父親が語る超能力青年の驚くべき現状(『UFOS & SPACE』83年7月号)

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投稿者 SP' 日時 2000 年 12 月 08 日 16:08:06:

回答先: 私の息子の超能力が呼び出した宇宙人(『UFOS & SPACE』82年10月号) 投稿者 SP' 日時 2000 年 12 月 08 日 16:06:13:

 ゲラー・ショックの落とし子の一人である清田青年はマスコミに踊らされることなく、着実にその能力を伸ばしていた。あたかも幼児が次々と知識を身につけて大人になるように、スプーン曲げ、念写、テレポーテーションから、ついにはタイム・コントロールをするまでになっている。数々の実例をあげながら彼の超能力のすべてを、清田君の父、喜徳さんがあかしてくれた。

清田喜徳


 UFO地球外宇宙船否定論者は、もっともなよりどころとして、UFOの存在はありえない、なぜならばUFOが地球に飛来するには宇宙はあまりにも広すぎる、と距離と時間の関係をあげる。
 しかし、もしUFOが、この時空をコントロールしているとしたら問題は変わってくるわけである。
「UFOと宇宙」の読者は、いまさら何故このような論を、と思うだろうが、私の長男で超能力者の清田益章のタイム・コントロール現象をここに書き、問題を提示したいと思う。

親子でテレポート実験

 1974年、スプーン曲げブームもやや冷え始めた頃の初夏、私がある書店に行くと、当時小学生だった益章が、呆然として店内に立ちすくんでいた。
 私が家を出る時、確かに本人は自宅にいたので、「アレ、お前は家にいたのではないか?」ときいたところ、父が本屋に行こうとしていると感じた途端に、この書店の中に立っていたと言うのである。
 本人はこの時、自分自身のこの突発的な現象にひどく驚き、また怯えていた。
 その後、このような現象がたびたび起きるようになり、本人も急速に自分のものにしていったようである。その結果、私もその目撃の機会が多くなっていった。
 私の家から北千住駅まで歩いて12〜13分ほどかかるが、益章は私の背後から忽然と消え、駅前のロータリーのところに立っていたことがある。
 その時は、私が「そんなことが、できるわけがない。それなら、お父さんの前から消えてみろ」と言ったところ、益章は「前ではできないが、後ろからならできると思う」と言い、2人で試しにやってみようということになった。益章を反対方向の位置に立たせ、私は駅寄りに立った。
 本人を背後におき、「ひとつ」と数を数えながら後ろを見た。その時、本人はまだ立っていた。
「ふたつ」と言いながら振り向き、「まだ消えないのか」と私が問うと、「まだできないや」と返事があった。
 それで「みっつ」と言って後を見ると、そこに益章の姿はなかった。
 私は前後左右を確めたのち、全速力で駅に向かって走った。駅についてみると、本人はニヤニヤ笑いながら立っていた。私は息をはずませながら近寄り、益章の胸などを触ってみたが、動悸もなく汗もかいていなかった。
 当時の益章と私では、駆け足では問題なく私の方が早かったにもかかわらず、このようなことが起きたのだった。
 それから1年ほど後、当時、益章が通学していた中学校は自宅から徒歩15分ほどの距離にあったが、本人は始業時間2、3分ほど前にしか家を出ない。妻が心配して中学校に問い合わせる、遅刻はしていないとの返事だった。妻の話では、益章が登校のため自宅を出た直後に道路に出てみても、もうどこにも益章の姿は見あたらないと言っていた。
 名古屋市から訪ねてきた山口青年は、益章がテレポーテーションで、自分より先に自宅に着いたのを目撃して非常に驚いた。また、益章が壁を抜けたとしか考えられない現象に唖然とした人もいる。
 このような場合、本人は意識してやっているわけではない場合が多い。

