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2022年5月16日09時25分 〜
記事 [政治・選挙・NHK286] 松井市長、1回でも報酬を得たら「非常勤講師」身内に甘い男の屁理屈(まるこ姫の独り言)
松井市長、1回でも報酬を得たら「非常勤講師」身内に甘い男の屁理屈
http://jxd12569and.cocolog-nifty.com/raihu/2022/05/post-c7baf3.html
2022.05.15 まるこ姫の独り言

自民党の細田の「100万円しかもらていない」発言に対しては、常識がないとか一般人の思考とはかけ離れているとか批判して来た人間が、自分の党所属の議員に対しての認識が甘い事!そして一般人の思考とかけ離れている事は。

松井一郎氏、所属議員の「経歴詐称」問題に「1回でも報酬を得たのなら非常勤講師」…「身内に甘い」「非常識講師」と非難の嵐
 5/14(土) 18:33配信 SmartFLASH

>「講師として、報酬を払っていただいてた講師でしょ。それは常勤ではないのはたしかなんでね。非常勤の講師だという風にとらえてますけど」

>2019年参院選の選挙公報の経歴に虚偽の疑いがあるとして、刑事告発された党所属の岬麻紀衆院議員について、記者から「たとえば頻度が1回とか2回とか、そういう頻度であったら講師として認められるのか、それとも、臨時的に報酬をいただいて講演しにいった(ことになる)のか」と聞かれての回答だ。

もう絶句するしかない。

「常勤でないなら非常勤」という 維新に都合よく定義を一括りにしてのいい加減な発言はすさまじい。

大学側が、非常勤講師としての記録はないと回答しているのに、維新の方は勝手に非常勤講師だと。

呑み屋で管をまくオッサンならまだしも、大阪という地の市長が堂々とこんな屁理屈を正気で言える神経が分からない。

さすが維新だ。

政治家は言葉を職業とすると言われてきたのに、このどんぶり勘定はなんなのか。

いつも維新は、自民党や立憲の議員に対しては、コテンパンにやり込め耳目を集めることが得意だが、自分達の党の議員がどんな悪辣な事や発言をしても、何も問題ないという立ち位置に立つ。

これほどご都合主義がどこにあろうか。

だからネットで、公の機関から1回でも報酬を受けたら「非常勤の〇〇」になるとツッコミが入れらるのだ。

あまりに往生際が悪いから誰だって言いたくなる。

そもそも、公用車でタバコを吸い、ろくに登庁はしないのに市民から評価され、あげくコロナ自粛期間中に宴会を開いて、それを質問されても逆切れしてモミ潰してきた人間だけに、屁理屈でも何でも駆使して、維新の議員を擁護するのだろう。

それだけ記者が甘かったから図に乗ってきたのと違うか?

成功体験が松井をモンスター化させたとか。。。。

http://www.asyura2.com/22/senkyo286/msg/485.html

記事 [政治・選挙・NHK286] <政界地獄耳>沖縄振興の意見書すら受け入れぬ自民党(日刊スポーツ)


【政界地獄耳】沖縄振興の意見書すら受け入れぬ自民党
https://www.nikkansports.com/general/column/jigokumimi/news/202205140000071.html
2022年5月14日8時19分 日刊スポーツ

★首相・岸田文雄は14、15日の日程で沖縄県を訪問し、15日に行われる沖縄の日本復帰50年記念式典に出席する。それに合わせた国会決議の13日の参院本会議での採決を見送った。決議は沖縄振興への決意を示し、基地負担軽減に努めるよう政府に要請する内容。直前に自民党が「日米地位協定の見直しの検討」に向けた努力を求めた記述に反発したためだ。

★一方、13日、沖縄県議会は臨時会で「沖縄の諸課題を解決し、真に平和で豊かな沖縄県を目指す本土復帰50年に関する意見書・決議」を全会一致で可決した。「国際社会においては戦争の惨禍が繰り返され、県民が願う世界の恒久平和は実現されていない。本県はさきの大戦や米国の統治による社会的損失と負荷が大きい中、国による5次にわたる沖縄振興策により社会資本が整備され県民生活は向上したものの、いまだ県民所得は全国平均の7割程度に低迷し、子どもの貧困問題や脆弱(ぜいじゃく)な産業構造、依存型経済からの脱却など克服すべき課題が多く残されている。加えて国土面積の0・6%の沖縄に70・3%の米軍専用施設が集中し、真に平和で豊かな県民生活の実現は達成されていない。政府に対しては、普天間飛行場の早期閉鎖と早期返還、米軍専用施設の大幅な整理縮小、日米地位協定の抜本的改定を求める」との内容は抜粋ながら格調高い。今の自民党はこの意見書程度も受け入れられないのかと思うと情けない。

★沖縄県の米軍の負担は基地だけではない。今なお推定約1950トンともいわれる不発弾が残されている。那覇市都心の幹線道路や住宅地の地中などで不発弾が見つかると、避難命令や道路封鎖など市民生活に支障をきたすが、もし爆発したらと考えると恐ろしい。「本土並み復帰」と思っているのは県外の人たちばかりではないか。復帰の意味と質が問われる。(K)※敬称略

http://www.asyura2.com/22/senkyo286/msg/486.html

記事 [政治・選挙・NHK286] 変わらぬ沖縄差別の基本構造(植草一秀の『知られざる真実』)
変わらぬ沖縄差別の基本構造
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2022/05/post-748e79.html
2022年5月15日 植草一秀の『知られざる真実』

沖縄が返還から50年を迎えた。

沖縄は日本の独立回復と引き換えに日本から切り棄てられた。

1952年4月28日。

サンフランシスコ講和条約が発効した。

同条約が調印されたのは1951年9月8日。

サンフランシスコ講和条約には以下の条項が盛り込まれた。

第六条
(a)連合国のすべての占領軍は、この条約の効力発生の後なるべくすみやかに、且つ、いかなる場合にもその後九十日以内に、日本国から撤退しなければならない。

サンフランシスコ講和条約の発効は日本の独立回復を意味し、この条約の発効をもって占領軍が日本から撤退することが定められた。

しかし、この条文にはただし書きが付けられた。

これが上記第六条(a)後半の次の一文だ。

但し、この規定は、一又は二以上の連合国を一方とし、日本国を他方として双方の間に締結された若しくは締結される二国間若しくは多数国間の協定に基く、又はその結果としての外国軍隊の日本国の領域における駐とん又は駐留を妨げるものではない。

