね」。(獣医学の毒物の専門家に聞くと、彼女が私にくわしく話した家畜の症状は、フッ素中毒の主な兆候だということである。)
ジオルダーノ家の人たちも、骨や関節の病気で悩まされた、とミルドレッドは言葉を足した。ジオルダーノ一族が受け取った和解金について、アンジェロは思い出しながら私たちにこう語っている。「父が言っていましたっけ。受け取った金は200ドルだったってね。」
農民たちが情報を求めようとしても、ことごとく妨害された。それ以後、彼らの訴えは長い間忘れられていたのである。しかし、知らない間に彼らは足跡を歴史に刻んでいたのであった。すなわち、彼らの健康が障害されたという訴えは、ワシントンの権力の回廊を通じて広がってゆき、原爆計画の中で行われたフッ素の健康への影響に関する徹底的な極秘研究の引き金を引いたのである。マンハッタン計画の副官であったローデス大佐がグルーブス将軍に宛てた1945年の極秘メモにはこう書いてある。
「動物や人間が〔ニュージャージイ〕地方でフッ化水素の排煙で障害を受けたという訴えがある以上、これに関する訴訟が現在は差し迫ってはいないといえ、ロチェスター大学はフッ素の毒作用を決定する実験を指導すべきであります。」
少量のフッ素は安全だとする証明の多くは、原爆計画が人間に障害を与えたという訴訟の対策としてロチェスター大学で行われた戦後の研究によっているのである。
フッ素と冷戦
フッ素の安全性に関する研究がロチェスター大学に委託されたのは、別に驚くべきことではない。第2次世界大戦の期間中、政府は初めて、政府系の研究所や私立大学での科学研究に対して、大規模な資金援助をするようになったのである。そしてその優先権は、軍の秘密の要請に多く与えられたのであった。
特にニューヨークの北方にある名門のニューヨーク大学は、戦時下ではマンハッタン計画の重要部局を収容しており、新しい「特殊な材料」であるウラニウム、プルトニウム、ベリリウム、フッ素など原爆の製造に使用される物質の健康への影響を研究していた。これらの研究は戦後も継続され、マンハッタン計画やその後継機関である原子力委員会から、何百万ドルもの資金が流れていたのである。(もちろん、原爆は1940年代から50年代にかけての合衆国の全ての科学に消しがたい痕跡を残しており、ノアム・コムスキーの1996年の著書「冷戦と大学」によれば、大学の研究費の90%近くが、この時期の防衛当局や原子力委員会から注ぎ込まれていたのである。)
ロチェスター大学医学部は、原爆計画の古参科学者にとってはまさに回転ドア同様であった。戦後の教授団には、マンハッタン計画の医学部門のトップであったスタッホード・ワォレンが参加しており、原爆計画のフッ素研究の主任であったH・C・ホッジもいた。
しかし、軍の機密と医科学の結婚は奇っ怪な子供を産み落とした。プログラムFという暗号で呼ばれたロチェスター大学の極秘フッ素研究は、原子力計画の指導の下で原子力委員会出資の秘密施設をストロング記念病院に備えていた。冷戦下の最も悪名高い実験の一つである、無関係な入院患者への中毒量の放射性プルトニウムの注射を行ったのもまさにここであった。この実験をあばいたアイリーン・ウエルサムは、それでピューリッツアー賞を受賞した。この事件は1995年に大統領調査にまで発展し、被害者への和解金は数百万ドルにも昇った。
プログラムFは子どもの歯について研究したのではなかった。まさしくそれは原爆計画に対する訴訟から発芽したものだ。その主目的は、政府や核の請負人らが、人間に対する障害で告訴された裁判において相手をうち負かすため、有利な情報を提供するところにあった。プログラムFの指導者は他な
らぬH・C・ホッジその人であった。
この人物はニュージャージーのフッ素汚染事件で、強く主張された人体への障害に関するマンハッタン計画中のフッ素研究を指導したことがあった。
