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2020年9月01日19時27分 〜
記事 [近代史5] ブリテン島人の起源

ブリテン島人の起源


雑記帳 2019年04月16日
ブリテン島における新石器時代農耕民の起源
https://sicambre.at.webry.info/201904/article_26.html

 ブリテン島における新石器時代農耕民の起源に関する研究(Brace et al., 2019)が報道されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。ヨーロッパにおける初期農耕は、アナトリア半島起源の農耕民集団(エーゲ海集団)によりもたらされました。このアナトリア半島農耕民集団は、ヨーロッパで中石器時代以来の在来狩猟採集民集団とじょじょに混合していった、と明らかになっています(関連記事)。ただ、地域によっては混合・同化が早期に進行した、と推測されています(関連記事)。

 本論文は、ゲノム規模の解析により、ブリテン島における中石器時代〜新石器時代の人類集団の遺伝的構成を検証しました。年代は紀元前8500〜紀元前2500年で、中石器時代の6人と新石器時代の67人が対象とされました。ブリテン島における農耕の開始は紀元前4000年頃で、ヨーロッパ大陸部と比較して1000年ほど遅れています。まず明らかになったのは、中石器時代のブリテン島の狩猟採集民は、ヨーロッパ西部狩猟採集民集団と遺伝的に類似している、ということです。

 しかし、ブリテン島の新石器時代農耕民集団は、遺伝的にはおもにアナトリア半島農耕民集団起源で、中石器時代以降の在来の狩猟採集民集団との混合はほとんどなかった、と明らかになりました。また、ブリテン島の初期農耕民集団は遺伝的にイベリア半島の農耕民集団と類似しており、ブリテン島最初の農耕民集団が西岸で確認されることから、ブリテン島への農耕民集団の到来は、アナトリア半島からヨーロッパ中央部を経ての英仏海峡経由という最短の海路ではなく、より広大な航海距離を必要とする大西洋経路だったのではないか、と推測されています。

 また本論文は、石器時代におけるヨーロッパの人類集団の色素沈着水準も検証しており、かなりの多様性があった、と推測しています。1万年前頃のブリテン島の人類の肌の色は濃かった、と推測されています(関連記事)。しかし、ヨーロッパに農耕をもたらしたアナトリア半島農耕民集団の肌の色は中間的で、目は茶色だった、と推測されています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


英国の新石器時代のヒト集団の起源

 ブリテン新石器時代のヒト集団は、イベリアの新石器時代のヒトと共通の遺伝的類似性を有しており、これらの集団と現地の中石器時代の狩猟採集民との間にはほとんど混血が生じていなかったことを明らかにした論文が、今週掲載される。この知見は、地中海沿いの経路をたどった大陸の新石器時代の農耕民によって、ブリテン島に農耕がもたらされたことを示している。

 ヨーロッパ大陸の農耕は、エーゲ系の新石器時代の農耕民とともに、2本の主要な経路を通って伝来した。一方は地中海沿いの経路、もう一方はヨーロッパ中部を経由してヨーロッパ北部へ向かう経路である。この拡大する集団は、途上で現地の中石器時代の狩猟採集民と混血した。ブリテン島では、紀元前4000年頃に新石器文化が出現しており、これはヨーロッパ大陸の隣接地域で農耕への移行が起こってからほぼ1000年後のことであった。しかし、ブリテン新石器時代のヒト集団の起源は、これまでよく分かっていなかった。

 今回Mark G. Thomas、Ian Barnesたちは、ブリテン島で発見され、紀元前8500〜2500年と年代決定された中石器時代の6個体と、新石器時代の67個体に関して、ゲノム規模のデータ解析を行った。その結果、ブリテン新石器時代のヒト集団は主にエーゲ系の新石器時代の農耕民の血を引いており、イベリアの新石器時代のヒトに近いことが明らかになった。また、ブリテン中石器時代のヒトと流入したブリテン新石器時代のヒトとの間には、実質的な混血の証拠がほとんど認められないことも判明した。ブリテン島では、この血統の変化は農耕への移行と共に起こっていた。ヨーロッパの他の地域とは異なり、農耕への移行は、現地の狩猟採集民との間に見いだされる混血には影響されなかった。著者たちは、ブリテン島とイベリアの間で認められる新石器時代のヒトの遺伝的類似性は、大陸の農耕民が主として地中海沿いの経路をたどってブリテン島に移住したことを示していると主張している。


参考文献:
Brace S. et al.(2019): Ancient genomes indicate population replacement in Early Neolithic Britain. Nature Ecology & Evolution, 3, 5, 765–771.
https://doi.org/10.1038/s41559-019-0871-9


https://sicambre.at.webry.info/201904/article_26.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/295.html

コメント [政治・選挙・NHK275] 安倍首相、辞任の真相ーー河井夫婦1・5億円一部還流疑惑に新展開(Access-Journal)/再発したんじゃないんだ……! gataro
10. 2020年9月01日 19:33:00 : adhfTJCgIs : cEVIQ0svcXN0U0E=[230]
都合が悪くなるといつも病気になる。そのとおりである。
http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/472.html#c10
コメント [政治・選挙・NHK275] <拡散、お願いします >合流新党が大化けする変化の胎動(植草一秀の『知られざる真実』) 赤かぶ
6. 赤かぶ[94054] kNSCqYLU 2020年9月01日 19:34:10 : Etqgkm55TU : RGtULnlHMS9YdlE=[23899]

「一強と呼ばれる状況の反省と教訓を踏まえ、政治の流れを反転させていくきっかけを作っていきたい」と枝野代表
https://cdp-japan.jp/news/20200831_3361
2020年8月31日 立憲民主党

2020年8月31日 #枝野会見


 枝野幸男代表は31日、定例の記者会見を国会内で開き、安倍総理の辞意表明を受け、「誰よりも安倍総理ご自身が残念だろうと思いますし、お見舞いを申し上げ、1日も早くご快癒されることをお祈り申し上げたい」と語りました。その上で、「一強と呼ばれる状況を許してしまった反省と教訓を踏まえ、新党では結束、結集し、この機会をしっかりと生かして政治の流れを反転させていくきっかけを作っていきたい」旨述べました。

 記者からの主な質問とその回答(要旨)は以下のとおりです。

記者)
 安倍政権7年8カ月という長期政権でしたけれども、この長期政権を野党の立場から、枝野さん自身どう評価されているのか。良いところ悪いところ、どうだったのかということ。

 また、残された課題はどういうところにあって、それをどのようにして合流新党で問うて行きたいのかということが1点です。

 それともう1点、いま政治に求められているものとはどういうことになるのか。この安倍政権というのが終わるにあたって、そのお考え、政治に求められているものを教えてください。

 3点目です。国民民主党と立憲民主党の新党の結成間近ですけれども、安倍政権も終わるというタイミング、両党合流するというタイミングもあり、今後の政局、政権交代に向けて、どう臨んでいくのかも教えてください。

 最後に、この政局にも絡むのですが、解散総選挙の時期をどのように見ているでしょうか。

 1年後には任期も迫る中、立憲民主党として合流新党として、どのように対応していくのか。

 この4点について教えてください。

枝野代表)
 はい1点目の評価でありますが、個別のことを言えば、時間がどれぐらいあっても足りません。

 大きな構造として、私はバブル崩壊以降の新自由主義主義を加速をさせてきた、その流れ。

 それから第2次世界大戦以降の規格大量生産による経済成長路線。

 明治維新に始まるいわゆる近代化路線。

 この3つがタイミングを一にして、それ自体が必然かもしれませんが、なかなか従来の延長線上ではうまくいかなくなっているというのが、ここ10年15年の日本の置かれてる状況だと思っています。

 あえて申し上げれば、バブル崩壊以降、それまでの路線がうまくいってないという状況、その状況をなんとか現状維持するために無理を重ねた7年8カ月だったと受けとめています。

 無理を重ねた結果として、時代状況に合っていないわけですから、なんとか現状維持の形を作ろうとしながら、ひずみだけが拡大をしていったというのが、この7年8カ月だったと思っています。

 そういう意味では、時代状況という意味では、安倍総理の置かれた7年8カ月というのは、政権にとっては気の毒な時期だったと思っています。

 課題は、まさにその中で生じてきたひずみです。格差と分断、そして貧困。これが国内消費、個人消費の冷え込みを定常化させてしまっていて、日本経済と日本社会の活力を大幅に失ってしまっているというのが、日本社会の置かれている決定的な課題であると思っています。

 そしてその課題が、特に新型コロナ感染症の影響で、より顕在化しているのが今の状況であり、いま政治に求められているのは、まさにこの格差と貧困、分断を生みだしてきた経済運営、あるいは政治行政のあり方を転換をしていく。

 新自由主義的な発想から脱却し、過度な自己責任をあおる社会構造を転換させ、支え合い、分かち合い、そしてそれを支えるための機能する政府をしっかりと取り戻していくということが、政治に求められているものだと確信をしておりますし、そのことを力強く訴えていくことを通じて、3つ目の問いである政権交代に繋げてまいりたいと思っております。

 解散の時期については、解散権は内閣の専権事項であります。学問的解釈論として正しいかどうかは別として、自由裁量で内閣が解散権を行使できるという憲法解釈が定着していますので、解散権を持ってらっしゃる方にお聞きをいただくしかありません。

 私の立場からは、一番早いケースでの解散に常に備え続けるというのが受けて立つ立場としてやらなければならないことであり、現状では、10月25日投票という一番早い場合のケースを想定して準備を進めています。

記者)
 まず1点目は、日程に関して、新党の結党大会は9月16日以降というのが、2党2グループ4幹事長の今日現在の認識だと思いますけれども、9月16日以降ということだと思いますが。先ほど入ってきた速報ですと、9月14日月曜日に自民党総裁選をやりたいと。それから今日、幹事長会談で二階幹事長は言及しなかったそうですが、9月17日木曜日に臨時国会を召集したいという話があるようです。

 これは明らかに9月16日以降という結党大会の日程をある程度自民党の方も意識をして、そのような日程の情報という形になっているのではないでしょうか。

 国会対策委員長マター、幹事長マター、さらに上のレベルに来ている話かと思いますので、枝野代表として、今どのようにお考えかが1点。

 2点目は、報道の確認をさせてください。時事通信と、あと日本農業新聞などが、新党の代表に枝野さんが当確と昨日から今日にかけて報道しております。事実関係の確認をさせていただけますでしょうか。
 以上です。

枝野代表)
 はい。まず1点目の日程でありますが、すみません、それこそ幹事長マターで実務的に、合流をすることが決まっているわけですから、早い方がいいということの中で、実務的に両幹事長、あるいは、玄葉さんや小川淳也さんを含めて、相談をされる話であります。

 私の立場からは、安倍総理の辞意表明ということを受けて、早い解散の可能性、確率は、かなり高まっているということを考えると、できるだけ前倒しをしていただいて、早く体制を整えた方が望ましいと思っていますが、あとは幹事長間でお決めいただくことだと思います。

 2つ目は、報道は承知しているという意味では、その通りでありますけれども、私自身、合流にあたっての代表選挙、まだ有権者がどんな方になるのかということも入党の申し込み宣誓書を集めている段階ですし、選管は明日召集されるということで、そういう段階でありますので、いま具体的に代表選挙にどうするのかということを、私自身、確定的に申し上げる段階ではありませんので、ましてやそのような報道について、ちょっとコメントのしようがありません。

記者)
 更問一つと、合計2問にもなりますが、まず更問としては、9月16日よりも前の段階で結党大会をやってもらいたいという考え方も、いまおありかということが1点。

 それから2点目は、臨時国会は、首班指名だけでなくて、所信表明、代表質問、それから予算委員会ぐらいまではやるべきだとお考えか、以上です。

枝野代表)
 はい。1点目は、本当にこれは実務的な問題が大きいと思っていますが、できるだけ早い方がいいと。16日より早い日にできるのであれば、それは望ましいと一般論として思っています。ただ、本当に実務的な問題ですので、幹事長間でしっかりご相談をいただければと思っています。

 2つ目ですけれども、当然、新しい総理が選ばれて、新しい内閣ができれば、その内閣としての、安倍政権を事実上、そのまま継承するような政権になるのかもしれませんが、それでも総理が変われば、間違いなく別の内閣ですから、所信をしっかりとお示しいただくのは当然であるし、それについて質疑をするのも当然である。それは質疑と言ったら、本会議の代表質問であり、予算委員会であるのも、これはまた当然ですし、またわれわれは従来から、安倍内閣に対して、コロナ対策、あるいはコロナの影響による経済状況を踏まえた対策、そして水害など、これは、われわれの仲間がいろいろなところで指摘をしていますが、義援金などに対する差押えの除外というのが、個別の災害ごとに法制定しなければならなくなっています。

 現状では今回の熊本などをはじめとする水害に対する義援金は差し抑え可能になっています。こうした法改正が必要なものがあるのですから、しっかりと国会を開いて、必要な法改正、場合によってはコロナ対応などについても、そうした国会が召集されれば新しくなった政党として、さまざま具体的な提案ができるような検討準備も進めていますので、しっかりとコロナ対策、災害対策、経済対策について議論し、必要な法の審議ができるような国会を開くべきだというのは当然だと思っています。

記者)
 冒頭発言の中で安倍政権を振り返った中で、7年8カ月一強を許してしまった状況と反省を踏まえ、新しい政党をスタートすることになっているということですけれども、最初のNHKさんの質問とも若干かぶる部分ありますけれども、その新党、立憲民主党を解党して、新党結成に向けた抱負というところで「一強を許してしまった状況と反省踏まえ」というところを踏まえた上で、どのようにしていきたいかというところ。それから次期政権にどのように向かっていきたいかというところをまず教えてください。

 それと2点目ですが、先ほどの代表の発言でおそらくもう答え出てるのかなと思うのですが、一応、念のための確認ですが、新党に関して代表選への出馬表明というのは、いつごろを検討されてますかということを教えてください。

 それとですね、自民党総裁選が始まってしまったことによって、立憲民主党の結党大会ですとか、代表選がちょっとかすんでしまうのではないかという声もありますが、これについてはどのように向き合うのか。

 また、弊社の速報で9月16日に臨時国会召集で18日までという話を自民党が検討しているということもあります。結党大会とかぶりますが、どうしますか。

 あと、ごめんなさいもっといっぱいあるんですが。あと最後に、昨日放送のBS朝日の放送で、次期衆院選に向けた家計支援の経済策を、消費税減税も選択肢の1つとして含めて3つ挙げられました。改めて、その狙い、いつごろ打ち出すのか。それからどのように組み合わせていきたいのか、財源等をどのように考えているのか教えてください。

枝野代表)
 はい。今回の合流のプロセス自体が8年近くの反省と教訓を踏まえて、そして積み重ねてきた結果の一定の到達点だと私は思っています。ただ数を集めればいいということではない。しっかりと理念政策の共通認識を積み重ねていく中で、いまの政権に代わるもう一つの軸、あるいは旗というものを共有をさせて、そして大きなチームということで、政権を担えるような厚みがあるんだなということを感じていただけるチームを作らなければならないと。

 残念ながら2012年の暮れの選挙以降、歴代リーダーの皆さん、それぞれの状況の中でご努力をされてきましたが、なかなか客観情勢がそれを許してこなかった中で、今回この3年間、ある意味では残念な部分もありましたけれども、われわれも立憲民主党も、国民民主党に属されている方も、あるいはこの間無所属という形で政党に属さないことのいろいろ不都合・不便を感じながらやってこられた方も、しかもその中には中村喜四郎先生はじめとして、今まで政党の枠組みに入ってほとんど入ってなかった方、江田憲司さんのように、2009年非自民政権に対して大変厳しい立場、外側からおられた方をはじめ、あるいはこの間ずっと国会を離れておられたけれど、今回地元の災害ということで大変な力を発揮された熊本の矢上雅義さんとか、本当に厚みも従来以上に増したいい顔ぶれで、しかもこの1年間、共同会派の中で丁寧に積み重ねてきた理念、政策の共通認識を踏まえて、結党することができるのは一種の必然であるし、この8年余りのさまざまなアプローチというものが1つ、結集をしているのではないかなと思っておりますので、この枠組みとプロセスを大切にして、そしてここに多様な皆さんに集まっていただいているという、この多様性を大切にして戦っていけば、十分に政権の選択肢になりうると思っております。

 代表選挙については、先ほど申しましたが、代表選管も設置されておらず、日程も確定していない状況でございますので、そのことについて何か申し上げるのは、時期尚早ではないかと思っております。

 自民党の総裁選挙などとぶつかることによる影響は、いまご指摘あったような見方もありますが、プラス・マイナスいろいろな側面あるし、なんていうんでしょう、ポピュリズム的にですね、取り上げられるからやるとか取り上げられないからやらないとか、取り上げられるように何か奇をてらったことをやるとか、そういう性質のものではまったくないと思っておりますので、従来想定していた流れの中で、そして日程的には、その後ご質問があった通り、私のところにもそういう情報も入っていますので、そうしたことを総合勘案して、できるだけ前倒しをした方が望ましいけれども、あまり党の外側の状況に右往左往することなく粛々と進めていけばいいのではないかと思っています。

 現状の経済対策ということで、昨日、一昨日収録のテレビでも聞かれましたので、従来からあまり違ったことを言ってきていないつもりですけれども、消費を喚起しなければならないということ。

 それからこの間、拡大をしていた格差。低所得者の皆さんの生活を支えなければならないということ。そこに向けては、かなり思い切った対策が必要な状況であると認識をしています。

 思い切った対策として考えられるものとしては3つだろうと。

 1つは消費税について、税率を引き下げ、あるいはゼロ税率にするなどという形で、消費する際の税負担を軽くするということで、低所得の皆さんに対する配慮と、それから消費の喚起に繋がらないかというアプローチが1つ。

 それからもう1つは、やはり消費のボリュームゾーンである中間層を特にターゲットにして、年収が1000万、これも課税所得なのか額面所得なのかということで変わってきますので、そこまで精査をしての発言ではありませんが、中間層ぐらいまでの所得税を、このコロナによる消費低迷状況の中では免除するというようなこと。これは実は、やるときの手順、事務作業が少なくて済むと。それからボリュームゾーンである中間層に非常に明確なアプローチになるということで、これも一つの選択肢。

 そして3つ目は低所得の皆さんに対して、一番直接的な大きな支援になるのは、定額給付、これを制度化してしまうと。今回1回限り10万円ということで、現場の事務作業も短期間でということで混乱しましたが、これを制度化して、格差の問題が深刻な状況、あるいはコロナによる消費低迷というような状況が続いている限りは毎年やっていく。あるいは月1万円ということにして、3カ月ごとにお配りをするとかですね、制度にして時間かけて配れば、自治体などにご迷惑かけずに、実は一番直接的に低所得者の皆さんに恩恵をもたらすことができると。この3つのアプローチがありうると思っています。

 あとは選挙の時期、経済状況も社会状況も、それから政府側がどういう対応策を取るのかも、時々刻々変化する、まさに時間の関数ですので、この3つの利点、あるいはデメリットをしっかりと認識し、国民の皆さんとも共有をしながら、必要なタイミングでこの中で選択をしていったり組み合わせていくということだと思っています。

記者)
 話題が変わって大変恐縮ですけれども、国会議員の方が、今年4月の改正健康増進法の全面施行以降も法で禁じられている議員会館の事務所・自室で喫煙を繰り返していたという問題を、弊紙含めて報道しております。この問題について、党として調査あるいは注意喚起など、何か対応をとられることはありますでしょうか。

 またもう1点、加えてですね、枝野代表ご自身も喫煙者として知られておりますけれども、枝野代表ご自身が議員会館の自室で4月以降に喫煙をされていたかどうか教えてください。

枝野代表)
 はい。正直申し上げて、4月の法改正をした以降、厳密に運用していなかったということについては反省をしておりまして、いろいろなとこからご指摘いただいて、いましっかりとご指摘を受けないように、適切な対応をとっているところでございますが、おそらくそういう議員が多いと思いますので、党内的に周知を図ることをしたいと思っています。

記者)
 ありがとうございます。いまのお答えに関連してですね、どれぐらいの頻度で吸われていたのか、また、認識というお話もされていましたけれども、どうしてそういうことをしてしまったのか。

 さらにもう一点、やはりこの問題の根底には改正健康増進法で国会や地方議会などを議決機関として行政機関と区別してしまったところに、この問題の根幹があるのではないかと思っております。その辺りを教えてください。

枝野代表)
 はい。前半の話については、あまり言い訳をするべき性質のものではないと思っています。制度を明確に認識をして、厳格にそれを運用することについての認識が甘かったと反省をしているところでございます。

 後者については、その問題と直接繋がるのかどうか、またいろいろな見方あるのかなと思っています。

 やはりきちんと徹底、制度の理解として十分徹底されていなかったという側面も間違いなくあるので、そこは徹底しなければいけないと思っています。

記者)
 10月25日最速の総選挙に向けて、いま総裁選の有力候補とされている菅官房長官が、カジノ推進の旗振り役であったことにも注目して、カジノを次期総選挙の大きな争点にするお考えはあるのか、新党合流の目玉政策にする考えがあるのかということと、ちなみに横浜では今週金曜日からカジノに関する住民投票が始まって、当然関心は高いと思うのですが、カジノで菅さんのところに目玉候補をぶつけるとか言う、そういうカジノを争点にした選挙を考えられているのかどうかが1点と、同じようにコロナ禍で収益性が激減してる、乗客が激減しているリニアについて、これもリニア見直しも争点になるのではないかと思うのですが、現政権はこのまま推進する姿勢を変えていないのですが、このリニアについてのお考え、主要政策にするかどうか、2点をお伺いしたいんですが。

枝野代表)
 まず前段というか、全体について。自民党の総裁が誰になるかということ、そのことで最大野党の政策とか、打ち出しが直接右往左往するのは僕はよくないと思っています。
 実際に発足した政権が何をし何を訴えるのかということを見なければいけないので、いまはあくまでも自民党のコップの中の嵐に関わって、何か申し上げるのは適切ではないと思っています。

 それから、私はいま立憲民主党の代表として、カジノは党を挙げて反対ですし、特に神奈川、横浜では、そのことを高く掲げて活動を仲間たちもしているし、という認識は明確です。

 それからリニアについては、私は経済合理性とか、それから静岡県が環境問題などで反対をされてるということで、無理に進めていくことは困難であるという認識をしていますが、選挙でどう訴えるかは、新しい党ができて、新しい党の代表が選ばれないと、私がいまの立場、いまの時点で、次の選挙での目玉が何かということを申し上げることは、ちょっと先走りであり、僭越であると思います。

記者)
 総選挙の目玉政策をちょっと先取りした質問で失礼なんですが、先ほど、消費税減税についても選択肢の1つという趣旨の発言をなさって、いろいろ組み合わせて選択肢としてまったく否定していないと聞こえたのですが、一方で玉木代表は、党首会談で消費税減税について申し入れをしたけれど応じてもらえなかったと。非公式で党首会談しているので、実質的にやっていると思うのですが。これは新しい合流新党においても消費税減税は選択肢として残るという理解でよろしいのでしょうか。

枝野代表)
 何を選択するかとか、何を目玉にするとかというのは、新しい執行部が決まらないと。間もなく決まるのに、いまの時点で私が申し上げるべきではないと。ただ私が申し上げた3つの選択肢、所得税が実は目新しいのかなと思いますけれども、実は党内でも、これまでも議論をしてきたし、私自身も消費税含めて否定してきたことは一度もありませんし、従来から検討してるし、自民党の総裁選挙は、先ほど言ったように、こちらが右往左往してはいけませんが、しっかりとこれぐらいの3つを、大胆なことをやっていかなければならないよねという認識は、現行の立憲民主党の代表として申し上げてもいいかなと思いましたし、当然選択肢としてきちんとした前向きの議論をしていくことは、当然引き継がれるのだろうと思っています。

記者)
 まず経済対策についてですけれども、消費税については確認ですけれども、これはコロナ対策のための時限的な措置というお考えでしょうか。また下げ幅については、先ほどゼロも視野にということでしたけれども、現時点でどの程度の下げ幅が望ましいとお考えでしょうか。

 また、打ち出し方についてですけれども、例えば新党の結党時に政策の柱に掲げたり、ないしは衆院解散総選挙と仮になった場合に、このタイミングで打ち出されたりする考えはありますでしょうか。これがまず1点です。

 もう1点は、先ほど早期解散の可能性が高まっているというご発言ありましたけれども、選挙の候補者ですとか政権構想の準備など、現段階でどのような準備を進められるお考えでしょうか。以上、お願いします。

枝野代表)
 1点目については、いつも申し上げている通り、政治は時間の関数ですので、同じことを同じように言っても、発信するタイミングを間違えればまったく伝わらないし、逆にいいタイミングで発信するからこそ、より多くの皆さんに共鳴していただくということがあるので、いま前段の消費税についてのお尋ねについては、まさに時間の関数を見ながら、もちろんこれだけではないので、お示しをした3つの選択肢を比較しながら、一番適切なタイミングで適切なものを打ち出していくのが望ましいと私は思っています。

 2つ目、政権構想とかですが、すみません、これは新しい党の執行部が選ばれた段階でお尋ねいただかないと、新しい党としての政権構想の準備云々ということは答えようがないんだと思いますが、私は現時点で最大野党の党首という立場で、政権選択選挙になった場合の政権構想、その他についての準備は十分に進めてきています。

 ただし、いつどういうタイミングでどう打ち出すのかということは、まさに時間の関数、選挙時期がいつになるのか、早ければ10月25日だし、遅ければ来年の9月かも知れないという1年もの幅があるという状況の中で、いま具体的に政権選択選挙をどう戦うのかと先にこちらが手の内をさらすと、ただでさえ野党の方が、いま勢力が小さい弱い側が先に手の内をさらすということはあり得ないと思っています。

記者)
 消費税減税は時限的な措置かどうかについては

枝野代表)
 私が先ほど申しました通り、1つにはコロナ対策としての消費喚起と、もう1つは、この7年8カ月というよりも、むしろこの2、30年、格差と貧困を拡大させてきてしまったと。両面での経済対策が必要だと思っています。その上で、今の点も含めて、さまざまなバリエーション、選択肢もありうると思っています。いま1つに絞る必要はないと思ってます。

記者)
 安倍総理の大きさ、それから長く続いたこと、これについて、やはり多弱野党がアシストしたという人がいますが、私はむしろ、やはり桁外れに強いキャラの立った、もう本当に強い総理だったんじゃないかと、率直にいま思っているのですが、それはどうご覧になりますか。

 あわせて、感じることは、ある意味で大投手とか大横綱ですね無敵の。それが体壊してボロボロになってやめると。ある種のそういうような国民の間にちょっと、好き嫌いは超えて安倍ロスっていうのでしょうか、私はそういうものも実は感じるぐらい、やはりこの総理は強くて大きな存在だったと。逆にいうと、これほどの人はもう出てこないと、なかなかですね。私はそう感じているのですが。逆にいうと、それならばやはり野党も戦いようがあるのではないかと、率直に私は思うのですが。

 安倍総理について国会で戦ってこられたけれど、やはりなかなか手ごわい強い、そういうことも含めて、もしかして枝野さんの中にも、安倍ロスみたいなものがあるのではないかと思ったのですけれど。

 私は実はそういうのを感じているのですけれど、伺いたいです。

枝野代表)
 1点目ですが、7年8カ月という過去最長の長期政権になったということの原因は、当事者として野党側が、これは特に前半の数年間は、下野をしたというそのプロセスから、その影響から、やむを得なかった部分もあるのですが、野党側の一因も、1つの要因であると思いますが、例えば総理としてのキャラクターであるとか、訴える政策であるとか、それが時代状況と合致している方かどうかとか、あるいはさまざまな偶然の要素とか、本当に多様な要素が全部絡まっていることなので、それは現役の政治家として私が何か申し上げる種類のものではないと。政治学者、政治史学者さんの分野だと思っていますので。

 それから後者については、政治的な立場を異にしますし、7年8カ月もやったじゃないかという見方もあるかもしれませんが、それでもやはり健康が理由で辞めざるを得なかったということについては、私は率直に同情しています。立場が違っても、本当は論戦や選挙を通じて退陣に追い込むということをしたかったと思っていますし、健康状態でということは、ご本人が何よりも残念だっただろうなと、そこは同情しています。

記者)
 前回の会見でお願いしていた都知事選の惨敗のこと、都連に総括してありますということで、都連の総括からの報告をお願いいたします。枝野さんを通じて。

 それから石垣さんのツイッターの件ですけども。これ、要するに石垣さんがツイッターを最終的に返したことでおしまいにしてよろしいんでしょうか。会見等して、きちんとやるべきだと思うんですよ。というのは、9.11のときに社会党の原陽子さんが「ざまあみろ」と言った、そういったこともあるし、こういったことも彼女はですね、ディスクジョッキーとかやっていたので、それは知ってると思うんですよ。そういった勉強もしていないで、あのようなことを言うのは非常によくない。

 さらに最近になって言えば、森喜朗さんが真央ちゃんはいつも肝心なときに転ぶと言って、非常に非難されたんですけど、そういったことが分かっていたと思うのですけど、それについて、きちんと会見をやらせてほしいんですよね。はっきり申し上げて、立憲民主党はトラブルになったときに、青山さんしかり、初鹿さんしかり、会見もしないで、中途半端で終わってます。これ公人として、よろしくないと思うのですけど、どう思いますか。

枝野代表)
 1点目については、私がご報告すると約束をしたつもりはありません。地方選挙ですので、それぞれの都道府県組織に聞いていただきたいと思います。

 2つ目については、同じようなことを自民党にも言っていただきたいと思いますが、わが党としては、石垣議員に対して参議院会長と党の幹事長とで、さらにしっかりとした対応すると報告を受けていて、この2人に対応を任せています。以上です。

記者)
 先ほど枝野代表、政権構想について、次の総選挙に向けて準備は十分にしているということをおっしゃったと思うのですけれども。それと同時に、候補者調整、これまでもずっとやってきているプロセスの中ではあると思うのですが、いくつかその立憲と国民の候補がかぶってるところもあったりする中で、新党合流されると。

 この候補者調整とか、他党がどのような感じになっていくのかまだわからない中ですが、他党との連携。あと新党になるということで人事等も選挙に向けてあると思うのですけれども、選挙が一番早いタイミングになった場合に、それらの準備を急ピッチに進めていく必要あると思うのですが、その準備状況をどのように考えていらっしゃるか、お願いします。

枝野代表)
 候補者の擁立と調整については、バッティングしてるところは数限られています。1つの党になれば1人にするしかないわけなので、客観的な、受け止めていただけるような手法で党が1つになれば速やかに対応するということは、誰がどうやってもそれしかないと思っています。

 むしろ空白区をどれぐらい力を合わせることによって埋めていけるのかということについては、若干時間があった方がありがたいなとは思っていますけれども。合流をきっかけにして、それならということで頑張ろうという声は水面下ですでに出てきていますので、できるだけ空白区を埋められる努力は、新しい党になったら進めていかなければならないだろうと思っています。

 選挙が早いかもしれないということに合わせて、前倒しできるものは前倒しした方がいいのですが、相手もあることですし、それからあまり右往左往しても仕方がない。10月25日投票で選挙があるかもしれないと、今年の年初めぐらいから言っていたと思うので、そのことについては、選挙などに関わるメンバーは、だいたい共有、これまでも党が違っていてもしていたと思っていますので。あまりバタバタすることなく、ただ前倒しできる日程は前倒しして、できるだけ準備の期間をとるということでいいのではないかと思ってます。

記者)
 石垣参議院議員の件で追加でお話、ご質問させていただきます。石垣先生ですけれども、28日の安倍総理に対する発言以外にも、過去には嘉悦大学の高橋洋一先生に対してレイシストと決め付けるなど、立憲民主党が掲げている理念と反するような言動が過去に多かったかなと思っております。石垣さんなんですけれども、代表としては立憲民主党の国会議員としてふさわしいという認識がありますでしょうか。

 また党の規約で党の名誉および信頼を傷つける行為に相当する場合は処分するという規約で決められていると思うのですけれども、これについてはいかがでしょうか。

枝野代表)
 今回のツイートに対する認識はもうすでに申し上げている通りであります。
 それを踏まえての対応については、先ほど申しました通り、党の幹事長と参議院会長にいまお任せをしています。

記者)
 共同通信さんの世論調査では、次期衆院選比例代表の投票先として自民党が48%、立憲民主党が11.6%となっており、国民民主、共産、社民を足しても4野党で20%に届いていない現状のようです。国民民主党の合流を控えたいま、野党に何が望まれているとお考えでしょうか、お聞かせください。

枝野代表)
 申し訳ありません。個別の世論調査には反応しないと。ましてや今回、定例の共同さんの世論調査と聞く順番とか聞き方とか違っているので、実は比較のしにくい調査になっている。それを前提にした質問には、申し訳ありませんが、お答えできません。

記者)
 先ほどの石垣さんのことについて追加でお尋ねします。一応声明は出されたのですけども、その文面を読めば真摯な反省というよりも総理をそのまま働かせていた自民党とか、政府に責任があるのではないかというような、何て言うか、居直りみたいな感じの文面なんですよね。先ほど代表がおっしゃいました、先ほどの質問に対しても、自民党に聞いてくれというような返し方というのは、とどのつまり、一番の問題というのは、立憲民主党の議員が病気の人に対してどういう意識を持っているのかっていうことが問われていて、これに対して世論が怒っている状態なのに、こういうふうなやり方、返し方っていうのはどうなのかなって、やっぱりちょっと疑問は思うんですけれども。そもそも難病の患者について御党はどうお考えなんでしょうか。

枝野代表)
 先ほど申し上げたのは、自民党議員の同種の、私から見ればもっとひどい失言に対しても同じように自民党に問いただしてくださいねということを申したので、今回のことについて申し上げたものではありません。

 今回のことについての私の認識は、すでに申し上げている通りであり、それに対する対応は参議院会長と幹事長にお任せをしています。しかるべく更に対応されると思います。

記者)
 これまでの質問と関連するのですけれども、今回、自民党の総裁選について、菅・現官房長官であったり、岸田政務調査会長などの名前が挙がっております。この顔ぶれをどう評価するのかということが一つ。

 現在、自民党では党員投票はせず、両院の議員によって選出をしようと方向で調整が進められていますが、このことについてどう捉えるのかということと、新合流新党についても、両院の議員で投票して代表を選出しようという流れになっていますが、これは両党の党員とかパートナーズとかいらっしゃいますが、その方との扱い、自民党とも比べて、どのように考えているのかということが一つ。

 それと安倍政権7年の振り返りで、もう少し具体的に教えていただきたいことが、バブル以降の経済のひずみという話もありましたが、安倍政権では、安保法制であったり、特定秘密保護法であったり、森友加計問題であったり、世論を二分するような話題も多かったです。そのことをどう評価するのか教えてください。

枝野代表)
 1点目ですけれど、自民党はどなたを総裁に選ぶのか、現状では結果的にそれが内閣総理大臣決定に結びつくわけですから、それは国民的な関心事項ではありますが、それは自由民主党という組織のお決めになることなので、決め方も含めて。それは党外の人間である私が、そこに手を挙げている、手を上げようとしてらっしゃる方について、コメントする立場ではありません。誰かが自民党総裁に選ばれたときに、その方が総理としてふさわしいかどうかということについて、お尋ねをいただければと思います。

 それから決め方についても、それは自由民主党の内部的な話ですので、そのことを私が直接コメントする立場にはありません。

 新しい政党の代表選挙については、残念ながら、立憲民主党と国民民主党では党員の資格要件とか、党費であるとか、それからわが党にはないサポーター制度というのが国民民主党にあって、それも国民民主党の中では投票権を持っていたということとか、それぞれの代表選挙の規定ルールが違っているとか、これを全部整理集約して、党員の資格が、例えば党費が違っている条件で一律に投票するとか、民主主義の手続き論としてありえませんので、そうすると1年か1年半ぐらい代表選挙できないということになる中で、やむを得ない措置ということで、幹事長間で合意をしたと承知をしています。