つのだ氏との実験、北千住──新宿間13分

 益章と姉の佳都子が、2人で東京タワーに遊びに行った帰りのこと。益章はまだ東京タワーで遊びたいという気持ちをもちながら、しぶしぶ姉と帰路である浜松町駅へ向かっていると、自然に東京タワーに自分の体が戻ってしまい、2人とも非常に困ってしまったこともあった。
 その時、佳都子が「今、マッチャン(益章)が、私のそばから出たり消えたりしている。どうしようか?」と電話してきたので、私は「つかまえられなければ、お前だけ帰っておいで」と指示し、佳都子だけが山手線に乗った。ところが、私がその電話を切ってほどなく、後になるはずの益章が先に帰宅してきたのである。
 驚いて理由を聞くと、「上野までテレポートして、それから電車で来た」と言うのである。しばらくすると佳都子が帰ってきた。益章は、「お姉ちゃんと一緒に帰ろうとすると、サッとまた東京タワーに戻ってしまうし、一時はどうなるかと、とても恐かった」と話していた。
 以上のように、初期の頃はコントロールできなくなることがよくあったのだが、最近はそれがだいぶなくなってきているようである。
 このテレポーテーションという現象について、私が直接見たことに触れてみよう。
 それは益章が中学一年の時、妹の幸路を泣かせているので、私が怒って追いかけたことがある。もう少しで追いつめて捕えようとした時、路地をスッと曲がった益章が見えなくなってしまった。
 私は瞬間的に「あっテレポートしたな」と思い、「戻ってこい」と怒鳴った。すると私の目前に黒い人影が現われそれが益章になったのだ。そして今度はテレポーテーションが起きないのか、慌てて近くの塀に這い上がって、逃げようともがくのだ。
 後で聞くと「捕まりそうになったので、とっさに学校の校門の前に逃げようと思ったら、校門に出た。ヤレヤレ助かったと、ホッとしたとたんに強い力で引っ張られるような気がして、気がつくとお父さんの前に出てしまって焦った」と言っていた。
 そういうことがあり、漫画家のつのだじろう氏と、益章を意図的にテレポートさせて、時間をはかってみることにした。益章が北千住の自宅を出た時つのだ氏に電話をし、新宿にある氏のスタジオに着いたら、電話をもらうことにした。
 すると、益章が自宅を出て12〜13分後、つのだ氏から「今、スタジオに入ってきた」と電話連絡があった。私の家から北千住駅まで、徒歩だけで12〜13分はかかるのである。

バイキング1号より先に火星探険

 いずれにしろ非科学的な現象であるが、実際に科学を超えて起きているのは事実なのである。
 1974年11月26日の夕刻、我が家の隣にあるガレージで遊んでいた益章が、いつのまにかいなくなった。しばらくすると、慌ただしく帰ってきて、「お父さん、どうも僕は火星に行ってきたようだ」と言う。からかい気味に質問をしてみると、次のような出来事を話した。
 益章はその夕方八時ごろ、夜空にひときわ赤く輝く星を見て、「あれが火星なのかな? 行ってみたいなぁ」と思った瞬間、赤茶けた、なだらかな起伏の丘が連なり、白っぽい石がころがっている大地に立っていた。
 空は益章の肌の色をしており本人の身体は光のドーム状のものに包まれていた。3分間ほどその場に立っていると、また元のガレージに立っていたというのである。
 私は、ことの真偽はともかく、このことを記録し、1975年8月28日付けで、新潟県にある「テレパシー」という、超心理 学研究グループの機関誌に報告し、活字にしておくことにした。
A 地面 赤茶色で砂より細かい土、足で踏みしめると砂ぼこりが立ちそうな感じだが、ドンと踏んでみても土は舞い上がらなかった(いくぶん湿りがあるという意味)
B 全景 なだらかな丘の連続という風景
C  空は青くなく、地球の夜空のように真っ黒でもない。星が見えていたが、地面も見えた。従って、昼か夜か分からなかった。体が軽い
D 植物 見当たらない。白っぽい岩があった
E  周囲の土が飛んでいなかったので、あまり吹いていなかったと思う。火星にもクレーターがあるが、地上に降りると見えなかった
 この時、益章が、「お父さん、空の色はこの色だったよ」と言い、自分の手を見せたので、私は「そんな空の色はない」と、Cのように書いて出した。
 翌年、バイキング1号が火星に到着した時、火星は益章の目撃談とそっくりであった。
 週刊誌では天文学者が、「天文学好きで、空想癖のある子供の話だ」と語っていた。しかし、あのころまだ誰も知らなかった火星の空の色を、肌色と予言し、それはNASA発表のピンク色の空と共通点がある。
 益章が実際に火星にテレポーテーションしたのか、透視なのか、幻覚かは分からないが、本人の話では、その場所に立っているという実感があるらしい。
 いずれにしても、バイキング1号の到着地点の状況を、天候まで当てたことになる。

火星の石を動かした!?