米国はこの但し書きを付すことによって日本の独立を認めた。

1951年9月8日午前、サンフランシスコ講和条約に調印した日本の首相吉田茂は、サンフランシスコの米軍第6軍司令部プレシディオ(将校集会所)に連行され、ここで、午後5時、日米安全保障条約に署名した。

米国の求めたものは、米国が必要と考える軍隊を、米国が必要とする場所に、米国が必要とする期間、日本国内に自由に駐留させることだった。

「9月8日午後5時にプレシディオで安保条約署名式」と米側から通告されたのは外務省条約局長だった西村熊雄氏。

西村氏による回想録「サンフランシスコ平和条約 日米安保条約」(中公文庫)によると、吉田首相が講和条約受諾演説をした9月7日夜の会議が終わり、午後11時近くに議場を出ようとするときに、西村氏がGHQ外交局長だったシーボルト大使から呼び止められて、このことが通告された。

これを西村氏が同日深夜に吉田首相が宿泊していたスコット邸に赴き、首相に伝えた。

プレシディオの署名式で条約に署名したのは吉田茂首相一人のみ。

署名式に同席した全権のうち、星島二郎(自由党)、池田勇人(蔵相)、一万田尚登(日銀総裁)は署名しなかった。

民主党の全権である苫米地義三は署名式に出席せず、参院緑風会の徳川宗敬も西村局長は不在だったと回想録に記している。

民主党は講和条約には賛成したが、安保には賛成しなかった。

当時民主党衆院議員だった中曽根康弘は国会での安保条約承認の採決を欠席した。

日本は米軍の駐留継続と引き換えに独立回復を獲得した。

爾来、米軍の駐留が現在まで続く。

サンフランシスコ講和条約第六条(a)の主文は守られていない。

これだけではない。

日本が独立回復と引き換えに切り棄てたものがあった。

それが、同条約第三条に記された。

第三条
日本国は、北緯二十九度以南の南西諸島(琉球諸島及び大東諸島を含む。)孀婦岩の南の南方諸島(小笠原群島、西之島及び火山列島を含む。)並びに沖の鳥島及び南鳥島を合衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下におくこととする国際連合に対する合衆国のいかなる提案にも同意する。このような提案が行われ且つ可決されるまで、合衆国は、領水を含むこれらの諸島の領域及び住民に対して、行政、立法及び司法上の権力の全部及び一部を行使する権利を有するものとする。

沖縄を含む南西諸島を日本から切り棄てることによって日本は独立を回復したのである。

サンフランシスコ講和条約発効は1952年4月28日。

安倍晋三元首相はこの日を「主権回復の日」として記念日にすべきと主張した。

安倍晋三氏はGHQのGS(民政局)が主導して制定した日本国憲法が施行された5月3日よりも、サンフランシスコ講和条約が発効した4月28日の方が重要であるとの主旨の発言を示していた。

しかし、4月28日にはまったく別のもう一つの意味が存在する。

「日本政府が沖縄を切り棄てた日」という意味。

4月28日は沖縄にとって「屈辱の日」である。

日本の名目上の独立は1952年4月28日に回復された。

しかし、その独立回復は、米国による軍隊日本駐留という特殊な条件が付せられた括弧付きの「独立」に過ぎなかった。

実施的な植民地状態の「独立」であったが、この状況をいまなお変えられずにいる。

そして、その「独立」は沖縄を含む南西諸島を日本から切り棄てることによって獲得した括弧付きの「独立」だった。

その沖縄が1972年に日本に返還されたが、沖縄の基地負担は一段と過重なものになった。

日本の国土面積の0.6%しかない沖縄に日本における米軍専用施設の70%が集中している。

沖縄差別はいまなおくっきりと残されている。

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http://www.asyura2.com/22/senkyo286/msg/487.html

記事 [政治・選挙・NHK286] 大阪・長崎「カジノ誘致」の大風呂敷? 「維新」よ、大丈夫か!(サンデー毎日)

※サンデー毎日 2022年5月22日号 紙面クリック拡大

大阪・長崎「カジノ誘致」の大風呂敷? 「維新」よ、大丈夫か!
https://mainichibooks.com/sundaymainichi/column/2022/05/22/post-932.html
サンデー毎日 2022年5月22日号

牧太郎の青い空白い雲/864

 和歌山県議会は4月20日、カジノを含む統合型リゾート(IR)誘致について、計画の国への申請を反対22、賛成18で否決した。仁坂吉伸知事に「痛恨の極みだ」と言わしめた4票差。最大会派の自民(27人)が党議拘束をかけずに採決に臨んだためだろう。

「超大物」の二階俊博元幹事長、世耕弘成参院幹事長の地元で、この体たらく。自民党もアチコチで「綻(ほころ)び」が見えてくる。

 それ以上に動揺しているのは衆院選で躍進した日本維新の会(以下、維新)ではないだろうか。

 横浜市の誘致撤回に続き和歌山県の「頓挫」で、誘致を目指す自治体は大阪府と大阪市、長崎県だ。

「維新」が強力に推す「2025年に開催する万博会場・夢洲(ゆめしま)に誘致する大阪案」(米カジノ大手MGMとオリックスの共同計画)は――。初期投資1兆800億円。2028年開業を予定し、2500人収容の宿泊施設、6000人が利用できる国際会議場など巨大な施設を造る。雇用創出数は約1万5000人。府と市に毎年1100億円のカネが落ちる。

 結構な話である。

 ハウステンボスの隣接地へ誘致しようと決めた長崎案(オーストリア国営CAIJが計画)は――。九州圏内への経済波及効果が年3200億円。雇用創出効果は3万人前後。最大1万2000人を収容できるMICE(会議・展示場)施設も建設するという、究極の箱モノ。国からの「巨額の補助金」もある。

 でも、大風呂敷じゃないか?