 ただ、党員やパートナーズの皆さんには大変申し訳ないと思っています。
 (振り返りについて―)別に辞めることになったからといって改めて申し上げる話ではない。過去にその都度申し上げてた話だと僕は思ってますけど。むしろお辞めになった機会に7年8カ月を検証するのは、メディアとか評論家とか学者さんのお仕事で、われわれはその都度、それについてしっかりとしたスタンスを示してきたし、大きな構造的な問題は冒頭に申し上げたので、私はこの局面でこの7年8カ月の間の個別のことについてコメントするのは政治家としては僕はちょっと違うんじゃないのかなと。

 むしろ、われわれがやるのは、いつどういう形で間違った選択をしたことを変えていくことができるのか、そのプロセスをどう描くのかというのが私たちの仕事だと思ってます。

記者)
 立憲民主党最後の記者会見になるかもしれませんので、3年前、結党の経緯で1点伺わせてください。赤松広隆さんの存在に関して、3年前、どうでしょう。赤松さんから「枝野、立て」の電話がなければ、ひょっとすると立憲民主党、議員会館でそれを電話をして、ホテルニューオータニで枝野さんが1人で記者会見をすることは、ひょっとすると、なかったということがありうるのか。赤松さんはどうでしょうか、ある意味、立憲民主党のキングメーカーというか、結党そのものに関する父のような感じが私はしていたんですけれども、赤松初代最高顧問で、翌日に衆議院副議長、選挙中には一度もお会いになられていないかと思いますけれども、赤松さんの「枝野、立て」の電話がなければ歴史は変わっていたでしょうか。

枝野代表)
 結党時の経緯については毎日新聞さんが『枝野幸男の真価』という本をお書きになっていて、それをお読みいただければ、ほぼ私、当事者としては客観的に書かれているなと受けとめていますので、それをお読みいただければと思います。

記者)
 先ほどの石垣議員のツイッターの問題ですけれども、実務的に党内で参院会長や幹事長に任せるという趣旨はわかるのですけれども、これだけツイッターでトレンド入りするなど、かなり批判や憤りの声が出ている中で、もう少し党の代表としての考え方というか、ツイッターで代表が謝罪されていたりしたところもあったと思うので、もう少しコメントをいただければと思うんですけれども。

枝野代表)
 金曜日に申し上げましたし、繰り返す性質のものではないと思っています。

記者)
 安倍さんは6回にわたり国政選挙を勝ってきたわけで、その方が辞めて、自民党がどのようなトップになろうが、すでに総選挙から3年を過ぎているわけですから、野党としては臨時国会でそれなりの政権ができた後は速やかに解散をして、国民に新たにできた政権について信を問う、そういう姿勢で臨んでいくんだと。逆に言うと、国民はそれが望んでいるんじゃないかと私は思うんですが。もちろん解散権は向こうにあるわけですが、そういう立場で解散を求めていくことになるでしょうか。お考えを伺いたいです。

枝野代表)
 先ほどもちょっと冒頭のところで申し上げました通り、日本の衆議院の内閣による解散権というのは、本来的な制度的、憲法制定時の制度的な意義と、実際に憲法慣習法で積み重ねられてきた運用とが大きくずれてしまっているので、私はこれについては余りコメントしません。そもそも解散という制度自体が歪んでいると思っているので。憲法論として。

記者)
 さっきのちょっと追加になりますけれども、そうしますと、都知事選に関しては、都連に総括してありますということで前回終わってるんですよね。都連の方に聞けばよろしいでしょうか。

枝野代表)
 はい。都連がどういう形で総括しているのか含めて承知しておりませんが、都連にお尋ねください。

記者)
 はい。それから、その次の問題、石垣さんの問題も、あの二人に聞けばよろしいということでしょうか。

枝野代表)
 そうです。

記者)
 それから、もう1つちょっと別件ですけれども、9月3日の午後5時までに入党宣誓書ですか、それを出せということでしたね。サンプル的なものは有田芳生さんに見せてもらいまして、衆議院・参議院に丸つけて名前を書くということなんですけども。ここで1つ問題があるのは、須藤元気さんが離党をずっと言ってるんですけども。彼が、そこで、仮の問題になって申し訳ないんですけども、出さなかった場合というのは、これどういう立場になりますでしょうか。

枝野代表)
 むしろそれは、この間の4幹事長のところで聞いていただいた方がいいんだと思いますが。すみません、私は推測するしかないんですが、いま立憲民主党に普通の状態で在籍している方であれ、国民民主党に在籍している方、無所属の方であれ、出さない方がいらっしゃれば、その方は新党に入られないという判断だということになります。

記者)
 原発エネルギー政策についてお伺いしたいんですが、原発ゼロの綱領は変えないということを強調、繰り返す一方で、共有理念ペーパーを先週木曜日に発表されるという動きがあったんですが、これ以上何か合流新党の議員の数を増やすために、何らかの対応をするお考えがあるのかないのかというのが一点と、3年前の2017年の総選挙のときを思い返すと、あのときは民進党解体、希望合流の際に、原発ゼロを掲げた希望の党に、民進党全議員が合流するというのが、両院議員総会で反対なしで了承されたということからすれば、今回原発ゼロの綱領にクレームをつけている民間労組の議員の方も、そのとき何ら発言しなかったわけですから、今回もすんなり合流してもいいかなと思うんですが。この3年前との比較について、2点お伺いしたいんですが。

枝野代表)
 後者については私はお答えする立場ではないと思います。

 前者についても、何かいろいろなこういう目的で共有する理念というのを出したんだと、推測をされている方がいらっしゃるし、連合のお考えがどういう考えだったのか、私が申し上げる立場ではありませんけれども、もともと、ずっと8月9月に向けて、政調会長間、場合によっては幹事長も入り、時には党首も入り、という中で積み重ねてきた結果を発表したものであって、当然のことながら党の綱領は党の綱領であって、わが党にはわが党の綱領があり、連合には連合のお立場がある。それは連合に限らず、外部の応援していただく個人であれ団体であれ、それは党の考え方と100%一致している個人も団体もいるはずないのですから、そこで共有する理念ということになれば、綱領と違う表現がたくさん出てくるのは当たり前であるし、例えばそれこそ、なんであのとき産経新聞さんから指摘されなかったのかなと思うのですが、労働運動ですから当然のことなんですが、外交安全保障も何も書いてません。ですから性質が違う文書ですから、ということです。

記者)
 特に何も原発政策について対応はとるお考えは

枝野代表)
 党の考え方は綱領で示した通りです。

記者)
 合流新党に関してお聞きいたします。今日の会見の中でも政権交代直前の規模になると。政権交代に対する意欲というのは、代表の方からにじんできたかなと思うのですけれども。

 テレビなので、ちょっとご覧になっているかどうかあれなんですけれども、日曜のTBSテレビで半沢直樹というドラマがあるのですけれども、今回の合流新党を立ち上げたことで、次の総選挙で与党に対して「倍返し」という自信はありますでしょうか。

枝野代表)
 うちの家族は、私以外、見ているのですが、私は見ていないので、ドラマの中でその言葉がどういうニュアンスで使われているか、よく分からないので。ちょっと警戒して、使うのやめておきます。すみません。

 ただ、そもそも民主主義というのは、ときに政権交代が起こらなければならないし、同じ政党の中で顔が変わっても、それは政権交代とは言わないというのは、日本を除く先進民主主義国家では常識であると。日本においてもその常識を常識にするためには、われわれが遠からず政権を取らなければならないという強い責任を感じています。



http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/474.html#c6
コメント [政治・選挙・NHK275] 「密室談合」による菅官房長官の次期総理就任を許していいのか! GoTo、沖縄いじめ、公文書改ざん、メディア圧力の最大の戦犯(… 赤かぶ
8. 地下爺[12497] km6Jupbq 2020年9月01日 19:35:56 : tu6SpoHmCg : Y1JnTi5SaUdrdTI=[151]


  お言葉 を 返すようですが 今の日本は 民意が反映される

  仕組みが 機能 していません。



        改憲するとすれば まず そこでしょう!!



  首相の公選制 とか 色々 手はあると思います。

  我が国は 一応 民主主義の体 をなしていますので

  みんなが 選挙に 行き。

  1.自民+公明+維新+希望+他
  2.電通を頂点とするダマスゴミ      <<<<ーーー NO
  3.官僚を頂点とするお役人システム

  を 突きつければ 変わります。

  ご領主様は 狡猾ですが 無理は なさいません。
 

  そこだけは 信じても良いと思います。


  ながーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーい 戦いが 続きますが

  諦めないで 頑張りましょう!!


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

忌野清志郎 - JUMP
https://www.youtube.com/watch?v=6O9CqBrPOYM




 JUMP

 作詞:忌野清志郎・三宅伸治
 作曲:忌野清志郎・三宅伸治

 夜から朝に変わる いつもの時間に
 世界はふと考え込んで 朝日が出遅れた
 なぜ悲しいニュースばかり
 TVは言い続ける
 なぜ悲しい嘘ばかり
 俺には聞こえる

 Oh 荷物をまとめて 旅に出よう
 Oh もしかしたら君にも会えるね
 JUMP 夜が落ちてくるその前に
 JUMP もう一度高く JUMPするよ

 何が起こってるのか 誰にもわからない
 いい事が起こるように ただ願うだけさ
 眠れない夜ならば 夜通し踊ろう
 ひとつだけ多すぎる朝
 うしろをついてくる

 Oh 忘れられないよ 旅に出よう
 Oh もしかしたら君にも会えるね
 JUMP 夜が落ちてくるその前に
 JUMP もう一度高く JUMPするよ

 世界のど真ん中で
 ティンパニーを鳴らして
 その前を殺人者が パレードしている
 狂気の顔で空は 歌って踊ってる
 でも悲しい嘘ばかり 俺には聞こえる

 Oh くたばっちまう前に 旅に出よう
 Oh もしかしたら君にも会えるね
 JUMP 夜が落ちてくるその前に
 JUMP もう一度高く JUMPするよ
 JUMP 夜が落ちてくるその前に
 JUMP もう一度高く



http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/473.html#c8
コメント [政治・選挙・NHK275] <拡散、お願いします >合流新党が大化けする変化の胎動(植草一秀の『知られざる真実』) 赤かぶ
7. 赤かぶ[94055] kNSCqYLU 2020年9月01日 19:37:07 : Etqgkm55TU : RGtULnlHMS9YdlE=[23900]


http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/474.html#c7
コメント [政治・選挙・NHK275] <ポスト安倍 密室談合に国民はア然>そもそも菅には立候補の資格などなし(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
32. 2020年9月01日 19:37:27 : xDr5qbR08c : RDdLZjAvVy5yN0U=[2]
>そもそも菅には立候補の資格などなし

 これに気づいている国民は、どれほどいるの?
 ねっ! バカ国民ばかりで、アベのようなアホが首相になれるんだよ。

 とことん追い詰められないと、バカ国民どもいは分からないようだ。
 それだけ真実を知った人たちの受難の日々は続く。
 
 あとどれくらい、日本のバカ国民どもが真実に気付くまで、幾星霜の時間を費やさねばならないのか。
 本当に真実を知っている者には、地獄のような時間だ。

 自分が一抜け出来るのならば、バッカ者がと高みの見物もできるのだが、同じ時代の生活者としてはそうはいかない。

 いつになったら気づくんだ? バカの悟りが遅い所為で、巻き添えを喰いたくはない!!!
 
http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/470.html#c32

コメント [政治・選挙・NHK275] 安倍首相、辞任の真相ーー河井夫婦1・5億円一部還流疑惑に新展開(Access-Journal)/再発したんじゃないんだ……! gataro
11. 命を大切に思う者[3501] lr2C8JHlkNiCyY52gqSO0g 2020年9月01日 19:37:54 : eFqWXkJUZ6 : TUJZMW9zSGR1L1E=[18]
> 河井夫婦1・5億円一部還流疑惑に新展開(Access-Journal)/再発したんじゃないんだ……!

還流はしてると思うよ。
警察がわざと見逃してるだけで...
それで、その、還流疑惑の「新展開」に興味を持ったから読んでみたのだけど、
どこにも書かれていないんだけど...
新展開の話はどうした?

因みに、仮病であることを証明できなくても、
本当に重病であろうが仮病であろうが、
安倍は、5〜8月の4ヶ月間、
コロナ収束のための法改正(コロナ検査を保健所の許可不要にする改正)をやらないくせに、
それをやるやらないを決める権限を手放さずにしつこく握り続ける、
という暴挙を続けて来たのだから、
ウィルス拡散テロと大量虐殺の罪で処罰しないといけないのです、たとえ重病でも...
重病でも、その権限を手放すことはできた筈だろう。 

http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/472.html#c11
コメント [政治・選挙・NHK275] <ポスト安倍 密室談合に国民はア然>そもそも菅には立候補の資格などなし(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
33. 2020年9月01日 19:39:18 : xDr5qbR08c : RDdLZjAvVy5yN0U=[3]
○ バカ国民どもには分からないようだ。
× バカ国民どもいは分からないようだ。
http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/470.html#c33
コメント [政治・選挙・NHK275] <拡散、お願いします >合流新党が大化けする変化の胎動(植草一秀の『知られざる真実』) 赤かぶ
8. 赤かぶ[94056] kNSCqYLU 2020年9月01日 19:39:47 : Etqgkm55TU : RGtULnlHMS9YdlE=[23901]


http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/474.html#c8
コメント [政治・選挙・NHK275] <拡散、お願いします >合流新党が大化けする変化の胎動(植草一秀の『知られざる真実』) 赤かぶ
9. 赤かぶ[94057] kNSCqYLU 2020年9月01日 19:41:42 : Etqgkm55TU : RGtULnlHMS9YdlE=[23902]


http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/474.html#c9
記事 [近代史5] バイカル湖地域人の起源
バイカル湖地域人の起源


雑記帳 2020年05月27日
バイカル湖地域における上部旧石器時代から青銅器時代の人口史
https://sicambre.at.webry.info/202005/article_38.html


 シベリア南部のバイカル湖地域における上部旧石器時代から青銅器時代の人口史に関する研究(Yu et al., 2020)が報道されました。『サイエンス』のサイトには解説記事が掲載されています。この研究はオンライン版での先行公開となります。シベリアのバイカル湖地域には上部旧石器時代以来現生人類(Homo sapiens)が居住しており、豊富な考古学的記録があります。過去5年間で、古代ゲノム研究により、バイカル湖地域の人類集団における遺伝的変化と混合が明らかにされてきました。

 24000年前頃となるシベリア南部中央のマリタ(Mal’ta)遺跡の1個体(MA1)に代表されるのが「古代北ユーラシア人(ANE)」で(関連記事)、旧石器時代にはシベリア全域に分布しており、多くの現代ユーラシア人とアメリカ大陸先住民に遺伝的影響を残しました。以前の研究では、ANE系統はバイカル湖地域では前期新石器時代に現代のアジア北東部人にほぼ置換されたと推測されており、ANE系統を間接的に有する集団の拡大による、前期青銅器時代におけるANE系統の「再起」は限定的でした。

 シベリアはまた、アメリカ大陸への拡散の複数回の波の起源地としても提案されてきており、その最初は25000〜20000年前頃に形成されたと推定されている創始者集団によるものでした。いわゆる古代ベーリンジア(ベーリング陸橋)系統は、11500年前頃のアラスカの1個体(USR1)に代表され、この創始者集団の一部で、他のアメリカ大陸先住民系統とは23000年前頃に分岐した、と推定されています(関連記事)。シベリア北東部で発見された9800年前頃のコリマ(Kolyma)遺跡の個体(Kolyma1)は、アメリカ大陸外では最も密接にアメリカ大陸先住民集団と関連しています(関連記事)。

 古エスキモー系統を代表するグリーンランドの4000年前頃のサカク(Saqqaq)遺跡個体は、シベリア北東部集団と分岐し、アメリカ大陸北極圏に6000〜5000年前頃に移住してきた、と推定されています。これらの移住の波は遺伝的に古代シベリア人集団と関連していますが、シベリア人の遺伝的歴史の文脈におけるその起源はまだよく理解されていません。アメリカ大陸先住民集団の形成をよりよく理解するには、古代ゲノムを用いてのシベリア人集団の歴史のさらなる研究が重要です。

 ユーラシアにおける新石器時代から青銅器時代への移行は、広範な集団移動により促進された複雑な文化的および遺伝的変化により特徴づけられますが、バイカル湖地域におけるその影響はまだ不明確です。西方では、ヤムナヤ(Yamnaya)文化と関連したポントス-カスピ海草原(中央ユーラシア西北部から東ヨーロッパ南部までの草原地帯)からの前期青銅器時代集団が東西両方に拡大し、「草原地帯系統」と呼ばれる遺伝的影響を及ぼしました。この集団の東方への拡大は、前期青銅器時代にアジア中央部で栄えたアファナシェヴォ(Afanasievo)文化と関連している、と考えられています。

 しかし、ユーラシア草原地帯中央部の中期青銅器時代のオクネヴォ(Okunevo)文化関連集団は、草原地帯東部の後期青銅器時代のフブスグル(Khövsgöl)関連集団と同様に、草原地帯系統の割合は限定的です(関連記事)。したがって、ユーラシア東部における草原地帯系統の移住の効果、とくに青銅器時代バイカル湖地域の狩猟採集民と同時代の地理的に近いアファナシェヴォ集団との相互作用は、まだほとんど調査されていません。

 本論文は、上部旧石器時代から前期青銅器時代にいたる、バイカル湖地域とその周辺地域の狩猟採集民19人の新たなゲノム配列を報告します。それらを既知のデータと比較すると、上部旧石器時代シベリア人およびアメリカ大陸最初の人々と関連する最も深く分岐した系統が明らかになり、バイカル湖地域における前期新石器時代と前期青銅器時代の集団間の複雑な移行がより明確になります。また本論文は、前期青銅器時代のバイカル湖地域におけるユーラシア西部草原地帯集団の影響を示す、人類と病原体ゲノムの証拠も提供し、バイカル湖地域狩猟採集民のシベリア人集団への経時的な遺伝的寄与を議論します。

 より具体的には、この研究はバイカル湖地域の計10遺跡の19人の新たなゲノム規模データを生成し、既知の古代および現代のデータと比較しました。19人の内訳は、上部旧石器時代が1人(14050〜13770年前頃)、前期新石器時代が4人(7320〜6500年前頃)、後期新石器時代から前期青銅器時代(LNBA)が14人(4830〜3570年前頃)です。網羅率は0.04〜2.07倍です。性染色体と常染色体の網羅率の比較から、4人が女性で、15人が男性と明らかになりました。19人の間で親族関係は見つかりませんでした。


●人口構造

 主成分分析では、バイカル湖地域のほとんどの個体は、古代北ユーラシア人(ANE)と北東アジア人(NEA)の間の勾配に位置します。NEA系統は7700年前頃の朝鮮半島に近いロシア沿岸地域の悪魔の門(Devil’s Gate)遺跡個体群(関連記事)に、ANE系統は上述のシベリア南部中央のマリタ遺跡の上部旧石器時代の1個体(MA1)やアファナシェヴォ文化の2個体(AG2およびAG3)に代表されます。

 本論文で新たに報告された19人のうち、上部旧石器時代の1個体はバイカル湖南部のウスチキャフタ3(Ust-Kyahta-3)遺跡で発見されました。この個体(UKY)は、9800年前頃となる中石器時代シベリア北東部のコリマ(Kolyma)遺跡の個体(Kolyma1)と近く、PC2軸では他の古代バイカル湖地域個体群と比較して、アメリカ大陸先住民集団の方へと移動しています。新石器時代4個体は全員、バイカル湖地域の既知の前期新石器時代個体群とクラスタ化し、「バイカル湖地域前期新石器時代(EN)」集団とまとめられます。

 後期新石器時代から前期青銅器時代(LNBA)の個体群は4集団に区分されます。主要な「バイカル湖地域LNBA」集団は10人で、バイカル湖地域EN個体群と比較してANE関連個体群とより近く、古エスキモーのサカク(Saqqaq)遺跡個体とも同様に近くなっています。グラズコヴスコエ(Glazkovskoe)遺跡の2個体(GLZ001およびGLZ002)は同遺跡の他個体(GLZ003)とは異なり、主要クラスタから移動し、悪魔の門遺跡およびバイカル湖地域EN個体群の方とより近い遺伝的類似性を示します。カチュグ(Kachug)遺跡の6個体のうち1個体(KPT005)は、PC1軸ではバイカル湖地域LNBA集団からかなりずれてユーラシア西部人の方に動いており、ANE-NEA勾配ではなく、もっと後の青銅器時代集団に向かってなので、草原地帯関連系統の遺伝子移入の可能性が示唆されます。バイカル湖地域の西方に位置するエニセイ川地域のバザイハ(Bazaikha)遺跡の1個体(BZK002)は、顕著にANE関連系統へと移動しており、オクネヴォ文化と関連する既知の青銅器時代個体群の近くに位置します。

 ADMIXTUREでも主成分分析と同様のパターンが示されました。前期新石器時代から青銅器時代のバイカル湖地域集団では、既知の個体群も本論文で新たに報告された個体群も全員、ANE関連個体群とNEA集団とウラル語族集団のガナサン(Nganasan)集団に代表される中央シベリア人という主要な3構成でほぼ示されます。ANEおよび中央シベリア系統は、ほとんどのLNBAバイカル湖地域個体群において前期新石器時代個体群よりも高い一方、GLZ001およびGLZ002はより高いNEA系統を示し、前期新石器時代集団と類似しています。エニセイ川地域のバザイハ遺跡の1個体(BZK002)は、既知のオクネヴォ文化集団と類似しており、他のバイカル湖地域個体群と比較して、ANE系統がずっと多くなっています。KPT005には、ヨーロッパ西部狩猟採集民(WHG)系統からの寄与がかなり見られ、おそらくは西方からの遺伝子流動により獲得されました。

 ホモ接合連続領域(ROH:両親からそれぞれ受け継いだと考えられる同じ対立遺伝子のそろった状態が連続するゲノム領域)の検証では、どの個体でも近親交配の痕跡は特定されませんでした。シベリア北東部の9800年前頃のコリマ遺跡個体では、他の個体群と比較して有意に多くのホモ接合連続領域が見られ、中石器時代シベリア北東部におけるより小さな人口規模が示唆されます。かつて共通祖先を有していた2個体のDNAの一部が同一であることを示す、同祖対立遺伝子(IBD)領域の共有は、ウスチキャフタ3遺跡個体(UKY)とコリマ遺跡個体の間の密接な関係を示唆します。これは、ゲノム規模の一塩基多型データに基づく分析を支持し、バイカル湖地域のENおよびLNBA個体群が、より古いUKYおよびコリマ個体のゲノムと同様に、相互に遺伝的類似性を共有する、と明らかにします。


●上部旧石器時代バイカル湖地域系統とアメリカ大陸先住民とのつながり

 上述のように、バイカル湖地域の上部旧石器時代個体(UKY)が、シベリア北東部のコリマ遺跡個体と密接に関連している、と明らかになりました。これは、f統計(単一の多型を対象に、複数集団で検証する解析手法)でも確認され、f3統計では、UKYはコリマ個体と同様にアメリカ大陸先住民およびベーリンジア集団との密接な遺伝的類似性を示します。f 4統計では、コリマ個体はUKYと比較してシベリア北東部および北アメリカ大陸の集団とより密接に関連している、と明らかになりました。さらに、f 4統計でUKYおよびコリマ個体とアメリカ大陸先住民および古代ベーリンジア系統の11500年前頃のアラスカの1個体(USR1)との関係が、非北極圏アメリカ大陸先住民全員を外群として調べられました。UKYおよびコリマ個体は両方、非北極圏アメリカ大陸先住民およびUSR1と対称的に関連している一方で、USR1はUKYおよびコリマ個体と比較して、アメリカ大陸先住民集団と顕著に多くの遺伝的類似性を共有しています。

 qpAdmモデリングを使用しての遺伝的構成の調査では、UKYおよびコリマ個体は、NEA系統を代表する悪魔の門個体およびアファナシェヴォ文化のAG3個体の双方向混合としてモデル化される場合、ANE系統を約30%と似た水準で有しています。このモデルはUKYおよびコリマ個体の両方で上手く合致せず、それは、アメリカ大陸先住民であるブラジルのカリティアナ(Karitiana)集団が、適合したモデルと比較して、検証された個体群とさらなる類似性を示したからです。この観察は、UKYおよびコリマ個体がアメリカ大陸先住民集団と遺伝的浮動をある程度共有し、その遺伝的浮動はアメリカ大陸先住民系統がANEおよびNEA系統と分岐した後に起きた、と示唆します。

 qpGraphモデリングを用いての、UKYとコリマ個体と古代アメリカ大陸先住民集団の間の関係が調べられました。UKYおよびコリマ個体は、アジア北東部系統と、USR1やカナダのオンタリオ州南西部古代個体群(ASO)やアメリカ合衆国カリフォルニア州チャンネル諸島の前期サンニコラス個体群(ESN)に代表される、アメリカ大陸先住民クレード(単系統群)の姉妹集団(関連記事)との間の混合としてモデル化できます。UKYおよびコリマ個体が同じグラフに含まれる場合、両者は一貫して2回の独立した混合事象の子孫としてモデル化され、それは共にアメリカ大陸先住民関連クレードとアジア北東部関連クレードに由来する古代系統の混合です。これらの知見は、アメリカ大陸先住民へのUKYおよびコリマ個体の密接な類似性を確証しますが、UKYに寄与した両系統が、コリマ個体に寄与した集団よりも祖先的であることを強調します。さらに、ベーリンジアを経由してのアメリカ大陸への最初の移住の波は別として、UKYがコリマ遺跡より3000km南西に位置し、4000年以上前であることから、アメリカ大陸先住民系統は上部旧石器時代にはシベリア全域でもっと広く分布していた、と混合モデリングは示唆します。じっさい、本論文の混合グラフは、この基底部アメリカ大陸先住民集団が、アジア北東部集団と複数回の遺伝的接触を経験し、別の古代シベリア集団を生み出した、と示唆します。


●バイカル湖地域の前期新石器時代と青銅器時代の間の複雑な移行

 本論文は、新たに配列されたバイカル湖地域のENおよびLNBA個体群を同時代の既知のデータと組み合わせ、さらに詳細にバイカル湖地域における遺伝的移行を説明します。外群f3統計を使用すると、バイカル湖地域のENおよびLNBA集団が既知の同時代・地域集団と相互に最高の遺伝的類似性を示す、と明らかになりました。さらに、組み合わせた集団の外群f3統計から、バイカル湖地域のENおよびLNBA集団は古代と現代のアジア北東部およびシベリア集団と最高の遺伝的類似性を共有する、と明らかになりました。バイカル湖地域LNBA集団はまた、古エスキモーのサカク個体と高い遺伝的類似性を共有します。そのNEA系統と比較すると、バイカル湖地域のENおよびLNBA集団はともに、ANE関連集団と余剰の遺伝的類似性を有しますが、f4統計で示されるように、LNBA集団はEN集団よりもさらに多くの遺伝的類似性を有します。これらの結果は、バイカル湖地域EN集団におけるANE関連系統の存在を明らかにするとともに、余分のANE系統の遺伝子流動がバイカル湖地域のEN集団とLNBA集団との間の遺伝的移行の原因である、という以前の知見を確認します。

 本論文はさらに、qpAdmモデリングを適用してバイカル湖地域のENおよびLNBA集団とサカク個体とガナサン集団におけるANE関連系統の割合を定量化しました。NEA系統として悪魔の門遺跡の個体を用いると、UKYはバイカル湖地域のENおよびLNBA集団にとって、ANE関連系統の代理としてコリマ個体よりもよく合致しますが、アファナシェヴォ文化のAG3個体はバイカル湖地域EN集団によく合致します。NEAおよびANE系統として悪魔の門遺跡個体群とAG3個体を用いると、ANE関連系統はバイカル湖地域において、EN集団の14.3%からLNBA集団の22.7%に増加します。シベリア北東部のコリマ個体は、古エスキモーのサカク個体のANE関連系統の代理として機能できますが、バイカル湖地域およびウラル語族集団のガナサン個体にはよく合致しません。これは、バイカル湖地域の狩猟採集民とガナサン集団が、シベリア中央部もしくは南部で形成された可能性が高い一方で、古エスキモー系統はシベリア中央部もしくは北東部で形成された可能性を示唆します。

 DATESを用いてのバイカル湖地域集団におけるANE系統とNEA系統の間の混合事象の推定年代は、EN集団では21世代前、LNBA集団では71世代前ですが、LNBA集団は顕著に多くのANE関連系統を有します。各集団の平均的な放射性炭素年代測定結果と混合年代の標準誤差を考慮すると、混合事象は8500〜6000年前頃と推定されます。淡水リザーバー効果を考慮すると、混合事象は8000〜5500年前頃と修正されます。これは、バイカル湖地域のENおよびLNBA集団が、在来集団とNEA関連集団との間の長期にわたる混合過程を通じて形成されてきた、と示唆します。したがって、バイカル湖地域EN集団は、以前に提案された個別的で突然の混合という仮説とは対称的に、長期にわたる混合過程を経てきたことになります。しかし、この混合は、後期新石器時代と青銅器時代には実質的には継続しませんでした。それは、LNBA集団の混合の年代が古く、均質なLNBAクラスタと比較してEN個体群間の遺伝的多様性が比較的大きいからです。


●遺伝的外れ値により明らかになる青銅器時代シベリアの高い移動性

 バイカル湖地域LNBA個体群のうち、主要集団とは遺伝的背景の異なる3人の外れ値が特定されました。このうち、カチュグ遺跡の6個体のうち1個体(KPT005)は、主成分分析およびADMIXTUREではユーラシア西部集団との類似性が示唆されます。qpAdmモデリングでは、KPT005はバイカル湖地域LNBA集団と複数の青銅器時代西方草原地帯集団との混合としてモデル化でき、草原地帯系統の堀合は42〜48%と推定されます。地理と年代を考慮すると、この混合の起源として最も可能性の高い候補は、アルタイ・サヤン地域のヤムナヤ(Yamnaya)関連アファナシェヴォ文化集団です。

 さらに、バイカル湖地域前期青銅器時代個体群のうち2個体(GLZ001およびGLZ002)は、バイカル湖地域LNBA主要集団と比較して、顕著にANEの混合水準が低くなっています。この2個体におけるANE関連系統の割合は、NEA系統として悪魔の門遺跡個体を、ANE系統としてアファナシェヴォ文化のAG3個体を用いると、約10%と推定されます。さらに、この2個体はともに、Y染色体ハプログループ(YHg)C2b1で、これはバイカル湖地域EN集団で支配的ですが、他のバイカル湖地域LNBA集団のYHgはQ1aのみです。これは、青銅器時代まで、バイカル湖地域EN集団と同等もしくはそれ以下の割合のANE系統を有する集団が残存していたか、より多くのNEA系統を有する周辺地域集団からの移住があったことを示唆します。

 そこで、バイカル湖地域個体群の遊動性が、11個体の歯のエナメル質のストロンチウム同位体分析により調べられました。このうち10個体の値はバイカル湖地域で報告されてきた範囲内でしたが、GLZ001は外来起源と示唆され、7歳(第二大臼歯の形成)以降にバイカル湖と続くアンガラ川流域に移動した、と推定されました。既知のストロンチウムデータに基づくと、GLZ001の起源はバイカル湖の南方および東方を含む地域と推定されます。もう一方の外れ値個体であるGLZ002は、GLZ001と遺伝的に類似しているにも関わらず、地元出身と推定されました。GLZ002は7歳以前にバイカル湖地域に移住してきたか、アンガラ川流域と類似したストロンチウム同位体比の範囲の地域から到来したのかもしれません。


●遺伝的外れ値個体群間のペスト菌感染

 最近の研究では、中期新石器時代から青銅器時代(4900〜3500年前頃)のヨーロッパおよびアジア中央部の複数地域にまたがって、人類のペスト菌(Yersinia pestis)感染の証拠が提示されています(関連記事)。これまでに特定された古代ペスト菌系統の大半は、LNBA系統とされる絶滅系統に属します。ペスト菌の古代DNAデータは人類集団の遺伝的枠組みとともに解釈されており、LNBAにおけるユーラシアの広範な地域でのヤムナヤ関連集団の拡大が、ペスト菌の拡大と関連している、と示唆されています。

 バイカル湖地域の個体群の病原体DNA痕跡の存在を調べるため、本論文で新たに報告されたバイカル湖地域の19個体が分析され、青銅器時代の2個体(GLZ001およびGLZ002)でペスト菌の古代DNAが明らかになりました。淡水貯水池効果を考慮すると、GLZ001は4556年前頃、GLZ002は4430年前頃と推定されます。ペスト菌ゲノムの網羅率は、GLZ001が7.2倍、GLZ002が12.8倍です。GLZ001およびGLZ002のペスト菌はLNBA系統に分類され、4800〜3500年前頃に分離しました。両者が最も密接に関連しているのは、バルト海地域で発見された系統で、このペスト菌に感染していたのは、縄目文土器(Corded Ware)複合と関連する4520〜4290年前頃の個体(Kunila2)です。上述のように、GLZ001およびGLZ002は同じ地域・年代の個体群と比較して、遺伝的に外れ値となります。さらに、LNBA系統に分類されるペスト菌ゲノムを有する既知の全個体のゲノムに共通するヤムナヤ関連草原地帯系統が、GLZ001およびGLZ002のゲノムには欠けています。GLZ001およびGLZ002のペスト菌は、LNBA系統としては最東端となります。


●オクネヴォ文化への遺伝的影響

 オクネヴォ文化は、バイカル湖の西方に位置するユーラシア草原地帯中央部の青銅器時代の文化です。以前の研究では、オクネヴォ文化個体群と古代バイカル湖地域個体群との遺伝的関係が示唆されています。本論文では、オクネヴォ文化が浸透していた、バイカル湖地域の西方に位置するエニセイ川地域のバザイハ遺跡の前期青銅器時代の1個体(BZK002)のゲノムと、既知のオクネヴォ文化関連個体群との間の高い遺伝的類似性が検出されました。BZK002のゲノムは、qpAdmでは、バイカル湖地域LNBA集団とアファナシェヴォ文化のAG3個体もしくはボタイ(Botai)文化的集団との双方向混合としてモデル化できます。ユーラシア中央部のボタイ文化集団には草原地位関連系統が見られません。BZK002はまた、オクネヴォ文化関連個体群で観察される系統を形成する、ヤムナヤ/アファナシェヴォ文化関連集団と混合した集団の代理としても機能しました。さらに、オクネヴォ文化関連集団のモデリングは、バイカル湖地域LNBA集団とAG3もしくはボタイ文化的個体群と草原地帯関連系統集団の間の3方向混合として確認されました。

 オクネヴォ文化関連集団における3系統間の混合事象の年代は、異なる2期間に分類されました。バイカル湖地域LNBA集団とボタイ文化的集団を情報源として用いると、オクネヴォ文化関連集団とBZK002における混合事象は、前者が42.9世代前、後者が23.4世代前で、標本群の年代を考慮すると、6000〜5000年前頃の範囲と重なります。オクネヴォ文化関連集団における情報源の一つとしてヤムナヤ関連系統を含めると、交雑年代は17世代前(5000〜4500年前頃)と新しくなります。本論文は、オクネヴォ文化関連集団の遺伝子プールの形成は、ボタイ文化的系統およびバイカル湖地域LNBA系統の最初の混合から生じ、その後に紀元前三千年紀のヤムナヤ関連文化の拡大に伴い、ヤムナヤ関連系統の遺伝子流動が起きた、と推測しています。BZK002の直接的な放射性炭素年代測定結果は4700年前頃で、既知のクネヴォ文化関連個体群に200〜800年先行し、草原地帯関連系統の混合の推定年代範囲と重なります。さらに、BZK002のバイカル湖地域系統とボタイ文化系統との混合は、オクネヴォ文化関連集団の推定された期間の範囲内に収まり、BZK002がオクネヴォ文化関連集団の遺伝的構成の形成中の中間的状態を表す、と示唆されます。


