お前が人類を殺したいなら(別冊宝島229『オウムという悪夢』)

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投稿者 SP' 日時 2001 年 5 月 23 日 08:11:47:

回答先: ◆──アニメトラウマで「オウム事件」を考える 投稿者 SP' 日時 2001 年 5 月 08 日 08:25:47:

おたくジェネレーションとオウム真理教
劣等生「しょうちゃん」を主人公に、麻原彰晃の半生記を描いたマンガに、
鬱々としたサラリーマン生活を送っていた僕は力づけられた。
オウムの持っている被害者意識と「中学生の反抗心」は、僕の中にもある。
だが、彼らが世の中をナメ切っている以上、僕は彼らを認めない。

切通理作(文筆者)

 オウムがハイジャック? と思ったのも束の間、犯人は「オレはエイズだ」と言い出したと一報が……六月二十一日の夕方、僕はずっと映りっぱなしになっているボーイング747のテレビ映像を見つめながら、不思議な思いに包まれていた。
 虚言癖のある男の、人騒がせな妄想。なのに、現実にとらわれ、生命の危機にさらされている人々がいる。
 もう、何人消え、何人死んだろう……坂本弁護士一家、假谷さん、松本サリン・地下鉄サリンの犠牲者……もしジャンボ機の中でまた犠牲者が出たならば、その死はいったい何処に吸収されればいいのか。どう意味づけられればいいのか。
 幸い、死者は出ず、犯人は逮捕された。だが、まったく意味づけられない「大量死」という実感は、僕の中に残った。
 その「実感」の向こう側にあるのが、悔しいけれどオウム真理教なのだ。

 ▼ オウム気分の人たち

「オウム真理教がこれだけ叩かれながら存在している理由というのは、その神秘性にあります」(九〇年十一月十八日、麻原彰晃説法より)
 教祖が逮捕され、もうフィーバーは終わった、と先回りする視線をよそに、オウム報道熱はとどまるところを知らないようだ。
 オウムが用いた「貧者の核兵器」によって、ただ一人の個人によるテロでも、その背後に、絶対致死力が想定されるようになった。
「さながら、野戦病院のようです」と、地下鉄から救助された人々を介抱する様を説明する若いアナウンサー。だがこのアナウンサーは、生まれてこの方、野戦病院なんか見たことがあるのだろうか。彼自身、何処の実感からものを喋っているのだろう。
「憐れみを感じます。殺生は憐れみだから」と、村井刺殺の際、マイクを突きつけられ、ボーッとした顔で答える上九一色村のオウム信者。南青山の、人一人が殺された総本部の入口で、軽快な舞いを踊る、白いサマナ服を着た女性信者たち。
 それらは村井刺殺自体の映像の実感のなさとともに、あるひとつのことを伝えてきた。
 こちらの世界の現実と平行してある「別の世界」が、明らかにこちら側に侵食してきていることを。その「別の世界」は、こちらの世界とはまったく違う論理で動いていて、それはこちらの倫理を踏みにじるだけではなく、いつの間にか境界線自体に揺さぶりをかけ始めていることを。
「人間というのは、わけのわかんないままに生まれて、わけのわかんないままに死んでいきますよね。どう考えても、我々のわかっているこの世界だけじゃない、舞台裏があるとしか思えない。一幕劇の操り人形として出て、操り人形として消えていく。世の哲学やイデオロギーと言われるものは、その舞台劇が続いている間の世界しか扱わない。でも私はその背景、謎解きに興味を持ったんです。そこで、宗教やオカルト巡りを始めたのが最初です」(オウム在家信徒・寺門雅俊さん〈仮名〉の発言、六月九日・新宿の喫茶店にて)
 上祐の「追っかけ」をやり、渋谷や横浜にオウム・グッズを買いに行く中学・高校生の少女や少年たちと、オウムを名乗り、飛行機で何処かへ行こうとしていた男は、そうした、人生の「表舞台」と「舞台裏」の境界線を歩いているといえないだろうか。彼らはオウム信者ではないが、オウム気分の人たちなのだ。
「本当に三つ四つのときから、神というか、そういう言葉では知らなかったんですけど、上、というのかな、霊的な感覚に対する敬虔な気持ちはあったんです。幼な友達にも『あんた、昔から変わっていた』って言われて。『なんか神の国に帰る船っていうのを作っていつも川に流していた』って言われたんですよ。確かにそうだった。子供のころはガキ大将だったし、とくに現状に不満があったわけでもないけれど、常にそういうところに帰りたがっている自分っていうのが一方であったんです」(オウム在家信徒・鈴木雪子さん〈仮名〉の発言・同前)

