投稿者 FP親衛隊國家保安本部 日時 2000 年 9 月 26 日 15:42:38:
イタリア・ボルツァーノ(CNN)
オーストリアとイタリアの国境地帯、チロル地方のエッツタール・アルプスの氷河で9年前に発見された、世界最古とみられる凍結したミイラの解凍作業が25日、イタリア・ボルツァーノの南チロルにあるアルト・アディジェ考古学博物館で本格的に始まった。ボルザノに集結した科学者らは、ミイラから骨、歯などを採取し、約5300年前の青銅器時代にアルプス一帯で生活していたとみられる古代人の姿の解明に挑む。
ミイラは、発見された場所にちなんで「エッツ」と呼ばれ、海抜約2048メートル付近にある氷河の中で保存されていた。
解凍作業は24日から12時間に渡り、エッツの保存ケースの気温をヒーターでマイナス6度から、2度まで上げ、行われた。25日午前8時には、エッツは同博物館内にある無菌の研究室に運ばれ、科学者が約4時間かけ、骨と骨の表面についたエナメル質を削り取ったほか、内視鏡を腸の部分に入れながら、さまざまな組織部分を採取した。
エッツの死因は
エッツの性別や死因はナゾに包まれているが、職業は羊飼いで、吹雪を避けるために洞くつか洞穴に逃げ込み、その中で死んだというのが一般的な仮説となっている。調査に参加しているスコットランドの科学者、ピーター・バネジス博士によると、エッツの体の腹部と背中から皮膚と脂肪組織の鉄分を分析し、死亡した時に血液がどこに集中していたかを探り、死因を調べるという。「直接の死因の発見には至らないものの、もし自然死であったなら、恐らく背中を地面につけて、横たわっているはず。しかし、事故や転倒などで死んだ場合、うつ伏せになっている可能性が強い」と博士は推測している。
これまでの分析結果から、エッツはろっ骨骨折など何らかの外傷を受けていることが分かっている。バネジス博士は「転落か何かによるろっ骨部の骨折の形跡はあるが、古傷かもしれない」と述べている。
また、先のDNA(生物の遺伝子を構成するデオキシリボ核酸)検査の結果で、エッツが何らかの肺病を患っていた形跡もあり、これが死を早めた可能性もあるという。
DNA鑑定で、エッツの起源を追う
スイス・チューリヒのスイス連邦工科大学では、歯からエッツの起源をたどることを計画。右上あご部の歯の表面のエナメル質に含まれているミネラル分から、エッツが子供時代を過ごした地域を突き止めるという。「歯のエナメル質に蓄えられたミネラルをたどっていくと、子供時代を過ごした地域の土壌のこん跡を発見できる。エッツの起源の概要が見えてくるはずだ」と同大学のワォルフガング・ミューラー氏は期待している。
英国とイタリアの科学者グループは、エッツの胃の組織のサンプルを採取して、付着しているかもしれない微生物のDNAを鑑定、エッツが摂取した食物について調査するという。また、ペルーのクスコで発見されたミイラの調査結果と比較し、自然環境下でのミイラ化の過程の理解を深めたいとしている。
このグループに加わっているイタリア・カメリノ大学のフランコ・ロロ教授は、ミトコンドリア・ゲノム(生物が機能的に完全な生活をするために必要な遺伝子群を含む染色体の1組)を研究し、1万年前にアルプス一帯に住んでいたとみられる古代人と現代人の系図の作成を目指している。ほかの研究グループも、エッツのDNAを鑑定して、同じ地域から今までに発見されたほかの古代人の残骸のDNAと比較し、ヨーロッパ地域の古代人の遺伝子バンクを作りたいとしている。
また、エッツの足首、ひざ、ふくらはぎに発見されている入れ墨が、古代のはり治療によるものなのか、エッツが死んだ後に彫られたものなのかを突き止めたいともしている。
これらの分析結果は、早くて6カ月以内に出されるとみられている。
「所有権論争」
エッツはオーストリアとイタリアの国境地帯で発見されたため、その所有権を巡り、両国は論争を繰り広げた。最初に名乗りを挙げたオーストリアは、エッツをインスブルックに収容した。しかし後になって、発見場所が国境線が記されていないイタリア領内だったことが判明し、イタリアに引き渡された。しかし、第1次大戦後、イタリアの南チロル地方の併合を認めないオーストリアの右派主義者からの脅迫などがあったため、エッツの輸送は内密に行われたという。
それ以来、エッツはボルツァーノのアルト・アディジェ考古学博物館のガラス張りの冷凍庫に保管され、展示されてきた。エッツとともに発見された、武器、そして銅で作られたおのや火打ち石などの道具類なども、エッツとともに陳列されている。