プログラムFの目的は、1948年の極秘文書のなかで語られている。それは次のようなものだ。「数年前に強く主張された果実の減産から巻き起こった訴訟に対して、被告(政府)が有利となるような証拠を供給すること。その問題の多くは既に公開されている。同地域の住民の血液中に過剰なフッ素があったことが報告されている以上、我々の主な努力は、血液中のフッ素と毒作用との関連性を記述することに注がれる」。
ここで言及されている訴訟と人体への障害に関する訴えというのは、もちろん、原爆計画とその請負人に対してのものであったことはいうまでもない。そうである以上、プログラムFの目的は、原爆計画への告訴に対して有利な反証を獲得するということになる。そのため、この研究は、被告によって指導されるということになったのである。
利害の核心がどこにあるかは明らかであった。もし、障害を与えるフッ素の量の下限が発見されたなら、(これはプログラムFの危険性ということに他ならない)、それは原爆計画そのものを明らかにすることになり、計画の請負人らは、人間の健康に対する傷害という罪で告発され、社会の抗議の対象となったであろう。 (太字原文)
キッテル弁護士の感想。「これらの文書は、ロチェスター大学のフッ素研究なるものは、そもそもニュージャージーの訴訟から端を発し、人間を傷害したという原爆計画への訴訟に参加することを以て終了したという事を物語っているのでしょう。被告の主導でその裁判を有利にするために企画された研究などというものが、科学的に今日でも受け入れられるものだとはとても考えられないません」。さらに、「その上、彼らには、化学物質は何でも安全だといいたがる骨がらみの偏見がありましてね」とも言っている。
不幸にも、フッ素が安全であるとする証明の多くは、このロチェスター大学のプログラムFの研究にもとづいているのである。歯学部のスポークスマンであるウイリアム・H・ボーエン博士によれば、戦争が終了したあとの一時期、この大学は、「フッ素の安全性」と「フッ素はむし歯を減らすのに有効だ」という科学的事項の指導的なセンターとして姿を現してきた。こらの研究のカギをにぎる人物は、ボーエン博士によれば、ハロルド・H・ホッジであった。ホッジは同時に、水道フッ素化の全国的な推進者となった。
プログラムFの水道フッ素化に対する関心は、ホッジが以前に書いたようなその地区の住民の恐怖心を打ち消すためという所などにあるのではなかった。原爆計画がプルトニウムの人体実験を必要としていたように、フッ素の人体実験が必要だったのであり、水道にフッ素を添加することは、そのための機会を一つの設けることだったのである。
原爆計画と水道フッ素化
アメリカで最初に計画されたニューヨーク州ニューバーグ市の水道フッ素化実験に際して、原爆計画の科学者らは(これはよく知られていないことであるが)重要な役割を果たした。この実験では、フッ素の健康に対する影響についての広範囲な研究が行われ、少量のフッ素は子どもの骨に対して害がなく、歯にはよいものだという多くの証拠が供給されると考えられていた。
この計画は1943年に開始され、ニューバーグ市の水道にフッ素を添加することについての参考意見を求めるため、ニューヨーク州の保健特別委員会との会談の約束がとりつけられた。この委員会の議長はマンハッタン計画のフッ素毒性研究の主任であるホッジ博士であった。
その他のメンバーには医学部門の長であったヘンリー・L・バーネットや、1944年当時に、マンハッタン計画をつくりあげたペンタゴン・グループである科学研究推進局(office of scientific Research and Development)にいたW・ハーティヒなどがいた。こうした軍との結託は秘密にされた。ホッジは薬理学者として記載されており、バーネットは小児科医ということになっていた。ニューバーグ計画の責任者になったのは、州保健部の歯科部門の主任であったデービッド・B・アストであった。アストはマンハッタン計画が戦時中に主催した極秘のフッ素協議に参加し、後にホッジとともにニュージャージイのフッ素による傷害事件に関するマンハッタン計画の調査に加わった、と解禁された極秘メモには書かれている。
