投稿者 一刀斎 日時 2000 年 11 月 09 日 23:25:14:
週刊新潮11/16
オウム出家信者が主催者だった「紀宮様ホームページ」
紀宮標とオウム──。妙な取リあわせだが、インターネット上で「紀宮清子内親王殿下の御座所』と題するホームページを開設していた人物。実は、現役の出家信者だったのである。
問題のホームページが開設されたのは平成10年2月。〈このホームページは、私設サーヤ親衛隊(略称SS)隊長・河上イチローが独自に制作した非公式サーヤ・ファン・ページであり、紀宮清子内親王殿下ならびに宮内庁と一切関与していません〉という書き出しで始まるこのページ、紀宮様のプロフィールから始まって、ご幼少時の写真、野鳥研究の論文、歌などが掲載されていた。
本邦初の皇室情報のホームページということでマスコミに取り上げられ、河上イチロー本人も登場し、「紀宮殿下については、インターネット上にほとんど情報がない。右も左も一般の人も、皇室情報には触れてない。無いから、自分で大好きな殿下のホームベージを作った」などと開設の弁を述べていた。
だが、この河上という人物については謎のままだった。「彼の名前がインターネット上に現れたのは、平成8年6月頃です。破防法反対のホームページを作っていました」
というのは西村雅史氏。オウムに関する情報を集めている私立大学の研究員である。「オウムに詳しいのでメールを交換して、親しくなりました。3回ほど会いましたが、写真を写されるのを非常にいやがっていましたね」
河上イチローは『デア・アンクリッフ』というホームページも開設していたが、「警察や公安情報、2・26事件やヒトラーに関してもすごく詳しかったですね」とは評論家の有田芳生氏。
「彼は我々オウムウオッチャーの集まりにも参加していました。法廷の麻原の発言にやたら詳しいので、何者だろうと思っていました。新聞記者も知らないような情報が彼のホームページに載っているので、とても便利でした」
「郵政省」に所属
そんな河上イチローがどうもオウム信者らしい、という噂が流れ始めたのは昨年11月頃。先の西村氏が続ける。
「彼がオウムに批判的な滝本太郎弁護士や有田さんに対して攻撃的になってきたのです。調査したら出家の事実が判明した。でも、自分からオウムだと言って欲しかったので公表しなかった。なのに、10月23日、彼はホームページを閉鎖し、消えていった。裏切られたという気持ちからオウムだと公表したのです」
カーマ・アニッチャ・パンニャッタ・パンニャーヤ・ムック・デーヴァー。このホーリーネームの持ち主こそ河上イチローの正体だったのである。
京大文学部中退の31歳。平成3年に入信した。「文才のある男で小説家志望だった。教団では〃郵政省〃に所属し、麻原の説法を判りやすく文章にしていました」
というのはオウム関係者。「教団崩壊後はオウム系出版社に身を寄せ、『週刊光源氏』という本の編集に携わっていました。今は教団に戻っていますが、上祐史浩幹部が呼んだのです」
ここで、河上イチローこと本名・福○利○氏に登場してもらわねぱなるまい。「教団がアレフと新たになってから、事件に対する認識を改め、謝罪、賠償を行う方針をとるようになったため4月29日、教団に戻ることを決めました。紀宮殿下のぺ−ジを作った動機は他にないから作っただけのことです」
だが、そんなことは誰も信じまい。先の有田氏は言う。「出家信者が個人の趣味で紀宮様のホームヘージを作るわけがありません。憶測ですが、皇室情報を集め、直接的な攻撃に出る準備をしていたのではないか。オウムには井上嘉浩が主導した皇居攻撃計画もあったわけですからね」
荒唐無稽というなかれ。何せあのオウムなのである。