武漢肺炎、アメリカの大統領交代と騒然としたなかで、馬脚をあらわした菅政権の無策に苦しみ、めでたさも中ぐらいのおらが春なんですが、それぞれの話題については、そのつどスレッドを建てるとして、わたしがもっとも話してみたい命題、ふたつを紹介して年賀のご挨拶に代えたいと思います。
最初に挙げたいのは“統治理念”の話題です。国際社会の常識としては、現在の人類共通の政治理念は、言うまでもなく“民主主義”だということは、議論のないところでして、それは、わたしもわきまえております。
しかし、人類共通のこの民主主義と呼ぶ政治理念を、わが祖国・日本国の統治理念にすることには、ちょっと違和感を覚えるのです。近代民主主義の誕生のいきさつからして、白人キリスト教国の宗教争いに端を発している事情があるように、政治の仕組みとしてはともかく、統治理念としては、我が国の伝統や歴史にはしっくりとこないのです。
幸いにして、日本には皇室という国家を統治する権威と、その権威のもとで権力を行使する…たとえば摂政、関白、上皇とか、幕府のような権力を併設した歴史があります。権威と権力が両立した統治機構です。この、伝統的な皇室宗家の統治理念のもとでの政治体制として民主主義を選ぶという提唱をしてみたいと思います。
つぎに、敗戦後の米軍の占領政策として押しつけられて、日本人の思考回路を占領しつづけている歴史認識“自虐史観”についてです。占領統治下の“現行法尊重義務違反”という国際法違反を犯してつくられた、現行平和憲法の改正を提唱しつつ、おぞましい自虐史観を排斥しようと思います。
明治維新以来の、近現代を恨み、つらみで包み込み、自虐的な価値観を持った自閉症患者を、日本列島から一掃しなければなりません。ある意味、この価値観こそが、現在の日本の停滞状況の原因だと考えています。
元日のきょう、幸いにして天気予報は降水確率ゼロパーセントの晴天です。市内の駿河湾を臨む温泉につかりながら、駿河湾にのぼる初日の出に、この思いを祈願してまいります。