 ▼ アニメとおたく

「♪人はだれでも持っている みんなの心に持っている
 遥かな無始の過去から 持っている
 人にだれでも隠れてる みんなの心に隠れてる
 無明の闇を超えて 超越神力だ」
(オウム・アニメ『超越世界』主題歌「超越神力」麻原彰晃作詞より)
 オウムの特質のひとつとして、アニメやマンガを戦略として使うというものがある。それを指して、「オウム=おたく=アニメ的」という図式を単純に当てはめてしまう見方も少なくない。
 たとえば、僕がオウムの取材をしていると聞いたTBSの『ザ・フレッシュ!』がVTR取材でやって来て、オウムのアニメやマンガ戦略についてコメントを取りに来たのだが、そのなかで、質問者がしきりに、「アニメやマンガでは麻原や信者の顔が美化されて描かれている」とか「空中浮揚を絵で簡単に表現したこういうアニメを見て騙される人がいる」などということを僕の口から言わせようとするのである。
 要するにこのテレビ・クルーは、アニメやマンガで美化されたオウム信者の顔や能力を見て、「現実と架空を取り違えた」人々が続出した、という結論を導きたいのである。それはもちろん、オウムの起こしたとされる事件そのものの妄想性の説明にもなっている。
 宮崎勤事件以来、一歩も進歩していないこんな単純な見方に、とてもリアリティを感じることはできない。けれども、オウムはやっぱり「おたく」ではあるし、「現実」を否定しているのだ。そのメカニズムについて、これから語っていこうと思う。

