二階・自民党幹事長ゴリ押し !
「GoToトラベル再開」強行がコロナ第4波起こす !
二階幹事長のプロフィールとは ?
(www.nikkan-gendai.com:2021/02/10 16:06)
◆「GoToトラベル」を再開か ?
本気で「GoToトラベル」(観光地全体の消費を促進する対策)を再開させるつもりなのか。
自民党の二階幹事長が、2月9日、トラベル事業の地域限定の再開について、「(再開を求める)地域を優先することもひとつの選択肢だ」と発言した。
事業を所管する赤羽国交相も、8日の衆院予算委で自民の佐々木紀議員から「北陸、山陰、東北など感染が少ない地域限定で始めることはできないか」と問われ、「そういう声もたくさん出ている」と応じた。
菅政権は、早ければ「緊急事態宣言」が解除される予定の3月7日にも、地域限定でGoToトラベルを再開するつもりらしい。だが、足元の数字は再開目安のステージ2(感染者の漸増)まで下がりきっていない。
◆青森、岩手、山形の3県は、ステージ4に相当 !
厚労省の「都道府県の医療提供体制等の状況」(5日公表)によると、東北6県のうち青森、岩手、山形の3県は「新規感染者数の前週比」がステージ4(爆発的な感染拡大)相当する。
さらに、山形と福島は「病床使用率」がステージ3(感染者の急増)に達している。
北陸3県でも、石川は「病床使用率」がステージ3、「感染経路不明割合」がステージ4相当。福井も「病床使用率」がステージ3に上る。鳥取、島根の山陰2県のうち鳥取は「新規感染者数の前週比」がステージ4に達している。
この状況でGoToを再開したら、また感染が拡大するのは必至だ。
◆政府は第2波の教訓を忘れたのか ?
さらに問題なのは、イギリス由来の変異株が新たに栃木、茨城、福島、長野、新潟、群馬の6県で確認されたこと。感染力の強い変異株が日本全国に広がっているのは間違いない。ただでさえ、都内の感染者が500人になった段階で宣言を解除すると、2カ月以内に再び感染拡大するというシミュレーションもある。それでも政府や自民党はGoTo再開に固執しているのだから、どうかしている。
◆変異種が市中に蔓延 !
「感染力が従来よりも強い変異種が市中に蔓延していると疑われる中、宣言解除の直後にGoToを再開したら、4月にも第4波が襲来する恐れがあります。新規感染者数が減ってきているとはいえ、昨夏の第2波並みです。第2波が収まらぬうちにGoToトラベルを開始し、第3波の拡大につながったことを国は忘れたのでしょうか。学習能力がないと言わざるを得ません」
(西武学園医学技術専門学校東京校校長の中原英臣氏)
昨年3月の3連休に人出が増加し、第1波を招いたとも指摘されている。その後、4月の宣言発令に至った。なし崩しの再開なんて、決して許されない。
(参考資料)
○二階幹事長のプロフィールとは ?
(ウィキペディアより抜粋・転載)
二階 俊博(にかい としひろ[1]、1939年〈昭和14年〉2月17日生まれ。81歳。)は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(12期)。
自由民主党幹事長(第48代)、志帥会会長(第5代)、自由民主党和歌山県連会長、全国旅行業協会会長、自由民主党政務調査会観光立国調査会最高顧問。
和歌山県議会議員(2期)、運輸政務次官(第2次海部内閣・細川内閣)、運輸大臣(第75代・第76代)、北海道開発庁長官(第69代・第70代)、保守党幹事長(第2代)、保守新党幹事長(初代)、自由民主党総務局長、経済産業大臣(第6代・第9代・第10代)、自由民主党国会対策委員長(第48代)、自由民主党総務会長(第46代・第53代)、自由民主党選挙対策局長(初代)、自由民主党国土強靭化推進本部長[2][3]などを歴任した。
経歴・生い立ち
1939年2月、和歌山県御坊市新町に生まれる[4]。父親の俊太郎は和歌山県議会議員だった[4]。父は仕事が忙しかったため、二階は物心がついたころから父と一緒に遊んだ経験がなかった[4]。母・菊枝は医師古久保良輔の娘で、当時まだ珍しかった女性医師だった[4]。
稲原小学校に入学し、終戦後、御坊小学校に転入した[4]。御坊中学校[4]、和歌山県立日高高等学校に入学[4]。高校の3年生に進級してまもなく生徒会長選挙が行なわれることになり、応援団長をつとめた二階は応援団員、野球部員から立候補を勧められた[5]。あまり乗り気ではなかったが、やむなく立候補した[5]。投票の結果、二階は圧倒的勝利をおさめた[5]。
1957年、中央大学法学部政治学科に入学する[5]。「企業に入ってサラリーマンになろう。大学はどこでもいい。」と考えていた二階が東京の中央大学に進学した理由は、新聞部顧問・津本誠一郎教諭の「できれば東京にいったほうがいい。政治家や文学者、経済人などいろんな人にあえる。講演も聞ける。」という発言に影響されたことや、父親が中央大学で学んだ経験があったためである[5]。
大学で最も衝撃的だったエピソードとして、大衆文化に関する授業を受けていた樺俊雄の娘である樺美智子が安保闘争のデモで圧死したことをあげている[6]。
◆政界入り
和歌山県議会議員
