総裁選:出るの ?出ないの ? 煮え切らない石破元幹事長の「二つの壁」
石破氏・菅首相のプロフィールとは ?
(news.yahoo.co.jp:2021年8/29(日) 11:00)
9月29日投開票の自民党総裁選に向け、過去4度戦っている石破茂元幹事長が態度を明確にしていない。昨年の総裁選で大敗し、自らが率いる石破派はメンバーが減り、国会議員の支持拡大も見通せない。今回は我慢の不出馬との見方が根強いが、石破氏は「白紙」として出馬を排除していない。遠のいた宰相の座をたぐり寄せる戦略をどう描くか、注目される。
「自分がどうすべきかよく考えなければいけない。うそやまやかしのない政治をやる」。
石破氏は28日、地元・鳥取県で開かれた会合で、新型コロナウイルス対策の臨時国会が開かれない場合、総裁選への対応を検討することをにじませた。これまで菅義偉首相の下で衆院選を戦うこと「やむなし」としていた石破氏だが、総裁選の日程が決定した直後から柔軟な姿勢を見せている。
ただ、立候補の準備をしているそぶりも見せていない。
煮え切らない態度は、乗り越えなければならない二つの壁があるからだ。
派閥幹部の慎重論を押し切り、出馬した昨年9月の総裁選では最下位に沈んだ。
責任を取り、石破氏は会長を辞任。派閥を離れる議員が相次ぎ、自派だけでは立候補に必要な「推薦人20人」に届かない17人。最側近だった鴨下一郎元環境相が引退を表明するなか、「いま総裁選をやる熱はない」(中堅議員)と擁立論は高まっていない。
国会議員の支持拡大も一向に見えない。前回の議員票はわずか26票。石破派が“次”を見据えて、他派閥に支援を働きかけても「無理」(中堅)という冷たい反応ばかり。今回は先に立候補を表明した岸田文雄前政調会長が、菅首相との対立軸をアピールする。仮に石破氏が出馬しても、どこまで支持が広がるかは見通せない。石破氏は周囲に「推薦人が集まっても、今の自民党では私の意見に納得しないだろう」と悩みを打ち明ける。
とはいえ、世論調査では次の首相候補として依然高い人気を誇る。自民党関係者は石破氏の態度について「『菅首相じゃ戦えない』という若手の待望論を待っているのではないか」と分析する。
一方、石破氏の出馬に否定的な石破派議員は「反主流派は常に党内結束の道具になり、悲哀があった」とし、総裁選後をこう描く。「今回立たなければ、非主流派が交代するかもしれない」
(井崎圭)
○総裁選:二階派「菅首相支持」に異論噴出 ! 自民党・総裁選、動き活発化 !
(www.jiji.com:2021年8/27(金) 7:09)
◆自民党内にくすぶる、「反菅」票 !
これに対し、岸田氏は、自身が率いる岸田派の会合で、「総裁選が、自民党のこれからにつながる。衆院選やさまざまな政治課題を乗り越える上で、大きな意味があると確信して戦いたい」と述べ、首相に論戦を挑む姿勢を鮮明にした。
派内には、現職首相と争うことへの慎重論も根強かった。それを押し切った、岸田氏が望みを託すのが、自民党内にくすぶる「反菅」票だ。党員・党友による地方票も勝敗を大きく左右するため、同派幹部は「党員を味方に付ける」と意気込む。
◆総裁選へ出馬:高市氏、下村氏も !
一方、無派閥の高市早苗前総務相は26日、党本部で記者団に対し、出馬への意欲を改めて強調した。安倍政権の継承を掲げて推薦人の確保を目指す。党内には「反菅」票が岸田氏に集中する事態を避けるため、「二階氏や安倍氏が推薦人を貸すのではないか」(幹部)との見方が出ている。
細田派の下村博文政調会長も、東京都内で記者団に「出たいと思っている。
関係者の理解を得て進めたい」と語った。派内には党幹部の出馬を疑問視する声もあるため、「総裁選になれば(政調会長の)代理を立て、政策の停滞を生まないよう責任を持ちたい」と説明した。
(参考資料)
○「石破茂元幹事長」のプロフィールとは ?
