投稿者 あはーん 日時 2000 年 9 月 21 日 23:39:30:
回答先: ホテルで首を吊った器用な人一覧 投稿者 ウフーン 日時 2000 年 9 月 21 日 13:06:27:
ホテルじゃなくて銀行マンのリストDeathラ。
日債銀・本間社長、就任直後自殺のナゾ
<画像: 日本債券信用銀行社長の本間忠世氏> なぜ自殺に追い込まれたのか−。20日午前、出張先の大阪市北区のホテルで首をつって自殺した日本債券信用銀行社長の本間忠世氏(60)=写真。同行は、一時国有化された後、ソフトバンクを中心とした企業連合に譲渡され再出発。「ミスター破たん処理」といわれた本間氏はその“切り札”として今月4日にミ長に就任したばかり。それだけに関係者の間では「なぜ?」と衝撃が広がっている。
調べによると、本間氏は19日午後から大阪市内に出張し、支店や取引先を訪問後の午後9時20分、ホテルにチェックイン。20日午前8時、朝食の時間になったため出張に同行して隣室に宿泊していた秘書が部屋を訪れたが、カギがかかっていて応答がなかった。秘書はホテルの従業員に連絡し、合いカギでドアを開けたところ、本間氏がゆかた姿で壁にもたれるようにしてぐったりしていた。部屋のカーテンレールには3メートルのひもがかけられ、本間氏の首にもひもが巻きついていた。
秘書によると、19日は変わった様子はなかったが、以前から「息苦しい」「疲れた」などともらし、「病院に着いたときには意識はあった」と話している。
本間氏は日銀の出身で、その間に培った金融の専門知識や幅広い人脈を買われて民間銀行として再出発した日債銀の社長に就任した。就任後、行内の掌握に分刻みの激務が続いていたうえ、本間氏とソフトバンクや東京海上火災保険、オリックスの3社側とで目指す銀行像が全く食い違っていたという声もあり、本間氏は期待と再建への重圧との厳しい板挟みになっていたようだ。
相沢英之金融再生委員長は「3社の板挟みにあって、心労が重なっていたという話は聞いたことがある。3社がいろいろ注文をつけてきたのだという。だが、心不全と聞いていたので、心臓が悪かったと思っていた」と話す。
日銀の本間氏の先輩は、「最近もちょくちょく会っていたが、再生委とやりあってだいぶ疲弊はしていた」と振り返っている。
本間氏は、平成10年に自殺した日銀理事(当時)の鴨志田孝之氏と同期の入行(昭和38年)。この奇妙な一致もより一層謎を深めている。
最近の銀行マンの自殺
鴨志田孝之さん(58)
(日本銀行理事)平成10年5月2日=東京板橋区の母親の実家で首をつって自殺。現場には「もう疲れた」などと書かれた遺書
上原隆さん(59)
(旧長銀副頭取)平成11年5月6日=東京都杉並区内のビジネスホテルで首をつって自殺。現場には家族あての遺書
福田一憲さん(51)
(旧長銀大阪支店長)平成11年5月17日=兵庫県西宮市の同行武庫川寮の自室で首をつって自殺。部屋には「疲れた」などと書かれた遺書
阿部泰治さん(63)
(そごう副社長・
旧長銀常務)平成12年4月27日=神奈川県鎌倉市の自宅で首をつって自殺。平成6年に長銀からそごうに副社長として移り、財務や経理を統括していた。部屋には「申し訳ない。勝手を許してください」と書かれた妻あての遺書