バイデン政権はウクライナでも戦争を始める構え
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2021.03.13 櫻井ジャーナル
ウクライナの国内情勢は悪化の一途をたどっている。2019年5月に大統領はペトロ・ポロシェンコからウォロディミル・ゼレンスキーへ交代したが、その流れを変えられないでいる。相変わらずネオコンを後ろ盾とするネオ・ナチ(ステファン・バンデラ派)に支配されている。
状況が急速に悪化しはじめたのは2014年2月。ネオ・ナチを中心とするクーデターでビクトル・ヤヌコビッチ政権を倒してからだ。クーデター派はおそらくヤヌコビッチを拘束、あるいは殺害する予定だったのだろうが、逃げ出すことに成功した。
このクーデターはいわゆる「オレンジ革命」と深く結びついている。ヤヌコビッチはウクライナの東部と南部を支持基盤とし、ロシアとの関係を重視していた。この政治姿勢はアメリカをはじめとする西側の私的権力の利権にとって好ましくないため、2度にわたって排除されたのである。
2004年の選挙で勝利、大統領に選ばれたヤヌコビッチを排除し、配下のビクトル・ユシチェンコにすげ替えるため、西側は「不正選挙だ」とする宣伝しはじめる。この工作は成功、ユシチェンコが2005年1月から2010年2月まで大統領を務めることになった。
この政権は西側の命令に従って新自由主義を導入、一部の腐敗勢力が巨万の富を築く一方で大多数の庶民は貧困化。庶民の支持を失ったユシチェンコは2010年の選挙で敗北、再びヤヌコビッチが選ばれるが、ネオコンはまた政権を転覆させようとする。
ヤヌコビッチ政権の打倒を目指すクーデターが始まるのは2013年11月。首都キエフのユーロマイダン(ユーロ広場、元の独立広場)でカーニバル的な集会が始められ、12月になると集会への参加者は50万人に達したという。
この混乱をEUは話し合いで解決しようとするが、それを知った国務次官補のビクトリア・ヌランドは怒り、ウクライナ駐在のアメリカ大使だったジェオフリー・パイアットに電話で「EUなんかくそくらえ」と口にしている。その会話の音声は2014年2月4日にインターネットで流された。
その会話でヌランドは次の政権についても言及している。彼女が強く推していた人物がアルセニー・ヤツェニュク。実際、クーデター後、首相に就任した。
キエフでは2月18日頃からネオ・ナチが活動を活発化させる。棍棒、ナイフ、チェーンなどを手にしながら、石や火炎瓶を投げ、ピストルやライフルで銃撃を始めたのだ。
この年の2月7日から23日にかけてロシアのソチでは冬期オリンピックが開催されていたことからロシア政府は対応しにくい状況。それもネオコンは計算に入れていたのだろう。
ネオ・ナチのグループはオレンジ革命が仕掛けられた2004年からバルト3国にあるNATOの訓練施設で軍事訓練を受けたと言われている。またポーランド外務省は2013年9月にクーデター派の86人を大学の交換学生を装って招待、ワルシャワ郊外にある警察の訓練センターで4週間にわたり、暴動の訓練を受けたとも伝えられている。
ユーロマイダンでは2月中旬から無差別の狙撃が始まり、抗議活動の参加者も警官隊も狙われた。西側ではこの狙撃はヤヌコビッチ政権が実行したと宣伝されたが、2月25日にキエフ入りして事態を調べたエストニアのウルマス・パエト外相はその翌日、逆のことを報告している。EUの外務安全保障政策上級代表(外交部門の責任者)だったイギリス人のキャサリン・アシュトンへ電話で次のように報告しているのだ:
「全ての証拠が示していることは、スナイパーに殺された人びと、つまり警官や街に出ていた人たち双方、そうした人びとを同じスナイパーが殺している。同じ筆跡、同じ銃弾。実際に何が起こったかを新連合(クーデター派)が調査したがらないほど本当に当惑させるものだ。スナイパーの背後にいるのはヤヌコビッチでなく、新連合の誰かだというきわめて強く理解している。」
この報告を裏づける証言が2017年11月に出てきた。イタリアで放送されたドキュメント番組の中で、3人のジョージア人が狙撃したのは自分たちだと語っているのだ。
この3人は治安部隊のメンバーとしてジョージアから送り込まれたのだが、警官隊と抗議活動参加者、双方を手当たり次第に撃つよう命じられたとしている。(その1やその2)この3人も狙撃の指揮者はクーデター派の幹部だったアンドレイ・パルビーだと語っている。この証言は他の証言と合致する。
こうしたクーデターを現場で指揮していたのはビクトリア・ヌランドだが、ホワイトハウスにおける総指揮者は副大統領だったジョー・バイデンにほかならない。クーデター後、ジョーの息子であるハンターが汚職事件に関係してくる背景はここにある。
クーデターでヤヌコビッチが排除された後、ヤツェニュクと同じネオコンの操り人形だったアレクサンドル・トゥルチノフが大統領代行に就任するが、2014年6月からはチョコレート王、あるいはチョコレート・マフィアと呼ばれていたペトロ・ポロシェンコが大統領になる。
ウィキリークスが公表したアメリカ政府の2006年4月28日付け公電によると、ポロシェンコはアメリカ政府へ情報を提供してきた人物。欧米の支配者を黒幕とする「オレンジ革命」で登場した銀行員あがりのビクトル・ユシチェンコと親しかったことでも知られている。
そうした背景があれば当然だが、ポロシェンコも西側の私的権力に奉仕、国民を貧困化させる。そこで2019年の選挙で国民はゼレンスキーを選んだ。ロシアとの関係を修復し、ウクライナ東部にあるドンバス(ドネツクやルガンスク)の問題を解決するとしていたが、ネオ・ナチからの恫喝もあり、何もできないでいる。
そうした中、国内の混乱は加速度的に深まり、アメリカのバイデン政権は軍事的な緊張を強めている。NATOの艦隊がウクライナのオデッサへ入った。
オデッサもクーデターに反発する住民が多かった。その住民を屈服させるため、2014年5月2日にクーデター政権はネオ・ナチのグループを使い、住民を虐殺している。この虐殺には三重国籍の富豪でシオニストのイゴール・コロモイスキーが関与したと言われている。
虐殺は4月下旬に開かれたクーデター政権の幹部による会議で話し合われたと言われているが、その前、4月12日にジョン・ブレナンCIA長官がキエフを極秘訪問、4月22日にはジョー・バイデン米副大統領がキエフを訪問、それにタイミングを合わせるようにしてオデッサに対する工作が話し合われたのだ。
バラク・オバマ政権の副大統領としてクーデターの中枢にいたバイデンは現在、大統領である。その政権がウクライナの戦争を再び激化させようとしても不思議ではない。キエフ軍が東へ移動しているという情報もある。東アジアや中東と同じようにウクライナも焦臭くなってきた。そうした中に日本人もいるのだとうことを理解する必要がある。