 バイキング1号が火星に到着した日、みんなで益章に、「火星に行ってきたのなら、もう一度行って、1号のカメラの前に立ってみろ」と冗談を言った。益章は非常に憤慨して自宅2階に上がり、しばらくして降りてくると、「カメラの前の石をPK(念力)で動かした。明日の新聞を見ろ」と言った。
 翌日の新聞には、カメラの前を何か小さな物が横切った、石の動いた形跡があるなどと報道されていた。その後、益章はPKをバイキング1号に発射しつづけたようである。その後の新聞で、シャベルがおかしくなったなどという発表が続いたので、私は益章に「もしお前のPKが原因ならば、悪いことをしていることになる。たとえ社会に認められないから罪にはならないとしても、良くないことだから、やめろ」と言った。
 益章はPKの発射をやめたと言い、そのせいか偶然か、1号は正常になった。
 また、バイキング2号が火星の上空を飛んでいるころ、益章は、「2号の着地点は1号の場所よりもっと石がゴロゴロしていて、2号はその石でひっくり返る」と言った。
 その時、NASAでは、2号の着地点は石の少ない、なだらかな場所と発表していたが、実際に2号は多くの石の上に降り、ひっくり返りはしなかったが、石の上に片足を乗せて傾いた。

物体テレポーテーションの実例

 本人自身のテレポーテーションのほかにも、物品を移動させることもある。
 益章が小学6年生のころのこと。私と近所の青年たち数人で自宅の部屋の家具を片づけ、益章と万年筆とテーブルだけにして戸を閉めて周囲を人で囲み、万年筆をテレポートさせてみたことがある。
 万年筆は、その部屋からテレポーテーションをし、一番遠くまで行ったのは、当時通学していた小学校の教室の益章の机の上に移動したのである。益章の予告に従って、全員で教室に駆けつけると、その万年筆が机の上で直立していた。
 万年筆は両先端の尖ったもので、普通は立たないものである。私が触わると斜めに傾いたが、また、ヤジロベエのように元通りに直立した。それを見て背すじがゾクッとした私は、手で強く叩くと、万年筆は横に倒れ転がった。
 また、ある雑誌社の取材を受けていたときのこと。その時は益章の調子が非常に良く、すり替えられないようにサインしたスプーンを箱に入れ、蓋をした上に女性記者がそれを手で押えていたが、そのスプーンは隣の部屋にいた益章の手に出現したのだ。しかし、あまりに信じがたい現象であるし、当時は超能力ブームの反動で、社会的にも超能力否定のムードが強かったので、記事にしてもデッチあげだと言われるとのことで、ボツになってしまった。
 別の取材では、ミカンの表面の皮に傷一つつけず、針金などをPKで内部に入れ、後で皮をむき、丸まった針金などを取り出してみせた。このことは、記事になった。
 松戸市に住む、フランス文学の平野威馬雄氏宅を訪問した時には、ごちそうになったメロンの残りの皮を、益章が2、3メートルほど離れた場所から自分の手元に引き寄せた。
 メロンの皮が空中に浮び上がって益章のところに飛んでいったのではなく皿の上のメロンの皮が一瞬フッと消え、本人の胸のあたりに出現したのだ。
 益章の話によると、空中浮揚も、スプーンをPKでゆっくり捩るのも、すべてテレポート現象で、(これを本人は“チョンチョンテレポート”と呼んでいる)瞬間瞬間に断続的にテレポーテーションをしており、一挙にテレポートさせるよりこの方が非常に難しいそうだ。
 つのだじろう氏のスタジオのビルの屋上から、プラモデル用のニューム管を数本、地上に落下させながら、途中の空間で消したことがあった。
 ビルは四階建てで、地面から上まですべて見通せる。風のない日で、実験者である東大生数名が下から見上げていたが、ニューム管は途中からフッと消え、地上に落下してこなかった。そして、そのニューム管は、後でまったく別の場所の地下10センチのところからクシャクシャに丸まって出てきた。
 四国の僧侶が訪ねてきた時、益章が大型のスプーンを「消えろ」と言って宙に投げ上げると、スプーンの柄が消え、お皿の部分だけが落ちてきたこともあった。
 以上のようなテレポーテーションは、常に完全にコントロールできるわけではない。たとえば、自分自身を移動させる場合にも、近距離であれば目的地に行ったままになるが、遠距離だと、どういうわけか2〜3分ほどで元の場所に戻ってしまうらしい。
 益章の話を聞くと、何度もアメリカ・ウィスコンシン州のウップホップ博士の家にテレポーテーションを試みるのだが、遠距離になるほどターゲットが定まらず、アメリカのどこかに出現し、ウロウロしている間に自宅に舞い戻ってきてしまうらしい。
 大学に通学する時もたまにテレポートするらしいが、一挙に神奈川県の生田キャンパスまで行くことはせず、乗った電車から、前を走る電車に飛石づたいにテレポートするようである。
 だが、テレポートした後は、非常に頭が重く気分が悪くなるので、あまりやりたくないと言っている。
 益章は本人の幻覚か、または精神だけの移動であろうと言う人たちに対し、
「皆が言うように自分の錯覚かもしれないが、やはり身体が移動しているという実感がある。たまに心だけの移動も試みるが、それはテレポートとはまったく違い、透視に近い感じがする。それよりも幻覚ならば、なぜ近距離の場合目的地に立っているのだろうか」
 と言っており、一 概に嘘や錯覚というだけでは、片づけられない面がある。

