日本上陸で大儲け、「カラ売り専業ファンド」の生態
黒木 亮 2020/11/13 1
米国のカラ売り専業ファンド、グラウカス・リサーチが伊藤忠商事にカラ売りを仕掛け、大きな話題を呼んだのは4年前だった。同年、日本電産やサイバーダインも別の米系カラ売りファンドの標的にされ、昨年も米国のマディ・ウォーターズがペプチドリームをカラ売りした。
欧米のカラ売り専業ファンド(カラ売り屋)は財務諸表を徹底的に読み込み、詳細な分析レポートを発表してカラ売りを宣言する。日本にはこれまで存在しなかったタイプのプレーヤーだ。
果たして日本に上陸したカラ売り屋たちの戦績はどうだったのか、そしてその要因は何だったのか? 今般、カラ売りファンドをテーマにした経済小説『カラ売り屋、日本上陸』(KADOKAWA刊)を上梓した黒木亮氏が総括する。(JBpress)
欧米のカラ売りと日本のカラ売りの違い
バイデン氏の当選で日米の株価が上昇している。しかし、今後、増税や新型コロナの感染拡大で企業業績に悪影響が及ぶという見方も根強い。そうした状況を手ぐすね引いて待っているのが、米国に数十あると言われるカラ売り専業ファンドだ。
日本で「カラ売り」と言うと、バブル期から2000年代初頭にかけて仕手筋が行っていたような、相場操縦に近いイメージがある。常に株価の浮揚を望んでいる政府・証券会社・取引所は、カラ売りを非難したり、規制をかけようとしたりする。
しかし、欧米ではだいぶ事情が異なる。カラ売り屋(カラ売り専業ファンド)は、企業の財務諸表を徹底的に読み込み、インサイダー情報にならない範囲で可能な限り情報を収集し、株価が割高な企業の株をカラ売りするとともに、詳細な分析レポートで一般投資家に警鐘を鳴らす。いわば「市場の番人」的な存在で、高い知性と調査能力を必要とする「知的な投資行為」である。
『カラ売り屋、日本上陸』(黒木亮著、KADOKAWA)© JBpress 提供 『カラ売り屋、日本上陸』(黒木亮著、KADOKAWA)
カラ売り屋の存在が一躍クローズアップされたのは、2001年のエンロン倒産事件だ。著名カラ売り屋のジェームズ・チェイノスが、当時、飛ぶ鳥を落とす勢いだったエンロンの財務諸表を徹底的に分析し、デリバティブを利用した利益のかさ上げや、SPE(特別目的会社)を使った粉飾決算を見破り、倒産に追い込んだ。
2008年のリーマンショックの際にも、グリーンライト・キャピタルなどのファンドが、リーマン・ブラザーズ株やサブプライム関連商品をカラ売りして、大きな利益を上げた。
米国のカラ売りファンドは、ここ10年ほど、粉飾の多い中国企業株のカラ売りで大きな収益を上げ、その余勢を駆って、日本市場にやって来た。
伊藤忠商事vsグラウカス・リサーチ
2016年7月27日、米グラウカス・リサーチは、伊藤忠商事が過年度決算で利益の水増しを行なっているとして、前日終値の1262円の半値が適正価格であるとする分析レポートを発表した。前年、東芝の不正会計が発覚し、日本ではまだその衝撃が冷めやらぬ中でのカラ売りファンドの日本初上陸だった。
グラウカス・リサーチは、ハーバード大学ロースクール卒業生でM&Aの弁護士だったソーレン・アンダールが2011年に設立したカラ売り専業ファンドで、カリフォルニア州に拠点を置いている。伊藤忠商事をカラ売りする以前は、中国系企業のカラ売りが大半で、半分ないしはそれ以上の予想を的中させている。香港市場に上場していた金属スクラップ・リサイクル業者、中国再生金属資源(控股)有限公司(本社・広州)を倒産に追い込んだり、インドのIT企業ロルタ社の社債の不履行を的中させたり、香港市場に上場していた樹脂製造大手、中国旭光高新材料集団有限公司(本社・成都)を上場廃止に追い込むなど、“完勝”案件もいくつかある。
© JBpress 提供
グラウカスは、「伊藤忠商事は財務報告の訂正と不正会計の存在を認めることを命じられる次の日本企業となる可能性が高い」とセンセーショナルにブチ上げ、@コロンビアの石炭事業の減損を回避する不正な会計処理、A中国CITIC(中信集団)を持分法適用会社にして連結利益をかさ上げ、B中国の食品・流通大手、項新の投資区分を変更して連結対象から外し、利益をかさ上げ、等の疑いがあると指摘した。これに対して伊藤忠は、個々の案件の経緯などを含め、猛烈に反論した。
