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2024年12月31日11時00分 〜
記事 [政治・選挙・NHK296] 「内部告発の“犯人探し”を徹底」兵庫県庁の職員は“特定”を恐れて顔も手も隠し…それでも「クロ現」に証言した“壮絶な背景”(文春オンライン)


「内部告発の“犯人探し”を徹底」兵庫県庁の職員は“特定”を恐れて顔も手も隠し…それでも「クロ現」に証言した“壮絶な背景”
https://bunshun.jp/articles/-/75803
2024/12/29 水島 宏明 文春オンライン

 パワハラ疑惑・おねだり疑惑などの対応をめぐって県議会議員の全会一致の不信任決議案可決を受けて前知事の斎藤元彦氏が失職したことで実施された兵庫県知事選挙。11月17日に投開票が行われて斎藤氏が再選を果たした。

 これまでの数々のテレビ番組で改めて注目したいのが10月2日にNHKが放送した「クローズアップ現代」だ。タイトルは「兵庫県職員30人の告白“もの言えぬ空気”はなぜ生まれたか?」として、選挙前の斎藤県政がどのように運営されていたのか。それを職員の声を中心に再現した番組だ。(全2回の2回目、前編から続く)


(NHK「クローズアップ現代」10月2日放送より)

◆ ◆ ◆

「特定」を職員たちが恐れている

 登場する職員らはみな匿名で声もボイスチェンジャーといって元の声を変質させて誰かわからないような形で証言していた。顔も隠しているが、筆者が特に注目したのは、「顔」を出さないだけでなく「手」さえも手袋をはめるなどして証言者を特定されないように通常の何倍も気をつかっていたことだ。手であっても直接撮影した映像を出さない周到さ。体型などもわからないように、上着などを着せて証言させている。それだけ「特定」されることを本人たちが恐れているという証左なのだろう。


(NHK「クローズアップ現代」10月2日放送より)

 斎藤知事の“側近”たちは2024年3月の内部告発にあたっての犯人探しを徹底して行い、亡くなった元県民局長に対しても「誰がどういうことを言っているのか」について、かなり執拗に追及し、元県民局長に同調する人間が誰なのかを聞き出そうとしていたという。

 これが取材や撮影にあたっては慎重すぎるほど、慎重に本人が特定されないようにした背景だと思われる。

職員が目にした「問題がありすぎて、問題しかない調査」

「クローズアップ現代」では、斎藤知事のパワハラ疑惑やおねだり疑惑などをメディアなどに告発した元県民局長(懲戒処分を受けた後で自死)に対する県庁側の対応も焦点にしている。パソコンの調査で元局長が告発者だと特定されて、知事の側近だった片山安孝・前副知事が元局長に詰め寄る場面は言葉づかいも高圧的だ。

 かつて人事課にいた職員は幹部たちの対応に違和感があったと証言した。

「書かれていることが事実かどうかをまず調べるのが通常だが、『誰が書いたんだ』『誰が情報を与えたんだ』という調査方法はやっぱり異様というか問題がありすぎて、問題しかない調査」(かつて人事課にいた職員)

 片山前副知事が元局長に聞き取り調査をした際の音声記録によると、

「知事のパワハラ……」(片山前副知事)

「それはでも対外的に出てないじゃないですか」(元局長)

「出てへんから、なんでそれを知っとるんやって聞きよるんやないか」(片山前副知事)

「いや、噂……」(元局長)


片山安孝前副知事(NHK「クローズアップ現代」10月2日放送より)

 元局長は根拠をもって内部文書を作成していたが、この時に「噂」としか言えない事情があったと親交があった同僚職員は証言する。

「噂話を集めて(内部告発文書を)つくったわけではないのは事実。情報を出した人間も処分をしようとしていたのかもしれない。『実際は誰かから聞いたことでも、名前は出さんといてくれということで名前を出せないだけ』。私が聞いたので間違いないと思う」(元局長と親交のあった職員)

 だが、片山前副知事の調査の結果、元局長による告発文書は噂話を集めただけの信頼性の低いものとされて結論づけられた。

 かつて人事課にいた職員もこうした県の姿勢を批判的に見ている。

「真実相当性があたかもないようにした、非常に恣意的で言葉尻を捉えた調査、判断だったとしか思えない」

「死をもって抗議する」というメッセージ

 調査の2日後、斎藤知事は記者会見で「事実無根の内容が多々含まれている」「うそ八百含めて、文書を作って流す行為は公務員として失格」と元局長を批判。県は元局長が「誹謗中傷性の高い文書を流出させた」として停職3か月の懲戒処分を下した。元局長は2か月後に「死をもって抗議する」というメッセージを残して亡くなった。