大学卒業後、静岡県選出の衆議院議員で建設大臣を務めた遠藤三郎の秘書となる。遠藤の死後、和歌山県に戻り、1975年4月に和歌山県議会議員選挙に立候補して当選し、連続2期務めた。
衆議院議員
1983年12月18日、旧和歌山2区から自由民主党公認(田中派)で第37回衆議院議員総選挙に立候補する。5万3611票を獲得し、2位で当選を果たした。以後、現在まで連続当選を続けている。
田中角栄に対する配慮と、師・遠藤三郎がかつて藤山派に属していたために江崎真澄に近いことから竹下派結成には参加しなかったが、その後、奥田敬和ら中間派が竹下派に参加したことを契機に自身も参加した。
◆自民党離党後、運輸政務次官
1993年、宮沢内閣不信任決議案に賛成して自由民主党を離党、小沢一郎らと共に新生党結成に参加した。総選挙後に発足した細川内閣で再び運輸政務次官に就任する。細川内閣での政務次官時代は社会党の運輸大臣伊藤茂を差し置いて「影の運輸大臣」と呼ばれた。
◆小沢一郎の側近
細川・羽田政権後、新進党にも参加し、「明日の内閣」の運輸・交通部門と建設・国土部門の大臣などを務める。小沢側近として小沢の党首選出にも尽力した。1996年10月20日、第41回衆議院議員総選挙で新設された和歌山3区から立候補し、自民党(清和研)の現職野田実を破り5連続当選を果たす(野田は比例復活したが、後に連座制を適用されて失職した)。
1998年、新進党分党後も小沢側近として自由党結党に参加した。
2002年、保守党の後継政党である保守新党でも幹事長に就任したが、2003年11月9日の第43回衆議院議員総選挙で保守新党は代表の熊谷弘が落選するなど惨敗し、自民党に吸収された。
かくして二階俊博は、約10年ぶりに自民党へ復党することになる。
◆自民党復党後
2008年11月10日、中央合同庁舎第五号館にて厚生労働大臣舛添要一(手前右)と
自民党総務局長:自民党への復党後、旧保守新党の議員らで新しい波(二階グループ)を結成して会長に就任。2004年9月、自民党総務局長に任命される。以後、自民党が下野する2009年までほぼ一貫して政府や党の要職の座につけ、政界再編期の離党・出戻り組の中では異例な存在であった。
2005年5月、内閣総理大臣小泉純一郎の意向により、自民党総務局長を兼任しながら衆議院郵政民営化法案を審議する特別委員会の委員長に就任する。郵政国会では郵政民営化法案の衆院通過に尽力した上、その後の郵政解散による第44回衆議院議員総選挙では選挙責任者の総務局長として候補者擁立などに奔走し、自民党圧勝の功労者となった。この大勝利をきっかけに総務局長の地位が見直され、地位向上が行われるようにもなった。またこれによって、比例当選議員が中心ではあるものの二階派の議員数が増加することになり、二階俊博が、一定の政治的影響力を持つことになった。
経済産業大臣
総選挙での功績を買われ、2005年10月に発足した第3次小泉改造内閣に経済産業大臣として入閣する。2006年4月7日、「二階イニシアティブ」(東アジアEPA、東アジア版OECD、アジア人財資金)を提唱した[7]。同年9月、小泉の自民党総裁任期満了に伴い安倍晋三が総裁に就任し、民主党代表小沢一郎への対策として自民党国会対策委員長に任命された。
◆自民党幹事長
2016年8月3日の第3次安倍第2次改造内閣発足と同時に行われた党役員人事で、自転車で転倒して入院した、谷垣禎一の後任として、自民党幹事長に就任した[11]。就任時の年齢は77歳と5ヶ月であり、歴代の自由民主党幹事長の中で史上最高齢の就任であった。
2017年8月3日の第3次安倍第3次改造内閣発足と同時に行われた党役員人事でも幹事長に留任し、記者会見で「しっかりと党をまとめる努力をしたい」「みなさんから意見を頂戴しながら党運営をやっていく」と抱負を述べた[12]。
2019年8月3日で幹事長として連続在職日数が1096日に達して前尾繁三郎を抜き歴代最長になった[13][14]。安倍の総裁任期を延長させた党則改定と連続3選などを実現し、中国との太いパイプを生かした独自の党外交も展開する一方で、無所属や野党の議員も派閥に取り込む強引とも映る政治手法は党内でも物議を醸すも[15][16][17]、翌9月の第4次安倍内閣第2次改造内閣発足と同時に行われた党役員人事でも幹事長に留任した[18]。
2020年9月8日に幹事長としての通算在職日数も1498日となり、それまで最長だった師の田中角栄(1497日)を抜き歴代最長になった[19]。党総裁と内閣総理大臣の辞任を表明した安倍にかわる新たな総裁を決める自民党総裁選挙では総裁選の時期や形式を一任されたことから党員投票を省略させ[20]、菅義偉を真っ先に支持し[21]、9月15日に菅新総裁が行った党役員人事でも幹事長に留任した
2020年9月8日に幹事長としての通算在職日数も1498日となり、それまで最長だった師の田中角栄(1497日)を抜き歴代最長になった[19]。党総裁と内閣総理大臣の辞任を表明した安倍にかわる新たな総裁を決める自民党総裁選挙では総裁選の時期や形式を一任されたことから党員投票を省略させ[20]、菅義偉を真っ先に支持し[21]、9月15日に菅新総裁が行った党役員人事でも幹事長に留任した
―以下省略―