●まとめ

 本論文は、バイカル湖地域において上部旧石器時代から青銅器時代にかけて、ANEおよびNEA系統の割合の大きな変動に見られるように、複数の人口交替が起きたことを示しました。しかし、本論文が提示するのは、以前に示唆された、NEA系統を含むアジア東部系統によるANE関連系統の完全な置換ではなく、24000年前頃のシベリア南部中央のマリタ遺跡の1個体(MA1)で最初に報告されたANE系統が、前期新石器時代(EN)集団でも上部旧石器時代となる14000年前頃のUKY個体でも明らかになったように、上部旧石器時代を通じて青銅器時代まで存続した、ということです。

 さらに、前期新石器時代から青銅器時代のバイカル湖地域集団の遺伝的移行は、NEA関連系統とANE関連系統との間の、紀元前六千年紀から紀元前四千年の長きにわたる遺伝子流動によりよく説明でき、UKY個体のゲノムは、コリマ個体関連系統のあり得た南方への拡大よりも、ANE系統の在来起源として優れている、と証明されました。対照的に、コリマ個体ゲノムは、古エスキモーのサカク個体の遺伝的構成の代理として表され、古エスキモー系統がシベリア北東部に出現した、という見解を支持します。ただ本論文では、古エスキモー系統がUKY関連系統からシベリア中央部もしくは南部で形成された可能性を除外できません。

 注目されるのは、バイカル湖地域の上部旧石器時代の人々と非北極圏アメリカ大陸先住民との強い遺伝的つながりの検出です。本論文では、アメリカ大陸先住民と14000年前頃のシベリア南部となるバイカル湖地域のUKY個体と、9800年前頃のシベリア北東部のコリマ個体はすべて、少なくとも一部は、ANEおよびNEAの両系統を有する同じ混合集団の子孫と示されました。この集団は上部旧石器時代においてシベリア全域に拡大しており、アジア北東部の関連集団と頻繁な遺伝的接触を経験した可能性が高く、異なる地域と期間においてANEおよびNEA系統のさまざまな割合の集団を生じました。コリマ個体および他のアメリカ大陸先住民集団へとつながるアラスカのUSR1のゲノムと比較して、UKYがより早期の分岐集団であることから、この基底部アメリカ大陸先住民系統がシベリア北東部で形成された、との以前に提示された仮説に本論文は異議を唱えます。アメリカ大陸先住民の祖先的遺伝子プールの起源の正確な場所と年代の説明には、上部旧石器時代シベリア集団からのさらなる遺伝的証拠が必要となります。

 さらに、人類と病原体のDNAデータに基づき、前期青銅器時代にシベリア南部と西方の草原地帯との間で遺伝的接触があった証拠も得られました。これは、当時のユーラシアにおける人類の高い移動性を示唆します。バイカル湖地域におけるヤムナヤ関連集団の遺伝的影響は、青銅器時代のKPT005個体で明らかです。さらに、以前の研究では、ユーラシア全域におけるペスト菌のLNBA系統の拡大が、ヤムナヤ関連集団の移住により促進された、と示唆されてきました。ペスト菌のLNBA系統を有する全個体のゲノムで、草原地帯関連系統が確認されていたからです。しかし本論文では、ペスト菌に感染しているバイカル湖地域青銅器時代の2個体(GLZ001およびGLZ002)のゲノムに、ヤムナヤ関連系統の遺伝的証拠が見られないことを示しました。また、この2個体のゲノムには、他の全てのバイカル湖地域および周辺地域の青銅器時代個体よりも、NEA系統の割合がかなり多い、と明らかになりました。この2個体のうちGLZ001は、ストロンチウム同位体分析により、外来者で、おそらくはアンガラ川流域外の出身でした。この青銅器時代バイカル湖地域のペスト菌ゲノムの系統は、ヨーロッパ北東部のバルト海地域の縄目文土器複合関連個体に感染していたものに最も近い、と明らかになりました。現在の解像度では、ユーラシア西部とシベリア南部との間の病原体伝播のパターンを推測するには不充分ですが、現時点でのデータは、ペスト菌の長距離拡散につながる1世紀もしくは10年単位の過程を示唆します。

 本論文はバイカル湖地域の人口構造における動的な変化を報告し、上部旧石器時代シベリアにおける最初のアメリカ人へとつながる遺伝的系統の広範な発生を明らかにします。さらに本論文は、ユーラシア草原地帯全域での人類の高い移動性の証拠を提示し、紀元前三千年紀におけるペスト菌の拡大についての新たな洞察を明らかにします。アメリカ大陸最初の人々の起源には高い関心が寄せられてきましたが、時として政治的問題にも発展しました(関連記事)。本論文は、シベリア南部の人類の新たな古代ゲノムデータを報告したというだけではなく、アメリカ大陸先住民系統の遺伝的起源が、シベリア北東部に限定されない可能性を提示したという点でも、大いに注目されます。近年の古代ゲノム研究の進展は目覚ましく、追いついていくのは大変ですが、今後、当ブログにてできるだけ多くの関連する論文と本を取り上げていきたいものです。


参考文献:
Yu H. et al.(2020): Paleolithic to Bronze Age Siberians Reveal Connections with First Americans and across Eurasia. Cell, 181, 6, 1232–1245.E20.
https://doi.org/10.1016/j.cell.2020.04.037


https://sicambre.at.webry.info/202005/article_38.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/297.html

コメント [経世済民134] 淡路島がパソナの建物だらけ…本社移転&社員千人移住、“パソナ”ランド化に地元で不安も(Business Journal) 赤かぶ
3. 2020年9月01日 19:44:08 : xYqKlw6NG2 : WS9CMEwweVhna2s=[13]
 
 仁風林は 東京に残します 祝 菅総理 ハーレムはあなたのために!!

 パソナの本体(事務部門)は 淡路島に移します

 
http://www.asyura2.com/20/hasan134/msg/650.html#c3

コメント [近代史5] ローマ人の起源 中川隆
1. 中川隆[-11552] koaQ7Jey 2020年9月01日 19:45:41 : WyT5nCL4pQ : YzlncmJkNllTTWc=[43]
雑記帳 2020年07月08日
鉄器時代と現代のウンブリア地域の人類集団のmtDNA解析
https://sicambre.at.webry.info/202007/article_9.html


ウンブリア州 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%83%96%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%B7%9E


 鉄器時代と現代のウンブリア地域の人類集団のミトコンドリアDNA(mtDNA)解析に関する研究(Modi et al., 2020)が公表されました。先史時代の地中海地域では3回の重要な移住の波があり、現代人の遺伝的構成を形成しました。それは、旧石器時代の狩猟採集民と、東方からの新石器時代農耕民と、青銅器時代の始まりにおけるポントス・カスピ海草原(中央ユーラシア西北部から東ヨーロッパ南部までの草原地帯)からの牧畜民です。

 イタリア半島は、ヨーロッパ他地域と比較して現代人の遺伝的変異性が高いことから、地中海地域の人類集団の移住に重要な役割を果たした、と考えられます。これは、上部旧石器時代以来の、複数の移住の波の結果です。イタリア半島の人口史(関連記事)やローマ住民の長期的な遺伝的構成の変遷(関連記事)に関するゲノム規模研究からは、イタリア半島の人類集団の基本的な遺伝的構成はローマ以前に確立され、ローマ帝国崩壊後には大きくは変わらなかった、と示されます。

 イタリア半島の人類集団に関しては、常染色体でも単系統遺伝指標(ミトコンドリアとY染色体)でも、北部・中央部・南部を区別できる明確な遺伝的パターンの識別は困難です。南部集団はギリシアとアラブの植民化の影響を受け、北部集団にはフランス語およびドイツ語集団との混合が反映されているかもしれませんが、中央部集団は継続的な勾配を示します。イタリア半島中央部に関しては、エトルリア人とピケニ人に関して、現代人との遺伝的類似性が分析されてきましたが、もう一つの重要地域であるウンブリアはこれまで調査されてきませんでした。古代ウンブリア人の起源と民族的類似性に関しては、まだ議論が続いています。

 考古学および歴史学的データからは、紀元前9〜紀元前8世紀頃となる前期鉄器時代に、ウンブリア人はエトルリア人やピケニ人とともに、よく定義された文化的属性を有する共同体をイタリア半島中央部に築いていた、と示唆されます。ウンブリア人は当初、テベレ川左岸に位置する現代のウンブリア地域東部を占拠し、すぐにウンブリア西武とトスカーナ地方に拡大しました。紀元前6世紀頃、ウンブリア文化に影響を与え始めていたエトルリア人がウンブリア西部を支配し、テベレ川はウンブリア人とエトルリア人の境界線になりました。これら古代人の間の相互作用の程度はまだ不明です。ローマ人は紀元前4世紀に初めてウンブリア人と接触し、紀元前3世紀初めにラテン植民市を建設しました。紀元前260年以後、ウンブリアはローマの完全な支配下にありましたが、エトルリア文化(および言語)が消滅したのは、紀元前90〜紀元前88年の同盟市戦争の時でした。現在のウンブリアは古代よりも小さいものの、その住民の方言には大きな違いが見られます。

 ウンブリア東部の重要な墓地は、アペニン山脈の海抜760mに位置する現在のコルフィオリート(Colfiorito)にあります。ここは交通の要路ですが、鉄器時代の前には安定した人類の居住は確認されていません。しかし、資源が豊富なため、鉄器時代以降には人口が増加しました。本論文は、現在のウンブリア地域の545人のデータセットから選択された198人のミトコンドリアゲノム(このうち191人は本論文で初めて報告されます)と、現在のコルフィオリートにある鉄器時代の墓地の19人のミトコンドリアゲノムを分析し、ウンブリア地域住民の通時的な母系の遺伝的歴史を検証します。

 制御領域の分析からは、ウンブリア地域でも東部集団が遺伝的に他の亜集団と最も離れている、と示されます。これは、ウンブリア東部地域が他地域と比較して、古代もしくは最近の違いがあることを示唆します。ミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)分析では、ほとんど(97%)の個体が典型的なユーラシア西部型に分類されます。主成分分析では、ウンブリア東部集団はヨーロッパ東部集団とクラスタ化します。これは、ヨーロッパ中央部および東部で高頻度のmtHg-U4・U5aに起因します。その中でもとくに、mtHg-U4a・U5a1は、ヨーロッパ北部および東部の中石器時代標本群と同様に、ヤムナヤ(Yamnaya)文化関連標本群でも確認されています。

 鉄器時代の19人のmtHgで多いのは、J(32%)・H(26%)・U(16%)です。mtHg-Jは最終氷期極大期(Last Glacial Maximum、略してLGM)に近東で多様化し、後期氷河期にヨーロッパに拡大した、と推測されています。mtHg-Hはヨーロッパにおいて最も高頻度で見られ(40%以下)、ヨーロッパ西部から近東にかけて減少するパターンを示しますが、その起源はよく分かっていません。mtHg-UはU4を含む4系統が検出され、上述のようにこれはウンブリア東部集団をヨーロッパ東部集団へと近づけます。

 鉄器時代と現代とで、ウンブリアにおける主要なmtHgの割合が決定的に変わっているわけではありませんが、鉄器時代では32%のJが現代では12%と低下しています。しかし、ウンブリア東部では、現代でも鉄器時代とさほど変わらない割合(30%)です。ウンブリアでは、鉄器時代のmtHgが事実上すべて現代でも確認され、先ローマ期からの遺伝的連続性の可能性が示唆されます。より詳細な分析では、4万年前頃の上部旧石器時代と1万年前頃以降の新石器時代に、急激な増加を伴うヨーロッパ集団の典型的傾向が確認されます。鉄器時代標本の約半数で、より詳細なmtHg(H1e1・J1c3・J2b1・U2e2a・U8b1b・K1a4a)が現代人の標本と共有されます。

 イタリアは、地中海とアルプスに囲まれ、シチリア島とサルデーニャ島を含む、ひじょうに複雑な地理を示します。ミトコンドリアゲノム分析により、マルケ州やピエモンテ州やトスカーナ州やサルデーニャ島の特殊性が明らかになっています。しかし、他地域に関しては、詳細で網羅的な地理的特性の評価はまだ行なわれていませんでした。本論文は、ウンブリア地域のmtDNAの多様性を報告します。ウンブリア地域のmtHgのほとんど(97%)はユーラシア西部で典型的なものです。ウンブリア地域全体でこれらのmtHgの割合は比較的均一ですが、mtHg-Kが南部では高頻度(17%)であることや、mtHg-Jが東部では高頻度(30%)であることが注目される例外です。ユーラシア西部集団を対象にした主成分分析では、ウンブリア南部と東部がヨーロッパ中央部および東部集団と近くなり、上述のように、これはウンブリア南部と東部でmtHg-U4・U5aが高頻度だからです。

 より詳細なmtHg分析では、ウンブリア地域における先ローマ期の鉄器時代から現代までの遺伝的連続性が示唆されます。この遺伝的構成は、さまざまな地域の集団が異なる時代にウンブリア地域に到来したことにより形成された、と推測されます。それは、東方からの新石器時代農耕民や、青銅器時代のヤムナヤ文化関連集団などです。鉄器時代以後、中世にも、ある程度の人々の到来が考えられます。こうしたウンブリア地域の通時的な遺伝的構成の変遷は、イタリア半島全体の遺伝的データとよく適合します。既知のゲノム分析におけるイタリアのクラスタは、大まかにはサルデーニャ島・北部・南部ですが、そのうち北部と南部がイタリア半島中央部、より正確にはウンブリア地域で重複します。その意味でも、ウンブリア地域のより詳細な遺伝的構成の解明が期待されます。


参考文献:
Modi A. et al.(2020): The mitogenome portrait of Umbria in Central Italy as depicted by contemporary inhabitants and pre-Roman remains. Scientific Reports, 10, 10700.
https://doi.org/10.1038/s41598-020-67445-0

https://sicambre.at.webry.info/202007/article_9.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/277.html#c1

コメント [経世済民134] 淡路島がパソナの建物だらけ…本社移転&社員千人移住、“パソナ”ランド化に地元で不安も(Business Journal) 赤かぶ
4. 地下爺[12498] km6Jupbq 2020年9月01日 19:47:07 : tu6SpoHmCg : Y1JnTi5SaUdrdTI=[152]

  とういことは 淡路島で 一旗 あげられるてことか 。。。。

      BY 淡路島出身の知人がいるのでその人のために煽る@地下爺




http://www.asyura2.com/20/hasan134/msg/650.html#c4

コメント [政治・選挙・NHK275] <拡散、お願いします >合流新党が大化けする変化の胎動(植草一秀の『知られざる真実』) 赤かぶ
10. 2020年9月01日 19:47:41 : 62P6CwVYxE : THhqTkpWaUFybVU=[34]
植草は丁度1年前に「れいわ新選組は我々が示す政策全てを
飲んでくれた」と書き綴っていたが其れが事実なら
大学無償化、最低賃金1500円を忘れてもらっては困る。
色々掲げているとごっちゃになるので
優先順位を定めて候補を幾つかに絞り
単純化するのは分かるが、消費税だけで
解決する事柄でもない。本当ならば
BI施行出来るならば大半の組織的問題は
解決するはずなのだがね。岩盤規制とやらも
取り払える可能性すら秘めている。
何故なら職が組織が利益が失われるという
恐怖のあまり自分達が不利にならないように
献金したり政治家と必定以上に関係を
持ったりしているのだから、
BIだけで其れが全て無くなるとは
思わないがかなり荷が降ろされるのは確実。
(失礼ながら)それにより下らない産業も
それなりに淘汰が出来る。

植草も山本もBIには言及してないが
山本太郎の言葉を紐解くに
最終目標はBI+大きな政府だろうか。

>「憲法破壊を許さない」、「原発ゼロ」、
>「消費税減税・廃止」の旗を鮮明に打ち立てて、
>基本政策を共有する政治勢力と市民の結集を
>図れば、10月25日に総選挙が
>実施されても、過半数を確保する可能性が生じる。

問題は立憲支持者内に財政健全化を
主張する人間が幾ばくか存在することだ。
端的に言えばありもしない中道路線を
信じて疑わないその上で「俺は
他の野党とは違う」等と団栗の背比べに
終始している連中のこと。目糞鼻糞が
嗤うの如く他野党と差異を作り出そうと
躍起な政治趣味(笑)の連中を放り出すか
締め出すか鎮めるかさせないと
難しいだろう。それか無視して進めるか。
こういうのは総じて意識高い系の
インテリを気取っている。その割に
文系が多いのが特徴だがともかく
大衆党に変化するなら相当の
意識改革が必要。
http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/474.html#c10

コメント [政治・選挙・NHK275] 菅官房長官にも健康不安説が取り沙汰、総裁選が混沌…安倍首相辞任の裏で飛び交う噂(Business Journal) 赤かぶ
7. 命を大切に思う者[3502] lr2C8JHlkNiCyY52gqSO0g 2020年9月01日 19:47:49 : 0vKctCOClI : SkNXczNIWWwyUGM=[8]
たとえ健康不安がなくても、
安倍の亡霊(意志を継ぐ者のこと)みたいな菅が総理をやったら、
何も変わらないだろう!
絶対に駄目!

まあ、総理を自公の議員の誰がやるとしても、駄目だけどな。
消費税10%、共謀罪、安保法制、秘密保護法等の暴は、
自公の議員どもが賛成票を入れて共謀したからこそ実現したわけで、
自公の議員どもが、全員、安倍の亡霊みたいな者じゃん。
こいつら全員を衆議院から排除しないといけない。
問題は、誰が自民党総裁になるかではなく、自民党総裁が総理になることなのです。阻止するのならそっち。 

http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/471.html#c7
コメント [経世済民134] 淡路島がパソナの建物だらけ…本社移転&社員千人移住、“パソナ”ランド化に地元で不安も(Business Journal) 赤かぶ
5. 地下爺[12499] km6Jupbq 2020年9月01日 19:48:34 : tu6SpoHmCg : Y1JnTi5SaUdrdTI=[153]
 

http://www.asyura2.com/20/hasan134/msg/650.html#c5
コメント [近代史5] イベリア半島人の起源 中川隆
1. 2020年9月01日 19:49:24 : WyT5nCL4pQ : YzlncmJkNllTTWc=[44]
雑記帳 2020年02月12日
早期新石器時代ピレネー山脈における虐殺
https://sicambre.at.webry.info/202002/article_28.html


 早期新石器時代ピレネー山脈における虐殺に関する研究(Alt et al., 2020)が公表されました。中期〜後期更新世にはヒトは基本的に狩猟採集民でしたが、平等主義の倫理のため本質的には善良で平和的だった、という考えがかつては浸透していました。この仮説では、12000年前頃の農耕開始以後(もちろん、地域により農耕開始年代は異なりますが)、とくに定住・階層・財産と密接に関連した適応的な社会経済的戦略が、根本的に本来の生活様式を壊した、と想定されます。財産と所有物を守るため、ヒトは暴力の使用を余儀なくされた、というわけです。

 しかし、こうした非暴力的な過去の人類史は今では反証されており、それは攻撃的行動が先史時代と現代の狩猟採集民共同体で一般的に示されてきたからです(関連記事)。しかし、狩猟採集民共同体における暴力の程度と役割についてはまだ議論が続いています。ヒトの暴力が進化的遺産なのか、という問題は高い関心を集めている、と言えそうです。本論文は、ヒトの暴力が進化的遺産であることは明らかで、それはヒトだけが同種を殺す大型類人猿の唯一の種ではないからだ、と指摘します。ヒトの攻撃性は、その本質に深く根ざした重要な系統発生要素がある、というわけです(関連記事)。ヒトは自身を、合理的で行動制御のメカニズムを備えていると考える傾向にあるため、これを受け入れるのはなかなか困難です。

 本論文は、スペイン王国ウエスカ(Huesca)県のピレネー山脈に位置するエルストロクス(Els Trocs)洞窟遺跡の発掘成果を報告しています。この標高1500m以上の地点の斜面に、エルストロクス洞窟の入口があります。エルストロクス遺跡では、土器や石器などの物質残骸に加えて、子供や成人のヒト骨格遺骸や屠殺された家畜および野生動物の骨が含まれています。これまでに特定された13人は、年代的に離れた新石器時代の異なる3期(第1期・第2期・第3期)に分類されます。したがって、これらの「埋葬」は単一事象の1集団ではありません。本論文は、第1期(紀元前5326〜紀元前5067年)の9人(成体5人と子供4人)を分析しています。第1期の9人の放射性炭素年代は密集しており、全員に死亡前後の暴力の痕跡が見られます。

 これら早期新石器時代の9人の年代および形態学背景に関して、その遺骸に見られる暴力の痕跡は、この9人が紛争の犠牲となった珍しい事象であることを示唆します。成人は頭蓋骨にのみ一貫して矢傷を示し、成人に加えて子供は、頭蓋と全体骨格へ類似した鈍器による暴力の痕跡を示します。紛争状況における弓矢のような投射武器の使用は、近隣の同時代のラドラガ(La Draga)遺跡の矢だけではなく、さまざまな暴力活動を描く同時代の岩絵でも証明されています。敵対集団間の戦闘場面を含むそうした描写は、イベリア半島の岩絵にも存在します。エルストロクス遺跡のヒト遺骸の直接的で明確な暴力の痕跡に加えて、こうした間接的な証拠は、エルストロクス遺跡の第1期の9人が虐殺の犠牲者になった、という仮説を裏づけます。

 エルストロクス遺跡の重要性は、新石器時代の意図的な暴力の初期の証拠を提示していることです。既知の情報では、エルストロクス遺跡の集落共同体全体の虐殺は、集団的暴力の直接的証拠としては最初期のものとなります。エルストロクス遺跡の第1期は、年代的にはヨーロッパ中央部における最初の農耕文化である線形陶器文化(Linear Pottery Culture、LBK)の最終段階で、紀元前6千年紀末〜紀元前5千年紀初頭となり、大変動の時期です。線形陶器文化末期のヨーロッパ中央部において、こうした大量殺戮は孤立した事例ではなく頻繁に生じていた、との見解も提示されていますが(関連記事)、イベリア半島の他地域では同時代のこうした虐殺はまだ報告されていません。エルストロクス遺跡第1期で見られる集団的暴力の注目される珍しい特徴は、エブロ渓谷沿いというイベリア半島の早期新石器時代における主流の移住経路から離れている、その地理的位置です。

 本論文は、理論的および分析的観点から、エルストロクス遺跡のヒト遺骸の複雑な暴力的知見から、二つの基本的な問題を提起します。一方は加害者について、もう一方は高齢の成人および子供の集団に見られた、一見すると抑制されていない過剰な暴力の動機についてです。本論文は、加害者の問題には直接的に答えられない、と指摘します。考古学的に、加害者はほとんど証拠を残さなかったからです。しかし、全体的な文脈に基づくと、代替的な仮説をいくつか提示できます。

 集団遺伝分析からは、エルストロクス遺跡の犠牲者は早期新石器時代移住者として特徴づけられます。それは、イベリア半島で農耕と畜産を確立した共同体の構成員です。ストロンチウムおよび酸素の同位体データと考古学的文脈から推測すると、犠牲者たちが移住民の第一世代だったかどうか、確定できません。ほとんどの新石器時代の移住民は肥沃な三日月地帯から地中海経由でヨーロッパ西部に到達しましたが、エルストロクス遺跡第1期の個体群がローヌ渓谷経由でヨーロッパ中央部から北方から到来した可能性は除外できません。この仮定の根拠は集団の遺伝的特徴です。エルストロクス遺跡第1期の成人男性(CET 5)はミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)ではN1a1a1で、早期新石器時代ヨーロッパ中央部では一般的ですが、スペインではまだ確認されていません。CET 5は、イベリア半島では最古となる、ヨーロッパ中央部新石器時代の農耕民集団のmtHgと合致する早期新石器時代個体です。最近になって、フランス北東部では、ヨーロッパ中央部から南西部への仮説的移住経路に沿った、新石器時代のmtHg- N1a個体群が報告されており、エルストロクス遺跡第1期の個体群がローヌ渓谷経由で北方から到来した可能性を示唆します。

 本論文は、エルストロクス遺跡集団がイベリア半島の他の早期新石器時代移民集団と異なり、虐殺された理由について考察しています。早期新石器時代のエルストロクス遺跡集団も他のイベリア半島集団も、ともに比較的急速に在来の共同体と混合したと考えられます。本論文は、エルストロクス遺跡集団が殺戮された理由として、イベリア半島の新石器時代移住民の主流から少し離れた孤立した地域に存在した可能性を検証しています。考古学的文脈・動物および植物考古学的データと、エルストロクス遺跡の犠牲者集団の人口統計学的構成から示唆されるのは、犠牲者たちがより大きな新石器時代共同体における高齢の構成員と子供を表し、彼らは集団の大半から離れており、季節的移牧、つまり家畜の移動の過程でピレネー山脈において夏を過ごしていた、ということです。

 本論文は、加害者集団とその動機に関して二つの仮説を提示します。たとえば、原因が本質的に領土であるならば、加害者たちは、自分たちの採集領域に侵略してきた新石器時代集団を見て、残忍に殺害した在来の狩猟採集民だったかもしれません。あるいは、領土をめぐる紛争がエスカレートした二つの新石器時代集団間の紛争だったかもしれません。この推論では、暴力的事象が起きた地形は多くの資源を提供する台地である、と想定されます。また、行動の一般的パターンからも加害者の動機が推測されています。地域的な集団間の紛争の一般的原因は、時間と場所、起源もしくは民族に関わらず、所有物(家畜・女性・収穫物)の獲得と、希少な資源(土地・水・狩猟)をめぐる紛争です。しかし、現在の「人種」間もしくは民族間の紛争とは対照的に、共同体の体系的な皆殺しは、お互いをよく知っており、社会文化的根源を共有するかもしれない近隣集団間の暴力の応酬においてはむしろ稀になる、と本論文は指摘します。

 エルストロクス遺跡における虐殺は、完全に詳細に明かされることはないかもしれませんが、本論文が注目しているのは、ピレネー山脈の奥地で行使された暴力の程度は、加害者側のひじょうに高い潜在的攻撃性で、それは法医学で「過剰殺害」とされる現象です。明らかなのは、二つの競合集団が衝突したことです。上述のように、加害者は在来の狩猟採集民だったかもしれませんし、競合する地元もしくは他地域の新石器時代農耕民集団だったかもしれません。本論文は、犯罪者プロファイリングの観点からは、エスカレートした偶然の遭遇である可能性はほとんどない、と指摘します。殺害手順は体系的に計画されて実行され、行為の動機は深刻である、というわけです。ただ、その背景については、いくつかは未解決のままとなりそうです。

 国も含めての近隣集団間、多民族社会内の異なる民族集団間、多数派集団と少数派集団との間の暴力的対立はしばしば、人々の外見・言語・宗教・イデオロギー・生活および文化様式もしくは民族的帰属の利用に基づいています。現在と過去の無数の争いの事例は、「文明」によりヒト社会における暴力への根本的性質を克服する、という見解を揺るがしてきました。暴力が自身を守るため、あるいは共同体を保護するのに役立つならば、社会的に許容されます。しかし、暴力が第三者もしくは平和な人々の繁栄と生活に対する搾取と権力を目指している場合、否定的な意味合いを有します。その構造的形態では、暴力は力の行使に役立ち、間違いなくヒトの文化的進化の産物です。「えこひいき(ネポチズム)」により繰り返し揺さぶられる世界では、条約と法律は常に一時的にのみ平和をもたらすようです。人道に対する注目すべき犯罪は、法律もしくは国際法により防止されることは決してありませんでした。「えこひいき(ネポチズム)」とは、非血縁者を犠牲にして、自らの血縁者を身びいきすることで、他の霊長類に見られる社会行動です(関連記事)。

 本論文は、早期新石器時代ピレネー山脈における虐殺を、人類史の文脈に位置づけようとしています。上述のように、系統発生学的および神経犯罪学的研究は、暴力と犯罪が生物学的起源を有する、といういくつかの証拠を提供します。しかし、ヒトは誰も殺人者として生まれるわけではなく、社会的過程が我々の行動を深く制御する、と本論文は指摘します。進化生物学では、ヒトはその始まり以来、他の個体群に依存し、脅威に晒されてきた、と論じられます。つまり、ヒトの進化的基盤は、一方では自身の集団や親族を強く結びつける原因として、他方では異質な個体群への恐怖や拒絶と強く結びつける原因として存在するはずだ、と本論文は指摘します。民族的ネポチズムの概念は、この二重の行動傾向の原因の説明として機能し、そこに民族紛争の起源も見られる、というわけです。したがって紛争は、均質な社会よりも人々が密接に関連しつながっている異質な多民族社会で多く発生するだろう、と本論文は指摘します。

 ネポチズムの起源に関する仮説は、包括適応度や血縁選択や遺伝的類似のような社会生物学的理論に焦点を当てます。民族的ネポチズムへの否定できない傾向はヒトの本質に深く根差しているように見えるため、政治的もしくは社会的危機状況における民族中心主義・ナショナリズム・人種差別・外国人嫌悪を促進するかもしれず、最悪の場合は大量虐殺にまで到達する、と本論文は指摘します。本論文はこれらの知見を踏まえて、ポストコロニアル理論や過去の人類は平和で(非暴力部族社会論)集団内および集団間の暴力は現代的現象という理論は、かつてたいへん人気だったものの、さまざまな証拠はそうした見解を論駁してきており、対照的に暴力は太古の昔からヒトの歴史に存在してきたことを示している、と指摘します。

 本論文はエルストロクス遺跡第1期の虐殺について、おそらく異なる起源や世界観の人々の間、先住民と移住民もしくは経済的あるいは社会的競合の集団間暴力の早期のエスカレーションで、敵対的集団間の衝突のような排外的な印象を伝えている、と指摘します。このような対立はいつくかの社会的動物種でも発生します。チンパンジーはヒトのように世界を「我々」と「彼ら」に分けます。したがってヒトでは、暴力は本質的現象の意味で理解されるべきで、ヒトは善悪を問わず暴力を制限できるものの、完全に克服することはできない、と本論文は指摘します。本論文は持続可能な未来について、継続的な対話による文化と宗教の間の障壁の除去と同様に、多民族社会への相互の敬意・寛容・開放性を通じてのみ達成されるだろう、との展望を提示しています。

 以上、ざっと本論文について見てきました。本論文は、早期新石器時代ピレネー山脈におけるヒト集団の虐殺について、ヒトの暴力の深い進化的起源を示す一例になると指摘しつつ、それを克服するような特質もヒトは進化の過程で得てきたことを強調しています。持続可能な未来に関する本論文の提言は尤もではありますが、総論賛成各論反対は人類社会の普遍的事象とも言え、実行は容易ではないでしょう。とはいえ、文字記録の残っている以前も含めて人類史から知見を得て、試行錯誤していくしかない問題である、とも思います。

 本論文は戦争の起源との関連でも注目されます。戦争の起源に関しては、注目が高いこともあり、今でも激しい議論が続いています(関連記事)。この問題は通俗的には、「本能」なのか「後天的」なのか、「タカ派」なのか「ハト派」なのか、といった単純な二分法的議論が浸透しているように思います。しかし、本論文の知見からも示されるように、ヒトに集団暴力へと向かわせる深い進化的基盤があることは否定できません。とはいえ、ヒトの暴力は常に発動されるわけではなく状況次第でもあり、少なくとも一定以上は制御可能であることも確かです。その意味で戦争の起源に関する論点は、更新世の狩猟採集社会が暴力的で、国家の成立によりそうした暴力が抑制されるようになったのか、あるいはその逆なのか、ということなのかもしれません。もちろん、それも単純にすぎる見方で、もっと複雑で包括的な説明が可能なのかもしれません。戦争の起源については、人類の今後にも大きく関わってくる問題なので、今後も地道に調べていくつもりです。


参考文献:
Alt KW. et al.(2020): A massacre of early Neolithic farmers in the high Pyrenees at Els Trocs, Spain. Scientific Reports, 10, 2131.
https://doi.org/10.1038/s41598-020-58483-9


https://sicambre.at.webry.info/202002/article_28.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/291.html#c1

コメント [経世済民134] 淡路島がパソナの建物だらけ…本社移転&社員千人移住、“パソナ”ランド化に地元で不安も(Business Journal) 赤かぶ
6. 地下爺[12500] km6Jupbq 2020年9月01日 19:49:52 : tu6SpoHmCg : Y1JnTi5SaUdrdTI=[154]
 

http://www.asyura2.com/20/hasan134/msg/650.html#c6
記事 [カルト28] 産経・焦る枝豆、唐突退陣に目算狂う。どこまで本気か分からないが、本気で政権交代を狙うなら、一兵卒小沢を幹事長に起用する事である。
太郎が言い続けて玉木が代弁した消費税ゼロを言い出した事に、空き缶や野田豚を切り捨ててでも政権交代を狙っていく姿勢を感じたが、その姿勢が本気ならば玉木も太郎も説得できる小沢を幹事長に起用する事で、二度の政権交代を主導した剛腕小沢に全てを託すのである。

http://www.asyura2.com/20/cult28/msg/221.html
コメント [政治・選挙・NHK275] <ポスト安倍 密室談合に国民はア然>そもそも菅には立候補の資格などなし(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
34. 命を大切に思う者[3503] lr2C8JHlkNiCyY52gqSO0g 2020年9月01日 19:51:46 : 0vKctCOClI : SkNXczNIWWwyUGM=[9]
安倍の亡霊(意志を継ぐ者のこと)みたいな菅が総理をやったら、
何も変わらないだろう!
絶対に駄目!

