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2021年5月09日01時50分 〜
記事 [政治・選挙・NHK280] 菅「接種1日100万回」根拠のない大風呂敷はなんなんだ?絶対に無理(まるこ姫の独り言)
菅「接種1日100万回」根拠のない大風呂敷はなんなんだ?絶対に無理
http://jxd12569and.cocolog-nifty.com/raihu/2021/05/post-a09694.html
2021.05.08 まるこ姫の独り言


突如、1日100万回の接種と言い出すこの国のリーダー

Yahoo!のワクチン接種実績を見ると今まで300万回なのに。。

ワクチン接種が2月中旬から始まってやっとこの状況なのに菅の考えだと3日・4日でクリアするという事になる。

現実不可能な絵空事にしか思えないが。

それを簡単に言ってのける菅。


実績を伴った上の発言ならわかるが、言ったもん勝ちの大風呂敷はますます反感が募る。

首相が会見 接種1日100万回目指す考え
   5/7(金) 21:32配信 日本テレビ系(NNN)

>緊急事態宣言の延長を受け、菅首相は記者会見を開き、今後、新型コロナウイルスのワクチン接種を1日100万回行うことを目指し、接種を加速化させる考えを強調しました。

>菅首相「国民の皆さんに安心できる日々を取り戻していただくために、ワクチン接種の加速化を実行すること、そしてそれまでの間に感染拡大を何としても食い止めること、この二つの作戦に私自身先頭に立って取り組んでまいります」

>菅首相は7月末までに高齢者への接種を終わらせる目標を掲げていますが全国の「1700を超える市町村の中でおよそ1000については7月末までに終えられる状況だと報告を受けている」と述べました。


今まで遅々として進まない接種をこれからは1日100万回は言い過ぎじゃないか。

これだけ今まで何もうまくいかなかった総理の発言は、いうのは勝手だが誰も信用しない。

1日100万回接種するというのなら具体的なスケジュールを示すべきじゃないか。

それをせずにただ「1日100万回」は無責任すぎる、

そして見通しが甘いし軽い。

出来もしないことを簡単に言うもんじゃない。


下記の記事の件はどうなったのか。

日本にワクチンが入ってきているのにたったの15%しか接種ができていない件は。

ワクチン接種完了、日本到着分の15%止まり ロイター通信「遅い」
                   5/7(金) 20:59配信 毎日新聞

>ロイター通信は7日、日本国内に到着した新型コロナウイルスワクチンは2800万回分に達したが、接種が完了したのは15%程度の400万回超で、約2400万回分が「(接種を担当する)人手や手配上のボトルネック」によって使われないまま残っており、接種ペースは「遅いままだ」などと批判的に報じた。

私はてっきり、ワクチン自体が日本に入ってきていないのではないかと思っていたが、そうじゃなく、きちんと日本に入ってきているのにたったの400万回しか打てていない現実。

残りの2400万回はどうなったのか。

保坂世田谷区長が、

>ある機関から、ファイザー社のワクチン期限が「6月末」で、そこまでに打ち終わらないと使えなくなるという相談を受けている。いったい、出荷はいつだったのだろう。

とのツイートをしている。

6月末が期限だなんていつ日本に入って来たんだ?

日本に入ってきているのに、もたもたして接種できない国が、突如1日に100万回も打てるわけがない。

根拠も示せない、いい加減な会見をするべきじゃない。

しかしどれだけ見通しが甘いのか、どれだけいい加減な発言ばかり言うのか。。

これでちゃっかり5輪だけは開きたいなんてどの口が言う!

こんなのがこの国のトップリーダーだなんて。。

どれだけブラックジョークなんだか。



http://www.asyura2.com/21/senkyo280/msg/671.html

記事 [政治・選挙・NHK280] 創価学会 日本経済乗っ取りの野望 − 会員からしぼりとった金の力で、日本の全面支配へと乗り出す池田大作教祖
池田大作 日本経済乗っ取りの野望(4)

−創価学会の財政のすべて−
会員からしぼりとった金の力で、日本の全面支配へと乗り出す池田大作教祖

第1章
絶頂期(昭和四十三年代)「広宣流布したとき首相になり国主になる」 と 公言した池田大作

昭和四十八年は、本来ならば、池田大作と創価学会にとっての輝かしい栄光の年の幕開けになるはずだった。
 池田大作が、会長就任直前に打ち出した、“七つの鐘”構想によれば、昭和四十八年から昭和五十四年までを、“第七の鐘”が鳴り終る時期とし、それは正に“広宣流布・王仏冥合”の総仕上げの時期と想定されていた。

 昭和四十七年十月に、日蓮大聖人御遺命の“事の戒壇”たるべき正本堂を完成させ、その後の七年間で、“折伏”により、日本国民の過半数を創価学会員とし、選挙で公明党が国会の過半数を占め、政権を奪取する。
 その時、池田大作が総理大臣となり、国会の議決で正本堂を“国立戒壇”と定め、最高権力者として大石寺の開かずの門を開き、大御本尊に“広宣流布の報告”をする……。

 これが、池田大作が学会員に示しつづけて来た、広宣流布のスケジュールであった。  池田大作が得意の絶頂にあった昭和四十年代の初め頃、ジャーナリストのインタビューに対して、
 「(我々は)やろうと思えば、どんなこともできます」
と豪語し、“広宣流布達成”の暁には、自分が、日本において宗教・文化のみならず、政治においても至高の権力になる、と宣言した。

 「私は、日本の国主であり、大統領であり、精神界の王者であり、思想文化一切の指導者・最高権力者である」
(高瀬広居著「人間革命をめざす池田大作その思想と生き方」より)

 「天皇なんか問題になるかよ!!」

 今日、世界でただ一人残ったカリスマ的独裁者・北朝鮮の金正日も顔負けの、“絶対権力者宣言”である。
 「広宣流布達成の暁には、池田先生が総理大臣になる。“国主”として天皇より上になる。  我々“学会人”は(会員は、自分達をこのように自称して、非会員と区別していた)世の中で、あらゆる所で上になる。
 その時は、我々を貧乏人とさげすみ、見下していた連中を見返してやるのだ。
 我々は、邪宗の連中を女中や下男として召しつかい、子供の通学の送り迎えもやらせるような身分になる……」  このような妄想を語り合いながら、創価学会員達は、池田大作の示す未来像に酔い、  「正本堂ができるまで!!」 「開かずの門が開くまで!!」 を合言葉に、歯をくいしばって過酷な選挙活動や折伏ノルマに立ち向かっていったのだった。 日常顔を合わせる近隣や会社の人達に、学会員だからと馬鹿にされたり嫌われたりしても卑屈な追従をしながら、腹の中で 「今に見ていろ!! お前達を見下してアゴで使ってやるからな」 と、思いつづけていたのである。
 実際、池田大作は、もはや総理大臣気どりで、“閣僚名簿”をつくったりしていたのである。 だが、現実は、そうは問屋がおろさなかった。


言論出版妨害事件の衝撃。「政教分離」「体質改善」を約束

昭和四十五年、言論問題で、独善的・排他的・反社会的な体質や行動が暴かれ、“政教一致”路線とともに徹底的に批判された創価学会は、正に“黒船来襲”ともいうべき衝撃を受けた。その結果、“一枚看板”ともいうべき「国立戒壇建立のための政界進出」というスローガンを放棄せざるを得なくなったのである。
つづいて、「政教分離」「民主化」「体質改善」を国民の前に約束させられた。 生きのびるために「広宣流布=国立戒壇建立」という、創立以来の最大の宗教的・政治的スローガンを降ろさざるを得なくなり、そして、世論の力で暴力的な折伏と政教一致の選挙活動という、“奥の手”の放棄をせまられた創価学会は、にわかに推進力を失った。
なかでも、“国立戒壇論”の放棄は、会員の目的観喪失とともに、それは教義の根本にもかかわりのあることだけに、日蓮正宗内での摩擦を生じさせないではおかなかった。 会員の中からは、造反者が出るようになり、日蓮正宗からは、僧侶や法華講の一部から、抗議や批判の運動が起こった。それは、“国立戒壇”と教えられていたものが、ただの巨大建築になってしまった正本堂そのものに対する疑念へと発展し、“御供養金返還訴訟”や、正本堂への御本尊御遷座阻止騒動となっていったのである。


「やりたい放題」のツケの清算に追われる
 
更に、言論問題以後、“鶴のタブー”とよばれた報道の言論統制(報道規制)が崩壊したため、マスコミの批判がやりたい放題になり、敵対勢力の批判や攻撃への対応に苦慮した。
昭和四十五年から同四十八年頃までは、創価学会はちょうどバブル崩壊後の日本経済のように、過去のツケの清算に追われていたのである。それ以前のスローガンや手法を否定し、それにかわるスローガンや手法を見出す努力をしなくてはならなかったのである。
 しかし、自信を喪失し、新しい展開を打ち出せない池田大作以下首脳達は、只々、現状維持の守りに徹し、会員の減少防止に奔走した。

 このころ組織では、やたらに表彰や撮影会が行われ、  「十年後に、また皆で集おう」 と、文集作成や署名運動が奨められた。
 「社会性をもとう!!」 と、近隣と仲良くつき合う運動や、ミニ文化祭等の行事もひんぱんにくり返され、会員や世論を、言論問題からそらし、反感をとりのぞく運動も熱心にすすめられた。 その一方で、創価学会本部では、“傷の手当て”や“ボロかくし”の作業が突貫で行われていた。
“折伏教典”をはじめとする全出版物について総点検が行われ、“独善的”“反社会的”と思われる部分が削除された。
“政教一致”“国立戒壇”にかかる記述も一切消された。 一方で、社会順応、そして人格や道徳が強調され、それは、終戦時の“教科書の改訂”にも似た大転換であり、その結果、創価学会の出版物から独特のダイナミックさがなくなり、他の新興教団と同じようなものになった。  他党やマスコミに対しては、徹底した“モミ手”“接待”作戦で懐柔につとめた。


突貫作業で書類改ざん 司直の介入恐れ、ボロがくし作業
 
司直の介入恐れ、ボロかくし作業 それと併行して学会本部内では池田大作の独裁下、すべてがドンブリ勘定で行われ、創価学会と池田大作個人の金、そして正本堂御供養金の運用がゴチャゴチャになっていた会計や、宗教法人事務の修正作業が秘かに行われた。 私達弁護士と、公認会計士(補)、本部職員の徹夜の作業で、創立以来の責任役員会議事録の偽造・改ざん作業が行われ、会計帳簿や伝票類もほとんどすべてが改ざんされた。
創立以来責任役員会など、ほとんど開かれていなかった状態で、土地や建物の取得、登記、免税申請のつど、事務局長が、責任役員の三文判を押して議事録を適当に作り役所に提出していた。  そのため、同じ日同じ時間に、別の場所で、別のメンバー構成で、全く異なった決議をしたという責任役員会議事録が四通も存在していたという、笑うに笑えぬ事実が存在していたのである。
 今では、すべて改ざんされ、これらの書類は整備している。
 それでも、池田大作の独断専行のため、予期せぬ事態が生じ、更なる改ざんが必要になることに備えて、役員会議事録を作った当時の用紙、作成につかったタイプライター(今ではワープロ、パソコン等)が、保存されているという周到さである。
 創価学会所有、あるいは外郭団体名義で取得した財産についても総点検が行われた。  池田大作は、取得した土地建物を、その場しのぎで創価学会とその他の団体にふりわけていた。  公明党本部の土地・建物が創価学会の所有物であったのを、公明党名義に、潮出版社の土地建物が公明党名義であったのを、潮出版社に移す等の、作業が行われた。もっとも、団地などの中に、議員をダミーにして違法取得した物件などは、そのままにしておくしかなかった。
 組織は、従来のタテ線を廃止し、ブロック組織に移行する作業がすすめられ(今では、“選挙区”に対応した組織になっている)活動パターンにも、検討が加えられた。  折伏教典も改訂され、当たりさわりのない、おだやかな内容に改められた。
 従来出版された書籍もすべて点検され、必要なものは改訂され、そうでないものは廃刊となった。

見せかけの「政教分離」作り 裏で池田大作の公明党支配を巧妙に

裏で池田大作の公明党支配を巧妙に  こうした作業とともに、最も力をいれたのが、世間の批判をかわすための“見せかけの政教分離”カムフラージュだった。
 国会議員の学会役職が解かれ、それを次第に県会、市町村議会へと、時間をかけておろしていった。  公明党の自主性を演出するため、さまざまな工夫がこらされたが、一方で、目に見えないところで池田大作の支配とコントロールを維持するために苦心した。人事や政策は、こっそり開かれる池田大作の御前会議で決められた。  公明党の大会では、党員から反対意見や質問が述べられるようになったが、これらはすべて、池田大作が書いた筋書にもとづく八百長だった。  例えていえば、サラ金の取立てから家族を守るため偽装離婚した夫婦みたいなもので、夜になるとコッソリいっしょに暮らす、といった具合いである。  だが、こうした“カムフラージュ”等、小手先の細工をほどこしながらでは、大きな組織は動かせない。  創価学会が、世間の批判を気にして運動を手びかえた昭和四十七年暮の総選挙では、公明党は一挙に三十二まで議席を減らしてしまった。  しょせん、創価学会と公明党は、一つであり、池田大作がかつて宣言したように“同体異名”の存在である。  一人の人間を前から見てAと呼び、うしろ姿をBというのと変わらない。  あるいは、一人の男が、夫であると同時に会社員であるからといって、二つの立場に応じて人間を切りはなすことができないのと同様である。創価学会が、なりふりかまわず総力をあげて選挙運動をしなければ、公明党は成り立たないことを、この選挙は、はっきりと証明した。  「このままでは、公明党はつぶれる。そうなると創価学会もつぶれる」  こう見極めた池田大作は、創価学会首脳に、秘かに“政教一致路線”への回帰を宣言した。そして昭和四十八年以降、最小限、表向きの“分離”のゼスチャーは維持しつつ、公明党の選挙も人事も、そして路線も、池田大作が直接指揮し、統制する方向へ逆もどりさせた。


「四面楚歌」の中、正本堂落慶を迎える

そうした中で、昭和四十七年十月、正本堂落慶の時を迎えたのであるが、“第七の鐘”“広宣流布の時代到来”などといったさわやかな姿とはほど遠い、正に「四面楚歌」の状態だった。  妙信講の攻撃をかわすため、  「正本堂ができたからといって、御遺命の戒壇が完成したことにはならない」 と、後ろ向きの声明を聖教新聞に発表させられた末、御本尊の御遷座は、予定を一日早めて、池田大作と側近だけが参加して秘かに行われ、あとで発表される、という、みっともないことになった。  「流血の惨事も辞さず!」と脅しまくる妙信講を、私と秋谷栄之助氏(現会長)、原島嵩氏らで必死になだめ、何とか正本堂落慶法要にこぎつけた。次々とおそいかかる外からの攻撃や、造反を押えるのが当時の私の役目で、池田大作は、私に「四面楚歌 君がおわせば 王の道」と書いた色紙を贈っている。当初の“広宣流布の幕明け”などというムードはどこかへ飛んでしまった。池田大作をみじめさから救ったのは、ジョージ・ウイリアムス(貞永靖雄氏、アメリカ本部長)が大挙連れてきた“外人部隊”だった。  彼らの底抜けに明るいパフォーマンスで、沈み切った空気を何とか転換することができたのである。  落慶式が終った後、箱根研修所で疲れをいやしながら、池田大作はしみじみと「俺を守ってくれたのは、北条、中西、そして山友(私)と竹入だ」と言った。  だが、正本堂が、当初意義づけたような“御遺命の戒壇ではない”と定義を改めざるを得なかったことが、今度は、造反会員の“御供養金返還”訴訟を引きおこし、創対連(創価学会脱会者グループ)の返還運動を招いてしまった。  こうした“事件に対応するための専門のセクション”が設けられ、共産党宮本委員長邸電話盗聴事件で実績のある私が、その責任者にすえられた。  以来数年間、私は、学会本部の書類や会計帳簿改ざん作業と並んで、“事件対策”“情報師団”の仕事にも追われる毎日を過ごさなくてはならなかった。


正本堂御供養金を使い切って金欠におちいった創価学会
 
昭和四十五年から正本堂落慶を迎えた同四十七年は、池田大作と創価学会にとって正にいばらの道だった。そして、この“いばらの道”は更に三年ばかりつづくことになった。  正本堂が落成したということは、即ち正本堂御供養金三百五十億円が消失したことを意味する。  実際、翌年十月には、正本堂会計の清算作業を終え、概略を北条理事長のあいさつの中で報告するとともに、残りの事業と残ったわずかばかりの金を、大石寺側に引き渡している。 (北条氏のあいさつについては、第三巻二七〇頁〜二七八頁で、全文を紹介した。参照されたい)  池田大作が、それを武器に、銀行やゼネコン、経済界ににらみをきかせ、ひれ伏させた三百五十五億円とその利息百億円は、昭和四十八年十月をもって、完全に〇になった。  池田大作が手にした百億近い裏金も、この頃にはつきていた。  金だけが理由でつながっていた銀行もゼネコンも、“手の平をかえす”とまでは言わぬまでも、次第に冷淡になっていったのは当然である。  更に、創価大学の開校と時期がかさなり、多額の寄付が必要となったし、創価学園も、ちょうど金のかかる時期にさしかかっていた。  本部職員の不満を押さえるための昇給やボーナス支給も行われたし、マスコミ関係者や政治家に対する“接待作戦”にも、思いがけない金がかかった。  防衛活動のための機密費支出も少なくなかった。  また、昭和四十七年までは、本来創価学会の一般会計で支出するべきものまで、正本堂事業にかこつけて、正本堂御供養金から支出するケースも少なくなかったが、昭和四十八年以後はこのような“ウマミ”もなくなった。  二、三巻で詳しく述べたとおり、正本堂関連事業によって、東洋物産等、外郭会社は潤ったが、昭和四十八年以後は“正本堂特需”がなくなり、収益確保のために、外郭各社はそれぞれ企業努力をしなくてはならなくなった。


