2024年8月6日 20時52分
https://www.tokyo-np.co.jp/article/345697
立憲民主党の小沢一郎衆院議員を中心とする政策グループ「一清会」は6日、国会内で開いた会合で、泉健太代表の任期満了に伴い9月に行われる代表選で誰を支援するかについて、小沢氏に対応を一任することを決めた。小沢氏は会合後、報道陣の取材に「盆明けには何らかの方向性を決めていかなくちゃならない。責任重大だが、何とかしていい候補者をつくるために努力したい」と語った。
小沢氏は代表選に向け、野田佳彦元首相、枝野幸男前代表、馬淵澄夫元国土交通相、小川淳也衆院議員、重徳和彦衆院議員ら党内の重鎮や有力中堅議員と相次いで会談しているほか、泉代表が率いるグループ「新政権研究会」幹部の小熊慎司衆院議員らとも面会。6日は江田憲司衆院議員と意見交換した。このうち、枝野氏は立候補の意向を既に固めており、泉代表も再選出馬に意欲があるとみられる。
◆泉健太代表については「野党協力がうまくいってない」
小沢氏は、泉氏の党運営を「泉君は(代表を務めた)3年間、(他の)野党との協力態勢がうまくいってない。(野党を)まとめきれる代表、幹事長でなきゃだめだ」と重ねて批判。小熊氏以外の面会した議員の名前を列挙し、「その中から選ぶ以外にない」と述べた。
自ら立候補しないのかとの質問も出たが、「出ません」と一蹴した。
小沢氏は野党共闘が持論。集団的自衛権の行使を可能にする憲法解釈変更を受けた安全保障関連法案への批判が高まった2015年には、生活の党(当時)の代表として、民主党(当時)や共産党などとの連携を推進。現在につながる野党共闘の基礎になっている。
一方、共産党を含む共闘の枠組みを巡っては、今年7月の東京都知事選に立憲民主党や共産党などでつくる選考組織が擁立する形で出馬した蓮舫氏が3位で惨敗したことから、党内に「共産党の支援を受けると無党派層が逃げることがはっきりした。共闘は見直すべきだ」(若手)といった声も上がっている。代表選の構図次第では、野党共闘のあり方が争点になる可能性もある。
◆立候補には推薦人20人が必要
代表選の日程は7日の両院議員総会で決定される。投開票日は9月16日が有力視されている。
立憲民主党の国会議員は衆参両院で約130人、党籍のある一清会の現職国会議員は約10人。代表選に立候補するには国会議員20人の推薦人が必要となる。(佐藤裕介、宮尾幹成)
【関連記事】「立憲民主党は批判ばかり、のイメージを吹き飛ばしたい」 若手・中堅グループが「政権ビジョン」発表
【関連記事】枝野幸男氏が立憲民主党代表選に出馬の意向を固める 官房長官、党代表など歴任…最近の動きは
【関連記事】立憲民主の「顔」だれがいい? 9月代表選へ動き出す 続投目指すか泉健太代表…取りざたされる顔ぶれは
http://www.asyura2.com/24/senkyo295/msg/239.html
※2024年8月6日 日刊ゲンダイ1面 紙面クリック拡大
※紙面抜粋
※2024年8月6日 日刊ゲンダイ2面
世界にあふれるリスクに戦慄! 史上最悪、暴落株価…こんな混乱はまだ序の口
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/money/358708
2024/08/06 日刊ゲンダイ ※後段文字起こし
史上最悪、ブラックマンデー超えの大暴落(C)日刊ゲンダイ
予想通りブラックマンデーとなった東証だが、今後は果たしてどう なるのか。米景気の後退や円安メッキが剥がれ、剥き出しになった日本経済の実力と中東や米大統領選など、波乱要因は山ほどある。アベ ノミクスのツケをしょわされる庶民は覚悟を決めて、自民党に鉄槌を
◇ ◇ ◇
どこまで下がるのか。東京株式市場は「底値」が見えなくなってきた。とうとう「ブラックマンデー」を超える下げ幅を記録してしまった。
日経平均株価は、5日も朝方から急落。寄りつき直後から2500円を超える大幅下落となり、終値は前週末比4451円28銭安の3万1458円42銭だった。4451円の下げ幅は、過去最大だった1987年の「ブラックマンデー」翌日に記録した3836円を上回るものだ。
