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本当は日本軍の大勝利だったノモンハン事件  五味川純平、司馬遼太郎の小説は虚構である [株式日記と経済展望]【日本がきちんとしたデータを公開していないのだから、
http://www.asyura2.com/biz0310/idletalk5/msg/137.html
投稿者 あっしら 日時 2003 年 10 月 03 日 19:41:58:Mo7ApAlflbQ6s


★ ソ連崩壊後の機密文書公開でノモンハン事件にも新しい照明が当てられているが、日本側がきちんとしたデータを公開していない(当時から損害状況を秘匿)のだから、比較して戦況をあれこれできる段階ではない。

ソ連側の公開情報参考資料:http://www1.odn.ne.jp/~aal99510/index.html8.htm

また、“威力”を持つ「戦車は、走行射撃もできない水準」は今でもそうだろうから、ソ連機械化部隊の能力を云々する根拠にはならない。(低速走行射撃は可能、高速だと横転などの結末になる)

五味川純平氏や司馬遼太郎氏を批判するのなら、関東軍参謀を経験し、ソ連の国力強化そして極東ソ連軍の軍備増強に大きな危惧を抱き、「統制国家日本=昭和維新」を通じての軍備増強を唱えた石原莞爾氏も批判しなければならないだろう。

鬼の首をとったかのように旧ソ連公開情報に飛びつく自由主義史観研究会は、“自慢史観研究会”と謗られないよう気をつけたほうがいい。
茂木弘道氏は冷静な方とお見受けします。

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2003年10月3日 金曜日

◆本当は日本軍の大勝利だったノモンハン事件 茂木弘道:http://www.jiyuu-shikan.org/frontline/moteki/nomonhan.html

一.昭和一四年に起こったノモンハン事件といえば日本軍がソ連の進んだ機械化部隊のために大敗した戦として、日本陸軍の愚劣さを象徴する事例にされてきた。五味川純平の虚構に満ちたベストセラー小説が、いつの間にか常識化してしまい、教科書にまで「ソ連は空軍・機械化部隊をくり出し、日本軍に死傷者二万人の壊滅的打撃を与えた」(日本書籍・高校日本史)と書かれているほどである。

二.これらは、基本的にソ連発表による「ソ連の損害九二八四名、日本軍の損害五万二千?五万五千」という情報をベースにしたものである。
  ところがソ連崩壊とともにこれはとんでもないウソであることが当のロシアから出てきた公文書によって明らかとなったのである。これまで出てきた資料では、ソ連の損害は二万五五六五で、日本の損害一万七四〇五を大きく上回っている。さらに資料が出てくると損害数が多くなると見られている。すなわちソ連の大デマ宣伝のお先棒を担いだに過ぎないのが、五味川であり、未だにその歴史偽造が大手を振ってまかり通っているということである。

三.ソ連の進んだ機械化部隊などというのも大ウソである。戦車は、走行射撃もできない水準であり、戦車戦では全く問題にならなかった。また日本軍の速射砲・高射砲のえじきになり、約八〇〇台が破壊されている。
  これに対して、日本戦車の損害は二九台である。航空戦でも、ソ連のイ15、16(布ばり機もあった)は日本の九七式戦闘機に対して全く太刀打ちできず、一六七三機の損害を出している。これに対して日本側の損害は一〇分の一の一七九機である。

四.日本軍が苦戦をしたことは事実であるが、それは少数の戦力で約一〇倍にもおよぶ敵と戦ったためである。
  まさかあんなところに二十数万もの戦力(ジューコフ中将指揮)を投入してくるとは思ってもいなかったこと、敵情把握の甘さ、戦力の逐次投入、そして政府中央の「ソ連を刺激しない」という不拡大方針などのために、日本軍将兵は約一〇倍の敵と戦うことになり、大苦戦しながらも果敢に善戦敢闘して、上に述べたような戦果を挙げたのである。
 これを大敗北などというのは、デマに惑わされた恥ずべき妄言であるばかりではなく、敢闘した将兵に対する許し難い冒涜行為でもある。

五.ようやく状況の重大さを認識した軍中央が本格反撃作戦を決意したことを知って、震え上がったスターリンは、リッペントロップを通じてヒットラーに停戦の仲介を頼み込む。不拡大方針をとる政府・軍中央は、一方的に国境侵犯攻撃をしてきたソ連軍の非をとがめること無く、これに応じてしまうである。増援部隊の集結を得て、反撃を期していた兵士は停戦命令に憤激したという。

