日本における生物兵器製造や核兵器の研究開発に登場するビル・ゲイツ
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2023.08.27 櫻井ジャーナル
日本政府が強引に推進している原子力発電と「COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)ワクチン」には共通の人物が関係している。ビル・ゲイツだ。
言うまでもなくゲイツはマイクロソフトの創業者で「COVID-19ワクチン」の接種を推進しているのだが、2006年には原子力エネルギー開発会社のテラパワーを設立、アメリカのエネルギー省と次世代高速炉の実証プロジェクトに乗り出した。2028年にワイオミング州で運転を開始するという。日本でも高速増殖炉の研究開発が進められてきたが、高速炉「もんじゅ」の廃炉が2016年に決まっている。
もんじゅは1991年から性能試験を始めたが、その4年後に2次冷却系のパイプが破裂、そこから2〜3トンと推定される放射性ナトリウムが漏出し、火災が発生して運転を休止してしまう。その際に動力炉・核燃料開発事業団(動燃)は事故原因が写ったビデオ映像を隠そうとした。2010年には原子炉容器内に筒型の炉内中継装置(重さ3.3トン)が落下するという事故も引き起こしている。
日本原子力研究開発機構と三菱重工は昨年1月、この計画に協力すると発表、高速増殖実験炉の「常陽」や原子力機構の試験施設「アテナ」の活用も検討されている。いずれの施設も茨城県にあり、メルトダウン事故を引き起こした東電福島第一原発を挟んで反対側に「COVID-19ワクチン」の製造工場が作られた。
日本の高速増殖炉開発はアメリカの事情が影響している。アメリカでは1972年からCRBR(クリンチ・リバー増殖炉)計画が始まるのだが、1977年1月から81年1月まで大統領を務めたジミー・カーター大統領はは基礎的な研究計画を除いて中止させる。次のロナルド・レーガン政権は1981年に計画を復活させたものの、議会は87年にクリンチ・リバーへの予算を打ち切った。
そこで高速増殖炉の推進勢力は日本に目をつけ、ジョセフ・トレントによると、推進派のリチャード・T・ケネディー陸軍大佐はクリンチ・リバー計画の技術を格安の値段で日本の電力会社へ売ることにする。日本側は核兵器に関する技術を求めた。(Joseph Trento, “United States Circumvented Laws To Help Japan Accumulate Tons of Plutonium”)
こうした動きをCIAは懸念するが、国務省やエネルギー省は賛成。核武装した日本はアジアにおけるアメリカの軍事負担は軽減されると考えた国防総省もプルトニウムや核兵器に関する技術の日本への移転に国防総省も強くは反対しなかった。
トレントの記事によると、日本の科学者はクリンチ・リバー計画の関連施設を訪れるようになり、日本側は最も欲しがったサバンナ・リバーにある高性能プルトニウム分離装置の技術を手に入れることに成功している。RETF(リサイクル機器試験施設)だ。RETFは使用済み燃料から核兵器級プルトニウムを分離する施設であり、核兵器級のプルトニウムを製造する中心的な存在である。
トレントによると、2011年3月11日に東電福島第一原発が過酷事故を起こした当時、日本は約70トンの兵器級プルトニウムを保有していたという。自らが生産した可能性もあるが、外国から持ち込まれた可能性もある。
その福島第一原発の警備を担当していたのはイスラエルのマグナBSPで、セキュリティ・システムや原子炉を監視する立体映像カメラが原発内に設置、スタッフをイスラエルで訓練していたとエルサレム・ポスト紙やハーレツ紙が伝えている。
1986年10月にサンデー・タイムズ紙が掲載したモルデカイ・バヌヌの内部告発によると、その当時、イスラエルが保有していた核弾頭の数は150から200発。水素爆弾をすでに保有し、中性子爆弾の製造も始めていたという。中性子爆弾は実戦で使う準備ができていたとしている。後にカーターはイスラエルが保有する核兵器の数を150発だとしている。(BBC, May 26, 2008)
また、イスラエルの軍情報機関ERD(対外関係局)に勤務、イツァク・シャミール首相の特別情報顧問を務めた経歴を持つアリ・ベンメナシェによると、1981年時点でイスラエルがサイロの中に保有していた原爆の数は300発以上。水爆の実験にも成功していたという。(Seymour M. Hersh, "The Samson Option", Faber and Faber, 1991)
こうした核兵器の開発や製造はネゲブ砂漠にある原子力研究センターで行われている。1990年代の初めにこの施設で大規模な事故があったと噂されている。内部の様子は不明だが、外部から炎が見えたという。
この施設は1990年から94年頃まで閉鎖された。もし深刻な事故が起こったという推測が正しいなら、核兵器の生産が困難になっている可能性もある。そうなると、どこかで核弾頭に使うプルトニウムやウラニウムを製造しなけらばならない。
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