さて、この特別委員会はニューバーグ市の水道フッ素化を推奨した。そして同時にそこで行われるべき医学的研究を選択し、実験期間について「専門的な指針」を決定した。この実験に求めらた最も重要な答えは「人間に有利であるかどうかはともかく、このような低濃度のフッ素を長期間摂取することで、歯以外の組織や臓器に、果してフッ素が蓄積するのか」ということである。解禁された秘密文書によれば、これこそ原爆計画が探し求めていたキイとなる情報であり、冷戦をつうじてながい間フッ素に晒されることになる労働者や地域住民の対策上必要なものであった。
1945年、ニューバーグ市の水道はフッ素化され、その後10年間住民は州保健当局によって研究されることとなる。それと連係してプログラムFは、原爆計画が探し求めていたキイとなる情報、住民の血液や組織に蓄積するフッ素の量に焦点をあてた独自の秘密研究を指導した。諮問委員会(advisory commitee) が言明したところによれば、「フッ素に害作用があるかどうかが考察の核心であった」。州保健当局は全職員をあげて協力し、血液や胎盤などのサンプルをロチェスター大学に置かれたプログラムFの研究チームに運び込んだ。これらのサンプルはニューバーグ実験の小児科学的研究の主任である保健局のデービッド・B・オバートン博士によって集められた。
ニューバーグ実験の最終報告書は1956年にアメリカ歯科医師会雑誌で発表されたが、「低濃度のフッ素」はアメリカの市民にとって安全であると結論している。その生物学的証拠は「ロチェスター大学の原子エネルギー・プロジェクトで行われた研究に基づいている」と述べられているが、それこそはホッジが配給したものに他ならな
い。
今日になってみれば、原爆計画から派遣された科学者が秘密裡にニューバーグのフッ素化実験を実施し、市民からとった血液や組織のサンプルを研究したことなど簡単には信じられないであろう。
「とてもショックです。言葉もないくらい」と言ったのは現在のニューバーグ市の市長であるオードリー・キャレイである。キャレイ市長は、私たちが発見した上記の事について次のようにコメントした。「これはまるで、アラバマで梅毒患者に対して行ったタスケジー実験じゃありませんか。」
1950年代のはじめにキャレイ市長がまだ子どもだった頃、彼女はニューバーグのブロードウェイにある暖炉のついた古い建物につれて行かれた。そこが公衆衛生の診療所であった。そこでは、ニューバーグのフッ素化研究から派遣されて来た医師が、彼女の歯や生まれつき2本の指の骨が癒着した左手などを調べた。「今でも」とキャレイ市長は言葉を続ける。「孫娘の上顎の歯には白っぽい斑状歯があるのです。」
キャレイ市長は政府に対してフッ素の秘密の歴史と、ニューバーグのフッ素化実験について回答を要求している。そして、「私はこの問題は絶対に追及するつもりです。市民に知らせもせず、承諾も受けずに実験や研究をするなんて、ぞっとする話ではありませんか」と述べている。
私たちに接触をもとめられて、ニューバーグのフッ素化実験の主任であったデービッド・B・アストは、マンハッタン計画の科学者が関係していたことなど全く知らなかったと言い、次のように語った。「もし、私がそんな事を知っていたなら、私は必ず、何と何とが結託し、何故そんなことが行わるのかという事を調べていただろうと思います」。彼は「ニューバーグ市民の血液や胎盤がロチェスター大学の原爆計画の研究者のところに送られていた事を知っていたのではないのか」という質問に対しても知らない」と答えた。1944年1月に開催たれた戦時下のマンハッタン計画の極秘のフッ素協議会に出席したことや、ホッジ博士と一緒に、秘密メモに記されているデュポン社の傷害事件の調査のためにニュージャージイに行ったことなどを、彼は思い出しはしないのだろうか。しかし、彼はそんなことの記憶は全くないという。