 コロナ禍で「何千人も集める会議」を行う必要はない。リモート会議でいいじゃないか? なぜ「広い会議場」が必要なのか。2018年に施行されたIR整備法が「カジノ施設は(IR)施設全体の床面積の3%以下に制限する」と決めているからだ。カジノで儲(もう)けるために「広い会議場」が必要なのだ。

 今、パチンコ人口は710万人程度。少しだが減っている。果たして、カジノにどのくらい客が集まるのか。「維新」が進めようとする「大阪案」について、関係者の多くが「黒字になったとしてもこれは50年先の話」と漏らす。コロナ禍で国内外の観光需要は不安定。しかも、ウクライナ侵攻の経済制裁での原油価格高騰もある。加えて「悪い円安」が進んでいる。

 ANA(全日空)とエアージャパンは、国際線の燃油特別付加運賃(燃油サーチャージ)を6月発券分から大幅引き上げする(例えば日本発着の片道あたり、ハワイを除く欧米・中東・オセアニア線は3万7400円)。ロシア領空の飛行禁止措置で迂回(うかい)ルートを取ったので運賃は上がるだろう。カジノの「お得意さん」と期待する韓国の「反日の空気」もリスクだ。

 今、日本でカジノを開いたら「廃墟(はいきょ)」になる。「維新」の面々が、これらリスクを隠し「大阪はカジノで再生する」と主張すれば、コレは欺瞞(ぎまん)だ!

http://www.asyura2.com/22/senkyo286/msg/488.html

記事 [政治・選挙・NHK286] 沖縄返還50年(東京新聞)
2022年4月19日 07時45分

ttps://www.tokyo-np.co.jp/article/172597

 一九七二年五月。沖縄が米国から日本に返還された。沖縄の悲願だった本土復帰。しかし、それから五十年となる今も沖縄には米軍基地が集中し、負担は軽減されていない。沖縄の「戦後」は終わったと言えるのか。

<沖縄返還> 日米間の沖縄返還協定が1972年5月15日に発効し、沖縄は本土に復帰した。米軍統治下の沖縄では、車は右側通行、本土への渡航にはパスポートが必要だった。通貨は58年まで米軍発行の軍票「B円」など、それ以降は米ドルが使われた。協定を巡っては、返還にかかる費用を日本政府が肩代わりする密約があったことが後に明らかに。現在でも沖縄には、在日米軍専用施設の約7割が集中。普天間飛行場の辺野古移設を巡り対立や混乱が続いている。


◆自己決定権なし 今も 作家・詩人・池澤夏樹さん

 人間の幸福感の一つが自己決定権。沖縄はそれを持っていません。県民投票で意思を示しても全部無視される。こんな不幸なことはない。
 その根源には、琉球王国が薩摩藩に占領された時以来の虐げられてきた歴史があります。太平洋戦争でも、国内で地上戦となったのは硫黄島と沖縄だけ。多くの住民が亡くなった。その果てに、米国の軍政が二十七年間続きました。
 そして復帰。この五十年をどう考えるか。一つは基地問題。米軍基地の態勢はほとんど変わっていない。米軍の飛行機から部品は落ちる。時に飛行機そのものも落ちる。普天間飛行場周辺は最悪。一日の授業時間の一割は、先生の声が聞こえない。県内の至る所に影を落としています。自分の夢を自分で決められないのはあまりにつらい。
 一方で、経済的には五十年で豊かになりました。県民は今はお米を食べています。昔は芋。主食がこんなに早く切り替わったのは珍しい。都市化も進んだ。沖縄はもともと住みよい土地なんです。特別な文化がある。食べ物はおいしく、歌が盛ん。みんな自分の郷土を愛している。年収は日本で最低だけど、ゆったりしています。
 沖縄を語るときは、この二つの面の両方を見ないといけない。政治的なこと、米軍の動静や沖縄差別の構造などを知った上で、なおかつ基本的には良い所だということを体感すること。この二つをどう評価するかで復帰・返還の印象が分かれます。
 沖縄では、居酒屋で飲むうちに「独立しよう」となる「居酒屋独立論」が一時期、ありました。しかし、あのサイズで国となる場合、普通、軍事と外交は大きな国に預けるんです。まさに沖縄の大問題になっている二つ。独立戦争をすると言っても軍隊はないし、自衛隊は味方になってくれないでしょう。独立論は今のところは夢想と言うしかないのです。
 こうした沖縄の現状や人々の思いを内地の人は知らないし知ろうとしない。沖縄なんだからいいだろうと思っている。確かに沖縄は地理的・歴史的に不運だった。でもそれだけではない。間違いなく、誰かが悪いんです。倫理的に許されない。これは沖縄のために言っているのではありません。愛国者として言いましょう。国の在り方として恥ずかしいことなのだと。
 (聞き手・大森雅弥)

<いけざわ・なつき> 1945年、北海道生まれ。芥川賞、谷崎賞などを受賞。94年から10年間、沖縄で暮らす。沖縄関係の著書に『沖縄への短い帰還』(ボーダーインク)などがある。


