★阿修羅♪ HOME >

-----Japan On the Globe(173) 国際派日本人養成講座----------
_/_/
_/ 地球史探訪:アヘン戦争
_/_/ 〜林則徐はなぜ敗れたのか?
_/ _/_/_/  世界の中心たる大清帝国が、「ケシ粒のような
_/ _/_/ 小国」と戦って負けるとは誰が予想したろう。
-----H13.01.21----31,649 Copies----205,877 Homepage View----

 

■1.失敗の予感■

 1838年 (道光18)11月,湖広総督・林則徐(りんそくじ
ょ)は時の清国皇帝・道光帝から欽差大臣(皇帝の命により全
権を与えられた特命大臣)として、イギリス商人によるアヘン
密輸入根絶の勅命を受け、広東に向かった。出発に際して、林
は、

 死生は命なり。成敗は天なり。(生き死には運命であり、
事の成就、失敗は天命である。)[1,p145]

 と語って涙を流したという。失敗を予感していたのであろう。
この予感は当たり、清帝国はアヘン戦争敗北の代償として莫大
な賠償金をとられ、香港を割譲し、これ以降、列強の餌食にな
っていった。

 当時の清国のある高官は、英国を「ケシ粒のような小国」と
呼んだ。その英国に、世界の中心たる大清帝国が戦って敗れよ
うなどと、林則徐以外に誰が予想できたろう。林は、そして清
国は、なぜ敗れたのか?

■2.英国のアヘン輸出の狙い■

 当時、中国から輸入される茶は、英国人の生活の必需品であ
った。ところが英国から輸出できるものは何もない。ここで英
国が目をつけたのがインド産のアヘンであった。インドからア
ヘンを中国に輸出し、そのインドにはイギリスの工業製品を売
り、そこで得た代金で英国が中国茶を買う、という三角貿易を
成立させた。

 しかし中国ではアヘン中毒患者が激増し、1838年当時の輸入
金額は1400万両以上に達していた。清朝の年間歳入4千万両の
実に1/3以上である。輸入超過は支払いのための銀の流出を
招き、銀貨の高騰が税金を実質的に高めて、農民を苦しめた。

 清朝はアヘン輸入を禁じたが、アヘンの価格を高騰させ、密
売の利益を高めるだけで、密輸入は後を絶たなかった。英国の
商船と清国の密売人が、賄賂として2%の現物を警備当局に納
めると、見逃してくれるだけでなく、清国海軍が密輸船を海賊
から保護までしてくれる。当局は賄賂の半分を自分の懐に入れ、
残りは「密輸入品取り押さえ」の証拠として政府に提出する、
という見事な密輸入システムが出来上がっていた。

 手を焼いた清国朝廷で、アヘン厳禁論が起こり、その具体的
な政策を提言した林則徐の上奏文が皇帝の目にとまり、特命全
権大臣としてアヘン撲滅を命ぜられたのだった。

■3.戦いの開始■

 どうして汝らの国でさえ吸食しないアヘンをわが国に持
ち込み、人の財を騙し、人の命を害するのか? [1,p152]

 1839年2月4日、林則徐はこのような書面をアヘン商人達に
つきつけ、積み荷のアヘンをすべて供出するように命じた。こ
の時のイギリス貿易監督官チャールズ・エリオットは、いった
んは要求を拒否したものの、林則徐による広州のイギリス商館
封鎖という強攻策に屈して、イギリス商船が持ち込んでいたア
ヘン2万283箱(1425t)を中国側に引き渡させた。林はこの
大量のアヘンを衆人環視の中で焼却して、アヘン撲滅の決意を
見せつけた。

 さらに林則徐は「将来アヘンを中国に持ち込まない。もし違
反した場合には積荷は没収、人は処刑されても構わない」とい
う誓約書の提出を求めたが、エリオットはこれを拒否し、広州
に滞留するイギリス人全員をマカオまで退去させた。

 5月27日、香港の対岸で、イギリス人水夫達が上陸し、酒
に酔って、一人の中国人を暴行し、死亡させるという事件が起
こった。林則徐はただちにエリオットに犯人を中国官憲に引き
渡すよう要求させた。エリオットは犯人不明と称して拒否した
が、林則徐はマカオに移ったイギリス人商人に対して、食糧供
給を絶った。エリオットは50数家族とともに、沖に停泊中の
イギリス貨物船に移った。

