ーーーヨーゼフ・キルシュナー
こんなことを考えたことは、ないだろうか。<私たちは、みんな他人のあら捜し
ばかりしている。そして、他人の欠点が見つかったとたん自分の方が偉いよ
うな気分になる。どうしてそんなにあら捜しするのだろうか>この疑問に答え
るのは簡単だ。私たちは他人を蹴落とすことによって自分の地位を高めよう
としているのである。<君は、また失敗したね。>というのは、実は<僕のほ
うが、君より上なのだ。>と言っているのと同じだ。こんなふうにして幸福感
や優越感を抱くのは、全く持って卑怯なことだ。誰もがそう思うだろう。他の
人をけなして、自分がいばる必要なんかない。良い人は、他人がなんと言お
うとも良い人なのだ。つまり、<他人を負かさなければ自分が勝者だと確信
できないような人は、本物の勝者ではない。そのような人は敗者がいなくなって
しまったら勝者でも何でもなくなってしまう。とすると本物の勝者とは、どのよう
な人のことを言うのだろう。本物の勝者とは、<敗者を必要としない人>つまり
自分らしく生きれればそれで十分な人である。自分に勝つことが肝心だと思
う人は、他の人を相手にして戦う必要など全くないのだ。<他の人と自分を
比べた場合、どちらが上だろうか>などと気にしている人は、ゆったりとした
気持ちでいることは、できない。のびのびとした生活ができないのだ。人生に
勝つというのは、出世したりお金持ちになったりすることでなくて、自分に
ふさわしい生活を送ることである。他人に強制された生活や他人の言動に
左右される生活ではなく、あなた自身が本心から望んでいる生活を
送ることなのだ。
−−人に振り回されずに生きる13の法則 主婦の友社
ヨーゼフ・キルシュナー
政治家、スポーツ選手などのコンサルタント。ドイツにおいて、過去20年
以上に渡って自己啓発分野のベストセラーを執筆する。
(コメント)
マラソンのキューちゃんこと、高橋尚子選手が、オリンピック大会前に
小出監督から、あまりにライバルの情報をふきこまれるものだから、
監督に向かって一言、<私のライバルは私自身です。>と言ってのけた
そうです。大会後のインタビューでの一言<とっても楽しい42キロ
でした。>という言葉も印象に残っているのは、多分私だけでは、ないと
思います。高橋選手は、最大のライバルを自分自身におき、マラソン自身を
本当に楽しんでたんだなと思います。もし他人とくらべて、記録争いを
してたら、試合後のインタヒューでたぶんこんなセリフがでたことでしょう。
<とっても苦しかったけど、負けずに走りぬきました。>って。
同じ勝負するんだったら、もちろん楽しいほうが良いに決まってますよね。