南京大虐殺も1971年までは誰も知らなかったし、こういう問題で被害者から騒ぐ事はまず無いですね:
慰安婦問題の始まり
http://www.oshietegensan.com/war-history/war-history_i/925/
慰安婦問題が明るみに出た経過を整理してみます。
● 1970年代に日本人のキ−セン観光に対して、
韓国の女性たちが批判を始めました。
「日本男性は、戦争中同胞の女性たちを
女子挺身隊員として軍の力で狩り出し、
それを反省もせず、
今度は金の力でキ−センの性を弄んでいる。」という内容でした。
ところが韓国は当時独裁政権で、
日本とうまくやるために
国際観光振興政策をとり、
あまり問題としませんでした。
注:女子挺身隊
日本軍は工場労働者として
朝鮮女性を狩り出すとき
「女性挺身隊」という名称で、
募集、詐欺募集、強制連行を行ないました。
そして労働者だけではなく
慰安婦も同じ名目で狩り出されました。
● 1977年には日本でも、
松井やよりさんたちが中心になって
キ−セン観光反対運動が始まりました。
● 1984年にシンガポ−ル特派員をしていた
松井やよりさんは、タイで韓国人の下慰安婦
「盧寿福」さんにインタビュ−し、
朝日新聞に掲載しました。
注:松井やよりさんはシャ−ナリスト(朝日新聞)として活躍、
薬害サリドマイド事件でも取材を続けました。
VAWW-NET Japan
(戦争と女性への暴力 日本ネットワ−ク)の代表でした。
2002年12月27日肝臓ガンで亡くなられました。
● 1988年、韓国梨花女子大学教授「尹貞玉」さんが
「日本軍の犠牲になった同時代の女性たちを
歴史の闇の中に埋もれさせる事は出来ない。
この問題に余生を捧げたい」と来日しました。
そしてアジア各地の取材を始めました。
● 1990年1月、韓国ハンギョレ新聞に
尹貞玉さんが「挺身隊取材記」の連載を開始。
● 1990年5月、盧泰愚大統領来日の機会に
「挺身隊問題の解決を」と、韓国の女性団体が
声明を発表、37団体が「韓国挺身隊問題協議会」を結成、
日本韓国両政府に対し公開書簡を送りました。
● 1990年12月、ソウルで開かれた
アジア女性人権評議会主催の
「アジア女性人身売買問題会議」で、
韓国代表が「慰安婦問題」を報告。
アジア各地に知れ渡る。
● 1991年8月、韓国で元慰安婦として
「金学順」さんが初めて名乗り出た
12月には金学順等、3名が
日本政府に謝罪と補償を求めて
東京地裁に提訴しました。
その直前の11月28日、
NHK「ニュ−ス21」のインタビュ−に答えて
「日本軍に踏みつけられ、
一生を惨めに過ごしたことを訴えたかったのです。
日本や韓国の若者たちに、
日本が過去にやった事を知って欲しい」
注:公式には金学順が最初に名乗り出たことになっていますが、
実は1990年5月の韓国の雑誌「時代人物」に
「恥辱と絶望の人生を克服し
国の独立を願って生きる沈美子さん」
という記事があった事が発見されました。
伊藤孝司氏が2001年4月に発見したものです。
つまり沈美子さんが金学順せんより
早く名乗り出たということです。
● 1992年9月、
TFFCW(フィリピンの女性人権擁護団体)の
マスコミを使った呼びかけに対して、
マリア・ロサ・ルナ・ヘンソンさんが
フィリピンで最初の証言者として名乗り出ました。
● その後、フィリピン、台湾、マレ−シア、
インドネシア、中国、北朝鮮、オランダの元慰安婦たちが
続々と名乗り出ました。
● 1993年6月、ウイ−ンで開かれた
「国連世界人権会議」で取り上げられる。
● 1995年8月〜9月、
北京の世界女性会議で
行動綱領に取り上げられました。
以上のような経緯で慰安婦問題が
闇の中から明るみに出てきたのです。
心無い一部の人は「どこまで謝れば気が済むのか?」
「土下座外交」「自虐史観」・・・と言いますが、
日本はいつ国として調査・謝罪・補償をしたのでしょうか?
この問題が明るみに出たのはまだ最近、
1991年なのだということを覚えておいて欲しいと思います。
慰安婦問題の始まり
慰安婦問題が明るみに出た経過を整理してみます。
● 1970年代に日本人のキ−セン観光に対して、
韓国の女性たちが批判を始めました。
「日本男性は、戦争中同胞の女性たちを
女子挺身隊員として軍の力で狩り出し、
それを反省もせず、
今度は金の力でキ−センの性を弄んでいる。」という内容でした。
ところが韓国は当時独裁政権で、
日本とうまくやるために
国際観光振興政策をとり、
あまり問題としませんでした。
注:女子挺身隊
日本軍は工場労働者として
朝鮮女性を狩り出すとき
「女性挺身隊」という名称で、
募集、詐欺募集、強制連行を行ないました。
そして労働者だけではなく
慰安婦も同じ名目で狩り出されました。
● 1977年には日本でも、
松井やよりさんたちが中心になって
キ−セン観光反対運動が始まりました。
● 1984年にシンガポ−ル特派員をしていた
松井やよりさんは、タイで韓国人の下慰安婦
「盧寿福」さんにインタビュ−し、
朝日新聞に掲載しました。
注:松井やよりさんはシャ−ナリスト(朝日新聞)として活躍、
薬害サリドマイド事件でも取材を続けました。
VAWW-NET Japan
(戦争と女性への暴力 日本ネットワ−ク)の代表でした。
2002年12月27日肝臓ガンで亡くなられました。
● 1988年、韓国梨花女子大学教授「尹貞玉」さんが
「日本軍の犠牲になった同時代の女性たちを
歴史の闇の中に埋もれさせる事は出来ない。
この問題に余生を捧げたい」と来日しました。
そしてアジア各地の取材を始めました。
● 1990年1月、韓国ハンギョレ新聞に
尹貞玉さんが「挺身隊取材記」の連載を開始。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/416.html