日経平均株価は、前週末の2日にも急落し、2216円安と史上2番目の下げ幅を記録したばかりだった。2営業日つづけての急落である。
「歴史的な急落相場」に市場はパニック状態だ。ネット上には<どうしよう。もうだめだ。損切りします。絶対に儲かると言っていたのに>といった悲鳴が飛びかい、ネット証券大手のコールセンターには問い合わせの電話が殺到しているという。
4451円も下げる「パニック売り」となったのは、底値が見えなくなったためだ。個人投資家の多くは「今年4月につけた安値3万6733円が底値」とみていたようだが、先週2日にあっさり割り込み、さらに抵抗ラインとみられていた「昨年12月の安値3万2205円」も下回ってしまった。
日経平均株価は、7月11日に史上最高値の4万2224円をつけたばかりだったのに、わずか3週間で1万円以上も値を下げている。いったい、株価はどこまで下がるのか。
大和証券の日米株チーフストラテジスト・坪井裕豪氏は「3万円割れもあり得る」と予測し、東海東京インテリジェンス・ラボの沢田遼太郎シニアアナリストは「2万7000円あたりまで下落する可能性もある」とみている。
あと4400円以上、下落する恐れがあるということだ。
経済ジャーナリストの荻原博子氏はこう言う。
「きのうの株式市場は、売り一辺倒、午後3時の取引終了にかけて値を下げる展開でした。プロの取引が中心なら、どこかで買いが入るものですが、最後まで売りが拡大した。恐らく、個人投資家がパニックになり売ったのでしょう。今年1月からスタートした『新NISA』を使って投資をはじめた投資ビギナーのなかには、株価が年初から1万円近く値上がりし、『株投資は儲かる』と浮かれていた人もいたはず。それだけに連日の暴落に慌てたとしても、おかしくありません。個人投資家の売りが落ちつくまで、株価の下落は止まらないでしょう」
株安を招く2つの要因
トランプリスクも(C)ロイター
年初からつづいていた「円安・株高」相場が、逆回転しはじめたのは間違いないだろう。
しかも、東京市場だけでなく、NY市場も、欧州株も、アジア株も、一斉に値を下げている。「世界同時株安」の様相である。
それだけに、ここ数日の混乱は「株価大暴落」の入り口にすぎないかも知れない。
日経平均株価が急落した直接の原因は「米国経済の悪化懸念」と「円高」の2つだ。株安をストップさせるには、この2つを解消するしかない。しかし、いずれも好転させるのは絶望的だ。
日本株が4万円まで上昇したのは「円安」が進んだためだった。円安によって輸出企業の業績がかさ上げされ、海外投資家には日本株が「割安」に映る効果があった。しかし、一時、1ドル=161円台をつけた円相場は、141円台まで「円高」が加速している。
「ソフトランディング」が期待された米国経済も、一転して「ハードクラッシュ」の恐れが強まっている。失業率が急激に悪化。FRBのパウエル議長が、7月31日の会見で、9月の「利下げ」を示唆せざるを得ない事態になっている。
「株価が下落した時、中央銀行には“利下げ”という手段があります。しかし、植田日銀は“利上げ”をしたばかりだから、さすがに利下げの余地はないでしょう。一方、FRBは9月に大幅な“利下げ”をするはずです。米国景気の下支えにはなりますが、アメリカが利下げをすれば“円高”が進むことになり、日本株にはマイナスです」(大手証券マン)
ヤバイのは「株安」を加速させるリスクが世界中にあふれていることだ。金融ジャーナリストの森岡英樹氏はこう話す。
「いま、株価に対して好材料はほとんどなく、悪材料が山積しているのが実情です。中東ではイスラエルとイランが一触即発の状態。もし、中東で戦争が勃発すれば原油価格は高騰するでしょう。さらに、世界の経済大国であるアメリカと中国の景気が悪化している。しかも、アメリカファーストのトランプ前大統領が返り咲く可能性がある。トランプ政権が誕生したら、世界中に保護主義が広まり、世界経済はシュリンクする恐れがある。各国の株式市場で波乱が起きているのは、世界的なリスクオフが起きているからでしょう」
東京株式市場は、まさに「落ちるナイフ」ということだ。
アベノミクスのツケがくる
岸田政権の口車に乗せられて「新NISA」をはじめた個人投資家からは、「騙された」と怨嗟の声があがっている。