 ここにイギリス軍艦ボレジ号、続いてヒヤシンス号が到着し、
誓約書を提出して正常な貿易を再開しようという一部のイギリ
ス商船を押さえつつ、清国軍艦や砲台を攻撃して、小競り合い
を繰り返したが、清国側は林則徐のもとに一致団結して反撃に
転じ、イギリス船を外洋に追い出した。

 道光皇帝は林則徐の果断な処置を「朕の心はために深く感動
す」と賞賛した。

■4.イギリス軍来襲■

 英本国では、政府が議会で清国への派兵を提案した。グラッ
ドストン議員は、「その原因がかくも不正な戦争、かくも永続
的に不名誉となる戦争を、私はかつて知らないし、読んだこと
もない」と反対した。しかし投票の結果は、271票対262
票の僅差で戦費の支出が承認された。

 兵員4千、軍艦16隻、大砲540門、輸送船および武装船
等32隻からなる派遣軍が1840年6月に清国の近海に姿を現し
た。イギリス軍はいったんは広州湾を封鎖したが、林則徐によ
って固められた防備に乗ずる隙がないと見ると、北上して上海
の近くの定海を襲い、さらに北京を指呼の間に臨む天津沖に姿
を現して、英外相の書信を北京政府に手渡した。それには没収
したアヘン代金の賠償、謝罪、沿海の島の割譲などを要求して
いた。

 宮廷の権臣たちは動揺した皇帝を説得して、イギリス側が要
求もしていないのに、林則徐を罷免させ、「国を誤り、民を病
しめること、これより甚だしきはない」と叱責させた。

■5.清国が防備を固めて持久戦に持ち込めば、、、■

 林則徐は、このような事態を正確に見通していた。イギリス
艦隊が広東に姿を見せた時に夫人に送った手紙にはこう書いて
いる。

 いま、イギリスの兵船は中国海域に現れたが、広東
に対してはどうすることもできないと分かれば、きっ
と他の省に対してその矛先を向けるに違いない。だが、
他省の海港には何ら防備がなされていないから、諸省
の総督・巡撫は、少しでも自分たちに都合の悪い事態
が出てくれば、罪を余になすりつけて、余の誤った処
置が敵の攻撃を挑発したと非難することであろう。余
としては、その是非をただ公論にゆだねるのみである。
[2,226]

 まだ清国は、イギリス軍の攻撃にほんのかすり傷を受けたに
すぎない。自国の広大な領土、厖大な人口を考えれば、戦いは
序の口であった。一方、イギリス軍も、定山占領後、4千の兵
員のうち、マラリアや赤痢などで4百数十名の死者を出してい
た。またイギリス本国からの兵員の補充、武器弾薬の輸送は膨
大な負担となっている。

 さらにこの戦争で貿易を阻まれている各国の商人は、みな憤
懣の情を抱き、本国から兵を呼び寄せてイギリスと戦おう、と
いう声すらあった。イギリスは進退窮まっており、清国が防備
を固めて持久戦に持ち込めば、敗退の運命にあった。

 林則徐は最後の抵抗として皇帝に出した上書の中で、次のよ
うに述べている。

 広東の海関は道光元年以来すでに3千万両の銀を徴収し
ておりますが、その利益は当然外夷(海外の野蛮国)の侵
攻を防ぐために使われるべきであります。もし、これまで
の関税の十分の一を大砲と軍艦の製造に投入しておりまし
たならば、彼等を制することまことに容易であったであり
ましょう。・・・現在、広東の各地は厳重な防備を備えて
おり、敵の乗ずる隙はございません。[2,p230]

■6.清国の敗北■

 しかし、この上書は「たわごと」と退けられた。林則徐の後
を継いだ?善(きぜん)はイギリスのご機嫌取りのために、林
則徐が雇い入れた水勇(義勇兵)をすべて解散し、英艦の侵入
を防ぐために港に敷設していた筏(いかだ)や鉄の鎖を取り払
った。

 ?善は香港割譲などを含む仮条約を結んだが、英軍が天津を
離れて危機感の薄らいだ皇帝は、強硬姿勢に変わり、「土地は
寸度と言えども割譲することを許さない」として、再びイギリ
スに宣戦布告をした。

