投稿者 甜菜 日時 2000 年 10 月 31 日 10:45:08:
個と集団の相殺効果と相乗効果
サッカーチームの日本代表を見ると、以前の日本人監督のもとでは、常に日本国憲法の如く「専守防衛」であっ
て、ディフェンスは良かったがフォワードが無能に等しく、大抵負けていた。 フランス人のトルシエ監督になって
から、日本チームは俄然強くなった。戦後日本人が草食動物のように無気力になりさがって、すっかり失ってしまっ
た肉食動物の闘争精神がなければ、日本チームは世界で絶対勝てないことを、トルシエが日本選手に叩き込んでくれ
たからだであろう。 トルシエは、練習のとき、選手の一員になって大声を上げて反則すれすれの体当たりでボール
を奪い合ってみせる。 日本人監督は腕を組んで、ああしろの、こうしろのと評論するオブザーバーのようだ。 トル
シエは日本の製造業が得意な「現場主義」だな、と思う。目付きが違う。
個人の技術の向上無くして、集団の勝利はあり得ず、集団への貢献なくして個人の技術は活かされない事を、トルシ
エは日本チームに教えてくれた。 従来の日本式では、チームにうまい奴がいると「あいつはスタンド・プレーばか
りやりやがって。」と周りが足を引っ張る「悪平等集団型」か、「個人が何したっていいじゃねーか。」と言って規
律も秩序もない「野放図個人型」のどっちかに偏る。「集団」は個人の足を引っ張り、「個人」は集団の秩序を妨害
する、という形態であったが、それでは勝てないことをトルシエは判らせてくれた。
トルシエは徹底的に「個人主義」であり、同時に徹底的に「集団主義」でなければ試合に勝てないことを知ってい
た。 相反する両者を足して2で割ったような中途半端では駄目だ、妥協は敗北だ、と言うことを知っていた。集団は
優秀な個人を必要とし、個人は秩序ある集団を必要とする。ついでながら、敗戦前の日本人は秩序の無い集団を「ウ
ゴウノシュウ」〔烏合の衆〕(カラスは集まってカーカー喚きあっててんでばらばらに飛びまわる)」と言って嫌っ
ていたが、マッカーサーに脳を汚染されてから、日本人全体が「自由だ、個性だ、民主主義だ」と喚きあって真理を
考えない烏合の衆になった。
以前、阪神タイガースの優勝に大きな貢献をしたアメリカ人強打者、ランディ・バースが勝利チーム・インタービ
ューの度に決まって言っていた答えが「For the team」であった。相反すると思われている個人主義と集団主義は、
戦略的目的に向かって全員の心を一つにすると両立する。
「欧米人は個人主義、日本人は集団主義」と一般に言われている。そうかな?と私は疑問に思う。日本古来のスポ
ーツ、相撲、柔道、空手、拳法、合気道はすべて個人の格闘技。 西欧のは、ボクシングやレスリングとゴルフ等を
除いて、サッカー、ラグビー、バスケ、バレー、野球、等殆どが団体競技。日本で創始されたチームワークを要する
団体スポーツはあるだろうか? そういえば日本式経営の真髄と言われる「チームワーク」も「コンセンサス」も英
語、日本語では何と言えば良いのか。
日本の外交政治は「集団安全保障反対」、欧米は「多国籍軍主義」。一体どっちが個人主義でどっちが集団主義
か?
国際会議で欧米人たちを見ていると、彼等は猛烈に喧嘩もするが、共通の利益のためにはケロリと喧嘩を忘れて見
事に一致団結して、集団と個人を巧みに両立させる。それが「けじめ」と云うものであろう。日本人にはこの割り切
りがなかなか出来ないようだ。
元科学技術振興事業団 さきがけ研究21 構造と機能物性領域 技術参事 田中 廣光