落ち込む聖教、民音収入

一方、創価学会の収入面はというと、言論問題での批判をかわし会員の不満をおさえるために、会員に対する“聖教新聞の多部数押付け”“出版物の強制的な購買”“民音興業チケットの押しつけ販売”等の収奪を、自粛せざるを得なかった。そのため、創価学会の金庫は次第に底をつき、預金は確実に減りつづけた。  池田大作が、世論・マスコミ対策のために、新聞社や出版社から本を出したりすることが多くなったが、これは印税で、小遣いかせぎすることも隠れた目的だったのである。  「かせいでもかせいでも、金は皆本山に吸い上げられ、大学や学園に持っていかれる。公明党には票をもって行かれる。俺には、悪口ばかりが(世間から)集まる」 とぐちをこぼすことが多くなったのも、この頃であった。  総選挙で大敗を喫した後、昭和四十八〜九年は首脳陣は、財政面でももはや“後がない”という、深刻な危機感を持った。


開き直り反撃に転じた池田大作 昭和五十一年に勢力回復
 

昭和四十八年から、池田大作は、密かに反撃を開始した。  “天下盗り”は池田大作の一生かけての執念であり、他から批判されたからといって捨てられるものではない。世間を気にして“政教分離”をすすめたら公明党はやがて消滅することははっきりした。こうなれば開き直るしかない。  会員の減少を防ぎ、組織をたて直す根本の方策は折伏しかない。  池田大作は、一時中止していた折伏を再開した。  もちろん従来のような、例えていえば通りを大勢でガナリ立てて我がもの顔に歩き、番犬小屋をわざとけとばして挑発するような、強烈な折伏はやるわけにはいかない。  そこで、幹部の中から選んでチームをつくり“一人年一世帯の折伏”を目標にし、そしてチームの輪を次第にひろげて行く方法をはじめ、いろいろな戦略をあみ出した。“目立たぬように着々とやる”“世間がアッと気付いたときはもう遅い”というやり方でやる。……  折伏の相手をよく研究して適した人物を派遣し、適した方法や話題を選ぶ等、マーケット・リサーチ的な手法も取り入れたし、“罰と功徳”一点ばりの“強折”をやめて、青年層には“歌とおどり”“サークル”“平和運動”を強調し、一般層には、やわらかく実利を説く等、ソフト路線に転換した。  仏壇や仏像を焼くことも禁止したし、家族が反対の場合は、無理やり御本尊を受けさせることもしないよう徹底した。  “折伏”という言葉とは似ても似つかぬソフトな布教方法に転換した結果、次第に成果があがり、昭和五十一年末には勢力を回復したのみか、過去最高の会員数に達していた。  この拡大した勢力で、“政教一致選挙”に、これまたソフトな“友人作り”方式を導入して行った。これが成功して昭和五十一年暮の総選挙では、公明党は五十四議席へと躍進し、野党第二党の地位を確保した。  言論問題の轍をふまぬよう、マスコミ対策に人手と金をたっぷりかけ、そして、他党との関係にも気を配ったから、今度は公明党の進出に対するはげしい“ゆりもどし”は来なかった。  何よりも、最大最強の批判勢力だった日本共産党との間の“創共協定”が事実上空文化したとはいえ、互いの中傷攻撃合戦を封じる効果はのこったから、創価学会の周りの波は急に静まりかえったのである。  この時期、他に池田大作個人にかかわる最大の危機ともいえたのは、昭和五十年初頭に始まった「月刊ペン」誌による、池田大作女性スキャンダル事件であった。  やむをえず刑事訴訟にふみ切り、警察に圧力をかけて逮捕・起訴させたものの、秋になって池田大作証人喚問必至の形勢となり、大いにあわてた。  池田大作に命じられて私は、笹川陽平氏(現日本財団理事長・船舶新興会会長)と裏工作を行い、三千万円の金で月刊ペン社の社長と弁護人を買収して、やっとのことで証人出廷を防いだが、これによって池田大作は、最大の悩みから解放された。


金集め開始と、日蓮正宗攻撃

こうして学会組織と公明党のたて直しに成功し後顧のうれいをなくした池田大作は、かねてより懸案の、日蓮正宗制圧と、そして大々的な金集めによる財政再建に乗り出したのである。  それは、また、池田大作が心中に描いていた“池田大作を本仏とする創価学会独立・永続路線”と表裏一体をなすものだった。  日蓮正宗との間には、既に昭和四十八年から、容易ならぬ空気がただよっていた。  池田大作は、日蓮正宗が、国立戒壇論放棄や妙信講との対決の際、充分な協力態勢をとらず、ややもすれば優柔不断に終始したとして、強い不満を持っていた。  これらの問題はすべて、池田自身が引きおこした災難であり、その対処に、日蓮正宗宗門も苦しんでいたことを無視して、非難の姿勢を強めた。  また、正本堂という大事業に対して、それほど感謝されていないとのひがみもあった。  これも、すべて自分の売名のために利用しつくしたにもかかわらず、“すべて日蓮正宗のために行い、自分には何も残らない”とぶつぶつ言いつづけた。  その一方で、  「日蓮正宗は、正本堂ができ上がったら、創価学会から離れていくのではないか。僧侶達は腹の中では創価学会を毛ぎらいしているに違いない」 との疑念と不信が念頭からはなれなかった。  正本堂ができてしまうと、もはや“運命共同体”として両者を結びつける材料がなくなったように思われた。  池田大作は、正本堂をダシにして日蓮正宗に対し高圧的な態度をとりつづけたから、それに対して、僧侶の反撥がくると警戒していた。  「今後、相手がどう出るか……」  疑心暗鬼になりながら、それをかくして表面上、さりげなく親密をよそおうが、どことなくヨソヨソしい気配が隠し切れなかった。  このような状況を打開するため、池田大作は、正本堂以後の日蓮正宗との関係のあり方を模索した。  これまで、創価学会は、一信徒団体でありながら、青年部の集団暴力と、強大な財力で日蓮正宗を圧倒し、押さえつけ、従わせてきた一面があった。  しかし、日蓮正宗の寺院が増え、若い僧侶も多数育ち、法華講員の信者も少しずつ増えていったから、従来どおりの一方的な関係が保ち続けられるかどうか、保証のかぎりではない。


創価学会“永久路線”と日蓮正宗対策
   
池田大作は、創価学会を独立させることから、創価学会を解散し日蓮正宗と一体化することまで、あらゆる選択肢を考えたらしい。  戸田城聖は創価学会を宗教法人にするに当って、日蓮正宗に「広宣流布したら創価学会を解散する」と約束していたのである。  首脳とも話し合い、私も何度か相談にあずかった。  結局、池田大作は  「創価学会は、永久に存続させる。日蓮正宗については、戸田先生のころから坊主は不必要という創価学会の路線は変わらない。  ただ、創価学会にとって、御本尊と法主という、宗教上の権威は、どうしても必要である。確保したい。少なくとも、今これを失うわけにはいかない。また、長い間、大金を投じた大石寺や末寺を利用しないという手はない。  さればとて、言論問題のときのように後からいろいろ撃たれたり横ヤリを入れられては、安心して進めない。  また、これから先、日蓮正宗と大勢の僧侶や寺院をかかえ、維持していくことは、会員に二重の負担を強いることになり、やがて行きづまり、経済摩擦が生じるに違いない。  この際、もう一度日蓮正宗を締め直して、反学会分子と反学会ムードを一掃し、完全な支配下に置く必要がある。完全に管理して、日蓮正宗を巨大化させないようコントロールしなくてはならぬ。  また、野放図に金集めなどさせないよう、しっかりとタガをはめる必要がある」 との結論に至った。  折から、創価学会自身、財政がひっ迫し、金庫も預金も底をつきつつあったから、経済上の問題は特に切実だった。池田大作は、日蓮正宗が学会員から金を吸いあげることを我慢できなかったのである。


信者の前で日達上人を恫喝 「十三億円よこせ!!」
 
「十三億円よこせ!!」  方針を決めると、すぐに実行に移すのが池田流である。 まず昭和四十八年十月十四日、正本堂東広場完成法要の記念式典のあと、数千人の学会員の目の前で、池田大作は日達上人にごう然と喰ってかかった。  「猊下はウソつきだ!!  正本堂で、あれだけやらせておいて、御本尊一幅ですまそうとする。ずるい。  約束の十三億円、私に下さい。必ず下さい!!」  日達上人は、正本堂建立に対する慰労のため、創価学会に「賞与本尊」の下付を約束されている。それは、大変名誉なことなのだが池田大作は、それでは不足だというのである。 日達上人は、そんなお金が、大石寺にあるわけがない、と抗弁されたが、 「猊下は約束された。約束は守って下さい!」 と強く迫った。  日達上人は、その場は、  「わかりました。あとで考えます」 と引き下がったが、周囲にいた僧侶達や会員達は、凍りついたようになり、顔をこわばらせて静まりかえった。  池田大作は、“自分が御法主より上だ”という印象を会員に植えつけ、また、“宗門は取るばかりで感謝の心がない”ということをアピールするために、この日の場所を選んだのだが、思惑とは逆に、会員達には、異様な思いだけが残った。  池田大作は、更に日蓮正宗宗務院との連絡会議で追い打ちをかけた。  その三日後、早瀬日慈総監と北条浩理事長の間に、“十三億円”の支払いについての覚書が交わされている。


日蓮正宗制圧のノウハウ「山崎・八尋報告書」
 
翌四十九年元旦、初登山の際の“お目どおり”の席で、並みいる学会幹部の前で、池田大作は「僧侶の素行が悪い」とまたまた日達上人を徹底的にこきおろし、総括した。  更に、私を中心とする弁護士達と、聖教新聞社経理局長を中心とする経理師団を大石寺に派遣し、  「正本堂事業の会計上のつき合わせをしておかないと、国税局にふみ込まれる」 という名目のもと、大石寺の法人事務と経理のすべてを公開させ、詳細に検討する作業に着手した。  その調査がおおむね終わった段階の同年四月十二日、私と八尋頼雄弁護士(現副会長)とで、池田大作宛に次のような報告書を提出している。  「本山の問題についてはほぼ全容をつかみましたが、今後どのように処理して行くかについてふたとおり考えられます。一つは、本山とはいずれ関係を清算せざるを得ないから、学会に火の粉がふりかからない範囲で、つまり向こう三年間の安全確保をはかり、その間、学会との関係ではいつでも清算できるようにしておくという方法であり、いま一つは長期にわたる本山管理の仕掛けを今やっておいて背後を固めるという方法です。本山管理に介入することは、火中の栗をひろう結果になりかねない危険が多分にあります。しかし、私の考えでは、本山、正宗は、党や大学、あるいは民音以上に学会にとっては存在価値のある外郭と思われ、これを安定的に引きつけておくことは、広布戦略の上で欠かせない要素ではないかと思われます。こうした観点から後者の路線ですすむしかないように思われます」  その方法として、@本山事務機構(法人事務、経理事務)の実質的支配、A財政面の支配(学会依存度を高める)、B渉外面の支配、C信者に対する統率権の支配(宗制・宗規における法華講総講頭の権限の確立、海外布教権の確立等)、D墓地、典礼の執行権の委譲、E総代末寺支配、の六項目をならべている。


「国際センター」で日蓮正宗支配計画

その上で、「財団法人日蓮正宗国際センター」の設立に着手し、その許可と、日蓮正宗がその傘下に加わることを日達上人に強要した。  これは、日蓮正宗国際センターの理事長ないし総裁に池田大作が就任し、その傘下に、創価学会と日蓮正宗及び世界各国の信者でつくられた法人が参加する、という形であったから、日達上人も、さすがに堪忍袋の緒を切られた。  日達上人はこれを断固として拒否されるとともに、創価学会と手を切ることを前提に、  「ひさしを貸して母屋をとられてはならない。元の小さな教団にもどり、畑をたがやしながらでも、日蓮大聖人以来の法灯を守ろう」  「正本堂から、大御本尊を元の奉安殿にもどすことも考えなくてはならない」 と、宗内に宣言された。  それとともに、創価学会の“池田本仏論”を中心とする教義逸脱をきびしく批判された。  池田大作は、日達上人の反撃に腹を立てたが、しかし、日達上人が思いのほか強硬に出られたことで、うろたえ、いそいで懐柔策に切りかえた。  この時期の、日達上人及び日蓮正宗との交渉役は、北条浩氏と私が担当していた。  私達は国際センター設立の承認を求めて日達上人にお目どおりした際、思いのほか強い拒否に会い、あわてた。  当時の庶務部長の記録された“創価学会・宗門記録”によると、北条氏が事情を説明し私がそれをフォローするのに対して、日達猊下は終始「非協力」の姿勢を貫いた。例示すると、「アメリカでは寺もいらない僧侶もいらないとなってきている」「日蓮正宗とは別個に学会として作ればいい」「正宗は、小さいままでけっこう」「教義はどんなことをしても守らなければならぬ。国際センターのことは学会だけでやったらよいでしょう」「謗法が加わるとおさまりがつかなくなる」といった具合であった。  私の記憶では、日達上人は  「いくら学会が折伏して増えたといったって、謗法する人が増えたのでは何もならんでしょう」 とまで言い切られた。


北条報告書に見られる「本音」

これに憤然とした北条は、翌日付(五月十日)で池田への報告書を作成した。  「本山の件」と題するこの報告書で、北条は  「九日の本山お目通りの際、猊下の話は大へんひどいものでした。之が猊下かと疑うほど、また信心そのものを疑いたくなるほどひどいものでした。反論はその都度しましたが、話のすじはわかっても感情的に思いこんでいるという所があり、広布の上に重大障害となり、また宗門僧侶の問題等の一切の根源がここから出ていると感じました」 と当日の模様に対する全般的な感想を述べ、日達猊下の「問題発言」として四項目にわたって挙げてコメントをつけている。そして結論的に、  「(猊下は)広宣流布など全く考えていない。自分たちの私財がふえることと、信徒を見下してえばって暮らせれば満足という風にしか考えられません。学会が生きぬいてゆく為には、相手に信心がないのなら、うまく使ってゆくか、徹底的に斗って学会の旗を守って死んでゆくか、いずれにせよ先生の最大のご苦心にふれる思いで、決意をかためました」 としている。更に、六月に入って、北条は、  「長期的に見れば、うまくわかれる以外にないと思う。本質はカソリックとプロテスタントのような違いである。戦術的には、すぐ決裂状態となることは避けて、早瀬理事とのパイプ〈山友(山崎正友)・八尋が話し易い関係にあります〉を太くするとか、当面猊下の異常心理をしずめ、新しい進路を開きたいと考えます。但し、やる時がきたら、徹底的に斗いたいと思います」 という内容の報告書を提出している。