ロチェスター大学メディカルセンターのポークスマンであるボブ・レブは、ニューバーグからの血液や組織のサンプルが大学のホッジ博士のもとで研究されたことは確認している。原爆計画の訴訟に対して有利な情報を得るために、秘密裡に合衆国市民の研究を行ったということの倫理に関しては、彼は「それは我々には回答できない質問だ」という。彼は原子力委員会の後継組織である合衆国エネルギー庁に照会した。
ワシントンのエネルギー庁のスポークスマンであるジェーン・ブレディは、庁の過去の記録に当たっところ、戦後ロチェスター大学で行われたフッ素実験は「デュポン社とニュージャージー地区の住民との間の訴訟が切迫していた」ことが「主な理由」であるということは確認した。しかし、彼女は「フッ素研究がマンハッタン計画や訴訟の被告を守るために行われたということを物語る書類は、一つも見つかっていない」という。
ニューバーグ実験にマンハッタン計画が関係していたという件について、スポークスマンは次のように話している。「エネルギー庁や、特にマンハッタン計画の前身にあたる官庁が、1940年代に子どもの歯に関するフッ素研究を認可したということを示唆する資料は何もない。」
しかし、私たちがマンハッタン計画の後継官庁である原子力計画が、ロチェスター大学でニューバーグ実験と直接結託していたことを示す文書を幾つももっていると聞かされた時には、ジェーン・ブレディはしぶしぶその事実を認め、彼女が行った調査は、文書が「入手できた範囲に限定」されるものだと述べた。その2日後、彼女は、事実関係を明らかにする言明をファクスで送ってきた。それには「私の調査は、放射能の人体実験計画に関する文書について行っただけであり、フッ素についての調査はそのなかには入っておりません」とあった。
「最もはっきりとしていることは」と彼女の言明は続く。それに関連する文書は、オークリッジにあるエネルギー庁の国立研究所にあるのかもしれないということである。そこは記録の保存を仕事とする専門家集団がいることで知られている。そして「そこに蒐集されている文書は、秘密文書の説明義務のため、数年前に別のファイルから移されてきた機密文書ばかり」であり、「放射能の人体実験計画に関しては豊かな情報源」であろうという。
これらの調査をつうじて浮かび上ってくる重大な疑問は、ニューバーグ実験や他の原爆計画中のフッ素研究で明らかになったフッ素の害作用が、湮滅に付されたのではないかということだ。原子力委員会出資のフッ素研究の全ては、医科や歯科の雑誌で市民に明らかにされねばならない。秘密文書の原本はどこにあるのだろうか。
第2次世界大戦中の「フッ素の代謝」に関する科学的極秘協議会の記録の写しは合衆国国立公文書館のファイルには見当たらない。その会議に出席した者には、戦後にフッ素や水道フッ素化の安全性を一般社会に向かって説き続けてきた一群の人物、マンハッタン計画のハロルド・ホッジ、ニューバーグ計画のデビッド・B・アスト、「水道フッ素化の父」としてよく知られているH・トレンドリー・ディーンなどがいた。「もし、そのファイルが見当たらないのなら、それらはまだ秘密として封印されているのでしょう」と国立公文書館の書士は私たちに話している。
とにかく第2次大戦中の水道フッ素化に関する極秘文書は、ロチェスター大学に置かれた原子力計画や国立公文書館、ノックスビルにあるテネシー大学の核博物館などのファイルには見当たらないのである。それに続く一連の文書番号で4つほどの文書も「MP−1500シリーズ」の中からは失われている。その他のものはちゃんと残っているのにである。「おそらく、それらの文書はまだ極秘にされているか、政府によって『消されたか』のどちらかでしょう」と、ノックスビルにあるアメリカ環境保健衛生研究プロジェクトの常務理事であるクリホード・ホニカーはいう。このプロジェクトは、かつて国が行った放射能の人体実験で、一般社会人が放射能に晒されたカギとなる証拠を提供したことがある。