しかし、4万円まで上昇した「円安・株高バブル」は、崩壊するのも時間の問題だったのではないか。日本経済の実力を反映させた株価ではなく、しょせん、アベノミクスによって底上げされた株高だったからだ。
遅かれ早かれ、いずれ日本は、約10年間もつづけたアベノミクスという歪んだ経済政策のツケを払わざるを得ない。支払うタイミングがやってきた、ということなのではないか。
経済評論家の斎藤満氏がこう言う。
「植田日銀がアベノミクスからの転換を図ったタイミングで株価が急落したため、市場は植田総裁を悪者扱いしています。しかし、どこかで弊害の大きいアベノミクスから脱却しなければならないことは明らかです。本当は、もっと早く金融政策の正常化に着手すべきでした。遅すぎたくらいです。そもそも、金融政策の正常化といっても、植田日銀は、政策金利を0.25%に引き上げ、国債の買い入れ額を減らすことを決めた程度のことです。この程度の政策変更で株価が暴落するとは、いかに株価4万円という株高に実体がなかったかということです。もし、日本経済に実力があったら、ここまで急落しなかったでしょう。実際、アメリカ株よりも、日本株の方が下落率が大きくなっています」
結局、約10年間つづけたアベノミクスは、国民生活に恩恵をもたらさなかった。株価を上げ、大企業を潤わせたが、貧富の格差を拡大させただけだった。
中央銀行である日銀に「国債」と「株」を買い支えさせたために、いまや日本銀行が国債の5割を保有し、上場企業の筆頭株主という異常な状況になっている。
最悪なのは、アベノミクスによって、日本は「貧しい国」「安い国」になってしまったことだ。GDPはドイツに抜かれ、2025年にはインドにも抜かれて世界5位に転落すると予測されている。
10年つづけたアベノミクスのツケは、とてつもなく大きい。すでに市場はパニックとなっているが、株価の下落は、まだ序の口なのではないか。アベノミクスの答え合わせがはじまっているということだ。
http://www.asyura2.com/24/senkyo295/msg/240.html
2024年8月7日 06時00分
https://www.tokyo-np.co.jp/article/345696
戦後79年の原爆の日を迎えた6日、岸田文雄首相は広島市の平和記念式典で「核兵器のない世界」の実現に向けて取り組む姿勢を重ねて強調したが、その決意とは裏腹に米国の「核の傘」への依存を深める矛盾が浮き彫りとなった。多くの被爆者が参加を切望する核兵器禁止条約にも背を向け続け、被爆国として国際社会を核廃絶へ導くという理想には程遠い状況だ。
◆「私自身が先頭に立つ」と強調
「核兵器のない世界への道のりがいかに厳しくても、その歩みを止めるわけにはいかない」。首相は式典のあいさつで力を込めた。兵器用核分裂性物質生産禁止条約(FMCT)の実現に向けて立ち上げた友好国会合に触れ、「私自身が先頭に立って関与していく」と述べた。
任期最後の広島原爆忌を迎えた首相は核問題をライフワークとし、昨年の先進7カ国首脳会議(G7広島サミット)で核軍縮に関する初の共同文書「広島ビジョン」をまとめた。だが、この文書が肯定したように、核兵器による報復を恐れさせることで相手の攻撃をとどまらせる理論「核抑止」を強化する方向に動いている。
◆「核抑止論」転換の声にゼロ回答
ウクライナへの核使用をちらつかせるロシアや、核戦力を増強する中国や北朝鮮を念頭に、先月末には拡大抑止に関する初の日米閣僚会合を開催。松井一実市長はこの日の平和宣言で核抑止政策からの転換を呼びかけたが、首相は式典後の会見で「日米で信頼関係を高めていく重要な取り組みだ」と取り合わなかった。
冷淡なのは、核兵器を全面的に違法とする核兵器禁止条約に対しても同じだ。
「政府が条約に背を向ける状況で、私たち被爆者は海外へ出て活動することに悔しい、恥ずかしい思いをしている」。市内で開かれた被爆者団体と首相との面会で、広島被爆者団体連絡会議の田中聡司事務局長(80)はこう吐露し、条約への参加を求めた。
◆核兵器国と交渉でも成果は見えず
首相は「核兵器国を動かさないと現実は動かない」と従来の考えを繰り返し、オブザーバー参加にも言及しなかった。