六.もしこの時に反撃を行っていたら歴史は変わっていたであろう。 この二年前の昭和一二年には外蒙古で大規模な反乱計画があり、前首相・参謀総長を含む二万八千人が処刑されている。これは当時の人口八〇万の四%近くにあたり、それまでの粛清を加えると総人口の六%がソ連=共産党支配者によって虐殺されるという異常事態が進行していたのである。また昭和一四年にも千人が参加した反革命蜂起が起こっている。
  そのような反対派を押さえ込み支配を固めることを狙って、断固たる決意で行ったのが大兵力を結集した国境侵犯だったのである。 それが日本軍の反撃によって敗退することになったら、ソ連=共産党の外蒙古支配は完全に崩壊していたであろう。その結果、内蒙古・満州内蒙古人勢力と協力した親日の政権が生まれていた可能性が高いのである。

七.こうした歴史的事実を教えてくれる本が昨年出版された「ノモンハン事件の真相と戦果-ソ連撃破の記録」(小田洋太郎・田端元著)(有朋書院)である。歴史偽造を突き崩す貴重な情報を教えてくれる書である。
  多くの人に読まれることを願うものである。

◆教科書が教えない歴史の教科書のご意見箱:http://www.jiyuu-shikan.org/goiken/03/08/gmain.html#1

どちらが勝ったかという判断はおっしゃるようにいろいろな要素、基準が関係するので、一概には言えません。刺激的な言葉を敢えて使ったのは、一般的に日本軍がソ連の優秀な機械化軍団のために完敗した、という大嘘がまかり通っている状況に反論するる、というねらいもあってのことです。しかし決して間違ったことはいっていないと思っています。

まず、ノモンハンの戦いは日本軍の守備陣地にソ連軍が攻撃してきたといった、ものではなく、攻守入り交じった戦いでした。そもそも、ハルハ河という伝統的な国境線を越えて、しかも川幅70メートルもある河に渡河地点をいくつも築いて侵入してきて、いくつもの陣地構築をしたのに対して、日本軍が反撃したというのが基本線です。

河のこちら側に作られた陣地を攻めていくと対岸にあるこちらより高い丘陵の上に広く布陣した大砲群からの援護射撃を受け、日本軍は大いに被害を被るといった状況でした。ですから、一般的に言えば日本軍の方が被害を受けやすい環境下の戦いでした。この状況を一変させようとして、西岸への渡河攻撃作戦を一度試みますが、対岸でかなり戦果を挙げたものの予想したより敵兵力が多いこと、こちらの渡河地点は1ヶ所しかなかったので、補給、退路の心配があったので、十分な戦果を挙げずに引き揚げてしまいました。もっともこの時だけで、敵戦車400両近くを撃破し、終日のその燃える炎が空を焦がしていました。(日本側は戦車は渡河せず、したがって損害はゼロ)

ともかく、日本側は基本的に不拡大、侵入軍を撃退する、という方針だったのですが、相手は抜き差しならない事情があったのでした。外蒙古崩壊の危機です。六に書いたように、二年前には人口の4.5%を処刑する(日本でいえば、500万人)という地獄政権が共産政権だったのですが、その前にも何回も反乱が起っています。最近これを裏付けるラマ僧の大量処刑の骸骨が発見されたことが新聞で伝えられています。この外蒙(地上二番目の社会主義国)をソ連の支配下にとどめ置くために、一つは民族主義を煽り、満州国側への膨張政策を取ることによって、民心をつなぎ止め、二つには大量のソ連軍を送り込む口実を作り、反乱の可能性を押しつぶすことです。結局20万以上のソ連軍が入ってきましたので、総人口80万の外蒙は反乱どころではない状態になってしまいました。もう一つは、ドイツとの対峙、西方への進出を行う上で、一撃を与えることによって、日本にソ連の力を見せつけ北進の目を摘もうという意図がありました。日本との停戦協定調印の翌日9月17日にポーランドへの侵入を開始しました。

こういう背景でしたので、日本の不拡大方針をいいことにして、ソ連側は一気に軍の増強を図り、日本軍はその察知が出来なかったために、大苦戦をしました。しかし、10倍近い、近代兵器を持ったソ連軍に、こちらの1.5倍以上の死傷者を強いる戦いを行ったのですから、大健闘です。戦力2乗の法則というのがありまして、2倍の兵力は2の2乗すなわち4倍の戦力となるという法則があります。これから見ると、ものすごい兵力と戦ったことになります。しかし、どう見ても負けたとはいえませんし、3倍の軍を動員して反撃態勢を整えたところで、不拡大方針の軍中央につぶされた、というのが実態です。大勝利、といっても過言ではない健闘だったと思います。
自由史観研究会会員 茂木弘道