日達上人の「手切れ宣言」にあわてる池田大作

だが、当面手を切って困るのは池田大作と創価学会である。  当時私は、大石寺の経理調査団の中心者であり、芙蓉坊(当時、雪仙坊の近くにあった。元々は、医師の常駐する場所であった)を全館使用して、週二日ほど、ここで寝とまりしながら、八尋頼雄、桐ケ谷章らとともに経理部員を指図して、大石寺の金や不動産の全容把握作業に従事した。  また、国際センター設立について、規約づくり、その手続き一切を担当していた。  調査団の中で、どういうわけか、私は、日達上人はじめ日蓮正宗首脳に好意を持たれるようになり、その結果、いつの間にか日蓮正宗と創価学会の和解工作も、全面的に私の担当するところとなったのである。  昭和四十九年五月以降、当時の早瀬日慈総監、阿部信雄教学部長ら宗務院の役僧は、日達上人から強くクギをさされて、全く動けない状態だった。いくら創価学会が働きかけても、  「今度は、お山の意思は固い。私達も日蓮正宗僧侶として、御法主上人の思し召しに従うのみです」という答えしか返らなかった。  それでも、更に強引に池田大作が宗務院に調停を依頼し、それでは、ということで早瀬総監が日達上人の意向をうかがった結果、  「日蓮正宗と創価学会は別れて、今後、別の道を進みましょう。創価学会は好きにやったら良いが、日蓮正宗は一切関係ない。ただし、大石寺に、学会員が参拝する際は、信者として取り扱い、御開扉はいたしましょう」 という、事実上の、“手切れ宣言”がもたらされたのであった。  池田大作は、ろうばいし、すぐに、宗務院役僧に対し、  「“信者として扱う”とは、まことに水くさいお言葉だ。承服できない。私達は、あれだけ苦労して御供養した正本堂なのだから、絶対に大石寺からはなれません。なすびやきゅうりではないのだから、簡単に切られてたまるものか!!」 と八つ当たりした。 日達上人の、思いがけぬ強硬な反撃にあって、一度は憤慨した創価学会首脳であったが、しかし、将来は別として“即時手切れ”という事態は何としても回避しなくてはならなかった。 だが、宗務院を通じての交渉窓口を断たれ、打つ手がなくなった池田大作は、私と大石寺内事部僧侶、あるいは庶務部長(藤本栄道尊師、現藤本総監)との、訴訟や経理調査を通じての人間関係をたよっての水面下の交渉にすべてをかけた。 “国際センターは、創価学会だけでやり、日蓮正宗は関係ない” “大石寺登山に、できるだけ多数参加させる” “新たな寺院建立を考える” “十三億円はもう結構です” 等々の譲歩案を提示して、私は、内事部理事、あるいは庶務部長を通じて、日達上人にお目どおりし、創価学会との絶縁を思い止まって下さるよう、働きかけた。  昭和四十九年七月初め、日達上人は、讃岐本門寺に法要におもむかれた。  そこに、主だった僧侶を集められ、創価学会と絶縁する旨の発表をされる予定だ、という情報が入り、池田大作以下、創価学会首脳は大いにあわてた。  前日夜、私は、池田大作の  「どんな御指南でも従いますから、絶縁宣言は思い止まってほしい」 というメッセージを日達上人のお供をされていた庶務部長に伝え、その結果、  「わかりました。もう一度、本山へ帰って考えましょう」 という日達上人のメッセージを受けとった時には、私も、創価学会首脳もホッと一息ついたのだった。  その後も、紆余曲折はあったが、その年の暮には、日蓮正宗と創価学会の関係は、何とか平穏を保つに到った。  もっとも、この年の夏、妙信講が、日蓮正宗、及び創価学会との休戦協定を破棄し、実力行使に出て、秋には、創価学会本部に集団で殴り込みをかける事態となった。  この、妙信講問題への対応のため、日蓮正宗と創価学会は、否応なく協力して当たらなくてはならなくなったことも、両者間の争いに水をさす大きな理由となった。  「創価学会が過去の過ちを改めるというなら、和合して進むことが宗門にとって一番良いことである」  この信念にもとづいて、皆が臆して手を出そうとしない妙信講問題において、阿部信雄教学部長(総監代行=当時)は、あえて火中の栗を拾い、日達上人の御指示のもと、妙信講破門の陣頭指揮をとられた。  当時の、阿部教学部長(現御法主上人猊下)や、藤本庶務部長(現総監)の、毅然として日達上人をお守りし、妙信講あるいは松本勝彌に対する対応や、訴訟に協力された姿に、創価学会弁護団も心を動かされた。  池田大作の前で報告をする際、福島啓充弁護士(現副会長)が、  「阿部先生、藤本先生は、まことに御立派です」 と話したところ、それまでにこやかに弁護団の話を聞いていた池田大作は、急に血相をかえ、真っ赤になって  「俺の前で、二度と坊主のことを先生などと言うな!!」 と怒鳴りつけた。 一同あっけにとられたが、以後、池田大作の前では二度と、僧侶に敬称をつけて呼ぶ者はいなかった。 こうした、裏の姿とは正反対に、この頃、池田大作は、宗務院役僧の御機嫌をとりつづけた。 折から、「月刊ペン事件」「創共協定問題」「松本勝彌氏対策」「地元富士宮市対策」等々、大きな事件の処理がなお続いており、その対応に追われている間、日蓮正宗と事をかまえることは何としてもさけなくてはならなかった。また、前回の失敗にかんがみ、日蓮正宗攻撃のため、準備を充分ととのえる必要があったことも、日蓮正宗への対応を慎重にさせる原因となった。


藤本庶務部長の「宗務院記録」を盗み写した桐ケ谷章弁護士

妙信講対策や訴訟打合せの合い間に、池田大作は度々、宗務院役僧を料亭「光亭」の会食にさそってもてなした。 その間に、桐ケ谷章弁護士は、藤本庶務部長が打合せのために持参していた「宗務院記録」を、カバンからこっそり持ち出し、コピーしてから何くわぬ顔で戻しておいた。 将来予想される日蓮正宗との抗争の第二ラウンドで活用するための“盗み撮り”であった。 桐ケ谷章弁護士は、池田大作から、“良くやった”とほめられた。 こうした創価学会の面従腹背は、昭和五十一年暮までつづく。例えば、“本尊模刻”である。池田大作は、日達上人が創価学会の会館に御本尊を下付して下さらないことに業をにやし、こっそりと七体もの本尊を勝手に模刻し、“二重”につかうことでその場をしのいだのである。“手切れ”となったとき、勝手に御本尊を作って増やす腹づもりが、一足先に実行されたのである。  その間、「月刊ペン事件」は、前述のとおり、私と笹川陽平氏(現日本財団理事長)の裏工作によって相手方の買収に成功し、池田大作の証人出廷を行わないで解決するメドがついたし、富士宮市対策も、池田大作が、多額の寄付と引きかえに名誉市民称号を得たことで落着した。  その間、大石寺を封じ込めるための墓園工事(後述)もメドが立ち、私達の調査によって、大石寺、日蓮正宗の“財政”の実態もほぼ把握した。  言論問題以後、ゆれつづけた政治路線も、同年十二月五日の総選挙で再び政教一致選挙を展開した結果、公明党は五十四議席を獲得し、“言論問題”以来の“負の資産”の整理は、いちおう終わったかに見えた。


池田大作、宗門に復讐宣言

自信を回復した池田大作はそこで、日蓮正宗と日達上人に対する復讐戦にとりかかった。  昭和五十一年暮、池田大作は、大阪市の関西本部に首脳を集め、  「天下を取れることが私には見えてきた。いままで創価学会をいじめた者を今からやる!!」 と宣言した。  既に、同年中頃から、池田大作は、秋谷栄之助副会長、野崎勲、八尋頼雄弁護士らを中心にすえて、“日蓮正宗懲罰対策”を練っていた。それを、昭和五十二年の初めからいよいよ実行に移したのである。この作戦に、私はまったくツンボさじきに置かれた。  私は、当時、日蓮正宗との融和路線の総責任者であったから、私の性格上、裏でこっそり“攻撃作戦”を練る作業にたずさわるという、二面性をいさぎよしとしないであろうことをおもんぱかったのだろうか。  あるいは、冷静に考えれば、日蓮正宗と事をかまえるのは、なお時期尚早であることは承知の上で、しかし、池田大作がどうにも感情を押さえられなくなって攻撃に出た、という点で、事前に私に相談したら、必ず制止されると思ったからなのか。  もっとも、私の元へは、池田大作の口止めにもかかわらず、日蓮正宗攻撃の準備にたずさわった人達から情報はもたらされていたから、知らないわけではなかった。  だが、私は、除外されたことを奇貨として、日蓮正宗攻撃には一切関与しないつもりでいた。  私は既にこの頃、池田大作と創価学会のやり方と、汚ない仕事ばかり押しつけられることにうんざりして、当面手がけていた事柄の処理が終わったら、創価学会関係の仕事から手を引いて、平凡な弁護士の生活にもどろうと、密かに決心していたのである。  昭和五十二年の一月から三月にかけて、私は、「月刊ペン」事件の裏工作を口実に、もっぱら笹川陽平氏や西崎義展氏らと、銀座や赤坂で遊び呆けていた。その後も、海外旅行や、クルーザー遊びに熱中するふりをした。それは、池田大作のぜいたくや女ぐせに対する当てつけであるとともに、  「私は、創価学会幹部としての出世を望まず、窮屈な暮らしは御免だ」 という意思表示でもあった。


昭和五十二年元旦から、宗門総攻撃の火ぶた切る

昭和五十二年元旦、池田大作は、創価学会本部広間で行われた勤行会で次のような演説をして、日蓮正宗攻撃の火ぶたを切った。  「日蓮大聖人の御書の通りに実践しておるのは、創価学会でございます。いな創価学会しかない。もはや御本尊は全部同じです。どの御本尊も同じです。その御本尊を根本として広宣流布のために日夜活動している」  「私ども地涌の菩薩は敢然として、まず大聖人の御遺命である正本堂を建立しました。誰がしましたか途中で。創価学会がしたんです。私がしたんです。そうでしょう? 大聖人はお喜びでしょう。御本尊様は最大に創価学会を賛美することはまちがいない」  「寺院というものは、葬式、それから結婚式、それから御授戒……儀式の場なんです。儀式の場です。勘違いしちゃいけません。〈中略〉本山に於いては、大坊も創価学会の寄進です。大講堂もそうです。大客殿もそうです。大化城もそうです。総坊もそうです。五重の塔、御影堂、山門も全部修復したのは私です。創価学会であります。坊をいくつも造った。いや何百という寺院を造りました」  “もはや御本尊は全部同じです”という発言と、先の本尊模刻の事実を照らし合わせると、まことに興味深い。  更に同年一月十五日の第九回教学部大会(関西戸田記念講堂)で「仏教史観を語る」の原稿を読み上げた。その要旨は次のようなものである。  @日蓮正宗は民衆を導く機能を失った「出家仏教」である。  A創価学会は在家・出家の両方に通ずる役割を果たしている。  B創価学会は剃髪せず俗衣を着した在家の群像であり、それは真の菩薩僧の意義をもつ。  C仏法流布・民衆救済に励む創価学会は供養を受ける資格がある。  D儀式のみを行ない、わが身の研鑽もしない日蓮正宗の寺院は道場ではない。  E大乗仏教の興隆は在家教団によってなされた。  F創価学会の本部・会館・研修所は近代における寺院である。


池田大作、「謗法行為」の数々

池田大作は、この頃、代々会長に伝える“重宝”を定めたり、  「創価学会は永久に存続する。後世、“創価学会仏”と呼ばれるようになる」 等と発言し、自らを、日蓮大聖人の再誕である、との演出を開始し日蓮大聖人の故事にならって  「本弟子」「新弟子」 を定めたりしている。  私も、原島嵩氏も、また行方不明とされた細谷昭氏らもレッキとした新弟子であり、竹入義勝氏、竜年光氏、矢野絢也氏らは、本弟子である。  もっとも、池田大作は、造反者の出ることを予感していたようで、  「背いた者の名は、朱線で消し、“背き了んぬ”と書く。その者は地獄に落ちる。そうならないように心せよ」 と脅した。  また、“創価学会守護の血脈”などといった血脈相伝のまねをしたり、牧口、戸田、池田の三代会長を神聖化し、念珠にその頭文字を彫って幹部に与えたりした。  “塔婆供養”にかわる“慧光照無量”の書を与えることも行われた。  あらゆる面で、日蓮正宗を否定し、創価学会こそ日蓮大聖人の直弟子であると強調したのである。  池田大作は、時には  「日蓮大聖人は、御本尊を顕わされたが、私はこれを日本中に広め、本門の戒壇である正本堂を作った。広めることの方がはるかに大変なことだ」 と、自分が日蓮大聖人以上の事蹟をなしとげた末法の“本仏”であることを強調した。


総代会の陰謀、日達上人の覚悟
 
池田大作は、更に、同年一月二十日、関西白浜研修所で総代会を開き、日蓮正宗寺院の総代を務める学会幹部を集めて、日蓮正宗寺院に対する対策を打ち出した。  当然ながら日達猊下は池田のこうした動き、とりわけ記念講演(仏教史観を語る)を重大視された。  「今朝の聖教新聞を読まれて承知していることと思うが、最近宗門と学会の間に冷たい隙間風が吹いてきた感じで困ったことである。宗門としては今後、向こうがどう出てくるかを静観していこうと思う。寺としては、参詣に来る人を大切にし、信仰をすすめ、法門を説いていってもらいたい。また、相手が何を言ってきても腹を立てないようにしてほしい。二、三人で議論するのは良いが、大勢集めて問題を起こさないでほしい。今のところ北陸方面ではだいぶ影響が出てきているようだが、大都会ではいまだそう影響は出ていない。〈中略〉昭和五十四年が学会の創立五十周年に当たる。これを契機にどういう展開になるか判らぬが、この三、四年静観していく。将来、学会と訣別することになるかもしれぬが、その時はその時で去るものは追わず、来る者は拒まぬつもりだ。そしてクルミのごとく堅くじっと古来の正宗の形を守っていこう。その時こそ我々は、自分のもつ力を最大に発揮し折伏して大きくしていこう」(昭和52年1月17日、妙修尼法事饗応=宗務院・学会記録文書)  なお、学会の一連の宗門対策の会合が、東京ではなく、関西で行われていることに注目されたい。  東京には、私をはじめ、短兵急な宗門攻撃に反対すると思われる幹部を残しておいて、攻撃部隊を関西に集めて旗あげをしたのである。  池田大作は、更に自らを超越的な指導者とすべく「創価学会“師”」などの名称を定めた会則案の起草を私達に命じている。宗教法人規則も、なしくずし的に日蓮正宗との関係をうすめ、独立に備えていったのである。


僧侶つるし上げの暴挙

こうして教義的にも体制的にも、“独立”する路線を固めながら、池田大作は日蓮正宗への直接攻撃にふみ切った。  一月二十日、まず、日蓮正宗若手僧侶の中でも、反学会の急先鋒的な論客であった菅野憲道氏に対する、学会青年部によるつるし上げで火ぶたが切られた。  原田稔副会長らを実行部隊の長とする青年部幹部は、反学会的とみられる僧侶を次々とつるし上げて行った。  この“つるし上げ”について、事務局長的な立場の竹岡誠治氏(宮本邸盗聴事件の主犯の一人)の書いた報告書のコピーが手元に現存する。  同文書によれば、  「本年一月より詫び状をとった坊主は次のとおりです。   

一月二十日、二十七日  菅野憲道   

一月二十八、二十九日  松本珠道   

二月六日、七日     坂井進道   

二月十二日、十四日   栗林開道   

二月十六日       小野顕道   

二月二十二日      高見求道   

三月十二日       西本暁道   

二月十四日       中村福道   

八月三日        玉沢研済」  

この報告には、学会側担当者、詰問内容や時間等がくわしく書かれている。  つるし上げられたメンバーは、日達上人の直弟子達であり、創価学会は、はっきりと日達上人に照準を当て、その責任を追及して退座に追い込み、そのあとに、自分達のいいなりになるカイライ法主を擁立しよう、というのが最終目的であった。その上で、創価学会にたてつく僧侶は一人のこらず宗門からたたき出す・・・池田大作はこう目論んでいた。  日達上人と日蓮正宗は、まったく不意をつかれた形となり、創価学会側の“これでもか、これでもか”とくり出す攻勢に対して、対応の準備もなかった。  それに、つるし上げの内容には、  「お前らが非を認めないなら、青年部は大石寺をとりかこみ、大奥に押し入って日達上人をとっちめてやる」  「学会を守るためなら、我々は何でもやる!!」 という脅迫が含まれていた。  日達上人の弟子達も、そして役僧達も、日達上人に危害が及ぶことだけはさけなくてはならぬ。当面、  「引く時は引かねばダメ、出る時は出てよい。今はガマンせよ」(日達上人) という戦法で、創価学会の意図を見極めるしかなかった。弟子達は断腸の思いで詫び状を書き、宗務院は日達上人に代わって頭を下げつづけるしかなかった。  一方的な攻撃に、立ちすくむ日蓮正宗側に対して、池田大作は更に追い打ちをかけた。  「猊下が悪いのです。弟子に対する教育がまるでなっていない。」  日達上人は、  「すべて私の責任です。今後充分注意しますので、弟子達をこれ以上いじめないでください」 とわびる形をとられ、ここで創価学会は、ひとまず攻勢をおさめた。  


徹底した経済封鎖

創価学会が、日蓮正宗攻撃の途中で立ち止まって様子を見ることにしたのには、二つの理由がある。  一つは、日蓮正宗内の反発の強さである。  既に、昭和五十年度から、創価学会による大石寺登山は激減した。また、会員の寺院への参詣も、創価学会の指図で差し止められた。  “経済封鎖”である。  この、“寺院もうで禁止令”は、昭和五十二年になって更に徹底され、幹部が毎日寺の玄関を見張り、下駄箱の下足の数をかぞえる、という有り様だった。  こうした措置や、つるし上げの実態が広まるにつれて、宗内には異様な空気がみなぎった。  創価学会の力を恐れて、“さわらぬ神にたたりなし”をきめ込む者もいたが、大勢は、  「このまま追い込まれるなら、寺はのたれ死にするしかない。それならば死にもの狂いで反撃しよう」 という空気が大勢を占める勢いとなった。  もう一つは、外ならぬ私の去就である。  私は、日蓮正宗攻撃作戦への不参加によって、明確に攻撃反対の意思表示をし続けたが、同年三月になって、明確に反対の意思表示をし、攻撃中止を申し入れた。容れられなかったら、創価学会から離脱することをほのめかしたのである。