◆米支配27年にも目を 琉球大名誉教授・比屋根照夫さん

 一九七二年当時、社会は騒然としていました。力と力が激突するような時代。安保闘争と沖縄返還闘争、ベトナム反戦運動が三位一体となっていました。あの頃、私は東京にいて、頻繁に行われるデモや集会にも参加していました。
 沖縄の復帰運動が掲げたスローガンは、米軍基地の無条件全面返還でした。基地のない平和な島に。それが沖縄の願いでした。ところが、日米両政府が決めた沖縄返還協定は、運動の理念を実現するものではありませんでした。沖縄の命運に関わる重大な協定なのに、民意はないがしろにされました。
 返還協定が審議された「沖縄国会」では、野党が反対し、国会周辺ではデモが繰り返されました。にもかかわらず、与党は強行採決しました。その状況を見て、私はこう思いました。この国と沖縄の関係とは何なのか。祖国とは何なのか。
 協定発効の記念式典の日、沖縄は雨で、混乱の中、大規模な抗議集会が開かれました。それから五十年が過ぎます。ただ、五十年というスパンだけで考えるのは不適切です。あの凄惨(せいさん)な沖縄戦から見ないと、沖縄の現代史は分かりません。
 五二年発効のサンフランシスコ講和条約で沖縄は日本から切り離され、米軍統治下に入りました。敗戦から復帰までの二十七年間、日本の領土の一角が外国の支配下に置かれたのです。この間、沖縄は日本国憲法の枠外にあり、言論統制や人権侵害が横行しました。殺人、暴行なども多発しました。
 返還協定で米国は、沖縄の施政権を返す見返りとして、基地を残すという選択をしました。協定では、日米同盟関係の強化もうたわれています。それは沖縄だけでなく、日本の安保政策に関わる問題です。
 この五十年で、さまざまな変化がありました。一つは経済構造です。かつては米軍の雇用が一定の経済効果を持っていました。しかし今では、観光業など基地外で働く人が多くなりました。基地がなくなると沖縄の経済は衰退するという人がいますが、それは間違いです。
 今も変わらないのは、米軍基地です。さらに、自衛隊駐屯による先島諸島の軍事的強化が進んでいます。基地があると攻撃される。それは沖縄戦の例からも明らかです。「非戦」こそが沖縄戦から学ぶべき教訓です。 (聞き手・越智俊至)

<ひやね・てるお> 1939年、愛知県生まれ。終戦翌年の46年から沖縄で育つ。東京教育大大学院修了。専門は沖縄近現代思想史・言論史。著書に『戦後沖縄の精神と思想』など。


◆米兵事件 若者動かす 映像作家・美術家・山城知佳子さん

 私の幼少期は、頭に籠を載せて魚を売るおばぁがまだ健在だった時代。祖母は標準語を強制するために方言を話した人に罰として掛ける、戦後まで続いた「方言札(ふだ)」の影響で、うちなーぐち(沖縄語)を孫には話しませんでした。そのため、私はうちなーぐちは話せません。
 那覇の新興住宅地で生まれ育ったため、地域芸能に触れることもできませんでした。高校生ごろまでは、沖縄の文化を誇りに感じることはできなかったです。私にとって、歌三線(うたさんしん)はおじぃ、おばぁのものというイメージでした。
 日本に復帰しても米軍基地は残り、それはずっと変わらない。当時の沖縄には諦め感がまん延しているように感じていました。私もいつの間にか「沖縄はだめなんだ」という劣等感を抱き、自信が持てませんでした。
 そんな中、一九九二年にロックバンド「THE BOOM」が発表した「島唄」の大ヒットは衝撃でした。作詞・作曲した宮沢和史(かずふみ)さんは県外の人でしたが、客観的な異邦人の目だからこそ沖縄の良さを感じられたのではないでしょうか。
 歌手の安室奈美恵さんらが人気になるなどの沖縄ブームの一方、九五年に起きた米兵による少女暴行事件が当時の県民の、特に若い世代の意識を変えたと思います。当時大学生だった私も自分事として傷つき、また過去の事件を知り、問題意識が強く芽生えました。米軍を巡る問題が放置される一方、文化面では持ち上げられる。それって、「アメとムチの構造じゃないの?」と意識するようにも。 
 「島唄」は純粋な音楽として誇りにつながる再発見でしたが、他の文化を大々的に持ち上げるキャンペーンは、裏に政治的駆け引きがないかと見るようにもなりました。消費される沖縄ではありたくない。エネルギーを奪われてしまいたくない。
 地域芸能もできず、うちなーぐちも話せない私が、表現の器として出会ったのがアート。キャンペーンの華やかなビジュアルの沖縄に対し、そこには決して入ってこない米軍基地の問題。当時、このギャップを生活者の実感として拾うべきだと考え、沖縄を見つめ、言語を超えて世界と対話できる映像作品の制作を始めたのが出発点です。
 沖縄の不条理は、日本全体の問題だととらえる俯瞰(ふかん)的な視点が必要ですが、政治はむしろ隠そうとしていますよね。
 (聞き手・清水祐樹)

<やましろ・ちかこ> 1976年、沖縄県生まれ。主に映像・写真で、生まれ育った沖縄の歴史と自身との関係に向き合い、身体感覚に訴え掛けるイメージの作品を手掛ける。東京芸術大准教授。

ーーー以上引用

ちょっと古い記事で、タイミングはずれかな?
http://www.asyura2.com/22/senkyo286/msg/489.html
記事 [政治・選挙・NHK286] 沖縄核抜き本土並みの虚実<本澤二郎の「日本の風景」(4446)<メースB核撤去費用は日本側莫大負担でペンタゴン大喜び>
沖縄核抜き本土並みの虚実<本澤二郎の「日本の風景」(4446)
http://jlj0011.livedoor.blog/archives/32787129.html
2022年05月16日 jlj0011のblog

<メースB核撤去費用は日本側莫大負担でペンタゴン大喜び>

 政治屋は平気で真実を隠したり嘘をつく、主権者を裏切る人種だ。ゼレンスキー・プーチン・バイデンだけではない。沖縄の復帰50年を機会に「核抜き本土並み」に関連した門外不出の真相を紹介する。沖縄返還を目前にした1969年11月の佐藤首相とニクソン大統領の首脳会談前後に、これが現地の琉球政府と永田町を激しく揺さぶった。

 外務省は、駐米大使からの報告で「困難」との立場を崩さなかった。しかし、三木武夫外相ら自民党内のハト派は「本土並み返還」を主張、佐藤を追い詰めていた。無論のことで琉球政府は、核抜き本土並みを強硬に訴えて、これに同情的なリベラル派・木村俊夫官房副長官を困惑させていた。

