Tweet |
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■イタリアの台頭と“オリーヴの栄光”■
今、これからの時代、わたしたちが決して目を離してはならない国、
それはイタリアである。今世紀末の破局の前に必ずや頭角を現わし、世
界の流れを一変させてしまうであろうこの国の役割について、麻原尊師
はこう説かれた。
イタリア、ドイツという、もともと戦争好きの国の台頭してくる。こ
れはいつもの世界大戦の構図を表わしている。
91/11/30 京都東部文化会館(予言セミナー)
わたしたちが注目をしなければならない国、それはイタリアだなと見
ることができるでしょう。そして、確かに第一次世界大戦にしろ、第二
次世界大戦にしろ、イタリアという国は非常に重要な役割を演じていま
す。戦争を勃発させている国です。
94/12/4 第4サティアン(エウアンゲリオン・テス・バシレイアス)
確かにそのとおりである。現代日本人の一般的感覚では、イタリアと
聞けば、それはファッションであったり、イタメシであったり、あるい
はサッカー中田の晴舞台、といった連想を抱くかもしれない。しかし、
このイタリアという国は、「マキャベリズム」に代表される権謀術数の
国、そして、ムッソリーニ率いる「ファシスト党」にその名が由来する
ファシズム発祥の地である。今世紀に勃発した2度の世界大戦をいずれ
も煽動した、文字どおり「戦争好き」の国であり国民性なのだ。
今世紀末、三たび人類を震撼させるべく、予言の定めに従って世界史
の舞台に引きずり出されるイタリア。この尊師の予言を裏付けるように、
イタリアと西洋キリスト教2千年の歴史に関わる、まさしく世紀の大予
言が、カトリックの総本山バチカンの秘密予言として伝えられている。
知る人ぞ知る、聖マラキの予言である。
マラキは、11世紀末のアイルランドに生まれたカトリックの聖職者で
ある。若くして司教に登用され、その後大司教としてキリスト教伝道に
大きな貢献のあったマラキは、死後、その功績によってアイルランドの
聖職者として初めて“聖人”に列せられる。生前から様々な奇蹟をもた
らし、かのノストラダムスと同様、自らの死期を予言し、そのとおり静
かにこの世を去ったという。
この聖マラキが、生前書き綴った予言書が後世に伝えられた。しかし、
「生命の木」と題されたこの予言の書が世に出たのは1595年。マラキの
死後、実に450年もの間、だれの目にも触れることなく、必要とされる時
が来るのを待っていたのである。仏教的にいえば、これはまさに埋蔵経
である。
そこに記された聖マラキの予言というのは、12世紀のクレティヌス2
世以後の112人のローマ法王の特徴を、ごく短いフレーズで言い当てた
ものである。そして、それが絶妙なのである。
例えば、97番目の《どん欲な鷲》はピオ7世を指す。ピオ7世は、
“鷲”をシンボルとするナポレオン1世との間に生涯確執が続いた。
108番目の《花の中の花》はパウロ6世で、《花の中の花》とは紋章学
ではユリの花を意味する。パウロ6世は即位前、ミラノの大司教を務め
ていたが、その紋章はユリであった。
そして現法王、ヨハネ・パウロ2世は110番目の《太陽の労働》De
labore Solisである。ポーランド出身のヨハネ・パウロ2世は、ヨーロッ
パの東方、すなわち太陽Solisの昇る国から選ばれた労働者labore出身の
法王である。また、20年の在任期間中、117カ国を渡り歩いたその業績
に対しては、「行動laboreする法王」という評価が定着している。
そして、マラキの予言は112番目の法王を最後に打ち切られている。
これに従うならば、ローマ法王はあと2人しか出ない。111番目の法王
は《オリーヴの栄光》。そして最後に来る法王《ローマ人ペテロ》には、
特に異例の表現が与えられている。
「ローマ聖庁が最後の迫害を受ける間、ローマ人ペテロが法王の座に就
く。ローマ人ペテロは多くの艱難の最中、子羊を司牧する。この苦難が
去ると7つの丘の町は崩壊し、恐るべき審判が人々に下される。おわり」
ローマ法王庁、あるいはキリスト教そのものを破滅に至らしめる「恐
るべき審判」の直前に登場する2人の法王。「オリーヴ」といい「ロー
マ人」といい、この言葉はイタリアという国を強く示唆する。
このように突如として訪れる凄惨な「おわり」の時の、今はまさに直
前の時期にあたる。1978年の即位以来、在任期間がすでに歴代2位の長
きにわたっているヨハネ・パウロ2世を法王として戴くこの世紀末は、
まさに《オリーヴの栄光》一歩前なのだ。
そして1998年秋。2年前、イタリアで始まった新しい政治の流れ《オ
リーヴの木》とそれに続く欧州政治の大きな潮流が、今新しい段階を迎
えようとしている。自由な予言の想像力に委ねられていた《オリーヴ》
の息吹が、いよいよ現実の歴史の射程に入ってきた――。
(以下次号)