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※2021年11月29日 朝日新聞3面
※朝日新聞、紙面文字起こし
中村哲さん殺害 1カ月前に察知
首謀者や襲撃方法 警察は態勢不備
アフガニスタン東部ナンガルハル州で2019年12月4日に人道支援NGO「ペシャワール会」の中村哲さん(当時73)ら計6人が殺害された事件で、アフガニスタン当局が事件1カ月前の段階で中村さんを狙った殺害計画があることを察知し、中村さん側に知らせていたことが分かった。当時の同州知事として捜査報告を受けていたシャーマフムード・ミヤヒル氏(63)が、朝日新聞の取材に明らかにした。▼3面=家族が語る予兆
元州知事が証言
捜査の経緯を知る要人が実名で証言したのは初めてとみられる。
アフガニスタンでは今年8月、イスラム主義勢力タリバンがガニ政権を崩壊させ、権力を握った。情勢の悪化を受け、政権崩壊直前の7月に第三国に移り住んだミヤヒル氏は、保管している捜査関連文書や業務日誌をもとに英語でオンライン取材に応じた。
ミヤヒル氏によると、事件の1カ月前までにアフガニスタンの情報機関「国家保安局」が、諜報(ちょうほう)活動によって殺害計画の首謀者や襲撃の方法などの情報をつかんだ。事件の約3週間前、情報機関は内務省を通じて中村さん側に脅威を知らせる文書を出し、出国を勧めたという。
その数日後、中村さんは講演などの予定に合わせて日本に一時帰国し、半月後にアフガニスタンに戻った。情報機関が中村さん側に「脅威は消えていない」と伝えた2日後、事件が起きたという。
事件を防げなかった理由について、ミヤヒル氏が保管する文書は、警察が脅威を深刻に受け止めなかったことや、護衛の警察官を増やさなかったことなど態勢の不備を指摘している。
中村さんは、厳重な警備で周囲を威圧することを好まなかった。人に銃を向けずに働くことが地元の理解を広げ、安全につながるという信念を持っていた。
ミヤヒル氏は「事件後の捜査で犯行グループが特定された」と証言した。犯行グループのリーダーは武装勢力「パキスタン・タリバン運動」(TTP)のアミール・ナワズ・メスード幹部で、今年に入り別の事件を起こして警備員に射殺されたという。朝日新聞の取材でも、同幹部が容疑者として浮かび上がっていた。
ミヤヒル氏によると、情報機関は、隣国の治安機関が中村さん殺害を首謀したとみていたという。動機についてミヤヒル氏は、中村さんの灌漑(かんがい)事業が国境近くの川の水を分岐させるものだったことから「下流に位置する隣国にとっては(流量が減る恐れがあるので)機微に触れる問題だった」と指摘。「隣国の治安機関がアミール・ナワズのグループを利用し、殺害計画を実行した」との見方を示した。干ばつにあえぐ両国にとって、水不足は安全保障上の脅威となっている。(乗京真知)
中村哲さん殺害事件
アフガニスタン東部で2019年12月4日、人道支援NGO「ペシャワール会」(福岡市)現地代表で、医師の中村哲さん(当時73)らが乗った車が灌漑の事業地に移動する途中で犯行グループに銃撃され、中村さん、アフガニスタン人運転手1人、同警察官4人の計6人が死亡した。大統領が監督する最重要事件に指定されたが捜査は難航。アフガニスタンではタリバンが今年8月に権力を掌握後、捜査に関わった当局者が次々と国外に脱出し、捜査の中断や資料の散逸が危惧されている。
殺害予兆 家族の元にも 中村哲さん殺害事件
殺害の前には「予兆」があった――。中村哲さんとともに亡くなった警察官や運転手の妻たちが、朝日新聞の取材に証言した。これまで明らかになっていなかった事件発生までの経緯が見えてきた。▼1面参照
事件前夜「子どもを頼む」 |
警察官の妻
アフガニスタン当局が事件前、中村哲さん側に殺害される恐れがあると知らせた文書とされる画像が見つかった。中村さんとともに亡くなった警察官マンドザイさん(当時36)の遺品の中にあったもので、事件の風化を危惧する遺族が記者に提供した。
マンドザイさんは、中村さんを警護していて殺害された警察官4人のリーダー役。妻ナフィサさん(34)が遺品の携帯電話の中から文書の画像を見つけた。
画像によると、文書は現地のダリ語で書かれた1枚紙で、事件22日前の2019年11月12日付。警察を所管する内務省を通じて、情報機関がつかんだ脅威情報を中村さんの現地NGOに伝えるものだった。
文書はアフガニスタン政府と対立する隣国の治安機関を首謀者として名指しし、その機関が「ドクター・ナカムラを殺害すると決めた」と指摘。中村さん側や地元警察などに対して、警備が緩む「移動中に攻撃される恐れがある」と警戒を呼びかけていた。
事件現場となったナンガルハル州の州知事だったシャーマフムード・ミヤヒル氏や現地NGOの関係者は、この文書の中身は実際に事件前に発せられたものと同じだと取材に語った。
文書の指摘と同じく、中村さんは事業地への移動中に犯行グループに襲われた。ミヤヒル氏は「殺害計画は事前に分かったが、首謀者が現地の誰を実行犯として使うかは把握できず、事件を防げなかった」と証言した。
ナフィサさんによると、マンドザイさんは事件前に「中村さんが狙われている」と不安を口にし、事件前夜には電話で「子どもたちを頼む」と告げたという。ナフィサさんは「いつも冗談で笑わせてくれる人でしたが、この時は真剣な声でした。危険が迫っていることを感じ取っていたのでしょう」と振り返った。
1カ月前、不審なバイク |
運転手の妻
情報機関がつかんだ脅威情報のほかに、異変があったと語る遺族もいる。中村さんとともに亡くなった運転手ザイヌラさん(当時34)の妻ホマさん(35)が、電話インタビューに応じた。
ホマさんがザイヌラさんから聞いた話によると、事件の約1カ月前、ザイヌラさんが中村さんを助手席に乗せて灌漑(かんがい)の事業地へと移動していたところ、男1人乗りのバイクにあとをつけられた。バイクは車を追い越して前に出た後、急に減速して進路を妨げる動きを複数回繰り返したという。
このバイクの動きは、中村さんの車の前に割り込んで急ブレーキを踏み、進路を遮った事件当日の犯行車両の動きとよく似ている。中村さんの車の後続の警備車両がどう反応するか調べるため、犯行グループが予行演習した可能性がある。
脅威情報やバイクの目撃の後、警備態勢はどう変わったのか。
中村さんの活動をよく知る男性によると、事件前には移動の際に中村さんの車と後続の警備車両との車間を2〜3メートルに保ち、警備車両が離れすぎないようにした。また、中村さんは出勤時間を10分ほど早めたり遅らせたりもしたという。
変えるのが難しかったものもある。その一つは出勤ルートだ。
男性によると、宿から事業地へは複数のルートが考えられたが、事件が起きた道以外は途中で封鎖されることがあったり、路面がでこぼこだったりして走りにくかった。走りにくい道はスピードが落ちるので襲撃のリスクが高くなる。結局、車の流れがいい道を多用していたところ、その道が狙われたという。
また、中村さんを守る警察官の増員はなかった。車も防弾仕様のものには変えられなかった。
男性は2008年に殺害された現地NGOスタッフの伊藤和也さん(当時31)とも交友があった。「事件がなぜ起こったのか、事業を続けるうえで安全管理は十分か。NGOや日本の支援機関は検証してほしい」と訴える。(乗京真知)
http://www.asyura2.com/21/kokusai31/msg/253.html