21日、外遊先のインドネシア・ジャカルタで記者会見した菅首相。記者から、あらためて日本学術会議の新会員候補6人の任命を拒否した理由を問われると、こう言い放ったから驚いた。
「国の予算を投じる機関として国民に理解されることが大事だ。推薦された方々がそのまま任命されてきた前例を踏襲してよいのか考えた結果だ」
オイオイ、ちょっと待て。最初に理由を問われた際には「総合的、俯瞰的に判断」と答えていたではないか。それが世論批判を受けて突然、「推薦リストを見ていない」と支離滅裂な言い訳を始めたかと思いきや、今度は「国民に理解されることが大事」だから理解不能だ。
さらに、16日の日本学術会議の梶田会長との会談に触れた菅は「国民に理解されるように日本学術会議をよりよいものにしていこうと合意した」などと上から目線で開き直っていたが、一体どの口が言っているのか。
問われているのは、日本学術会議の組織体制や学者の在り方ではない。理由も示さず、法律に反する形で任命を勝手に拒否した菅の認識、違法性だ。自分自身のデタラメを棚に上げ、さも学術会議側に問題があるかのよう論点をすり替える。これぞ自分の品性下劣を告白しているようなものだ。
日本学術会議に対して、菅が言うように「理解していないぞ」と憤慨している一般国民はほとんどいない。むしろ、「国の予算を投じる機関として国民に理解されることが大事」と強く指摘されるべきは今の日本政府であり、菅自身だ。
政治評論家の森田実氏がこう言う。
「この1カ月間でハッキリしたことは、菅内閣は、やることなすこと全てが間違い。やはり、誤って誕生した内閣だということです。学術会議の問題は明らかに学問の自由を保障した憲法23条違反。この条文は戦前の学者弾圧などの反省を踏まえて規定されたものであり、任命拒否は許されるものではない。説明しないのは民主主義の否定です。」
菅は「諫言」が持つ言葉の意味を理解していない
当たり前のことだが、日本学術会議では、それぞれの研究分野において優れた知見が認められた識者が会員に推薦、任命されてきた。繰り返すが、今回、その任命について理由も示さずに拒否したのは国民じゃない。菅自身だ。
「私が任命権者」とエラソーに言うのであれば、国民が納得する理由をきちんと説明すればいい。それなのに、俺が決めたのだから従えと言わんばかり。思想統制の意思剥き出しだ。任命を拒否した識者はもちろん、学術界に対する尊敬もない。「権力があれば何でもできる」と考えているパワハラ人物と同じで、勘違いにもホドがあるだろう。こんな自己中心的な考えを「政治家の覚悟」と称しているのだとすればマンガだ。
菅は学術会議問題の“本質”を理解していない。「教養のレベルが露見」と発言した静岡県の川勝平太知事は、メディアに真意を問われた際、「私は(菅首相が)誤っていると思うので諫言した」と語っていたが、この意味すら分かっていないだろう。
諫言とは、目上の人の過失を指摘、忠告することだ。唐の皇帝、太宗・李世民は政治を誤らないよう諫言する役目の人物を重用したというが、それは時の権力に忖度がはびこれば、いずれは国家の衰退につながると考えていたからだ。今の日本で言えば、政府に諫言する役割を担っている組織のひとつが日本学術会議であり、それが「右向け右」となれば国家が滅びるため、識者を含む多くの国民が強い危機感を持って反対の声を上げているのだ。
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