まあ、総理を自公の議員の誰がやるとしても、駄目だけどな。
消費税10%、共謀罪、安保法制、秘密保護法等の暴は、
自公の議員どもが賛成票を入れて共謀したからこそ実現したわけで、
自公の議員どもが、全員、安倍の亡霊みたいな者じゃん。
こいつら全員を衆議院から排除しないといけない。
問題は、誰が自民党総裁になるかではなく、自民党総裁が総理になることなのです。 

http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/470.html#c34
コメント [近代史5] ローマ人の起源 中川隆
2. 2020年9月01日 19:52:16 : WyT5nCL4pQ : YzlncmJkNllTTWc=[45]
雑記帳 2020年02月29日
中期新石器時代から現代のサルデーニャ島の人口史
https://sicambre.at.webry.info/202002/article_57.html

サルデーニャ - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%AB%E3%83%87%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%A3


 中期新石器時代から現代のサルデーニャ島の人口史に関する研究(Marcus et al., 2020)が報道されました。サルデーニャ島は、100歳以上の割合が高く、βサラセミアやグルコース-6-リン酸脱水素酵素(G6PD)欠損症のような自己免疫疾患や病気の割合が平均よりも高いため、病気や加齢に関連する可能性のある遺伝的多様体を発見するために注目されてきました。サルデーニャ島の現代人全体の遺伝的多様体の頻度は、しばしばヨーロッパ本土とは異なり、ヨーロッパ本土では現在ひじょうに稀な遺伝的多様体も見られ、その独特な遺伝的構成が研究されてきました。

 アルプスのイタリアとオーストリアの国境付近で発見されたミイラの5300年前頃の「アイスマン」のゲノムは、サルデーニャ島の現代人とよく似ていました。また、スウェーデン・ハンガリー・スペインなど、離れた地域の初期農耕民も、遺伝的にはサルデーニャ島の現代人とよく似ていました。この類似性の理解には、ヨーロッパにおける人口史の解明が必要です。ヨーロッパにおける現代人に直接的につながる人類集団は、まず旧石器時代と中石器時代の狩猟採集民です。次に、新石器時代農耕民集団が紀元前7000年頃以降に中東からアナトリア半島とバルカン半島を経てヨーロッパに到来し、在来の狩猟採集民集団と交雑しました。紀元前3000年頃以降にポントス-カスピ海草原(中央ユーラシア西北部から東ヨーロッパ南部までの草原地帯)を中心とするユーラシア草原地帯の集団がヨーロッパに拡散し、さらに混合しました。これらヨーロッパの現代人を構成した遺伝的系統は、ヨーロッパ西部狩猟採集民(WHG)・初期ヨーロッパ農耕民(EEF)・早期草原地帯集団としてモデル化できます。サルデーニャ島の人類集団は早い段階で高水準のEEF系統の影響を受け、その後は比較的孤立しており、ヨーロッパ本土とは異なり草原地帯系統の影響をほとんど受けなかった、と推測されています。しかし、このサルデーニャ島の人口史モデルは、古代ゲノムデータではまだ本格的に検証されていませんでした。

 サルデーニャ島の最古の人類遺骸は2万年前頃までさかのぼります。考古学的記録からは、サルデーニャ島の人口密度は中石器時代には低く、紀元前六千年紀の新石器時代の開始以降に人口が増加し、紀元前5500年頃、新石器時代の土器はサルデーニャ島を含む地中海西部に急速に拡大した、と推測されています。後期新石器時代には、サルデーニャ島の黒曜石が地中海西部で広範に見られ、サルデーニャ島が海洋交易ネットワークに統合されたことを示唆します。青銅器時代の紀元前1600年頃に、独特な石造物で知られるヌラーゲ文化が出現します。ヌラーゲ文化後期の考古学および歴史学的記録は、ミケーネやレヴァントやキプロスの商人など、いくつかの地中海集団の直接的影響を示します。紀元前9世紀後半から紀元前8世紀前半にかけて、現在のレバノンとパレスチナ北部を起源とするフェニキア人がサルデーニャ島南岸に集落を集中して設立したため、ヌラーゲ文化の集落はサルデーニャ島の大半で減少しました。サルデーニャ島は紀元前6世紀後半にカルタゴに支配され、紀元前237年にはローマ軍に占領されて、その10年後にローマの属州となりました。サルデーニャ島はローマ帝国期を通じて、イタリアおよびアフリカ北部中央と密接につながっていました。ローマ帝国崩壊後、サルデーニャ島は次第に自立していきましたが、ビザンツ帝国をはじめとする地中海の主要勢力との関係は続きました。

 サルデーニャ島の住民は集団遺伝学において長く研究されてきましたが、その理由の一部は、上述のように医学にとって重要なためです。サルデーニャ島の現代人集団は遺伝的に複数の亜集団に分類されており、中央部と東部の山岳地帯は比較的孤立しており、WHGおよびEEF系統がわずかに多い、と明らかになっています。サルデーニャ島集団のミトコンドリアDNA(mtDNA)の研究では、コルシカ島と文化・言語的つながりのある北部において、中央部と東部の山岳地帯より遺伝的構成の変化が大きく、21人の古代mtDNA研究では、サルデーニャ島特有のmtDNAハプログループ(mtHg)のほとんどは新石器時代かその後に起源があり、それ以前のものはわずかだった、と推測されています。サルデーニャ島のフェニキア人居住地のmtDNA分析では、フェニキア人集団とサルデーニャ島集団との継続性と遺伝子流動が推測されています。カルタゴおよびローマ期の大規模共同墓地では、3人でβサラセミア多様体が見つかっています。

 本論文は、放射性炭素年代で紀元前4100〜紀元後1500年頃となる、サルデーニャ島の20ヶ所以上の遺跡で発見された70人のゲノム規模データを生成します。本論文は、サルデーニャ島の人口史の3側面を調査します。まず、紀元前5700〜紀元前3400年頃の新石器時代の個体群です。当時、サルデーニャ島に拡大した初期の人々はどのような遺伝的構成だったのか、という観点です。次に、紀元前3400〜紀元前2300年頃の銅器時代から紀元前2300〜紀元前1000年頃の青銅器時代です。考古学的記録に観察される異なる文化的移行を通じて、遺伝的転換はあったのか、という観点です。最後に、青銅器時代以後で、地中海の主要な文化とより最近のイタリア半島集団は、検出可能な遺伝子流動をもたらしたのか、という観点です。本論文は、サルデーニャ島の初期標本はヨーロッパ本土の初期農耕民集団と遺伝的類似性を示し、ヌラーゲ文化期を通じて混合の顕著な証拠はなく比較的孤立しており、その後は、地中海北部および東部からの交雑の証拠が観察される、との見通しを提示します。

 サルデーニャ島の70人の古代DNAに関しては、完全なmtDNA配列と、120万ヶ所の一塩基多型から構成されるゲノム規模データが得られました。核DNAの平均網羅率は1.02倍です。70人の内訳は、中期〜後期新石器時代が6人、早期銅器時代が3人、中期青銅器時代早期が27人、ヌラーゲ文化期が16人で、それ以後では同時代でも遺伝的相違が大きいため、遺跡単位で分類されています。フェニキアおよびカルタゴの遺跡では8人、カルタゴ期では3人、ローマ期では3人、中世は4人です。これらの新石器時代〜中世にかけてのサルデーニャ島の人類遺骸からのDNAデータが、ユーラシア西部およびアフリカ北部の既知のデータと比較されました。

 中期〜後期新石器時代のサルデーニャ島の個体群は遺伝的に、新石器時代ヨーロッパ西部本土集団、とくにフランスの個体とよく類似していますが、イタリア半島など同時代の他地域の標本数が不足している、と本論文は注意を喚起しています。中期〜後期新石器時代ののサルデーニャ島個体群は、早期新石器時代のアナトリア半島集団と比較して、WHG系統の存在が特徴となっています。サルデーニャ島の中期新石器時代〜ヌラーゲ文化期までの52人に関しては、mtDNAハプロタイプが全員、Y染色体ハプロタイプが男性34人中30人で決定されました。mtHgは、HVが20人、JTが19人、Uが12人、Xが1人です。同定されたY染色体ハプログループ(YHg)では、11人がR1b1b(R1b-V8)、8人がI2a1b1(I2-M223)で、新石器時代のイベリア半島で一般的なこの2系統で過半数を占めます。YHgでR1b1bもしくはI2a1b1を有する既知の最古の個体はバルカン半島の狩猟採集民および新石器時代個体群で、両者ともに後に西方の新石器時代集団で見られます。

 サルデーニャ島では、中期新石器時代からヌラーゲ文化期まで、遺伝的連続性が確認されます。対照的に、ヨーロッパ中央部のような本土では、新石器時代から青銅器時代にかけて、大きな遺伝的構成の変化が見られます。qpAdm分析では、サルデーニャ島の中期および後期新石器時代の個体群が、ヌラーゲ期の個体群の直接的祖先である可能性を却下できません。qpAdm分析ではさらに、新石器時代アナトリア系統との混合モデルにおいて、WHG系統はヌラーゲ期を通じて安定して17±2%のままと示されます。中期新石器時代からヌラーゲ文化期までのサルデーニャ島の個体群では、たとえば後期青銅器時代のイベリア半島集団のような、顕著な草原地帯系統は検出されません。また、イラン新石器時代およびモロッコ新石器時代系統のどちらも、中期新石器時代からヌラーゲ文化期までのサルデーニャ島の個体群には遺伝的影響を及ぼしていない、と推測されます。

 ヌラーゲ文化期後のサルデーニャ島個体群には、遺伝子流動の複数の証拠が見つかっています。サルデーニャ島の現代人集団は、ヌラーゲ文化期と比較して、遺伝的にはユーラシア西部・アフリカ北部集団により近縁です。これは、草原地帯系統の割合が現在のヨーロッパ本土集団より低いとはいえやや見られるようになり、地中海東部系統がかなり増加したためです。ヌラーゲ文化期後のサルデーニャ島集団には、複雑な遺伝子流動があった、と推測されます。

 ヌラーゲ文化期後のサルデーニャ島集団における遺伝子流動を直接的に評価するため、17人の古代DNAが直接解析されました。新たな系統の流入という推定と一致して、ヌラーゲ文化期後にはmtHgの多様性が増加しました。たとえば、現在アフリカ全体では一般的であるものの、サルデーニャ島ではこれまで検出されていなかったmtHg- L2aです。YHgでも、サルデーニャ島では新石器時代からヌラーゲ文化期まで見られず、現代人では15%ほど存在するR1b1a1b(R1b-M269)がカルタゴ期と中世で確認されます。また、カルタゴ期遺跡ではYHg-J1a2a1a2d2b(J1-L862)、中世個体ではYHg-E1b1b1a1b1(E1b-L618)が見られます。YHg-J1a2a1a2d2bはレヴァントの青銅器時代個体群で最初に出現し、サルデーニャ島の現代人では5%ほど見られます。

 これらを踏まえてモデル化すると、サルデーニャ島では新石器時代からヌラーゲ文化期までほぼ新石器時代アナトリア系統とWHG系統で占められていたのが、ヌラーゲ文化期後には草原地帯系統と新石器時代イラン系統と新石器時代アフリカ北部(モロッコ)系統が加わります。草原地帯系統と新石器時代イラン系統はともに0〜25%の範囲でモデル化されます。また、フェニキア期〜カルタゴ期の遺跡の6人では、20〜35%と高水準のアフリカ北部系統が推定されました。サルデーニャ島の現代人でも、わずかながら検出可能なアフリカ北部系統が見られます。しかし、このフェニキア期〜カルタゴ期の遺跡から現代までの直接的連続性のモデルは却下されます。対照的に、ヌラーゲ文化期後の他の遺跡の個体は全員、サルデーニャ島現代人の単一の起源としてモデル化可能です。

 古代のサルデーニャ島個体群に最も近い現代人は、東部のオリアストラ県(Ogliastra)とヌーオロ県(Nuoro)の個体群です。興味深いことに、カルタゴ期のオリアストラ県の個体は、他の個体群と比較してオリアストラ県の個体群と遺伝的により近縁です。また、サルデーニャ島北東部の個体群はヨーロッパ本土南部集団により近く、サルデーニャ島南西部の個体群は地中海東部により近くなっています。これは、サルデーニャ島における地中海北部系統と地中海東部系統の地域間の混合の違いを反映している、と示唆します。

 このように、中期〜後期新石器時代のサルデーニャ島個体群は、地中海西部の他のEEF集団と同様に、本土EEFとWHGの混合としてモデル化されます。この期間のサルデーニャ島の男性のYHgは大半がR1b1b(R1b-V88)とI2a1b1(I2-M223)で、両方ともバルカン半島の中石器時代狩猟採集民および新石器時代集団で最初に出現し、後にイベリア半島のEEF集団でも多数派ですが、新石器時代アナトリア半島もしくはWHG個体群では検出されていません。これらは、紀元前5500年頃にヨーロッパ地中海沿岸を西進した新石器時代集団からのかなりの遺伝子流動の結果と考えられます。ただ本論文は、中期新石器時代よりも前のサルデーニャ島やイタリア半島の常染色体の古代DNAが不足しているので、この遺伝子流動の時期と影響について、北方もしくは西方からのどちらが重要なのか確定的ではない、と注意を喚起しています。中期新石器時代のサルデーニャ島個体群のWHGの推定割合はそれ以前のヨーロッパ本土のEEF集団より高く、ヨーロッパ本土では混合の進展に伴いしだいにWHG系統の割合が増加することから、サルデーニャ島への遺伝子流動には時間差があったことを示唆しますが、最初の地域的な交雑の結果か、あるいは本土との継続的な遺伝子流動の結果だったかもしれません。この問題の解決には、サルデーニャ島の中石器時代および早期新石器時代個体群のゲノム規模データが必要となります。

 中石器時代から紀元前千年紀初めまで、サルデーニャ島への異なる系統の遺伝子流動の証拠は見られません。この遺伝的構造の安定性は、紀元前3000年頃以降、ユーラシア中央部草原地帯からかなりの遺伝子流動があったヨーロッパの他地域と、しだいにWHG系統が増加していったヨーロッパ本土の多くの早期新石器時代および銅器時代とは対照的です。上述のように、中期新石器時代からヌラーゲ文化期まで、サルデーニャ島個体群ではWHGの割合が約17%で安定しています。イベリア半島の鐘状ビーカー(Bell Beaker)集団のように、遺伝的に類似した集団からの遺伝子流動の可能性は否定できませんが、草原地帯系統の欠如は、サルデーニャ島がヨーロッパ本土の多くの青銅器時代集団から遺伝的に孤立していたことを示唆します。また、現在ヨーロッパ西部において最も高頻度で、紀元前2500〜紀元前2000年頃のブリテン島とイベリア半島への草原地帯系統の拡大と関連しているYHg- R1b1a1bが、ヌラーゲ期の紀元前1200〜紀元前1000年頃まで見られないことも、中石器時代から紀元前千年紀初めまでのサルデーニャ島の遺伝的孤立の証拠となります。サルデーニャ島からの標本数が増加すれば、微妙な交雑を検出できるかもしれませんが、サルデーニャ島が青銅器時代ヨーロッパの大規模な遺伝子流動から孤立していた可能性は高そうです。考古学的記録からは、サルデーニャ島はこの期間に地中海の広範な交易網の一部に組み込まれていましたが、それが遺伝子流動と結びついていないか、類似した遺伝的構造の集団間のみで交易が行なわれていた、と考えられます。とくに、ヌラーゲ文化期は遺伝的構成の変化が検出されず、その石造建築の設計はミケーネなど東方集団からの流入によりもたらされた、という仮説に反します。

 ヌラーゲ文化期後のサルデーニャ島では、地中海北部および東部からの遺伝子流動の証拠が見られます。フェニキアおよびカルタゴ期の遺跡で、最初に地中海東部系の出現が観察されます。地中海北部系統はそれよりも後に出現し、サルデーニャ島北西部の遺跡で確認されます。ヌラーゲ文化期後の個体の多くは、直接的な移民もしくはその子孫としてモデル化できますが、他の個体は在来のヌラーゲ文化期の系統をより高い割合で有します。全体的に、ヌラーゲ文化期後の系統の多様性は増加し、これは、イベリア半島(関連記事)やローマ(関連記事)やペリシテ人(関連記事)など、鉄器時代以後の地中海も対象にした詳細な古代DNA研究と整合的です。

 サルデーニャ島の現代人は、古代標本で観察された遺伝的変異内に収まり、同様のパターンは、鉄器時代に系統多様性が著しく増加し、その後は現在まで減少していくイベリア半島とイタリア半島中央部でも見られます。サルデーニャ島においては、東部のオリアストラ県とヌーオロ県の現代人ではヌラーゲ文化期後の新たな系統の割合が低く、他地域よりもEEFやWHG系統の割合が高くなっています。サルデーニャ島内を対象とした主成分分析は、オリアストラ県の個体群が比較的孤立していた可能性を示唆します。サルデーニャ島北部は、ヌラーゲ文化期後に地中海北部系統の影響をより強く受けた、と推測されます。これらの結果は、紀元前にフェニキア人およびカルタゴ人がおもにサルデーニャ島の南部および西部沿岸に居住し、コルシカ島からの移民はサルデーニャ島北部に居住した、とする歴史的記録と一致します。

 本論文は紀元前二千年紀後のサルデーニャ島における遺伝子流動を推測し、これはサルデーニャ島の遺伝的孤立を強調した以前の研究と矛盾しているように見えますが、他のヨーロッパ集団との比較では、サルデーニャ島が青銅器時代〜ヌラーゲ文化期に孤立していたことは確認されます。また、ヌラーゲ文化期後の混合にしても、おもに草原地帯系統が比較的少ない集団に由来する、と推測されます。その結果、サルデーニャ島の現代人集団はヨーロッパの他地域と比較してひじょうに高い割合のEEF系統を有しており、アイスマンのような銅器時代ヨーロッパ本土の個体と高い遺伝的類似性を示します。高い割合のEEF系統を有する集団としてバスク人が知られており(関連記事)、サルデーニャ島集団との遺伝的関係が示唆されていました。本論文でも、現代バスク人と古代および現代のサルデーニャ島集団との類似性が示されました。サルデーニャ島集団もバスク人も異なる起源の移民の影響を受けているものの、共有されたEEF系統が地理的分離にも関わらず遺伝的類似性を示すのだろう、と本論文は推測しています。

 サルデーニャ島のフェニキアおよびカルタゴ期の遺跡の個体群では、アフリカ北部および地中海東部系統との強い遺伝的関係が示されました。これは、以前の古代DNA研究でも示されている(関連記事)、フェニキア人の地中海における拡散を反映していると考えられます。また、サルデーニャ島のフェニキアおよびカルタゴ期の遺跡でも、早期の方がアフリカ北部系統の割合は低く、アフリカ北部系統との交雑が後のカルタゴの拡大に特有だったか、異なる系統の到来だった可能性を示します。アフリカ北部系統の割合は、フェニキアおよびカルタゴ期よりも後では低下しており、サルデーニャ島も含むヨーロッパ南部のいくつかの集団における、低いものの明確に検出されるアフリカ北部系統の割合という観察と一致します。ローマでも、アフリカ北部系統の割合が帝政期以後に低下します(関連記事)。

 本論文は、古代DNA研究における古代と現代との遺伝的連続性および変容について、古代DNAの標本数の少なさと、現代(医学的な目的での遺伝情報収集)と古代では標本が異なるバイアスで収集されていることから、一般化に注意を喚起します。本論文はそれを踏まえたうえで、サルデーニャ島においては、中期新石器時代から後期青銅器時代まで、遺伝子流動が最低限か、遺伝的に類似した集団の継続の可能性が高いことを指摘します。ヌラーゲ文化期の始まりも、明確な遺伝子移入により特徴づけられません。鉄器時代以降のサルデーニャ島は、地中海の広範な地域と結びついていました。地中海西部を対象とした他の研究でも同様の結果が得られており、サルデーニャ島は新石器時代以降遺伝的に孤立してきた、という単純なモデルよりも実態は複雑だったことを示します。サルデーニャ島の現代人には地域的な違いも見られ、歴史的な孤立・移住・遺伝的浮動により、独特なアレル(対立遺伝子)頻度が生じた、と考えられます。この遺伝的歴史の解明は、βサラセミアやグルコース-6-リン酸脱水素酵素(G6PD)欠損症のような、サルデーニャ島も含めて地中海全域の遺伝性疾患を理解するのに役立つでしょう。


参考文献:
Marcus JH. et al.(2020): Genetic history from the Middle Neolithic to present on the Mediterranean island of Sardinia. Nature Communications, 11, 939.
https://doi.org/10.1038/s41467-020-14523-6


https://sicambre.at.webry.info/202002/article_57.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/277.html#c2

コメント [政治・選挙・NHK275] 「密室談合」による菅官房長官の次期総理就任を許していいのか! GoTo、沖縄いじめ、公文書改ざん、メディア圧力の最大の戦犯(… 赤かぶ
9. 命を大切に思う者[3504] lr2C8JHlkNiCyY52gqSO0g 2020年9月01日 19:53:47 : 0vKctCOClI : SkNXczNIWWwyUGM=[10]
安倍の亡霊(意志を継ぐ者のこと)みたいな菅が総理をやったら、
何も変わらないだろう!
絶対に駄目!

まあ、総理を自公の議員の誰がやるとしても、駄目だけどな。
消費税10%、共謀罪、安保法制、秘密保護法等の暴挙は、
自公の議員どもが賛成票を入れて共謀したからこそ実現したわけで、
自公の議員どもが、全員、安倍の亡霊みたいな者じゃん。
こいつら全員を衆議院から排除しないといけない。
問題は、誰が自民党総裁になるかではなく、自民党総裁が総理になることなのです。 

http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/473.html#c9
コメント [政治・選挙・NHK275] 「ポスト安倍」本命は菅か 政界大ハプニングは石破の離党(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
52. 2020年9月01日 19:54:54 : xYqKlw6NG2 : WS9CMEwweVhna2s=[14]

 前から読んでも 「スカそうりうそカス」

 後ろから読んでも「すかソウリウソかす」
 
 漢字で読んだら 「菅総理嘘糟」
 
 ネットでは    #菅総理ウソかす
 
  
 

 
 
http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/429.html#c52

コメント [近代史5] ローマ人の起源 中川隆
3. 2020年9月01日 19:56:06 : WyT5nCL4pQ : YzlncmJkNllTTWc=[46]
雑記帳 2020年03月02日
地中海西部諸島における新石器時代以降の人口史
https://sicambre.at.webry.info/202003/article_3.html


バレアレス諸島 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%AC%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%82%B9%E8%AB%B8%E5%B3%B6

サルデーニャ - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%AB%E3%83%87%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%A3


 地中海西部諸島における新石器時代以降の人口史に関する研究(Fernandes et al., 2020)が報道されました。紀元前3000年頃、ポントス-カスピ海草原(中央ユーラシア西北部から東ヨーロッパ南部までの草原地帯)を起源とする人々が西進し始め、ヨーロッパ中央部の在来農耕民と交雑し、縄目文土器(Corded Ware)文化集団の系統の1/3に寄与し、鐘状ビーカー(Bell Beaker)文化集団との関連においてヨーロッパ西部で拡大しました。イベリア半島では、草原地帯系統が紀元前2500年頃までに外れ値の個体群に出現し、紀元前2000年頃までにイベリア半島集団へと完全に混合しました。地中海東部のクレタ島では、紀元前2400〜紀元前1700年頃となる中期〜後期青銅器時代のミノア文化期の報告されている個体群では、草原地帯系統がほとんど確認されませんが、早期イラン牧畜民と関連した集団由来の系統(イラン関連系統)の約15%がゲノムで見られます。

 しかし、草原地帯系統はクレタ島とその近隣のギリシアに、紀元前1600〜紀元前1200年頃のミケーネ期には到達していました。地中海中央部および西部諸島では、青銅器時代の移行は古代DNA分析で調査されてきませんでした。バレアレス諸島における最初の永続的な人類の居住は、紀元前2500〜紀元前2300年頃にさかのぼります。紀元前1200年頃、タライオット文化(Talaiotic culture)が食資源の管理強化と記念碑的な塔の出現により特徴づけられ、その一部はサルデーニャ島のヌラーゲ文化との類似性が示唆されています。同様に、青銅器時代ヌラーゲ文化期のサルデーニャ島の農耕民もまた、地中海東部からの集団と交易しました。サルデーニャ島とシチリア島は紀元前2500年以後のビーカー文化の拡大に影響を受けましたが、一方でミケーネ文化期にエーゲ海の影響を受けました。これらの文化的交流が人々の移動に伴っていたのかは未解決の問題で、本論文は61個体のゲノム規模古代データを生成することで検証しました。バレアレス諸島・サルデーニャ島・シチリア島の61個体から約124万ヶ所の一塩基多型配列が決定され、ゲノム規模データが得られました。46人では遺骸から直接放射性炭素年代が得られました。1親等の関係にある個体が1人除外されました。常染色体DNAの平均網羅率は2.91倍(0.11〜12.13倍)です。

 まず本論文の分析結果を概観すると、バレアレス諸島では青銅器時代の3人がヨーロッパ新石器時代および青銅器時代集団の変異内に収まり、草原地帯系統も見られます。早期青銅器時代と中期青銅器時代と後期青銅器時代の間で、顕著な違いが明らかになりました。3人の考古学的背景はひじょうに異なるので、個別に処理されました。シチリア島では中期新石器時代の4人がヨーロッパ早期農耕民と近縁で、シチリア島中期新石器時代集団として分類されます。これと比較して早期青銅器時代のシチリア島個体はすべて、早期青銅器時代の外れ値となる2人とともに東方集団へと接近しています。この外れ値の2人は草原地帯系統を有し、シチリア島早期青銅器時代集団として4人とはやや異なります。中期青銅器時代の2個体は早期青銅器時代個体群とは区別されるクレードで、シチリア島中期青銅器時代集団と分類されます。後期青銅器時代の5人は全員クレードを形成します。サルデーニャ島では、新石器時代の始まりから青銅器時代末まで、ヨーロッパ本土の早期および中期新石器時代農耕民と遺伝的に近縁で、2人を除いて系統構成を区別できません。この外れ値となる2人は、レヴァントおよびアフリカ北部新石器時代個体群と類似した銅器時代の個体と、地中海東部系統をわずかに有する青銅器時代の個体です。鉄器時代の2人はクレードを形成せず、1人はイラン関連系統を、もう1人は草原地帯系統を有します。古代末期の2人はサルデーニャ島の早期中世個体とともにクレードを形成しますが、早期中世の個体は主成分分析では分離し、年代も離れているのでサルデーニャ島早期中世人として個別に分析されました。


●バレアレス諸島

 バレアレス諸島で人類の居住が永続的となったのは早期青銅器時代以降で、青銅器時代以降の4人のDNAが解析されました。この4人のうち最古となる紀元前2400年頃の早期青銅器時代個体は、そのゲノムのうち38.1±4.4%が草原地帯系統に由来する、と推定されています。この早期青銅器時代個体は、草原地帯系統を有するイベリア半島ビーカー(Beaker)文化関連個体の子孫と推測されます。バレアレス諸島に草原地帯系統をもたらしたのはイベリア半島からの移民と考えられますが、早期青銅器時代でDNAが解析されたのは1人だけなので、この個体がバレアレス諸島の最古の入植者の代表的な遺伝的構成を表していないかもしれない、と本論文は注意を喚起します。

 中期および後期青銅器時代の2人はそれぞれ、早期青銅器時代個体よりも草原地帯系統の推定割合が低く、20.4±3.4%、20.8±3.6%です。この2人は、草原地帯系統の割合が比較的高い集団と、もっと古いヨーロッパ農耕民関連系統を有する集団との混合と推測されます。これは、さまざまな割合の草原地帯系統がバレアレス諸島に移住して混合したか、より多くヨーロッパ農耕民系統を有する集団からの遺伝子流動の結果かもしれません。また後期青銅器時代個体は、中期青銅器時代個体の属する集団の直接的な子孫かもしれません。バレアレス諸島のタライオット文化とサルデーニャ島のヌラーゲ文化との遺伝的関連の証拠は得られませんでしたが、タライオット文化期では1人しかDNAが解析されておらず、また移住なしの文化的接触もあり得る、と本論文は注意を喚起します。

 鉄器時代のバレアレス諸島にはフェニキア人が植民してきます。鉄器時代の1個体の年代は紀元前361〜紀元前178年頃で、青銅器時代の3人とはクレードを形成せず、異なる遺伝的構成を有します。この鉄器時代個体の遺伝的構成をモデル化するには、モロッコの後期新石器時代系統が必要で、青銅器時代の先住集団の遺伝的影響をまったく受けていない可能性もあります。バレアレス諸島現代人集団は、アナトリア農耕民系統とヨーロッパ西部狩猟採集民系統に加えて、草原地帯系統・イラン系統・アフリカ北部系統の混合としてモデル化できます。これは過去の異なる系統の混合を反映しており、そのうちのいくつかは地中海南部および東部からと推測されます。バレアレス諸島現代人集団のミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)とY染色体ハプログループ(YHg)はともに、古代に見られるmtHg-J2・H・U5およびYHg- R1bを有していますが、いずれも古代バレアレス諸島に特有ではないので、地域的な集団継続が証明されるわけではありません。


●シチリア島

 シチリア島では、中期新石器時代個体群が典型的な早期ヨーロッパ農耕民系統を有し、アナトリア新石器時代系統とヨーロッパ西部狩猟採集民系統の混合としてモデル化できます。また、ビーカー文化関連個体には草原地帯系統が見られない、と確認されました。早期青銅器時代になると、当初は紀元前2200年頃までに草原地帯系統が見られるようになります。2個体はとくに草原地帯系統の割合が高く、そのうち1個体はバレアレス諸島早期青銅器時代個体とクレードを形成するので、近い世代での祖先集団が同じと考えられ、その起源地としてとくに有力なのはイベリア半島です。早期青銅器時代における草原地帯系統の存在はY染色体の分析でも明らかで、男性5人のうち3人がYHg-R1b1a1a2a1a2(R1b-M269)です。この3人のうち2人はYHg-R1b1a1a2a1a2a1(Z195)で、現在はおもにイベリア半島に存在し、紀元前2500〜紀元前2000年頃に分岐した、と推定されています。これらの知見からの節約的な説明は、イベリア半島からシチリア島およびバレアレス諸島への遺伝子流動があった、というものです。

 シチリア島では、中期青銅器時代となる紀元前1800〜紀元前1500年頃までにイラン系統が検出され、主成分分析におけるミノア人とミケーネ人への方向変化と一致します。中期青銅器時代個体群は、イラン新石器時代関連系統が15.7±2.6%としてモデル化されます。またモデル化において、年代の近い系統では、ミノアやアナトリア早期青銅器時代が必要とされます。現代イタリア南部集団はイラン関連系統を有しており(関連記事)、シチリア島とイタリア南部ではイラン系統がギリシアの植民地となる前に出現した、と示されます。

 後期青銅器時代個体は、アナトリア新石器時代系統81.5±1.6%、ヨーロッパ西部狩猟採集民系統5.9±1.6%、草原地帯系統12.7±2.1%としてモデル化されます。現代人集団では、青銅器時代までに示された草原地帯系統とイラン関連系統がそれぞれ、10.0±2.6%と19.9±1.4%存在しますが、主要な系統は46.9±5.6%のアフリカ北部系統です。これらの結果は、鉄器時代以降にシチリア島に流入したのがほぼアフリカ北部系統だったことを示します。シチリア島現代人集団は、バレアレス諸島フェニキア期個体とクレードを形成します。これらの結果は青銅器時代以降のシチリア島におけるほぼ完全な系統転換と一致しますが、青銅器時代集団が現代人集団に少ないながら遺伝的影響を残している可能性も排除できません。現代人集団のmtHg- H・T・U・Kも、25%ほど存在するYHg-R1b1a1a2a1a2(R1b-M269)も、青銅器時代に見られます。


●サルデーニャ島

 サルデーニャ島では、新石器時代から銅器時代を経て青銅器時代まで、ほぼ全ての個体がアナトリア新石器時代系統とヨーロッパ西部狩猟採集民系統の混合としてモデル化され、高い遺伝的継続性が推測されます。新石器時代の個体群は、74〜77%がフランス中期新石器時代系統と、23%がハンガリー早期新石器時代系統もしくはクロアチアのカルディウム文化系統と関連しています。サルデーニャ島の早期農耕民の起源は、まだ古代DNAデータがほとんど得られていないイタリア北部やコルシカ島にあるだろう、と本論文は推測しています。ビーカー文化個体群でも、草原地帯系統は検出されませんでした。これはシチリア島およびイベリア半島のビーカー文化関連個体群と類似しており、ビーカー文化関連個体群にかなりの草原地帯系統が見られるヨーロッパ中央部および北部とは対照的です(関連記事)。

 このように、サルデーニャ島では新石器時代から青銅器時代にかけて、ヨーロッパでは例外的な遺伝的連続性が見られますが、外れ値も2個体確認されています。銅器時代となる紀元前2345〜紀元前2146年頃の個体は、アナトリア新石器時代系統22.7±2.45%とモロッコ早期新石器時代系統77.3±2.4%としてモデル化されます。この個体は、ほぼ同年代となる紀元前2473〜紀元前2030年頃のイベリア半島中央部のカミノ・デ・ラス・イェセラス(Camino de las Yeseras)遺跡個体(関連記事)と遺伝的に類似しています。この遺跡の個体はアフリカ北部系統を有し、mtHg-M1a1b1、YHg-E1b1b1で、ともにアフリカ北部で典型的です。こうしたアフリカとヨーロッパの間の遺伝子流動は、それが増加し、より大きな人口への影響を有するようになった古典期のずっと前に、地中海全体の広範な移動があったことを示します。

 外れ値の2番目の個体は、年代が青銅器時代となる紀元前1643〜紀元前1263年頃で、サルデーニャ島在来集団と、ミケーネ文化やヨルダン早期青銅器時代のような地中海東部系統、もしくはイタリアやフランスの鐘状ビーカー(Bell Beaker)文化の草原地帯の混合としてモデル化されます。サルデーニャ島の銅器時代の1個体のmtHgは、サルデーニャ島では珍しく、早期青銅器時代バルカン半島やアジア西部で知られているU1aです。また、サルデーニャ島青銅器時代の1個体のYHgは、現在バルカン半島や中東において最高頻度で見られる J2b2aで、青銅器時代以前にはバルカン半島や中東にほぼ固有です。

 サルデーニャ島における草原地帯系統とイラン系統の最初の出現は、鉄器時代の2個体で見られます。一方は紀元前762〜紀元前434年頃で、草原地帯系統が22.5±3.6%、もう一方の紀元前391〜紀元前209年頃の個体ではイラン系統が12.7±3.5%と推定されています。イラン系統は、古代末期の個体群の複数個体ではより高くなります。サルデーニャ島の古代末期集団は、バレアレス諸島のフェニキア期個体とクレードを形成し、フェニキア人によりもたらされた、と推測されます。サルデーニャ島の中世個体は限定的な一塩基多型網羅率のためモデル化されていませんが、そのYHg-E1b1b1b2は、サルデーニャ島銅器時代個体およびヘレニズム期エジプトの個体群のYHg-E1b1bと同じ系統で、地中海東部起源を示唆します。

 これらの知見から、鉄器時代2人・古代末期2人・中世前期1人というサルデーニャ島の比較的新しい個体群では、新石器時代から青銅器時代の先住民の遺伝的影響は比較的小さいと推測されます。この5人は全員沿岸の遺跡で発見されており、サルデーニャ島外の集団からの移住を示唆します。内陸部などサルデーニャ島で古代DNAデータが得られていない地域では、おそらく鉄器時代より前の先住民系統を高い割合で保持しており、その先住民系統は、サルデーニャ島現代人集団に寄与した最大の単一系統と推測されます。

 サルデーニャ島現代人集団は、4〜5系統の混合としてのみモデル化でき、以前の推定よりも複雑な形成過程が示唆されます。サルデーニャ島現代人集団における先住民系統の割合は、新石器時代系統で56.3±8.1%、青銅器時代系統で62.2±6.6%と推定され、アフリカ北部(モロッコ)関連後期新石器時代系統の割合は、前者で22.7±9.9%、後者で17.1±8.0%と推定されます。このアフリカ北部関連系統はおそらくサハラ砂漠以南アフリカ系統との混合で、サルデーニャ島現代人集団でも複数の研究で検出されています。この56〜62%という割合は、鉄器時代よりも前のサルデーニャ島先住民を唯一の祖先源と仮定して推定しているので、上限値となります。

 これらの知見は、サルデーニャ島ではヨーロッパ最初の農耕民関連系統の割合がヨーロッパの他地域よりも高いことを確証しますが、以前には知られていなかった新石器時代後の主要な遺伝子流動があったことも明らかにします。これは、サルデーニャ島現代人集団において、新石器時代から青銅器時代までに一般的だったYHg-R1b1aとmtHg-HV・JT・Uとともに、青銅器時代以前には確認されていないYHg-R1b1a1a2a1a2が高頻度で見られることからも明らかです。最近の研究でも、サルデーニャ島現代人集団において、以前の推定よりも大きい青銅器時代後の遺伝子流動と、サルデーニャ島沿岸における青銅器時代以前の先住民系統の低さが指摘されています(関連記事)。アルプスのイタリアとオーストリアの国境付近で発見されたミイラの5300年前頃の「アイスマン」のゲノムは、サルデーニャ島現代人集団とひじょうに近いと言われていますが、その一致率は100%よりはるかに低くなります。