結果はどうなったか? グラウカスが分析レポートを発表した時点での伊藤忠の株価は1262円で、レポート発表直後は約10パーセント下げ、約1カ月間株価が低迷した。しかしその後、着実な上昇に転じ、現在は2700円程度まで上昇した。もしグラウカスが最初の1カ月で買い戻していれば利益は出ているが、そうでなければカラ売りは今のところ失敗である。
ただ伊藤忠は、ライバルの三菱商事と三井物産が2016年3月通期で最終赤字になる見通しになった際、欧州のタイヤ事業や青果のドール事業の減損など約900億円の損失を追加計上し、岡藤社長が記者会見で「急きょ落とせるものは落とした」と、恣意的な会計処理を疑われるような発言をしたり、グラウカスのレポートに対して鉢村CFO(常務執行役員)が異様なヒステリックさで反論したりしており、触られたくない部分があるのではないかという心証はぬぐい切れない。
サイバーダインvsシトロン・リサーチ
グラウカスが伊藤忠のカラ売りを推奨した20日後の8月16日、シトロン・リサーチがサイバーダイン株を「世界で最も馬鹿げた価格が付いている株」として売り推奨レポートを発表した。サイバーダイン社は、筑波大学教授・山海嘉之が設立した、ロボットスーツなど医療福祉機器の開発会社で、東証マザーズに上場している。
シトロンは、デトロイト市で生まれたユダヤ人で、ノースイースタン大学(ボストン)卒業後、商品取引会社のセールスマンなどをやったアンドリュー・レフトが2001年に設立したカラ売り専業の調査会社(兼カラ売りファンド)だ。
ウォールストリート・ジャーナルの分析では、2001年から2014年の間にシトロンが売り推奨レポートを発表した111の企業の1年後の株価は、90社が下げ、上昇したのは21社で、平均で株価は42パーセント下がったという。中国企業に関しては18社の売り推奨レポートを発表し、うち15社の株価が70パーセント以上下がった。2012年には、中国の不動産大手、中国恒大集団(本社・深圳)が破産状態で、不正会計の疑いがあるというレポートを発表し、香港の証券先物委員会から虚偽の情報を流したとして、5年間の取引禁止や利益返還を命じられた。レフトは、処分は金融市場における言論の自由に反するとして裁判で争っている。
シトロンは、サイバーダイン社の売り推奨レポートの中で、同社の開発が競合他社に比べて遅れており、米食品医薬品局(FDA)からロボットが「医療機器」である承認を得るのに時間がかかりすぎると指摘し、同社の投資家への説明は「うんこ(たわごと)」であると決めつけた。当時、同社の株価は2000円程度だったが、シトロンは300円が適正であるとした。
これに対してサイバーダイン社は「レポートは事実誤認」だと猛反発した。同社の装着型ロボットスーツ「HAL」はオンリーワンのロボット医療機器で、他の外骨格の機器とは競合せず、FDAに対する申請後の経過期間はシトロンが指摘する20カ月ではなく、14カ月であるなどと反論した。しかし、「HAL」が、脊髄損傷で下半身が麻痺した患者への医療用機器としてFDAに承認されたのは、そこからさらに1年4カ月後の2017年12月だった。
株価はどうなったか? サイバーダイン社の株価は、シトロンのレポート発表後、ほぼ一貫して下がり続け、現在の株価は700円程度となった。カラ売りは成功である。特にこの間、日経平均株価が1万6596円から2万5349円へと5割強上昇していることを考えれば、サイバーダインの株価下落は顕著だ。
日本電産vsマディ・ウォーターズ
同じく2016年12月12日、サンフランシスコに本拠地を置く、カラ売り専業の調査会社、マディ・ウォーターズ・リサーチが「日本電産はハリボテの広報活動によって誇張されてきた銘柄である」として、売り推奨レポートを発表した。
マディ・ウォーターズは、シカゴ・ケント法科大学院を卒業し、上海で弁護士や倉庫会社の経営者を務めていたカーソン・ブロックが2010年に設立したカラ売り専業調査会社(兼投資ファンド)である。中国各地にメンバーを擁し、中国企業のカラ売りで目覚ましい実績を上げて来た。2011年には、カナダで上場していた中国系商業用森林植林会社サイノ・フォレスト社の資産水増しを暴き、同社を倒産に追い込み、中国のデジタル広告大手、分衆伝媒控股(本社・上海)の不正会計を指摘し、上場廃止に追い込み、2013年には、ニューヨーク証券取引所に上場していた中国のサイバーセキュリティとモバイル・アプリケーション会社、NQモバイル(本社・北京)の粉飾を指摘し、共同CEOを辞任させ、株価を84パーセント下落させた。現在の運用資産は2億2700万ドル(約239億円)と見積もられている。