被爆地選出の首相の下で、核兵器のない世界に近づいたのか。田中氏は面会後、「核抑止は私たちの思いとは程遠く、危険な道に進んでいる」と危機感を口にした。広島県原爆被害者団体協議会の佐久間邦彦理事長(79)も首相の回答に失望をあらわにし、「被爆者が被爆の実相を訴えているのに、この声をなぜ聞かないのか」と批判した。
核兵器国に核軍縮交渉を義務付ける核不拡散条約(NPT)も停滞する中、首相は目立った成果を示せていない。(近藤統義)
◇ ◇
◆規制に踏み込まず、掛け声倒れ
<広島市立大広島平和研究所の梅原季哉(としや)教授(国際関係論)の話>
米ロ間の核軍縮条約が機能不全となり、イスラエルの閣僚がパレスチナ自治区ガザへの核使用を示唆するなど、核を巡る国際情勢は楽観できない。その中で岸田首相が核問題に熱心なのは分かるが、「核使用は例外なく認められない」とは踏み込まず、かけ声倒れと言わざるを得ない。拡大抑止を強化するなら核兵器に依存しない形を目指すべきであり、日米同盟を核同盟化していく動きに被爆者が心を痛めるのは当然だ。
日本政府は核廃絶をうたっても、核兵器禁止条約など核の使用を具体的に規制することには腰が引けている。唯一の戦争被爆国として存在感を発揮するには、米国に先行不使用を促し、そこを糸口に中国との対話の場を提案するなど方策はある。米中間で核使用のリスクを低減することは、日本の安全保障にとってもプラスになるはずだ。
【関連記事】アメリカの「核の傘」アピール、岸田首相の「核なき世界」と逆の道では? 日米が「拡大抑止」初の閣僚会合
【関連記事】「核抑止論」を被爆地・広島の首長たちが批判した…その背景にある論理と実際の状況は? <Q&A>
http://www.asyura2.com/24/senkyo295/msg/241.html
https://president.jp/articles/-/84462
・・・「人体への危険性は無視できる。」
これと似たような言葉、最近どこかで聞いた記憶はないだろうか・・・。
そう言って、今も海洋に放射能汚染水が投棄されている。
二度も騙されまいぞ。
そのことを思いながら、この記事を読んだ。
人間に対する「絶望」と「希望」が文章の中で葛藤している。
長い記事ではあるが、年に一度、この時期ならではの記事として、読むことがあってもいいのではないか。
寝苦しい夜が続くこの頃、人間という生物の恐ろしさに背筋が寒くなる・・・。
以下に記事の全文を転載する。
79年前、広島、長崎への原爆投下はアメリカ国内でも止めるべきだという意見が出てきていたのになぜ実行されたのか。作家の山我浩さんは「原爆投下を決めた大統領、陸軍将校らは、事前に科学者たちが提出した警告を拒絶。投下後もその甚大な被害を矮小化した。彼らの執念は今もアメリカを呪縛しつづけている」という――。
■原爆投下直前、核兵器開発に成功した米国で作られた報告書
戦時中の1945年6月11日、シカゴ大学に設けられた、「マンハッタン計画」に勝力した7人の科学者による委員会は、原子エネルギー、特に原子爆弾の社会的、政治的影響を検討して、大統領に宛てて報告書を提出した。「政治的・社会的問題に関する委員会報告」をタイトルとするこの報告書は、委員長ジェームス・フランクの名をとって、「フランク・レポー卜」と呼ばれている。
報告書は5つの節からなり、初めに、マンハッタン計画に参加した科学者という特殊な立場から、発言するのは自分たちの義務と考え、「残りの人類はまだ気づいていない深刻な危機を知った自分たち7人が、ここでの提案をなすことが、他の人々への自らの責任である」と記した上で、科学的知見に基づいて、戦後に訪れるであろう世界の予測を行なっている。
そこでは、基礎的科学知識が共有され、またウランも独占はできないため、どんなに機密性を保持したとしてもアメリカの優位が「数年以上我々を守り続けることができると望むのは馬鹿げたことである」として、核兵器のアメリカによる独占状態も長くは続かないだろうと予測した。
■「もし日本に原爆を使ったら、他国からの信頼を失う」と警告
さらに、核兵器にはそれに応じて防ぐ有効な手段を提供できないという致命的な弱点がある。結局、核戦争の禁止協定のような、国家間の国際的合意を行なうことによってしか、戦後の核開発競争と核戦争の危機を防止できないと断じた。
