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2024年8月15日00時35分 〜
記事 [政治・選挙・NHK295] 日本が「ポツダム宣言」を受諾する前後に米国の支配層が繰り広げた暗闘(櫻井ジャーナル)
日本が「ポツダム宣言」を受諾する前後に米国の支配層が繰り広げた暗闘
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202408150001/
2024.08.15 櫻井ジャーナル

 1945年8月15日、昭和天皇(裕仁)は「ポツダム宣言」の受諾をアメリカ、イギリス、中国、ソ連の4カ国に伝えたと「臣民」に発表した。いわゆる「終戦勅語」だ。

 この「勅語」について堀田善衛は「負けたとも降服したとも言わぬというのもそもそも不審であったが、これらの協力者(帝國ト共ニ 終始東亜ノ開放ニ協力セル諸盟邦=引用者注)に対して、遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス、という、この嫌みな二重否定、それきり」で、「その薄情さ加減、エゴイズム、それが若い私の軀にこたえた」と書いている。(堀田善衛著『上海にて』筑摩書房、1959年)

 その年の4月12日、アメリカでは国の在り方を大きく変える出来事があった。ニューディール派を率いていたフランクリン・ルーズベルト大統領が急死、副大統領のハリー・トルーマンが大統領の職を引き継いだのである。トルーマンはルーズベルトと違う考え方の持ち主で、副大統領時代、大統領と会ったのは2度だけだともいう。(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012)

 トルーマンは第1次世界大戦の頃、兵営内で日用品などを販売する酒保をオクラホマ州にあったフォート・シルで経営して成功したのだが、そこで知り合いになったジェームズ・ペンダーガストの叔父はカンザスシティ政界のボス、トーマス・ペンダーガストだった。

 当時のカンザスシティはギャンブル、売春、密造酒や麻薬取引、恐喝が盛んで、そうした「ビジネス」の上に君臨していたのがトーマスに他ならない。そのトーマスの下でトルーマンは稼いでいた。(Jonathan Marshall, “Dark Quadrant,” Rowman & Littlefield, 2021)

 こうした「政治マシーン」がトルーマンを副大統領の座に付けることになるのだが、そうした彼に多額の政治資金を提供していたひとりがアブラハム・フェインバーグなるシオニストの富豪。裏ではシオニスト団体へ法律に違反して武器を提供、イスラエルの核兵器開発を資金面から支えることになる人物だ。

 ルーズベルト大統領が信頼していた文民はハリー・ホプキンスとヘンリー・ウォーレスだと言われている。ルーズベルトはファシストの巣窟と見られていた国務省を信頼せず、外交はホプキンスに頼っていた。つまり当時の国務省とルーズベルト大統領を一体化させて議論することは間違いである。そして副大統領に据えたのがウォーレスだ。

 JPモルガンをはじめとするウォール街の富豪たちがルーズベルトが初めて大統領に就任した直後、1933年から34年にかけてクーデターを目論んだことは本ブログでも繰り返し指摘してきた。そうした金融資本はトルーマンを引き上げた政治マシーンの背景でもある。

 そうした勢力にとって邪魔な存在だったウォーレスは、ドイツの降伏が見えていた1944年に行われた大統領選挙の際、民主党幹部の意向で副大統領のポストから引きずり下ろされ、商務長官にされている。ウォーレスが義理の弟で駐米スイス大使だったカール・ブルグマンへ機密情報を話し、それがドイツ側へ伝わっていたという怪しげな話が使われた。(Simon Dustan & Gerrard Williams, “Grey Wolf,” Sterling, 2011)

 ルーズベルトが急死、トルーマンが昇格という流れは1933年から34年にかけてウォール街が試みたクーデターの目的に合致する。新大統領のトルーマンは当然とことながらウォーレスを嫌い、1946年9月、商務長官を辞めるように通告してホワイトハウスから追い出した。ホプキンスは1946年1月に55歳で死亡している。ホプキンスは1939年に胃癌という診断で胃の75%を切除していた。

 その間、1945年5月上旬にドイツが降伏、その直後にイギリスのウィンストン・チャーチル首相はソ連を奇襲攻撃する作戦を立てるようJPS(合同作戦本部)に命令、5月22日に「アンシンカブル作戦」が提出された。その作戦によると、攻撃を始めるのは日本が降伏する前の1945年7月1日。アメリカ軍64師団、イギリス連邦軍35師団、ポーランド軍4師団、そしてドイツ軍10師団で「第3次世界大戦」を始める想定になっていた。この作戦は発動されなかった理由は、参謀本部が5月31日に計画を拒否したからである。(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estate, 2000)

