6. NEMO[-774] gm2CZIJsgm4 2024年12月27日 00:03:34 : jJvvDHGoSg : NkcybTdzNDgwYy4=[119]
石川一雄冤罪説に立たない革マルの立場からは、この事件に関する裁判を狭山無差別裁判と呼んでいる[19][注釈 8]。
狭山事件に関しては、弁護側の見解に沿って記事を書かなかった新聞社が部落解放同盟などから吊し上げを受けた事例もあり(#狭山事件に関連する糾弾事件を参照)、マスコミの多くは、石川一雄を「元受刑者」ではなく「さん」「氏」付けで呼ぶようになっている。ただし、
日本共産党においてはこの限りではない(歴史的経緯は#支援活動参照)。北九州土地転がし事件をスクープした『小倉タイムス』の瀬川負太郎もまた石川を敬称抜きで呼び、「冤罪かどうかさえ怪しい」と述べている[21]。支援者は石川を「冤罪被害者」と呼び、石川みずからもそのように自称している[22][23]。「石川一雄さんが無罪確定したと勘違いされている人が多い」との指摘もある[24]。
石川冤罪説を朝日新聞や読売新聞に先んじて報じたのは『赤旗』編集局の吉岡吉典(のち参議院議員)であったが、吉岡は「石川一雄が犯人だという証拠も結構あるんだよ」とも発言していた[25]。また吉岡の公設第一秘書だった結城伸は「一週間狭山に泊まり込み、お兄さんの話や現場を隈なく歩いて綿密な取材をしました。当時・自衛官犯行説も根強かったようです。ただ、これは書けませんが、詳細を聞いてみると、私の印象では、『やはり石川さんが犯人ではないか?』という思いも捨てきれないんです」[26] と発言している。
なお、石川犯人説は当初から被差別部落や部落解放同盟の内部にも存在していたが[15][27][28][29]、『解放新聞』主筆の土方鐵は、「石川君が、かりに『真犯人』であったとしても、この事件はすぐれて、部落解放にかかわる問題である」と主張し、部落民にとって不利なことは全て差別であるとの「朝田理論」にその根拠を求めた[30][31]。土方はまた、在日韓国人少年による強姦殺人事件「小松川事件」[注釈 9]を引き、「石川君が、無実でなかったとしても、李少年と同様の本質をもつ事件なのだ」と煽動した[30][31]。
逮捕当初から石川を支援していた部落解放同盟埼玉県連合会の声明も、「石川君のクロ・シロは別として」公正な捜査や裁判を求める、というものであった[31][33]。部落解放同盟埼玉県連合会の野本武一も「(石川がクロでも)根本が部落差別だから(冤罪プロパガンダを)やらなければならない」と主張した[27]。
19^ a b 週刊『前進』(1931号3面3)
20^ 立花隆『中核 VS 革マル』第2巻、p.67
21^ 瀬川負太郎『地方記者がんばる』p.248
22^ 磯村英一、一番ケ瀬康子、原田伴彦『講座差別と人権』第1巻、p.191。
23^ メッセージ:石川一雄(狭山事件冤罪被害者)
24^ a b c d e f g 狭山事件イベント初カフェ・トーク「再審請求中の石川一雄さんの話を聞く」開かれる
25^ 吉岡の公設第一秘書だった結城伸のツイート、2015年10月23日午後4時49分。
26^ 吉岡の公設第一秘書だった結城伸のツイート、2011年6月25日午後2時18分。
27^ a b 『東日本の被差別部落』(明石書店)p.217
28^ 『香川の部落解放運動史 戦後編』pp.401-402
29^ a b 『ルポルタージュ部落 四国・九州編』p.205
30^ a b 『解放新聞』382号、1967年5月15日付。
31^ a b c 友常勉「狭山鬪争の思想史・試論―戦後部落解放運動史のために―」『クヴァドランテ』12・13、東京外国語大学海外事情研究所、2011年3月、87-102頁、ISSN 13445987、NAID 40018798320。
32^ いいだもも、武谷祐三『戦後史の発見: 聖なるワイセツから「終末」まで』p.181(産報、1975年)
33^ 『解放新聞』261号、1963年6月25日付。
注釈8^ 立花隆は「革マル派は、狭山闘争にはあまり熱意をもっていなかった。もともとプロレタリアートの階級闘争中心主義である革マル派は、農民運動である三里塚闘争に好意をもっていなかったように、部落解放運動にも好意をもっていなかったのである」と記している[20]。
注釈9^ 小松川事件が発生した1958年当時、日本にはかつての植民地支配に対する歴史的反省から、いわゆる進歩的知識人を中心に、加害者の在日韓国人少年に同情する論調が多く、東京高裁が加害者少年に「国籍のいかんに拘らず、人間としての重大な責任を問わなければならない」と死刑を宣告したのに対し、「李少年をたすける会」が
私ども日本人としては、過去における日本と朝鮮との不幸な歴史に目をおおうことはできません。李少年の事件は、この不幸な歴史と深いつながりのある問題であります。この事件を通して、私たちは、日本人と朝鮮人とのあいだの傷の深さを知り、日本人としての責任を考えたいと思います。したがって、この事件の審理については、とくに慎重な扱いを望みたいのであります。
との声明を出した他、被害者少女の遺族も
これまで、日本人は朝鮮人に大きな罪をおかしてきました。その大きな罪を考えると娘がこうなったからといって、恨む筋あいはありません。もしも珍宇君が減刑になって出所したら、うちの会社にひきとりましょう。[32]
と申し出た。
h ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%AD%E5%B1%B1%E4%BA%8B%E4%BB%B6
狭山事件
http://www.asyura2.com/17/nihon32/msg/325.html#c6