(NHK「クローズアップ現代」10月2日放送より)

 その後、兵庫県の県議会が設置した百条委員会で知事らのふるまいは公益通報者保護法に違反していると指摘されている。職員個人の尊厳や人権を侵害するような対応を二度と繰り返さないように告発者を守る仕組みを整えていく必要がある。

前例を踏襲してきたテレビの選挙報道

 県職員らの証言を集めたテレビのこうした優れた報道番組があったにもかかわらず、斎藤元彦氏は出直し知事選挙で再選を果たして再び4年間の県政を担うことになった。兵庫県庁で幹部や職員たちと現在、どのように会話を交わし、どのように県政を進めているのだろう。職員たちはどういう心境の中にいるのだろうか。


11月19日、就任記者会見で質問を聞く斎藤元彦兵庫県知事 ©時事通信社

 斎藤氏は失職する前の記者会見で「県政3年間やっていく中で心の中におごりであったり、慢心があったんだと思います。自分の行為が良くない点は自分自身も生まれ変わって改めていく」と再び立候補する決意を表明していた。

「クローズアップ現代」で職員たちが証言した内容が事実であれば、出直し選挙での再選で民意を味方につけたからといって、斎藤知事の仕事の進め方が大きく変わることはあまり期待できないかもしれない。職員たちも戦々恐々としていることだろう。

 ただ、この「クロ現」のように多くの職員たちに取材して、第一次斎藤県政をしっかりと検証した報道番組は数少ない。こうした検証はこれからも続けてもらいたい。今回の出直し知事選ではテレビをはじめとして既存メディアに不信感を抱いた人たちが替わりの情報源としてSNSに一気に向かったことが斎藤氏の再選につながったと言われている。選挙期間中のテレビ報道のあり方など考え直すべき点は数多い。前例を踏襲してきたテレビの選挙報道はSNSの時代には通用しないことがはっきりとした。

 一方、30人もの職員に聞き取りをしていく根気のいる報道は信頼性の高いテレビでこそ実現することが可能だ。そうした調査報道の貴重さも改めて痛感した。はたして第二次斎藤県政はどのようなものになっていくのだろうか。たとえ職員から異論が出ても、それをうまく活用しながらより良い政策に発展させていけるようなスタンスを取れるならば、今回のような事態はけっして起こらなかったに違いない。

 取材陣にはぜひ第二次斎藤県政を検証していく次なる調査報道を期待したい。

http://www.asyura2.com/24/senkyo296/msg/394.html

記事 [政治・選挙・NHK296] <兵庫県知事選>恐ろしいまでの熱狂は「政治離れ」の放置が生み出した 岐路に立つSNSと選挙制度(日刊ゲンダイ)

【兵庫県知事選】恐ろしいまでの熱狂は「政治離れ」の放置が生み出した 岐路に立つSNSと選挙制度
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/365619
2024/12/28 日刊ゲンダイ


ネットを情報源に「斎藤元彦さんは悪くない」/(C)日刊ゲンダイ

 11月17日に執行された兵庫県知事選挙は、SNSが選挙結果に大きな影響を与えた選挙だった。

 選挙前の9月、現職の斎藤元彦氏はパワハラ疑惑などの「告発文書問題」をめぐって窮地に立たされていた。県議86人から全会一致での不信任を突きつけられたからだ。

 失職後の斎藤氏は、出直し選挙前に行われた世論調査でも圧倒的劣勢だった。ところがSNSを起点に応援団を爆発的に増やし、劇的な逆転勝利を収める結果となった。

 選挙期間中、斎藤氏を応援する立場でのユーチューブ動画やSNSでの発信量は他候補を圧倒していた。候補者の一人である立花孝志氏(政治団体「NHKから国民を守る党」党首)が実質的に斎藤氏を応援する立場で脱法的な「2馬力選挙」を行ったことも斎藤氏の勢いに拍車をかけた。

 その結果、投票率は前回の41.1%から55.65%へと大幅アップ。筆者は序盤、中盤、終盤の3回現地入りしたが、斎藤氏を囲む聴衆は最終的に1000人を超えた。ネット上の盛り上がりが街中にも飛び火し、実際の得票に結びついたのだ。