 他方で、佐藤は京都産業大学の若泉敬を密使として、ニクソン大統領補佐官のキッシンジャーらと接触させていた。例の「非常時の核持ち込み」密約を推進する羽目に追い込まれる。非核三原則は最初から水漏れだった。この返還密約を、毎日新聞の西山太吉記者が、ワシントンからの外務省への極秘電文の写しを入手し、これが野党の社会党に持ち込まれたものだから、国会が大混乱におちいる。米国立公文書館で、この密約が証明されるのは、大分あとのことである。さてその前の大問題は「沖縄の核メースB」撤去に米国防総省が応じるのかどうか。これが日本政府最大の難問だった。

 政府部内は、外務省の意向を受けて厳しい見方をしていた。こうした場面でいち早く「ワシントンはOK。むしろ歓迎している」という信じられない情報を、自民党本部国際局と情報局国際部は入手していた。当時の国際局長は、岸内閣の外務省事務次官の山田久就、情報局国際部主任の中原義正。

 当初は佐藤も自信がなかった。現に明言を避けていたが、若泉報告で確認することになる。日米首脳会談直前の屋良朝苗主席との会見の場面で、佐藤の表情が緩む。

<アメリカが撤去プロポーズを求めていたというのが核抜きの真相>

 自民党の国際部は、有楽町の外国人特派員協会の米人記者(当時ワシントンポストのロバートハロランやNYタイムズ記者)と接触を試みていた。その目的は米国内世論工作のためである。幸い、彼らはホワイトハウスや国防総省(ペンタゴン)の内情に詳しくキッシンジャーともパイプがあったようだ。

 核兵器の維持や撤去には、法外な費用がかかる。「日本で負担してもらいたい」というのが、ワシントンの意向だった。日本国内では、この事実は全く報道されていない。今もってだ。費用にどれほど掛かったのか?会計処理は?これは未だに不明である。米国は日本側からの核抜き本土並みは、願ってもないことだったのだ。

 横道にそれる。1972年2月に三木外相が北京入りしている。三木を案内した周恩来秘書を上海でつかまえた。彼は中国共産党の要人から依頼されていたことがあった。それは「尖閣(釣魚島)は中国の領土。三木に受け入れるように伝えるように」と。

 三木は仰天してしまった。「そんなことをしたら私は帰国した途端、殺される。それならすぐ帰る、と周恩来総理に伝えてほしい」と。秘書が総理に報告すると、周恩来は即座に問題の要人に連絡した。「今の我々の仕事は、日本との国交正常化の問題だ。領土問題ではない」と釘を刺し、事なきを得た。

 三木は「沖縄は核抜き本土並み返還で決着がつく。私も自民党総裁選に出るが、田中と大平の日中正常化路線で三者は協力する」と伝えると、周恩来は「ありがとう」と感謝を述べた。三木・田中・大平の三派連合に中曽根派も加わって、岸と佐藤が支援した福田赳夫は敗北することになるが、北京は田中内閣誕生を5か月前に知ったことになる。

 外交部の孫平化と肖向前がいち早く、そのための体制づくりのために日本に入るが、周恩来の外交手腕を裏付けている。7月7日に七夕内閣、3か月後の田中・大平訪中によって日中関係は正常化する。尖閣が浮上するのは、石原慎太郎や山東昭子らと当時の松下政経塾の野田内閣である。

<原因は固定の中距離核基地は時代遅れの危険なミサイル>

 中原は「メースBという中距離弾道ミサイルは、戦略的に時代遅れになっていた。核抜きは日本側の要請ではなく、アメリカからのプロポーズだった。既にペンタゴンは、ミニットマンという潜水艦から発射する大陸間弾道ミサイルを投入していた。これは一発から16発の核弾頭が発射される威力あるもので、メースBは固定基地のため、むしろ危険だった。いま自民党極右が敵基地攻撃を叫んでいるが、移動するために無意味、馬鹿げた議論だ。カネを引き出すための防衛論で、国民を騙すのもいい加減にすべきだ」などと語っている。

<沖縄も日本政府も不安、米国は密約(非常時持ち込み)でウハウハ>

 知らぬは日本人のすべてが、核抜き本土並みに懸念を抱いていたが、実際はアメリカの撤去要求が真相だった。そのための撤去費用は、今も秘密にされている。野党は質問さえしていない。1972年1月の自民党本部8階の新年会で、佐藤は突然、党本部職員だった若い中原を呼んで、乾杯の音頭を取らせた。こんなことは前例がない。

 核抜き本土並みで一番喜んだのは、ニクソンの方だった。しかも、密約で核の持ち込みを約束させていた。それでも佐藤は、ノーベル平和賞をもらった。政治のいい加減さでもある。 

<安倍父子の核兵器製造野望疑惑は本当か=どう動く米CIA>

 オウム事件やもんじゅ西村成生謀殺事件、フクシマ東電原発4号機疑惑などから、岸の一族が核兵器製造の野望を抱いていることが、ぼんやりと見えてきたようだ。

 拉致問題を棚上げしてきた安倍、オウム死刑囚の大量処刑を喜ぶ安倍、そしてフクシマ隠しの4兆円五輪賭博と4号機の秘密工場疑惑について、日系米人ジャーナリストの島津洋一レポートは、かなり突っ込んだ取材をして、一部の専門家を驚かせている。

 「日米安保は日本核武装を阻止するため」と明かすキッシンジャーの言動をホワイトハウスは、そしてCIAは今どのように受け止めているのか?

<岸・佐藤・安倍の遺伝子に振り回される日本の悲劇>

 思えば商工官僚・長州の岸が、財閥の代弁者となって東条英機内閣の商工大臣、敗戦でA級戦犯容疑で巣鴨刑務所入りしたものの、CIAに見初められて軌跡の政界入り、ついで政権を手にするや実弟の佐藤、娘婿の安倍父子へと、日本軍国主義の本格復活へと走らせている!

 旧国家神道・統一教会を配下に従えて!