(ウィキペディアより抜粋・転載)
石破茂(いしば・しげる、1957年〈昭和32年〉2月4日生まれ。64歳。)は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(11期)。血液型B型[3]。
防衛庁長官(第68代・第69代)、防衛大臣(第4代)、農林水産大臣(第49代)、自由民主党政務調査会長(第52代)、自由民主党幹事長(第46代)、内閣府特命担当大臣(国家戦略特別区域)、内閣府特命担当大臣(地方創生)、さわらび会会長、無派閥連絡会顧問、自民党たばこ議員連盟副会長、水月会会長などを歴任。
父は、建設事務次官、鳥取県知事、参議院議員、自治大臣などを歴任した石破二朗[4]。愛称は「ゲル」[5]。
◆経歴:
出生、学生の頃:出身地については鳥取県八頭郡八頭町出身[6]、東京都生まれ[1]の説がある。父は建設官僚の石破二朗。父二朗が1958年に鳥取県知事になったので、茂に東京の記憶は全くない[1]。茂の出生時、父・二朗は48歳であり、二朗の秘書を務めていた高岩迪資によれば、自身の高齢の恥ずかしさから二朗は病院へ行きたがらず、高岩が代理で病院へ出かけていた。そのため病院側は、高岩が茂の父親と間違えたことがあったという[7]。
母親は、自身が国語教員だったということもあり、教育熱心な人物だった[1]。小学校の頃は毎晩1時間程度、偉人伝の朗読をさせられた[1]。鳥取大学教育学部附属中学校を経て、慶應義塾高等学校に進学した。
1979年、慶應義塾大学法学部法律学科(新田敏ゼミ[8])卒業[6]。慶大2年在学中に、全日本学生法律討論会で第一位[6]。
◆小泉政権:
元々、石破は農水族として地歩を築いてきた[要出典]が、自身も「国防がライフワーク」と語る[要出典]ように、「新国防族」などと称され[要出典]、外交、安全保障に精通する政策通で知られた。
拉致議連の会長を務めた後、2002年、第1次小泉内閣第1次改造内閣で防衛庁長官に任命され、初入閣した。防衛庁長官在任中はアメリカ同時多発テロ事件の発生による有事法制の制定や、陸上・航空自衛隊のイラク派遣に取り組んだ[16]。
◆福田政権:
安倍晋三の退陣に伴う2007年自由民主党総裁選挙では福田康夫を支持し、福田が総裁に選出される。福田康夫内閣では防衛大臣に任命され、約3年ぶりに防衛省へ赴任する。翌2008年、福田首相の退陣に伴う自由民主党総裁選挙に出馬し、25票で立候補者5人中最下位に終わった(当選者は麻生太郎)。
◆麻生政権:
2008年、麻生内閣で農林水産大臣に任命される。農林水産大臣は松岡利勝(自殺)、赤城徳彦(辞任)、遠藤武彦(辞任)、太田誠一(辞任)ら前任者の多くが不祥事に見舞われていたが、石破は特に目立った不祥事を起こさず、約1年間、農林水産大臣を務めた。しかし総選挙が近づくと、閣内にありながら与謝野馨財務大臣らとともに麻生おろしに加担し、退陣要求を行った。
2009年の第45回衆議院議員総選挙では鳥取1区で民主党の新人に比例復活を許さず8回目の当選を果たした。鳩山由紀夫内閣の発足に伴い、農林水産大臣を退任。
◆自由民主党幹事長:
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自由民主党総裁に選出された安倍の下、無派閥ながら自由民主党幹事長に起用され[22]、2012年の第46回衆議院議員総選挙、2013年の第23回参議院議員通常選挙の陣頭指揮を執った。
◆第2次安倍政権:
2014年9月3日の第2次安倍改造内閣発足に先立ち、安倍は石破に対し、新設する安全保障法制担当大臣への就任を打診していたが、石破は8月25日にラジオ番組に出演し、安保法制担当相への就任を辞退する意向を明言し、内閣改造後も引き続き幹事長職に留まりたい意向を表明した[23]。
しかし、日刊スポーツによると、「幹事長が公の場で人事の希望を言うなど前代未聞」等、石破に対する批判が高まり、自民党参議院幹事長の脇雅史は「個人の見識があるのは当然だが、内閣、組織の意向に従うのが常識だ」と苦言を呈した[24]。安倍はさらに、挙党体制の確立のため石破に安全保障法制担当相以外での入閣を打診し[25]、8月29日に正式に会談した際、石破もこれを受け入れた[26]。9月3日に発足した第2次安倍改造内閣では、内閣府特命担当大臣(国家戦略特別区域)及び「元気で豊かな地方の創生のための施策を総合的に推進するため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整」を担当する国務大臣(地方創生担当大臣)に任命された[27]。