タイムコントロールで答案用紙を書き直し

 空間の移動について述べてきたが、益章にはそのほかにも、不可思議な現象を起こしている。
 ある日、益章は私を自分の部屋に呼び込み、「お父さん、このラジオを聴いてみて」と言う。何気なく聴いていると、午後9時の時報を放送した。それから2分ほどした時、前とまったく同じにまた9時の時報を流したのだ。けげんに思い「録音したのか」と問うと、「何もしていない」とラジオを私に手渡した。そのラジオは、以前私が買い与えたスタンダードなもので、受信装置以外何もついていないものである。
 そして、益章は、「実は時間を少しだけ逆転できるようだ」と話し始めた。
「これはお父さんも信じられないと思うけど、どうも時間をコントロールしているみたいだ。この前も学校のテストの時、答案用紙を出してしまってから1問間違っていることに気がついて、時間を逆転させて書き直したんだ。その時、周りにいる自分以外の同級生たちはまったく同じ動作を繰り返すけど、僕だけは、わずかだけど、やり直しができるみたいなんだ。お父さん、時間が戻るのは、フィルムを巻き戻すのと違って、いきなり過去に戻っているんだよ。でも時間の逆転はつまらない。他人に知らせることができないもの」
 と言うのであった。
 私は、今までの益章の超常現象を多く目撃しているが、この時間のことだけは、客観的に見るわけにはいかず、半信半疑である。ただ、益章が「時間の逆転は、フィルムの巻き戻しとは違う」と言った一言が、本人が時間のコントロールをわずかながらでもしていることを、なかば信じても良いという気持ちにさせるのである。
 それは、粒子レベルの世界では、往々にして時間の逆転があり、それは非対称性であるというのを、何かの本で読んだ記憶によるものだ。

人間の発育のように超能力も進歩した

 これは私のまったくの私見だが、この空間と時間は、我々が考えているように確固たる存在ではなく、何か混沌としているものではないだろうか。それを、我々の心や頭脳が整理しているだけではないのだろうか。
 以前、つのだじろう氏が封筒の中に紙とボールペンを同封し、封印した後、益章に手渡した。益章がPKを出した後、封を開き紙を広げると、「つのじろ」と書けていた。これらの現象は、初歩的ながら、益章が空間と時間をコントロールすることができるからではないだろうか。
 UFO現象と益章の現象をみるにつけ、規模の大小はあるが、共通点が数多くあるように思える。UFOはこの時空の秘密を完全に理解し、はるか虚空から忽然と出現しているのではないだろうか?
 益章は常に客観的に他人に見せることのできるスプーン捩りと、念写以外の現象を話したがらないが、私は、あえてこれらの現象を発表してみることにした。それは、スプーン曲げだけが超能力ではなく、それだけに注目していたのでは、超常現象の全体を掴むことができず、木を見て森を見ないことになるからである。
 私は、益章の現象に気づいてから10年間観察しているが、この現象は益章という生物の能力であって、生物の発育通り、最初はスプーン曲げ、スプーン切断などの、破壊を覚え、次にスプーン捩り、念写など創造に移っていった。
 そして、当初は自分のため、遊びのためだった能力を、だんだん実用化し、最近は徐々に社会化の方向に能力が出始めているのがよくわかる。
 それは、幼児がオモチャを壊し、次に、創り出し、人類が原子を爆弾にし、次に原子力発電を創り出したことの共通性を感じるのは私だけであろうか。私は、超能力研究について、大脳生理学の発達に期待している。



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