 日本が1940年9月にドイツやイタリアと三国同盟を結び、そのドイツが1941年6月にソ連へ軍事侵攻したことから日本とソ連は敵国になったのだが、ドイツ降伏後、イギリス軍は両国が手を組むことを懸念したとする見方もある。

 実は、日本が真珠湾を奇襲攻撃する前、イギリスには「日本・アングロ・ファシスト同盟」を結成しようという案があった(Anthony Cave Brown, “"C": The Secret Life of Sir Stewart Graham Menzies,” Macmillan、1988)のだが、1939年に日本軍はノモンハンでソ連軍に敗北、その後に南進、つまり東南アジアへ矛先を向けてイギリスの利権と衝突することになり、この同盟は不可能になった。イギリスの支配層は当時の日本には「反ソ連派」と「親イギリス派」がいると考えていたのかもしれない。日本・アングロ・ファシスト同盟を結成しようという案は反ファシストだったルーズベルト米大統領とも衝突する。

 1945年7月16日にアメリカではニューメキシコ州のトリニティ(三位一体)実験場でプルトニウム原爆の爆発実験に成功した。ポツダム会談が始まる前日に行いたいというトルーマンの求めで予定が早められ、この日の実験になったという。

 実験の成功を受けてトルーマン大統領は原子爆弾の投下を7月24日に許可、そして26日にアメリカ、イギリス、中国はポツダム宣言を発表、8月6日に広島へウラン型が投下された。その3日後には長崎へプルトニウム型が落とされているが、原爆投下がソ連を意識したものだったことは本ブログでも繰り返し書いてきた通り。原爆以外にもアメリカ軍は東京を含む日本の都市を焼夷弾で焼き尽くした。3月から7月にかけての沖縄戦は日本の降伏が遅れたためだ。

 第2次世界大戦後の日本のあり方を決めたのはジャパンロビーだとされている。その背景にはウォール街の富豪が存在していた。そのジャパン・ロビーの中心人物だったジョセフ・グルーはJPモルガンが1932年に日本へ駐日大使として送り込んだ人物にほかならない。彼は皇室を含む日本の支配層に強力なネットワークを持っていた。大戦後、日本に天皇制は残る。「象徴」になったと弁明されているが、天皇が東京裁判に引き摺り出されなかったのは、敗戦前の天皇は「象徴」に過ぎないとされたからだ。

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http://www.asyura2.com/24/senkyo295/msg/297.html

記事 [政治・選挙・NHK295] 岸田首相退陣表明 絶望的に選択肢がない自民党の総裁選(日刊ゲンダイ)

※2024年8月14日 日刊ゲンダイ1面 紙面クリック拡大


※紙面抜粋


※2024年8月14日 日刊ゲンダイ2面

岸田首相退陣表明 絶望的に選択肢がない自民党の総裁選
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/359068
2024/08/14 日刊ゲンダイ ※記事更新、後段文字起こし


自民党総裁選への不出馬を表明する岸田首相(C)共同通信社

 日刊ゲンダイの既報の通りというか、岸田首相が14日、9月に行われる総裁選に出ないことを表明した。

 岸田はこの日の会見で「今回の総裁選は自民党が変わる姿、『新生・自民党』を国民の前にしっかり示すことが大事だ。自民党が変わることを示すもっともも分かりやすい最初の一歩は私が身を引くことだ。総裁選には出馬しない」と語り、裏金問題で支持率が低迷しているころから、「不出馬」を検討していたことを匂わせた。

 ただちに責任を取らずに首相を続けた理由については「政治家としてやりたいことがあった。政治家の意地」という言い方をしたが、真相は違うだろう。

 権力の座にしがみつくために、あれこれ模索したが、万策尽きた――こう見るべきだ。通常国会終了後、総裁選前の内閣改造・党役員人事を実施し、刷新感を打ち出す策も検討したが、泥舟の岸田内閣で閣僚のなり手は見当たらず、頓挫した。そんな事態を受けて、“身内”の岸田派議員もソッポを向き始めていた。

「岸田派のある幹部は最近『岸田さんじゃ次の選挙は勝てない』と周囲にこぼしていた。誰がいいのかと問われると『進次郎さんがいい』と言っていた。背に腹は代えられないのだろう、と思った」とは永田町関係者。別の関係者は「バイデン大統領の不出馬も大きかった。ジョー、フミオと言い合う関係で、選挙を乗り越え、再会する約束をしていたのに、バイデン大統領は撤退した。その頃から、岸田さんも元気がなかった」と言った。そんなことから「お盆休みにいろいろ考えたり、相談するかもしれない。8月中旬にも不出馬表明をするのではないか」という見方が急速に広まっていたのである。