 ▼ 「しょうちゃん」の青春

「……二十三点……また赤点だぞ……こら! 聞いてんのか、こら!」
 教室で居眠り、騎士道物語のヒーローになった夢を見ていた「しょうちゃん」は、先生の、その一言で目を覚ます。麻原彰晃の半生を描いたオウムのマンガ『未来を開く転 輪聖王』の一場面だ。
 劣等生の「しょうちゃん」は、片思いの少女にプレゼントするためにアルバイトしたが、そのプレゼントを渡しそびれ、またバイトばかりで勉強しなかったため進学もできない……そんな彼が夢の中で、シヴァ神に出会うのだが、その夢の描写の直前、夜、寝床の横で、時刻表を見ている彼の姿がワンカットだけ描かれる。
 六年前の総選挙の際に街頭でマンガを手渡されて以来、そのさりげないワンカットがずっと心に残っている。多分、ここ数カ月の大事件が起こらなかったとしても、マンガに描かれた「教祖」の少年時代は僕の頭に焼きついて離れなかったろう。
 この作品は現在逮捕拘留中のオウム信者であるカンカー・レーヴァタこと杉浦実が、当時、麻原彰晃と相談し合いながら作ったストーリーだというが、主人公の夢想がちなキャラクターが、実にリアリティあるものとして伝わってきた。
 好きな女の子にプレゼントしたいと、受験前の冬休みをバイトに費やして、大学に行けなくなる「しょうちゃん」。浪人しているうちに勉強する意志が萎え、工場で働くが周りの仲間とも溶け込めない。ある日、ふと立ち寄ったレコード屋で、バイトで店員をしていた、一流大学に進学しているかつての同級生・大作と出会い、彼のいたずらで万引きの疑いをかけられてしまう。
「大作! おれ何もしてないよな! お前証明してくれるよな!!」
 ニヤニヤ笑って答えない大作。「しょうちゃん」は警備員に引っ立てられていく。
「大作、友達じゃないか!!」
 その晩、夢を見るしょうちゃん。暗闇に一人、立たされている。と、光とともに神様のような姿をしたものが現れる。「特別な力をあげよう」「あ、あなたは!?」「私はシヴァだ」「シヴァ?」「一生懸命、修行しなさい」
 シヴァ神が杖のようなものを振り下ろすと、しょうちゃんは目覚める。ところが平衡感覚が失われ、宙に浮いてしまい、大宇宙にはじき飛ばされたようになり、やがて布団の中で眠る自分の身体にスッと収まる。彼は幽体離脱をしていたのである。
「これが私の最初の神秘体験だったのです」というナレーションとともに、時代は一挙に飛び、すでに「尊師」となった麻原彰晃の姿が描かれる。
 尊師・麻原は瞑想中にあるヴィジョンを観る。それは、昔、受験をフイにしてまで想い続けた憧れの美少女・レイが頸動脈を切って自殺しているヴィジョンだった。
「バカなまねはよせ!!」
 間一髪、レイの部屋に飛び込んだ麻原は彼女に体当たりし、手に持った刃物を落とす。