私に対する日達上人の働きかけ 「このままでは御先師方に申し訳ない」 日達上人、反撃を御決意

同年二月の末頃、日達上人から私に、秘密会談の申し入れがあった。  当時、文京区西片町にあった管長宅(大石寺出張所)へ、密かに出向いた私を、自らスキヤキ鍋でもてなしてくださった日達上人は、この数年、日蓮正宗のために好意的に働いてきた私の労をねぎらわれた上で、  「現在、御承知のとおりの事態で、困り果てている。貴方の御尽力のおかげで、正宗と学会はやっと元のサヤにおさまったと思って安心していたのに、今の池田大作の所為は気が狂ったとしか思えない。学会には、誰か池田を諫める人はいないのですか」 と切り出された。  「“今年から、俺のやりたいようにやらせろ、失敗したら、また、後をたのむ”とクギをさされていて、私には口をはさむことができません。今は見ている他ないのです。また、仲直りするときは私のところへ言ってくるのでしょうが……」 と答えると、  「それでは、笹川良一さんとか、誰か力のある人にたのんで、たしなめてもらうわけにはいかないだろうか」 と、重ねて相談された。  「そういう人に言われても、従うような池田先生ではありません。また、自分が世界で一番偉いと思っている人だから、そういうことを言える立場の人はいません」 と言上すると、  「やはりそうですかねえ」 といって、ため息をつかれた。 「このままでは御先師方に申し訳ない」 日達上人、反撃を御決意  しばらく、黙々とスキヤキを食べていたが、食事も終わるころ、日達上人は、威儀を正されて、  「自分としては、私情を殺して広宣流布のためと思い、先師方の後を継いで創価学会を立ててきた。宗内の異論を切り捨ててまで、池田さんには誠意をつくして協力してきた。  それが、ここまで日蓮正宗をふみつけにされては、いよいよ腹を決めるしかありません。私も歳だが、このままでは、霊山に行って歴代の御先師方に会わせる顔がない。根性のある僧侶と、根性のある信者を頼りに、ひとつ戦うしかありませんな」 と述べられ、  「山崎さん、あなたとこうなったのも御仏縁だ。どうか、日蓮正宗のために力を貸してください」 と、私ごとき者に頭を下げられた。  池田大作は、いろいろな欠点やクセのある人だが、私をとり立て、重用し、他の幹部がやっかむほど可愛がった。  当時、創価学会での役割にうんざりして、何とか後をにごさないよう、創価学会から抜け出そうと動きはじめた最中でもあり、正直いって、これ以上、やっかいなことにはかかわりたくなかった。  また、池田大作と創価学会の恐ろしさ、手強さは、私が一番良く知っている。池田大作を相手に、追いつめられた日蓮正宗に加担して、余り勝ち目のない戦さをするなんて、その時の私にとっては、思っただけでも身ぶるいがした。日達上人は老齢の上、心臓病が思わしくなかった。  しかし、目の前に、私を信頼してここまで率直に仰せくださる御法主上人のお姿がある。  私の脳裏には、入信以来のいろいろな場面が走馬灯のように浮かんだ。親しい首脳や幹部の顔が浮かんだ。  私の親族や友人も、ほとんど折伏して創価学会員となっている。  池田大作と戦うことは、私にとって、生活の基礎と、人間関係の九割以上を失うことを意味する。  だが、私は、池田大作を信仰して創価学会に入ったわけではない。大御本尊を信じ奉り、御本仏日蓮大聖人を信じ奉り、正行の題目をとなえるために日蓮正宗の寺院で御授戒を受け、創価学会員になった。その信仰の中で、いろいろな体験もしてきたのである。  このとき、私は、打算や計算、利害といった考えを捨て、純粋に自分の心の奥にあるものに問いかけ、決心した。すべてを捨て、生命もなげ打って日蓮正宗を守って来た先人のおかげで法灯は連綿として守られ、そのおかげで私も、信仰につくことができた。今は私が身を投げだす時なのだろうか。  「わかりました。当面の“つるし上げ”や攻撃は何としても止めさせるよう、私の一身をかけて何らかの手を打ちます。  しかし、長い目で見た時、御宗門と学会の間には、重要な点でどうしても相容れない部分があることは、猊下も充分御承知のことと思います。  そのことを踏まえて、将来、“自立”することもやむを得ずとのお覚悟で御判断なさるべきではないでしょうか。  ただ、御宗門としては、今後、あくまで、法門と信仰のあり方、伝統の原点に立って、大義名分をしっかり立てられて行動なさるのがよろしいと思います」  日達上人は、何度もうなづかれた。  その後、  「当面は、何を言ってきても、柳に風で受けながし、頭を下げて、時をかせぎ、態勢をつくってから反撃する」 というお考えをうかがい、西片町のお宅を退去した。


進退をかけて宗門攻撃中止を働きかける

翌日、学会本部で北条浩氏に会った私は、単刀直入に、  「担当している一切の仕事から手を引きたい」 と申し入れた。  何事かと驚く北条氏に、  「今のような、見境のない宗門攻撃を続けていたら、宗門側も耐え切れなくなって、なりふりかまわず反撃します。既に、各地にその兆しが見えます。  妙信講問題も、松本勝彌の裁判も、宗門との協力関係の上で対策が組み立てられていますから、両者手切れになったら、裁判の方は総くずれになります。  創価学会に対抗するため、もし、宗門と妙信講が手を結んだらどうなりますか。  『正本堂は、事の戒壇ではない』 とはっきり定義されたら、松本勝彌の主張が通ってしまいます。  マスコミがさわぎ、その他の諸々の事件も息を吹きかえして、収拾がつかなくなる。  そうなると、私には解決の自信がないから、やめさせてください」 と言った。  どうしたら良いか、と尋ねる北条浩氏に、これ以上、宗門側を追いつめるのは得策ではないから、恩を売る形で攻撃をやめるよう、進言した。  「幸い、まだ、マスコミは動いていません。ここらでひとまず矛をおさめて、いずれ妙信講問題も、松本勝彌訴訟も、また、月刊ペン事件も、もうすぐ片がつく見通しだし、それから、また始めても良いではないですか」  北条浩氏は、首脳を集め、私の強い進言ということで、攻撃中止をはかった。  皆、心の中では、日蓮正宗攻撃をいやがっていたから、すぐにまとまった。その上で、池田大作に進言した。  池田大作も、どこまでやるか、日達上人を退座にまで追いつめられるか、自信がなかったところであったから、同意せざるをえなかった。  それに、強行すると、私が“仕事を投げ出す”と言っているため、この提案にさからえなかったのである。  その後、前述のように、池田大作が  「猊下がすべて悪い」 と言うのに対し、日達上人が私と打ち合わせた筋書どおり頭を下げられた、という段階を経て、第二次日蓮正宗攻撃は終わった。  秋谷栄之助副会長だけが、  「もう少しで日達上人をやめさせられたのに」 と未練げに言ったが、私は腹の中で“今に泣き面かくぞ”と、せせら笑った。  この年、三月から六月にかけて、池田大作は、日蓮正宗首脳や僧侶に対して、しきりにご機嫌取りを行なった。しかし、“経済封鎖”だけはゆるめなかった。  


創価学会からの「離脱」をはかった私

私は、かかえている事件の早期解決に奔走した。  まず、四月末、妙信講との間に訴訟上の和解を行い、最終解決した。  松本勝彌事件については、「宗教上の問題であるから、裁判所は訴えを門前払いすべきである」という主張一本にしぼり、その裏付けのためアメリカ(ハーバード大学、有力ローファーム)、ドイツ(ベルリン大学等)、フランス(パリ大学等)、イギリスへ行き、学説や判例を集め、また、世界的な憲法学者の鑑定書を集めた。  国内でも、有力な学者に鑑定を依頼した。後に、細川内閣で法務大臣を努めた、東大の三ヶ月章教授もその中の一人であった。  こうした努力のおかげで、松本勝彌裁判は、後に、最終的に勝訴した。  五月初めにホテルオークラで行われた、日達上人らを招いての会食で、池田大作は、  「妙信講問題は、山崎弁護士の獅子奮迅の戦いで見事解決した」 と、私をほめたたえた。  だが、池田大作と日達上人の、にこやかな談笑のなかにも、どこかヨソヨソしさがただよっていたし、池田大作の、私を見る目にも、いまいましさがあった。  この頃から、池田大作と創価学会首脳の私に対する態度は、それまでの“身内”扱いから、“客人扱い”へと変わり、ギコチなくなってきた。  言葉はていねいに、扱いはてい重にされるのだが、しかし奥座敷には入りにくくなった。  私は、妙信講問題の終了とともに、かかえていた情報師団の主力メンバーを、北条浩氏のもとに戻した。  彼等は、竹岡誠治、北林芳典を中心に再編され、野崎勲、八尋頼雄副会長の支配下に入り、後に、私に対する情報・謀略を担当することとなった。  私に残されたのは、「月刊ペン事件」と富士宮墓園造成事業、創価大学と創価学園の諸問題、それに、東洋物産の不祥事から派生した“シーホースの処理”くらいのものである。  他の日常的なことは、既に河上覃雄氏、岩住俊典氏らに一任していたから、私の足は次第に学会本部から遠のいた。


民社党と日蓮正宗の攻撃にパニックにおちいった創価学会

五月初め、創立記念日の行事が創価大学で行われた折、呼ばれた私は、どちらかというと“来賓扱い”だった。  一連の行事の終わりに、北条浩副会長に呼ばれ、一室で打ち合せることになったが、その時、はじめて、民社党から国会に提出される予定の質問趣意書のコピーを見せられることになった。  これをめぐって、創価学会内は大恐慌におちいった。これについては、後にくわしく述べる。  日蓮正宗からの反撃は、同年七月に入って、若手僧侶による池田大作講演批判論文が、教学雑誌に掲載されたことで火ぶたが切られた。  つづいて、全国で数十ヶ寺の寺院で、創価学会の教義違背に対する批判と、創価学会をやめて日蓮正宗信徒になるよう勧める“脱会運動”が展開された。  「山崎さん、見てくれましたか。いよいよ始めましたから、よろしく」 七月のある日、日達上人は、はずんだ声で電話をくださった。  八月下旬、伊豆で舟遊びに興じていた私に  「すぐ学会本部に来てくれ」 という呼び出しがかかった。  日蓮正宗対策にぜひ協力してくれ、ということであった。  やりたい放題をやって、しくじると、どうしようもなくなり、側近のだれもができない事態の収拾を私に押しつける。池田大作流のいつものパターンであるが、このときは事情が少し違った。


日蓮正宗の反学会感情が噴出
通じなくなった池田大作の手練手管

池田大作は私を利用して、日達上人をだまして矛先をそらし、一方で宗務院を脅したりすかしたりして、創価学会に一方的に有利な休戦条約を結ぼうと考えた。そこで、私の、創価学会に対する忠誠心は完全に切れてしまったのである。  日達上人も、そうした池田大作のやり口や手の内、そして私の心を見すかしておられたから、私がお目通りに行っても、  「今度は、どんな話を持って来たのですか、山崎さん」 と、笑いながら面白がって聞かれた。  それでも、池田大作は、  「見ていろ!! 日蓮正宗を手玉に取ってやるからな!!」 と側近に大見得を切って、宗務院を通じてのかけ引きに熱中した。  自分が仕掛けた戦争を、不利になったからといって私に収拾させた、というのでは、今後のリーダーシップにかかわると思ったのであろう。  だが、日達上人は、池田大作の手に乗らなかった。  宗務院を通して池田が申し込んで来たことについて、これまでのように直接、上人が決裁するのでなく、宗会や臨時僧侶会にかけ、宗内の世論を尊重する形をとった。  これまで、創価学会に対して、いろいろといじめられたり、いやがらせを受けてきてハラワタが煮えくりかえる思いをじっとこらえていた僧侶達、それも若手だけでなく、中堅、古老級の僧侶が、日達上人の御意向を慮って、びっくりするような強硬意見を述べ、学会からの和解提案をぶちこわした。  また時には、宗内の会議で何とかまとまりかけた和解案を、ドタン場で日達上人がひっくり返されることもあった。  その一方で、ほとんどすべての末寺で、僧侶が創価学会と池田大作を批判し、脱会者をつのる運動が激化した。  “このままでは、創価学会は崩壊する”  危機感にかられた創価学会首脳は、私の尻をたたいて、日蓮正宗との和解の糸口をさぐった。  既に創価学会は、宗務院を通じての工作をあきらめたし、宗務院側も、日達上人の御指示どおり一歩下がっていたのである。私をたよるしか道は残されていなかった。しかし、私が仲介して和解にこぎつけても、創価学会が取り決めを守らず、一方、若手活動家僧侶も、創価学会の違約を口実に創価学会攻撃をつづけたから、一向にさわぎはおさまらない。  なにしろ池田大作と創価学会には、過去三十年のつき合いの中で、日蓮正宗をバカにするくせがついていた。  せっかく、頭を下げ、譲歩して和解しても、その和解条項をいろいろと口実を設けて実行しない。そのうちウヤムヤにしようとする。そこで、各末寺が、“それみたことか”と、宗務院の制止をふりきってまた末端組織への攻撃を再開する、という悪循環が続き、そのつど、創価学会は追い込まれていった。


ゆとりの日達上人、追いつめられていく創価学会

日達上人は、こうした創価学会の体質を百も承知で、  「いっぺんに追いつめると、血迷って何をしでかすかわからないから、一歩一歩、段階を追って、押したり引いたりしながらやろう」 と、ゆとりを持って、池田大作の料理にかかられた。  何しろ、創価学会で、諸々の事件の処理役であった私が日蓮正宗側へついてしまったのだから、池田大作は飛車角を奪われたに等しいし、日達上人におかれても、私を通じて創価学会側の対応が鏡に写すようにわかるから、それまでと違って、楽に戦いを進められたに違いない。  そうした中で、昭和五十三年六月、教義上の諸問題についての聖教新聞紙上での訂正とおわび、同年九月、勝手に模刻した本尊の返納、十一月の幹部おわび登山へと事態はすすみ、五十四年四月には、池田大作の会長及び総講頭辞任へと行きついた。  日達上人は、表向きはとにかく、御内心は、できれば創価学会と手を切ることはしたくないと思っておられた。手切れとなれば大勢の会員が可哀相であるし、公明党、大学、学園、各種財団等、創価学会が展開してきた種々の事業について混乱がさけられず、そのことについて、これまで支援してきた日蓮正宗にも社会的責任がないとはいえない。それらを直接かかえこむほどの力もない。どこで、戦いを収束するかが、日達上人の最大のご決断となっていた。


池田大作、会長、総講頭辞任で事態収拾に

昭和五十四年四月、池田大作は、会長と総講頭を辞任し、創価学会の運営についても、これまでの独立独歩を改め、他の講中同様、日蓮正宗の監督下に入ることを約束し、そして自らは、創価学会から一切手を引き、北条浩氏を中心とする幹部達の会議に、その運営をまかせることを約束した。  日達上人は、これをもって、目的は達成したと考えられ、矛を収める決心をされたのである。  同年五月三日、創価大学の講堂で行われた総会で、日達上人は、  「今後、学会が日蓮正宗の教義を守るということの上で、過去のことは水に流そう」 と仲直りを宣言されたのである。

後継者を指名、くつろがれた日達上人

日達上人は、昭和五十二年頃から、既に体調すぐれず、同五十三年から五十四年にかけて、入・退院をくりかえされた。  動脈硬化と、心筋梗塞が進み、いつ何が起こっても不思議はないという状況が続き、その中での創価学会相手のかけ引きは、上人の御寿命をけずられるものだった。  池田大作の会長・総講頭辞任で、創価学会の牙を抜いたと判断された日達上人は、これで御自身の御法主上人としての最後の仕事は終えられた、とされて、新しい日蓮正宗の体制づくりに着手された。  昭和五十四年五月、日達上人は、阿部信雄総監、藤本栄道庶務部長、菅野慈雲海外部長という新しい宗務院執行部を決定され、発表された。これは、すでに一年前から洩らされていた、  “次は阿部に” という意思表示を、世間にも宗内にも示されたものである。  この決定に先立ち、四月末文京区西片町の管長宅(大石寺出張所)に呼ばれた私は、こうした一連の計画を打ち明けられ、“ひきつづき力をかしてやって下さい”とたのまれた。  以後、日達上人は、宗内の運営は新しい宗務院にまかせ、御自身は、各地に御親教に回られたり、旅行を楽しむプランを立てられたりと、半ば御隠居の生活を過ごされた。  特別のことがなければ、秋には正式に御法主の地位をゆずり、隠居なさる、という心づもりを私共にも語られていた。  日蓮正宗の宗務行政は、次第に“阿部体制”へと移行していた。  日達上人は、私に  「これまでのいきさつについて、阿部に知らないことがあってはいけないから、貴方からも阿部総監によく説明してください」 と言われ、常泉寺をたずねて親しくお話をさせていただいたこともある。  そもそも私が、宗門のことにくわしくかかわるようになったのは、妙信講問題がきっかけであり、総監代行であられた阿部信雄尊師(当時)・藤本栄道尊師(当時)との問題処理のための交流の中で、お二人から日蓮正宗のことをいろいろと教えていただいた。はりがね宗といわれた日蓮正宗の“僧侶根性”というものも、つぶさに見させていただいた。  お二人とも、創価学会幹部よりはるかに人間的であり、率直でかざりけなく、私達に接していただいた。  昭和五十二年以後、しばらく関係は中断し、時々日達上人のもとに伺ったとき、同席してあいさつや言葉を交わす程度の関係が続いたが、池田辞任後の、宗門体制再構築に当たっては、再び接点を持つようになったのである。  だが、日達上人のこのような思し召しにもかかわらず、創価学会は、相変らずなしくずし的に約束の空文化をはかった。  それに対して、急進的な僧侶や信者がはげしく反発し、小ぜり合いは各地で続いた。  


宗務院と若手僧侶の対立
日達上人、宗内秩序維持に苦慮

また新宗務院は、日達上人の指示どおり、和解路線を進めようとしたが、そのことに対する急進的な僧侶達の反発も強まった。  一方、新しい深刻な問題が生じていた。  日達上人は、創価学会に対抗するために、“根性のある若手僧侶”を起用したが、”根性ある僧侶”とは、ある意味でひとくせもふたくせもあって、従来の日蓮正宗の体制からはアウトサイダー的な人達も少なくなかった。  そうした、普段から宗務院の命令を無視し、仲間で固まる傾向の強かった僧侶達が、創価学会との戦争では中心になっていった。  なにしろ、創価学会の激しいつるし上げにも動ぜず、本堂にスポーツカーで突っ込まれるような直接行動にも動ぜぬ僧侶達である。  これらの僧侶達は、長い間、創価学会による強圧に、にえくりかえるような思いで耐えてきた、との思いを持っていたし、創価学会の横車に、ともすれば押され続けてきたように見える執行部に対する不信も強かった。  「はじめるからには、二度とあとには引けない。たとえ猊下がやめろといっても、創価学会を倒すまではやめない」  このような、激しい決意のもとに立ち上がった急進派の僧侶達は、宗門側優位の形勢の中、ますます意気が上がり、急進化していった。  そして、日達上人の全体的な観点からの思し召しにもとづく“進め”“引け”の指示さえ無視し、突っ走った。  やがて、ご病身の日達上人にとって、創価学会への対応よりも、これら急進派僧侶への対応の方がやっかいな問題となってきた。  急進派勢力は、次第に仲間をふやし、やがて過半数を越えた。そして選挙で宗会での多数派を占め、ついには、宗務院や内事部の指示にも従わず、自分達の考えで独走し、既成の秩序さえおびやかすようになった。  「創価学会をこのようにのさばらせたのは日蓮正宗執行部の責任だ」 と、公然と宗門を批判し、宗門行政の秩序をおびやかす存在となっていった。  「日達上人も優柔不断すぎる!」  「猊下がやめろといっても、我々は学会攻撃を止めるわけにはいかない!!」  「宗務院・高僧は、学会の金漬けになって堕落しきった。ウミを出さなくてはならぬ」  「我々で主導権をとり、日蓮正宗を刷新するしかない」  彼らの主張は、創価学会批判から、次第に宗門人事や行政批判へとエスカレートし、御法主の権威も無視してはばからぬ形勢となった。  彼らの主導権をめぐる思惑に、やがて次期御法主をめぐる思惑や人事についてのかけ引きまで加わるようになり、当然のことながら宗務院も硬化した。  日蓮正宗としては、ある意味で“パンドラの箱”を開けてしまったのかもしれない。  巨大な創価学会から日蓮正宗を守るため、やむをえず、真正面からではなくゲリラ戦から入って行かれ、そしてそれが成功しつつあっただけに、宗内秩序まで揺るがせてしまわれたといえよう。  