 既存メディアは選挙が始まると、公平性を意識して情報発信が少なくなる。そこに物足りなさを感じた老若男女がSNSの海にこぎ出していた。

 驚いたのは、今まで選挙に無関心だった人たちが予想以上に多かったことだ。つまり、「政治的初恋」の渦中にいる人たちによる「SNS大航海時代」が到来していた。

 誰もが発信できるSNSには、真偽不明な噂話を含めて刺激的な情報があふれている。デマ情報も拡散される。既存メディアを疑い、ネットを情報源とする人たちが「斎藤さんは悪くないという真実」を見つけるまでに時間はかからなかった。

既存メディアの敗北

 選挙は候補者が試されると同時に有権者も試される機会である。恐ろしいまでの熱狂は「パワハラ疑惑」「県民局長の自殺」「全会一致での不信任」という論点や事実をあっさりのみ込むうねりとなった。これは「政治離れ」を放置してきた既存マスコミや既存政治勢力の敗北でもある。

 知事選が終わり、斎藤知事の2期目はスタートした。しかし、12月16日には斎藤氏とPR会社社長に対する公選法違反容疑での告発状が神戸地検と県警に受理された。

 12月20日には、次点だった稲村和美氏(元尼崎市長)の後援会が容疑者不詳のまま偽計業務妨害と公選法違反(虚偽事項公表など)の疑いで県警に提出した告訴・告発状も受理された。選挙後も火種はくすぶっている。

「SNS大後悔時代」が来るかも知れない。 (おわり)


畠山理仁 フリーランスライター

1973年、愛知県生まれ。各地の選挙現場を訪れ、面白さを伝える「選挙漫遊」の提唱者。著書「黙殺 報じられない“無頼系独立候補”たちの戦い」で第15回開高健ノンフィクション賞。「コロナ時代の選挙漫遊記」など著書多数。

http://www.asyura2.com/24/senkyo296/msg/395.html

記事 [政治・選挙・NHK296] <電子選挙は不正で憲法違反。提訴せよ><ネット言論弾圧目的サイバー法案と韓国飛行機事故の不可解さ>

<電子選挙を認めてはいけない>

不正選挙
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784750514116

電子選挙は不正の根城である。これは憲法違反であるため

選挙日から2週間以内に 必ず 四条畷(しじょうなわて)選管に

当選無効および選挙無効の異議を提出しなければならない。



<立憲と維新が一人区で一本化してはいけない>
立憲は、野党、
維新は、隠れ与党
国民民主は、隠れ与党
の色彩が強い。

そのため立憲がもし野党で共闘するのであれば、れいわ新選組や
参政党、社民党、共産党、の方が良い。

しかし立憲の野田党首は、これは与党よりである。



<韓国の飛行機事故は、飛行機事故をサイバーからのアクセスのせいにしようとしている

いわば ネットの言論弾圧が形を変えたものである。

自作自演でやっている場合が多い。

<ネットの言論規制をやりたい勢力>

つまり JALや三井系銀行に「サイバー攻撃があった」と秘密諜報機関による

自作〇演攻撃が行われて

そのために「サイバーを規制しましょう」としてネットの言論弾圧を

しようとしているのである。

この流れでは、おそらく、「サイバー攻撃」を秘密諜報機関が自作自演で行い、

そのためになんらかの 韓国での飛行機事故に似た事故が起きたと

される可能性が高い。

飛行場の管制塔など管理者を民営化してはいけない。

最近、飛行場の民営化と称してわけのわからない業者にやらせようとする動きがある。

非常に危険である。

http://www.asyura2.com/24/senkyo296/msg/396.html
記事 [政治・選挙・NHK296] 袴田巌さんの姉ひで子さんに聞く 58年間“見えない敵”と闘い続けた不屈の精神の源泉は「ガムシャラ」 注目の人 直撃インタビュー (日刊ゲンダイ)

袴田巌さんの姉ひで子さんに聞く 58年間“見えない敵”と闘い続けた不屈の精神の源泉は「ガムシャラ」 注目の人 直撃インタビュー
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/365553
2024/12/28 日刊ゲンダイ

袴田ひで子さん(袴田巌さんの姉)