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マディ・ウォーターズは、「日本電産は永守重信会長兼社長の下、非現実的な経営目標を掲げ、目標から大幅に離れた結果しか出していない。またM&Aを除けば、継続事業の成長率はほぼゼロ。株価は倍以上に過大評価されている」とした。これに対して日本電産は「当社は透明性のある開示をしている」と反論した。
結果はどうなったか? 売り推奨レポートが発表された時点での日本電産の株価は9652円だった。株価は、その後も一貫してこの水準を上回り、現在は2万3390円まで上昇した(2020年に1株を2株にする株式分割を実施しているので、分割前と同じベースで比較)。カラ売りは失敗と言ってよいだろう。
ペプチドリームvsマディ・ウォーターズ
マディ・ウォーターズは、2019年11月7日に、東京大学発のバイオ医薬品企業で、独自の創薬開発プラットフォームによって医薬品の開発を促進するペプチドリーム社(東証一部上場)の株もカラ売りした。
カラ売りの理由として、@臨床試験まで進んだ開発プロジェクトはほとんどない、A公表している19社との共同開発プロジェクトは、一覧から抹消せずに公表している可能性がある、B公表している101本の研究開発プログラムの中に休止や消滅状態のものがある、等を指摘している。
これに対してペプチドリーム社は、19社との共同研究については、相手から契約終了の申し出がないもののみを公表しており、101本のプログラムについては、この半年で相手とやり取りがあったもののみ公表している、などと反論した。ただ実際に臨床試験まで進んだものは、米ブリストル・マイヤーズスクイブ社との案件が1件のみだった。
結果はどうなったか? 売り推奨レポートの発表前日に5310円だったペプチドリームの株価は、今年4月に3265円まで下落し、その後、少し持ち直して、現在は5100円程度である。完勝ではないが、カラ売りは一応成功している。
和製カラ売り屋vs丸紅、ジグソー、ユーグレナ他
グラウカス、シトロン、マディ・ウォーターズは、すべて米系だが、珍しい和製のカラ売り調査会社もある。弁護士の荒井裕樹氏が創設したウェル・インベストメンツ・リサーチ(本社は英領バージン諸島)で、2015年12月から2017年1月19日にかけて、丸紅、ジグソー、サイバーダイン、SMC、ユーグレナを売り推奨した。英文で数十ページの分析レポートは、主に米系ヘッジファンドやカラ売りファンドが購読している。
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荒井氏は東大法学部卒で、父親も弁護士。学生時代に司法試験に合格し、2000年に東京永和法律事務所に入所した。同事務所では、中村修二博士の青色LED発明対価訴訟を始め、大型案件を手がけ、年収は4億円とも言われた。ニューヨーク大学で金融工学を学んで2010年にMBAを取得し、同年5月にデリバティブに特化したヘッジファンドを設立。弁護士業も含めた3足のわらじで、ウェル・インベストメンツ・リサーチも運営している。運営費用は、有料レポートの購読料収入でまかなっており、「費用が回収できればいい、趣味の世界」と話す。
結果はどうなったか? 売り推奨レポートの発表前と現在の株価を比較すると、丸紅は651円から631円、ジグソーは約2万2000円から9090円、サイバーダインは約1500円から725円、SMCは約3万800円から6万1280円、ユーグレナは約1200円から896円。戦果は4勝1敗で、グラウカス、シトロン、マディ・ウォーターズよりも優れている。売り推奨時点の日経平均株価が1万9000円程度で、現在は2万5349円へと3割強上昇していることを考えれば、ウェル・インベストメンツ・リサーチの指摘の的確さが一層際立つ。なおSMCの株価が高いのは、同社が世界首位のFA(工場自動化)用空気圧制御機器メーカーで、新型コロナ禍によって製品の需要が高まっているためである。
カラ売り屋は日本に何をもたらすのか?