日達上人より急進派僧侶の説得を依頼される

昭和五十三年七月、創価学会は聖教新聞上に、教義上の誤りについての訂正を掲載したが、それに至る過程で、日達上人は私に、創価学会との仲介役だけでなく、宗内急進派の僧侶の説得、抑制を依頼された。  若い僧侶達は、時には自分達を、時には宗務院を前面に立てて、日達上人が押したり引いたり、攻めたり、ゆるめたりなさった、かけ引きの妙がわからないため、暴走してしまいがちであった。  日達上人は、当時持病の心臓病の悪化で入院退院をくりかえしておられ、自由に動かれなかったので、思い余って私に依頼されたのであった。  だが、急進派僧侶の鼻息はなかなか荒く、そのコントロールは難航していた。同年十一月の“おわび登山”直前に行なった攻撃中止の説得は、特に困難を極めた。  いきなりとりかこまれて、  「お前は俺達をだましに来たのか、ぶっ殺されるぞ!!」 と脅されたこともあった。 だが、誠意をもって、日達上人の御心のうちを説くうちに、次第にある種の信頼関係ができ上がり、理解してもらえるようになった。  彼らは、矛をおさめる前提として宗務院を通してではなく、直接、創価学会代表と対論する機会を求めた。  そのため、創価学会青年部首脳と急進派僧侶は、私の仲介で何回か会談した。  ところが、その結果は、創価学会首脳にカルチャーショックをもたらした。  「彼らの意見と自分達の考えや意識とは、全くかけはなれている。こんなに強硬な意見が支配的となっている以上、僧侶達とは、将来、絶対にうまく行くはずがない。」  そう認識した創価学会は、日蓮正宗の体制がこわれないうちに現在の宗門指導部に良い条件を出して和解し、その権威で、急進派を押さえさせるしかないと判断し、最終和解案へと進んで行ったのであった。  なお、池田大作の会長及び総講頭辞任は、日達上人が要求されたのではなく、収拾策として池田大作が自ら申し出たものであり、私はそれを取りついだのである。  


日達上人御遷化と創価学会の巻き返し

池田大作の辞任で最終和解をしたつもりが、創価学会側のサボタージュと、急進派僧侶の突き上げで、何となく雲行きがおかしくなった中で、昭和五十四年七月、日達上人は御遷化された。  あとを引き継がれた阿部日顕上人は、日達上人の  「私がしいた創価学会との和解路線を何とか推進してほしい。しかし、創価学会が違約したら、その時は、腹を決めて当たってもらいたい」 との遺命を受けて宗政を進められた。しかし、創価学会首脳は、“今が最後のチャンス”とばかり、宗門への「完全服従」「献身奉公」を誓うとともに、一方で、私や急進派僧侶が、創価学会批判を口実に、現執行部を追放して宗門支配を目論んでいる、との中傷を徹底して新執行部に吹き込んだ。  「新しい猊下には、私共は、何でもおっしゃるとおりに御奉公いたします。しかし、そのためには、立ち直る余裕を与えてください。  創価学会を批判する僧侶達を押さえてください。押さえられないなら、宗門から追放してください。さもなくば、これ以上、青年部はだまっていられない。何をするかわからない。そうなると、私にも抑えられない」  「御本尊にかけて申します。私は、猊下や御宗門をないがしろにするようなことは、けっして言っておりません。山崎や原島のいうことは皆なウソです」  「いいですか。山崎や原島のいうことはウソです。私を信じてください。宗門がどうなってもいいのですか。これが最後ですよ」  「若手僧侶は、日顕上人を追い落とし、他の人を御法主にしようと企んでいるのです」 と、恭順、服従を誓い、日蓮正宗の外護を約束し、その一方で、  「俺の言うことがきけないなら腹をくくって戦うぞ!! その時、後悔するぞ!!」 という脅しをきかせ、そして、宗内を分裂させる謀略を行なう。 まさに池田大作一生一代の勝負に出たのである。 日蓮正宗側は、こうした池田・創価学会の出方を真に見極めるには一定の時間が必要、と考え、当面は日達上人の遺命どおり、一歩、創価学会との関係修復にふみ出した。 それに、急進派僧侶が反発し、池田の思惑どおり、宗内の対立は深刻化した。 私も、池田大作の陰険な策謀によって、追いつめられ、流れのおもむくところ、急進派の人達と行動を共にすることとなっていった。 以後、私達は捨て身の反撃に出て、創価学会は窮地に陥り、昭和五十六年七月の総選挙では、公明党は惨敗した。  自民党も、一時私達の“創価学会批判”のしり押しをする構えをみせた。  池田大作は自民党と取引きして、公明党に議会で協力させることと引きかえに私達への弾圧を黙認させた。  その上で、学会は権力で警察・検察を動かし、昭和五十六年、私を恐喝罪で逮捕、起訴させるというウルトラCに成功し、窮地をきり抜けた。  こうして創価学会は、当面、平身低頭することによって、日蓮正宗との一応の関係回復をなし、そしてまた、自民党との裏のつながりを深めていって、危機の回避に成功した。  もはやこわいものがなくなった池田大作は、自民党の派閥抗争を利用して分裂を仕掛け、“二階堂擁立制”で新たな“天下盗り”の策略を練り直したのであった。


のど元過ぎて、日蓮正宗を再ぴないがしろにした池田大作

ついに、日蓮正宗から破門

“ノド元過ぎれば熱さ忘れる”というが、状況が好転するに従って、池田大作は、日蓮正宗との関係が、またまた次第にわずらわしくなった。  あわや死に体か、という時に、ありとあらゆる好条件を提示し、ひたすらひれふして慈悲をこい、そのおかげでもう一度チャンスを与えよう、との御慈悲で御法主上人に助けおこされたにもかかわらず、その恩は次第に忘れて、日蓮正宗への信徒団体としての務めを果たすことがいまいましくなり、御奉公の約束を反古にしだんだんと、昔のように「池田本仏論」が復活し、御法主上人や宗門僧侶を悪口中傷するようになった。  もともと、池田の謝罪や誓約は、その場の窮地を免れるための方便でしかなかったのだから、こうした本性の露出は時間の問題であった。  そして、温情をかけた日蓮正宗中枢が、やがて興ざめし、失望と怒りを味わうようになられたのも、当然のなり行きであった。  私は、近い将来、必ずや池田大作は再び本性をあらわし、その結果日蓮正宗と創価学会は決裂する、と確信を持っていたから、正信会側から疎外されたのを好都合に、ある時期から、静かに事態を見守る方針に転じていた。  やがて、平成に入ってから、日蓮正宗と創価学会の間の抗争が次第に表面化していく。  入獄する平成二年二月の直前に、ある方から、日顕上人の御意向が伝えられた。  私は、心安らかに下獄した。  最大の敵の一人であった私の下獄を見とどけた後、創価学会は、日蓮正宗との最終戦争に突入した。  平成三年十一月、日蓮正宗は、創価学会の破門にふみ切り、創価学会は、日蓮正宗との絶縁を宣言した。それにともない、会員が脱会して日蓮正宗につくことを防ぐため、創価学会は、なりふりかまわぬ宗門攻撃を展開していった。  また、破門を契機に、ある意味の拘束から開放された創価学会は、徹底した金集めと、政治への傾斜を深めていったのである。  本シリーズは、創価学会の経済面に焦点をあてて解明することが目的であるから、政治路線や宗門との対立については、その解明に必要な範囲にとどめた。

(創価学会と日蓮正宗の歴史、創価学会と公明党の政治路線については、別シリーズで改めて詳説し、後世に残したいと考えている。)

https://torideorg.web.fc2.com/takeov/to4_1.htm


                   
http://www.asyura2.com/21/senkyo280/msg/672.html

記事 [政治・選挙・NHK280] 緊急事態宣言で経済的に追い詰められた人が渇望するワクチンの危険性(櫻井ジャーナル)
緊急事態宣言で経済的に追い詰められた人が渇望するワクチンの危険性
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202105080000/
2021.05.08 櫻井ジャーナル

 菅義偉政権は「新型コロナウイルス対策」を口実とした緊急事態宣言を31日まで延長、人びとの行動規制や経済活動制限を続けるという。日本では「自粛」が半ば強制されているが、欧米などではロックダウン(監禁策)が実行され、効果がないと指摘されている。

 こうした政策は社会の収容所化であり、生産活動や商業活動を麻痺させて多くの企業や店の経営を悪化させ、倒産、失業、ホームレス、そして自殺者を増やすことになる。すでにひびの入っていた教育システムは崩壊状態。本来なら「医療崩壊」が引き起こされるような状態ではないにもかかわらず、そうした状態になるような政策をとっている。いわゆる「マッチポンプ」だ。

 日本では「新型コロナウイルス」と呼ばれているSARS-CoV-2(重症急性呼吸器症候群コロナウイルス2)。このウイルスによってCOVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)が引き起こされるとされている。

 この病気は中国の武漢で発見されたのだが、その後の「感染拡大」とのつながりに不自然なものがある。「感染者」を見つけるためにPCR(ポリメラーゼ連鎖反応)検査が使われてきたが、この手法に問題があることは本ブログでも繰り返し指摘してきた。

 COVID-19騒動は2020年3月11日にWHO(世界保健機関)がパンデミックを宣言したところから始まるが、それを可能にしたのは、パンデミックの定義が「新型インフルエンザ(豚インフルエンザ)」(2009年1月から10年8月)が流行する直前に変更されたからである。前の定義では「病気の重大さ」、つまり死者数が重要なファクターだったのだが、それが削除されたのだ。

 死亡者数も水増しされている。アメリカのCDC(疾病予防管理センター)はパンデミック宣言から間もない昨年3月、死亡した患者の症状がCOVID-19によるものだと考えて矛盾しないなら死因をCOVID-19として良いと通達、同じ時期に同じ趣旨の通達をWHOも出した。CDCは昨年8月、​​COVID-19だけが死因だと言える人は全体の6%にすぎないと明らかにしている。どの国でも死亡者の平均は80歳に近く、心臓病、高血圧、脳卒中、糖尿病、悪性腫瘍(癌)、肺疾患、肝臓や腎臓の病気を複数抱えている人が大半だ。

 アメリカでは、COVID-19に感染していたことにすれば病院が受け取れる金額が多くなることも死因をCOVID-19だと書かせる要因になったという。卒中などで運ばれてきた緊急入院させる必要のある患者をスムーズに病院へ入れるため、COVID-19に感染していることにするケースもあったという。

 COVID-19騒動で「ワクチン」と称する新薬の接種が促進されているが、それによってWHO(世界保健機関)やCDCを含むワクチン利権は大儲けするだろうが、巨大資本の広報的な役割を果たしているWEF(世界経済フォーラム)のクラウス・シュワブはパンデミックを利用して「資本主義の大々的なリセット」すると宣言、リン・フォレスター・ド・ロスチャイルドを中心とする「包括的資本主義会議」も設立されている。強大な私的権力が支配する新しい「世界秩序」を築こうというのだろう。

 また、パンデミックを利用して「デジタル・ワクチン・パスポート」の導入も進められようとしている。EUではパンデミックより前、2018年4月に「ワクチン・カード/パスポート」をEU市民に携帯させるという計画がたてられ、2022年に導入するという日程が決まった。地球上に住む全ての人間の個人情報を私的権力が集中管理するシステムを見据えている。

 このシステムは監視や管理だけが目的ではない。例えば今年2月、イギリスのドミニク・ラーブ外相は出演した番組の中で、​​パブやスーパーマーケットに入るためにも「ワクチン・パスポート」を必要にすることを考慮中だと語っている。完全な自給自足をしないかぎり、パスポートなしに生活できなくなる。

 イギリスでは4月12日からパブやカフェの営業が再開されたが、飲み物や食事の提供は戸外で、しかも飲み食いは席に着いて行わなければならない。しかも、飲み食いするためには携帯電話へ追跡アプリをインストールしていなければならず​​、それを店のスタッフへ確認させるため、携帯電話を渡す必要があるという。

 通貨のデジタル化も推進されるだろうが、そうなると、支配者が「好ましくない」と判断した人の銀行口座が凍結されるということもありうるだろう。実際、アメリカ政府はいくつかの国の資産を凍結している。それよりは容易だ。

 こうしたプランを実現するためには全ての人間に「COVID-19ワクチン」を接種させ、デジタル・ワクチン・パスポートを携帯させる必要がある。ところが日本ではワクチンの接種が進まず、4月中旬から少し増えたが、連休中には横ばいから下降に転じた。人びとを恐怖させるために「悪霊」をバージョンアップさせ、緊急事態宣言を延長するのは必然だろう。





 この「ワクチン」が危険であることはデータが示している。アメリカのCDC(疾病予防管理センター)とFDA(食品医薬品局)が共同で運用している​​VAERS(ワクチン有害事象報告システム)によると、4月30日現在、COVID-19ワクチンを接種して間もなく死亡したと報告された人数は1週間前より293名増えて3837名になった。



 1976年にアメリカのフォート・ディクスでH1N1インフルエンザのためにひとりが死亡して13名が入院、これを受けて​​4500万人がワクチンを接種されたのだが、この接種で53名が死亡、リスクが高すぎるとして接種は中止になった。不必要なワクチン接種だったと言われている。COVID-19のケースがいかに異常かがわかるだろう。

 ところで、VAERSに報告される数字は全体の1%未満だと言われているので、実際にCOVID-19ワクチンの接種で死亡した人は40万人程度になっている可能性がある。 




http://www.asyura2.com/21/senkyo280/msg/673.html

記事 [政治・選挙・NHK280] 緊急事態宣言延長で飲食店から「なぜ五輪は強行するのか」と怒りの声相次ぐ〈AERA〉
緊急事態宣言延長で飲食店から「なぜ五輪は強行するのか」と怒りの声相次ぐ
https://dot.asahi.com/dot/2021050800010.html
2021.5.8 12:00 AERA dot.