●まとめ

 本論文は5つの結果を強調します。まず、バレアレス諸島とシチリア島の両方で、青銅器時代の人々の主要な起源としてイベリア半島を特定したことです。バレアレス諸島の早期の住民の中には、少なくとも一部がイベリア半島系統由来だった人々もいました。早期青銅器時代のシチリア島の2人では、イベリア半島に特徴的なYHg-R1b1a1a2a1a2a1(Z195)が確認されました。イベリア半島は、東方から西方への人類の移動の目的地だけではなく、西方から東方への「逆流」の起源地でもあったわけです。しかし、この期間のイベリア半島の人口史は地中海諸島とは異なっており、たとえばイベリア半島では、銅器時代に一般的だったYHgが青銅器時代にはほぼ完全に置換されましたが(関連記事)、シチリア島ではYHgのほぼ完全な置換は起きておらず、新石器時代および草原地帯関連のYHgが両方見られます。

 第二に、ミノアおよびミケーネ文化と関連して中期青銅器時代までにエーゲ海で広まったイラン系統が、遅くともミケーネ期までにシチリア島へと西進し、かなりの割合を有するようになったことです。これはミケーネ文化の拡大に伴っていたかもしれません。しかし、ミケーネ文化最盛期の前に、マルタ島・ギリシア・アナトリア半島でシチリア島のカステラッチョ文化(Castellucian culture)と関連した人工物が見つかっており、それ以前の遺伝子流動の可能性も考えられます。バレアレス諸島やサルデーニャ島では、フェニキア期の前にイラン系統の高い割合の証拠はありませんが、それは地中海東部からの孤立を意味しません。考古学的証拠では、たとえば後期青銅器時代のサルデーニャ島におけるキプロス島の銅の輸入のように、地中海東部から西部へのかなりの物資の移動がありました。

 第三に、銅器時代と青銅器時代におけるアフリカ北部からヨーロッパへの広範な人類の移動です。具体的には、上述のサルデーニャ島における紀元前2345〜紀元前2146年頃の個体で、イベリア半島中央部の紀元前2473〜紀元前2030年頃の個体と類似しています。また、紀元前1932〜紀元前1697年頃のイベリア半島の個体にもアフリカ北部関連系統が認められます。現時点では、5000〜3000年前頃の地中海ヨーロッパの191人のうち1.6%に、数世代前のアフリカ北部移民系統の証拠があります。

 第四に、フェニキアおよびギリシア植民地期と、それに続く地中海西部諸島の移民の影響です。たとえば、バレアレス諸島鉄器時代以降の個体群は、在来の先住集団からの系統を有していないかもしれません。以前の研究と併せて考えると、鉄器時代以降、地中海西部の沿岸地域は、地理的に近接して共存していた移民と在来集団の民族的分離により特徴づけられます。じっさい、イベリア半島北東部のギリシア植民地アンプリアス(Empúries)では、遺伝的に異なる個体群2系統が共存しており、ストラボンの歴史的記述と一致します。バレアレス諸島やシチリア島のような地域では、鉄器時代後の集団のほぼ完全な置換が推定されますが、ある程度の在来集団の継続性も除外できません。

 最後に、サルデーニャ島現代人集団は初期農耕民の定着後比較的孤立していた、という一般的な見解に疑問を呈していることです。本論文は、新石器時代から銅器時代を経て青銅器時代まで、サルデーニャ島集団が典型的なヨーロッパ早期農耕民系統を有し、それがヨーロッパ他地域よりも長く続いたことを明らかにしました。しかし、地中海東部および北部とアフリカからの移民は、鉄器時代以降にサルデーニャ島集団の遺伝的構成にかなりの影響を及ぼし、それは地中海西部沿岸の他地域と同様です。サルデーニャ島現代人集団の系統の少なくとも38〜44%は、明らかに在来集団と混合した移民系統で、そのうちアフリカ北部系統は17〜23%と推定されます。このように、サルデーニャ島は新石器時代以来混合と移民から完全に隔離されていたというよりはむしろ、ヨーロッパの他地域のほとんどと同様に、移動と混合を経て現在の住民の遺伝的構成が形成されました。


参考文献:
Fernandes DM. et al.(2020): The spread of steppe and Iranian-related ancestry in the islands of the western Mediterranean. Nature Ecology & Evolution, 4, 3, 334–345.
https://doi.org/10.1038/s41559-020-1102-0

https://sicambre.at.webry.info/202003/article_3.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/277.html#c3

コメント [近代史5] イベリア半島人の起源 中川隆
2. 中川隆[-11551] koaQ7Jey 2020年9月01日 19:56:31 : WyT5nCL4pQ : YzlncmJkNllTTWc=[47]
雑記帳 2020年03月02日
地中海西部諸島における新石器時代以降の人口史
https://sicambre.at.webry.info/202003/article_3.html


バレアレス諸島 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%AC%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%82%B9%E8%AB%B8%E5%B3%B6

サルデーニャ - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%AB%E3%83%87%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%A3


 地中海西部諸島における新石器時代以降の人口史に関する研究(Fernandes et al., 2020)が報道されました。紀元前3000年頃、ポントス-カスピ海草原(中央ユーラシア西北部から東ヨーロッパ南部までの草原地帯)を起源とする人々が西進し始め、ヨーロッパ中央部の在来農耕民と交雑し、縄目文土器(Corded Ware)文化集団の系統の1/3に寄与し、鐘状ビーカー(Bell Beaker)文化集団との関連においてヨーロッパ西部で拡大しました。イベリア半島では、草原地帯系統が紀元前2500年頃までに外れ値の個体群に出現し、紀元前2000年頃までにイベリア半島集団へと完全に混合しました。地中海東部のクレタ島では、紀元前2400〜紀元前1700年頃となる中期〜後期青銅器時代のミノア文化期の報告されている個体群では、草原地帯系統がほとんど確認されませんが、早期イラン牧畜民と関連した集団由来の系統(イラン関連系統)の約15%がゲノムで見られます。

 しかし、草原地帯系統はクレタ島とその近隣のギリシアに、紀元前1600〜紀元前1200年頃のミケーネ期には到達していました。地中海中央部および西部諸島では、青銅器時代の移行は古代DNA分析で調査されてきませんでした。バレアレス諸島における最初の永続的な人類の居住は、紀元前2500〜紀元前2300年頃にさかのぼります。紀元前1200年頃、タライオット文化(Talaiotic culture)が食資源の管理強化と記念碑的な塔の出現により特徴づけられ、その一部はサルデーニャ島のヌラーゲ文化との類似性が示唆されています。同様に、青銅器時代ヌラーゲ文化期のサルデーニャ島の農耕民もまた、地中海東部からの集団と交易しました。サルデーニャ島とシチリア島は紀元前2500年以後のビーカー文化の拡大に影響を受けましたが、一方でミケーネ文化期にエーゲ海の影響を受けました。これらの文化的交流が人々の移動に伴っていたのかは未解決の問題で、本論文は61個体のゲノム規模古代データを生成することで検証しました。バレアレス諸島・サルデーニャ島・シチリア島の61個体から約124万ヶ所の一塩基多型配列が決定され、ゲノム規模データが得られました。46人では遺骸から直接放射性炭素年代が得られました。1親等の関係にある個体が1人除外されました。常染色体DNAの平均網羅率は2.91倍(0.11〜12.13倍)です。

 まず本論文の分析結果を概観すると、バレアレス諸島では青銅器時代の3人がヨーロッパ新石器時代および青銅器時代集団の変異内に収まり、草原地帯系統も見られます。早期青銅器時代と中期青銅器時代と後期青銅器時代の間で、顕著な違いが明らかになりました。3人の考古学的背景はひじょうに異なるので、個別に処理されました。シチリア島では中期新石器時代の4人がヨーロッパ早期農耕民と近縁で、シチリア島中期新石器時代集団として分類されます。これと比較して早期青銅器時代のシチリア島個体はすべて、早期青銅器時代の外れ値となる2人とともに東方集団へと接近しています。この外れ値の2人は草原地帯系統を有し、シチリア島早期青銅器時代集団として4人とはやや異なります。中期青銅器時代の2個体は早期青銅器時代個体群とは区別されるクレードで、シチリア島中期青銅器時代集団と分類されます。後期青銅器時代の5人は全員クレードを形成します。サルデーニャ島では、新石器時代の始まりから青銅器時代末まで、ヨーロッパ本土の早期および中期新石器時代農耕民と遺伝的に近縁で、2人を除いて系統構成を区別できません。この外れ値となる2人は、レヴァントおよびアフリカ北部新石器時代個体群と類似した銅器時代の個体と、地中海東部系統をわずかに有する青銅器時代の個体です。鉄器時代の2人はクレードを形成せず、1人はイラン関連系統を、もう1人は草原地帯系統を有します。古代末期の2人はサルデーニャ島の早期中世個体とともにクレードを形成しますが、早期中世の個体は主成分分析では分離し、年代も離れているのでサルデーニャ島早期中世人として個別に分析されました。


●バレアレス諸島

 バレアレス諸島で人類の居住が永続的となったのは早期青銅器時代以降で、青銅器時代以降の4人のDNAが解析されました。この4人のうち最古となる紀元前2400年頃の早期青銅器時代個体は、そのゲノムのうち38.1±4.4%が草原地帯系統に由来する、と推定されています。この早期青銅器時代個体は、草原地帯系統を有するイベリア半島ビーカー(Beaker)文化関連個体の子孫と推測されます。バレアレス諸島に草原地帯系統をもたらしたのはイベリア半島からの移民と考えられますが、早期青銅器時代でDNAが解析されたのは1人だけなので、この個体がバレアレス諸島の最古の入植者の代表的な遺伝的構成を表していないかもしれない、と本論文は注意を喚起します。

 中期および後期青銅器時代の2人はそれぞれ、早期青銅器時代個体よりも草原地帯系統の推定割合が低く、20.4±3.4%、20.8±3.6%です。この2人は、草原地帯系統の割合が比較的高い集団と、もっと古いヨーロッパ農耕民関連系統を有する集団との混合と推測されます。これは、さまざまな割合の草原地帯系統がバレアレス諸島に移住して混合したか、より多くヨーロッパ農耕民系統を有する集団からの遺伝子流動の結果かもしれません。また後期青銅器時代個体は、中期青銅器時代個体の属する集団の直接的な子孫かもしれません。バレアレス諸島のタライオット文化とサルデーニャ島のヌラーゲ文化との遺伝的関連の証拠は得られませんでしたが、タライオット文化期では1人しかDNAが解析されておらず、また移住なしの文化的接触もあり得る、と本論文は注意を喚起します。

 鉄器時代のバレアレス諸島にはフェニキア人が植民してきます。鉄器時代の1個体の年代は紀元前361〜紀元前178年頃で、青銅器時代の3人とはクレードを形成せず、異なる遺伝的構成を有します。この鉄器時代個体の遺伝的構成をモデル化するには、モロッコの後期新石器時代系統が必要で、青銅器時代の先住集団の遺伝的影響をまったく受けていない可能性もあります。バレアレス諸島現代人集団は、アナトリア農耕民系統とヨーロッパ西部狩猟採集民系統に加えて、草原地帯系統・イラン系統・アフリカ北部系統の混合としてモデル化できます。これは過去の異なる系統の混合を反映しており、そのうちのいくつかは地中海南部および東部からと推測されます。バレアレス諸島現代人集団のミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)とY染色体ハプログループ(YHg)はともに、古代に見られるmtHg-J2・H・U5およびYHg- R1bを有していますが、いずれも古代バレアレス諸島に特有ではないので、地域的な集団継続が証明されるわけではありません。


●シチリア島

 シチリア島では、中期新石器時代個体群が典型的な早期ヨーロッパ農耕民系統を有し、アナトリア新石器時代系統とヨーロッパ西部狩猟採集民系統の混合としてモデル化できます。また、ビーカー文化関連個体には草原地帯系統が見られない、と確認されました。早期青銅器時代になると、当初は紀元前2200年頃までに草原地帯系統が見られるようになります。2個体はとくに草原地帯系統の割合が高く、そのうち1個体はバレアレス諸島早期青銅器時代個体とクレードを形成するので、近い世代での祖先集団が同じと考えられ、その起源地としてとくに有力なのはイベリア半島です。早期青銅器時代における草原地帯系統の存在はY染色体の分析でも明らかで、男性5人のうち3人がYHg-R1b1a1a2a1a2(R1b-M269)です。この3人のうち2人はYHg-R1b1a1a2a1a2a1(Z195)で、現在はおもにイベリア半島に存在し、紀元前2500〜紀元前2000年頃に分岐した、と推定されています。これらの知見からの節約的な説明は、イベリア半島からシチリア島およびバレアレス諸島への遺伝子流動があった、というものです。

 シチリア島では、中期青銅器時代となる紀元前1800〜紀元前1500年頃までにイラン系統が検出され、主成分分析におけるミノア人とミケーネ人への方向変化と一致します。中期青銅器時代個体群は、イラン新石器時代関連系統が15.7±2.6%としてモデル化されます。またモデル化において、年代の近い系統では、ミノアやアナトリア早期青銅器時代が必要とされます。現代イタリア南部集団はイラン関連系統を有しており(関連記事)、シチリア島とイタリア南部ではイラン系統がギリシアの植民地となる前に出現した、と示されます。

 後期青銅器時代個体は、アナトリア新石器時代系統81.5±1.6%、ヨーロッパ西部狩猟採集民系統5.9±1.6%、草原地帯系統12.7±2.1%としてモデル化されます。現代人集団では、青銅器時代までに示された草原地帯系統とイラン関連系統がそれぞれ、10.0±2.6%と19.9±1.4%存在しますが、主要な系統は46.9±5.6%のアフリカ北部系統です。これらの結果は、鉄器時代以降にシチリア島に流入したのがほぼアフリカ北部系統だったことを示します。シチリア島現代人集団は、バレアレス諸島フェニキア期個体とクレードを形成します。これらの結果は青銅器時代以降のシチリア島におけるほぼ完全な系統転換と一致しますが、青銅器時代集団が現代人集団に少ないながら遺伝的影響を残している可能性も排除できません。現代人集団のmtHg- H・T・U・Kも、25%ほど存在するYHg-R1b1a1a2a1a2(R1b-M269)も、青銅器時代に見られます。


●サルデーニャ島

 サルデーニャ島では、新石器時代から銅器時代を経て青銅器時代まで、ほぼ全ての個体がアナトリア新石器時代系統とヨーロッパ西部狩猟採集民系統の混合としてモデル化され、高い遺伝的継続性が推測されます。新石器時代の個体群は、74〜77%がフランス中期新石器時代系統と、23%がハンガリー早期新石器時代系統もしくはクロアチアのカルディウム文化系統と関連しています。サルデーニャ島の早期農耕民の起源は、まだ古代DNAデータがほとんど得られていないイタリア北部やコルシカ島にあるだろう、と本論文は推測しています。ビーカー文化個体群でも、草原地帯系統は検出されませんでした。これはシチリア島およびイベリア半島のビーカー文化関連個体群と類似しており、ビーカー文化関連個体群にかなりの草原地帯系統が見られるヨーロッパ中央部および北部とは対照的です(関連記事)。

 このように、サルデーニャ島では新石器時代から青銅器時代にかけて、ヨーロッパでは例外的な遺伝的連続性が見られますが、外れ値も2個体確認されています。銅器時代となる紀元前2345〜紀元前2146年頃の個体は、アナトリア新石器時代系統22.7±2.45%とモロッコ早期新石器時代系統77.3±2.4%としてモデル化されます。この個体は、ほぼ同年代となる紀元前2473〜紀元前2030年頃のイベリア半島中央部のカミノ・デ・ラス・イェセラス(Camino de las Yeseras)遺跡個体(関連記事)と遺伝的に類似しています。この遺跡の個体はアフリカ北部系統を有し、mtHg-M1a1b1、YHg-E1b1b1で、ともにアフリカ北部で典型的です。こうしたアフリカとヨーロッパの間の遺伝子流動は、それが増加し、より大きな人口への影響を有するようになった古典期のずっと前に、地中海全体の広範な移動があったことを示します。

 外れ値の2番目の個体は、年代が青銅器時代となる紀元前1643〜紀元前1263年頃で、サルデーニャ島在来集団と、ミケーネ文化やヨルダン早期青銅器時代のような地中海東部系統、もしくはイタリアやフランスの鐘状ビーカー(Bell Beaker)文化の草原地帯の混合としてモデル化されます。サルデーニャ島の銅器時代の1個体のmtHgは、サルデーニャ島では珍しく、早期青銅器時代バルカン半島やアジア西部で知られているU1aです。また、サルデーニャ島青銅器時代の1個体のYHgは、現在バルカン半島や中東において最高頻度で見られる J2b2aで、青銅器時代以前にはバルカン半島や中東にほぼ固有です。

 サルデーニャ島における草原地帯系統とイラン系統の最初の出現は、鉄器時代の2個体で見られます。一方は紀元前762〜紀元前434年頃で、草原地帯系統が22.5±3.6%、もう一方の紀元前391〜紀元前209年頃の個体ではイラン系統が12.7±3.5%と推定されています。イラン系統は、古代末期の個体群の複数個体ではより高くなります。サルデーニャ島の古代末期集団は、バレアレス諸島のフェニキア期個体とクレードを形成し、フェニキア人によりもたらされた、と推測されます。サルデーニャ島の中世個体は限定的な一塩基多型網羅率のためモデル化されていませんが、そのYHg-E1b1b1b2は、サルデーニャ島銅器時代個体およびヘレニズム期エジプトの個体群のYHg-E1b1bと同じ系統で、地中海東部起源を示唆します。

 これらの知見から、鉄器時代2人・古代末期2人・中世前期1人というサルデーニャ島の比較的新しい個体群では、新石器時代から青銅器時代の先住民の遺伝的影響は比較的小さいと推測されます。この5人は全員沿岸の遺跡で発見されており、サルデーニャ島外の集団からの移住を示唆します。内陸部などサルデーニャ島で古代DNAデータが得られていない地域では、おそらく鉄器時代より前の先住民系統を高い割合で保持しており、その先住民系統は、サルデーニャ島現代人集団に寄与した最大の単一系統と推測されます。

 サルデーニャ島現代人集団は、4〜5系統の混合としてのみモデル化でき、以前の推定よりも複雑な形成過程が示唆されます。サルデーニャ島現代人集団における先住民系統の割合は、新石器時代系統で56.3±8.1%、青銅器時代系統で62.2±6.6%と推定され、アフリカ北部(モロッコ)関連後期新石器時代系統の割合は、前者で22.7±9.9%、後者で17.1±8.0%と推定されます。このアフリカ北部関連系統はおそらくサハラ砂漠以南アフリカ系統との混合で、サルデーニャ島現代人集団でも複数の研究で検出されています。この56〜62%という割合は、鉄器時代よりも前のサルデーニャ島先住民を唯一の祖先源と仮定して推定しているので、上限値となります。

 これらの知見は、サルデーニャ島ではヨーロッパ最初の農耕民関連系統の割合がヨーロッパの他地域よりも高いことを確証しますが、以前には知られていなかった新石器時代後の主要な遺伝子流動があったことも明らかにします。これは、サルデーニャ島現代人集団において、新石器時代から青銅器時代までに一般的だったYHg-R1b1aとmtHg-HV・JT・Uとともに、青銅器時代以前には確認されていないYHg-R1b1a1a2a1a2が高頻度で見られることからも明らかです。最近の研究でも、サルデーニャ島現代人集団において、以前の推定よりも大きい青銅器時代後の遺伝子流動と、サルデーニャ島沿岸における青銅器時代以前の先住民系統の低さが指摘されています(関連記事)。アルプスのイタリアとオーストリアの国境付近で発見されたミイラの5300年前頃の「アイスマン」のゲノムは、サルデーニャ島現代人集団とひじょうに近いと言われていますが、その一致率は100%よりはるかに低くなります。


●まとめ

 本論文は5つの結果を強調します。まず、バレアレス諸島とシチリア島の両方で、青銅器時代の人々の主要な起源としてイベリア半島を特定したことです。バレアレス諸島の早期の住民の中には、少なくとも一部がイベリア半島系統由来だった人々もいました。早期青銅器時代のシチリア島の2人では、イベリア半島に特徴的なYHg-R1b1a1a2a1a2a1(Z195)が確認されました。イベリア半島は、東方から西方への人類の移動の目的地だけではなく、西方から東方への「逆流」の起源地でもあったわけです。しかし、この期間のイベリア半島の人口史は地中海諸島とは異なっており、たとえばイベリア半島では、銅器時代に一般的だったYHgが青銅器時代にはほぼ完全に置換されましたが(関連記事)、シチリア島ではYHgのほぼ完全な置換は起きておらず、新石器時代および草原地帯関連のYHgが両方見られます。

 第二に、ミノアおよびミケーネ文化と関連して中期青銅器時代までにエーゲ海で広まったイラン系統が、遅くともミケーネ期までにシチリア島へと西進し、かなりの割合を有するようになったことです。これはミケーネ文化の拡大に伴っていたかもしれません。しかし、ミケーネ文化最盛期の前に、マルタ島・ギリシア・アナトリア半島でシチリア島のカステラッチョ文化(Castellucian culture)と関連した人工物が見つかっており、それ以前の遺伝子流動の可能性も考えられます。バレアレス諸島やサルデーニャ島では、フェニキア期の前にイラン系統の高い割合の証拠はありませんが、それは地中海東部からの孤立を意味しません。考古学的証拠では、たとえば後期青銅器時代のサルデーニャ島におけるキプロス島の銅の輸入のように、地中海東部から西部へのかなりの物資の移動がありました。

 第三に、銅器時代と青銅器時代におけるアフリカ北部からヨーロッパへの広範な人類の移動です。具体的には、上述のサルデーニャ島における紀元前2345〜紀元前2146年頃の個体で、イベリア半島中央部の紀元前2473〜紀元前2030年頃の個体と類似しています。また、紀元前1932〜紀元前1697年頃のイベリア半島の個体にもアフリカ北部関連系統が認められます。現時点では、5000〜3000年前頃の地中海ヨーロッパの191人のうち1.6%に、数世代前のアフリカ北部移民系統の証拠があります。

 第四に、フェニキアおよびギリシア植民地期と、それに続く地中海西部諸島の移民の影響です。たとえば、バレアレス諸島鉄器時代以降の個体群は、在来の先住集団からの系統を有していないかもしれません。以前の研究と併せて考えると、鉄器時代以降、地中海西部の沿岸地域は、地理的に近接して共存していた移民と在来集団の民族的分離により特徴づけられます。じっさい、イベリア半島北東部のギリシア植民地アンプリアス(Empúries)では、遺伝的に異なる個体群2系統が共存しており、ストラボンの歴史的記述と一致します。バレアレス諸島やシチリア島のような地域では、鉄器時代後の集団のほぼ完全な置換が推定されますが、ある程度の在来集団の継続性も除外できません。

 最後に、サルデーニャ島現代人集団は初期農耕民の定着後比較的孤立していた、という一般的な見解に疑問を呈していることです。本論文は、新石器時代から銅器時代を経て青銅器時代まで、サルデーニャ島集団が典型的なヨーロッパ早期農耕民系統を有し、それがヨーロッパ他地域よりも長く続いたことを明らかにしました。しかし、地中海東部および北部とアフリカからの移民は、鉄器時代以降にサルデーニャ島集団の遺伝的構成にかなりの影響を及ぼし、それは地中海西部沿岸の他地域と同様です。サルデーニャ島現代人集団の系統の少なくとも38〜44%は、明らかに在来集団と混合した移民系統で、そのうちアフリカ北部系統は17〜23%と推定されます。このように、サルデーニャ島は新石器時代以来混合と移民から完全に隔離されていたというよりはむしろ、ヨーロッパの他地域のほとんどと同様に、移動と混合を経て現在の住民の遺伝的構成が形成されました。


参考文献:
Fernandes DM. et al.(2020): The spread of steppe and Iranian-related ancestry in the islands of the western Mediterranean. Nature Ecology & Evolution, 4, 3, 334–345.
https://doi.org/10.1038/s41559-020-1102-0

https://sicambre.at.webry.info/202003/article_3.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/291.html#c2

コメント [カルト28] 次の首相は菅義偉(すがよしひで)だろう。去年5月アメリカで”首実検” 済みだから/副島隆彦 仁王像
4. 地下爺[12501] km6Jupbq 2020年9月01日 19:57:50 : tu6SpoHmCg : Y1JnTi5SaUdrdTI=[155]

         ↑↑


  みなさん の意見も そのとおりだけど 今のマスコミみたら そのとおり

  なんだろうな とも 思う。 副島隆彦 さん より 馬鹿なのは 自民党の

  虫王 じゃない 中央の面々 だと 思うもの 。。。



http://www.asyura2.com/20/cult28/msg/204.html#c4

コメント [近代史5] イベリア半島人の起源 中川隆
3. 2020年9月01日 19:59:28 : WyT5nCL4pQ : YzlncmJkNllTTWc=[48]
雑記帳 2019年09月15日
イベリア半島西部への現生人類の拡散
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_37.html


 今月(2019年9月)19日〜21日にかけてベルギーのリエージュで開催予定の人間進化研究ヨーロッパ協会第9回総会で、イベリア半島西部への現生人類(Homo sapiens)の拡散に関する研究(Haws et al., 2019)が報告されました。この研究の要約はPDFファイルで読めます(P83)。以下の年代は較正されたものです。イベリア半島への現生人類の拡散に関しては、とくに南部というかエブロ川以南をめぐって議論が続いています。ヨーロッパにおける現生人類拡散の考古学的指標となるのはオーリナシアン(Aurignacian)です。イベリア半島北部では、較正年代で43270〜40478年前頃にオーリナシアンが出現した、と推定されています(関連記事)。ヨーロッパでは、現生人類の拡散から数千年ほどの4万年前頃までにネアンデルタール人は絶滅した、と推測されています(関連記事)。

 しかし、イベリア半島南部というかエブロ川以南に関しては、上部旧石器時代となるオーリナシアンの出現が他のヨーロッパ西部地域よりも遅れ、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)によるムステリアン(Mousterian)の中部旧石器時代が37000〜36500年前頃まで続いた、との見解も提示されています(関連記事)。生物地理学的にはイベリア半島はエブロ川を境に区分される、という古環境学的証拠が提示されています。この生態系の違いが現生人類のイベリア半島への侵出を遅らせたのではないか、と想定されています(エブロ境界地帯モデル仮説)。

 しかし最近、イベリア半島南部に位置するスペインのマラガ(Málaga)県のバホンディージョ洞窟(Bajondillo Cave)遺跡の調査から、現生人類はオーリナシアンを伴ってイベリア半島南部に43000〜40000年前頃に到達した、との見解が提示されました(関連記事)。これに対しては、年代測定結果と、石器群をオーリナシアンと分類していることに疑問が呈されており、議論が続いています(関連記事)。再反論を読んだ限りでは、年代測定結果に大きな問題はなさそうですが、石器群をオーリナシアンと分類したことに関しては、議論の余地があるように思います。

 本論文は、ポルトガル中央部のラパドピカレイロ(Lapa do Picareiro)洞窟遺跡の石器群を報告しています。ラパドピカレイロ遺跡の石器群には特徴的な竜骨型掻器(carinated endscraper)や石核や小型石刃が含まれ、早期オーリナシアンと分類されてきました。この石器群は、中部旧石器時代の47000〜45000年前頃の層と、38000〜36000年前頃のまだ分類されていない考古学的層との間に位置します。本論文はこの放射性炭素年代測定結果と堆積データから、ラパドピカレイロ遺跡の早期オーリナシアンの年代を40200〜38600年前頃となるハインリッヒイベント(HE)4と推定しています。これは、イベリア半島西部への現生人類の拡散が、以前の想定より5000年ほど早かったことを意味します。

 本論文は、オーリナシアンはイベリア半島北部経由でイベリア半島西端へと拡大した、と推測します。また本論文は、ドウロ(Douro)とタホ(Tejo)というイベリア半島の主要2河川経由でオーリナシアンがイベリア半島西端へと到達した可能性も指摘します。一方、上述のように、イベリア半島でもエブロ川以南では4万年前頃以降もネアンデルタール人が生存していた、との見解が提示されており、ラパドピカレイロ遺跡の近くのオリベイラ洞窟(Gruta da Oliveira)遺跡も、4万年前頃以後のネアンデルタール人の存在の可能性が指摘されています。本論文は、イベリア半島西部や南部で、現生人類とネアンデルタール人が数世紀もしくは数千年にわたって共存していた可能性を指摘します。イベリア半島における中部旧石器時代〜上部旧石器時代への移行期はかなり複雑だったかもしれず、ネアンデルタール人の絶滅理由の解明にも重要となるでしょうから、今後の研究の進展が期待されます。


参考文献:
Haws J. et al.(2019): Modern human dispersal into western Iberia: The Early Aurignacian of Lapa do Picareiro, Portugal. The 9th Annual ESHE Meeting.

https://sicambre.at.webry.info/201909/article_37.html

http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/291.html#c3

コメント [経世済民134] 淡路島がパソナの建物だらけ…本社移転&社員千人移住、“パソナ”ランド化に地元で不安も(Business Journal) 赤かぶ
7. 2020年9月01日 20:01:31 : K4q2fHSQEc : WmF1Vmo3MEp4TUE=[17]
アメリカにも何とか島ってあるよね。
人身売買とか小児性愛者が集まる乱痴気島。
何十年遅れで日本もそうなっていくというか、そういう人たちが集まるのは
島なんだね。
http://www.asyura2.com/20/hasan134/msg/650.html#c7
コメント [政治・選挙・NHK275] 「密室談合」による菅官房長官の次期総理就任を許していいのか! GoTo、沖縄いじめ、公文書改ざん、メディア圧力の最大の戦犯(… 赤かぶ
10. 2020年9月01日 20:02:03 : zMRuwIiRAm : em93QTFRem8yUFE=[37]
悪魔の化身
http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/473.html#c10
コメント [政治・選挙・NHK275] <白井聡さんの記事、すごいです!>《1》安倍政権の7年余りとは、日本史上の汚点である 私たちの再出発は、公正と正義の理念… 赤かぶ
54. 2020年9月01日 20:02:07 : JQONAc1R1o : OHFMaW9tUFJoRHM=[113]
誰もあんなグズを最初に期待こそすれ
何年も支持してなかったはず
売国メディアの懐柔や大した政治成果も出さぬのに
連戦連勝の選挙圧勝から少なからずの国民が疑問を持ってたはず
ムサシ不正選挙糾明 ジャーナリズム不在の売国メディア殲滅
カネと献金額で決まる金権政治の廃絶 米の狗に成り下がってる
東京地検特捜部の刷新 果たしてどこまで回復できるか?
http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/452.html#c54
コメント [政治・選挙・NHK275] <ポスト安倍 密室談合に国民はア然>そもそも菅には立候補の資格などなし(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
35. 2020年9月01日 20:03:09 : zMRuwIiRAm : em93QTFRem8yUFE=[38]
使い捨てに良い玉だろ
http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/470.html#c35
コメント [近代史5] ハプログループ D1a2a (Y染色体) 中川隆
3. 2020年9月01日 20:03:43 : WyT5nCL4pQ : YzlncmJkNllTTWc=[49]
2019年06月17日
Y染色体DNAハプログループDの起源
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_35.html


 Y染色体DNAハプログループ(YHg)Dの起源に関する研究(Haber et al., 2019B)が公表されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。ゲノム規模データ(関連記事)からも、単系統(母系および父系)のミトコンドリアDNA(mtDNA)およびY染色体DNA(関連記事)からも、非アフリカ系現代人の主要な祖先集団の出アフリカは7万〜5万年前頃の1回だった、と推測されており、mtDNAハプログループ(mtHg)とY染色体DNAハプログループ(YHg)の分岐年代や移動について詳しく検証され続けています。

 しかし、Y染色体DNAハプログループ(YHg)に関しては、現在の分布が単純な系統地理的モデルと合致していないため、長く議論が続いてきました。非アフリカ系現代人のYHgはCT系統ですが、短期間のうちにC・DE・FTの各系統に分岐していった、と推測されています。YHg-DE系統はその後すぐに、D系統とE系統に分岐していきます。YHg-C・D・FTの各系統は基本的に非アフリカ系現代人に見られますが、E系統はおもにアフリカに分布しているため、これらの系統がいつどこで分岐したのか、確定したとは言えない状況です。

 これまで、YHg-DE系統の分岐に関して、大別するとアジア起源説とアフリカ起源説が提示されてきました。アジア起源説では、YHg-CT系統の出アフリカ後、DE系統がD系統とE系統に分岐し、E系統がアフリカに「戻った」と想定されます。アフリカ起源説では、YHg-CT系統の出アフリカ後、DE系統がC・FT系統が分岐した後でアフリカに「戻って」D系統とE系統に分岐し、その後でD系統がアフリカからユーラシアに拡散した、と想定されます。アフリカ・ユーラシア間の系統移動が、アジア起源説では2回、アフリカ起源説では3回となるため、アジア起源説の方がより節約的と考えられてきました。

 YHg-DE系統の分岐に関する問題は、DE系統に分類されるものの、DにもEにも分類されない稀なハプログループDE*の存在により、さらに複雑になりました。YHg-DE*の存在はまずナイジェリアの5人で確認され、その後アフリカ西部のギニアビサウ出身者1人と、ユーラシア東部のチベット人2人で確認されました。本論文は、以前報告されたナイジェリアのDE*系統の5人を改めて分析するとともに、YHg-Dのチベット人4人も含めて世界規模のデータと比較しました。ナイジェリアの5人のうち、2組は重複の可能性が高いと推定されたため、3人が分析対象とされました。

 Y染色体DNA配列に基づく系統樹はすべて一貫した構造を示し、ナイジェリア人のYHg-DE*系統はD系統とE系統の分岐に近い系統を形成します。ナイジェリア人のYHg-DE*系統と他の系統との一塩基多型の共有は、D系統で7ヶ所、E・C1b2a・F2の各系統でそれぞれ1ヶ所となります。本論文は、単一の一塩基多型の共有を反復変異とみなし、ナイジェリア人のYHg-DE*系統を、じゅうらいのYHgの名称を変更せずにすむように、D0系統と命名しています。

 本論文はYHg各系統間の分岐年代を、B系統とCT系統は101100年前頃、CおよびFT系統とDE系統は76500年前頃、D系統とE系統は73200年前頃、D0系統と他のD系統は71400年前頃と推定しています。D系統とE系統の分岐後すぐに、D0系統と他のD系統が分岐したことになります。D0系統はさらに3系統に区分され、2500年前頃と1900年前頃に分岐します。D0系統は常染色体ゲノムの分析から、祖先がアフリカ西部系と確認されています。YHg-DE系統は、アフリカ系のD0とE、非アフリカ系のDに区分されます。本論文は、YHg-DE系統がどこで分岐し、どのように移動していったのか、3通りの仮説を検証しています。

(1)B系統とCT系統が分岐した101000年前頃〜CおよびFT系統とDE系統が分岐した77000年前頃までは、非アフリカ系現代人系統にはCT系統しか存在していないことから、CT系統がアフリカからユーラシアに拡散し、D0系統とE系統がD0系統の起源の71000年前頃〜E系統のアフリカでの分岐が始まる59000年前頃にアフリカに「戻った」と推測されます。この仮説でも以下の2仮説でも、E1b1b1系統が47000〜28500年前頃にアフリカからユーラシアへ拡散した、と推測されています。

(2)C系統とFT系統の分岐した76000年前頃〜D系統とE系統の分岐した73000年前頃の間に、C・DE・FTの3系統がアフリカからユーラシアへ拡散し、その後で(1)と同様にD0系統とE系統が71000年前頃〜59000年前頃にアフリカに「戻った」と推測されます。

(3)D0系統の起源の71000年前頃〜FT系統の分岐が始まる57000年前頃には、C・D0・その他のD・E・FTの5系統が存在し、このうちE・D0以外のC・D・FTがこの期間にアフリカからユーラシアへ拡散したと推測するもので、この場合、ユーラシアからアフリカへの「逆流」を想定する必要はありません。