報告書は、この国際的合意の締結のために、「核兵器を日本に向けて初めて使用する手段と方法が、大きな、おそらくは運命的な重要性を帯びる」とした。そして、日本に対する予告なしの原爆使用は、他国からの信頼を失い、国際的な核兵器管理の合意形成を困難にするであろうと警告。
日本に対して、無人地域のデモンストレーション実験を行なうこと、もしくは爆弾を使用する前に早急に核兵器の国際的な管理体制を作り上げるよう、訴えた。
「フランク・レポート」は、「マンハッタン計画」に従事したシカゴ大学の科学者グループから生まれた。原子炉建設など、計画初期には重要な役割を果たしていたが、ドイツが原爆を保有していないことが明らかになる1945年春頃から、グループの科学者の間から、日本への原爆使用への懸念が示されるようになった。
■科学者たちによる原爆使用への懸念は無視された
メンバーはフランクの他、ドナルド・ヒューズ、J・ニクソン、ユージン・ラビノウィッチ、レオ・シラード、J.C・スターンズ、それにグレン・シーボーグである。このうち委員長のフランクは1925年のノーベル物理学賞を、グレン・シーボーグは1951年のノーベル化学賞を、それぞれ受賞している。
「フランク・レポート」は、1945年6月11日、大統領に提出された。
紆余曲折ののち、彼らの提案は拒絶された。
のちにオッペンハイマーは「フランク・レポート」に対して、
「あの当時、反戦派と抗戦派に分断されていた日本政府が、フランクらが主張するように高高度で爆発させ、爆竹程度の被害しか与えないようなやり方で降伏したかどうか自問してみれば、答えは誰でも自分と同じようなものになるだろう。分からないのか」
と語ったが、本当に彼はそう信じていたのだろうか。
■「原爆使用はホロコースト」と指摘したインドのパール判事
終戦後、第二次世界大戦における戦争犯罪を裁くニュルンベルク裁判(ドイツ)と極東国際軍事裁判(日本)が開かれた。極東国際軍事裁判(いわゆる東京裁判)で連合国は、ニュルンベルク裁判との統一性を求めた。
インド代表のラダ・ビノード・パール判事は不同意判決書(日本の無罪を主張)の中で、アメリカが日本に原爆を投下したことの犯罪性を不問に付した東京裁判の判決に対して、痛烈な批判を投げかけた。
パール判事は、日本軍による残虐な行為の事例は、「ヨーロッパ枢軸の重大な戦争犯罪人の裁判において、証拠によって立証されたと判決されたところのそれ(ホロコースト)とはまったく異なった立脚点に立っている」と指摘した。
これは、戦争犯罪人がそれぞれの指令を下したとニュルンベルク裁判で認定されたナチス・ドイツの事例との重要な違いを示すものである。その上で判事は、「(アメリカの)原爆使用を決定した政策こそが、ホロコーストに唯一比例する行為である」と論じ、原爆投下こそが無差別的破壊として、ナチスによるホロコーストに比べられる唯一のものである、としたのである。同じ趣旨の弁論は他の弁護士も行なっている。
■パール判事は戦後もアメリカの原爆投下を激しく非難
またパール判事は、1952年(昭和27年)11月に広島を訪れ、講演を行なった。彼は、「世界に告ぐ」と語りかけ、「広島、長崎に原爆が投下されたとき、どのような言い訳がされたか、何のために原爆が投じられなければならなかったか」と強い調子で訴えた。
講演では、「いったいあの場合、アメリカには原子爆弾を投ずべき何の理由があっただろうか。日本はすでに降伏する用意ができていた。投下したアメリカから真実味のある心からの懺悔の言葉を未だに聞いたことがない」、連合国は「幾千人かの白人の軍隊を犠牲にしないため、を言い分にしているようだが、その代償として、罪のない老人や子供や女性を、あるいは一般の平均的生活を営む市民を幾万人、幾十万人殺してもいいというのだろうか」、「我々はこうした手合いと、再び人道や平和について語り合いたくはない」と極めて厳しく、アメリカの原爆投下を糾弾した。
しかし、ナチス・ドイツのホロコーストは極めて深刻かつ重大な犯罪であると断罪されたが、原子爆弾についてアメリカによる戦争犯罪であるという主張は、ついに認められなかった。