これまで、ウェル・インベストメンツ・リサーチほどには、他のカラ売り屋が日本で成功できていない理由は何だろうか?
一つには、日本は中国や米国ほどには、粉飾決算の土壌がないという点が挙げられる(これはこれで結構なことである)。中国ではご存じのとおり、政府や共産党の幹部が様々な利権を得ており、地方幹部の不正も多く、民族的にもルールに頓着せず、機を見るに敏と言われる。国際NGO、トランス・ペアレンシー・インターナショナルが毎年発表している「腐敗認識指数」(順位が低いほど腐敗度が高い)の2019年度版では、中国は180カ国中80位である。米国は23位だが、四半期決算ごとに経営者が結果を出すことを強く求められ、粉飾決算の誘惑に駆られやすい。ちなみに日本は20位である。
二つ目の理由は、優秀な日本人アナリストをまだ十分に見つけられていないのではないかという点だ。日本企業は海外に上場でもしていない限り、有価証券報告書等の財務資料は日本語でしか出しておらず、情報収集も日本語のデータや日本の人脈が中心になる。これまで日本株をカラ売りした米系ファンドは、荒井裕樹氏ほどには、優秀な日本人アナリストを獲得できていなかったのではないか。
三つ目の理由は、伊藤忠や日本電産のような巨大企業をターゲットにしたカラ売りは成功しづらいことだ。これは米国や中国でも同様で、カラ売りが成功しているのは、単一事業をやっている比較的小規模な上場会社に対するものが多い。巨大企業は社内でのチェック体制もそれなりに整っているので簡単には不正や粉飾はできず、また株数や時価総額も大きいので、一部のカラ売り勢が賛同しただけでは、株価を動かせない。
筆者は、欧米のカラ売り屋の日本への参入は結構なことだと考える。合法なカラ売りは、株式市場に透明性をもたらすからだ。今や、個人の財産だけでなく、公的年金や日銀の金が株式市場に投入されている。しかし、国や証券会社は買い推奨ばかりしているので、高値掴みのリスクも少なくない。カラ売り屋によって、過大評価されている株やリスクのある株がスクリーニングされれば、投資家にとって大きな利点になる。
なお筆者は今般、『カラ売り屋、日本上陸』(KADOKAWA刊)を上梓し、日本に上陸したカラ売り屋と病院買収グループ、シロアリ駆除会社、総合商社絵画部の攻防を通じ、日本におけるウォール街のカラ売り屋の活動を描いた。経済小説の形をとっているが、実際にあった出来事を取材して得た情報をベースに、カラ売り屋の実態に迫った作品になっている。
https://www.msn.com/ja-jp/money/other/%e6%97%a5%e6%9c%ac%e4%b8%8a%e9%99%b8%e3%81%a7%e5%a4%a7%e5%84%b2%e3%81%91-%e3%82%ab%e3%83%a9%e5%a3%b2%e3%82%8a%e5%b0%82%e6%a5%ad%e3%83%95%e3%82%a1%e3%83%b3%e3%83%89-%e3%81%ae%e7%94%9f%e6%85%8b/ar-BB1aY3Ch?ocid=ientp
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