 東京の大学に通っていた彼女は、田舎から来たという孤独から、同郷の大作と恋仲になり、孕まされ、棄てられ、自暴自棄になっていたのだ。
 頼りがいのある「尊師」に成長していた麻原に、レイは驚く。「何があなたをそんなに変えてしまったの?」
 麻原はゆっくりとうなずく。
「我々人間は、絶えず大変な無智に覆われている。魂の輪廻を知らず、転生を知らず、この世に生まれてくることの原因と結果を知らず、この世を絶対のものと錯覚して、真実ではない幸福を追い求めている。そして俗世界にある様々な観念にとらわれ、本当の自分の姿というものを見失っている。しかし人間の中には、自分でも気付いていない未知の可能性が眠っているんだ」
 この科白のとき、僕の頭の中では、あの、アニメの主題歌のような「麻原彰晃マーチ」が高らかに鳴っていた。♪光を放ち、今立ち上がる、若きエースの出現だ♪
「以前の私はどこにでもいる普通の人間だった。いや普通以下だったかもしれない。しかし悩んだり苦しんだりしても、私は決して真の幸福探しをあきらめなかった。なぜなら今の自分が本当の自分ではないと心のどこかで感じていたし、自分を変えてしまわないとどうしようもないほど行き詰まっていたんだね」
 しかし、今こそ彼は確信を持って言える。
「超能力はすべての人間の中に眠っている! そしてそれはだれもが正しい修行をすれば得られるものであり、それを身に付けていくことで人間はもっともっと高い満足や幸福を味わうことができるんだと!!」
 今の自分は本当の自分ではない、という思いだけを支えにサラリーマン生活を送っていた当時の僕は、このマンガには力づけられた。周知のとおり、実際の麻原は盲学校出身であり、このマンガで描かれる「しょうちゃん」の青春時代とはずいぶん違う。だがこのマンガには、描き手の側の、本質的な意味での「正直さ」があると思う。たとえ、勧誘のために作られたストーリーであっても構わない。ここまで心情を正直に語ってくれたのだったら、騙されてやろうじゃないか、とまで思った人間がいたとしても不思議じゃない。実際、僕がそうだったのだから。
 マンガマニアというほどにのめり込んでいる人にとってはもちろん、通勤・通学の際に読む人にとっても、「マンガ」というものは本質的に、ここではないどこかへ行きたい人のためのものである、と僕は思う。その部分のリアルさがない、ただ現実を美化しただけのマンガは、一時的な人気を得ても廃れていく。
 その点、この、七〇年代初期の石森プロのスタッフが描いたような懐かしい線で描写された麻原マンガは、マンガを好きな人間の心情を正直に吐露したものと思え、当時、微温的なラブコメマンガに飽き飽きしていた僕には逆に新鮮だったのだ。
「現世で生きてても、なにやっても楽しくないんです。旅行とかも、友達が楽しいっていう場所に、実際自分が行くと楽しくない」(オウム出家信徒の女性・Tさんの発言、五月一日・オウム杉並道場にて)