日本はアメリカに敗れた。だがそれは日本軍がアメリカ軍に敗れたということで、日本人がアメリカ人に敗れたということではない。敗れた国の民間人が蹂躙じゅうりんされた記憶を、私たちは忘れてはならない。
■アメリカ海軍は原爆投下からわずか4カ月で「問題なし」
「ATOMIC BOMBS,HIROSHIMA AND NAGASAKI ARTICLE1 MEDICAL EFFECTS」(「原爆・広島と長崎・論説1・医学的影響」)という極秘文書がある。
原爆投下直後から被爆地を調査したアメリカ海軍が投下からわずか4カ月後の12月にまとめたもので、79ページのボリュームがある。
冒頭に「米国および日本による調査に基づき、残留放射線について十分に検討した。そして、爆発の後に残る人体への危険性は無視できる程度であると結論づけた」と記されている。
危険性は無視できる範囲……この表現自体に、またしても驚かされる。一方報告書には、米軍が現地を中心に広範囲にわたって残留放射線を測定したとされており、長崎から約80キロ離れた熊本でも、日本人研究者によって残留放射線が確認されているとある。明らかに矛盾した内容である。
■オッペンハイマー「広島、長崎への投下は人体に影響しない」
この報告書が伝えようとしている最重要事項は、原爆投下による残留放射線の危険は少ない、とする主張である。そしてその根拠とされるのは原爆爆発時に発せられる初期放射線は地上に達することがないので、残留放射線は発生しないという説明である。
これはオッペンハイマーの見解によるものだ。「日本の原爆投下では、地面を放射線汚染から防ぎ、化学戦のような状況を引き起こさないように、そして、大きな爆発による以外の恐怖を招かないように、爆発高度を計算して設定した。原爆は地上600メートルという高い地点で爆発したため、放射性物質は成層圏まで到達し、地上に落ちてくるのは極めて少量になる。そのため、広島、長崎では人体に影響を与える残留放射線は発生しない」というのだ。
もしこの説明が正しかったとしたら、もし報告書が文字通り現実を表していたとしたら、投下後の一切の残留放射線は存在しなかったことになる。原爆症などに苦しむ人々もいなかったことになる。
少なくとも現在、まったく説得力を持たないと見えるこの説明が確たる根拠となって定着させられ、日本の科学者たちが広範に調査して収集した客観的な結果に示された事実、現実を、無いものとして事実上葬り去ったのである(原爆投下後に都築つづき正男東大教授が現地で収集した放射能データをGHQは没収、都築を東大から追放)。
■1955年に被爆者が訴えを起こし、三淵嘉子が裁判を担当
戦後、米国による核の独占的支配は間もなく終わりを告げる。ソ連が、アメリカの後を追って核開発を推し進め、1949年核実験に成功して第二の核保有大国となる。ソ連は1950年代には水爆実験をも成功させる。
そのソ連も、捏造したともいえる核の虚構の教科書を疑おうとしなかった。アメリカの都合で固められた理にかなわない説明を、そのまま受け入れている。もっともロシア(ソ連)にとっては、データが改竄かいざんされるなど日常茶飯事だから、アメリカが放射線量を低く見積もっていようがかまわない、ということのようだ。
1945年8月、戦いに敗れた日本はアメリカ軍に占領された。占領軍は日本人が原爆投下に疑問を抱かぬよう努めた。メディアもプレス・コードという報道管制に縛られ、沈黙を守った。トルーマンと米軍が犯した非人道的行為は闇に葬られた、かに見えた。
ところが、日本が独立を回復した翌年、1955年、広島、長崎の五人の被爆者が国を相手取って訴訟を起こす。NHKドラマ「虎に翼」の主人公のモデルとなった三淵嘉子が裁判官として担当した「原爆裁判」である。
記事の転載はここまで。
人類と核兵器は長く共存は出来ない。
核兵器を人類が廃絶するのが先か。
核兵器が人類を絶滅させるのが先か。
この戦いは、それぞれの人間の良心と悪魔との精神的な戦いでもあるのだと思う。
現実の世界では、「良心」が「悪魔」に勝つとは限らない。
http://www.asyura2.com/24/senkyo295/msg/242.html
▲このページのTOPへ ★阿修羅♪ > アーカイブ > 2024年8月