 しかし防備を解いた広東は、イギリス軍の攻撃にひとたまり
もなかった。また広州に送られてきた4万の外省兵は、城外に
英軍が迫っているというのに、城内で民家を略奪し、暴力沙汰
を繰り返したので、住民と外省兵が戦うありさまであった。さ
らに英軍の手先となって偵察をしたり、軍夫として英軍の大砲
を引いたり、さらには清国兵船を焼いたり、清国軍を襲撃した
中国人も多かった。

 1842年8月29日、道光帝は和議に同意せざるをえなくなり、
江寧条約(南京条約)が結ばれた。香港割譲、広東・廈門他5
港が開かれ、さらに没収アヘン代金、英軍遠征費用など21百
万ドルの支払いが約束された。大清帝国の威勢は地に落ち、列
強による中国半植民地化への動きが始まった。

■7.清国はなぜ敗れたのか?■

 林則徐が広東で実施し成果を上げた政策と防備を中国全土に
展開できていれば、アヘン追放に成功し、英軍を撃退すること
ができていたのは間違いない。

 その林則徐を背後から倒したのは、彼の成功を妬み、国家の
安泰よりも、自身の権勢を先にする権臣たちが、皇帝を左右し
たからであった。また国防に十分な努力も払わず、アヘン密輸
を手助けして賄賂をせしめていた地方行政官たち、収入を得る
ために英軍の手先になった兵員たちも同罪である。これらの人
間に共通しているのは、国家という「公」よりも、私利私欲、
すなわち「私」を優先させていたことだ。

 「公」よりも「私」を優先していた、という意味では、道光
帝自身も同じである。英軍が遠い広東で戦っている間は強硬姿
勢をとっていたのに、北京に近づくとすぐ屈服してしまったの
は、国家の独立よりも自らの安泰を優先していたものと言わざ
るを得ない。

 皇帝から、権臣、地方役人、兵員にいたるまで「私」の横溢
する国家の中では、林則徐の「奉公」は孤独な、かつ無益な努
力であった。林自身、それを知っていたからこそ、皇帝から欽
差大臣に任命された時に、「死生は命なり。成敗は天なり。」
と言って涙を流したのであろう。失敗して失脚すると知りつつ、
なおもアヘン撲滅に立ち上がった林則徐こそ、真の愛国者と言
わねばならない。

■8.アヘン戦争とペリー来航■

 アヘン戦争終結の11年後にペリーがわが国に来航した。ペ
リーが幕府に白旗を渡して、開国要求を聞かなければ戦争にな
り当然日本が負けるから、降伏する時にはこれを用いよ、と脅
した事実はすでに本講座149号で紹介した。わが国も清国と同
様の危機がやってきたのだった。[a]

 この時に、吉田松陰が決死の覚悟で黒船に乗り込み、欧米の
軍事技術を学ぼうとした[b]。こうした多くの志士たちの献身
的な活躍の結果、迫り来る欧米勢力を前に、わが国は明治維新
を断行して近代国家建設に成功し、その成果が日露戦争勝利と
なった[c]。日露戦争とアヘン戦争とは、日中両国それぞれの
近代世界システムとの対決であるが、その過程も結果も対照的
であった。

 開国と攘夷、尊皇と佐幕と、日本国内でも鋭い意見の対立は
あったが、それらは政策の違いであって、どちらの側にも国を
売ってまで、保身を図ろうとする人物はいなかった。最後の将
軍・徳川慶喜が潔く大政奉還をしたのも、徳川家という「私」
より国家の統合と独立の維持という「公」を優先した証左であ
ろう。

■9.「奉公」の精神を点火した「無私」の祈り■

 この慶喜の父、徳川斉昭は水戸藩主としてペリー来航時に幕
政参与として重きをなした人物だが、次のような歌をのこして
いる。

 身は辺地に在りと雖も心は皇室を奉ず
大君につかへささぐる我がこころ都のそらに行かぬ日ぞな


 その都の空のもとでは孝明天皇が次のような御製(天皇の御
歌)を詠まれていた。

あさゆふに民やすかれとおもふ身のこゝろにかゝる異国
(とつくに)の船
すましえぬ水にわが身はしずむともにごしはせじなよろづ
国民

 1首目は、黒船を国の独立と民の安寧を脅かす存在として受
けとめられ、重苦しい不安を感じられていた事が窺われる。2
首目はご自身の身は澄ましえぬ汚濁の水に沈もうとも、千万の
国民が植民地化された諸国民のように、隷従の憂き目にあうよ
うな事があってはならない、という祈りであろう。