とにかく、「デュポン裁判」と銘打たれた1947年のロチェスターの原爆計画のノートの7ページほどが切り取られたままなのである。「こんな事はありえないことです」と医学部公文書の保管責任者の主任であるクリス・フーリアンはコメントしている。
同様に、私たちの何年も前からの「情報の自由に関する法律 」にもとづく要請で、とにかくフッ素に関する何百という秘密文書をエネルギー省がどこかに移動させることだけは防ぐことができた。「我々は遅かったのですよ」とエネルギー庁オークリッジ対策本部担当の「情報の自由に関する法律」係官は説明した。
はたして情報は湮滅されたのであろうか。私たちは、原爆計画の科学者らが行ったフッ素の安全性研究の極秘オリジナル版をを明らかにした。この研究は、後に検閲版が1948年8月にアメリカ歯科医師会雑誌で発表されている。この極秘版と検閲版とを比べてみると、原子力委員会は、フッ素が傷害を与えた情報を検閲していたことが明らかに分る。これは悲喜劇としか言いようがない。
それは原爆計画のなかで、フッ素の製造工場で作業して
いた労働者の歯科的医学的健康状態についてマンハッタン計画の歯科医師チームが行った研究であった。極秘版では大部分の労働者に歯がないことが報告されているが、発表版では労働者にはむし歯が少なかったということだけである。
極秘版では、フッ素の発煙が靴のなかの爪をダメにしてしまうためゴム製の長靴を履かなければならなかったと報告されているが、発表版ではこのことは触れられていない。
極秘版では、フッ素はおそらく歯に対しても同様に作用し、このために歯を失う者が多いのではないかと述べられているのに対して、発表版ではこの部分が省かれている。
発表版の結論は「労働者は医学的歯科学的な観点から、類を見ないほど健康であると判断された」というものである。
マンハッタン計画とフッ素化の初期の関連性についてコメントを求められた国立歯学研究所のハロルド・スレブキン理事は次のよういう。この国立歯学研究所という官庁は、今日でもフッ素研究に資金を提供しているのである。「私は原子力委員会から、何かがインプットされたなどという事については全く知りません。」そればかりか、彼はさらに、むし歯予防に使用されるフッ素の効果や安全性は過去50年の間に十分に証明されてきたと主張し、「科学者にとっては、動機と結果が異なることはよくあることです」ともいうのである。そして「私はある知識がどこからもたらされようと、そんな事には偏見をもちません」ともいう。
極秘版と検閲された研究の発表版とを比較したあと、毒物学者のフィリス・マレニクス博士は「私は科学者であることを恥しく思う」とコメントした。そして、冷戦時代に行われたフッ素の安全性に関する研究は「みんなこんなふうにやられたのでしょうか」と疑問を投げかけてくるのであった。
公文書研究はクリフォード・ホニカーによる
訳者あとがき
村上 徹
本編は、アメリカの環境系の雑誌ザ・ウェイスト・ノット♯414 号( 1997年9 月) に掲載されたFLUORIDE,TEETH AND ATOMIC BOMBの完訳である。
ウェイスト・ノット誌はほぼ8 年前より定期的に刊行されている環境問題の専門誌で、ニューズ・レターの形式で年間48回出版されており、海外からも講読することができる。同誌が現在力を注いでいる問題は、日本でも深刻になりつつあるゴミの焼却で排出されるダイオキシンの問題であるが、フッ素にも関心を寄せるようになってきていることは冒頭の「掲載までのいきさつ」で明らかであろう。同誌の連絡先は次のとおりである。
編集長・Ellen & Paul Connet
住 所・82 Judson Street, Canton NY 13617 U.S.A.