 ▼ 尾崎豊と「本当の自分」

「時間に追いかけられて/歩き回る一日が終わると/すぐ、つぎの朝/日の出とともに/逃げ出せない、人の渦がやってくる」
「救われないぜ/これがおれたちの明日ならば/逃げ出したいぜ/このきたない人波の群れから/夜行列車に乗って」(オウム諜報省トップ・井上嘉浩が中三のときに書いた童話『願望』より)
 雑踏の人々が粗い画面に捉えられ、ナレーションがかぶさる。オウム・ビデオ『戦いか破滅か』の冒頭である。
「正直言って、僕は尾崎豊の大ファンというわけではなかった。それは、あまりにも彼の歌がストレートすぎて、十代の僕には気恥ずかしかったのかもしれない。気恥ずかしく感じたのは、多少は相通じるところがあったのではと今では思う」
 画面はギターを持って泥水にのたうちまわる尾崎豊のプロモーション・ビデオからのダビング映像。
「彼のことを真剣に考えるようになったのは、彼の死を知ったからだ。彼は殺された。(中略)尾崎はなぜ殺されたのか。尾崎は最後まで何と戦い、何と戦おうとしていたのか」
 尾崎がステージで『卒業』を歌う様が映し出される。
「♪これからは誰がオレを縛りつけるだろう
 あと何度卒業すれば
 本当の自分にたどり着けるだろう」 ナレーションは言う。尾崎は学校を出て、反抗すべき対象を失ったとマスコミは言い立てたがそれは嘘だ、と。
 画面には、学校の屋上で、フェンスごしに拳を空へ突き出す尾崎のスチール写真が。
「彼は学校など相手にしていなかった。もっと強大な、本当の敵を知っていたのだ」
 本当の敵、それはアメリカだというナレーションとともに、原爆のキノコ雲が。アメリカと、それを裏で操るユダヤの多国籍企業が日本に原爆を落とし、エイズを流行らせ、湾岸戦争を起こしたというドキュメント映像の継ぎ接ぎが以後、二時間近く繰り広げられる。
 しかし、尾崎とアメリカがどう関係あるのかはまったく実証されず(されるわけもないが)、気分で繋げられるばかりなのだ。その「気分」は、おそらくこうであろう。我々は、本当の自分を欲し始めると、必ず大きな敵を見つけることになる。それは、この世界を裏で動かす勢力である。彼らは、常に罠をしかけ、本当の自分を圧殺しようとする。我々はそれと戦わなければならない。
 それはアメリカだけではない。マンガ『未来を開く転輪聖王』で、「しょうちゃん」を陥れた要領のいい大学生「大作」は池田大作から取ったネーミングだろう。

 ▼ 中学生の反抗

 また「知られざる秘密を暴く時代への挑戦誌」と銘打ったオウムの雑誌『ヴァジラヤーナ・サッチャ』に連載されている小説『コントロールされるのは、もう、まっぴらだ!《ニッポン滅亡プロジェクト》を撃て!』(和泉明成作)は、エイズ細菌兵器説を追うルポライターの主人公が軍用ヘリによるサリン攻撃を受け、オウムをモデルにした「チーム・ホワイト・ロータス」の面々と知り合ってアメリカが企てる日本人抹殺計画を知っていくというものだが、敵の一味のジャーナリストとして、江川紹子をモデルにしたことが明らかな「瀬川洋子」が登場する。彼女は終始「悪魔のようなジャーナリスト」として描かれる(取材記事を書くばかりではなく、自ら携帯電話機を使って人間を洗脳したりもする)が、主人公のルポライターを手伝う、真理に目覚めた大学生・雅之は、ホワイト・ロータスに嫌悪感をぶつける記事を書く瀬川の人物像に自分を重ね合わせる。
「瀬川なんて、中学生のころの自分と変わらないな、とふと思う」(本文より)
 中学生のころ、雅之も、成績の良くて教師にウケのいい優等生を仲間と放課後に待ち伏せしては、「いい気になってよ」などとイヤミを投げつけた。だが、イヤミを言う相手の優等生は、べつに「いい気になって」いるわけではなく、単に真面目な性格だったことを実は彼自身、よくわかっていた。それよりも、からかう気にもならないほど嫌だったのは、適当に遊んだり、適当にふざけながらも、成績だけは飛び抜けていい、本当に「優秀」な奴だったのだ。
「成績も中くらい、宿題と定期試験に追われながらも何となく過ぎていく毎日。だらけた自分たちの生活にもそろそろ嫌気がさしてはいたのだが、かといっていきなり『おりこうさん』になるのはシャクだ。素直には『連中』の仲間にはなれやしない。だからこそ、そういう連中が大嫌いだった。見たくもなかった。まさに自分の理想だからこそ、そして自分自身がその理想に向かう努力をしていなかったからこそ、連中は敵だった」
 瀬川洋子もまた、そういう個人的感情に任せてものを言っているのだろう、と続くのだが、このくだりは、『朝まで生テレビ・総括! オウム真理教事件と闇の真相』(五月二十七日放映)で、瀬川のモデルである江川紹子に、劇作家の山崎哲が「江川さん、どうしてあんたそんな強いの? そんなに正しいの?」と突然、言い放った場面を思い出させた。小林よしのりはこの発言を指して「中学生の反抗心」と言った。僕は山崎哲のこの発言につい共感してしまい、『ゴーマニズム宣言』で小林よしのりに怒られた(『SPA!』六月二十八日号「『ゴー宣』こそがヴァジラヤーナ」)のだが、僕が共感したのは、もちろん、「中学生の反抗心」がまだ抜け切っていないからである。僕が井上嘉浩を考えるとある種切なくなるのもそこである(だからといって井上嘉浩が「いいやつ」だとは決して思わない。このことは後述する)。
 それは小林よしのりの言うように「被害者意識」なのだ。塾で勉強してきたとばかりに、教室で空騒ぎに興じる「優等生」を、僕は今でもどこかで許していないのだ。