同年9月30日、党内の無派閥の議員を中心に構成される、無派閥連絡会に入会、その2日後に顧問に就任した[28]。同会は2012年の総裁選で石破を支持した議員が中心メンバーであるため、一部のマスメディアや自民党議員から、「事実上の石破派」と結成当初から目されていたが[29][30]、石破本人は無派閥の議員の共助が同会の趣旨と述べ、これを否定した[31][32]。
同年12月24日に発足した第3次安倍内閣では、地方創生担当大臣兼内閣府特命担当大臣(国家戦略特別区域)に再任[33]。
2015年9月8日の自民党総裁選には立候補せず、安倍の無投票再選となった。石破は後に、「閣僚か党役員として仕えているときは総裁選に出ないのが私の信条」、「安倍政権の支持率が比較的高い中で出馬することに意味があるのか」と語っている[34]。翌日の9日に、自身の派閥を結成する意向を表明[35]。同月28日に「水月会」の名称で石破派が発足し、石破を含め20名が参加した[36]。石破は派閥発足時の会見で、自身が大臣を務める安倍内閣を支えると同時に、安倍の任期2期6年(ただし、2017年に総裁再選規定が改正され、最長3期9年となる)の折り返しの段階から時間をかけて、政策体型・政権構想を練り上げたいとの意向を示し、「私のようなものでも、仮に政権を担うのが望ましいということであれば、それを目指したい」と述べた[37][38][39]。
同年10月7日に行われた第1次内閣改造において、内閣府特命担当大臣(地方創生)兼まち・ひと・しごと創生担当大臣に留任[40]。
2016年8月3日の第2次内閣改造に当たっては、安倍から農水相に転じて引き続き閣内に残留するよう打診があったが固辞して退任[41][42][43]。石破は後のインタビューで、「いつまでも続く政権はない。次は誰かがやらないといけない。安倍首相を支えるのも、次に備えるのも、自民党が果たすべき責任。」と退任について語っている[44]。
閣僚退任後は、衆院中国ブロック代表として党総務を務めていたが、政権に批判的な言動をとる石破に不満を抱えていた前総務会長の細田博之(島根1区選出)の反対にあい、8月29日に退いた。石破の後任には、同じ石破派の赤澤亮正(鳥取2区選出)が就く[45]。
2018年8月10日、9月に行われる自民党総裁選挙への出馬を表明[46]。3選を目指した安倍と一騎討ちとなり、地方票では健闘したものの及ばず敗れた[47][48]。
2020年9月1日には、安倍の病気による任期途中の辞任に伴う自民党総裁選挙の出馬を正式に表明した[49][50][51]。菅義偉、岸田文雄に次ぐ最下位で敗れた[52][53]。10月22日、総裁選敗北の責任を取り水月会の会長を辞任した[54]。
○菅義偉氏のプロフィールとは ?
(ウィキペディアより抜粋・転載)
菅義偉(すが・よしひで、1948年〈昭和23年〉12月6日生まれ。72歳。)は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(8期)、内閣総理大臣(第99代)、自由民主党総裁(第26代)である。
横浜市会議員(2期)、総務副大臣(第3次小泉改造内閣)、総務大臣(第7代)、内閣府特命担当大臣(地方分権改革)、郵政民営化担当大臣(第3代)、自由民主党幹事長代行(第2代)、内閣官房長官(第79代・第80代・第81代)、沖縄基地負担軽減担当大臣、拉致問題担当大臣などを歴任した。1973年、法政大学法学部政治学科を卒業した。
◆来歴:生い立ち、政治進出するまで
秋田県雄勝郡秋ノ宮村(後に雄勝町秋ノ宮を経て現・湯沢市秋ノ宮)中央部旧国道沿いに実家があった教員一家で、イチゴ農家の長男として生まれる[5]。現住所は神奈川県横浜市神奈川区金港町1丁目[6]。家族は父、母、姉2人、弟1人。父親である菅和三郎は第二次世界大戦末期、南満州鉄道職員として当時満州国(現在の中国東北部)の首都だった通化市で日本の降伏を迎えた。
引き揚げ後、郷里の秋ノ宮で農耕に従事。「秋の宮いちご」のブランド化に成功して、秋の宮いちご生産出荷組合組合長や、雄勝町議会議員、湯沢市いちご生産集出荷組合組合長などを歴任。2010年(平成22年)に93歳で死去すると、旭日単光章を叙勲されている[7]。母や叔父、叔母は元学校教員であり、2人の姉も高等学校教員となった[8][9][10][11][12]。