 いずれにしても、岸田首相が不出馬となったことで、総裁選の号砲が鳴り響いた。岸田内閣の閣僚、党役員も出馬できるため、百花繚乱の総裁選になりそうだが、シャッポを挿げ替えて、自民党が新しくなるのか。そのうえ、総裁選候補として、メディアに出てくるのは冗談のような名前ばかりだ。

 まずは小泉進次郎元環境相。大臣時代は「気候変動問題はクールでセクシーに取り組む」と意味不明な発言ばかりが目につき、実績は「レジ袋有料化」くらいのもの。ただし、国民的な人気は高く、バックには非主流派の“ドン”菅義偉前首相がついているとされる。

「菅さんの手中には進次郎さんのほか、石破茂元幹事長、河野太郎デジタル相の『小石河』カードがある。3人のうち、菅さんが重視する『刷新感』に一番ふさわしいのが進次郎さん。菅さんは彼を総裁候補に担ぎ上げるのでは、とみられています」(菅に近い自民党議員)

 さらに、進次郎の背後には、あの森喜朗元首相の影もチラついている。「バラバラになった安倍派の一部をまとめるために、森さんは進次郎さんを担ぐ気だ」(官邸事情通)というから、何ともおぞましい話である。

「コバホーク」に群がる有象無象

 もう一人、名前が挙がるのが「コバホーク」こと小林鷹之前経済安保相。にわかに注目を浴び、有象無象が群がっている状況だ。その代表格は“口利きワイロ”疑惑がくすぶる甘利明前幹事長。党の経済安保推進本部で議論を重ねてきた間柄で、小林を初代経済安保相に推したという。

 他にも、安倍派中堅の福田達夫筆頭副幹事長と、それに連なる若手議員、西村康稔前経産相、萩生田光一前政調会長が既に小林に近づいている。高身長イケメンで腰が低く「非の打ちどころがない」と評される小林に多くの自民党議員が将来性を見いだし、自らの生き残りをかけて近づいているのが実態だ。ただ、ある自民党関係者は小林について「一点だけ不安材料がある」と言い、こう続ける。

「相当、強固な右派思想の持ち主。いわゆる岩盤保守層以外に支持を広げられるのかどうか」

 先月上旬には、福岡市で右派組織「日本会議」の関連団体が後援した会合で講演していたほどだ。

 他に総裁選への出馬が取りざたされる河野はマイナカード問題で話にならないし、高市早苗経済安保相は総務相時代にテレビ局の「電波停止」に言及した札付きだ。石破は戦争の放棄を明記した憲法9条の2項の削除を求めているし、ま、これはこれの持論としてしょうがないとして、ガックリするのは、閉塞感に覆われている国民が高揚するような「政策」を打ち出せていないことだ。茂木敏充幹事長もパワハラ疑惑にまみれ「政治とカネ」の問題がくすぶったまま。この総裁選は、絶望的な選択肢のなさである。

 法大名誉教授の五十嵐仁氏(政治学)が言う。

「第2次安倍政権以降の自民党議員は『1強』の総理の歓心を買うため、平和憲法をないがしろにし、どんどん右傾化していきました。その結果、所属議員の多様性が失われていったのです。どの議員も同じような主張を展開していますから、選択肢がないのは当然と言えば当然です。加えて、官邸の顔色をうかがう議員や、世襲が優遇される状況になったことで、全体の質も落ち込んでいる。その結果が裏金事件だと言えます。もはや、自民党は自浄作用が失われており、総裁選を通じた疑似政権交代では何も変わらないでしょう」

立憲の「泉じゃダメ」は「岸田では選挙に勝てない」と同レベル


名前が挙がる小泉進次郎元環境相(左)と小林鷹之前経済安保相(C)日刊ゲンダイ

 頼みは野党第1党の立憲民主党だが、どうにも頼りない。

 泉健太代表の任期満了に伴う代表選は9月7日告示、23日投開票だ。自民党の総裁選とほぼ同じ時期に実施される。

 岡田克也幹事長は、「日程が重なった方が比較しやすい。候補者の議論を見て、どちらが政権を担うにふさわしいか有権者に判断してほしい」と発言。その狙いは理解できるが、目下、党内からは「泉ではダメ」という声ばかりが聞こえてくる。