 ▼ ヤマトとガンダム

「車で移動中、尊師と『宇宙戦艦ヤマト』の主題歌を一緒に歌いました。ヤマトは地球の命運を賭けた最後の船、自分たちみたいだなあ、と尊師はおっしゃられました」(オウム出家信者で麻原彰晃の運転手をしていたナンダカ師の発言、四月十三日・上九一色村第四サティアンにて)
 僕が中学生のとき、『宇宙戦艦ヤマト』最初の劇場版が公開され、アニメ・ブームが生まれた(七七年)。幼児ではなくティーンエイジ向けアニメのヒット作としては第一号といっていい。また、麻原彰晃が『トワイライトゾーン』よりも前に超能力体験を投稿していた雑誌『ムー』は、もともと、『中一コース』などの学研の学年誌でナスカの地上絵やアトランティス大陸のグラビア特集をすると人気があったため、試しに神秘ネタだけで別冊を作ってみたら大ヒット、それが雑誌化したものだ。つまり、思春期的、中学生的なところから出発した雑誌なのである。
 オウム制作のアニメ『超越世界・他心通』には、機体に「AUM」と書かれた宇宙船(『スタートレック』のエンタープライズ号そっくりである)のコクピット(これはヤマトそっくり)に、ヤマトの沖田艦長と同じ上着を羽織った麻原が、各部署の部下とともに宇宙を旅している図が描かれている。あまりにも有名になってしまった「コスモクリーナー」とともに、『ヤマト』はオウムのひとつのキーワードなのだ。
 この『宇宙戦艦ヤマト』と同じ松本零士原作の、「裏ヤマト」と呼ばれる『宇宙海賊キャプテン・ハーロック』は、日々テレビから人を怠惰にさせる電波が流されている、平和だが無気力な未来社会が舞台。そんな社会から、自らの意志で反旗を翻し、宇宙船を海賊船に見立てたハーロック号に乗り込むのが主人公なのだ。ハーロック号には、冒険を自ら求める同志が集まっている。これも、当時、「緑の地球を守る」という勧善懲悪アニメに飽き飽きしていた中学時代の僕には新鮮だった。(ちなみに、『ヤマト』は昨年公開の予定で劇場用新作の企画が練られていたが、そのストーリーは、宇宙の悪・アメリカ星人の侵略にさらされた地球を守るため、ヤマトが出撃、敵を撃破するが地球自体も爆破されてしまい、ヤマトそのものが第二の地球となり、乗組員の日本 人がそのまま全地球人となるというトンデモないもの。石原慎太郎と高橋三千綱が原案に名を連ねていた)
 このころのティーンエイジ向けアニメは、『キャプテン・ハーロック』のような「選民思想」に支えられているものが多かった。『ヤマト』に続いてティーンエイジから絶大な支持を得たアニメが『機動戦士ガンダム』である。先述のナンダカ師はガンダムも好きだったというので、ガンダムに出てくる重要なキーワードである「ニュータイプ」について聞いてみた。
「もちろん興味ありました。宇宙空間で、頭が研ぎ澄まされるのって、どうなるのかなあって、考えてましたね」(ナンダカ師の発言・同前)
 ニュータイプとは、宇宙空間で認識力が増大した新しい人類のことである。人間は、地上では脳が本来持っている力の一部しか発揮できないが、宇宙空間で残りの能力を引き出して適応しようとしているうちに、予知能力といえるほどの深い洞察力、テレパシーともいえるほどの感応能力を得てしまう。ガンダムは宇宙空間を舞台に戦争を描いたアニメであり、ニュータイプは戦場では超能力戦士として扱われるが、彼らの認識力は、いずれは人間どうしのコミュニケーションを発達させ、最終的には争いをなくすことができるという可能性が示唆されている。
 このニュータイプが仏教思想をベースにしていることは、「カルマ」から名を取ったガルマ、あるいはアーガマ、シャクティといった登場人物のネーミングからもうかがえる。またガンダムにおいて主人公のニュータイプ性を目覚めさせる少女ララアはインド系の顔だちであった。
 続編『Zガンダム』では、主人公が、怨念のかたまりである敵を倒すために、ニュータイプとしての認識力で、あらゆる人間の思考を受け、怨念を背負ったパワーで敵を倒すが、自らも発狂してしまう。
 この一連のシリーズを作った製作総指揮者・富野由悠季のもとには、当時、ティーンエイジの少年たちから、「自分がニュータイプかどうか診断してほしい」との相談が相次いだという。妄想癖が強く、ガンダム病のようになってしまった青年も少なからずいる。
 今のロボットアニメを支えている僕と同世代のアニメ脚本家たちは、オウムの事件から何か影響を受けているのだろうか。代表的なライターの一人である曾川昇氏に話を聞いてみた。
「やりにくくなったって、みんな言ってますよ。たとえばニコラ・ステラみたいな超科学的なものにせよ、密教系の用語みたいなものにせよ、僕らがファンタジーで使ってきた、特殊だったはずの言語が一般化しちゃった。それをそのまま信じて行動しちゃった人たちが出てきたわけでしょう? 今後そういう発想を肯定的に描くかどうかが作家の視点の分かれ目になると思う。そこに直面しないで、うまく回避するとしたら、オウムが手をつけてないことをやるしかない。けど彼ら、超科学、密教、キリスト、ユダヤと、たいてい手をつけちゃってるでしょ(笑)」
 中学生のときに植えつけられた、この世の中でコミュニケーションとされてる仕方は嘘で、どこかに本当の人間の関係性がある、そしてそれを邪魔する「悪」がいる、という価値観。それを継続していいかどうかが、今になって直に問われてきてしまったのだ。

