岸田新内閣発足:いつまで持つか、地味で小粒な傀儡政権 !
岸田文雄首相の見解・プロフィールとは ?
(www.nikkan-gendai.com:2021/10/04 18:26)
日刊ゲンダイ:カネも公認権も他派閥に譲った岸田人事に党内からも「唖然」の声 !
◆閣僚人事も新味ゼロ !
岸田新内閣の全容が固まったが、さっそく「何だ、こりゃ?」の大合唱になっている。
自民党執行部は「政治とカネ」の問題を抱えるなど“スネ傷”の人物だらけで、閣僚人事も新味ゼロ。この政権は一体何をやりたいのか、さっぱり見えてこない。ハッキリしているのは、党重鎮や派閥に過剰なまでの気を使ったということだけだ。
中でも、幹事長と官房長官のポストを両方とも他派閥に譲ったことには、党内も唖然だ。甘利幹事長は麻生派で松野官房長官は細田派。自身が率いる岸田派(宏池会)からは、党四役や官房長官、財務相など主要ポストへの起用を見送った。
◆安倍前首相、麻生新副総裁に配慮した !
衆院選を控えた今、公認権と党のカネを握る幹事長の権力は絶大だ。そのポストに甘利を就けたのは、総裁選で岸田支持を打ち出した論功行賞と同時に、「3A」と呼ばれる盟友関係の安倍前首相、麻生新副総裁に配慮したものだ。今後の党運営は甘利、麻生が主導することになる。
安倍の出身派閥で最大派閥の細田派は、岸田総裁誕生に多大な貢献をしたとして、幹事長か官房長官のポストを求めていた。幹事長を麻生派が押さえたことで、細田派には官房長官ポストを渡してバランスを取った形だ。
「首相になれるなら、3Aにひれ伏して、人事権も明け渡すということでしょう。岸田氏は保守本流たる宏池会の理念も捨て去って、3Aにおもねり、安倍政治の亜流を続けようとしているように見えます。宏池会の首相は、1991年の宮沢喜一以来30年ぶりですが、岸田氏と同じように他派閥に支えられて首相になった宮沢喜一だって、女房役の官房長官だけは譲らなかった。これだけ主要ポストを他派閥に渡してしまえば、岸田氏は何をやるにも他派閥に“お伺い”を立てなければなりません。3Aの操り人形で、言いなりになるのは目に見えている。派閥の闇支配が完全復活したということです」
(政治評論家・本澤二郎氏)
論功行賞や3A傀儡の批判に対し、岸田は「適材適所」と愚にもつかない釈明をしていたが、よくもまあ、選挙前にこんな人事をやれたものだ。
菅内閣をさらに小粒にしたような地味な布陣には、「これで選挙を戦えるのか」と自民候補者から悲鳴に近い声が上がっている。
◆安倍、麻生、甘利と闇将軍が3人いる内閣で右往左往の新首相
岸田内閣を安倍、麻生、甘利の「3A」が裏で操る構図は、内閣の陣容からも明らかだ。党役員や閣僚の人事も甘利が主導したとされ、高市政調会長に電話で人事を伝えたのも甘利だったという。
もっとも、“闇将軍”が3人もいると、あちらを立てればこちらが立たずで、「人の話を聞くこと」が特技の岸田は右往左往することになるはずだ。実際、早くも3Aの結束に軋轢が生じている。
◆安倍元首相の強い意向 !