袴田ひで子さん(C)日刊ゲンダイ

「私も巌も運命だと思っています。無罪が確定して、今は大変喜んでいます」──。袴田巌さん(88)の姉ひで子さん(91)は、謝罪に訪れた静岡地検の山田英夫検事正に対し恨み言は一切口にしなかった。逮捕から58年、死刑確定から44年あまりが経過した今年9月26日、静岡地裁は捜査機関の証拠捏造を認定し、「無罪判決」を言い渡した。あまりにも長かった国家権力との闘い。つらく苦しかった過去と、自由を取り戻した今の気持ちを聞いた。

  ◇  ◇  ◇

 ──91歳とは思えないタフさと若々しさですね。

 毎朝30分間、ストレッチをしています。52歳で始め、以来40年間一日も欠かしていません。拘置所に面会に行くでしょう。足腰が弱っちゃいかんと思って、それで始めました。続けてやることで効果がある。おかげさまでシャキシャキしていますよ。

 ──希望の光が見えたのはいつですか。

 2014年に静岡地裁が再審開始を認める決定をした時です。地裁は<これ以上、拘置を継続することは耐え難いほど正義に反する>として死刑判決は誤りだったと認めました。検察庁が何を言おうが、屁でもなかった。無罪になると思って闘ってきましたから。

 ──謝罪に来た静岡県警本部長や検事正に、文句ひとつ言いませんでした。

 当事者でもいればまた話は別ですが、今さら昔のことを言ったって何も始まりません。「そんなことをグダグダ言っても再審開始にならん」「あえて苦情は言うまい」とずっと思ってやってきました。運命だと思っています。そう思わないとしょうがなかった。

決して後ろは振り返らなかった

 ──それにしても長かったですね。

 今でこそ長いって言うけど、当時は長いなんて思わなかった。見えない権力と闘っていましたから、前に進まないとしょうがなく、決して後ろは振り返らなかった。

 ──巌さんが釈放された時、「もう怯えなくていいんだよ」と声を掛けました。

 死刑囚だったから、ものすごく死を恐ろしがっていた。だから「もう安心だよ」「何も怖いものはないよ」「あんた、勝ったんだよ」って。(長期収容による精神障害の)拘禁症状っていうのは妄想の世界に入り、人の言うことを聞かず、自分の考えで進んでいきます。収監されていた48年間、想像を絶するつらい思いをしてきた。自由にしてあげれば自然に治ると思っています。だから大いに自由を味わってほしい。巌に効く薬は自由しかない。だから放し飼いにしているんです。

 ──4人の殺人犯の姉という目で見られ、風当たりも強かった。

 隠したって皆、知っているから、開き直って生きてきました。同窓会にも行かないし、人が集まるところには顔を出さず、世間とは距離を置いて生活してきた。町で知り合いに会っても、向こうが挨拶しないのにこっちがすることはない。挨拶されたくないんだろうから、知らん顔をして気取った顔して歩いていました。「犯人だと思いたきゃ、思わせておけばいい」ってね。そんなことより巌の再審に向かって進む方が大事だった。

 ──アルコールに溺れたことも。

 初めの10年ぐらいは支援者がおらず、家族で支えてました。両親が続けて亡くなり、後を引き継ぐことになった。寝ていても夜中に目が覚め、巌のことしか頭に浮かばない。「どうしてこんなことになっちゃったんだろう」と思うと眠れなくなって。次の日の仕事に差し支えるからウイスキーをガブ飲みして寝てました。目が覚めるたびに飲んでいた。そんな酒浸りの生活が3年ほど続き、酔っぱらったまま支援者からの電話に出たんです。その時、「私、何をやっているんだろ。皆、親身になってやってくれているのに、こんなことを続けていたら巌を助けるどころじゃない」と思い、酒を断った。40代の頃です。朝、顔を洗っていたら、肌が荒壁みたいに荒れていました。

毎月の面会は「見捨てていない」というメッセージ


静岡地検の山田英夫検事正から謝罪を受ける巌さん(中央)とひで子さん(代表撮影)

 ──59歳で借金を背負い、マンションを建てたのはどうしてですか。

 巌のことで希望が持てず、私の人生、このままじゃつまらない。自分で何かをしなきゃ、生きる希望をつくらなきゃと思い、将来、家賃収入で生活する計画を立てた。会社の倉庫の2階に住み込んで働き、18年でローンを完済。マンションに入居できたのは79歳の時、巌が帰ってくる2年前のことです。当時は巌が拘置所から出てくるなんて思ってもいなかった。気を紛らわせる意味もありました。