 確かに泉は迫力不足かもしれない。しかし、政党支持率が上向かない立憲の問題の本質は「代表の顔」なのか。立憲は先月の都知事選で党の「顔」である蓮舫前参院議員が、完全無所属の石丸伸二・前安芸高田市長の後塵を拝し、大惨敗を喫した。

 その原因は、立憲を含む既成政党への嫌悪感だったとされる。「泉ではダメ」は、自民党内から噴出する「岸田では選挙に勝てない」と同じレベルの発想ではないか。本来、必要なのは看板の付け替えではなく「自分たちなら日本を良くできる」というビジョンを示し、政権批判の受け皿となることのはずだ。

 世界ではAがダメならBという政権交代が当たり前に起きている。なぜ日本では万年自民党なのか。裏金事件への対応を見ても分かるように、自民党政権のままではお先真っ暗だ。

「見せ方」を変えれば、政権交代も見えてくる

 高千穂大教授の五野井郁夫氏(国際政治学)はこう言う。

「立憲は掲げている政策自体は決して悪くありません。にもかかわらず、支持されない原因は『見せ方』によるところが大きい。自民党総裁選と立憲の代表選を比較しても、自民党は中身はともかく3〜4人の名前がパッと出てきますが、立憲で挙がるのは泉代表と枝野幸男前代表くらい。本来、もっと多くの中堅・若手が手を挙げ闊達に議論を交わし、ウイングの広い政党であることをアピールすべき。ところが、立候補に必要な推薦人は20人とか、党内のグループ単位による支援体制とか、形式ばかり自民党の真似事をし、魅力を埋没させてしまっている。自分たちのビジョンをどう見せるのか──、そこを変えれば将来的な政権交代も見えてくるはずです」

 国民は選択肢なき総裁選よりも、野党の動きを注視すべきではないか。

http://www.asyura2.com/24/senkyo295/msg/298.html

記事 [政治・選挙・NHK295] 長崎ボイコットで国民的嫌われ者に…エマニュエル駐日米大使「大統領補佐官」栄転で深まる属国化(日刊ゲンダイ)

長崎ボイコットで国民的嫌われ者に…エマニュエル駐日米大使「大統領補佐官」栄転で深まる属国化
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/359069
2024/08/15 日刊ゲンダイ


エマニュエル米大使の「就活」に注目が集まっている(C)日刊ゲンダイ

 長崎市が主催する平和祈念式典をめぐり、駐日イスラエル大使が招待されなかったことにブチ切れ、日本以外のG7を抱き込んでボイコットを強行したエマニュエル米大使の「就活」に注目が集まっている。3年の任期満了を待たず、大統領選後の11月下旬に離任し、ワシントンへ戻って新政権の中枢に入り込む腹積もりだという。日本にとってイヤ〜な予兆だ。

 特報した共同通信によると、2022年1月に着任したエマニュエルはもともとバイデン政権1期目のみ大使を務める意向で、感謝祭(11月28日)の前後に離日を検討。民主党のハリス副大統領が勝った暁には政権移行への関与を狙っているという。大使館は「大使はまだ離任日を決めていない」と談話を出したが、強い攻撃性から「ランボー」とあだ名されるエマニュエルの猟官運動にはさらに先がある。

本人発の猟官運動

 米ニュースサイト「アクシオス」によれば、ハリス政権発足にあたって国家安全保障問題担当の大統領補佐官に起用されるとの観測があるという。ユダヤ人であることを差し引いても、パレスチナ自治区ガザに執拗な報復攻撃を続けるイスラエルの肩を持つエマニュエルにとって、やりがいがあるのは間違いない。

「エマニュエル氏は抜け目がない。情報源は本人あるいは、その周辺ではないか。露骨なポスト要求だ」(日米事情通)との声も聞こえる。

 クリントン元大統領の誕生に貢献したエマニュエルは、論功行賞で大統領上級顧問に就任。その後、投資銀行を経て下院議員となり、オバマ政権の大統領首席補佐官を務めたことでバイデン大統領にも近づき、紆余曲折を経て「大統領のお友達ポスト」とされる駐日大使をあてがわれた。そうして、日米の軍事的一体化、属国化に剛腕をいかんなく発揮。5月には米軍機で沖縄県与那国町と石垣市を訪問して民間の与那国空港を使用し、対中強硬姿勢を全開にした。

