投稿者 FP親衛隊國家保安本部 日時 2000 年 9 月 21 日 18:19:05:
なぜ自殺に追い込まれたのか−。20日午前、出張先の大阪市北区のホテルで首をつって自殺した日本債券信用銀行社長の本間忠世氏(60)。同行は、一時国有化された後、ソフトバンクを中心とした企業連合に譲渡され再出発。「ミスター破たん処理」といわれた本間氏はその“切り札”として今月4日に社長に就任したばかり。それだけに関係者の間では「なぜ?」と衝撃が広がっている。
調べによると、本間氏は19日午後から大阪市内に出張し、支店や取引先を訪問後の午後9時20分、ホテルにチェックイン。20日午前8時、朝食の時間になったため出張に同行して隣室に宿泊していた秘書が部屋を訪れたが、カギがかかっていて応答がなかった。秘書はホテルの従業員に連絡し、合いカギでドアを開けたところ、本間氏がゆかた姿で壁にもたれるようにしてぐったりしていた。部屋のカーテンレールには3メートルのひもがかけられ、本間氏の首にもひもが巻きついていた。
秘書によると、19日は変わった様子はなかったが、以前から「息苦しい」「疲れた」などともらし、「病院に着いたときには意識はあった」と話している。
本間氏は日銀の出身で、その間に培った金融の専門知識や幅広い人脈を買われて民間銀行として再出発した日債銀の社長に就任した。就任後、行内の掌握に分刻みの激務が続いていたうえ、本間氏とソフトバンクや東京海上火災保険、オリックスの3社側とで目指す銀行像が全く食い違っていたという声もあり、本間氏は期待と再建への重圧との厳しい板挟みになっていたようだ。
相沢英之金融再生委員長は「3社の板挟みにあって、心労が重なっていたという話は聞いたことがある。3社がいろいろ注文をつけてきたのだという。だが、心不全と聞いていたので、心臓が悪かったと思っていた」と話す。
日銀の本間氏の先輩は、「最近もちょくちょく会っていたが、再生委とやりあってだいぶ疲弊はしていた」と振り返っている。
本間氏は、平成10年に自殺した日銀理事(当時)の鴨志田孝之氏と同期の入行(昭和38年)。この奇妙な一致もより一層謎を深めている。