投稿者 宮崎学氏の転載 日時 2000 年 11 月 20 日 08:31:38:
本日、11月20日は加藤派が勝つか負けるか、
ではなく自民党の終焉なのだ
宮崎学である。
大阪はおもろかったで。関西総本部はホンマようやってくれとるのう。準備も周到やし、大変やったとおもう、ごくろうはん。いずれくるやろ報告楽しみにしておる。
さてと、かえってきたら用事のやまやんけ。まあ、ほっといていったわしがワルイといえばワルイんやけどなあ。またしてある諸氏にはここでお詫び申し上げる。
さて、明日の「加藤紘一の乱」について、今日も朝からテレビやっとたし、新聞もそればっかりやけど食い足りない報道が多いなあ
競馬の予想屋にもなれんで、
「本命が堅いが、対抗がくることも十分考えられるけど、しかし穴ならこうくる」「曇りときどき晴れ、一時にわか雨」みたいなことばかりゆうとる。
こと、ここまできてはっきりしたのは、加藤紘一、すなわち「保守本流」の宏池会が「これではダメだ」と自民党を出る、ということは、自民党が自民党でなくなる、ということなのだ。
つまり、ただの自民党内の政争ではなく、「自民党の終焉」だ、ということをはっきりいわなアカン。
「保守本流」というのは、そういう意味なんや。加藤派ゆうのは、「元保守本流」ではない。「腐っても鯛」なんや。つまり「保守本流」というのは「意識のモンダイ」ではなく実体的なコトバであって、「今、権力を持っているから」とか「今、冷や飯をくうているから」とかで変わるわけやない。ヤクザの組織でも一緒やから当たり前や。この程度もわからんでエラそなこと書いておる記者がいっぱいおるなあ。
今の、自民党の権力派閥の「経世会」は「保守本流」とちゃう。支流なんである。あれは田中角栄の流れで、いわば「保守利権派」なんや。新興寄生虫政治家がどどっと集まって「多数派」になってるが「本流」ではない。「本流」というのは日本のエスタブリッシュメントの、つまり吉田茂以来の流れがある。河の流れがどんなにかわろうと、現象的に一時、支流が大きくみえようと本流は本流、なんやで。
そんなことになんの意味があるか?とアホな政治記者なら真顔でききよるやろけど、そういうやつは「多数が勝ち」やとおもとるんやろな。
まず、保守本流はなかなか底が深くて、流れの底がよめない。わしでもむずかしかった。しかし、田中=経世会系の「政治」というのはものすごくわかりやすい。これが本流と支流の違いだ。
野中とか青木がやれ「除名」だとか「離党勧告」だとかいうか、なんちゅうのは新聞に別に解説してもらわんでも誰でもわかるやろ?「おれのゆうこときいたらうまい汁吸わせてやる。きかんかったらカクゴせい」だけや。
こんなんどんなアホなヤクザでも言えるがな。
「本流」とか「本家」ちゅうのは、こんなはしたないセリフは恥ずかしくてよう言わない。その「ハズカシサ」があるかどうかが「本流」とただの多数派のちがうとこやで。ヤクザでいうたら由緒正しいヤクザか、成り上がりのヤクザかちゅうとこやな。
さて、その「本流」の加藤が自民党を辞めようとしておる。
ということは、自民党は、今日、今晩限り、「自民党」でなくなるんや。残るのは殻だけや。
これすなわち「自民党政治の終焉」でなくてなんやねん。
昨日開票のあった、栃木県知事選の結果をみてみいや。
前今市市長の福田昭夫氏が、6党の推薦を受けて5選を目指した現職の自民、民主、公明、自由、保守、自由連合推薦渡辺文雄氏を875票の差で破り、当選した。共産党も負けた。
また民主党が「現職」を押しておったのもアホまるだしやけど、ヨウはつまり、田中康夫でなくても、「すべての政党支持の候補」に勝った、ということである。それも北関東やで。自民党の金城湯地やがな。そこでこんなことがおきておる。
つまり、これは「政党政治」そのものがやせさらばえて、なんの魅力もない化粧はげたオバハンみたいなもんになってしもた、ちゅうことなんや。従来の自民党支持層が愛想つかした。
だからこそ、「政治本流」だった自民党から「保守本流」が抜けてしまう、ということなのだよ。
レーニンがいうとるんやけど、革命が起こる条件のひとつに「支配階級内部で互いに対立しあう段階」ちゅうのがあってな、わかりやすうゆうたら「支配階級のなかでも、『いまのままでは、こらやばい』ちゅう連中がでてくることが革命の条件や、というてる。たしか4つか5つの条件のひとつである。
レーニンちゅうのはバカにでけんからよんでおき。右翼でも国家主義者でも。ん?サヨク?いまどきどうせ読まないだろう。
「革命」ちゅうのは国ごと泥ボーしてまうようなもんで、いまのサヨクにそんな気概はあらへんから安心してよろしい。
、そういうわけや。すなわち、今晩の国会における不信任案の採決は結果がどっちにころぼうとも、森内閣なんかもはやどうでもよくて、これは「自民党の終焉そのものである」ということをよく見届けなさい。今日、20日の国会の見所ちゅうのはそこや。
まあ、もひとつは、公明党の出方、やろな。二股膏薬政党やから、わしはひょっとしたら保険かけよるかもしれん、とおもてる。「病欠」には注意しておこ。
論談同友会から「加藤派で日和るのはこいつらや」というデータがきておるなあ。これもおもろいけど、まあ、どうでもええねん。沈没する船から逃げ出す、という意味では加藤派も、そのまた加藤派から「一本釣り」で逆につられるのもいっしょのことや。いまの政治家にたいした器量の人物はおらん、という見本にはなるけどな。
いずれにせよ、馬やのうて、調教師が走り出すようでは、競馬は勝てない。
電脳突破党員と組員は、じっくりみとどけるように。予想屋の結果ももうすぐわかるやろ。
ビルの解体は、地震でつぶれたらゴミや、上手に解体でけたら結構ゼニになる。さあ、この国の屋台はどっちになるかや。ほならまたな。
2000年 11月 20日未明
宮崎 学