「日本が米国に従属するのは当然とのスタンス」

 国際ジャーナリストの春名幹男氏はこう言う。

「エマニュエル氏は日本が米国に従属するのは当然とのスタンス。起きてはならない台湾有事をことさらにあおり、日本を捨て石にして中国と事を構え、弱体化を展望している。こんな人物に国家安保を任せるのは危険極まりない。もっとも、ハリス氏はイスラエルに厳しい態度で臨んでいますし、バイデン政権はイラン核合意再建に向けた秘密交渉を進めている。米外交の流れを一変させかねないエマニュエル氏が重用されるとは思えません」

 岸田首相は史上最悪のポチだし、ポスト岸田が誰であろうとポチはポチ。立憲民主党も安保は米国頼み。かの国の良心に期待するほかない。

http://www.asyura2.com/24/senkyo295/msg/299.html

記事 [政治・選挙・NHK295] 圧力に屈しなかった鈴木史朗・長崎市長。肝が据わっているではないか。 ラサール石井 東憤西笑(日刊ゲンダイ)

圧力に屈しなかった鈴木史朗・長崎市長。肝が据わっているではないか。 ラサール石井 東憤西笑
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/359082
2024/08/15 日刊ゲンダイ


「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」で平和宣言を読み上げる長崎市の鈴木史朗市長(C)共同通信社

「原爆を作る人々よ! しばし手を休め 眼(め)をとじ給(たま)え」

 23歳で被爆し原爆症と闘いながらも原爆の悲惨さを訴えた長崎の詩人・福田須磨子さんの詩で始まった長崎市長鈴木史朗氏の「長崎平和宣言」は全世界に核廃絶と平和を訴える素晴らしいスピーチであった。

 この式典ではパレスチナは招待され、イスラエルが招待されなかった。イスラエル大使は黙っていない。「市長の政治的動機に式典を利用した」とロシアと一緒にされて激おこだ。

 しかし現在ガザ地区で民間人を4万人近く殺戮(さつりく)し、そのうち1万5000人は子供たち。これはとても「自衛権の行使」とは呼べぬジェノサイドである。

 原爆も「戦争を終わらせるため」とはいえ、民間人の大量虐殺に変わりはない。その追悼式典に現在同じことをしている国を呼ばないのは、世界平和を願う一つのメッセージであろう。

 鈴木市長は「政治的意図はない」と大人の対応をしているが、いやいや相当勇気のいる行動だ。

しかもあろうことか今度は米エマニュエル大使が、「だったら俺も出ない」と言い出した。彼のミドルネームは「イスラエル」、18歳までイスラエルとアメリカの二重国籍だった、ガチガチのシオニストであり、ウーマンラッシュアワー村本くんによれば、シカゴ市長時代には黒人差別、アジア人差別をし、日本に来て「沖縄に基地を置くのは義務だ」と言った日本を見下した男で、村本くんいわく「原爆落とした国のくせに出席断った。彼を日本から基地と共に撤去したい」とは全くその通り。

 しかも「おまえらも行くのやめようぜ」とG7国にロビー活動し長崎市に圧力をかけた。もちろん腰抜け対米ポチ官邸は「ややこしいことをしてくれた」とこちらも圧力をかけたらしい。それに屈しなかった鈴木市長。肝が据わっているではないか。期せずしてイスラエルを援助し虐殺に手を貸すG7国家の姿を世界に見せつけた。

 そして鈴木市長は岸田総理の面前で「唯一の戦争被爆国である日本の政府は、核兵器のない世界を真摯に追求する姿勢を示すべきです。そのためにも一日も早く、核兵器禁止条約に署名・批准することを求めます」と訴えた。

「核廃絶」とお題目を唱えながら、もう一方では「核抑止力」を唱えアメリカの「核の傘」に入る岸田政権の二枚舌。思うのだが、なぜ広島と長崎2カ所に落としたんだ。広島はウラン型、長崎はプルトニウム型。どうしても2発試したかったのではないのか。だったら長崎は実験場にされたのか。

 政府がダメでも長崎という1都市が発したメッセージは、今世界中で評価されている。


ラサール石井 タレント

1955年、大阪市出身。本名・石井章雄(いしい・あきお)。鹿児島ラ・サール高校から早大に進学。在学中に劇団テアトル・エコー養成所で一期下だった渡辺正行、小宮孝泰と共にコント赤信号を結成し、数多くのバラエティー番組に出演。またアニメの声優や舞台・演劇活動にも力を入れ、俳優としての出演に留まらず、脚本・演出も数多く手がけている。石井光三オフィス所属。

http://www.asyura2.com/24/senkyo295/msg/300.html

   

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