高名なオーディオ評論家は信用してはいけない 3 _ 五味康祐
晴耕雨聴
2021年11月21日
五味康祐生誕100年記念展に行ってきました
https://91683924.at.webry.info/202111/article_11.html
今日はベンプレ妻と2名で姫路文化館で10月9日から12月5日まで開かれている五味康祐生誕100年記念展に行ってきました。今日は会期中に1回だけある「レコード鑑賞会 五味康祐の好んだ音楽より」が開かれました。
レコード鑑賞会はpm2:00からでしたが、12時半には到着、展覧会を見てからレコード鑑賞会に行きました。
五味先生の事はかなり知っているつもりでしたが、新しい発見も沢山ありました。
先生が興行主の家に生まれたと思っていましたが、先生は早くに父親を無くされ、母方の祖父母に育てられました。このうちが興行主だったようです。
興行主にもいろいろありますが、かなり規模の大きな仕事をされていたそうで、大阪に5館の劇場を持たれていたようです。
次に、先生は兵庫県の佐用町で幼いころ生活をされていた時期があったそうで、それも知りませんでした。佐用は剣豪・宮本武蔵が生涯最初の決闘で有馬喜兵衛を打ち取った場所です。先生の剣豪小説のルーツは案外ここにあったのかもしれません。
先生が兵隊にとられ、中国戦線で苦労されたことは知っていました。背が高く、体格の良かった先生は重機関銃部隊の射手として従軍されたと聞いていましたが、それは途中までだったようです。実は幼少時から病気がちで、膂力の無かった先生は、見かねた軍医から暗号兵に配転され、そこでは才能を発揮したそうです。
芥川賞の副賞の時計も展示されていました。この時計は先生の作品「西方の音」の中に「芥川賞の時計」として紹介されています。
「芥川賞をとっても今の様に流行作家になれるわけではない。相変わらず新潮社の校正で糊口をしのいでいた。生活は苦しく、芥川賞の副賞の時計を質に入れようとしたが、妻(千鶴子さん。写真も初めてみました)が隠してしまった。その代り芥川賞の賞金を全額差し出した。無名作家の妻として忍従の日々を送っていた妻にとって、この時計はかけがえの無いものだった様だ」という趣旨の話でした。
展覧会によると、この時計(オメガ)は一度質に入れられたそうです。その後請け出してからは奥様にに隠されてしまったというのが真相の様でした。
それから西方の音では「芥川賞をとっても今の様な流行作家になれるわけではない。相変わらず新潮社の校正で糊口をしのいでいた。」とありますが、展覧会では純文学のつもりで書いた「喪神」が剣豪小説とみなされ、その方面の依頼ばかり来るので1年ほど剣豪小説を書く決心がつかなかったとありました。
これは何方が真実か分かりません。
しかし喪神は直ぐに映画化され、その原作料が入ったそうですから、展覧会の表記が真実に近かったのでは。
それから、展示会には先生のオーディオルームの壁に掛けてあった「浄」の額もありましたね。
さて、レコード鑑賞会は定員80人先着順にて入れるかな?と心配していましたが、参加は30人ほどでした。女性は7〜8人で後は高齢男性ばかり。若い人は一人もいませんでした。
装置はJBLのスピーカースタンドに乗せる簡易PAタイプ。アンプはパワードミキサー、LPプレーヤーはフルオートプレーヤーでした。
テレフンケンのS8型くらいは来るのかと思っていましたので残念。
姫路文学館の人が五味先生の生涯をスライドを用いて語りながら、先生の好きだった曲を掛けていくという趣向でした。
ところがこのレコードがツッコミどころ満載でした。
最初にワグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー前奏曲」がかかったのは良いのですが、なんと演奏は先生が蛇蝎のごとく嫌ったカラヤン・ベルリンでした。うわーっ。
その後クララ・ハスキルのモーツアルトのピアノ協奏曲第27番、ドビュッシーの交響詩海、ルビンシュタインでショパンのソナタ、ベートーベンの第5交響曲3.4.楽章、ワルキューレの騎行と進みトリはベートーベン第9交響曲の第四楽章。
第9はハンス・シュミット・イセルシュテットとウィーンフィル。
このLPはベンプレ親父の愛聴盤でした。ベートーベン生誕200周年(1970年)に母親に神戸のデパートで買ってもらった交響曲全集の中の1枚です。
でもこれ、ソプラノがサザーランドなんですな。
先生はサザーランドが大嫌いで、彼女の独唱になると針を上げていましたが。うわーっ。
最初がカラヤンでトリがサザーランドとは。もう少し調べてから盤は選んでほしかったですねぇ。
それから講演の内容も間違いやちょっと変な所が。初代団平さんの弾く楽器を別な部屋で聴いて、楽器の良し悪しを当てていた幼い日の先生ですが、楽器は三味線じゃありません。太棹です。
先生のオートグラフはヨーロッパ旅行で注文したのではありません。ヨーロッパで注文したのは「もうそのことを書くのもムナクソ悪い」と酷評したドイツのSABAです。
先生はDECCA本社でステレオデコラを聴いて感銘を受けますが、既にデコラは新潮社のS氏が注文した後だったので買いませんでした。
オートグラフを注文したのは日本で洋書のハイファイ・イヤーブックを見て。
「ユニットが38ポンドなのにエンクロージャーに入れて165ポンド。これはクリプッシュホーンのVITAVOXと同額だ。なにかの間違いでは」とS氏に相談。「英国でミスプリとは考えられない。そんなに高いのならきっと良いものに違いない。取ってみたら。日本で完璧なタンノイの音を聴いた人はいない」と言われて決断したものです。
それから先生がS氏(新潮社の天皇といわれた斎藤十一氏)と音楽友達として付き合ったと講演では言われましたが、それはあまりにも不自然。
先生はS氏を紹介され自宅に行きましたが、ルンペン同様のいでたち。空腹であることを見抜かれ「S氏は女中に命じて生卵を三つ割ってドンブリに入れ持ってこさせた。私は急いですすった。しかしあまりにも空腹であったため、これを便所で嘔吐してしまった。それからS氏にレコードを聴かせてもらった」。
五味先生はその後は新潮社から小説を出版する売れっ子作家になりましたが、出会いはこのようでした。食える様に新潮社の校正の仕事を与えたのもS氏。「喪神」を書かせ「新潮」に掲載させ、五味先生を世に出したのもS氏です。
二人は波長は合ったと思いますが、ヒエラルキーははっきりしており、友達では表現がおかしいと思います。
いろいろ気になる点はありましたが、姫路文学館の学芸員が頑張って先生の著書を読み、ここまでまとめたのですから非難はしません。
学芸員の方も、LPの皿回しに来られていたお二人も先生が42年前に亡くなられるより後に生まれた方だと思います。
伝説の伝承は難しい。私の世代が死に絶えた頃には、先生の真実もかなり変質して残っていくのでしょうか。
でも楽しい秋の一日を有難う御座いました。
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会場でもらったチラシを額装しました。額の表のアクリル板の左下に丸いシールが貼ってあるのがお判りでしょうか。
入場時に検温、アルコール消毒を済ませると服に貼るシールです。
姫路文学館 生誕100年記念 作家五味康祐展と書いてあり、中央に産着姿でおしゃぶりを咥えた五味先生のイラストが。
既にして蓬髪なのが面白いですなw
https://91683924.at.webry.info/202111/article_11.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1064.html