 ▼ 世の中ナメ切ってる

 しかし、そうした中学生のような現世否定の妄想を、まったく問われてない人たちがいる。それは、当のオウム信者である。
 自然の巻き起こす災害は、人間たちの悪行を清算するための「浄化作用」である、とするオウム。それらと重なって、再軍備化、国家権力の増大、第三次世界大戦、核兵器の使用によってハルマゲドンが起こる。
 その未来を救うために、麻原は言う。「真解脱者」を三万人出す。そうすれば、オセロゲームで、白の間の黒はすべて白にひっくり返ってしまうように、世の中の「質」を変えることができる(『朝まで生テレビ』の打ち上げで山崎哲さんにこの話をしたら大喜びしていた)。
 これはオウムがハルマゲドンを強調し始めたとされるよりも前に、先述のマンガ『未来を開く転輪聖王』で展開していた論理である。教団崩壊の危機にある今でも、この考えは変わってないか、と、在家信徒歴六年の寺門さんに聞いた。
「平気で言い続けていますよねえ(笑)。世間様から見ればすっごいタチ悪いんじゃないですか。それにハルマゲドンってのは、本質ではないですから。オウムの基本は瞑想ですから。あとは材料にすぎないんですよね」
 瞑想。それは死のシミュレーションだと寺門氏は言う。
「サマディというのは読書三昧とか言うときに使う『三昧』ですが、このサマディに至ることによって宇宙的な広がりのある本来の意識状態に回帰していきます。そこに至るためには呼吸停止、心臓停止という状態をひとつの途上として経験するわけです。死というのは肉体を持っているからあるわけで、一回超えた体験を経ればこういうものだと少しは恐怖も取れる。それが本来の意味でのポアです」
 現在逮捕拘留中で、元熊本県警の高山勇三氏にハルマゲドンについて聞いたとき、彼はこう言っていた。
「我々の、死に対する敏感さを、一般の人はわからないでしょう。それをわかりやすくさせるために、雑誌などでハルマゲドンを外に言うことが必要なのではないでしょうか」(四月十三日・上九一色村第四サティアンにて)
 つまり、ハルマゲドンとは、外の世界へ「死」をつきつける「脅し」なのだ。
 六月二十二日付で出された、教団のハルマゲドンに対する公式見解(『教団運営要項・その6・誤解を受けやすい教義の公式解釈』)から引用しよう。
「……個人的な死でもハルマゲドンといった集団的な死でも、共に修行の目的の背景にある『この世の無常』を示すものであるから、ハルマゲドンは唯一の修行理由でないことは明らかである」
 ソフト路線下にあるこの説明は、彼らの、自己と他者の死を一緒くたにするという、自己中心性を捨て切れない姿勢をかえって浮き彫りにしてしまっている。
「オウムがサリンをやったかどうかなんてことは、ここでは問題ないんですよ。この組織がショッカーだってね、ゲルショッカーだっていいんだよもう。本質的な問題じゃないんだ。この私の神秘体験とね、同じもの用意できるんならしてみてくださいって言いたいよ」
『朝まで生テレビ』の打上げで、顔を上気させて、オウム在家信徒の坂元新之輔氏は怪気炎を上げていた。
 やがて坂元氏は目の前にいる上九一色村村民・竹内精一氏に言い放った。
「いや、上九一色村の人々にオウムが迷惑をかけているのは事実でしょう。それは認めます。でも、私は オウムの信仰は続けますよッ」
 僕は〈この人、世の中ナメてんな……〉と思った。
 坂元氏にせよ、寺門氏にせよ、オウムが、取れるところからは布施をむさぼり取っているという実態だって、知らないわけじゃないだろう。江川紹子が文春で書いているように、インテリでもなければ、中流家庭に育った中学生的感性の持ち主でもない、もっと社会的に弱い立場の、心の救いとしての信仰の求め方をする人々を、たとえば井上嘉浩などは、愚民の代表のように思っていたのではないか。どうせ長続きしないに決まってる奴等なんだから、我々真の“真理の戦士”のために、金を取れるだけ取っておけ。そう思っていたに違いない。

 ▼ 『完全自殺マニュアル』とオウム

 そして僕は坂元氏の態度に触れたとき、一昨年よりベストセラーとなっている『完全自殺マニュアル』を思い出した。なぜなら、坂元氏のヒョロッとした容貌が『完全自殺マニュアル』著者の鶴見済に似ていたからである。
『完全自殺マニュアル』の底流にある、自分が思春期のころ、大地震を待望していたときのような著者の甘えた自意識に、「三十にもなった人間がそれはないだろう」と反感を持った。この著者が書いている「生きてても仕方がない」「君がいなくても、君がやれてるようなことは、他の誰かがやってくれる」という呪文には、自分の存在は誰にもまして尊くあらねばおかしい、という自意識、怨念が感じられる。
 そんな人物が提唱する「自殺リセット主義」(自殺の可能性を内在化させることによって逆に生きる実感を得る)に対し、僕は抵抗を覚える。この抵抗はオウムに対する抵抗感と同じだ。無自覚な被害者意識の温存が、結局、周囲の、価値観を共有しない一般社会への、否定に転じるのならば、単に倫理的な意味以上に許されざることだろう。サリン事件の被害者は、どうして自分がここで死ななければならないのか、まったくわからないまま死んでいったのだから。
 しかし冒頭でも述べたように、自分の生命が大事に感じられない。ましてや他人においておや、という現実観は確実に蔓延し始めてきている。このような価値観こそが、我々に全面戦争をしかけてきているということを、ゆめ忘れてはならない。そしてそれは、我々一人ひとりの心の中でのせめぎ合いであることも。





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