教科書が教えない歴史 自由主義史観研究会:http://www.jiyuu-shikan.org/

近代戦争日本史 ノモンハン事件概説:http://yokohama.cool.ne.jp/esearch/kindai/kindai-kokkyo21.html

ノモンハン事件は歴史上日本の大敗北であったと語られています。国境紛争なのでどちらが原因で紛争を起こしたのかはっきり分からない。損害については日本が二万人弱の死傷者を出したのに比べ、ソ連側は2万数千名の死傷者を出していたことが分かり、日本の大敗北とする日本の教科書は明らかに間違っている。

さらにはソ連側の戦車や飛行機の損害の大きさには驚かされる。日本軍が動員した戦車は100両ほどに対して、ソ連軍は1500両もの戦車を用意していた。戦果については日本軍の戦車が29両の損害に対し、ソ連軍戦車は800両もの損害を出している。飛行機においても日本軍が179機の損害に対してソ連軍は10倍の1673機もの損害を出している。

このような数字を見ると今まで読んできた半藤 一利著「ノモンハンの夏」や司馬遼太郎氏が書いてきたものとはかなり印象が違う。この数字は最近ロシアが公表したもので、この数字を見れば半藤氏や司馬遼太郎氏の著作物は何を基に書いたのだろう。教科書ですら大敗北と決め付けているから、日本人の自虐史観は救いようが無い。

司馬遼太郎氏は元戦車兵でノモンハン事件は興味があったはずだ。司馬氏は日本軍の戦車は敵の戦車を撃ち抜けず、敵のソ連戦車の大砲は日本の戦車を撃ちぬいたと書いている。しかしこれはデタラメだ。日本軍とソ連軍の戦車戦もあったが、日本軍は損害0に対しソ連は66両もの損害を出している。司馬遼太郎氏は何をもとにこんなデタラメを書いたのだろう。

先に紹介した茂木弘道氏は次のように書いている。

これは、おっしゃるような常識が実際と全く違っていたということなのです。確かに、ソ連の戦車の砲はカノン砲で、曲射砲の日本戦車より口径も、初速も勝っています。

ただし、当たらないことにはどうにもなりません。まず、ソ連戦車は、走行射撃が出来ませんでした。日本軍は勿論出来ました。ノモンハン戦には、日本軍は戦車を100両ほどしか動員していませんで、1500両近くを動員したソ連軍に圧迫されたのは事実です。戦車同士の戦いは数回しかなかったのですが、日本戦車には被害ゼロ、ソ連戦車破壊66両、というのが実際に起った結果でした。

では、どうして800両もの戦車を破壊したのかというと、その主力は速射砲でした。1000メートル以内ですと、ほぼ100発百中で、面白いように命中炎上したそうです。次に活躍したのがご存知、火炎瓶です。轟々と走ってきた戦車は過熱状態ですので、これが面白いように効果があり、炎上したことが記されています。ソ連の戦車と歩兵の連携が悪く、また戦車の機関銃射撃の動きが鈍いため、接近して火炎瓶をぶつけることが面白いようにできたと書かれています。次に、圧倒的に優勢な飛行機による攻撃。高射砲でも戦車を随分やっつけた記録があります。勿論各種の砲による破壊も多数ありました。日本軍は、100両のうち、29両が破壊され、内17両は修理不可能でした。

歴史的な事実のわい曲でも何でもなく、これが事実起ったことです。もともと日本軍は、アメリカ陸軍との本格対決を想定していず、またソ連に本格侵攻する予定もありませんでしたから、戦車に侵攻の主力をになわせる、という戦略をとっていませんでした。砲兵、歩兵の補助部隊です。ですから、その後のアメリカとの対決、終戦間際の強盗ソ連との対決では戦車で苦戦しましたが、言わばこれはやむを得ない事情でした。

このように戦車や飛行機の戦いは日本軍がソ連軍の10倍以上もの戦果を上げたのに、歩兵の死傷者が多かったのは、1500両もの戦車に包囲されて逃げ出せず、日本軍もこれから救出する時点で休戦となったからだ。日本軍兵士は捕虜となることを恐れて自決した兵士も多かった。

五味川純平氏や、司馬遼太郎氏や、半籐一利氏などの作家は正確な資料を基に小説を書いてはいない。私は司馬氏の「坂之上の雲」や五味川氏の「人間の条件」などはもちろん読んだ。大変な力作の大河小説だが、軍事的なことや戦略的なことに対しては、小説家として限界を感じた。彼らの小説は旧日本軍を批判したいがためのプロパガンダに近いものがある。

司馬遼太郎氏はおそらくヘレン・ミアーズの「アメリカの鏡・日本」を読んでなかったのだろう。五味川純平氏も大戦末期の満州のソ連軍の印象が強すぎたのだろう。少なくともノモンハン当時のソ連軍は日本軍の敵ではなかった。日本軍は大損害を出したことは間違いない。しかし10倍もの敵と相対し、ソ連軍の被害のほうが多かったことは奇跡に近いことだ。

http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu55.htm

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