 本論文のYHg-D0系統はナイジェリアの3人のY染色体DNAに基づいています。推定年代は、前提となる変異率の違いにより異なってくるため、確定的ではありません。しかし、西シベリアの45000年前頃の現生人類遺骸(関連記事)など、DNAが解析されている個体を参照すると、より年代を絞り込めます。非アフリカ系現代人は全員、ゲノムにネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)由来の領域を2%ほど有しています。ネアンデルタール人と現生人類の交雑が複数回起きたとしても(関連記事)、非アフリカ系現代人のゲノムに存在するネアンデルタール人由来の領域の大半は、非アフリカ系現代人がアフリカからユーラシアへ拡散してから各地域集団に分岐していく前まで間の(1回の)交雑に由来する、と考えられます。

 この交雑の時期について、本論文は59400〜49900年前頃とする見解(関連記事)を採用していますが、54000〜49000年前頃まで限定する見解も提示されています(関連記事)。本論文は、この現生人類とネアンデルタール人との交雑の推定年代から、上記のシナリオでは(3)を支持しています。mtDNAの分析におけるアフリカ系統から非アフリカ系統の推定分岐年代は、古代DNAも対象とすると95000〜62000年前頃、現代人を対象とすると65000〜57000年前頃となり、(3)と一致する、と本論文は指摘します。

 アフリカにおける現代のYHgの分布は、過去1万年のバンツー語族集団の拡大やユーラシアからアフリカへの遺伝子流動(関連記事)の結果、大きく変わりました。現在、YHgで最古の分岐系統が見られるのはアフリカ西部で(関連記事)、常染色体ではアフリカ南部の狩猟採集民集団において最古の分岐が推定されていること(関連記事)とは対照的です。これは、アフリカにおける現生人類の深い分岐(関連記事)を示唆しているのではないか、と本論文は指摘しています。

 アフリカにおけるYHgの分布に関しては、10万〜5万年前頃のアフリカ人の古代DNA解析には成功しておらず、今後も期待薄であることを考慮すると、アフリカ中央部および西部の現代人のYHgのさらなる研究が重要になる、と本論文は指摘します。本論文は、アフリカ内におけるDE系統の起源と、その後のC・D・FT系統のアフリカからユーラシへの拡散という仮説を支持します。現代日本人もYHg-Dの割合は高く、その起源について議論があるので(関連記事)、その意味でも注目される研究です。


参考文献:
Haber M. et al.(2019B): A Rare Deep-Rooting D0 African Y-Chromosomal Haplogroup and Its Implications for the Expansion of Modern Humans out of Africa. Genetics, 212, 4, 1241-1248.
https://doi.org/10.1534/genetics.119.302368


https://sicambre.at.webry.info/201906/article_35.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/173.html#c3

コメント [政治・選挙・NHK275] あっぱれ電通<本澤二郎の「日本の風景」(3831A)<芝居が始まる前に幕が下りた自民総裁選・大魔神死力の成果> 赤かぶ
13. 2020年9月01日 20:04:15 : zMRuwIiRAm : em93QTFRem8yUFE=[39]
電通にまたお年玉?
http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/467.html#c13
コメント [政治・選挙・NHK275] 国民に暫定内閣などない/政界地獄耳(日刊スポーツ) 赤かぶ
25. 2020年9月01日 20:05:49 : zMRuwIiRAm : em93QTFRem8yUFE=[40]
独裁の張本人なのか?
http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/469.html#c25
コメント [政治・選挙・NHK275] 石垣のりこ議員を非難する安倍応援団の倒錯! 膳場貴子や星浩にまで炎上攻撃で、安倍首相の政権投げ出し批判がタブーに(リテラ… 赤かぶ
77. 楽老[1480] inmYVg 2020年9月01日 20:05:50 : jfZE5owcak : Ti9ZVDhtT2Flbm8=[610]
>76.UnJwejRac3QzU0k

おっしゃる通りですね。
本当のところは私のような素人には魑魅魍魎の世界ですが
調子に乗って石垣のりこを責めた連中は
事の真偽なぞどうでも良く、石垣のりこを貶めたいだけだったようだ。
腐った糞何とかも

     


http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/442.html#c77

コメント [政治・選挙・NHK275] 何もかも行き詰まった安倍首相 辞意と病気の全真相<下>悪政の膿を出し切るには安倍一派の一掃が必要(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
29. TondaMonta[2365] gnOCj4KOgoSCgYJsgo@CjoKUgoE 2020年9月01日 20:07:00 : 1NnOkU0rJ2 : UDMyUEZMdFhaV0U=[7]
IOC。IOC.IOC.あいおうしー。バッハ会長さん。イチョウは快調でっか。22万人の一人になっていまシェンか。

東京五輪中止はいつ発表になるのでしゅか。10月ですよね。しかし日本のマスゴミは9月から騒ぎますよね。とすると10月に総選挙ですか。ないでしょうね。ワタチが予想してきたように12月14日です。赤穂浪士討ち入りの日です。
 なぜかって,ワタチのトランプがそう占っているからです。

あままあしかし。コロナ患者数次第でしょうね。気温が高くなり国民の意識も高まり,過度の自粛も過度の活動も抑えられてきたから最近は減っています。しかし秋から気温が下がり,冬にかけて家に閉じこもってばかりいられなくなった頃,また患者数が増えるでしょうね。しかし今月9月次第でしょうね。
 ここで10兆円の金をばら撒き,BIでも給付金でも何でもいい。第三四半期のGDPを上げるのは個人消費。金を配れ。大石内蔵助では駄目だ。あれは紀国みかん船。したがって11月20日に衆院を解散すればいい。このころ四半期のGDPはプラスになり,患者数が少し増えて来たとは言え,全国封鎖までは行かない。BIまたは給付金で冬の支度をするだろう。しかも10月発表の「五輪中止」の残滓も消える。失望感から自公政権の人気は一度落ちる。しかし人の噂も40日(75日ではない)。安倍のいない,安倍後継内閣は勝つ絶好のチャンス。ステーキは食べないでかつ丼を食べればいい。

飛田ことを申して済みマシェンでした。Tonda野郎がシンガポールよりお送りしました。どんなMontaい。

http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/446.html#c29

コメント [政治・選挙・NHK275] <白井聡さんの記事、すごいです!>《1》安倍政権の7年余りとは、日本史上の汚点である 私たちの再出発は、公正と正義の理念… 赤かぶ
55. 命を大切に思う者[3505] lr2C8JHlkNiCyY52gqSO0g 2020年9月01日 20:07:42 : jQhPABNiFE : dE82S2NQYUtpNU0=[8]
(山口敬之レイプ事件、森友学園事件、加計学園事件、桜を観る会、河井夫妻の事件について)
> そして当然、究明に引き続いて、安倍のみならず関与した他の者の訴追と処罰もなされなければならない。

私もそう思う。

森友土地安売り背任事件では、検察官は、

官僚が「ゴミの量を多く報告しろ」とゴミ埋蔵量調査員を脅してる録音が公開され、そのことを知ってて、

「ゴミの量の報告は正しく膨大だから大幅値引は適正」と平然と嘘を述べてその嘘を理由に不起訴にし、


公文書改竄事件では、検察官は、

赤木氏の遺書に「学園に厚遇したと取られる疑いの箇所はすべて修正するよう指示があった」とあるのを知ってて、

「文書の効用を失ったとは言えず、うその文書を作ったとは認められない」と平然と嘘を述べて

その嘘を理由に不起訴にした。


検察官も、犯罪(背任罪。実質的には国家反逆罪)を犯したのだから、
検察官を、逮捕し、取り調べ、起訴し、裁判にかけ、刑務所に入れないといけない。
これらの不起訴の行為は、刑事事件なのです。
ただのミスでもないし、ただ不適正だっただけでもない。悪意でわざとやった犯罪。

通常、起訴する立場に居る検察官が起訴されることになるが、絶対にやらないと駄目! 

http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/452.html#c55
コメント [社会問題10] 働く女性の70%以上が「結婚不要」と回答 その理由は?/Forbes JAPAN・msnニュース 仁王像
4. 2020年9月01日 20:07:57 : 6oB6TEmtoh : Lkg3b3RYS1RLaE0=[206]

働く女性の70%以上がこんな感じ?

 ↓

https://livedoor.blogimg.jp/light081215-1234/imgs/0/d/0d45f904.jpg
https://livedoor.blogimg.jp/light081215-1234/imgs/5/5/55b7bb9c.jpg

※参考

12,000円の3割引き 金額は? 
https://pbs.twimg.com/media/Efnu2tSU0AAu0ly?format=jpg

http://www.asyura2.com/18/social10/msg/243.html#c4

記事 [近代史5] バスク人の起源
バスク人の起源


雑記帳 2019年05月12日
バスク人の起源とインド・ヨーロッパ語族の拡散
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_20.html


 当ブログではバスク人についてほとんど言及していませんが、その起源と関わる研究を取り上げたことがあります。バスク人は、インド・ヨーロッパ語族集団が支配的なヨーロッパにおいて、孤立言語であるバスク語を話しているため、その起源について関心が寄せられてきました。バスク語の孤立性から、バスク人は旧石器時代や中石器時代からイベリア半島で継続してきた集団で、比較的孤立していたのではないか、との見解が長い間有力でした。

 古代DNA研究が進むと、ヨーロッパの他地域と同じく、バスク人は新石器時代になってアナトリア半島からイベリア半島に進出してきた初期農耕民の子孫ではないか、との見解が提示されました(関連記事)。もっとも、ヨーロッパの他の多くの地域と同様にイベリア半島北部においても、アナトリア半島起源の農耕民集団は、じょじょに更新世からの在来狩猟採集民集団と交雑していった、と推測されています。バスク人は遺伝的には、ヨーロッパにおいてきわだって特異的な存在ではないだろう、というわけです。

 もっとも、現代ヨーロッパ人の起源については、アナトリア半島起源の農耕民集団と更新世からの在来の狩猟採集民集団との融合だけでは説明できません。現代ヨーロッパ人の遺伝的構成に大きな影響を及ぼしているのは、青銅器時代にポントス-カスピ海草原(中央ユーラシア西北部から東ヨーロッパ南部までの草原地帯)からヨーロッパに拡散してきたヤムナヤ(Yamnaya)文化集団を代表とする遊牧民集団です(関連記事)。ウマの家畜化や車輪つき乗り物の開発などによる移動力・戦闘力の点での優位が、青銅器時代のヨーロッパにおけるポントス-カスピ海草原地帯起源の遊牧民集団の広範な拡散と大きな遺伝的影響をもたらした、と考えられます。この遊牧民集団のヨーロッパへの拡散は、とくに父系において大きな影響力を有した、と推測されています(関連記事)。15世紀末以降のアメリカ大陸もそうですが、征服的側面の強い大規模な人類集団の移動は男性主体で、被征服地はとくに父系で強い影響を受ける傾向にあるのかもしれません。バスク人も、この遊牧民集団の遺伝的影響を強く受けています(関連記事)。

 ヤムナヤ文化集団の大規模な拡散は、インド・ヨーロッパ語族の拡散との関連でも注目されています。インド・ヨーロッパ語族の起源について大別すると、アナトリア半島の初期農耕民説とロシア南西部草原地帯説があります。後者の仮説の発展版が、ヤムナヤ文化集団によるヨーロッパやアジア南西部・中央部・南部という広範な地域へのインド・ヨーロッパ語族の拡散説です。この見解は近年では有力になりつつあるように思います。しかし、アナトリア半島に関しては、ヤムナヤ文化集団の遺伝的影響の前にインド・ヨーロッパ語族系言語が用いられており、アジア中央部および南部に関しては、ヤムナヤ文化集団の遺伝的影響はほとんどない、との見解も提示されています(関連記事)。

 それでも、ヨーロッパに関しては、ヤムナヤ文化集団がインド・ヨーロッパ語族を広めた可能性は高そうです。しかし、ヨーロッパの他地域と同様にヤムナヤ文化集団の遺伝的影響を強く受けたバスク人の言語はインド・ヨーロッパ語族ではありません。なぜこのような違いが生じたのか、現時点ではよく分かりません。バスク人は、ヤムナヤ文化集団の遺伝的影響を強く受けた後は、遺伝的には比較的孤立していたと推測されています(関連記事)。ヤムナヤ文化集団はヨーロッパにおいて全地域集団の言語をインド・ヨーロッパ語族に転換させたわけではなく、当初は新石器時代以来の言語を保持し続けた集団もそれなりに存在したものの、他集団との交流により次第にインド・ヨーロッパ語族へと転換していった中、バスク人は比較的孤立していたので、新石器時代以来の言語を保持し続けたのかもしれません。そうだとすると、バスク人の言語が新石器時代にイベリア半島に拡散してきたアナトリア半島農耕民集団に由来するのか、それとも中石器時代以前の狩猟採集民集団に由来するのか、気になるところです。

https://sicambre.at.webry.info/201905/article_20.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/298.html

コメント [政治・選挙・NHK275] 菅官房長官にも健康不安説が取り沙汰、総裁選が混沌…安倍首相辞任の裏で飛び交う噂(Business Journal) 赤かぶ
8. 2020年9月01日 20:08:59 : K4q2fHSQEc : WmF1Vmo3MEp4TUE=[18]
障害をもつ国会議員の立場はどうなるの?
車椅子でも点滴でもフル装備で公の場で裁かれなさい。
http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/471.html#c8
コメント [カルト28] ネトゲ・週末に超巨大台風が西日本直撃。馬鹿の仮病スピンと簾ハゲに活躍のチャンスを与えるみたいな人工台風という感じである。 ポスト米英時代
1. 2020年9月01日 20:09:10 : AmTyuksOGo : ZktMTUYyaTdubUE=[1]
ウルトラノータリンの安倍こと李晋三を、見届けた簾ハゲは、自身が潔白だとは決して考えていない、ただしDSから、首相に立候補せよとの命令を、聞いて立つだけだが、悲しいかなトランプ軍から、安倍の手先として充分な罪を、犯している以上もはや逃げも隠れも出来ない状態で総裁選を迎える。結果は首相となった暁には安倍の犯罪を全て自白し清和会の全ての犯罪を吐露して、死刑を逃れるのみで、全財産は全て没収されて、このすだれには何も残らずにグアンタナモ刑務所で処刑が行われるのみですね。また岸田のアホタレも晋三と同じく自民党の暗部を受けて八百長不正に関わっているので同じく、政治生命は絶たれます。小鼠進次郎や石原伸びてるも同じく在日二世として、安倍の悪行を、共同で補助している以上同罪として、処刑が予定されて、おりますが、ヒョットコ馬鹿太郎は既に処刑が決まっておりますので、今後の自公政局は殆ど死滅政権として結果石破体制としてワンポイント政権として、今後のマトモな政治体制の礎を、形成してゆく大事な仕事が石破政権にかかっておりますので、大変です。しかしこれでヤットコロナの嘘が正され児童誘拐殺人死体損壊遺棄等の悪魔の所業は全て糺されてマトモな政治体制の構築になって参ります。当然、この悪魔の所業に関わった全ての犯罪者達は全て処刑されて、全財産没収の上その家族は永遠にこの悪魔の所業故に刑務所暮しが終身刑として科せられます。悪は滅びます。

http://www.asyura2.com/20/cult28/msg/220.html#c1
コメント [近代史5] スカンジナビア半島人の起源 中川隆
1. 2020年9月01日 20:09:46 : WyT5nCL4pQ : YzlncmJkNllTTWc=[50]
雑記帳 2019年05月16日
樹脂の塊から解析されたスカンジナビア半島の中石器時代の古代DNA
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_28.html


 スカンジナビア半島の中石器時代の古代DNAに関する研究(Kashuba et al., 2019)が報道されました。古代DNA研究では、早期氷河期以後のヨーロッパには、ヨーロッパ西部狩猟採集民(WHG)・ヨーロッパ東部狩猟採集民(EHG)・スカンジナビア狩猟採集民(SHG)という3集団の存在が指摘されています。SHGはWHGとEHGの混合と推測されています(関連記事)。これは、最終氷期終了後のスカンジナビア半島への人類集団の移住に、南からの11500年前頃のWHG、北東からの10300年前頃のEHGという2経路があったことを示唆し、考古学的証拠とも一致します。この記事の年代は、放射性炭素年代測定法による較正年代です。ただ、DNAが解析されたSHGとヨーロッパ東部の早期石刃製作技術との直接的関連はまだ確認されていませんでした。この件もそうですが、古代DNA研究における問題の一つは、DNA解析された個体と物質文化とのつながりが明確でない場合も少なくないことです。

 本論文は、スウェーデンの中石器時代のヒューセビークレヴ(Huseby Klev)遺跡(HK遺跡)で発見された、カバノキ属の樹皮の樹脂の塊8点から3人(ble004・ble007・ble008)のDNAを解析しました。このうち女性は2人、男性は1人です。中部旧石器時代以降、カバノキ属の樹皮の樹脂の塊は石器製作で接着剤として使われていました。当時の人々はこの樹脂の塊を噛んで接着剤として用いており、じっさい、歯型が残っています。年代は10040〜9610年前頃で、スカンジナビア半島で確認された人類のDNAとしては最古となります。DNA解析により3人のゲノム規模データが得られました。網羅率は0.10倍・0.11倍・0.49倍です。ble004とble007は二親等程度の関係と推測されています。ミトコンドリアDNAハプログループ(mtHg)は全員U5a2dと分類されました。

 ゲノム規模データからは、HK遺跡の3人がスカンジナビア半島の最初期人類集団と遺伝的にひじょうに近縁だと明らかになり、SHG をWHGとEHGの混合とする推測が改めて確認されました。また、HK遺跡ではヨーロッパ東部の石器技術の影響が確認されており、HK遺跡の3人のDNA解析は、SHGとヨーロッパ東部平原の石器技術との直接的関連を示したという点でも注目されます。HK遺跡の3人は、EHGよりもWHGの遺伝的影響が強い、と明らかになりました。以前の研究ではヨーロッパ東部平原文化の影響から、SHGにおけるEHGの強い遺伝的影響が想定されていました。本論文は、スカンジナビア半島における最初期人類集団では、遺伝子流動を伴わないような文化交流もあったのではないか、と推測しています。

 カバノキ属の樹皮の樹脂の塊には、乳歯で噛まれた痕跡もあることから、子供も作業に関わっていたと推測されます。上述のように、男女ともにこの作業に関わっていましたから、子供にはまだ性別分業が確立していなかった、とも考えられます。カバノキ属の樹皮の樹脂の塊のような咀嚼物は、人類の遺骸がなくとも、古代DNA研究を可能にしますから、今後大きく古代DNA研究を発展させるのではないか、と期待されます。また本論文は、こうした咀嚼物が当時の環境・生態系・口腔微生物叢の情報源となり得ることを指摘しており、この点での研究の進展も楽しみです。


参考文献:
Kashuba N. et al.(2019): Ancient DNA from mastics solidifies connection between material culture and genetics of mesolithic hunter–gatherers in Scandinavia. Communications Biology, 2, 185.
https://doi.org/10.1038/s42003-019-0399-1


https://sicambre.at.webry.info/201905/article_28.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/289.html#c1

コメント [政治・選挙・NHK275] 菅・二階“石破潰し”壮絶…推薦人集まらず総裁選出馬断念か <各社世論調査 次期首相 石破元幹事長ダントツ>(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
54. 2020年9月01日 20:09:57 : tl04uLGFW2 : MGxTUnQ0cUpCeW8=[70]
ざまぁないね
せいぜい、内ゲバで潰し合えばいい
あくまでも自民党内部の話だ・・・俺ら野党支持者には無関係な出来事だな
ところで、小沢信者の中に「内ゲバ体質はサヨクの専売特許、自民党を見習え(キリッ)」とか言ってた奴が何人か居たが、彼らは今どういう気持ちなんだろうか・・・小一時間問い詰めてみたい気分ですな
http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/449.html#c54
コメント [カルト28] 太郎は、枝豆の、消費税一時ゼロを検討、を公約に確定させる為に、合流と簾ハゲ選挙区立候補を申し出る事である。 ポスト米英時代
3. 2020年9月01日 20:10:32 : yJbpXa8xcO : WGY2UzN1U2g2RlU=[1]

そもそもMMTが間違いなければ、福祉目的と宣伝された消費増税が富裕層と財界のために貧乏人の首を絞める最悪の税制なのであり、PBを叫ぶ財務省も庶民が餓死することを目論んだペテンなのだから、問題は立憲枝豆グループがMMTを受け入れるか否かってこと。それでもなお財務省の言いなりにPB論を振り回すのであれば、庶民の支持は限定的であり、政権交代には遠く及ばないだろう。

つまるところ、兵頭の言う売国政治に加担する野田豚と同類のインチキ野党だってことじゃね?

>FTAと売国政治 2019/11/16 兵頭正俊の状況の交差点
https://www.youtube.com/watch?v=SxQ4t8rCFEk
19日のFTA採決で、日本の皆保険はなくなっていきます。
恐ろしい日本売りの政治が続き、国民は何もわかっていません。
国会は審議して、問題を国民に知らせるという最低の義務すら放棄しました。
これほど国会議員が反日であったことはありません。
ぜひごらんください。

>山本太郎と黒川敦彦は日本敗北の構造を乗り越えるか 
https://www.youtube.com/watch?v=LH4_s87aAC8
__兵頭正俊の状況の交差点 2019/06/23 に公開__
●最終処分場としての日本の政治
@廃棄の欧米医薬品 A米国製ポンコツ兵器 B遺伝子組み換え食品
C核のゴミ D欧米企業の赤字部門 E有害な欧米農薬
F欧米で失敗した政策(大量移民、モンサント種子、水道民営化、米農産物、米国債)


http://www.asyura2.com/20/cult28/msg/203.html#c3

コメント [政治・選挙・NHK275] 子年と五輪、首相交代のジンクスが的中?+安倍、実弟に覚悟伝える&投げ出し回避も影響力減か(日本がアブナイ!) 笑坊
11. 2020年9月01日 20:11:08 : xYqKlw6NG2 : WS9CMEwweVhna2s=[15]

 愛も 20年間 お腹が痛かった 緊張すると下痢するので

 胃カメラを飲んだが  ピンク色のきれいな胃だったし

 大腸の検査でも    ピンク色のきれいな腸だったのだ

 ===

 ある日 急激にお腹が痛くなって 胆嚢に石が溜まっていたので 胆嚢を摘出したら なんと

 あ〜〜ら不思議 胃も腸も下痢も無くなってしまった

 あの20年間の 腹痛はなんだったんだ〜〜 腹痛の時間を返せ バカヤロウ 胆石!!
 
 
http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/423.html#c11

記事 [近代史5] ポーランド人の起源
ポーランド人の起源


雑記帳 2019年05月12日
ポーランド南部の後期新石器時代集団墓地の被葬者のDNA解析
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_22.html


 ポーランド南部の後期新石器時代集団墓地の被葬者のDNA解析に関する研究(Schroeder et al., 2019)が公表されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。ポーランド南部のコシツェ(Koszyce)村の集団墓地で2011年に発掘調査が行なわれました。この集団墓地は球状アンフォラ(Globular Amphora)文化(GA)と関連しており、殺害された成人と子供の計15人が丁寧に埋葬されていました。16点の放射性炭素年代測定から、この虐殺事件は紀元前2880〜紀元前2776年と推定されました。

 埋葬された15人の内訳は、男性が8人、女性が7人です。男性のうち成人が3人、10代が2人、10歳未満の子供が3人で、女性のうち成人が5人、10代が2人です。最高齢は50〜60歳の女性で、最年少は1.5〜2歳の男児です。この15人のゲノムが解析され、網羅率は1.1〜3.9倍です。コシツェなどGA集団は、遺伝的には旧石器時代〜中石器時代以来のヨーロッパ西部狩猟採集民(WHG)とアナトリア半島起源の新石器時代農耕民集団(ANF)の混合により形成され、WHGよりANFの方が影響は強くなっています。これはヨーロッパの他地域の新石器時代農耕民集団と同様です。ゲノム解析から表現型も推測されており、この15人はほとんど、褐色の目、黒もしくはダークブロンドの髪と、中間的から濃い肌の色を有していました。

 この15人のミトコンドリアDNA(mtDNA)とY染色体DNAも解析されました。mtDNAハプログループ(mtHg)はHV0aやK1a1b1eなど6タイプに分類されましたが、8人の男性のY染色体DNAハプログループ(YHg)は全員I2a1b1a2b1に分類されました。ホモ接合性から、この15人では近親交配の痕跡はない、と推測されています。この15人では、近親度からおもに4つの核家族が確認されました。母親が子供を抱き、きょうだいが隣同士になっているなど、親族関係に応じた埋葬になっていることから、この15人をよく知る者が埋葬した、と考えられます。この件に関して興味深いのは、母親と息子の組み合わせが4組存在するのにたいして、父親と息子の組み合わせは1組しか存在しないことで、被葬者の父親たちがこの15人を埋葬した可能性を本論文は提示しています。

 YHgの分析から、コシツェ遺跡のGA集団は父系的社会を形成していた、と考えられます。後期新石器時代〜初期青銅器時代のドイツのバイエルン州南部では父系的社会の存在が確認されており(関連記事)、当時ヨーロッパ中央部では父系的社会が一般的だったのかもしれません。ただ、コシツェ遺跡の男女間で、ストロンチウム同位体比の明確な違いは確認されませんでした。しかし、mtHgの多様性とYHgの単一性から、コシツェのGA集団は父系的だった、と本論文は指摘します。GA集団はおもにウシの牧畜に依存していたようです。この生業形態の遊動性は、分裂と融合の流動的な社会を形成したと考えられます。コシツェ遺跡の15人のストロンチウム同位体比からも、比較的高い遊動性が示唆されています。コシツェ遺跡のGA集団は父系的で大規模な拡大家族を形成していた、と推測されています。

 コシツェ遺跡の15人には全員、負傷の痕跡が見られ、最も一般的なのは頭蓋の骨折です。これは、頭部への強打が死因だったことを示唆します。上肢の骨折がないことから、この15人は戦死したのではなく、捕らえられて処刑された、と推測されます。これは、ヨーロッパ先史時代の特定段階における広範で高頻度の暴力パターンに当てはまり、新石器時代には、人口圧力から資源や土地をめぐる競争が激化したのではないか、と推測されます(関連記事)。新石器時代における集団間の紛争は、共同体全体を標的とするか、男性に特化しているかのどちらかに分類されるようで、後者の場合、成人女性や子供は捕虜の対象です。コシツェ遺跡の場合は、儀式的暴力や家族内殺人の可能性も排除できませんが、共同体全体が標的とされていただろう、と本論文は推測します。成人男性が少ないことから、彼らは襲撃時に集落から離れた場所にいたか、逃亡した、と本論文は推測しています。あるいは、コシツェ遺跡の成人男性が狩猟や他集落の襲撃に出かけた隙を狙われたのかもしれません。

 紀元前2880〜紀元前2776年頃に起きたコシツェ遺跡の虐殺の原因の特定は将来も不可能でしょうが、縄目文土器(Corded Ware)文化が急速にヨーロッパ中央部に拡大してきた時期と合致していることに、本論文は注目しています。早期縄目文土器文化集団も含むポントス-カスピ海草原(中央ユーラシア西北部から東ヨーロッパ南部までの草原地帯)起源の集団の遺伝的影響をGA集団が受けていないことから、コシツェ遺跡のGA集団は縄目文土器文化集団と敵対的関係にあり、その紛争の中で虐殺事件が起きたのかもしれません。本論文は、遺伝学・形態学・考古学(同位体分析)を統合した興味深い結果を提示しており、同様の研究はヨーロッパを中心に盛んになりつつあるように思いますが、日本列島も含めてユーラシア東部圏でも同様の研究が進展するよう、期待しています。


参考文献:
Schroeder H. et al.(2019): Unraveling ancestry, kinship, and violence in a Late Neolithic mass grave. PNAS, 116, 22, 10705–10710.
https://doi.org/10.1073/pnas.1820210116


https://sicambre.at.webry.info/201905/article_22.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/299.html

コメント [政治・選挙・NHK275] 安倍首相、辞任の真相ーー河井夫婦1・5億円一部還流疑惑に新展開(Access-Journal)/再発したんじゃないんだ……! gataro
12. 2020年9月01日 20:12:00 : 15FLv12RM6 : dGxuWEdlYTB3blk=[51]
アクセスジャーナルのつながりが悪いらしい魚拓があるのでそちらをご覧になれます。

https://megalodon.jp/2020-0901-1901-56/https://access-journal.jp:443/53069
http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/472.html#c12

コメント [政治・選挙・NHK275] 首相辞任会見で労わなかった記者は冷酷か/政界地獄耳(日刊スポーツ) 赤かぶ
18. 地下爺[12502] km6Jupbq 2020年9月01日 20:14:22 : tu6SpoHmCg : Y1JnTi5SaUdrdTI=[156]

  ワたちは 充分に 自分の初心 および やりたことをしつくしました 。。。

  でチュから 少し休みマチュ。


  そして ワたち は 必ず戻ってくるのでチュ !!

  まさに 「アイル・ビー・バック」で ありマチュ。


        →    →    →
        ↑「うそあべあそう」↓
        ←    ←    ←


【安倍ターミネーター】特別映像!夜の街をパトロール!映画『アーべネーター』 Terminator2 in Bar [DeepFake]
https://www.youtube.com/watch?v=8DMpqV
    




http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/464.html#c18

記事 [近代史5] エストニア人の起源
エストニア人の起源


雑記帳 2019年05月11日
バルト海東部地域のウラル語族の起源
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_18.html


 バルト海東部地域のウラル語族の起源に関する研究(Saag et al., 2019)が報道されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。ほとんどのヨーロッパ人の遺伝的構成は、旧石器時代〜中石器時代のヨーロッパの狩猟採集民と、新石器時代のアナトリア半島起源の初期農耕民と、青銅器時代前後のポントス-カスピ海草原(中央ユーラシア西北部から東ヨーロッパ南部までの草原地帯)を中心とする草原地帯遊牧民という、3系統の組み合わせです。

 バルト海東部地域もその例外ではありません。バルト海東部の人類集団においては、中石器時代以降の遺伝的情報が得られています。中石器時代の狩猟採集民は、遺伝的にヨーロッパに拡散したヨーロッパ西部狩猟採集民(WHG)と最も類似しています。バルト海東部におけるヨーロッパ東部狩猟採集民(EHG)への遺伝的移行は、紀元前3900年以降となる新石器時代の櫛目文土器文化(Comb Ceramic culture、CCC)集団の到来の影響と推測されています。ポントス-カスピ海草原地帯起源の後期新石器時代縄目文土器文化(Corded Ware culture)は紀元前2800年以降にバルト海東部に到達し、ヨーロッパの他地域と同様に、草原地帯遊牧民の遺伝的影響がもたらされました。

 インド・ヨーロッパ語族が支配的なヨーロッパにおいて、ウラル語族の存在するヨーロッパ北東部に関しては、現代人集団にヨーロッパの他地域よりも強いシベリア系の遺伝的影響が確認されています。バルト海東部では、Y染色体DNAハプログループ(YHg)のN3a系統が高頻度で確認されており、N3a系統はヨーロッパのウラル語族であるのフィン・ウゴル語派集団のほとんどおよびシベリア全域のいくつかの集団で共有されています。古代DNA研究からは、青銅器時代以降にシベリアからウラル語族集団が到来し、ウラル語族系言語をもたらしたのではないか、と推測されています(関連記事)。本論文は、青銅器時代〜中世にかけてのバルト海東部地域の人類の古代DNAを解析し、既知の古代および現代の遺伝的データと比較することで、バルト海東部における遺伝的構成の変容を検証しています。

 本論文は、青銅器時代〜中世にかけてのバルト海東部地域の56人の歯根からDNAを解析しました。地域はさらにエストニアとイングリアに区分されています。このうち15人は分析できるだけのデータが得られなかったので除外され、8人からはミトコンドリアDNA(mtDNA)と(男性の場合は)Y染色体DNAのハプログループを決定できるだけのデータが得られたものの、常染色体では情報分析に充分なデータが得られず、33人は解析に充分なデータが得られました。この33人のゲノム解析の網羅率は0.017倍〜0.734倍です。その内訳は、紀元前1200〜紀元前400年となる後期青銅器時代のエストニア(EstBA)の15人と、紀元前800/500〜紀元後50年となる先ローマ期鉄器時代のエストニア(EstIA)の6人と、紀元前500〜紀元後450年となるイングリアの先ローマ期からローマ期鉄器時代(IngIA)の5人と、紀元後1200〜紀元後1600年となる中世エストニア(EstMA)の7人です。

 新たに特定された41人の古代のmtDNAハプログループ(mtHg)は全て現代エストニア人にも確認され、特定の地域に限定されない、と明らかになりました。父系では、30人の古代のYHgが特定されました。EstBAの16人は全員YHg- R1aで、後期新石器時代のCWCとはまったく異なりません。EstIAの3人とIngIAの2人もYHg- R1aですが、EstIAの3人はシベリア系のYHg- N3aで、これまでバルト海東部において確認されたYHg- N3としては最古となります。EstMAのYHgは、3人がN3a、2人がR1a、1人がJ2bです。CWC以前のバルト海東部のYHgはI・R1b・R1a5・Qですから、東方の草原地帯由来のR1aに実質的に置換されたようです。エストニアでは、フェノスカンジアとは異なり、青銅器時代にシベリア系のN3aは検出されていませんが、標本が少ないためにまだ検出できていないだけで、青銅器時代に存在した可能性を除外できない、と本論文は指摘します。ただ、YHg- N3aの頻度は青銅器時代よりも鉄器時代で顕著に高く、ヨーロッパ東部におけるYHg-R1a1とYHg-N3a3の拡大時期は類似しており、エストニアにおけるN3aの出現もしくは少なくとも現代エストニア人と匹敵する程度の頻度になったのは、青銅器時代〜鉄器時代の移行期のみだっただろう、と本論文は結論づけています。この頃に、エストニアにシベリア系集団が到来したのではないか、というわけです。

 青銅器時代以降のエストニアの常染色体では、以前のバルト海東部地域の研究で指摘されていたように(関連記事)、WHG系統の明確な比率増加が見られます。EstBA・EstIA・IngIA・EstMA・現代エストニアの集団は相互に平均してよく類似しており、他の現代ヨーロッパ人と比較して現代バルト海東部地域集団においてWHGの比率が比較的高いのは、青銅器時代以来のことだろう、と本論文は指摘します。銅器時代〜鉄器時代にかけて、エストニアの人類集団の常染色体では、それまでにはほぼ検出されなかったシベリア系の要素が出現します。これはシベリア系YHgの出現時期とおおむね一致します。フェノスカンジアの人類集団ではシベリア系統が3500年前頃に出現したと推測されていますが(関連記事)、バルト海東部の人類集団ではこれよりも後の紀元前千年紀となる青銅器時代〜鉄器時代の移行期に、ウラル語族のシベリア系統集団の遺伝的影響を受けたようです。これは、言語学で推定されている、バルト海東部におけるフィン・ウゴル語派の多様化の時期とも一致しており、バルト海東部では青銅器時代〜鉄器時代の移行期にウラル語族のシベリア系統集団が到来し、考古学的証拠に基づくと、それはヴォルガ-ウラル地域からの南西経路だったのではないか、と本論文は推測しています。ただ、エストニアの鉄器時代以降の人類集団において、常染色体でのシベリア系の影響はY染色体よりもずっと低く、青銅器時代〜鉄器時代にかけてバルト海東部に拡散してきたシベリア系集団は男性主体だったか、シベリア系集団が支配的な地位を確立して父系社会を築いた、とも考えられます。