Tel ・315-379-9200
Fax ・315-379-0448
E-mail・wastenot@northnet.org
本原文のコピーライトは、著者であるジョエル・グリフィスとクリス・ブライスン両氏が所有しており、この翻訳は編集長であるエレン・コネット氏の許可の下に行われた。コネット氏のご好意に改めて感謝する。
また、雑誌には掲載されていないが、原文には155頁に及ぶ膨大な証拠書類が添付されており、ウェイスト・ノット誌に発注すれば20ドルで入手が可能である。この記事が、わが国のジャーナリズムでよく見かけるフィクション混じりの煽情ルポなどと全く類を異にするものであるのはこれでも明らかである。アメリカのジャーナリストの良心を見る思いがする。
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本編は、単にアメリカばかりではなく、世界中の関係者に強い衝撃を与えずにはおかないだろう。
フッ素論争の歴史的文献をじっくり検討してみると、日本人にはどうしても納得できない事項が幾つか浮かびあがってくる。そのうちの一つは、むし歯の予防などといういう保健上あまり緊急ではない施策が、国際政治が急迫した第2次世界大戦の直前の時代に、なぜ、アメリカで、あれほどまでの国家の肩入れの下に「水道フッ素化」となって実施されたのかということである。そしてもう一つは、戦後の冷戦の時代に、なぜアメリカ政府は、WHO(世界保健機構)やアメリカ歯科医師会を操って、あれほどまでの知的暴虐や人権侵害を行ってまでウォルドボット博士らの臨床データを抹殺しようとしたのかということである。
フッ素の批判者には周知のことであるが、アメリカの医学や歯学の世界でフッ素反対者に投げつけられる悪罵,中傷、言論弾圧、様々なイヤガラセは、自由を標榜するアメリカで、しかも、「むし歯予防」の一手法などをめぐって、何故こんな陰険な仕打ちが行なわれるのか、どう考えても理解できない{1} 。しかし、これは、フッ素がアメリカ軍部の虎の尻尾であると分かってみれば理解できよう。
しかし、奇怪なのは、程度の差こそあれ、わが国の推進者がこのやり口をそっくり真似していることである。
フッ素批判者として活躍している成田憲一歯科医師の上に、新潟大学堀井欣一教授(当時)が 昭和63年と平成2年の二度にわたって公然と加えた人権侵害事件については、成田先生自身が新潟県弁護士会に人権侵害救済の申立てを行い、その結果の同教授に対する「警告書」の写しとともに、彼自身が直接事実を公開{2}しておられるので改めては言及しないが、いやしくも国立大学教授が、研究発表をめぐって村営診療所の勤務医にあからさまな人権侵害を加えるなどということは、科学の他の分野では決してあり得ぬことであろう。
また、かつて、フッ素推進者に気鋭な論評を加えてきた高橋晄正氏や柳沢文徳教授(東京医科歯科大・当時)などが、日本におけるフッ素反対者として、日本歯科医師会の調査をつうじてFDI(国際歯科連盟)に氏名を通知されたという事実もあった。アメリカ政府の関係部局は、フッ素批判者に対して、公然とブラックリストすら作成しているのである{3}。
また、私は平成7年2月に、沖縄県教組の要請に応じて、那覇市と石垣市でフッ素批判の講演を行ったが、これに対して、全県的なフッ素洗口運動を企図している沖縄県と新潟県歯科医師会は、当時群馬県歯科医師会副会長の職にあった私に臆面もなく抗議文めいた公文書を送りつけ、同時に私の上司であった群馬県歯科医師会会長に対して、暗に、部下である副会長にフッ素反対の講演をさせるなと言わんばかりの文書までよこした。
いうまでもなく私の地元の群馬県歯科医師会では、歯科医師としての思想信条は一切自由であって、ここには会は立ち入らない。当前である。そして、歯科医師の集団である歯科医師会の内部に、一つ
の学説をめぐって賛否の意見があれば、その意見はできるだけ公開して患者側の判断材料とするのが妥当ということになっている。これも当り前だ。そのため、私は県内外のどこでも要請があれば、フッ素の危険性について講演をする。その依頼者には、市民の組織もあれば、公的な教育委員会も混じっている。講演者の肩書が会の役員であろうが、平会員であろうが、そんなことも少しも関係がない。使用する薬物の毒性に目をつむって、いいことづくめの宣伝を行うのは歯科医師の倫理の上からも許されることではないのだ。
