勝海舟『行蔵は我に存す。毀誉は人の主張。我に与らず我に関せずと存じ候』
行蔵は我に存す
江戸城を無血開城に導いた勝海舟と福沢諭吉は仲が悪かったようです。
この二人は幕末に咸臨丸で、日本人として正式にアメリカに行っている仲なのです。
この時の勝海舟は船長として、福沢諭吉は訪米視察団の団長である木村摂津守の従者として同行しています。
ところが、福沢諭吉が勝海舟に「こんな本(勝海舟を批判した本)を出すけど文句があったら言って来い」と出した手紙の返事の一部が、
『行蔵(こうぞう)は我に存(そん)す。毀誉(きよ)は人の主張。我に与(あずか)らず我に関せずと存じ候(そうろう)。各人へ御示し御座候とも毛頭異存(もうとういぞん)これなく候。』なのです。
この意味は、『我が行いは自らの信念によるものである。けなしたりほめたりするのは人の勝手である。私は関与しない。どなたにお示しいただいてもまったく異存はない。』というものです。
福沢諭吉が勝海舟を批判した本は、『痩(や)せ我慢の説』で、「幕臣の身でありながら、敵の作った新政府に仕えるとはけしからん。」と言うものです。
これは、勝海舟が維新のとき、江戸を火の海にしないため、内乱を避け、江戸城を無血開城し、官軍に勝ちを譲ったこと、更に、新政府の要職に就いたことで、幕臣としてあまりに情けない、と責めたのです。
これに対する勝の有名な返事が前記の「行蔵(こうぞう)は我に存す」であり、命を賭けて、信念を持ってやったこと、学者・福沢ごときにとやかく言われる筋合いはないというものです。
行蔵(こうぞう)とは、世に出る、あるいは世に出ない、といった自分の行動のことであり、いわば出処と進退。
自分の行動は全て自分の責任であり、貶(おとし)められようが、非難されようが、すべて甘んじて受ける、という言葉です。
一方で勝は福沢に対して、「上野で彰義隊が命懸けで戦っているとき、品川の山から高みの見物をしていた男が福沢だ。日本のためだとか、天は人の上に人は作らずと御託を並べる前に、今、人が死んでゆくのを高見の見物するような輩に天下国家を語ってほしくないね」と言っています。
この二人、うわさ通りの犬猿の仲なのでしょうか。
自らの行動の結果には、一切言い訳をしない。
そして、言いたいものには言わしておけと、ニッコリ笑って受け止める。
流石、勝海舟は大物です。サムライですねエ〜。
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