象徴的なのが、安倍の強い意向で細田派の萩生田前文科相に決まりかけていた官房長官人事が覆り、松野元文科相に内定した経緯だ。
「安倍さんは官房長官に腹心の萩生田を推していた。しかし、まだ当選5回ということもあり、甘利さんが『党内で不満が出る』という理由で起用を見送った。それで同じ細田派の松野さんにお鉢が回ってきたといわれています。派閥内での序列は松野さんの方が上なので細田派幹部は納得していますが、安倍さんは面白くないでしょう。岸田さんが甘利さんを頼りすぎているようにも見えます」
(細田派関係者)
各派閥に気を使い、微妙に思惑が異なる3Aの意向も汲みながら政権運営をすることになるのが傀儡の悲哀だ。安倍・菅政権で続いてきた官邸主導も後退するとみられている。
「党の力が強くなるのはいいとしても、どっちつかずを続けていれば求心力を失うだけです。岸田氏がリーダーシップを発揮して、内閣支持率が上がり、衆院選で大勝すれば官邸の力は強まりますが、新政権の布陣を見ると、どこまで岸田氏本人の意思が反映されているか疑わしい。リーダーシップは期待できそうにありません」(政治ジャーナリスト・山田厚俊氏)
マタ裂き状態に苦しむ新内閣になりそうだ。
◆いくら派閥推薦でもあまりに軽量級の官房長官
いまから「あの男に官房長官が務まるのか」と揶揄されているのが、新官房長官に決まった松野博一(細田派)だ。しょせん論功と派閥の論理で選ばれたに過ぎないが、それにしても、あまりにも“軽量”“小物”である。
官房長官に起用されたのは、細田派が「幹事長か官房長官は細田派に任せてもらいたい」と要求したためだ。
幹事長には麻生派の甘利が就いたため、細田派には官房長官が回ってきた。
意外にも安倍ベッタリではないという。今回の総裁選では、安倍が推した高市ではなく、岸田を支持。町村派(当時)代表の町村信孝と同派の安倍が争った2012年の総裁選の時も、町村を支援している。
松野は当選7回。早大法学部を卒業後、ライオンに入社。2年ほどで退社し、松下政経塾に入っている。森喜朗元首相に近い文科族だ。
永田町では「控えめ過ぎて存在感がない」「押しが弱い」との評価だ。要するにパッとしない。
◆横山・政治学者の見解 !
元衆議院議員で政治学者の横山北斗氏が言う。
「私が05年に文部科学委員会にいたころ、松野氏も委員でした。自民党から下村博文氏や馳浩氏が委員会に出席して発言していたのを覚えていますが、松野氏が何を語ったのか記憶にありません。迫力不足で印象に残らないのです」
安倍政権が7年も続いたのは、菅官房長官の存在が大きかったという。逆に菅政権が短命に終わったのは「菅官房長官がいなかったからだ」とも言われている。ただでさえ総理が非力なのに、女房役まで小物では、この政権は長く続かないのではないか。
(参考資料)
自民党・総裁選:立候補者の政治・経済等の主張とは ?
(www.businessinsider.jp:2021年9月17日)
◆岸田文雄氏(64歳)
自民党の名門派閥「宏池会」(岸田派)の会長。これまでに外相や党政調会長などを歴任した。
昨年の総裁選では安倍前首相からの禅譲を期待しながらも、菅義偉首相の出馬でその目算が外れた。今回は他に先駆けて、立候補を表明した。
スローガンは「声をかたちに。信頼ある政治」。
政策で一番に掲げるのは「コロナ対策」だ。「医療難民ゼロ」「ステイホーム可能な経済対策」「電子的ワクチン接種証明の 活用と検査の無料化・拡充」「感染症有事対応の抜本的強化」を4本柱に掲げる。
省庁再編も目指し、感染症対応を一元的に担う「健康危機管理庁」の創設も公約に入れた。
経済政策では「『成長と分配の好循環』による新たな日本型資本主義」で新自由主義」からの脱却を掲げる。数十兆円規模の経済対策も図るという。
また「成長」一辺倒ではないとアピールも。「令和版 所得倍増計画」と銘打ち、格差の是正を掲げ、安倍・菅路線とは一線を画すことを意識している。
ちなみに「所得倍増計画」は、岸田氏の出身派閥「宏池会」の創設者で池田勇人首相(任1960〜64)が打ち出した経済政策で、戦後の高度経済成長に影響を与えたもの。岸田氏は偉大なる先達に自らを重ね、演出しているようだ。
特徴的なのは、党役員任期を「1期1年・連続3期」までとし「権力の集中と惰性を防ぐ」と明言したことだ。
安倍・菅政権下で党幹事長として過去最長の任期となった二階俊博幹事長を中心とした執行部の刷新を狙う意図を匂わせた。
これは本気で総裁を狙うという党内向けの「攻め」のメッセージだ。
選択的夫婦別姓をめぐっては党内の推進議連に参加しているが、出馬会見ではBusiness Insiderの質問に対し「引き続き議論を」と答え、慎重な立場を崩さなかった。
これは最大派閥の細田派に影響力を持つとされる安倍前首相らを意識した発言と見られた。
ところが、告示日が近づいてきた15日にはBS-TBSの番組で、導入を議論すべきと軌道修正した。これは若手議員や、選択的夫婦別姓に肯定的な河野氏の出馬を意識したものと見られる。
○岸田文雄・議員のプロフィールとは ?
