投稿者 転載 日時 2000 年 9 月 11 日 00:54:36:
[No.566] 洗脳マニアニマルby 匿名さん 2000年09月08日 (金) 04時57分09秒【この記事にレス】
偉大なる電波受信者及び陰謀論者の諸君、
我々はぁ〜、ここにぃ〜、
統一価値帝国主義のぉ〜
洗脳ぉと再染色ぅを打ち砕くべくぅ〜、
一致散開してぇ〜
多様な価値観を〜
流動的にぃ使い分ける事を〜
高らかにぃ宣言するものであ〜る。
ふぅ〜、疲れるから、この口調は辞めた。
各種セミナーや宗教で行われる洗脳には、
実は価値相対主義的な視点の揺さぶりによって
固形化していた価値観(その人の世界観でもある)を
ほぐしてしまう操作と、
それまであまり疑う事もなかった価値観が揺らいで
しまって不安になっている人々に新たな価値観を
与えてそれを固形化する操作の
二つの異なったベクトルがございます。
私的には、前者のベクトルを洗脳、そして後者を
再染色などと呼んでおります。
各種洗脳セミナーやカルトが成立する為には
この二つの段階を通過する必要がありますので、
余りにも価値観が固形化してしまい、ほぐれる余地の
無い人と、価値観がもともと流動的であったりするために
固形化した価値観が無くても不安にならない人には
効果がありません。
逆に言えば、カルトやセミナーに引っ掛かるのは
その時点で硬直したものの見方をしており、
柔軟なものの見方をするのが不安な人間であると
見なす事も出来ます。
価値観はその場その場の必要性や状況に応じて
瞬時に柔軟に構築して使い、次の瞬間には忘れ去って
しまって構わないものであると言えるのです。
破壊をしてから再構築するという図式は上の見方とも
一致するのではありますが、革命的に一度壊して
再構築すれば良いという共産主義などの考えは、
硬直した価値観を他の硬直した価値観に置き換える
だけであり、抜本的な解決とは程遠い愚かなものです。
破壊と再生が起き続けて初めて、価値が相対的である
という事実に接しても不安にならず、各種セミナーや
カルトのカモにならない人間となるでしょう。
それまでは自分にとって絶対的に思える
硬直した価値観を、それが相対的なものでしかないと
思い知る事で一つ一つ自らほぐし、
そして絶対的な拠り所となる価値観がない状態に
慣れて逝くのがよかろうかと思います。
心の拠り所は、自由な思考を妨げる
恐怖の囲いでもあるのです。
家畜は檻に囲まれて安心する。
不安は囲いが破れている印しである。
ならばいつでも不安で居るがよい。
手軽に安心しようなんて思う人がカルト信者になる。
硬直した価値観を守ろうとして人は戦う。
戦うカルト信者はたちが悪い。