共同通信
配信内容の差し替え例。長くなってスミマセン。
◎加害、被害の問題浮き彫り 本島市長発言 共同通信 7/29 21:11
「原爆は落とされるべきだった」との考えを示した本島等前長崎
市長は昨年4月、原爆ドームの世界遺産登録を批判する「広島よ、
おごるなかれ」と題する論文を発表。「大戦への反省があれば遺産
登録はなかった。被害だけを強調する広島は自己中心的」と主張、
被爆者団体などから激しい反発を受けていた。
今回の発言は原爆による被害を過小評価する行動とも受け取れ、
被爆者たちとの溝は深まるばかり。日本による加害と被害の問題の
難しさを浮き彫りにした格好だ。
かつては「原爆投下はユダヤ人大虐殺と並ぶ罪」と発言した本島
氏が「原爆容認論」にまで思想を転回させた直接のきっかけは、1
995年に東京で米国人記者から受けた質問だ。
「戦争終結を早めた原爆とユダヤ人大虐殺が同じなら、トルーマ
ンとヒトラーは一緒か」。この質問で、敬けんなクリスチャンでも
ある本島前市長は「投下を許し、アジアに謝罪することが必要」と
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考え直すようになったという。
この原爆投下を許す思想に対し、被爆者の多くは「肉親を失い、
死の苦しみを味わった被爆者に責任があるのか」「被爆者の苦しみ
が分かっていない」などと反発。
ある関係者は「本島氏一流の計算だろう」と話し、反発が起こる
ことを十分予想した上で、論議を巻き起こす戦略ではないかと指摘
している。
(了)
[共同 7月29日] ( 1998-07-29 21:11 )
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◎「原爆投下仕方なかった」
本島前長崎市長=差替
昭和天皇の戦争責任について発言したことで1990年1月、右
翼の銃撃を受けた本島等前長崎市長(76)は29日、共同通信の
インタビューで、第二次世界大戦末期に米国が広島と長崎に原爆を
投下したことについて「日本が(終戦までの)過去15年間にわた
ってやってきた非人道的な行為を考えると、原爆の投下は日本に対
する報復としては仕方がなかった。落とされるべきだった」などと
語った。
本島氏は95年4月の市長選に落選後、各地の講演会などで原爆
について「投下を許し、日本はアジア諸国に謝罪することが必要」
と説いて回っていた。しかし、原爆投下を「容認」するまで踏み込
んだ発言は今回が初めてで、被爆者団体などからは反発の声が上が
っている。
本島氏は第二次世界大戦について「(日本による)南京大虐殺、
三光作戦、731部隊などは残虐の極致。日本人の非人間性、野蛮
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さが出ている」と指摘。「中国などにとっては原爆は救世主だった。
(日本は)一度戦争に引きずり込んだのだから(原爆投下は)最初
から覚悟していたのではないか」と述べた。
現在、世界に配備されている核兵器と、投下された原爆との関係
については「あの当時の原爆はおもちゃのようなもの。当時の考え
方からすれば通常武器の一種だったと考えざるを得ない」とし、原
爆による被害は現在の核兵器による被害とは比べものにならないほ
ど小さいとの認識を示した。
さらに昨年の「長崎原爆の日」に、伊藤一長現市長が読み上げた
平和宣言文の中から、初めてアジア諸国への謝罪の文言が消えたこ
とについて「謝罪のない宣言文なんて日本以外はだれも相手にしな
い。逆に(他国が)悪意を抱く」と批判。「宣言文は(日本の加害
・被害の問題を考える上で)年々後退している。憂うべき問題だ」
と語った。
(了)
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[共同 7月29日] ( 1998-07-29-22:18 )
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