多くの飲食店で酒類提供を取りやめる掲示が出されたが…(C)朝日新聞社

 菅政権は5月7日夜、東京、大阪、兵庫、京都の4都府県に発令中の緊急事態宣言について、11日までに設定していた期限を今月31日まで延長し、愛知、福岡を12日から対象地域に加えることを決定した。

【写真】「もう限界…」と激白した飲食店経営の女優はこちら

 また、首都圏3県などに適用されている「まん延防止等重点措置」も期限を今月31日まで延長し、北海道、岐阜県、三重県を9日から新たに追加。宮城県は11日の期限をもって対象地域から外すという。

 都内で居酒屋を経営している50代の男性店主は閑散とした店内で、菅義偉首相の記者会見をテレビで見ていた。

『飲食やお酒を伴う機会の感染リスクを減らすことは、かねてより専門家から極めて効果が高いと指摘されております。飲食店における酒やカラオケの提供の停止を続けるとともに、新たにお酒の持ち込みを制限することを対策に加えさせていただきます。飲食店以外でのお酒が感染につながることがないよう十分な注意をお願い致します』

 菅首相の呼びかけに、店主はこう怒りをにじませた。

「それなら路上飲みも処罰を設けるべきでしょう。自粛を求めるだけというのはおかしい。今の政府のやり方に従って我慢しても店がつぶれるだけです。そもそも人の流れを抑制したいなら、なぜ東京五輪を強行開催するんですか?世界中の人が集まるからよほど感染リスクが高い。政府が本気でコロナを封じ込めたいのか疑問ですね」

 3度目の緊急事態宣言が延期となり、店の経営状況は限界を迎えているという。午後8時までの時短営業でお酒も提供できない。

「東京都から協力金は出ますが、家賃、食材費、人件費で借金は膨らむばかりです。休業も考えましたが、お世話になっている取引業者や店の従業員の生活もある。でもこれ以上、時短営業が続くと本当に厳しい。資金繰りの当てもないので店をたたむことも考えなければいけないです」

 店主は頭を抱える。周りの飲食店も状況は同じだ。近くの店は午後8時以降も営業し、個室で酒を出しているという噂が流れた。店主は責める気にはならないという。

「もちろんルールは破ってはいけない。でも同じ経営者として気持ちは分かります。それだけ苦しいんですよ。家族や従業員を路頭に迷わせるわけにはいかない。政府のコロナ対策も場当たり的な対応で感染を抑止するビジョンがないので信用できないんですよ」と不信感を口にする。

 コロナの感染が拡大する前は、東京五輪開催で世界中から多くの人達が東京に押し寄せ、飲食業も特需に期待が高まっていた。だが、変異型のコロナ感染が急速に拡大し、海外客の受け入れを見送る事態に。医療体制がひっ迫しているため、無観客での開催も現実的な選択肢となっている。

「アスリートの方々の心情を考えると軽々しく言うことではないと思うのですが、予定通りに東京で五輪を開催したら、コロナ感染がさらに拡大して飲食店、百貨店などはさらに窮地に追い込まれる恐れがあります。コロナを封じ込めるなら徹底的にやってほしい」

 SNSやネット上でも政府の対応に不満の声が相次ぐ。

「この一年で政府がしたことは、お願いと希望的観測。当然ながら終息なんてするわけがない。対策はワクチンしかないわけで、一年延期したが具体的な見通しを立てることができなかった時点で詰んでいたし、Withコロナと口では言うものの、何も変わらなかった」

「選手や関係者のコロナ対策については多少は具体例を挙げて説明しているが、(東京五輪)開催国の国民に対する具体的な対応策については何も話されていない。これでは国民は納得できるはずもない。何が何でも開催したいというのであれば、まずは国民のコロナ対策の具体例を説明し漏れることなく、実行できるようにするためにどう行動するかが最優先させるべきことだと思う。そうでないと国民が納得するはずもない。国民の納得が得らるない中で開催しても、誰一人心から歓迎しないだろうし、応援は出来ない。更に参加するアスリートを『悪』と捉えかねない状況も作りかねない。もう少し民意を真剣に受け止めて、それに沿えるような政府の行動をお願いしたい」

 都内の商店街を歩くと、シャッターに休業や閉店の知らせを書いた紙が貼られた飲食店が目立つようになってきた。悲鳴も上げられない人たちの声に耳を傾けなければいけない。(牧忠則)



http://www.asyura2.com/21/senkyo280/msg/674.html

記事 [政治・選挙・NHK280] 国民1人当たりGDPで「G7最下位」が示す日本の国のありさま 日本外交と政治の正体(日刊ゲンダイ)



国民1人当たりGDPで「G7最下位」が示す日本の国のありさま 日本外交と政治の正体
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/288782
2021/05/07 日刊ゲンダイ ※後段文字起こし


先進7カ国ちゅう日本は最下位…(G7外相会合が開幕、中央列後ろが茂木敏充外相=4日)/(C)ロイター

 日本を代表する大企業の幹部が、経済の話について竹下元首相に説明した時の話である。

 話を聞いていた竹下氏は、こう切り出したという。

「あなたは私のところに説明に訪れるぐらいだから、社長候補のひとりなのだろう。だが、あなたは数字に弱い。偉くなるにはもっと数字に強くならなければならない」

 世界で最強の情報機関は米国CIA(中央情報局)と言われる。そこでは「The World Factbook」というサイトがあり、さまざまな数字を紹介している。

 その中に世界各国・地域(例えば香港、マカオなど)の1人当たりGDP(国内総生産)のランキングの紹介がある。GDPは当該国全体の数字だが、その国の人々がどれだけの豊かさを享受しているかとなると、1人当たりGDPがより的確である。

 G7(先進7カ国)のランキングは次の通りだ。

 米国15位、ドイツ25位、カナダ32位、英国35位、フランス37位、イタリア42位、日本44位。一方、アジア諸国では、シンガポール5位、韓国41位である。1人当たりGDPで日本が韓国よりも下位に位置するというのは、多くの日本国民にとってショックだろうが、これが現実である。

 日本は経済大国というイメージがあるが、1人当たりGDPを見ると、とてもそうは言えないのである。

 国連統計でも日本が世界の中で置かれた状況を把握することができる。CIAデータとの違いは国連加盟国の中での日本の順位であり、便宜上、比較的変動が多かった年を抜粋して紹介したい。

 1990年14位、91年9位、94年6位、98年12位、2002年14位、04年20位、06年29位、09年26位、10年21位、12年20位、13年31位、17年33位――である。

 これらの数字と当時の首相が誰だったのか振り返ると興味深い。日本は2000年の森首相までは徐々に順位を落としてきているものの、まだ10位に位置していた。

 ところが、小泉政権以降、下落の勢いが増し、05年には23位となった。09年に誕生した民主党政権の時代は酷かった、といわれるが、その数字は決して悪くはない。それよりも、下落が急ピッチで進むのは第2次安倍政権からである。

 日本の相対的地位が低下しているのは、1人当たりGDPがほぼ同水準で推移しているのに対し、世界の多くの国では成長していることに起因する。1人当たりGDPが落ちているわけではないため、日本国民の不満はそう高くない。だが、他国が成長し続けている間に日本の国際的地位はどんどん悪化しているのである。

 国民1人当たりGDPがG7で最下位、アジアでも韓国よりも下位という現状は、今の日本の国のありさまがどこか狂っていることを示している。



孫崎享 外交評論家
1943年、旧満州生まれ。東大法学部在学中に外務公務員上級職甲種試験(外交官採用試験)に合格。66年外務省入省。英国や米国、ソ連、イラク勤務などを経て、国際情報局長、駐イラン大使、防衛大教授を歴任。93年、「日本外交 現場からの証言――握手と微笑とイエスでいいか」で山本七平賞を受賞。「日米同盟の正体」「戦後史の正体」「小説外務省―尖閣問題の正体」など著書多数。




http://www.asyura2.com/21/senkyo280/msg/675.html

記事 [政治・選挙・NHK280] <東京新聞・特報>東京五輪 万事休す 

※2021年5月8日 東京新聞特報 紙面クリック拡大



※2021年5月8日 東京新聞特報 紙面クリック拡大












http://www.asyura2.com/21/senkyo280/msg/676.html

記事 [政治・選挙・NHK280] 逃げ道なし!安倍と林検察<本澤二郎の「日本の風景」(4079)<晋三の心臓にドスを突き付けた?菅義偉「見苦しい、ジタバタするな」?>
逃げ道なし!安倍と林検察<本澤二郎の「日本の風景」(4079)
http://jlj0011.livedoor.blog/archives/29037669.html
2021年05月09日 jlj0011のblog


<晋三の心臓にドスを突き付けた?菅義偉「見苦しい、ジタバタするな」?>

 もんじゅの西村惨殺事件も衝撃的だが、森友の赤木事件も悲惨で声も出ない。二人の未亡人のことが気になる。後者は森友学園の侵略教育ともいえる「教育勅語」が、安倍晋三夫妻をとりこにしたことから、国有地のタダ同然の違法な払い下げを、安倍や麻生の意向で、同学園に強行した。これが発覚するや、国会で追及されると、財務省公文書の改ざん、改ざんで、責任を財務省職員の赤木俊夫さんに押し付けて幕引きを図った。自殺に追い込まれた赤木さんは、改ざんの事実をしっかりと記録していた。

 いうところの赤木ファイルを財務省・政府は隠ぺいして「ない」と開き直っていたのだが、裁判所の指示もあって、とうとう存在を認めて提出することになった。赤木未亡人の執念と世論の怒りに、裁判所が折れたのだろう。ヒラメ判事でなかったことに感謝したい。

 これを永田町の権力抗争で分析すると、菅が安倍にドスを突き付けた格好になる。「もういい加減、静かにしろ!見苦しいぞ、ジタバタするな」となる。政界雀の解説でもある。

 あわてて安倍が「菅政権を支持する」といったり、側近の加計孝太郎事件で、金を懐に入れた疑惑の政調会長・下村が「憲法改正にコロナがチャンス」とわめかせたり、はては文科相の荻生田が、歴史教科書から「従軍慰安婦」記述を訂正させるなどなど、安倍が重用した人物らがジタバタと踊り出している。

<隠ぺいしてきた「赤木ファイル」が法廷に提出!安倍と林検察の正念場>

 安倍犯罪を、法の下の平等によって、豚箱入りに懸命な市民運動家は「もう安倍は逃げられなくなる」とはしゃぎ始めた。

 安倍犯罪は、表面化しただけでも、森友・加計・桜・河井1・5億円そして忘れてはならない重大事件は、TBS強姦魔救済の中村格事件と、それこそ誰かさんが口走っていたようだが、それは「疑惑・犯罪の安倍デパート」である。

 これら一連の犯罪事件を、電通マターでメディアを封じ込め、捜査権のある検察は、政府の番犬として抑え込んできたのだが、そろそろ犯罪首相を、年貢の納め時にしなければならない。安倍内閣による借金の山々と福祉の低下による貧困+現在の菅コロナ超大予算によって、日本の財政は火を噴いて、爆発寸前である。コロナ退治の失態は、安倍の五輪強行・景気対策とコロナの二兎追い作戦に起因、今の菅もこれを引き継いでいる。

 結果、いまの大阪はインドの惨状を超えている。馬鹿な目立ちたがり屋の問題知事のもとで、関西は悲鳴を挙げている。安倍・政治責任を問う叫びは、新聞テレビは蓋をしているが、列島の人々の怒りは天を焦がす勢いがある。

 そこに「赤木ファイル」が、登場することになった。安倍も林検察も逃げ道を塞がれたことになる。真っ当な判事が裁判すれば、安倍の逃げ道は無くなる。言い換えると「八岐大蛇がのた打ち回っている」というのだ。史上最低・最悪の首相の息の根を止める法廷闘争の行方が、日本の前途を占うことになろう。

<「改ざん指示は安倍晋三と麻生太郎の金太郎あめ」なのか>

 国有地払い下げの改ざん事件は、証拠を明確に人事面で残してくれている。見返りのご褒美は大出世だ。筆頭が財務省理財局長の佐川である。

 佐川に「やれ」と直接間接に指示した人物を、菅はよく知っている。悪の知恵者・官房副長官も関与しているに違いない。したがって、森友事件は安倍と菅の両政権にまたがっている。

 林検察の責任も重い。これまでは、捜査を逃げてきたのだから。日本国憲法に向き合える検察になれるかどうか。もう過去は問いたくない。しかし、一人の真面目な財務官が命を懸けて残した「赤木ファイル」が法廷に証拠として、政府が提出される。

 この事実から、検察が逃げることは許されない。

<核心的データの黒塗りで論争激化!心臓に穴が開くか?>

 黒塗りファイルは許されない。だが、黒塗り部分に真実が存在するはずだから、逆にそこが証拠そのものとなる。当然、理財局を動かせる人物は、限られている。麻生太郎であるが、彼が単独でやるはずはない。安倍と一体だからである。

 沢山の証拠の山は一本線でつながって、頂点の安倍に届いている。心臓にドリルを使う必要はない。日本国民は分かっている。二度と繰り返させないために、検察・裁判所も、堂々の歴史に残る決着をつけるほかない。

 日本が、これからもアジア・世界に貢献する使命を果たせる、見事な結論を出すことが、主権者たる日本国民への義務であろう。正義を貫徹することが、日本再生の起爆剤なのだ。

2021年5月9日記(東芝不買運動の会代表・政治評論家・日本記者クラブ会員)


(共同)学校法人森友学園をめぐる財務省の公文書改ざん問題で、国は6日、自殺した近畿財務局職員赤木俊夫さん=当時(54)=が改ざんの過程を時系列でまとめたとされる文書や、改ざんについて同省理財局と近畿財務局との間で送受信されたメールなどを含む「赤木ファイル」の存在を認めた。

 赤木さんの妻雅子さん(50)が国などに損害賠償を求めた訴訟で、同日付の大阪地裁への意見書の中で明らかにした。6月23日の口頭弁論期日には、地裁に文書を提出する予定という。

 これまで国側は「改ざんの経緯などにおおむね争いはなく、文書の存否について回答の必要はない」としてきたが、地裁からの任意提出の求めに「真摯(しんし)に対応することにした」と説明した。


本澤先生

共同通信デジタルニュースです。貼り付けます。八千代、

「赤木ファイル」の存在認める 森友問題、決裁文書改ざんで国側 | 2021/5/5 - 共同通信

https://this.kiji.is/762484838982942720


(京都新聞抜粋)森友学園を巡っては近畿財務局が小学校予定地として、国有地を大幅に値引きして売却していたことが17年2月に発覚した。その後、安倍晋三前首相の昭恵夫人や政治家の名前を削除した文書改ざんなどが明らかになった。改ざんはなぜ行われたのか、なぜ自死に追い込まれたのか。真相に迫るため、赤木さんの妻が昨年3月、国と改ざんを指示したとみられる当時の佐川宣寿財務省理財局長に損害賠償を求め、大阪地裁に提訴していた。  妻側は提訴時にファイルの提出を要請したが、国側はこれまで有無を含めかたくなに回答を拒んできた。しかし、地裁が回答するよう促したため、国はやむなく認めたのだろう。不誠実が過ぎる。財務省が18年6月に公表した調査報告書は、佐川氏が改ざんの方向性を決定づけ、理財局幹部らが昭恵夫人に関わる記述の削除など14件の改ざんを認めた。だが安倍氏への忖度(そんたく)などには踏み込まず、改ざんの動機や詳しい経緯といった疑惑の核心は不透明なままだ。



http://www.asyura2.com/21/senkyo280/msg/677.html

記事 [政治・選挙・NHK280] 宣言拡大延長なのに規制緩和の支離滅裂…スガ不況へ一直線(日刊ゲンダイ)



宣言拡大延長なのに規制緩和の支離滅裂…スガ不況へ一直線
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/money/288872
2021/05/08 日刊ゲンダイ


相変わらず舌かみかみ(C)日刊ゲンダイ

 コロナ不況からスガ不況へまっしぐらだ。政府は3度目の緊急事態宣言の対象を6都府県に拡大し、5月31日までの延長を決定。宣言に準じる、まん延防止等重点措置の対象も3道県が追加され、解除される宮城県を除いて同様に期限は延長される。新型コロナウイルスの7日の新規感染者数は、およそ4カ月ぶりに6000人を超え、死者は過去最多の148人に達した。足元の感染状況からすれば宣言延長は当然だが、制限を一部緩和するというのだから支離滅裂だ。

 7日会見した菅首相は「人流の減少という所期の目的は達成できた」と自賛し、「大型連休というひとつのヤマを越えた今後は、通常の時期に合わせた、高い効果の見込まれる措置を、徹底して対策を講じていく」と力を込めた。具体的な中身はといえば、酒類持ち込みを認める飲食店も休業要請の対象とし、路上などでの集団飲みの自粛要請など。その一方で、百貨店などの大型商業施設への休業要請を解き、午後8時までの時短営業要請に切り替え。大規模イベントは午後9時まで開催OKで、定員によるが入場者は最大5000人まで認めるチグハグだ。

 経済評論家の斎藤満氏は言う。

「このGWの人の動きからすると、企業も個人も政府を無視し、要請に耳を貸さなくなっている。それ自体が問題な上、規制を緩めて感染拡大を抑え込めるのか。経済活動は感染状況の影響を大きく受けるため、感染をある程度まで収束させなければ縮こまったまま。今年の1〜3月期に続き、4〜6月期もマイナス成長に陥る懸念が高まっています」

 東大大学院経済学研究科の仲田泰祐准教授らが2日までのデータを基にシミュレーションしたところ、1年前の宣言と比べて効果薄と想定した場合、都内の新規感染者数は横ばいで推移し、1日500人を下回るには9月第1週まで要し、同200人未満になるのは10月第3週。それまで宣言が延長されると、経済損失は4.3兆円超になるという。東京商工リサーチによると、新型コロナ関連破綻は1445件(7日午後4時時点)に達している。

 東京と大阪は大型商業施設に、引き続き休業を求める方針だが、科学的知見と無縁の菅首相が政権に居座る限り、国民の暮らしも経済もメチャクチャ。お先真っ暗だ。




http://www.asyura2.com/21/senkyo280/msg/678.html

記事 [政治・選挙・NHK280] <政界地獄耳>投票行動と一致する場合ばかりではない、世論調査は複雑だ(日刊スポーツ)


【政界地獄耳】投票行動と一致する場合ばかりではない、世論調査は複雑だ
https://www.nikkansports.com/general/column/jigokumimi/news/202105070000150.html
2021年5月7日9時27分 日刊スポーツ


★憲法記念日前後にはメディア各社は憲法改正の是非について世論動向を探るために世論調査を実施する。今年の調査では新たな変化が見られたのか。読売新聞では「あなたは、今の日本の憲法のどのような点に関心を持っていますか」と問い、国民の関心が多岐にわたることを示した上で「改正」の是非を問うた。改正する方がよい56、改正しない方がよい40。設問の設定もなるほどと思わせるが、答える側が読売への回答をどれくらい意識して回答しているか興味深い。

★毎日新聞は憲法改正について「賛成」が48%と「反対」の31%を上回ったと伝える。朝日新聞はいまの憲法を変える必要があるかを聞くと「変える必要がある」45%、「変える必要はない」44%。NHKは「改正する必要があると思う」が33%、「改正する必要はないと思う」が20%。これが9条改正が必要か否かになると、各社とも慎重論が上回る。世論調査は複雑だ。実施するメディアによって回答が変わる場合もあれば、その時のメディアの主張や論調に引きずられる場合もある。対面調査と電話調査でも結果が変わる場合もある。何より不思議なのは内閣支持率や自民党の支持率は高いのに、支持率の低い野党が先の補選でも勝利するなど、世論調査の動向が投票行動と一致する場合ばかりではない。

★憲法問題の調査の仕方では、毎回同じ設問を維持することが大切だろう。聞き方が変われば微妙に回答が変わる場合もあるからだ。ただ、メディアは国民が憲法問題に関心があることを前提に設問しているが、憲法を読んだことがあるかとか、前文を読んだことがあるかなどの設問も本来は必要ではないかと思う。本当に現行憲法を知って回答しているのか、自信がある人ばかりではあるまい。(K)※敬称略




http://www.asyura2.com/21/senkyo280/msg/679.html

記事 [政治・選挙・NHK280] G7で最低 医師不足を招いた「自民党」と「医師会」の大罪 三枝成彰の中高年革命(日刊ゲンダイ)



