投稿者 2001年問題観察者 日時 2000 年 10 月 31 日 23:27:39:
一昔前は陰謀論にほとんど全く興味のなかった私ですが
このところ陰謀論の効用を再認識しています。
なぜかと言えば、陰謀論はSF小説のように、現実や物的証拠に
依存しないで幾らでも仮説を立てられる点です。
つまり、常識的な枠を一時的に離れて仮想の枠組みを作ったり
ほぼ制約なしに思考を進める練習になるのです。
思考の柔軟体操の一種に使えると言って良いでしょう。
さらに一応は現実世界の動きを見ながら考えるので、
仮説や推測と現実の一致や不一致、現実として認識される事と
自分が仮想しやすい世界の差もわかるかもしれません。
従って、陰謀論的な考え方は、使い方によってはですが、
思考の柔軟体操や自分の思考の傾向の把握に役に立つのです。
陰謀論の悪いところは、あまりに陰謀論的な考え方だけに
集中してしまうと被害妄想のような状態になり易い事でしょう。
思考の柔軟体操ではなくて、思考が常識的な現実認識から
大きく離れたところで固まってしまうかもしれないのです。
もちろん、常識的な現実認識が正しいとは限りませんし、
固まってしまった考え方が非常にうまく物事を説明できる
考え方である可能性もありますが、社会的な折り合いをつけるのは
難しくなるでしょう。
カルト組織が陰謀論を好むとしたら、それは陰謀論を使って
信者の常識的現実認識を破壊し、普通の社会生活に支障が
出るような考え方に固める事によってカルトから抜けられない
ようにする為であると思います。
また、陰謀論の種類によっては被害妄想を高めて危機感を
煽る事によって、平常では出来ないような過激な行為を
起させる準備にもなるでしょう。
興味深いのは陰謀論に関心を抱くようになったきっかけです。
陰謀論系のページや掲示板では自分達の生活や安全、健康や独立を
守ろうとするような意見が目立ちます。
ところが、もし、陰謀論に囚われ過ぎると逆にカルトの餌食に
なり易かったり、過度の警戒感や緊張感から健康すら害しかねません。
これでは陰謀論に関心を持つ原因となった考え方の意図する
ところとは逆の結果になってしまいます。
ですから、数ある陰謀論のうちの一つ、又はその組み合わせが
自分にとっての現実認識となっても、他の考え方を全面否定
してしまうようなコチコチの状態にならないように他の可能性も
時々考えて思考の柔軟体操を続けたり、他の人達の現実認識と
比較してみるとよいのだろうと思います。
陰謀論に強硬に反対する人は、陰謀論の弊害のみを見ていたり
他の人の思考に枠をはめて置きたいのかもしれませんね。