 ──1980年、最高裁で上告が棄却され、死刑が確定した際には仲間が敵に見えたと。

 なんだか理由は分からなかったけど、弁護士や支援者といった味方も全てが敵に見えた。それぐらい残念だった。拘置所に行って巌に「こうなったら何でもやろう」と伝え、そこで開き直った。逆境に追い込まれると強くなる。つらくても負けることはありません。「何クソ、負けるもんか」って歯向かいます。無実だから絶対負けない、それが当たり前だと思って闘ってきました。

 ──弱音を吐くことはなかったのですか。

 性格的に泣き言を言うのは嫌いなの。恨めしいとか、悲しいとか、一切言うまいと思ってガムシャラに生きてきた。言ったってしょうがないでしょう。話を聞いてくれた方が困っちゃう。負担になるのが嫌なのよ。相手に負担をかけるよりも自分が我慢する。こういう状況に置かれてからなおさら、そう考えるようになりました。

 ──親孝行だと思って巌さんを支えたそうですね。

 母親は「巌はダメかいねえ」「巌はダメかいねえ」と、うわ言のように繰り返し、死刑判決の2カ月後、68歳で亡くなりました。私たちはきょうだいだから我慢できるけど、巌を産んだ母親はどんな思いだったのか。私はロクに親孝行をせなんだ。母親のつらさ、悲しさ、苦労を見ていたから「ここらでひとつ、親孝行するか」って乗りかかったの。ほとんどの裁判に行っていた母親が、ある時、「ひで子、今日、裁判所で知らないおじさんが『この裁判はおかしいね』って声を掛けてくれたの」ってうれしそうに電話をしてきた。その言葉が今も耳に残っています。

 ──心が折れそうになったことは。

 一切ありません。こんな理不尽なことがあるか、と思っていたから。いつかどこかで分かってくれる人がいると信じていた。初めの頃は「なんで、うちだけこんな酷い目に遭うんだろう」って思ったこともあった。昔は警察に取り調べられると、それが息子であっても縁を切るとか、「あんなもん、うちの息子じゃない」と言って見捨てちゃうの。真実も分からないうちに切り離して見捨てちゃう。だから冤罪が増える。でも、うちの場合は「そうはいくか」ってね。

 ──どれくらい拘置所に面会に訪れたのですか。

 初めの10年間は半年に1回、その後の30年間は毎月行っていた。そのうち拘禁症状がひどくなり、本人が面会を拒否するようになった。死刑確定から約7年の間に会えたのは1回きりで、それも時間は1分間ほど。でも行かなきゃ、本人と連絡取れません。手紙出しても読むわけじゃない。「姉さんが来たよ」って伝えてもらっても、「姉さんいない」って拒否する。完全におかしくなったわけじゃないから、どこかで私だって分かってくれるはず。そう思って、「家族は見捨ててないよ」っていうメッセージを送るために、会えなくても何度でも通いました。

 ──いつも笑顔で明るく、前向きですね。

 意識はしてません。巌が拘置所にいた頃はおっかない顔をしていました。集会に行ってもニコリともせずに言いたいことを言っていた。それまでの30年間は精神的にも外に出て笑うどころじゃなかった。10年前、巌が拘置所から出てきて変わった。巌と生活するには明るくしないと。暗い顔をしていたら巌の病気も治りゃせん。つまらないこと考えたって何も解決しないのよ。それより、ニコニコしてりゃあ、いいことが舞い込んできます。

 ──残りの人生をどう楽しみますか。

 2人とも余命いくばくもないんだけど、巌もせっかくシャバに出てきたんだから、もう10年ぐらいは頑張って生きてもらわないと。欲をかいてもしょうがないけど、私もやりたいこと、やることはまだいくらでもあります。性格的にジッとしているのが好きじゃないので、再審法の改正や冤罪被害者の救済にも極力協力していくつもりです。まだ終わりじゃない。まだまだこれからですよ。

(聞き手=滝口豊/日刊ゲンダイ)

▽袴田ひで子(はかまた・ひでこ) 1933年、静岡県生まれ。6人きょうだいの下から2番目。中学卒業後、地元の税務署に就職。13年勤務ののち民間の税理士事務所に転職。事件後は食品会社で経理を担当し、その後、弁護団の法律事務所で81歳まで現役で勤務を続けた。

http://www.asyura2.com/24/senkyo296/msg/397.html

   

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