投稿者 素朴な疑問者 日時 2000 年 9 月 20 日 14:45:58:
回答先: CIAの“EXファイル”拝見……日本関係のファイルもあるデよ 投稿者 佐藤雅彦 日時 2000 年 9 月 20 日 13:38:30:
いつも興味深い記事をありがとうございます。
----
★Disappearance of Mr. Masanobu Tsuji
(ツジ・マサノブさんというのが誰なのか、私は知らないので
コメント出来ません)
----
これは旧帝国陸軍参謀の「辻 政信」でしょう。
検索でこんなの出ました。
----
ラオス・ジャール平原に消えた国会議員・辻政信
(1995年執筆未完)
昭和36(1961) 年春、時の参議院議員・辻政信氏=当時58歳=がラオス・ジャール平原で失跡して、今年で34年になる。その間様々
な憶測が流れたものの、結局、「パテト・ラオ(ラオス愛国戦線)兵士に銃殺された」との説が有力となり、その後事件は忘れ去られ
た。61年のラオスといえば、左と右、加えて中立派に分かれての内戦が激化していた最中で、内戦は右派=タイ・米国、左派=ベトナ
ム・ソ連・中国といった大国間の代理戦争の様相を色濃くしていた。その渦中に飛び込んだ辻政信氏は「ケネディ米大統領とベトナ
ム・ホーチミン主席を取り持つんだ」と北ベトナム潜入を洩らしていたという。今回はこの失跡事件について考えてみる。
【辻 政信氏】 陸軍で“作戦の神様”といわれた戦術家。ノモンハン、マレー、ビルマなどの作戦に参謀として参加、軍を指揮し
た。終戦でバンコクから姿を消したが、僧に変装してタイ、ラオス、ベトナム、中国を経て帰国。その体験を毎日新聞社から「潜行三
千里」として戦犯時効後に発表した。追放解除後すぐの昭和二十七年、衆議院議員に初当選。四選後、一転して参議院議員になった。
議員在職中の昭和三十六年四月ラオスに飛び、僧衣姿のまま行方不明となり、ミステリアスな話題を巻き続けた。
♯兄は生きている
今から5年前、たまたま古本屋で手にした本から「辻ミステリー」を知り、好奇心おもむくまま、辻政信氏の実弟・政良さんに会うた
め、石川県小松市の自宅を訪ねた。政良さんはその時、76歳で、本で見た辻政信氏とそっくり。戦後、文房具の行商から身を起こし、
今は市役所前に店を構える。現在、商売の方は息子夫婦に任せ、悠々自適の暮らしぶりで、突然の珍客をも暖かく迎えてくれた。
「生きていれば89歳。山で鍛えた足腰と軍で養った精神力。生きていてもおかしくない」。自分に言い聞かせるように政良さんは言
う。自身、航空隊員であった政良さんにとって、石川・山中町の雪深い僻村から陸軍士官学校に進み、「作戦の神様」とまで呼ばれた
兄は幼い頃より憧れと尊敬の的だったのだ。
そんな政良氏の元に、当時(筆者が訪問した90年) 、バンコクから一通の手紙が届いていた。差出人はタイ在住の中国人Aさん。
この中国人Aさんは、辻氏の著書「潜行三千里」に登場する人物で、終戦後、戦犯追及を逃れて地下に潜行した辻氏を助けた中国国民
党政府系特務機関「藍衣社」の一員であったという。在京の報道機関に辻氏の家族についての問い合わせがあり、実弟・政良さんの住
所を本人同意の上教えたところ、タイ・バンコクから手紙が届いたというわけだ。
手紙は中国語で、辻氏の古い友人である旨の挨拶文。政良さんが返信で証拠を求めたところ、辻氏からもらった腕時計の写真が送られ
てきて、政良さんも「兄のものである」ことを確認した。この時計については「「潜行三千里」のなかにも記述がある」と政良さんは
言うのだが……。
実際、辻氏の失跡後、様々な怪情報が東京の留守宅に寄せられた。政良さん宅にも少なからず情報提供の申し入れがあったという。最
近になってもある日本人冒険家が「ぜひ見つけ出してみる」と金を無心してきたと、政良氏は言う。だからうかつに情報提供者が信じ
られなくなっているのだった。そんな政良氏も、このバンコク情報には心が動いたようではあった。
(未完)