 このような無私の祈りが国家の中心にあり、それが幕府の要
人にも、草莽の志士にも、「公」を思う気持ちを点火したので
ある。林則徐が孤独に抱いていた「奉公」の精神は、わが国で
は朝野に充満しており、それがわが国を植民地転落の運命から
救ったといえよう。
(文責:伊勢雅臣)

■リンク■
a. 149 黒船と白旗
 ペリーの黒船から手渡された白旗は、弱肉強食の近代世界シス
テムへの屈服を要求していた
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h12/jog149.html
b. 038 欧米から見た日本の開国−吉田松陰
 ペリーの船に乗り込んで海外渡航を目指した吉田松陰の事件は、
スティーヴンソンをして「英雄的な一国民」と感嘆させた。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h10_1/jog038.html
c. 048 「公」と「私」と
 山桜集や歌会始の入選歌にも見られるように、日露戦争は一人
一人の将兵とその家族が「私情」を吐露しつつ、それを乗り越え
て「公」のために立ち上がった戦いであった。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h10_2/jog048.html

■参考■(お勧め度、★★★★:一般向け〜★:専門家向け)
1. 「実録アヘン戦争」★★★、陳舜臣、中公文庫、S60.3
2. 「林則徐」★★★、堀川哲男、中公文庫、H9.4

_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ おたより _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
■前号「言挙げの方法」について  Joji WATANABEさんより

 私は、国際石油資本に10年、その後、アメリカ系のコンサ
ルティング会社を経て独立し、ODAのコンサルティングを1
0年以上しています。

 その経験から得られた結論は、欧米豪諸国は、「騙しのテク
ニック」や「言挙げ」どころか、自国の利益のためには、意図
的に日本や日本経済をPunish(罰する)をすることに躊
躇ないという点です。もちろん、他の正当に見える理由を使い
ますが。

 今回の松原久子氏の議論と関連しますが、私達日本人は、国
際社会での議論や仕事の方法を改善することが必要であると思
っています。特に、日本の政治家や政府官僚、なかでも、大蔵
省、文部省などは、国際競争(経済戦争)状況を考えずに、我
々国民の財産を無駄に使ってきています。

 自国の利益を守り、場合によっては、相手をやり込め討論を
するためには、英米大学の修士課程を卒業する程度では、不十
分です。ビジネスの中で、ディベートの経験をつみ、論理性あ
る議論をできるようにする訓練が必須です。同時に、良い意味
での自国の歴史に対するプライドとサムライ精神を取り戻し、
欧米人から見てガッツある態度も重要だと思います。国際社会
では、根幹となる文化や思想が、相手から尊敬をうけるための
必須の要素です。
(IEDI: 国際教育推進機構 http://www.iedi.org/ )

■ 編集長・伊勢雅臣より

 近年、ディベートの訓練を取り入れる企業が増えてきました
が、これは論理的な自己主張を習得すると同時に、欧米文化の
一端を理解するうえでも良い経験になります。

 読者からのご意見をお待ちします。本誌への返信で届きます。
掲載不可、匿名・ハンドル名ご希望の方はその旨、明記下さい。
欄掲載分には、薄謝として本誌総集編を差し上げます。

購読申込・既刊閲覧: http://come.to/jog お便り: jog@y7.net
購読解除: http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/quit_jog.htm
JOGのアップデイトに姉妹誌JOG Wing: http://come.to/jogwing
書籍版JOG発刊:A5判188ページ 定価1,000円+送料他560円
→千年紀書房 http://www.hexnet.co.jp/jog.htm
まぐまぐ27,737部 Macky!822部 Pubizine800部 カプライト815部

 

 

★阿修羅♪コメ:気に入った文章だったので、こちらに掲載しました。
そして、この人のページを見に行きました。

よくわからない。本当によくわからない。
同じことも、違う方向からコメントすると、別なことになる。
この人のページを見ていると、
大日本帝国、天皇、笹川、戦争が大好きになるぞ。
ものにはいろいろな見方がある。

なにが正しくて、なにが正しくないのか?
正しい、正しくない、は存在するのか?

情報提供者はなにを意図しているのか?
情報は正確か?
情報に偏りは無いか?

なにをすればいいのか。。。

 

 

 

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/ since 1995
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。