 とどのつまり悲劇は沖縄だけでなく、日本列島全体へと拡大している?違うだろうか。日本国憲法死守が、日本国民と日本政府・アジア諸国民の役割ではないだろうか。沖縄の戦後は終わっていない。

2022年5月16日記(東芝製品不買運動の会代表・政治評論家・日本記者クラブ会員)

http://www.asyura2.com/22/senkyo286/msg/490.html

記事 [政治・選挙・NHK286] 菅前首相「円安メリット活用を」発言の仰天…疑問と批判が続出、経済評論家も一刀両断!(日刊ゲンダイ)

菅前首相「円安メリット活用を」発言の仰天…疑問と批判が続出、経済評論家も一刀両断!
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/money/305226
2022/05/16 日刊ゲンダイ


岸田政権に注文(菅前首相)/(C)日刊ゲンダイ

 まさか自民党政権は、この「円安」を歓迎しているのか。

 急速に進む円安について、「全体としてプラス」と評価した日銀の黒田総裁につづいて、菅前首相が14日、出身地の秋田で講演し「円安メリットの活用を」と訴えた。総理時代に推進した「インバウンド」(訪日外国人客)事業をあげて、「円安のメリットをもっと活用すべきだ」と岸田政権に注文をつけた。

 2019年に日本を訪れた外国人観光客は、過去最高の3188万人に達し、その旅行消費額は4兆8000億円に拡大していた。国別では、1位が中国(1兆7704億円)、2位台湾(5517億円)、3位韓国(4247億円)だった。2020年以降は、世界的なコロナ禍によってインバウンド需要は、ほとんど蒸発している状態だ。

 たしかに、「円安」が進めば進むほど、訪日外国人観光客を増やすことにつながるのは間違いないが、問題は、このまま1ドル=130円の「円安」を放置することが、日本経済全体にとって、はたしてプラスなのかマイナスなのか、ということだ。

「日本を安く売る政策」の恩恵を受けるのは…


自身のインバウンド事業を挙げていたが、日本を安く売るのはどうなのか(C)日刊ゲンダイ

 ネット上では、菅氏の発言に対して<自国通貨が安いという事は、その国の民は疲弊して、外国人が得をするという意味です><円安により得をする人なんて、日本人の少数派なんだけど、輸出企業がメインの経団連企業は円安の方が得をする>と、疑問の声が噴出している。

 経済評論家の斎藤満氏はこう言う。

「円安が進んだのだから、せめてインバウンドで稼ごうということかも知れません。しかし、日本を安く売る政策は国民全体から見たらプラスにならないと思う。輸入物価を押し上げて、庶民の暮らしを苦しくするだけです。企業にとってもマイナスでしょう。ロイター通信の調査によると、1ドル=120円超の円安を“減益要因”と回答した企業は48%に達し、“増益要因”の23%を大きく上回っている。もちろん“円安”によって輸出大企業は儲かるでしょうが、過去10年間を振り返っても、大企業は儲けても内部留保を膨らませるだけです。トリクルダウンは起きないでしょう」

 自民党は誰の利益を優先させているのか。

http://www.asyura2.com/22/senkyo286/msg/491.html

記事 [政治・選挙・NHK286] 「野党連携」まだ間に合う! 見えてきた決戦の構図(サンデー毎日)

※サンデー毎日 2022年5月22日号 各誌面クリック拡大



※サンデー毎日、文字起こし

「野党連携」まだ間に合う! 見えてきた決戦の構図

 夏の参院選へ向け、なかなか足並みがそろわない印象だった野党。だが、大型連休を挟んで、ようやく動き始めた。6月22日公示、7月10日投開票の見通しで、選挙戦まで1カ月半を切ったが、野党連携は間に合うのか。そして、合従連衡による決戦の構図は……。

 まず、れいわ新選組の山本太郎代表が4月15日、衆院議員を辞職し、夏の参院選に出馬すると表明した。

「参院選が終われば、岸田(文雄)政権や自民党にとっては『黄金の3年間』とも言われ、国政選挙が行われない空白期間になる可能性がある。その間に政治は暴走する。今の(ウクライナの)状況が続けば好戦的な外交により、戦争当事国になることもあるかもしれない。野党が数を一つでも増やし、野党間で危機を共有し、声を大きくして政府や与党に対抗できるようにしなければならない」

 こう述べた山本氏だが、与党やメディアは「身勝手」と論評した。選挙の度に転身しているからだ。2013年参院選に初当選。野党の一員として小沢一郎氏らと活動を共にしていたが、19年春にれいわ新選組を独自に結党した。同年夏の参院選に比例代表で出馬し、全候補者で最多の99万票余りを獲得し、名簿上位の2人を当選させた。昨秋の衆院選は比例代表東京ブロックから出馬して当選。山本氏が辞職しても比例で繰り上がり、れいわは衆院の議席数をキープする。今夏は参院選へ移り、議席をさらに増やす狙いだ。

「総選挙から任期が1年にも満たないのに参院へ出るのは東京の有権者をバカにしている」(自民党幹部)

 批判は一理ある。だが、山本氏が行動する裏側には信念があるという。山本氏をよく知る民間ブレーンは次のように語る。

「元々、山本氏は野党が一つになるべきという考え。進まないのでれいわを作り、ある程度の数を持って発言力と存在感を持ち、その上で野党各党に対等な形で結集を働きかける戦術に変えたのです。目指すは野党結集。その証拠に今回は1人区に候補を出さず、選挙協力しています。今回の出馬を立憲民主党幹部は『覚悟を歓迎すべき』として、立憲内は国民民主党や日本維新の会の動きに振り回されず、したたかに戦う姿勢に変わってきた。きっかけを作れたのではないか」

 立憲と国民民主の不協和音に対し、地方議員や地方組織も困惑してきた。

 国民民主は今年度予算案に賛成し、政策別に自公と協議するなど与党寄りの姿勢を見せた。参院選も共産党などとの統一候補に反発し、独自に維新やファーストの会と協力するなど兄弟政党≠ニ言われてきた立憲に一線を画してきた。