まだある。朝日新聞社編集委員の長倉 功記者は、長年フッ素問題の取材をしておられるわが国では数少ないジャーナリストであるが、世評の高かった彼の連載記事「現代養生訓」に、フッ素には反対意見があると書き、その内容を少し詳しく解説したためか推進派の怒りを買い、抗議文やカミソリの刃まで送りつけられたという。彼はその記事を本{4}にする際に、かなりの分量のコメントを書き加え、「フッ素神話を疑う」と題してこの経緯を述べている。
長倉氏をなだめるわけではないが、日本だから氏はカミソリの刃程度で済んでいるので、アメリカだったら、おそらくクビがとぶ騒ぎになったかもしれない。フッ素の歴史には、そんな受難劇の被災者が累々と横たわっている。そして、その原因がどこにあったのかを、この原文が世界で初めて明快に抉り出したのである。
むし歯予防に使用されるフッ素の安全性が、「原爆」製造のマンハッタン計画を裁判から守るために案出されたなどと、一体、誰に想像できただろう。まさに、事実は小説よりも怪奇である。そして、フッ素に関しては、世界的権威者で通っているホッジやディーンが、深くその極秘計画に関与していたことなど、著者らが丹念に収集した証拠書類がなければ、おそらく誰一人信用しないに違いない。
1988年に、アメリカ最大の学術団体であるアメリカ化学学会の機関誌「ケミカル・アンド・エンジニヤリング・ニュース」は、特集としてフッ素問題に関する長大な特報論文{5}を掲載し、「フッ素の安全性など確立されているどころか、40年以上放ったらかしにされたままだ」と厳しくアメリカ政府を論難するとともに、フッ素にまつわる様々な暗黒面を容赦なく抉り出した。この記事は、アメリカの理系の知識人に衝撃を与えるとともにマスコミをも動かし、幾つもの全国紙が「フッ素は悪質な科学を育てた」(クリスチャン・サイエンス・モニター紙)というような記事を掲げた。フッ素の問題を歯科という狭い世界に閉じ込めておかぬために、私は出来る限り忠実に、これらの動きをわが国に伝えてきた。
しかし、本稿を読めば、フッ素の安全性などは「放ったらかしにされた」どころか初めから意図的に捏造されたものであり、政府各機関も総力をあげてこれに加担してきたことが明らかである。その目的は、原爆という最高の国家機密をあくまで護持するためであった。当時アメリカにおいてフッ素中毒に関する最高の治療者であったウォルドボット博士の幾多の臨床的データを、保健行政当局らがやっきになって否定し、手先をつとめるアメリカ歯科医師会に機関誌で人格攻撃まで行わせて博士を封殺しようとした理由はまさにここにあったのであろう。
この壮大なドキュメントの前には、一介の歯科医師にすぎぬ私は、ただ言葉を失うだけである。政治と科学、官僚と科学などについて、この記事から派生してくる深刻な事象はおそらく山のようにある筈であるが、今、私がそんな事についてあれこれ口走ってみても、確かな意味などとても出てくるまい、そんな気がしてならない。
フッ素問題に人生をかけて行政と対決しているジョン・イアムイアニス博士は、この点に関して「科学は死滅した」{6}と断言し、故ジョージ・ウォルドボット博士は、フッ素に関する行政を「汚辱にまみれた歴史」{7}と痛憤した。前記アメリカ化学学会の論文は、数ある環境汚染物質のうちフッ素だけが何故か政府によって特別扱いにされている実態を指摘したが、今にして思えばじつに慧眼といわざるを得ない。
フッ素の安全性を世界中に力説してまわったホッジもディーンも、所詮は国家権力に奉仕して自己保存を計る官僚であり、人間に奉仕する科学者などではなかったのだ。科学的真実など、政治の前ではどうにでも曲げてみせる人間にすぎなかったのである。如何に精密な論文の体裁を装っていようと、彼らの業績など、今日の科学としては一文の価値もないものだ。そう考えておく方がよい。
私はしきりにそんな事を思っている。
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訳者による脚注
1 この中国の疫学研究とは、次の文献を指すものと思われる。
Li,XS.,Zhi,J.L.,Gao,R.O.: Effect of Fluoride Exposure on Intelligence of Children, Fluoride 28,4;189-192, 1995.