G7で最低 医師不足を招いた「自民党」と「医師会」の大罪 三枝成彰の中高年革命
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/288853
2021/05/08 日刊ゲンダイ


政治判断が求められている(C)日刊ゲンダイ

 日本の新型コロナの死者は1万人を超えたが、環境さえ整っていれば救えたはずの命もあったはずだ。その人たちを救えなかった罪は、国と日本医師会にあると思う。

 日本のコロナ感染がここまで収まらない原因は、医師と医療施設の不足にある。日本の医師数は人口1000人に対して約2.5人(2018年現在)と先進7カ国で構成されるG7の中でも最低だ。

 7カ国平均は3.2人で、トップのドイツは4.3人。日本に次いで低いカナダでも2.7人である。これは日本医師会が、医師を増やさないようにしてきたからだ。

 なぜ? 簡単なことだ。人数が増えれば医師という職業の価値が下がる。そうなれば、メシが食えなくなるからだ。

 長らく日本医師会の会長を務めた故・武見太郎氏は、17万人を擁する組織の顔として有名だが、自民党との長年にわたる蜜月の関係はよく知られていて、三男の敬三氏は自民党参院議員を務めている。政府与党は100万の集票力を持つともいわれる医師会の意向を無視することはできず、医師会との関係が壊れれば選挙で大敗しかねない。

 医師会も、自分たちの利益を守るために、医師の数を増やさないように政府に圧力をかけ続けた。利権を手にしたいがために、自民党と手を組んだと言ってもよい。既得権益を巡る悪しき構造が、ここにもある。

 現在、医学部を持つ大学は、防衛医大を含めて82校だ。1973年に田中角栄政権の「1県1医大構想」の下、全国に医大新設が相次いだが、日本医師会は80年代初頭に医師の供給過多を予測し、政府を動かして定員の抑制を決めた。以来、医学部や医科大学の新設は難しくなった。79年の琉球大医学部以降に新設されたのは、2016年の東北医科薬科大、17年の国際医療福祉大の2校だけだ。

 ワクチンの供給と接種を巡るドタバタも、組織のテリトリー争いで遅れている。臨床の現場を知らない厚労省の医系技官が密室であれこれ決め、みんな他人任せにするからバラバラの意見が林立し、混乱を招いている。医師会は、自分たちが既得権益を守ろうとしたことが今日の医療崩壊に近い状況を招いたのを認めようとしない。保健所は自治体の管轄だから、中央官庁や他の自治体との連携がはかどらない。コロナ対策の混乱自体が、そうした構造的問題から起こったのだ。

 こういう時こそ政治家が交通整理に入るべきだろう。しかし菅総理をはじめ国のリーダーたちはオリンピックなどにかまけて、その責任を放棄している。「政治判断」が、今ほど求められている時はないのに、だ。

 米国ではバイデン政権のリーダーシップの下、着々と国民へのワクチン接種が進んでいる。今後は獣医や歯科医でもワクチンを打てるようになるという。国民皆保険制度がなく、お金のない人は満足な医療が受けられないという問題を抱えてはいるが、コロナ対応は見事だ。

 日本の病院は民間が8割で公的施設が2割という話を聞いたことがある。もっと医師と医療施設を増やさなければ、今後新たなパンデミックが起きた時、取り返しのつかないことになる。

 本来持つべき医療への志を置き去りにして、既得権益を守ることに走った医師会の罪は大きい。選挙の票欲しさに言いなりになってきた政府も同罪だ。

 ワリを食うのは、いつも国民である。



三枝成彰 作曲家
1942年、兵庫県生まれ。東京芸大大学院修了。代表作にオペラ「忠臣蔵」「狂おしき真夏の一日」、NHK大河ドラマ「太平記」「花の乱」、映画「機動戦士ガンダム逆襲のシャア」「優駿ORACIÓN」など。2020年、文化功労者顕彰を受ける。



http://www.asyura2.com/21/senkyo280/msg/680.html

記事 [政治・選挙・NHK280] 小池百合子 五輪中止ムードで「大ちゃぶ台返し」炸裂の予感(FRIDAY)
小池百合子 五輪中止ムードで「大ちゃぶ台返し」炸裂の予感
https://friday.kodansha.co.jp/article/178984
2021年05月09日 FRIDAYデジタル


新型コロナウイルスの脅威が収まらない中、小池百合子都知事はオリンピック開催に向け、どんな手を打つのか…

「小池さんが東京オリンピックを返上するんじゃないかっていう説はあるんです。説はあるんですけど…」

5月6日に放送された『めざまし8』(フジテレビ系)で、政治ジャーナリスト・田崎史郎氏がそう切り出した。その後、同氏は小池百合子都知事と話した自民党議員の話を引用し、

「小池さんは、オリンピック成功させるために頑張ろうねって言われているっていうんです」

とフォローしたが、どうも雲行きが怪しい。自民党内では世論調査で新型コロナ感染対策を徹底しても「五輪は中止すべきだ」との回答が半数以上を超える結果が出たことに衝撃を受けたという。

もはや、東京五輪中止を求める世界的な潮流は止められない。

米有力紙ワシントン・ポスト(電子版)はコラムでIOC(国際オリンピック委員会)のトーマス・バッハ会長を「ぼったくり男爵」と呼び「地方行脚で食料を食い尽くす王族」「開催国を食い物にする悪癖がある」「収益のほとんどを自分たちのものにし、費用は全て開催国に押し付けている」などと痛烈に批判。日本政府は五輪を中止すべきと主張した。

IOCの“守銭奴”ぶりと開催に執着する日本の姿勢は、よりによって中国メディアからも断罪されている。中国紙「網易ニュース」は

《日本の人口のわずか1%しかワクチンの接種を受けていない。日本人も五輪拒否のムードに満ちている》

と分析した上で、

《国民の反対や多くの障害にもかかわらず、日本政府やIOCは、東京五輪の開催を決意している。IOCは、五輪によってもたらされる数十億ドルの放映権料を見逃すことは絶対に不可能だ。同様に、日本政府も五輪のために数十億ドルの公的資金を費やしてきた。観客制限でチケットの収益が失われても、日本政府は投資の一部をなんとしても回収することを望んでいる》

と“マネーファースト”を批判した。

「ここにきて五輪中止を求める声が増大化した原因はインドの二重変異株の出現にあります。ワクチンが効きづらく、重症化スピードも速い。インドでは1日の新規感染者数が40万人を突破し、火葬が間に合わない。五輪を強行開催し、各国から人の流入が起きれば、二重変異株の蔓延のみならず、新たな変異株が出現する可能性もあります」(医療関係者)

こうしたカオスな状況下で本領発揮してくるのが前出の小池都知事だ。口では「五輪開催に向けて…」と言っているが、本心かどうかは疑わしい。自民党内では、

「『緑のたぬき』とも呼ばれた小池都知事は信用できない。7月には東京都議会選挙も控えている。とにかく、世間の空気感を読むことに長けている人。頃合いを見計らって『五輪返上』を口にするかもしれない」(永田町関係者)

と警戒を強めている。

人気取りで“ちゃぶ台返し”すれば、あとに残るのは巨額の賠償金だ。IOCと開催都市契約を交わしているのはあくまで東京都であり、国ではない。IOCが「中止」を決断しない限り、東京都が開催義務を履行しなければ、損害賠償を請求される可能性が高い。

「IOCはすでに米テレビ局NBCから五輪の放映権料をまとめて受け取っており、東京大会分は約1200億円にのぼる。中止となれば、世界の五輪スポンサーからIOCが返金を求められることになり、その一部負担を都に求めてくることも考えられる。

東京都に支払い能力がなければ、国が肩代わりすることになるが、小池都知事と菅首相の“関係”は最悪。どっちに転んでも、ツケは国民が払うことになる」(スポーツ紙記者)

“行くも地獄、戻るも地獄”。何より事実上の決定権を小池都知事が握っていることに戦慄を覚える。果たしてどうなるか――。

写真:つのだよしお/アフロ



http://www.asyura2.com/21/senkyo280/msg/681.html

記事 [政治・選挙・NHK280] 日本の 中国コロナ対策は 大成功であることが実証された  中国コロナ禍の2020年の総死者数は 2019年より はるかに少ない
   
   
   
■ 中国コロナ禍の2020年の日本の総死者数は 2019年よりも はるかに少なかった


医療政策の最大の目的は何か?
あたりまえですが、死者数を減らすことです。

その死者数ですが、中国コロナ禍の2020年の日本の総死者数は、2019年よりもはるかに少なかったことが判明しました。(下記)


「2020年の死亡数は前年比9373人(0.7%)減の138万4544人で、11年ぶりに減少したことが22日、厚生労働省の人口動態統計(速報)で分かった。
新型コロナウイルスの感染拡大が続く中、マスク着用や手洗いの徹底などによる季節性インフルエンザの激減が影響した可能性もありそうだ。」

https://www.jiji.com/jc/article?k=2021022200685&g=soc
   
 
以上の通り、中国コロナ禍の2020年の日本の総死者数は、前年より9373人も少なかった。
少子高齢化の影響で死者数は増えて当たり前にもかかわらずです。
記事にある通り、これは実に11年ぶりの快挙であり安倍政権の医療政策が適切であったことの証です。
   
   
  
■ 中国コロナの1年間の死者数は7415人で インフルエンザの毎年の死者数(約1万人)より少ない
  
  
日本で死亡が初めて発生した2020/2/21から1年間(つまり2021/2/20まで)の中国コロナの死者数は、7,415人。(関連死含む。下記参照)

https://toyokeizai.net/sp/visual/tko/covid19/
  
  
一方インフルエンザの毎年の死者数は、約1万人。(2020年を除く。中国コロナ同様関連死含む。下記参照)
   
「インフルエンザに関連する死亡者数は年間約1万人と推計されている」
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO54741660T20C20A1000000/
  
  
  
■ 中国コロナによる人口100万人当たりの死者数が日本は欧米諸国よりケタ違いにに少ない

一方、人口100万人当たりの死者数を見ると、日本は欧米諸国より桁違いに低いことがわかります
   
   
・ 中国コロナによる人口100万人当たりの死者数
    
・米国   1728人
・英国   1881
・スイス  1224
・ドイツ   974
・フランス 1576
・日本    78人

http://www.asyura2.com/21/senkyo280/msg/660.html
   
   
   
■ まとめ 日本の中国コロナ対策は 大成功であることが実証された  
  
  
以上をまとめると、

@ インフルエンザの毎年の死者数(関連死含む)は約1万人
  
A 中国コロナの1年間の死者数は7,415人(関連死含む)で、インフルエンザの死者数よりはるかに少ない
   
B つまり日本は、中国コロナの死者数をインフルエンザよりはるかに少なく抑えることに成功している
   
C 中国コロナによる人口100万人当たりの死者数が日本は欧米諸国よりケタ違いに少ない   
  
  
上記からすれば、日本のコロナ対策は大成功であることがわかります。
  
安倍政権、菅義偉政権の大きな成果です。



http://www.asyura2.com/21/senkyo280/msg/682.html

記事 [政治・選挙・NHK280] なんとかならなかった場合、国民はどうなる? 室井佑月の「嗚呼、仰ってますが。」(日刊ゲンダイ)



なんとかならなかった場合、国民はどうなる? 室井佑月の「嗚呼、仰ってますが。」
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/288800
2021/05/07 日刊ゲンダイ


3度目の緊急事態宣言は延長へ(C)共同通信社

「始まれば何とかなると思っている。日本人選手が金メダルを取れば盛り上がり、最後は感動で終わるという、いつもの楽観論だ」(自民党のベテラン議員)

 この自民党のベテラン議員は、東京五輪について語っておる。5月2日の『47NEWS』『「開催強行」で失敗五輪になる恐れ 抜本見直し提起につなげられるか』という記事の中に出てくる。

 ふぁーお、太平洋戦か! この自民のベテラン議員、幸福の科学の大川隆法氏みたいに、山本五十六の降霊でもしてしゃべってんじゃ……。

 真珠湾攻撃で相手の艦隊を撃破すれば、戦意喪失して有利に事が運ぶっていってた五十六よ。

「はじめの半年や一年はずいぶん暴れてみせます。しかし、2年3年とつづけばまったく確信は持てません」

 つってた五十六。

 ふざけんな。なんとかならなかった場合、国民はどうなる? それについて考えない指導者がまだいる恐怖。

 記事の中には、『共同通信』の『菅義偉首相はあくまでも実現を目指す方針だが、「強行開催」により東京五輪が歴史的な失敗に終われば、責任は首相が負うことになる。』という記事が引用されていた。はぁ? どうやって責任を取るっていうのさ。

 日本は、コロナ感染で死亡した人は1万人を超えた。後遺症で苦しんでいる人も多いと聞く。

 てか、大阪では事実上、医療トリアージがはじまっておる。ほかの病気で大変なことになっても、診てもらえないこともあるってことだ。

 東京五輪を開催したら、人の移動が多くなり、日本国内でコロナの感染者が爆発的に増える可能性もある。

 問題は、日本だけのことじゃない。日本から感染が世界中に広まる可能性だってある。『日本株』が生まれたりしたらどうすんじゃ〜!

 スダレや、そのまわりの爺さんたちの、バッチと引き換えになるわきゃね〜だろ。



室井佑月 作家
1970年、青森県生まれ。銀座ホステス、モデル、レースクイーンなどを経て97年に作家デビュー。TBS系「ひるおび!」木曜レギュラーほか各局の情報番組に出演中。著書に「ママの神様」(講談社)、「ラブ ファイアー」(集英社文庫)など。





http://www.asyura2.com/21/senkyo280/msg/683.html

記事 [政治・選挙・NHK280] 菅コロナ三原則下でコロナ感染爆発(植草一秀の『知られざる真実』)
菅コロナ三原則下でコロナ感染爆発
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2021/05/post-901784.html
2021年5月 9日 植草一秀の『知られざる真実』


「後手後手・小出し・右往左往」菅コロナ三原則下でコロナ感染が爆発している。

4月25日に発出された緊急事態宣言の期限は5月11日とされたが、5月31日まで延長された。

菅内閣のだらだらとした対応が続く。

菅内閣は3月21日にすべての地域の緊急事態宣言解除を強行した。

菅首相はその妥当性を国会審議で問われた。

「本当にいま解除して大丈夫なんですか」

菅首相の答弁は

「大丈夫だと思います」。

3月18日の記者会見で菅首相は次のように述べた。

https://bit.ly/2RPxy8x

「いずれにしろ、再び緊急事態宣言を出すことがないように、こうした5つの対策をしっかりやるのが私の責務だというふうに思っています」

「5つの対策」とは、

1.飲食の感染防止
2.変異株への対応
3.戦略的な検査の実施
4.安全、迅速なワクチン接種
5.次の感染拡大に備えた医療体制の強化

5つの対策のなかで感染を抑止する施策は1と4だけだった。

2、3、5は感染を減らす施策ではない。

感染抑止策にしても、1の飲食規制は3月21日から「強化」ではなく「緩和」した。

4のワクチンについては、日本の対応が世界でもっとも遅れたものになっている。

3月下旬の人流拡大がピークに達する局面に合わせて菅内閣が緊急事態宣言を解除した。

人流の爆発的拡大は順当な結果。

人流拡大は時間差を伴って感染拡大をもたらす。

3月から5月にかけて新規感染者数が順当に急増した。

結果として、菅内閣は4月25日に緊急事態宣言再発出に追い込まれた。

ゴールデン・ウィークに向けて短期集中で対応し、成果を出すとしたが、結局、緊急事態宣言対象期間が延長された。

このような実績を積み上げてきて、東京五輪の開催が覚束ないことは明白。

「安全・安心の五輪」と言い続ける感覚が疑われる。

菅首相は五輪出場選手に対してワクチンを接種すると表明したが、順序が違う。

五輪に向けての看護師500名募集について「休んでいる人が多くいると聞いている」と述べたが、医療資源の追加提供が可能なら、人命救助を優先すべきことは言うまでもない。

兵庫県の介護養護施設でクラスターが発生して100名以上が感染。

20名以上が死亡した。

救急車を呼んでも入院先が見つからず、そのまま放置されて多数の人が亡くなっている。

国民は何のために税金を払っているのか。

国民の命を守ることが政府の第一の責務。

救急医療にすら対応できないときに、スポーツイベントに回す医療資源は存在しない。

コロナ感染で最も警戒されてきたことは、感染力が強いウイルス、毒性の強いウイルスの登場。

このリスクへの対応として水際対策が極めて重要。

ところが、水際対策でも菅内閣の対応は失態続き。

昨年12月中旬に英国で変異株が確認された。

日本で猛威を奮っているN501Y変異株だ。

菅首相は12月28日にザル対応策を示した。

実効性のある対応が取られたのは1月13日。

2週間の対応の遅れが致命的だった。

3月末にインドで変異株による感染急拡大が確認された。

直ちに対応が必要だったが、菅内閣が対応策を実施したのは5月1日。

E484Q変異とL452R変異の二重変異株が日本国内で確認されてしまった。

L452R変異株は日本人の免疫能力を無効化する可能性を指摘されている。

新たな感染急拡大リスクが浮上している。

5月9日、東京都の新規陽性者数が1032人を記録。

日曜日の新規陽性者数が1000人を超えるのは1月17日以来。

             東京都新規陽性者数

※拡大→http://img.asyura2.com/up/d13/412.jpg

菅内閣に「安心・安全の五輪」を開催する能力がないことは立証されている。

一刻も早く五輪中止を決定するべきだ。



http://www.asyura2.com/21/senkyo280/msg/684.html

記事 [政治・選挙・NHK280] 電波芸者テリー伊藤が無責任でなおかつ楽観的な五輪開催論を展開(まるこ姫の独り言)
電波芸者テリー伊藤が無責任でなおかつ楽観的な五輪開催論を展開
http://jxd12569and.cocolog-nifty.com/raihu/2021/05/post-469ada.html
2021.05.09 まるこ姫の独り言