(ウィキペディアより抜粋・転載)
岸田文雄(きしだ・ふみお、1957年7月29日生まれ。64歳。)は、日本の政治家。
早稲田大学法学部卒業。
自由民主党所属の衆議院議員(9期)、宏池会会長(第8代)、自由民主党広島県連会長[1]。
内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策、規制改革、国民生活、再チャレンジ、科学技術政策)、外務大臣(第143代・第144代)、防衛大臣(第16代)、自民党国会対策委員長(第52代)、自由民主党政務調査会長(第58代)、自民党たばこ議員連盟副会長などを歴任。血液型AB型。
◆経歴:
2013年10月3日、内閣総理大臣安倍晋三らとともに。
2013年4月15日、総理大臣官邸にて。左から外務大臣岸田文雄、内閣官房副長官加藤勝信、内閣官房副長官世耕弘成。
2013年11月20日、駐日アメリカ合衆国大使キャロライン・ケネディとともに。
2014年9月1日、インド首相ナレンドラ・モディとともに
◆出生:東京都渋谷区出身。本籍地は広島県広島市比治山町(現:南区比治山町)。父・岸田文武は広島県出身の通産官僚。岸田家は広島の一族であるため、一家は毎年夏に広島に文雄を連れて帰省し、文雄は広島原爆の被爆者たちから当時の話を聞いた[3]。岸田一族も多くが被爆し、死に至った者たちもいた[3]。
◆政界:1987年、長銀を退職して父・衆議院議員岸田文武の秘書となる[3]。岸田の父は口数が少なく、岸田は父の背中から多くを学んだ[11]。
1993年、第40回衆議院議員総選挙に旧広島1区から自由民主党公認で出馬し、初当選[3][14]。父親と同じ宏池会に所属する。1996年の第41回衆議院議員総選挙では、小選挙区比例代表並立制の導入に伴い広島1区から出馬し、以後広島1区で連続8選[3]。1997年には若手議員の登竜門とされる党青年局長に就任した[3]。
2000年、派閥領袖の加藤紘一が起こした「加藤の乱」に血判状をしたためて参加。乱の鎮圧後は堀内光雄、宮澤喜一らから声をかけられ堀内派に属した[15]。
2001年、第1次小泉内閣で文部科学副大臣に任命される。2007年、第1次安倍改造内閣で内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策、規制改革、国民生活、再チャレンジ、科学技術政策)に任命され、初入閣した[3]。続く福田康夫内閣でも内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策、規制改革、国民生活、科学技術政策)に任命され、引き続き入閣。
2008年、新設された消費者行政推進担当、宇宙開発担当大臣を兼任[3]。福田康夫内閣 (改造)の発足に伴い大臣を退任し、党の消費者問題調査会長・道路調査会副会長兼事務局長、団体総局長に就任[3]。
2009年の第45回衆議院議員総選挙では、広島1区で民主党の菅川洋を破り、6選(広島県の小選挙区で議席を獲得した自民党の候補者は岸田のみ。また、広島1区では初めて次点以下の候補者が比例復活した)。2011年9月、自民党総裁谷垣禎一の下、党国会対策委員長に就任し、野党自民党の国会対策を担い与党民主党との交渉を担った(2012年9月退任[3])。2012年10月、政界引退を表明した古賀誠から宏池会を継承し、第9代宏池会会長に就任した。同年12月の第46回衆議院議員総選挙では、広島1区で7選。
◆外務大臣:選挙後に発足した第2次安倍内閣では外務大臣として入閣し[注釈 2]、第2次安倍改造内閣で留任、さらに2014年12月の第47回衆議院議員総選挙で8選した後に第3次安倍内閣でも再任、自民党総裁選後の2015年10月に発足した第3次安倍第1次改造内閣でも外相を留任する。
2015年7月5日に決定した軍艦島のユネスコ文化遺産登録では、韓国の妨害に対して「forced to work(働かされた)」という表現を用いて遺産の説明を行うことで対処した。