2 この研究結果と科学雑誌とは、次の文献を指すものと思われる。
Mullenix,P.J.,Denbesten,P.K.,Schunior,A.,Kernan,W.:Neurotoxicity of Sodium Fluoride in Rat, Neurotoxicology and Teratology 17,2;169-177,1995.
3 ここで何故フッ素が原爆の製造と関係するのか、簡単に解説する。
鉱石として採掘される天然ウランは殆どがU238であるが、0.7%の割合で同位体のU235が存在する。原爆に必要な核分裂に利用できるのはこのU235だけである。従って、多量のU235を取り出すためには、この0.7%の割合を化学的操作で増加させる、つまり濃縮する必要がある。このために考案されたのが、ウランをフッ化水素と化合させて気体の6フッ化ウラン〔暗号名ヘクス〕にし、比重の差を利用してU235をU238と分離する方法である。この方法はニールス・ボーアでさえ「合衆国を一つの巨大な工場にしてしまわないかぎり無理だ」と思っていたというが、原爆の製造に関与した多くの天才的頭脳がこれを可能にした。ちなみに、ヒロシマに投下された原爆の純U235の総量は64kgであった。(リチャード・ローズ、原子爆弾の誕生・上・紀伊國屋書店・1995年と、同著者(Richard Rhodes)DARK SUN The making of the hydrogen bomb, TOUCHSTONE, 1996を参照) 。
ここで著者が述べているのは、マンハッタン計画のために化学会社のデュポンがウラン濃縮に必要な何百万ポンドのもフッ化水素の製造を請け負い、それが漏洩して作業員や工場の周辺に深刻な公害を引き起こしたという、このフッ化水素の製造にまつわる秘話なのである。
さて、U235を分離した残りカスのU238は、当面何の利用価値もない
まま廃棄物として夥しい量が放置されていたが、固くて重い性質に着目され、最近になって無料で企業に払下げられ、金属に精錬されて砲弾や戦車の装甲に使用されるようになった。これが劣化ウランである。
劣化ウラン弾はイラクとの湾岸戦争で始めて大量に使用され、目を見張るような戦果をあげたのは日本でもよく知られていよう。厄介なことにこの劣化ウランには、余り強くはないものの放射能があり、その半減期は何と45億年である。
現在、湾岸戦争の被災者や当事国の兵士に「ガルフワォー・シンドローム」という深刻な健康傷害が起こりつつあるのは、この時の爆弾や砲弾の爆発から超微粒子となって飛び散った劣化ウランを摂取したためであるが、何しろ大量に使用され、しかも半減期が45億年なので、全地球がやがてこれに汚染されるのは目に見えている。湾岸戦争がもう一つの核戦争と言われ、アメリカの知識人らが問題にしつつある所以であるが、わが国でこの実体が殆ど知られていないのはフッ素問題と同様であろう。( 新倉 修/ 監訳・劣化ウラン弾・日本評論社・1998年を参照)
文 献
村上 徹:コミュニティ問題としてのフッ素論争.総合都市研究,第40号,143-169,1990.
成田憲一:知性の抑圧.フッ素研究,No.16, 35-46,1996
村上 徹:プリニウスの迷信.績文堂.63-72,1989.
長倉 功:現代養生訓.朝日新聞社.186-198,1997.
村上 徹:プリニウスの迷信.績文堂.72-74,1989.
John Yiamouyiannis:Fluoride The Aging Factor.Third Edtion, Health Action Press, 195-199, 1993.
ジョージ・ウォルドボット他(村上 徹訳):フッ素化 この巨大なる矛盾.フッ素研究,No.15, 167-169, 1994.
http://user3.allnet.ne.jp/f-poison-alert-net/page/05/index.htm