 立憲は連休前から戦術を切り替えている。「『振り回されるな』という意思統一が、地方組織も含め党内にようやくできてきた」と話すのは立憲幹部の一人だ。さらに続ける。

「元々確執はあるが、今回は地域事情にすぎない。それを与党や一部マスコミが殊更、対立構図に仕立てて両者の分断を図っている」

「大人の戦術」に動き始めた立憲

 たとえば、京都で国民民主と維新が協力し、立憲現職の福山哲郎前幹事長に対抗馬を立てようとする動きだ。ここは国民民主の前原誠司選対委員長と福山氏の折り合いが悪く、「真相はずっと続いてきた『前原vs.福山』の構図であり、政党同士の次元の話ではない」(立憲ベテラン)。

 事態は二転三転。内情が前原氏の個人の力学≠セったことや、玉木雄一郎代表とのすり合わせがなかったなど党ガバナンスの欠陥もあり、維新と党同士の調整で混乱が続く。

 立憲は水面下で「大人の選挙戦術」(前出の立憲幹部)も取り始めた。

「たとえば岐阜。隣の愛知が国民民主の牙城でもあり、国民民主が候補を出すなら『立憲は引こう』と気遣い、愛知の国民民主幹部とは理解し合えている。参院選が終わり、もし国民民主内に与党との距離などで路線対立が生まれれば、出てくる人には『我々が受け入れますよ』という下地にもつながる」(同)

 連休前後、地方取材に居合わせた泉健太代表へ選挙戦術を聞くと、こう答えた。

「国民民主がどうであろうが、まず立憲は立憲だけのことを考えてやる。1人区も立憲がまず旗を掲げ、一緒にやれるなら共産党だって一緒にやりましょうと」

――水面下では国民民主と話もしているようだが?

 泉氏「岐阜だけじゃない。岡山、滋賀……」

――要は「戻ってくるなら場所は空けておきます。多少のペナルティーもあるかもしれませんが……」ということなのか?

 泉氏「そうです」

 今、全国の地方組織を取材すると、立憲と国民民主の双方の支持労組幹部や支援者の中には、方向性が見えなかった立憲の選挙戦術や、玉木執行部への不安を口にする人が多い。それは来年の統一地方選に向け、「『国民民主が与党に近づいている』などと言われ、来年我々はどの看板で戦うのか。できれば参院選は野党という旗をはっきり掲げてほしい」(九州の産別労組幹部)というものだ。立憲に起きた変化は、そんな声に応えるためでもあった。

 立憲は大型連休を機に独自の世論調査を実施した。決して楽観できる状態ではないが、巷間(こうかん)メディアなどで予測されている自民党圧勝でもないという。

「1人区は地域ごとに共産も含めた統一候補が進んでいる。複数区は二つが大混戦だが、場合によっては直前に力業で候補者調整を一気にやり、確実に議席を取る英断をすることもあり得る」(前出の立憲幹部)

 自民党有利の見方を同党選対ベテランは警戒する。

「1人区は東北、北信越、九州の合わせて11が危ない。複数区でも前回2議席を取った所は安泰ではない。最終的な勝敗を決めるのは比例だろう。2位を立憲が取るか維新が伸ばすか」

 冒頭の山本氏の指摘は的を射ている。今回の参院選は向こう3年の経済、安全保障など、極めて重要政策を決定づける事実上の政権選択選挙なのだ。与党と対峙(たいじ)する野党には覚悟やしたたか戦略は絶対条件だ。

ジャーナリスト 鈴木哲夫

すずき・てつお 
 1958年生まれ。ジャーナリスト。テレビ西日本、フジテレビ政治部、日本BS放送報道局長などを経てフリー。豊富な政治家人脈で永田町の舞台裏を描く。テレビ・ラジオのコメンテーターとしても活躍。近著『戦争を知っている最後の政治家 中曽根康弘の言葉』『石破茂の「頭の中」』

http://www.asyura2.com/22/senkyo286/msg/492.html

記事 [政治・選挙・NHK286] <何から何まで米国の言いなり>やがて列島全体が沖縄化していくだろう(日刊ゲンダイ)

※2022年5月16日 日刊ゲンダイ1面 紙面クリック拡大


※紙面抜粋


※2022年5月16日 日刊ゲンダイ2面


※文字起こし

「いったい日本とは何なのか」(朝日新聞)

「続く不条理を放置できぬ」(毎日新聞)

「自立と安定の未来を築きたい 国と県が協力し基地負担減らせ」(読売新聞)

「沖縄の重み 再確認する復帰50年に」(日経新聞)

「協調と発展の道を進め 県は抑止力の大切さ認識を」(産経新聞)

 沖縄が1972年の本土復帰から50年を迎えた15日、全国紙は社説でこぞって米軍基地問題を論じていた。国土面積0.6%の沖縄に約7割が集中する異常な負担の軽減を訴えるのは当然だが、ロシアによるウクライナ侵攻をダシに国防の最前線を担えと言わんばかりの論調もあった。根底にあるのは、自衛隊と米軍の一体化によって抑止力が高まるというご都合主義のロジックだ。何から何まで米国の言いなりでは、やがて日本列島全体が沖縄化していくだろう。

 基本的人権や言論の自由を奪われた米軍統治下から「平和憲法の下への復帰」を求め、「基地のない平和な島」の実現を待ち望む沖縄県民の思いは、半世紀を経てもないがしろにされている。

 復帰前後に実施されたのは、沖縄ではなく本土の米軍基地削減だった。71年から73年にかけて本土は214平方キロから102平方キロに半減したが、沖縄では324平方キロから275平方キロに縮小されただけで、15%減にとどまる。本土に展開していた米軍部隊の一部が沖縄に移され、一極集中の構図が出来上がったのだ。