 本論文は、新たにDNAを解析した個体間の親族関係も推定しています。X14とV16という青銅器時代の2個体は、かなり近い近親関係にありました。2人は母系でも父系でも同じハプログループに分類され、mtHgではH1b2、YHgでも他のEstBA 男性全員と同様にR1aでした。Y染色体DNA解析の網羅率が充分ではないため、2人が父系でどの程度近い関係にあるのか定かではありませんが、mtDNAの全解析ではハプロタイプが一致しており、2人は母親を同じくする半兄弟もしくは男性とその姉妹の息子(オジと甥の関係)だった、と推測されます。この2人の石窯での埋葬場所は13km離れており、石窯での埋葬例が少ないことから、こうした墓は限られたエリート層のものだっただろう、と本論文は指摘します。放射性年代測定では、X14が2481±30年前、V16が2399±27年前です。推定死亡年齢は、X14が35〜40歳、V16が30〜40歳です。本論文は、X14がオジでV16は(その姉妹の息子となる)甥だろう、と推測しています。

 本論文は、バルト海東部の古代人類集団の表現型の変化についても検証しています。バルト海東部のCWC集団では、肌の色は濃かったと推測されています。その後、バルト海東部の人類集団では肌の色が薄いもしくは中間的になっていき、さらに青い目とより明るい髪の色の比率が増加しました。バルト海東部の人類集団においては、色素沈着機能を低下させるような遺伝的多様体の比率が青銅器時代以降に増加していった、と考えられます。ヨーロッパでは中石器時代まで薄い色の肌はまだ広まっていなかったのではないか、と推測されていますが(関連記事)、青銅器時代には薄い肌の色が高頻度で存在していた、と指摘されています(関連記事)。また、ヨーロッパ北部においてとくに高い乳糖耐性関連の遺伝的多様体の頻度も、バルト海東部では後期新石器時代以後に増加したことが明らかになりました。


参考文献:
Saag L. et al.(2019): The Arrival of Siberian Ancestry Connecting the Eastern Baltic to Uralic Speakers further East. Current Biology, 29, 10, 1701–1711.E16.
https://doi.org/10.1016/j.cub.2019.04.026


https://sicambre.at.webry.info/201905/article_18.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/300.html

コメント [政治・選挙・NHK275] 首相辞任会見で労わなかった記者は冷酷か/政界地獄耳(日刊スポーツ) 赤かぶ
19. 地下爺[12503] km6Jupbq 2020年9月01日 20:14:58 : tu6SpoHmCg : Y1JnTi5SaUdrdTI=[157]
 


http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/464.html#c19
コメント [近代史5] ポーランド人の起源 中川隆
1. 2020年9月01日 20:16:15 : WyT5nCL4pQ : YzlncmJkNllTTWc=[51]
雑記帳 2019年06月15日
ポーランド中央部における新石器時代〜前期青銅器時代の人類史
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_31.html


 取り上げるのが遅れてしまいましたが、ポーランド中央部における新石器時代〜前期青銅器時代の人類集団の遺伝的構成の変容に関する研究(Fernandes et al., 2018)が公表されました。ヨーロッパ系現代人は遺伝的に、更新世の狩猟採集民、新石器時代にアナトリア半島からヨーロッパに到来した農耕民、後期新石器時代〜青銅器時代にかけてポントス-カスピ海草原(中央ユーラシア西北部から東ヨーロッパ南部までの草原地帯)からヨーロッパに拡散してきた遊牧民の混合により形成されました。ヨーロッパの新石器時代の農耕民集団は、在来の狩猟採集民集団と混合していきましたが(関連記事)、その進展は地域により異なります(関連記事)。

 本論文は、ポーランド中央部北方のクヤヴィア(Kuyavia)地域の、紀元前4300〜紀元前1900年頃となる中期新石器時代から早期青銅器時代の17人のゲノム規模データを分析しました。クヤヴィア地域の考古学的な時代区分は、紀元前5400〜紀元前5000年頃の線形陶器文化(Linear Pottery Culture、LBK)、紀元前4700〜紀元前4000年頃となるレンジェル文化(Lengyel Culture)、紀元前3800〜紀元前3000年頃の漏斗状ビーカー文化(Funnel Beaker Culture、TRB)、紀元前3000〜紀元前2300年頃の球状アンフォラ文化(Globular Amphora Culture、GAC)、紀元前2700〜紀元前2200年頃の縄目文土器文化(Corded Ware Culture、CWC)、紀元前2500〜紀元前1900年頃の鐘状ビーカー文化(Bell Beaker Culture、BBC)となり、一部が共存しています。レンジェル文化で本論文においてゲノム解析の対象となったのは、ブジェシチ・クヤフスキ集団(Brześć Kujawski Group、BKG)です。平均網羅率は0.71〜2.50倍です。

 BKGは遺伝的にはおおむねヨーロッパの中期新石器時代農耕民集団と類似していますが、N22とN42の2人は例外です。N22はヨーロッパ西部狩猟採集民集団(WHG)ときわめて近縁で、N42は前期〜中期新石器時代農耕民集団とWHG系統の中間に位置します。クヤヴィア地域の人類集団の遺伝的構成でまず注目されるのは、BKGからGACにかけて、WHG系統要素が増加していることです。これは、在来の狩猟採集民との混合によるものと推測されます。紀元前4300年頃のN42個体はほぼWHG系統なので、クヤヴィア地域においては、紀元前5400年頃のLBK農耕民の到着から少なくとも紀元前4300年頃までの1000年以上、外来の農耕民集団とほとんど混合しなかった狩猟採集民集団が存在し、両者は共存していた、と推測されます。こうしたWHG系統の増加(復活)傾向はドイツ中央部のTRB集団でも見られますが、本論文は、クヤヴィア地域ではそれ以前のBKGで見られることから、農耕民集団と狩猟採集民集団との混合はLBKの後に起きたのではないか、と推測しています。これに関して本論文は、クヤヴィア地域だけではなくヨーロッパ中央部でこの時期に一般的に見られる、人口減少との関連を指摘しています。農耕民集団にとって、狩猟採集民との密接な接触はLBK後の集団存続の鍵となったのではないか、というわけです。

 BKG・TRB・GAC集団のミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)には、ヨーロッパの新石器時代農耕民によく見られるN1a・T2・J・K・Vが含まれており、ゲノム規模データと一致します。なお、N22はU5a、N42はU5bです。新石器時代の個体群でY染色体DNAハプログループ(YHg)が解析された3人はI2a2aに分類されています。本論文は、BKGにおけるmtHg- U5とYHg- Iが中石器時代のヨーロッパ起源であることから、クヤヴィア地域では更新世の狩猟採集民集団が母系でも父系でも新石器時代農耕民社会で存続しており、類似の事例はカルパチア盆地やバルカンでも報告されている、と指摘しています。

 クヤヴィア地域の人類集団の遺伝的構成が大きく変わるのは後期新石器時代で、CWC集団において、ポントス-カスピ海草原系統(草原地帯系統)の遺伝的影響が強く見られます。これは、青銅器時代の1個体のYHgがR1aであることとも一致します。一方、CWCとかなり年代の重なるGACには、草原地帯系統が見られません。またGACでは、それ以前の集団よりもWHG系統の割合が増加しています。草原地帯系統の欠如と高いWHG系統の割合という特徴は、クヤヴィア地域だけではなく、ポーランドのキエシュコボ(Kierzkowo)の5人とウクライナのイラーツカ(Ilatka)の3人でも確認されています。ただ、これらはGACの早期集団なので、後期GAC集団には草原地帯系統が存在したかもしれない、と本論文は指摘しています。クヤヴィア地域のCWC集団に関して本論文が注目しているのは、既知のCWC集団よりもWHG系統の割合が高いことです。これは、上述のように、クヤヴィア地域では少なくとも紀元前4300年頃まで、アナトリア半島起源の農耕民集団と混合しなかった狩猟採集民集団が存在したことと関連しているのではないか、と本論文は推測しています。それは、CWCと侵入してきた草原地帯文化集団との相互作用は複雑で、地域により異なっていた、との考古学的知見と一致している、と本論文は指摘しています。また、本論文刊行後の研究では、GAC集団とCWC集団との激しい争いを想定する見解も提示されています(関連記事)。

 ヨーロッパ系現代人の形成過程は、上述のように大まかには、更新世の狩猟採集民、新石器時代にアナトリア半島からヨーロッパに到来した農耕民、後期新石器時代〜青銅器時代にかけてヨーロッパに拡散してきた草原地帯遊牧民の混合と把握されます。しかし、その融合時期や混合の比率が各地域により異なっていたことは、本論文でも改めて示されたと思います。古代DNA研究の進展は著しいのですが、近代以降の知の中心・基準となり遺跡の発掘・研究が進んでいることと、DNAの保存に比較的好条件の環境であることから、ヨーロッパが中心となっています。本論文を読んで改めて、ヨーロッパにおける古代DNA研究が進展していることを思い知らされました。日本列島も含むユーラシア東部圏の古代DNA研究が、ヨーロッパも含むユーラシア西部と比較して大きく遅れていることは否定できませんが、日本人である私としては、今後少しでもヨーロッパとの差が縮まってほしい、と希望しています。


参考文献:
Fernandes DM et al.(2018): A genomic Neolithic time transect of hunter-farmer admixture in central Poland. Scientific Reports, 8, 14879.
https://doi.org/10.1038/s41598-018-33067-w

https://sicambre.at.webry.info/201906/article_31.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/299.html#c1

コメント [医療崩壊6] 爆笑問題・太田光 相方の田中裕二夫妻のコロナ感染で、批判していたPCR検査を優先的に受け、非難轟々  魑魅魍魎男
36. 2020年9月01日 20:16:36 : QR2UNPryEs : RkRmOWNaMTF5L0U=[1]
キャリーマリスがPCR検査を感染症の診断に使うなと言ったというのは大橋教授も言ってたが。
何でもデマにするな。
http://www.asyura2.com/20/iryo6/msg/327.html#c36
コメント [政治・選挙・NHK275] <ポスト安倍 密室談合に国民はア然>そもそも菅には立候補の資格などなし(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
36. 2020年9月01日 20:17:04 : JQONAc1R1o : OHFMaW9tUFJoRHM=[114]
グズ政権を何年も支えてきた自民党はもう存在意義がない
必死に権力にしがみつこう 後釜に集りつこうと蠢く連中の醜悪さ
党内の真っ当な若手議員ならばとっくの昔に離党して新党旗揚げしてたはず
だからこそ 現自民党には全くもって存在意義がない 売国ミンジュと同等以下だ
http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/470.html#c36
コメント [政治・選挙・NHK275] 安倍辞任は日本転換の好機/田中宇 仁王像
11. 2020年9月01日 20:17:04 : LY52bYZiZQ : aXZHNXJYTVV4YVE=[6818]
安倍晋三は日中(角)戦争を熊本に準備をしていた。
•2020/09/01
友冨 新政経
https://www.youtube.com/watch?v=VW7_A8Lv8H4
http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/459.html#c11
コメント [政治・選挙・NHK275] 菅氏「党員投票すべき」発言ブーメラン 世襲制限も腰砕け(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
1. 赤かぶ[94058] kNSCqYLU 2020年9月01日 20:17:34 : Etqgkm55TU : RGtULnlHMS9YdlE=[23903]

https://twitter.com/HOrhFuOmWIDDDXs/status/1300699907754344448



http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/477.html#c1
コメント [政治・選挙・NHK275] 安倍首相、辞任の真相ーー河井夫婦1・5億円一部還流疑惑に新展開(Access-Journal)/再発したんじゃないんだ……! gataro
13. 2020年9月01日 20:18:06 : JEBMLaowtE : Uml6VHc1NUlrS0k=[2]
確固たる証拠がないとな
http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/472.html#c13
記事 [近代史5] ペリシテ人の起源
雑記帳 2019年07月07日
ペリシテ人の起源
https://sicambre.at.webry.info/201907/article_16.html


 ペリシテ人の起源に関する研究(Feldman et al., 2019B)が報道されました。ナショナルジオグラフィックでも報道されています。『サイエンス』のサイトには解説記事が掲載されています。地中海東部において、青銅器時代へ鉄器時代への移行は、ギリシア・エジプト・レヴァント・アナトリアの繁栄した経済・文化の終焉に続く、文化的混乱により特徴づけられています(関連記事)。レヴァントではこの事象と一致して、紀元前12世紀にアシュケロン(Ashkelon)などでかなりの文化変容が見られ、その担い手は『ヘブライ語聖書』では「ペリシテ人」と呼ばれています。これらの集落の建築や他の物質文化は、近隣の遺跡とは異なります。紀元前12世紀のペリシテ人の文化は、紀元前13世紀のエーゲ海の文化との類似性が指摘されています。そこから、エジプトやレヴァントに侵入してきた「海の民」はエーゲ海から到来した、との仮説も提示されています。これに対して、文化変容は知識の拡散や内在的発展により起きた、との反論もあります。また、ペリシテ人の起源地として、キリキアやキプロス島も提示されています。

 本論文は、アシュケロンで発掘された108人のうち、後期青銅器時代〜鉄器時代の10人のDNA解析に成功しました。平均網羅率は0.08倍〜0.7倍です。本論文はこの10人を、紀元前18〜紀元前16世紀頃となる後期青銅器時代(3人)、紀元前14世紀〜紀元前12世紀頃となる鉄器時代初期(4人)、紀元前12世紀〜紀元前11世紀頃となる鉄器時代後期(3人)の3期間に区分しています。本論文は、この10人の124万ヶ所のゲノム規模の一塩基多型を解析しました。ミトコンドリアDNA(mtDNA)およびY染色体DNAのハプログループも明らかになっています。mtDNAハプログループ(mtHg)はU3b1a・T2c1c・H4a1cなど多様で、男性4人のY染色体DNAハプログループ(YHg)はJ・R1・BT・Lです。

 本論文は、青銅器時代〜鉄器時代にかけての、1000年以上にわたるレヴァントの人類集団の遺伝的継続性を明らかにしています。しかし、鉄器時代初期には、前後の時代と異なる遺伝的構成が見られます。これは、ヨーロッパ西部狩猟採集民(WHG)系統の増加により示されます。本論文は、これがヨーロッパ南部系統からの遺伝子流動と推測します。これは、レヴァントにペリシテ人が到来したと推定されている時期と一致します。ヨーロッパ南部起源の集団が青銅器時代末期か鉄器時代初期にレヴァントへ到来し、在来集団と混合してペリシテ人が形成されたのではないか、というわけです。この時期、陶器の様式から、ペリシテ人とレヴァント在来系集団とが近接していた、と推測されています。

 しかし、それから2世紀以内の鉄器時代後期には、このヨーロッパ南部系統の遺伝的痕跡はアシュケロンでは消滅し、再びレヴァント在来集団と近い遺伝的構成となります。本論文は、レヴァントの在来集団との混合により、ヨーロッパ南部系統が希釈されたのではないか、と推測しています。ただ、ペリシテ人に関して単純化しすぎてはならない、とも指摘されています。鉄器時代初期のペリシテ人の起源は一つではなく、ペリシテ人は在来のレヴァント集団との混合後も、紀元前604年にバビロニア人によって征服されるまで、5世紀以上にわたり近隣集団と文化的にはっきり異なっていた、というわけです。

 本論文は、アシュケロンに見られる古代の一時的な遺伝的構成の変化が、少ない標本では見落とされる可能性を指摘しています。じっさい、青銅器時代と鉄器時代後期のアシュケロンの人類集団のDNA解析では、ヨーロッパ南部からの比較的大きな遺伝子流動は見落とされていた可能性が高そうです。さらに本論文は、レヴァントの青銅器時代の遺伝的多様性や、青銅器時代〜鉄器時代の遺伝子流動をより正確に把握するには、追加の標本が必要であることを指摘しています。本論文は、ペリシテ人の起源地としてヨーロッパ南部の可能性を提示していますが、さらに限定するには、キプロス島やサルデーニャ島やエーゲ海地域の青銅器時代〜鉄器時代の人類集団の古代DNAが必要になる、というわけです。


参考文献:
Feldman M. et al.(2019B): Ancient DNA sheds light on the genetic origins of early Iron Age Philistines. Science Advances, 5, 7, eaax0061.
https://doi.org/10.1126/sciadv.aax0061


https://sicambre.at.webry.info/201907/article_16.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/301.html

コメント [政治・選挙・NHK275] 菅氏「党員投票すべき」発言ブーメラン 世襲制限も腰砕け(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
2. 赤かぶ[94059] kNSCqYLU 2020年9月01日 20:18:44 : Etqgkm55TU : RGtULnlHMS9YdlE=[23904]


http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/477.html#c2
コメント [政治・選挙・NHK275] <白井聡さんの記事、すごいです!>《1》安倍政権の7年余りとは、日本史上の汚点である 私たちの再出発は、公正と正義の理念… 赤かぶ
56. panbet37[3076] gpCCgYKOgoKChYKUglKCVg 2020年9月01日 20:18:59 : 6J7XudsF6g : SWhiVG1scjVucXc=[713]
安倍晋三は、ムサシ製作元のメーカーの株主。この極悪株主が退場すること一つとっても、状況が変わる。

 捏造選挙は、前よりも、しづらくなるだろうね。
http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/452.html#c56

記事 [近代史5] ハンガリー人の起源

ハンガリー人の起源


雑記帳 2019年07月28日
ハンガリーとウラル地域の父系のつながり
https://sicambre.at.webry.info/201907/article_54.html


 ハンガリーとウラル地域の父系のつながりに関する研究(Post et al., 2019)が公表されました。ウラル語族集団は現在、シベリア西部からヨーロッパ北東部までユーラシア北部の広範な地域に存在します。約1300万人の話者がいるハンガリー語もウラル語族の一派ですが、現在、その話者であるハンガリー人(マジャール人)は他のウラル語族集団と離れた地域に居住しています。ハンガリー語と最近縁の言語は、ヨーロッパ中央部のハンガリーから遠く離れたシベリア西部に居住する集団のマンシ(Mansi)語およびハンティ(Khanty)語で、ハンガリー語も含めてこれらはウゴル諸語を形成します。ハンガリー語は、紀元後千年紀の後半にテュルク語族のいくつかより強い影響を受けました。

 言語学と考古学から、ハンガリー人の起源はシベリア西部にある、と考えられてきました。しかし、ハンガリー人は遺伝的に、近隣のインド・ヨーロッパ語族集団とひじょうに類似しています。これは、常染色体でもY染色体DNAでもミトコンドリアDNA(mtDNA)でも同様です。対照的に、ハンガリー人は言語では近縁となるウラル語族の大半とはとくに強い遺伝的関連を示しません。これは、ハンガリー人の祖先が紀元後9世紀末頃にカルパチア盆地に到達し、過去1100年間の異なる集団間の均質化の過程により遺伝的構造が大きく変化した、という以前からの人類学の知見と一致します。

 古代mtDNA研究からは、ハンガリーの征服者たちと、アジア内陸部やヨーロッパ北部および東部やロシア中央部やオビ川とエルティシ川の間の地域の現代人との、強い遺伝的類似性が明らかになりました。また、紀元後8〜9世紀にカルパチア盆地に存在したアヴァール人に関しては、推定上のハンガリー人の祖先より明らかに多かった、と考えられています。アヴァール人の庶民のmtDNAとアヴァールおよびスラヴの混合墓地から、アヴァール人の庶民はアジア系集団よりも中世ヨーロッパ集団の方と遺伝的には顕著に近縁と明らかになりました。これは、アヴァール人支配層が母系では庶民に影響を及ぼさなかった、と示唆します。父系的な支配集団が形成されていた、ということでしょうか。

 紀元後6〜7世紀となるハンガリーのソラッド(Szólád)遺跡の埋葬者21人のY染色体DNAハプログループ(YHg)は、常染色体から推測される地域パターンとおおむね一致し、おもにヨーロッパ中央部および南部のYHg(E・I1・I2a2・T・R1a・R1b)に分類されます(関連記事)。近隣地域からカルパチア盆地への多くの移住を考慮に入れると、現代ハンガリー人の遺伝的構成が近隣集団とひじょうに類似しているのはよく了解されます。しかし、現代ハンガリー人の遺伝的構成に、東方の起源地であるウラル地域からの遺伝子流動が反映されているのか、という問題は残ります。

 そこで注目されているのがYHg-Nで、ウラル語族の拡大と関連している、と考えられてきました。これまで、YHg-N3はヨーロッパ中央部の現代のインド・ヨーロッパ語族集団では報告されていませんが、現代ハンガリー人では4%ほどとなり、他のウラル語族集団より低い割合となっています。YHg- N3a4は、ハンガリー人とマンシ人およびハンティ人というウゴル語族集団とを関連づけるサブクレードではなかい、と以前より考えられてきました。紀元後9〜10世紀のハンガリーの人類集団はYHg-Nのサブクレードに分類され、その中にはYHg- N3a4も確認されています。

 また、ハンガリーの古代人のDNA研究では、mtDNAハプログループ(mtHg)にアジア東部起源のものがあることも確認されています。mtHgでは、古代のハンガリーの人類集団は、ヴォルガ・ウラル地域のテュルク語族系の現代バシキール人(Bashkirs)との類似性が指摘されていました。バシキール人は、テュルク語族とウゴル語族とインド・ヨーロッパ語族の各集団の混合と考えられています。本論文は、初めてハンガリー人の高網羅率のY染色体DNA配列データを用いて、ウラル山脈およびシベリア西部地域の集団と比較し、YHg- N3a4の分岐年代を推定し、その時空間的な分散パターンを明らかにしています。

 YHg- N3a4は、B535とB539というサブクレードに二分されます。両者の分岐は4200年前頃と推定されています。B539はさらにB540とB545に分岐し、その年代は4200年前頃と推定されています。B540は、マンシ人およびハンティ人集団のサブクレードと、ハンガリー人およびバシキール人のサブクレードに区分されます。両者の推定分岐年代は3900年前頃です。B545はハンガリー人とバシキール人とタタール人(Tatars)のサブクレードに区分されます。B540とB545の拡大は、ともに2900〜2700年前頃に始まった、と推定されています。YHg- N3a4のハンガリー人は全員B539サブクレードに分類され、オビ・ウゴル諸語のマンシ人およびハンティ人、ヴォルガ・ウラル地域のテュルク語族のバシキール人およびタタール人も含まれます。YHg- N3a4が比較的高頻度で見られる地域は、サブクレードB535がフィンランド人を中心としたヨーロッパ北東部で、サブクレードB539がウラル山脈南方です。この二つのサブクレードの地理的分布パターンには、明らかに違いがあります。B539にはB540とB545というサブクレードがあり、ハンガリー人とバシキール人では両方見られます。

 上述のように、考古学でも言語学でも、ハンガリー人の起源がウラル山脈の東のシベリア西部だと考えられてきました。ヴォルガ・ウラル地域におけるその起源としては、紀元後6〜8世紀のカシュナレンコヴォ(Kushnarenkovo)文化集団、それに続く紀元後9〜10世紀のカラヤクポヴォ(Karayakupovo)文化集団が想定されてきました。考古学的証拠からは、ハンガリー人の祖先集団(古マジャール人)の一部は紀元後9世紀半ばに西方へと移動し、現在のウクライナとなるドニエプル川下流地域に出現した、と推測されています。しかし、紀元後11〜13世紀のチヤリクスカヤ(Chiyalikskaya)文化の遺跡からは、ウラル地域における古マジャール人の存続が支持されます。さらに、他の証拠からも、古マジャール人はウラル地域で紀元後13世紀まで存続していた、と指摘されています。ハンガリー人の東方の故地は古代ハンガリーと呼ばれ、ハンガリーの初期の年代記で言及されています。

 YHgは通常、滑らかな分布パターンを示しますが、YHg- N3a4のサブクレードB539の分布は独特です。古代DNA研究により、YHg- Nは新石器時代の中国とバイカル湖地域において、すでに6000年以上前に高頻度で多様である、と明らかになっており、その起源はユーラシア東部と考えられます。YHg- N3a4-B539は、ウラル地域とシベリア西部が中心的な分布地域ですが、低頻度ながら遠く離れたハンガリーで見られ、その間ではほとんど確認されていません。シミュレーションにより、ランダムな遺伝的浮動モデル、ヨーロッパとウラル山脈地域およびシベリア西部との間の単一の移住モデルは棄却されています。カルパチア盆地のハンガリーでは、紀元後10世紀の征服者の墓地でYHg- N3a4が確認されており、この頃のハンガリーの征服者の少なくとも一部がウラル地域起源だったことを示唆します。

 バルト海地域で高頻度のYHg- N3aでは、明確な南北の頻度勾配傾向が見られます。YHg- N3a3-VL29はエストニア人とラトヴィア人の間では高頻度で、ウクライナ人の間でも検出されます。これはYHg- N3aの分布の西端となり、ハンガリー人でも同様の分布が予想されますが、ハンガリーにも低頻度ながら存在するYHg- N3a4-B539とそのサブクレードの事例は異なります。ヴォルガ・ウラル地域、シベリア西部、それらから地理的に遠いハンガリーにおけるYHg- N3a4-B539の存在は、段階的な頻度勾配で説明するのは容易ではなく、現代ハンガリー人の祖先集団(古マジャール人)の移住が想定されます。

 サブクレードB 540内のマンシ人およびハンティ人とハンガリー人およびバシキール人との分岐は2900〜2700年前頃に始まったと推定されており、これはオビ・ウゴル諸語とハンガリー語の分岐を紀元前10世紀に起きたと推定する言語学的データと一致します。ただ、ウラル語族系統樹の最近の言語学的復元では、ウゴル語族系統の推定分岐年代の幅が、4900〜1700年前とより広くなっています。シベリア西部では寒冷気候の最盛期が紀元後8〜9世紀で、その結果としていくつかのシベリア西部集団が移動したか可能性も指摘されており、古マジャール人の西進はこれで説明できるかもしれません。

 上述のように、現代ハンガリー人におけるYHg- N3a4- B539の頻度は低いのですが、紀元後9世紀後期〜10世紀早期のハンガリーの墓地ではその頻度が26.3%と高いので、ウラル山脈地域の古マジャール人におけるYHg- Nの割合は顕著に高かったかもしれません。また、ウラル山脈地域周辺の古マジャール人の起源として、カシュナレンコヴォ文化およびカラヤクポヴォ文化が指摘されていることから、両文化の人類集団のY染色体および常染色体の多様性の研究が、ハンガリー人の人口史への新たな洞察を提供できるだろう、と本論文は指摘しています。ハンガリーの言語状況は、男性主体の父系的な集団による征服の結果として説明できるかもしれません。こうした事例は人類史において普遍的だったのではないか、と私は考えているのですが(関連記事)、まだ明らかに勉強不足なので、今後も地道に調べていくつもりです。


参考文献:
Post H. et al.(2019): Y-chromosomal connection between Hungarians and geographically distant populations of the Ural Mountain region and West Siberia. Scientific Reports, 9, 7786.
https://doi.org/10.1038/s41598-019-44272-6


https://sicambre.at.webry.info/201907/article_54.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/302.html

コメント [政治・選挙・NHK275] 菅氏「党員投票すべき」発言ブーメラン 世襲制限も腰砕け(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
3. 赤かぶ[94060] kNSCqYLU 2020年9月01日 20:21:13 : Etqgkm55TU : RGtULnlHMS9YdlE=[23905]

https://twitter.com/1010Radio/status/1300674527630852101



http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/477.html#c3
コメント [政治・選挙・NHK275] 菅氏「党員投票すべき」発言ブーメラン 世襲制限も腰砕け(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
4. 赤かぶ[94061] kNSCqYLU 2020年9月01日 20:23:09 : Etqgkm55TU : RGtULnlHMS9YdlE=[23906]

https://twitter.com/M2000mariko/status/1300710547290116097



http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/477.html#c4
コメント [政治・選挙・NHK275] 志位委員長インタビュー 「いいところなかった」安倍政治 『サンデー毎日』掲載 コロナ対策の無策を告発(しんぶん赤旗) gataro
8. 地下爺[12504] km6Jupbq 2020年9月01日 20:23:14 : tu6SpoHmCg : Y1JnTi5SaUdrdTI=[158]

   志位さんは なんて ことを おしゃるのでしょうか?!

  晋三ぼっちゃまは ご領主様に対して 多大な成果 を 挙げられておリマチュ。

  3年前の データ でチュが このように 世界にも 貢献され

  キックバックで 数兆円規模の 海外資産も形成されています。



http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/457.html#c8

コメント [近代史5] ヨーロッパ人の起源 中川隆
7. 2020年9月01日 20:23:24 : WyT5nCL4pQ : YzlncmJkNllTTWc=[52]
雑記帳 2019年03月02日
ヨーロッパの巨石文化の拡散
https://sicambre.at.webry.info/201903/article_4.html


 ヨーロッパの巨石文化の拡散に関する研究(Paulsson., 2019)が公表されました。ヨーロッパには35000点ほどの巨石遺物があります。それらは、墓や直立したものや直線的に配置されたものや環状のものや建築物(寺院)などです。こうした巨石遺物の大半は新石器時代〜銅器時代のもので、ヨーロッパ北部のバルト海や大西洋沿岸から地中海沿岸まで広範囲に分布しているにも関わらず、類似もしくは同一の構造上の特徴が見られます。本論文では、カタルーニャの支石墓(ドルメン)の写真写真が掲載されています。

 巨石文化に関しては、100年以上にわたって議論が続いてきました。19世紀後半〜1960年代頃までは、巨石文化は中東に起源があり、地中海と大西洋の沿岸を経由して拡散した、という単一起源海路拡散説が有力でした。1970年代になると、放射性炭素年代測定法により、複数地域、たとえばポルトガル・アンダルシア・ブルターニュ・イングランド南西部・デンマークなどで独立して巨石文化が出現した、という仮説が提示されました。初期の放射性炭素年代測定結果は、拡散仮説を支持しなかったからです。本論文は、巨石文化前から巨石文化期および巨石文化と同年代の非巨石文化の放射性炭素年代測定結果2410点(較正年代)を、ベイズモデリング手法で分析しました。その結果、本論文は、巨石文化の拡散には主要な3段階があった、との見解を提示しています。以下に、本論文の図5を掲載します。

画像
https://www.pnas.org/content/pnas/116/9/3460/F5.large.jpg


 巨石墓は、フランス北西部・地中海・イベリア半島の大西洋沿岸で、紀元前5千年紀後半に200〜300年以内に出現した、と推測されます。これが第1段階の拡散です。現時点では、ヨーロッパで巨石文化前の記念碑から巨石遺物への移行が見られる地域はフランス北西部だけなので、ここが巨石文化の起源地として示唆されます。カタルーニャやフランス南部やコルシカ島やサルデーニャ島といった、その他の紀元前5千年紀の初期巨石文化拡散地域では、この時代には巨石墓が例外的で、地下への埋葬が依然として一般的でした。

 その後、紀元前4千年紀の前半に巨石文化の新たな拡大が起きました。これが第2段階の拡散です。数千もの羨道墓がイベリア半島・アイルランド・イングランド・スコットランド・フランスの大西洋沿岸に建てられました。この羨道墓の分布は、海路での拡散と、これらの地域が海路で強いつながりを有していた、と示唆します。また、羨道墓の拡散は、ヨーロッパの経済および社会的変化を反映しており、埋葬儀式の急激な変化の指標になる、と指摘されています。

 紀元前4千年紀後半には、羨道墓はスカンジナビア半島へと到達します。これが第3段階の拡散です。この地域の最初期の羨道墓は、バルト海のエーランド島とゴットランド島にあります。本論文は、巨石文化の起源がフランス北西部にあり、地中海と大西洋海岸沿いに拡散し、それは年代的には連続した主要な3段階で区別される、との見解を提示しています。こうした巨石文化の拡大は、新石器時代および銅器時代社会の社会的・経済的変化と一致しており、当時の航海技術と海に関する知識はじゅうらいの推定よりもはるかに発達していた、と本論文は指摘しています。これはたいへん興味深い見解で、今後の研究の進展が期待されます。


参考文献:
Paulsson BS.(2019): Radiocarbon dates and Bayesian modeling support maritime diffusion model for megaliths in Europe. PNAS, 116, 9, 3460–3465.
https://doi.org/10.1073/pnas.1813268116

https://sicambre.at.webry.info/201903/article_4.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/274.html#c7

コメント [政治・選挙・NHK275] 志位委員長インタビュー 「いいところなかった」安倍政治 『サンデー毎日』掲載 コロナ対策の無策を告発(しんぶん赤旗) gataro
9. 地下爺[12505] km6Jupbq 2020年9月01日 20:23:41 : tu6SpoHmCg : Y1JnTi5SaUdrdTI=[159]
 

http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/457.html#c9
コメント [政治・選挙・NHK275] 志位委員長インタビュー 「いいところなかった」安倍政治 『サンデー毎日』掲載 コロナ対策の無策を告発(しんぶん赤旗) gataro
10. 地下爺[12506] km6Jupbq 2020年9月01日 20:24:25 : tu6SpoHmCg : Y1JnTi5SaUdrdTI=[160]
 

http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/457.html#c10
コメント [近代史5] イベリア半島人の起源 中川隆
4. 2020年9月01日 20:24:59 : WyT5nCL4pQ : YzlncmJkNllTTWc=[53]
雑記帳 2019年03月17日
イベリア半島の人類集団の長期にわたる遺伝的歴史(追記有)
https://sicambre.at.webry.info/201903/article_28.html


 イベリア半島の人類集団の長期にわたる遺伝的歴史に関する2本の論文が報道されました。ユーラシア西部の古代DNA研究は盛んで、イベリア半島も例外ではありません。当ブログでも、イベリア半島の人類集団に関連する古代DNA研究を複数取り上げてきましたが、包括的なものとしては、新石器時代〜青銅器時代を対象とした研究があります(関連記事)。末期更新世〜青銅器時代までのイベリア半島の人類史を概観すると、アナトリア半島西部の農耕民がイベリア半島へと東進してきて新石器時代が始まり、在来の狩猟採集民集団と融合していきます。その後、銅器時代〜青銅器時代にかけて、ポントス-カスピ海草原(中央ユーラシア西北部から東ヨーロッパ南部までの草原地帯)起源の集団がヨーロッパに拡散し、イベリア半島も影響を受けました。こうした大雑把な認識を前提に、以下、2本の論文を取り上げます。


 一方の研究(Villalba-Mouco et al., 2019)は、13000〜6000年前頃のイベリア半島の人類集団の遺伝的構成とその変容を検証しており、オンライン版での先行公開となります。最終氷期の後、ヨーロッパ西部・中央部では狩猟採集民集団の置換があった、と推測されています。それまでは、文化的にはマグダレニアン(Magdalenian)と関連する集団系がイベリア半島も含めて広範に存在しており、ベルギーのゴイエット(Goyet)遺跡で発見された19000年前頃のゴイエットQ2(Goyet Q-2)個体に代表されます。その後、イタリアのヴィラブルナ(Villabruna)遺跡で発見された14000年前頃の個体に代表される系統が、マグダレニアン集団(ゴイエットQ2)系統をほぼ置換した、と推測されています。最終氷期極大期(LGM)には、ヨーロッパではイタリアとイベリア半島が待避所的な役割を担い、人類も他の動物とともに南下して寒冷期を生き延びたのではないか、と推測されています。

 本論文は、後期上部旧石器時代2人・中石器時代1人・早期新石器時代4人・中期新石器時代3人のゲノム規模データを新たに得て、既知のデータと比較しました。すると、イベリア半島北東部のエルミロン(El Mirón)遺跡の18700年前頃の個体には、ゴイエットQ2系統とヴィラブルナ系統との混合が確認されました。さらに、アナトリア半島西部からの農耕民がイベリア半島に拡散してきた後の中期新石器時代の住民にも、異なる狩猟採集民2系統の痕跡が確認されました。本論文は、イベリア半島がヨーロッパでは例外的に新石器時代までゴイエットQ2系統の残存した地域で、アナトリア半島西部起源の農耕民とイベリア半島在来の狩猟採集民集団との混合が改めて確認された、と指摘します。

