芸術活動とは、芸術そのものの中に存在しているのではない
心で捉えたすべての芸術がともに流れ、
<無>の中で魂と宇宙が調和し、
現実に現われる奥深い世界に入り込む
<ブルース・リー著 タオ・オブ・ジークンドーより>
霊妙な万物創造の力ある気と、その気の気の持つ幽玄微妙な霊智とは、なんと、
<人間の心の態度で、これを受け入れる分量が非常に相違してくる>ということ
を私の心が考えてくれたのである。人間の心が病や運命を気にしないという
積極的状態であるとき、すなわち心が<無念無想>に近い状態であれば、宇宙
にすき間無く遍在している、幽玄微妙な気を持つ霊智を受け入れる分量が多く
なるが、肉体から発生する本能とか感覚に心が縛られて、心の融通性の極めて
狭い消極的な心になるとその受け入れ態勢を妨害することになり、この尊い力
も、働きも十分に生命の中に受け入れることができない。人間の運命も健康も
それを完全なものにするには結局心の持ち方だと思った。そして目に見えないが
宇宙の一切を支配する不思議なエネルギーを我々の生命に受け入れるのも、
またそのエネルギーを全生命に分配するのもこれは神経が行なっている。そして
その神経は肉体の中にあるが、肉体の中に存在するだけで、肉体から受ける
影響も全然ないことはないが、それは相対的であり、心から受ける影響が絶対
的である。ということがわかってきたのである。
ーー運命を拓く 中村天風 講談社
(コメント)
ブルース・リーの墓には、<無>という文字が刻まれているそうです。世界中の
数多くの歴史に名を残す人物がこの心を無の状態にした時に現われる驚異的
な力のことについて、説いています。そしてそれは言葉によって説明することは
できず、瞑想によって体感する意外に知る方法はないとも言っています。
中村天風
30歳にして当時は死の病であった結核にかかり、
死病を直すために世界を放浪、その間コロンビア大学で医学をおさめるも、
病状悪化して帰国の途上、ヨガの聖人カリアッパと運命的に出会いインドへ。
2年数カ月ヒマラヤ山麗でヨガの修行、結核をも完治し日本人初のヨガ
直伝者となる。37歳、インドから帰国すぐ実業界に進出し、東京実業貯蔵
銀行頭取はじめ、大日本製粉(いまの日清製粉)など数社の重役として活躍
43歳のとき突然すべてを投げ打って、日比谷公園で大道説法をはじめる。
その波瀾に満ちた半生から生まれた「人生成功哲学」は触れる者をたちまち魅了、
時の総理大臣、原敬が「この人は大道で講演させておく人ではない」と認め、
東郷平八郎はじめ有力者が次々に門下生となる。以降、1968年92歳で亡くなるまで、
戦前戦後の各界の頂点を極めたリーダーたちに強い影響を与えつづけた。
ブルース・リー
武道家、映画俳優で知られているブルースは、
武道だけでなく、東洋思想(道教・禅)の研究家でもありました。