日米間の売国的な取り決め

 沖縄返還にあたり、日米は基地負担をめぐる基本方針について「核抜き・本土並み」としたが、当時の佐藤栄作首相とニクソン大統領は「重大な緊急事態の際には、米国は再び沖縄に核兵器を持ち込む」との密約を交わし、「本土並み」は日米安保条約の適用にすり替えられた。米軍が基地を復帰前と同じように使うことを認める合意も秘密裏に結ばれ、それは日米地位協定によって担保され続けている。「国内法不適用」の特権を持つ米軍が水際対策を無視し、沖縄に新型コロナウイルスをまき散らしたことでも地位協定の不条理は浮き彫りとなった。

 沖縄国際大大学院教授の前泊博盛氏(日米安保論)は、日刊ゲンダイのインタビューでこう指摘していた。

〈主権を侵害する地位協定がなぜ全く改定されないのか。戦後体制はサンフランシスコ講和条約、旧安保条約、地位協定の前身にあたる日米行政協定の締結から始まりました。米側の狙いは旧安保によって日本全土を潜在的基地とし、行政協定で具体的な運用を担保することだった。講和条約を立案した国務省顧問ダレスの「われわれが望む数の兵力を、望む場所に、望む期間だけ駐留させる権利を確保すること」という発言が知られていますが、その思惑通りに全土基地方式を盛り込んだのが大きな特徴なのです。だから米軍が必要だと主張すれば、どこでも自由に演習ができる。新安保、地位協定でもそれは変わりません。ダレスの補佐官だったアリソンが「安保条約が署名されたら、日本側代表団の少なくともひとりは帰国後暗殺されるだろう」と口にしたほど売国的な取り決めなのです〉

米国ペースで進む岸田政権の安保戦略

 沖縄復帰50年で大メディアは基地問題の理不尽さをアリバイのように書いているが、基地集中が一向に改善されず、地位協定が一度たりとも改定されないのは、「売国的な取り決め」を結んだ自民党を中心とする日本政府が米国の意向に逆らえないからだ。

 岸田首相は宜野湾市で開かれた15日の記念式典に出席。式辞で米軍キャンプ瑞慶覧の一部区域に触れ、返還に先立って米側と共同使用するとして「緑地公園として県民に利用していただくと、近く日米間で合意する」とブチ上げ、参院選や9月の県知事選をにらんで基地負担軽減をアピールしたが、沖縄が求める地位協定の改定は否定。「具体的な課題に迅速、的確に対応するために何をするべきか、今後もあり方を絶えず検討していかなければならない」とゴマカした。

 岸田がシッポを振るバイデン政権は存在感を増す中国に対抗するため、インド太平洋地域への影響力拡大に躍起だ。中核に位置づける日米豪印の「QUAD(クアッド)」や、米英豪の「AUKUS(オーカス)」に続き、ASEAN(東南アジア諸国連合)の抱き込みにも動いている。

 各国首脳らをワシントンに招いて開いた先週の特別会合で、11月に予定する首脳会議でASEANとの関係を「包括的戦略パートナーシップ」に格上げすることで合意。海上安全保障の協力などに総額1.5億ドルの拠出も表明し、バイデン大統領は「米ASEAN関係の新たな時代が幕を開ける」「今後50年間の世界史の大部分がわれわれの関係によって記される」と意気揚々だった。

 もっとも、ASEANの最大の貿易相手国である中国は昨年の段階で同様のパートナーシップ締結で合意している。米国が狙う中ロ包囲網のアジア軍事同盟の先に何があるのか。高千穂大教授の五野井郁夫氏(国際政治学)はこう言う。

「インド太平洋地域にはNATO(北大西洋条約機構)のような集団安全保障の枠組みは存在せず、これまで米国は2国間同盟による『ハブ・アンド・スポーク』で関与してきました。この方式は米国にとって負担が大きく、超大国として存在していたからこそ機能が維持できた。パワーの衰えと中国の台頭に直面し、この地域にも集団的自衛権を行使する可能性のある組織をつくり上げようというのでしょう。ただ、NATOでハンガリーなどがロシア産原油の禁輸をめぐって抵抗し、クアッドに引き込んだインドがロシア寄りの姿勢を変えないように、米国主導の枠組みが一枚岩になるとは限らない。

 そもそも、アジアには伝統的に米国と距離を置く国が少なくありませんし、スリランカへの対応をどう見ているか。経済危機に政情不安が重なり、米国が影響力を持つ世界銀行やIMF(国際通貨基金)による支援に弾みがつかない。インドや中国が支援に乗り出しています。米国の意向に疑問を差し挟まずについていくのは、日本くらいのものでしょう」

ロシア、フィンランドは早くも対立激化

 岸田政権は外交・安保政策の長期指針「国家安全保障戦略」などの年内改定に向け、米国の国家防衛戦略とのすり合わせを進めている。「敵基地攻撃能力」を「反撃能力」に呼びかえ、敵のミサイル拠点を叩く能力の保有も既定路線だ。

 国際ジャーナリストの春名幹男氏はこう言う。

「中国は海軍力を増強し、空母『遼寧』が沖縄沖で艦載の戦闘機やヘリコプターの発着艦を繰り返しています。米国防総省の指摘通り、警戒する必要はありますが、国内の保守派が騒ぎ立てるような有事が差し迫っているのか。そんなことはないと思います。逆に言えば、中国脅威論をたき付ける米国のペースにあえて巻き込まれることで、米国に追従する口実をつくっているようにも見えます。NATOの北方拡大もそうですが、グランドデザインを描けるリーダーがいない。5年後、10年後を見据え、ロシアの孤立化にどんなメリットがあるのか。対中ブロック、対ロブロックの形成がどんな結果を生み出すのか。一面的な動きはむしろ危険をはらんでいる」

 フィンランドはNATOへの加盟申請を正式表明。今週にも隣国スウェーデンとほぼ同時申請する見通しだが、反発するロシアはフィンランドへの電力供給をストップするなど、早くも報復措置に打って出ている。

 国民が目を覚まさなければ、米国追随の日本は新冷戦の前線基地にされるだけだ。

http://www.asyura2.com/22/senkyo286/msg/493.html

   

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