投稿者 gaattc 日時 2000 年 11 月 05 日 11:55:10:
2000年11月4日 北國新聞 社説
選挙は「和」を乱すから避けたほうがよいという考え方が今日でも地方で根強いことを石川県鹿西町の町長選挙候補一本化で思い知った。有権者の審判を仰ぎ、当選者は批判票を重く受けとめ、負けた側は当選者に協力するという民主主義の理念がかすむほど強固なムラの和のこだわりがこれからも続く気配を感じる。
しかし、「政争の町にしない」を大義名分に町議会議長が飛び回り、引退する町長が立候補予定の町議を説得し、出馬断念に導いたムラ社会のエネルギーの大きさは現実として認めるが、合併も視野に入れた地方分権時代にムラの和一辺倒では立ち行かぬ時代がくることもいまから考慮しておくべきだ。
近年さらに広がりを見せる烏帽子(えぼし)という擬制親子の風習も絡む濃密なムラの権力構図は、候補者と有権者との関係が薄い都会型選挙とまるで違う。だが、「顔が見えすぎる」骨肉の選挙であってもそろそろ、一本化をすべて町の平和のため、と安どする発想に終始することは見直すべきでないか。批判や政策論争の素地の弱いところに、従来の殻を突き破るアイデア豊かな施策が生まれにくいことを危惧するからだ。
今回の一本化調整は、まさにムラ社会の縮図を思わせる。立候補を予定した二人の町議は同じ地区に住み親類、しかも一方は相手の家が烏帽子親すなわち実の親子でない者同士が絆を結ぶ間柄だ。地域二分を案じた町議会議長が双方に会い「町長続投なら身柄を預ける」との意向を取り付け、続投を拒んだ町長が自分に近い町議に降りるよう促した経緯は、「町政を混乱させない」という和が重んじられたことを示すが、同時にどちらの候補が優れた政策で町を発展させようとするのか見極める町民の選択権を奪ってしまった。
能登にはムラの仕切り役をさす「オヤッサマ」という言葉が今も残る。今回、そのオヤッサマの役割を舞台裏でいや応なしに背負わされたのは二人と同じ地域に住む引退予定の町長だったのでないか。
「オヤッサマは村社会を支配する。村人はオヤッサマに頭が上がらない。が、有力なオヤッサマの存在は村全体の利益になる。鍋にはふたが必要なように」。十七年前、小倉学石川高専名誉教授がオヤッサマの権威と役割を「鍋のふた」と断じたこの構造は、歳月とともにムラの実力者が入れ替わった今も続いているのである。ただ、全会一致を旨とする長老政治と言い換えてもいいこの流儀では、町の融和と安定が保証されても、厳しい意見の対立から生まれる大胆な改革は期待できず、選挙がないことで少数意見が行政に反映されぬ弊がある。二十一世紀がムラの流儀をまるまる変えずやっていける時代とは思われない。どこかの時点で負の部分を整理すべき命題である。