テリー伊藤と言えば、元から電波芸者のような発言が目立ったが、それでもこの無責任でなおかつ楽観的な五輪開催論はどうなのか。

テリー伊藤 五輪中止「やったーと思うか?」やっとけば良かったの虚しさ出ると
                     5/9(日) 11:11配信 デイリースポーツ

>テリー伊藤が9日、TBS「サンデー・ジャポン」に出演。東京五輪・パラリンピック開催への反発が高まっていることが議論され、「たとえば五輪が中止になった時に、日本人の心ってどうなるんですか?中止を、やったーと思うのか。そのときに虚しさも出てくる可能性もある」と語った。

別に中止が決定しても「やったー」とは思わないし、世界的な運動会と国民の命を比べた場合、政府はやっと国民の命を優先することにしたのか。と思うだけだ。

過去にも五輪が中止になった事例はたくさんある。

未曽有の疫病が大流行して中止にせざるを得なかったと思えば、そこまで感情的になることもあるまいに。

中止になったとしたら、長年練習に明け暮れてきた選手は虚しさが出てくると思うが、私は有事の際に、政府や都、組織委員会、IOC・JOCなど五輪村のエゴと、人の命と引き換えにすべきではないと思っている。

人の命に代わるものなどない。

選手にしたらなにがなんでも自分の力を試してみたい気持ちになるだろうが、それでも、パンデミックが起きているのに、日本だけ、選手だけが治外法権のような扱いは違和感しかないし、選手と関係者だけの特権待遇は国民の共感を得られるだろうか。

特にいま、生きるか死ぬかで苦しんでいる患者や家族、朝も晩もない程、働きづめの医療関係者たちは、五輪を楽しむ余裕もないと思われるが。

しかも医療関係者の半数がワクチン接種も受けていないのに、五輪選手と関係者だけワクチンを無償で打って、毎日PCR検査を実行するとの情報は医療従事者たちの神経を逆なですると思う。

やっとけばよかったとか、やったーとか思う人たちは相当に精神的な余裕を持っている人達だ。

しかも五輪開催に反対している人たちの多くは、テリーのような勝ち負けしか頭にないそんな子供っぽい感情で反対しているわけではない。

政府は政府で、最悪の事態を想定して国民の命とくらしを守る必要があると思うが、なぜか、五輪開催一辺倒の楽観論しか見えてこない。

なんなのか。。

国民の命より、経済優先、五輪優先、選挙優先・・・・


テリー伊藤も芸能界で何十年も一線で生きているだけの事はある。

スポンサーに忖度したり、権力者に寄り添った発言をして良心を捨てて生き残ってきたのだろう。



http://www.asyura2.com/21/senkyo280/msg/685.html

記事 [政治・選挙・NHK280] <政界地獄耳>蓮舫「何様?」に党内外から失望の声(日刊スポーツ)


【政界地獄耳】蓮舫「何様?」に党内外から失望の声
https://www.nikkansports.com/general/column/jigokumimi/news/202105080000189.html
2021年5月8日10時25分 日刊スポーツ


★公党の品格、気品とはなんだろうか。自民、公明、共産は老舗政党だ。それなりの経験と歴史を積んでいるものの、地方議員の不祥事を含めてなにがしか、やらかしたこともある。けじめのルールも党の歴史から学んだものもあろう。時の執行部の体質もあるかもしれない。無論、与党か野党かで判断が分かれる場合もある。ほかの政党はさまざまな経緯はあるものの歴史がない分、執行部の力量や器にかかっている場合もあろう。

★6日の会見で日本維新の会幹事長・馬場伸幸は立憲民主党を「日本には必要ない政党だ」と評した。衆院憲法審査会の審議に唐突に応じたことを受けての発言だが、会見でわざわざ言う必要があったかどうかは疑問だ。ところが義憤にかられた立憲民主党代表代行・蓮舫がツイッターで「何様?でしょうか」と反応して同レベルに成り下がった。党内や政界で蓮舫に失望したものは多い。

★ただ、この立憲の憲法審査会での国民投票法賛成の動きは驚くことではない。同党は結党の経緯こそ希望の党に排除された者たちで作られたものの、18年7月に党が出した「憲法に関する考え方〜立憲的憲法論議〜」で改憲を否定していない。つまり現在、原発の考え方、憲法改正について自民党と立憲、国民民主党は大枠では差異はない。いずれにも反対しているのは社民党、共産党だけだ。立憲は乗れる議論ながら今まで憲法審査会の議論をのらりくらりと先延ばしにしてきた。この態度を馬場は怒っているわけだが、立憲の立ち位置はこれだと国民は感じていた。その機が熟していないとしていたのだ。ところがこのコロナ禍でのどさくさにまぎれ、選挙前に保守層からの評価が欲しくて、共産党との差別化を図るためにかじを切った。その意味で馬場発言は品位に欠くがそう間違いではないかもしれない。(K)※敬称略




http://www.asyura2.com/21/senkyo280/msg/686.html

記事 [政治・選挙・NHK280] 池江璃花子のツイートを菅政権やメディアが五輪反対運動封じと開催世論誘導に利用! これまでも池江を強行開催の広告塔に(リテラ)
池江璃花子のツイートを菅政権やメディアが五輪反対運動封じと開催世論誘導に利用! これまでも池江を強行開催の広告塔に
https://lite-ra.com/2021/05/post-5880.html
2021.05.09 池江璃花子のツイートを菅政権やメディアが反対運動封じに利用! リテラ

    
    池江璃花子Twitter

 中止を求めるネット署名が30万筆を突破するなど、開催強行への批判が高まり続けている東京五輪。だが、ここにきて、池江璃花子選手のツイートをきっかけに、五輪反対の声を批判する動きが出てきている。

 池江選手は7日夜、ツイッターにこんなコメントを連投した(抜粋)。

〈Instagramのダイレクトメッセージ、Twitterのリプライに「辞退してほしい」「反対に声をあげてほしい」などのコメントが寄せられている事を知りました。〉

〈私に反対の声を求めても、私は何も変えることができません。〉

〈オリンピックについて、良いメッセージもあれば、正直、今日は非常に心を痛めたメッセージもありました。この暗い世の中をいち早く変えたい、そんな気持ちは皆さんと同じように強く持っています。ですが、それを選手個人に当てるのはとても苦しいです。〉

 ようするに、池江選手は自分に五輪の辞退や反対を求めるリプライが届いており、それに困惑しているということを表明したのだが、その後、メディアがこの池江選手のツイートを一斉に報道。リプライへの批判を繰り広げているのだ。選手個人に辞退を求めるのはおかしい、という主張はもちろん、「池江選手への誹謗中傷」「おぞましい匿名の圧力」などと報じるニュースサイトもあった。

 さらにSNSでは、こんな声があふれた。

〈オリンピック反対派は池江さんを虐めるなよ〉

〈「オリンピック反対派」の言葉の暴力は酷すぎる! 池江選手があまりにもかわいそうだ。〉

〈オリンピック反対派が池江選手を悪者に仕立て上げようとしている。〉

〈こんなことよくできるなぁ 人デナシとはこのことだわ〉

〈これはいじめに等しいのではないでしょうか? 難病を克服してオリンピックを目指す方に対しての攻撃、あまりにひどいと思う〉

 たしかに選手個人にリプを飛ばして辞退を求めるというのはやりすぎの部分はある。中止署名の発起人である宇都宮健児弁護士が〈五輪中止を求める相手は選手ではなく、主催者であるIOC、IPC、国、東京都、組織委である。当然のことながら選手にはいっさいの非はない。見通しの立たない辛い状況に置かれている選手をこれ以上苦しめてはならない。〉とツイートしていたが、そのとおりだろう。

 しかし、いま、メディアやネットが叫んでいる批判、まるで五輪反対派が束になって、池江選手に五輪辞退を迫り、池江選手を悪者にしようと誹謗中傷を繰り広げているかのような主張は、明らかにためにするフレームアップと言っていい。

 そもそも、今回の問題は池江選手がツイートする半日前の7日午後、ネットニュース『週刊女性PRIME』が「東京五輪ありきの強行施策に「辞退して」池江璃花子らアスリートに向く“矛先”」というタイトルでこの問題を取り上げ、すでにネット上で大きな話題になっていた。池江選手もこの記事や反響を見て、リプやDMの存在に気づいたものと思われる。

 しかし、チェックしてみると、報道以前にこうしたリプライが大量にあった形跡は確認できないし、ネットでもほとんど話題になっていなかった。

 また、『週女PRIME』の紹介した3つのリプを見るかぎり、いずれも医療崩壊や子どもの行事の自粛との矛盾を指摘し、五輪辞退や反対を求めるもので、前述したように直接、選手個人に送りつけるのはやりすぎだとは思うが、内容は誹謗中傷ではない。

 ところが、メディアはあたかも池江選手への個人攻撃、誹謗中傷が大量に殺到しているかのように騒いでいるのだ。

■西村大臣がNHK で池江選手の名前を持ち出し、竹田恒泰は「池江選手の誹謗中傷を知って開催賛成の署名立ち上げ」

 こうしたフレームアップを見ていると、やはり、五輪開催強行派や本音では商売のために五輪をやってほしいマスコミが池江選手のツイートを利用して、反対派叩きや開催強行に利用しているとしか思えない。

 実際、SNSを見ると、たんに誹謗中傷扱いするだけでなく、露骨な意図を持ったものが散見される。

 たとえば、前出の署名の発起人である宇都宮弁護士には「池江選手への誹謗中傷が起きたのは、あんたのせいだ」といった攻撃が殺到。さらには、こんな投稿も多数見られた。

〈池江璃花子ちゃん頑張れ。反対派ってホントにこういう事ばっかりするね。こうなったら絶対オリンピック開催して欲しい。池江ちゃんメダル取って欲しい。〉

〈オリンピック反対派が池江選手にあんな事したのを知ってオリンピック賛成派になりました。 恥を知れ。〉

〈この池江選手擁護の流れで、五輪反対派の声が小さくなることを願う。〉

 もっと露骨だったのは、五輪招致をめぐる不正疑惑で辞任した前JOC会長を父にもつ竹田恒泰氏だ。竹田氏は9日、〈池江選手への誹謗中傷を知って、東京五輪開催「賛成」の署名を立ち上げないといけないと思いました。以下のキャンペーンに賛同をお願いします!「人々の夢と希望をつなぐため、東京五輪の開催を支持します」〉とツイートし、池江選手にかこつけて東京五輪賛成のネット署名を始めた。

 政権も完全に池江選手への同情論に乗っかろうとしている。本日9日、『NHK日曜討論』に出演した西村康稔コロナ担当相は五輪について問われ、わざわざ池江選手の名前を出し、「池江選手のがんばっておられる姿を見て、活躍する姿を見たいと思っている人もいる」などとコメントしていた。

 ようするに、彼らは池江選手に同情し、応援しているふりをして、池江選手を五輪反対封じ込め、五輪開催強行の世論誘導に利用しようとしているだけなのだ。

■渡辺直美をブタに見立てた佐々木宏が1年前に池江選手をセレモニーに起用

 実際、これまでもそうだった。とくにこの一年間は、池江選手を東京五輪開催の象徴・広告塔として、矢面に立たせてきた。

 象徴的だったのが、昨年7月に行われた1年前セレモニーだ。延期された東京五輪まで1年となった昨年7月23日、組織委は開催の機運を高めるイベントに池江選手を起用し、国立競技場からメッセージ動画を配信。池江選手は白い衣装で聖火の入ったランタンを掲げ、「世の中がこんな大変な時期に、スポーツの話をすること自体、否定的な声があることもよくわかります。ただ、一方で思うのは、逆境からはい上がっていくときには、どうしても希望の力が必要だということです」とメッセージを発信した。

 このメッセージ自体は池江選手が考えたものだというし、池江選手の思いがたしかに伝わるものだった。しかし一方で、池江選手起用の背景には、池江選手の「闘病」という「逆境」を組織委が利用し、「東京五輪に襲いかかったコロナ」を「逆境」として重ね合わせようとする意図があったのはあきらかだ。

 実際、この動画の演出を担当したのは渡辺直美をブタに見立てたルッキズム全開の演出案が問題になった佐々木宏氏だが、佐々木氏は池江選手を起用した理由について「強いメッセージを発する適役をやって頂ける方」と語り、「1年後、オリンピック・パラリンピックが開かれる未来のために、努力している世界中のアスリートたちが、どのような想いでいるのかを、アスリートの視点にたって、発信する必要があると感じました」とコメント。関係者も「池江選手が立ち向かう困難、逆境は東京五輪とも重なる」と口にしていたという(毎日新聞ウェブ版2020年3月14日付)。

 コロナによって開催を危ぶまれるなか、世論を高めるために池江選手の闘病という「アスリートの思い」を利用したのである。

■復活優勝し東京五輪出場を決めると「五輪中止と池江璃花子に言えるのか?」と批判封じに

 さらに今年4月の池江選手の復活劇も五輪強行の正当化に利用された。

 池江選手は競泳の日本選手権で、池江選手が女子100メートルバタフライ決勝で3年ぶりの優勝を果たすなどし、リレーメンバーとして東京五輪代表入りを内定。白血病を乗り越えてのこの復活劇に感動した人は少なくないだろう。ところが五輪強行派たちはこの復活劇を、五輪反対の声を封じ込め五輪への機運を高めるのに利用した。ネットでは五輪強行派たちから「東京五輪開催に反対している人は、池江選手にそれを言えるのか?」という声まで噴出したのだ。

〈「東京オリンピックなんか中止にしろ」とか言ってる人たちは池江璃花子にもそう言えるのかい?〉

〈ほんとこれからオリンピック反対や中止を言ってた著名人の方々はどうするんですかねあんな素晴らしい奇跡を起こした池江さんに対して同じ事が言えるのかと〉

〈「オリンピックは中止したらいい」と言うコメンテーター。池江さんの前で言ってみろ。〉

ジャーナリスト・門田隆将氏は、〈池江璃花子選手の奇跡と涙は五輪が“勝負の世界に生きるアスリート”の為にある事をマスコミや反対勢力に教えた。アスリートの努力に敬意を払い、最高の舞台を用意したい〉とツイート。東京五輪はアスリートのためのものであり、開催に反対する者はアスリートの努力を踏みにじっていると主張した。

 自身の政治的思惑で1年延期にこだわり現在の混乱を生んだ元凶である安倍晋三・前首相も、〈池江選手、本当におめでとうございます〉〈白血病から復帰し、オリンピックの代表へ。ここまで重ねてこられた努力は本当に並大抵のものではなかったと思います〉とねぎらい、〈そして、いよいよ夢の舞台。感動と勇気をありがとう。オリンピックでのご活躍を祈念しています〉とツイート。池江選手の感動的な活躍をもって五輪開催に弾みをつけようとした。

 このように五輪強行派は、コロナ下で五輪反対の声が高まるなか、その批判の声を封じるために、池江選手の闘病と復活を利用してきたのだ。

■医療崩壊の一方、五輪への医療資源投入・ワクチン優先の“五輪優先主義”が国民とアスリートを分断

 そういう意味では、今回問題になった池江選手への辞退や開催反対を求める声は、このように政府や組織委員会と五輪利権共同体の一員であるメディアなど五輪強行派が、批判を交わすための盾として池江選手を矢面に立たせてきたことが招いたというべきだろう。

 しかも、困惑を表明した池江選手のツイートをさらに利用している。IOCバッハ会長の来日も見送りになるなど、反対世論が最高潮に高まるなか、乗じて、反対世論の封じ込めをはかろうとしているのだから、呆れるしかない。

 そもそも東京五輪の開催強行に反対の声が高まっているのは、大阪をはじめとして医療従事者不足などから医療崩壊が起こっているというのに約1万人もの医師や看護師を大会運営のために駆り出そうという「国民の命よりスポーツイベントを優先させる」姿勢にある。

 さらにここにきて確定的になった、五輪選手へのワクチン優先接種。周知のとおり、日本ではワクチン接種がまったく進んでおらず、一般市民どころか医療従事者へのワクチン接種すら完了していない。そんななか、コロナの最前線にいる医療従事者や重症化リスクの高い高齢者、医療の脆弱な発展途上国の人々などよりも、五輪選手のワクチン接種を優先させるなど、倫理的にも公衆衛生の観点からもあり得ない話だ。

 この五輪優先主義が、一般市民とアスリートの分断を引き起こし、組織委や政府、東京都だけでなく、選手に対する風当たりまで強くさせているのだ。

 ところが五輪強行派は、自分たちが五輪強行正当化のために池江選手を矢面に立たせてきたことへの反省も自戒も一切ない。ことここに至っても、逆に賛成署名を始めた竹田氏に代表されるようにまたしても反対世論の封じ込めに、池江選手を利用しているのだ。もはや「アスリートファースト」ですらない。

 多くの人が五輪に反対しているのは、コロナ状況を冷静に見ているからだ。選手を盾にした情緒や空気で覆せるような次元はとっくに超えている。コロナがこれだけ厳しい状況にある以上、今回の池江選手のようにむしろ矢面に立たされた選手への悪感情を引き起こすことは十分起こりうる。池江選手にしろ、ほかの選手にしろ、五輪強行のために利用するのは一刻も早くやめるべきだ。

(編集部)



電通と権力者が五輪のために池江璃花子さんをプロパガンダで利用。東京オリンピックは権力者が国民を騙して2兆円税金を吸い上げ、更にスポーツ選手を搾取するシステム。安冨歩教授電話出演。一月万冊清水有高。





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