 イベリア半島では、遅くとも19000年前頃までにはゴイエットQ2系統とヴィラブルナ系統が融合しており、本論文は両系統の早期の融合を指摘します。本論文はイベリア半島における両系統の融合に関して、ゴイエットQ2系統がイベリア半島に存在し続け、ヴィラブルナ系統がイベリア半島に拡散してきた可能性を想定しています。また本論文は、両系統ともイベリア半島外起源で、独立してイベリア半島に到達して両系統が交雑したか、すでにイベリア半島外で交雑していた可能性も指摘しています。この問題の解決には、もっと多くの更新世ヨーロッパの現生人類(Homo sapiens)のゲノム解析が必要となるでしょう。


 もう一方の研究(Olalde et al., 2019)は、中石器時代から歴史時代まで、約8000年にわたるイベリア半島の住民のゲノム規模データを報告しています。内訳は中石器時代4人・新石器時代44人・銅器時代47人・青銅器時代53人・鉄器時代24人・歴史時代99人で、既知の古代人1107人および現代人2862人のゲノム規模データとともに分析・比較されました。本論文で分析対象となった個体のうち、中石器時代のイベリア半島で最古の個体は19000年前頃のエルミロン個体と類似していましたが、その後はヨーロッパ中央部の狩猟採集民との強い近縁性が見られるようになります。本論文はこれを、イベリア半島北西部には影響を及ぼしたものの、南東部には影響を及ぼさなかった遺伝子流動を反映している、と解釈しています。

 新石器時代〜銅器時代には、アナトリア半島新石器時代農耕民系統・エルミロン系統・ヨーロッパ中央部狩猟採集民系統の混合が見られます。ただ本論文は、早期新石器時代の標本数は限定的なので、アナトリア半島西部から拡散してきた農耕民と先住の狩猟採集民との相互作用の詳細な解明には、より広範な地域の多くの標本数が必要になる、と指摘しています。中期新石器時代と銅器時代には、6000年前頃以降、狩猟採集民系統の増加が改めて確認されました。農耕民と狩猟採集民との融合が進展したのでしょう。中期新石器時代〜銅器時代の狩猟採集民系統は、上部旧石器時代後期のエルミロン系統よりも、中石器時代のイベリア半島北部系統の方と類似しています。

 青銅器時代早期となる4400〜4000年前頃のイベリア半島中央部のカミノ・デ・ラス・イェセラス(Camino de las Yeseras)遺跡の男性は、後期更新世アフリカ北部系統と早期新石器時代ヨーロッパ系統の混合としてモデル化される、と本論文は指摘します。イベリア半島におけるアフリカ北部系の遺伝的影響はすでに中期新石器時代〜銅器時代にも確認されており(関連記事)、本論文の知見はじゅうらいの見解と整合的と言えるでしょう。ただ本論文は、アフリカ北部からイベリア半島への遺伝子流動は、銅器時代と青銅器時代には限定的で、アフリカ北部系の遺伝的影響がイベリア半島で増加したのは過去2000年のことだった、とも指摘しています。

 4400〜2900年前頃となる青銅器時代には、イベリア半島においてポントス-カスピ海草原地帯系統の遺伝的影響が増加します。4500〜4000年前頃の14人には草原地帯の遺伝的要素が確認されない一方で、4000年前頃以降には、草原地帯系統の遺伝的影響が増加し、ゲノムでは40%ほどになる、と推定されています。銅器時代のイベリア半島で一般的だったY染色体DNAハプログループI2・G2・Hは、ほぼ完全にR1b系統に置換されました。つまり、草原地帯系統集団はイベリア半島において、女性よりも男性の方が強い遺伝的影響を及ぼした、というわけです。これは、X染色体上の非イベリア半島在来系の低い遺伝的影響からも支持されます。青銅器時代のカスティレヨ・デル・ボネテ(Castillejo del Bonete)遺跡の墓でも、草原地帯系統の男性と銅器時代のイベリア半島集団系統の女性が発見されています。本論文は、古代DNA研究は交雑の性差を確認できるものの、その過程を理解するには、考古学および人類学的研究が必要だ、と指摘しています。

 鉄器時代には、ヨーロッパ北部および中央部集団と関連する系統の増加傾向が見られます。この傾向は、後期青銅器時代もしくは早期鉄器時代におけるイベリア半島への遺伝子流動を反映しており、おそらくは骨壺墓地(Urnfield)文化の導入と関連している、と本論文は推測しています。また本論文は、草原地帯系統がインド・ヨーロッパ語族をもたらしたヨーロッパ中央部または北部とは異なり、イベリア半島では、草原地帯系統の遺伝的影響の増加がインド・ヨーロッパ語族への転換を常に伴ったわけではない、と示唆します。これは、現在ヨーロッパ西部で唯一の非インド・ヨーロッパ語族であるバスク人には、かなりの水準の草原地帯系統の影響が見られるからです。本論文は、バスク人は草原地帯系統の遺伝的影響を強く受けたものの、言語はインド・ヨーロッパ語族に置換されなかった、と指摘します。バスク人に関しては以前、新石器時代になってアナトリア半島西部からイベリア半島に進出してきた初期農耕民の子孫ではないか、との見解が提示されていました(関連記事)。本論文の見解はそれと矛盾するわけではありませんが、草原地帯系統の強い遺伝的影響が指摘されています。バスク人に関しては、旧石器時代や中石器時代からイベリア半島で継続してきた集団で、比較的孤立していたのではないか、と長い間考えられてきましたが、そうした見解は現時点では支持しにくいように思います。ただ、草原地帯系統の強い遺伝的影響を受けた後、バスク人系統は比較的孤立していたようです。

 歴史時代では、紀元前5世紀から紀元後6世紀の24人のデータにより、地中海中央部・東部やアフリカ北部からの遺伝的影響があった、と推測されています。これに関しては、ローマの拡大による強い影響が想定されますが、それよりも前のギリシアや、さらにその前のフェニキアの植民活動の影響も指摘されています。また歴史時代では、地中海東部系と鉄器時代イベリア半島系に大きく二分され、多民族的な状況の町があった、と指摘されています。フェニキアの影響は、Y染色体DNAハプログループJ2の存在からも支持されます。こうした地中海中央部・東部の遺伝的影響はイベリア半島全域に及びましたが、バスク地方は例外だったようで、上述したようにバスク地方の孤立性が想定されます。また、ユダヤ系を反映しているだろうレヴァント関連系統も確認されました。ローマ帝国衰退期には、古典期とは対照的に、大きな長期的影響は小さかった、と推測されています。ただ、ユーラシア東部系のmtDNAハプログループC4a1aも見られ、東方からのローマ帝国への侵略を反映しているかもしれません。

 アフリカ北部からイベリア半島への遺伝子流動はイスラム期にも継続し、イスラム期前には見られない遺伝的痕跡と、アフリカ北部およびサハラ砂漠以南のアフリカ系統の増加が確認されます。イベリア半島南部の現代人はイベリア半島のイスラム期のムスリムの埋葬者よりもアフリカ北部系要素が少なく、ムスリムの追放とイベリア半島北部からの再移住の結果と推測されます。歴史学では長く通説だったというか、おそらくヨーロッパでは一般常識だろう、イベリア半島におけるイスラム教勢力の支配とその後のイスラム教勢力追放(レコンキスタ)が、古代ゲノム研究でも改めて確認されたのは、予想されたこととはいえ、興味深いものです。


参考文献:
Olalde I. et al.(2019): The genomic history of the Iberian Peninsula over the past 8000 years. Science, 363, 6432, 1230-1234.
https://doi.org/10.1126/science.aav4040

Villalba-Mouco V. et al.(2019): Survival of Late Pleistocene Hunter-Gatherer Ancestry in the Iberian Peninsula. Current Biology, 29, 7, 1169–1177.E7.
https://doi.org/10.1016/j.cub.2019.02.006


追記(2019年3月19日)
 ナショナルジオグラフィックでも報道されました。

https://sicambre.at.webry.info/201903/article_28.html

http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/291.html#c4

コメント [政治・選挙・NHK275] チマチマとしたコップの中の嵐にウンザリだ。(日々雑感) 笑坊
1. 2020年9月01日 20:25:06 : tKZqkJERIY : WmZwLjZrYlo5L0U=[3]
なんかほざいてる、アホウヨ雑感が。

こいつの思考は偏るだけ偏りすぎている。
http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/476.html#c1

コメント [政治・選挙・NHK275] 菅氏「党員投票すべき」発言ブーメラン 世襲制限も腰砕け(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
5. 赤かぶ[94062] kNSCqYLU 2020年9月01日 20:25:13 : Etqgkm55TU : RGtULnlHMS9YdlE=[23907]

https://twitter.com/shige_88/status/1300682334232932352



http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/477.html#c5
コメント [政治・選挙・NHK275] 志位委員長インタビュー 「いいところなかった」安倍政治 『サンデー毎日』掲載 コロナ対策の無策を告発(しんぶん赤旗) gataro
11. 地下爺[12507] km6Jupbq 2020年9月01日 20:25:31 : tu6SpoHmCg : Y1JnTi5SaUdrdTI=[161]
 

http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/457.html#c11
記事 [近代史5] コーカサス人の起源
コーカサス人の起源

雑記帳 2019年02月07日
コーカサス地域の銅石器時代〜青銅器時代の人類のゲノムデータ
https://sicambre.at.webry.info/201902/article_10.html

 コーカサス地域の銅石器時代〜青銅器時代の人類のゲノムデータを報告した研究(Wang et al., 2019A)が報道されました。1100kmに及ぶコーカサス山脈は黒海とカスピ海の間に位置しており、コーカサス地域には上部旧石器時代以降の豊富な考古学的記録があります。コーカサス地域での新石器時代は8000年前以降に始まりました。鉱石・牧草地・木材といった天然資源が豊富なコーカサス地域は、発展していくメソポタミアの都市文化にとって重要な地域でした。

 西アジア・コーカサス地域・ユーラシア草原地帯・ヨーロッパ中央部の接触に関しては、7000〜6000年前頃に考古学と遺伝学の双方で証拠が得られています。こうした接触は6000〜5000年前に増加していき、車輪・ワゴン・銅合金・新たな武器や家畜品種などが好感されていきました。こうした接触によりヤムナヤ(Yamnaya)文化が形成され、やがてヤムナヤ文化集団は5000〜4000年前頃より拡散していき、ヨーロッパに大きな遺伝的影響を残した、と推測されています(関連記事)。車輪の開発やウマの家畜化の進展などによる移動力の増加が、こうした大移動の背景にあるのでしょう。コーカサス地域は、こうした人類集団と文化の移動・拡散において、重要な役割を果たしたのではないか、と考えられています。

 本論文は、おもに6500〜3500年前頃のコーカサス地域の45人のゲノム規模の一塩基多型データを生成し、既知の古代人や現代人のデータと比較しつつ、コーカサス地域、さらにはユーラシア西部の人類集団の移動・相互の関係を検証しています。これまでのコーカサス地域の現代人のゲノム解析からは、アナトリア半島や近東の集団との類似性と、隣接する北方の草原地帯との遺伝的不連続性が指摘されていました。常染色体やミトコンドリアDNA(mtDNA)のデータからは、コーカサス地域全体は遺伝的に比較的均質に見えるのにたいして、Y染色体は多様でより深い遺伝的構造を示し、地理的・民族的・言語・歴史的事象と一致します。本論文は、古代ゲノムデータの解析・比較により、こうしたパターンがどのように形成されてきたのか、検証しています。

 まず大まかに言えるのは、6500〜3500年前頃のコーカサス地域の人類集団の遺伝的構成は草原地帯と山岳地帯とで大きく分かれ、3000年にわたって安定的だった、ということです。つまり、人類集団の遺伝的構成は、コーカサス山脈の南方地域と北部の山麓地域とでは類似しているのに対して、コーカサス山脈の北部では、隣接していても、山麓地域と草原地域とでは明確に異なり、そうした構造が3000年にわたっておおむね安定的に継続した、ということです。銅石器時代〜青銅器時代には、コーカサス山脈は人類集団を遺伝的に分離する障壁とはならなかったようです。本論文は、生態系に対応した人類集団の遺伝的構成になっている、と指摘しています。Y染色体では、ハプログループJ・G2・Lが多い山麓地域と、R1/R1b1およびQ1a2の多い草原地域とで明確に異なりますが、mtDNAのハプログループは両集団ともY染色体DNAハプログループよりも多様で類似しています。

 青銅器時代のコーカサス地域には、おもにコーカサス山脈以北のマイコープ(Maykop)文化(5900〜4900年前頃)とコーカサス山脈以南のクラアラクセス(Kura-Araxes)文化が存在し、後者は青銅器時代後期にかけて1期〜3期へと変容していきます(5600〜4300年前頃)。コーカサス山脈以北では、ヤムナヤ文化も拡大してきて、マイコープ文化から北部コーカサス文化(4800〜4400年前頃)へと変容していきます。こうした文化変容にも関わらず、生態系に対応した人類集団の遺伝的構成は比較的安定していました。

 さらに、マイコープ文化集団の担い手の遺伝的構成も、山麓地域と草原地域とで異なっており、文化変容が大規模な人類集団の移動を伴わず、在来集団による文化受容だったことを示唆しています。ただ、マイコープ文化期に、山麓地域には多いアナトリア農耕民系要素が草原地域では基本的に見られないか少ない一方で、アナトリア農耕民系要素が顕著に多い個体も草原地域マイコープ文化集団で2人確認されているので、山麓地域と草原地域とである程度の遺伝子流動があった、と推測されます。また、草原地域マイコープ文化集団には、ユーラシア北部・中央部に存在したと推測される、まだ識別されていない祖先集団(ゴースト集団)からの遺伝的影響を受けており、アメリカ大陸先住民集団や東アジア系集団との類似性をもたらしている、と推測されています。本論文の見解を私が文章にしても分かりにくいので、以下に本論文の図5を掲載します。

画像
https://media.springernature.com/lw900/springer-static/image/art%3A10.1038%2Fs41467-018-08220-8/MediaObjects/41467_2018_8220_Fig5_HTML.png

 上述したように、コーカサス地域では現在、常染色体やmtDNAが比較的均質なのに対して、Y染色体では民族に応じた大きな違いが見られます。本論文は、現在のコーカサス北部集団には、鉄器時代以降に草原地帯集団から追加の遺伝子流動があった、と推測しています。考古学と歴史学からは、鉄器時代と中世におけるコーカサス地域への大量の侵入が指摘されていますが、この仮説の検証には、鉄器時代以降の古代DNA解析が必要になる、と本論文は慎重な姿勢を示しています。おそらく鉄器時代以降のコーカサス地域では、男性主体の征服活動があったのでしょう。

 また本論文は、ヤムナヤ文化系集団が、そのヨーロッパ西方への本格的な拡大の前に、ヨーロッパからわずかに遺伝的影響を受けた可能性も指摘しています。本論文はその候補として、ヨーロッパ中央部の球状アンフォラ(Globular Amphora)文化集団などを想定しています。ヤムナヤ文化集団のヨーロッパへの大規模な拡散の前に、ユーラシア西部では微妙な遺伝子流動があり、それはユーラシア草原地帯(東)からヨーロッパ(西)への一方向のみではなかった、というわけです。本論文は、考古学的証拠でも、ヨーロッパからメソポタミアまで含む文化の交流がヤムナヤ文化集団の本格的な拡大前より始まったことが示されていることから、ユーラシア西部では早くから広範囲の文化的・遺伝的交流があったのではないか、と指摘しています。


参考文献:
Wang CC. et al.(2019A): Ancient human genome-wide data from a 3000-year interval in the Caucasus corresponds with eco-geographic regions. Nature Communications, 10, 590.
https://doi.org/10.1038/s41467-018-08220-8


https://sicambre.at.webry.info/201902/article_10.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/303.html

コメント [カルト28] 次の首相は菅義偉(すがよしひで)だろう。去年5月アメリカで”首実検” 済みだから/副島隆彦 仁王像
5. 2020年9月01日 20:28:53 : Di1MeEkVSI : TURTbXVWMmNYN3c=[1373]
チビコロ国家の奴隷国家の政治に、かかわりたくない、という割には、

ずいぶんと長々しい文章だね。

十分関心があるとしか取れない。

 正直ではなく二枚舌なところが、物書きジャーナリストには多いね。


http://www.asyura2.com/20/cult28/msg/204.html#c5

コメント [近代史5] イベリア半島人の起源 中川隆
5. 2020年9月01日 20:29:09 : WyT5nCL4pQ : YzlncmJkNllTTWc=[54]
雑記帳 2019年01月28日
アフリカからイベリア半島への先史時代の遺伝子流動
https://sicambre.at.webry.info/201901/article_52.html


 アフリカからイベリア半島への先史時代の遺伝子流動に関する研究(González-Fortes et al., 2019)が公表されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。本論文の年代は基本的に、放射性炭素年代測定法による較正年代で、以下のアフリカとは、明記しない限りサハラ砂漠以南のアフリカを指します。現代ヨーロッパ人のゲノム解析ではアフリカ系集団の遺伝的影響がわずかに確認されており、その割合は南西から北東に向かうにつれて減少します。つまり、ヨーロッパでもイベリア半島において、アフリカ系集団の遺伝的影響が最も高い、というわけです。

 これが先史時代の移住の結果なのか、それとも歴史時代のことなのか、不明です。現代人のゲノム規模解析からは、ヨーロッパにアフリカから移住があったのはイスラム教拡散の頃のことだと推定されています。しかし、現代人のミトコンドリアDNA(mtDNA)とY染色体DNAの分析では、もっと前の10000〜8000年前頃の交雑が示唆されています。強力な証拠の一つは、基本的にはアフリカでのみ見られるmtDNAハプログループLのヨーロッパ特有の亜系統が存在することで、これはヨーロッパにおける早期の到達とその後の地域的な進化を示唆しています。

 地理的に近接したイベリア半島とアフリカ北西部の間では、古代DNA研究により、遺伝子流動があった、と明らかになりつつあります。アフリカ北西部(モロッコ)では、15000年前頃の集団にサハラ砂漠以南のアフリカからの(関連記事)、5000年前頃となる後期新石器時代の集団には、それまで見られなかったヨーロッパ、おそらくはイベリア半島からの(関連記事)遺伝的影響が見られます。しかし、先史時代におけるアフリカからイベリア半島への遺伝子流動はこれまで確認されていませんでした。

 本論文は、、中期新石器時代〜銅器時代〜青銅器時代のイベリア半島の人類のうち、4人の核ゲノムを(網羅率は0.39〜4.78倍)、またこの4人も含めて17人のmtDNAを解析しました。核ゲノムが解析された4人は、スペイン南部のルセーナ(Lucena)にある「天使の小さな洞穴(Covacha del A´ngel)」遺跡の標本「COV20126」と「天使の穴(Sima del A´ ngel)」遺跡の標本「LU339」、ポルトガル北部の「食事の広場(Lorga de Dine)」遺跡の標本「LD1174」と「LD270」です。年代は、COV20126が3637±60年前、LU339が4889±68年前、LD1174が4467±61年前、LD270が4386±128年前です。

 mtDNAハプログループは、1人を除いてヨーロッパで以前に確認されたものでした。しかし、COV20126は、サハラ砂漠以南のアフリカ、とくに西部と西部・中央部に現代では典型的に見られるL2a1でした。非アフリカ地域では基本的にmtDNAハプログループL3から派生したM・Nしか見られませんが、L2系統とL3系統の分岐年代は73000年前頃と本論文では推定されています。L2a1は、これまで先史時代の非アフリカ地域においては確認されていませんでした。

 COV20126は、mtDNAでは明確なアフリカ起源を示しましたが、核DNAではアフリカ系の影響は見られませんでした。しかし、イベリア半島の他の標本、とくに地中海沿岸地域と高原地域では、中期新石器時代〜銅器時代にかけての複数個体には見られます。また、ポルトガルよりもスペインの方が、またより新しい時代の方が、より高いアフリカ系との類似性を示します。考古学的にも、イベリア半島南部とアフリカ北部との間で、新石器時代の類似性が指摘されています。本論文は核とミトコンドリアの両方で、先史時代におけるアフリカからヨーロッパへの遺伝子流動の直接的証拠を初めて報告したことになります。

 本論文はこれらの知見を根拠に、アフリカからイベリア半島南部への少なくとも1回の遺伝子流動事象があった、と解釈しています。この遺伝子流動については、大西洋北西端には到達していないか、その影響が小さかった、と本論文は考えています。この遺伝子流動がいつ起きたのか、正確な年代は不明で、より正確な検証には中石器時代のイベリア半島南部のゲノム解析が必要です。COV20126の核ゲノムにアフリカ系要素が見られなかったことについては、その年代がやや新しいので、ヨーロッパ系との混合が進んでアフリカ系要素が希釈されたことと、網羅率が0.39倍と低いことも影響しているかもしれません。古代DNA研究の進展は、とくにヨーロッパにおいて目覚ましく、とても追いついていけいてない状況なのですが、少しでも多くの論文や本を読んでいこう、と考えています。


参考文献:
González-Fortes G.. et al.(2019): A western route of prehistoric human migration from Africa into the Iberian Peninsula. Proceedings of the Royal Society B, 286, 1895, 20182288.
https://doi.org/10.1098/rspb.2018.2288

https://sicambre.at.webry.info/201901/article_52.html

http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/291.html#c5

コメント [近代史5] イベリア半島人の起源 中川隆
6. 2020年9月01日 20:33:07 : WyT5nCL4pQ : YzlncmJkNllTTWc=[55]
雑記帳 2018年09月30日
イベリア半島北部における中部旧石器時代〜上部旧石器時代の移行年代
https://sicambre.at.webry.info/201809/article_53.html

 取り上げるのが遅くなりましたが、イベリア半島北部における中部旧石器時代〜上部旧石器時代の移行年代に関する研究(Marín-Arroyo et al., 2018)が公表されました。ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の洞窟壁画の年代を見直した論文(関連記事)にて本論文が引用されており、重要だと思ったので取り上げます。ユーラシア西部における中部旧石器時代から上部旧石器時代への移行は、現生人類によるネアンデルタール人の置換と関連していると考えられることから関心の高い問題で、その解明には各遺跡の精確な年代測定が必要となります。

 この十数年ほど、ヨーロッパの旧石器時代の年代の見直しが続いており(関連記事)、それは中部旧石器時代から上部旧石器時代への移行年代の推定にも大きな影響を及ぼしています。年代見直しの根拠となるのは、じゅうらいの放射性炭素年代測定法で用いられた試料は汚染の可能性が否定できず、その場合にはじっさいよりも新しい推定年代が得られてしまう、ということです。試料汚染の問題を解決するために前処理として限外濾過が用いられ、汚染の影響を受けにくいコラーゲンが精製され、年代測定されるようになりました。ただ、この方法は、コラーゲンの得られない遺跡では適用できない、という難点があります。

 本論文もこの改善された方法を用いて、イベリア半島北部でも中央部となる、スペイン北部のカンタブリア(Cantabria)州の諸遺跡の新たな年代を提示しています。文化的には、ムステリアン(Mousterian)の末期からシャテルペロニアン(Châtelperronian)期とオーリナシアン(Aurignacian)期を経てグラヴェティアン(Gravettian)期となり、新たな年代の報告とともに、既知の信頼性の高い年代と統合して、カンタブリア州における中部旧石器時代から上部旧石器時代への移行期の年代的枠組みを提示しています。ヨーロッパにおける中部旧石器時代から上部旧石器時代への移行は、異なる地域で異なる時期に起きた、と明らかになりつつあるので、本論文のように各地域の精確な年代を提示することが重要となります。以下の年代はすべて、放射性炭素年代測定法による較正年代ですが、シャテルペロニアンに関しては新たな年代が得られませんでした。

 各インダストリーの開始および終焉の推定年代(確率95.4%)は以下の通りです。なお、()は確率68.2%の年代です。ムステリアンの終焉は47914〜45078(47298〜46048)年前、シャテルペロニアンの開始は42868〜41686(42508〜41930)年前で終焉は42406〜41370(42142〜41632)年前、オーリナシアンの開始は43270〜40478(42406〜41000)年前で終焉は34376〜33784(34604〜336140)年前、グラヴェティアンの開始は35914〜35206(36818〜35030)年前です。

 カンタブリア州におけるムステリアンの終焉は、イベリア半島北東部やフランス南西部のムステリアンの終焉より早く、カンタブリア州においてはムステリアンとシャテルペロニアンの間に明確な空白期間が存在します。シャテルペロニアンの担い手と起源についてはさまざまな議論がありますが、その担い手の少なくとも一部がネアンデルタール人であった可能性はきわめて高いでしょう(関連記事)。本論文は、カンタブリア州のシャテルペロニアンが外来インダストリーだった可能性と、空白期間に未発見の遺跡があり、ムステリアンから派生した可能性を指摘しています。

 シャテルペロニアンをめぐる議論との関連では、カンタブリア州においてシャテルペロニアンとオーリナシアンが500〜1000年ほど重なっていることも注目されます。そのため本論文は、カンタブリア州におけるネアンデルタール人と現生人類との一定期間の共存の可能性を指摘しますが、一方で、カンタブリア州の後期ムステリアン・シャテルペロニアン・最初期オーリナシアンには明確な人類遺骸が共伴していない、と注意を喚起しています。カンタブリア州における各インダストリーの担い手は確定していない、というわけです。じっさい、シャテルペロニアンの担い手の一部が現生人類である可能性も指摘されており(関連記事)、カンタブリア州のシャテルペロニアンに関しても、その可能性を考慮に入れておくべきだと思います。カンタブリア州においては、オーリナシアンとグラヴェティアンの年代も重なっています。イベリア半島北部のグラヴェティアンは、西部より東部の方で早く出現しますから、イベリア半島北部のグラヴェティアンは東方に起源があると考えられます。

 各インダストリーの担い手について色々と議論はありますが、カンタブリア州においては、ムステリアンの担い手がネアンデルタール人で、オーリナシアンの担い手が現生人類である可能性はきわめて高そうです。グラヴェティアンの担い手は、議論の余地なく現生人類と言えるでしょう。問題となるのはシャテルペロニアンの担い手で、ネアンデルタール人だとしても、現生人類の影響を受けた可能性は高そうです。フランス南西部のシャテルペロニアンに関しても、とくに後期は、ネアンデルタール人が担い手だったとしても、現生人類の一定以上の影響を想定するのが妥当かもしれません。


参考文献:
Marín-Arroyo AB, Rios-Garaizar J, Straus LG, Jones JR, de la Rasilla M, et al. (2018) Chronological reassessment of the Middle to Upper Paleolithic transition and Early Upper Paleolithic cultures in Cantabrian Spain. PLOS ONE 13(6): e0194708.
https://doi.org/10.1371/journal.pone.0194708

https://sicambre.at.webry.info/201809/article_53.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/291.html#c6

コメント [政治・選挙・NHK275] <これならいける!!>枝野氏、“合流新党”経済対策で検討 消費税一時的に「ゼロ」も(TBS) 赤かぶ
29. 2020年9月01日 20:33:33 : LY52bYZiZQ : aXZHNXJYTVV4YVE=[6819]
〖森永卓郎〗ポスト安倍で起こる最悪の事態はこれだ!
•2020/08/31
おおかみNews
https://www.youtube.com/watch?v=NuAFp8au6EU
http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/456.html#c29
コメント [原発・フッ素52] 鬼ごっこで骨折も…コロナ休校、増える子供のけが (産経)  魑魅魍魎男
3. 2020年9月01日 20:34:23 : tl04uLGFW2 : MGxTUnQ0cUpCeW8=[71]
かわいそうにな
子供たちは親や教師の言うとおりにするしか無い
親や教師が馬鹿だと、馬鹿ではない子供まで愚行をさせられる
この国では、親や教師の権限が強すぎる
この国は、馬鹿親の団塊によって傾いた・・・自分らの立場を守るために、子の世代の氷河期を見捨てたのだ
そして、今また若者の中にも団塊の世代の縮小版の様な連中が出現してきているわけだ
処置なしだな
http://www.asyura2.com/19/genpatu52/msg/858.html#c3
コメント [政治・選挙・NHK275] 菅官房長官にも健康不安説が取り沙汰、総裁選が混沌…安倍首相辞任の裏で飛び交う噂(Business Journal) 赤かぶ
9. 2020年9月01日 20:34:29 : VTH59AY6XQ : WWk1VDA0bXVWVGM=[431]
ええええええええええ????
なんなのこの記事

斜め読みした限りでは菅の顔色が冴えないと
全く具体性も詳細もない

こんなので読者を安心させようとしてるのか
酷すぎる
http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/471.html#c9

コメント [近代史5] チベット人の起源 中川隆
1. 2020年9月01日 20:35:08 : WyT5nCL4pQ : YzlncmJkNllTTWc=[56]
雑記帳 2018年12月01日
さかのぼるチベット高原への人類の拡散
https://sicambre.at.webry.info/201812/article_1.html


 チベット高原への人類の拡散に関する研究(Zhang et al., 2018)が報道されました。チベットへの人類の移住に関しては、以前まとめました(関連記事)。海抜4000m以上となるような高地は、砂漠・熱帯雨林・北極圏とともに人類にとって極限環境で、居住は容易ではないため、進出できた人類は現生人類(Homo sapiens)だけで(関連記事)、チベット高原も、低温・低い生物量(バイオマス)生産性・低酸素のため、人類にとって過酷な環境で、人類の進出した陸上環境の中でも最後の方の一つと考えられています。

 海抜4000m以上となるような高地における、ある程度は継続的な人類の居住の確実な痕跡は、これまでせいぜい更新世〜完新世移行期にまでしかさかのぼりませんでした。アンデス高地に関しては、通年の利用と断定はできないとしても、少なくとも季節的には利用していたと考えられる12800〜11500年前頃の人類の痕跡が(関連記事)、チベット高原に関しては、12670〜8200年前頃までさかのぼる人類の通年の居住が報告されています(関連記事)。

 本論文は、チベット北部のチャンタン(Changthang)地域にある、海抜約4600mに位置する尼阿底(Nwya Devu)遺跡の年代を報告しています。2013年に発見された尼阿底遺跡は、ラサ市の300km北西に位置し、東西1km、南北2kmほどの広さです。尼阿底遺跡では1ヶ所の発掘溝で3地点の層位と人工物と年代が詳細に調べられました。3地点の層位はそれぞれ3層に区分されます。10〜30cmの第1層は小石の多い沈泥と細かい砂で構成されており、表面採集分も含めて3124点の石器が発見されています。50〜80cmの第2層はよく揃った細粒砂で構成されており、砂利を含んでいて、223点の石器が発見されています。第3層はおもに砂利で、淡水貝の殻を含んでいます。深さは全体で約170cmです。石器が発見されたのは、第3層となる深さ138cmまでの地点です。これら3層の石器の間に明確な形態・技術の違いはなく、本論文は、これらが単一の石器群で、第3層で人類の痕跡が始まる、と結論づけています。

 尼阿底遺跡では放射性炭素年代測定法を用いて信頼できる年代を得られるほどの有機物は残存していなかったので、年代測定にはおもに光刺激ルミネッセンス法(OSL)が用いられ、合計24点の標本から推定年代値が得られました。これらの年代はおおむね層序と整合的です。第1層の年代は130000±1000年前と3600±300年前で、おもに完新世と考えられます。第1層最下部の淡水の貝の殻は、加速器質量分析(AMS)法による放射性炭素年代で12700〜12400年前頃となります。第2層の年代は25000〜18000年前頃と短い期間なので、最終氷期極大期の間の堆積や攪乱を反映しているかもしれません。第3層の人工物と関連した年代は45000〜30000年前頃で、貝殻のAMS法による年代と一致しています。石器と近い試料による最古級の年代は、44800±4100年前と36700±3200年前です。AMS法による年代とOSLの年代は近接しているので、OSLの年代の信頼性は高いと考えられます。OSLと放射性炭素年代測定法によると、石器の出現年代は海洋酸素同位体ステージ(MIS)3となる4万〜3万年前頃と推定されます。チベット高原における更新世の人類の痕跡は、これまでその周縁部でいくつか発見されているだけでしたから、尼阿底遺跡は、海抜4000m以上となるような高地における更新世の人類の痕跡としては最古の事例となります。

 尼阿底遺跡の合計3683点の石器の中には、石刃石核・剥片石核・石刃・剥片などが含まれています。これらの石器の特徴は石刃生産で、ルヴァロワ(Levallois)石核というよりも、プリズム石核から製作され、単方向剥離が優占しています。石刃のサイズは様々で、掻器や礫器などに再加工されています。全ての石器は黒い粘板岩で製作されており、尼阿底遺跡の東方800mの丘から調達されていた、と推測されます。廃棄物の割合が高くて精選された道具が少なく、遺跡の規模や石材調達地から近くて、動物遺骸や炉床がないことから、尼阿底遺跡は石器製作の作業場だった、と本論文は推測しています。

 尼阿底遺跡の石器群と技術的に類似した石器は、中国では北部でわずかにしか見つかっていません。尼阿底遺跡の石器群と最もよく類似しているのは、シベリアとモンゴルの早期上部旧石器時代の石器群です。そのため本論文は、チベットとシベリアで4万〜3万年前頃に相互作用があった可能性を指摘しています。これは、南シベリアのアルタイ地域で存在が確認されている、種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)との関連(関連記事)で注目されます。デニソワ人の現代人への遺伝的影響は、東アジアにおいてわずかで、オセアニアにおいてそれよりずっと高く、チベット高原は、デニソワ人の遺伝的影響を受けた現生人類集団の南方への拡散経路の一つだったかもしれない、と本論文は指摘します。ただ、デニソワ人に関しては、北方系と南方系が存在し、それぞれ東アジア系とオセアニア系に遺伝的影響を残した、と想定する方が節約的であるように思えます(関連記事)。

 本論文は、チベット高原のような海抜4000m以上の高地への人類の進出が4万年前頃までさかのぼることを示した点で、たいへん意義深いと思います。MIS3には、チベット高原の生態学的条件は現在と同じか、もっと良かったのではないか、と推測されていますが、それでも、低温や低酸素への適応が重要となってきます。現代チベット人には高地適応関連遺伝子が確認されており(関連記事)、中にはデニソワ人から継承されたと推測されるものもあります(関連記事)。おそらく、現代チベット人の祖先集団のなかにはそうした遺伝的多様体を有した個体がおり、高地へと拡散して定着していく過程で集団内に定着していった(遺伝子頻度が上昇した)のでしょう。なお、アンデス高原の現代人も高地適応関連遺伝子を有していますが、それはチベット人とは異なっており(関連記事)、人類の遺伝的な高地適応も多様だったと考えられます。


参考文献:
Zhang XL. et al.(2018): The earliest human occupation of the high-altitude Tibetan Plateau 40 thousand to 30 thousand years ago. Science, 362, 6418, 1049-1051.
https://doi.org/10.1126/science.aat8824

https://sicambre.at.webry.info/201812/article_1.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/273.html#c1

コメント [政治・選挙・NHK275] <拡散、お願いします >合流新党が大化けする変化の胎動(植草一秀の『知られざる真実』) 赤かぶ
11. 赤かぶ[94063] kNSCqYLU 2020年9月01日 20:36:15 : Etqgkm55TU : RGtULnlHMS9YdlE=[23908]



http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/474.html#c11
コメント [近代史5] スカンジナビア半島人の起源 中川隆
2. 2020年9月01日 20:36:34 : WyT5nCL4pQ : YzlncmJkNllTTWc=[57]
雑記帳 2018年11月28日
フィンランドとロシア北西部の古代ゲノム
https://sicambre.at.webry.info/201811/article_52.html


 フィンランドとロシア北西部の古代ゲノムに関する研究(Lamnidis et al., 2018)が報道されました。ヨーロッパの現代人の遺伝的構成はおもに、上部旧石器時代の狩猟採集民、新石器時代初期にアナトリアからヨーロッパへと拡散してきた農耕民、新石器時代末期から青銅器時代初期にユーラシア西部草原地帯からヨーロッパへと拡散してきたヤムナヤ(Yamnaya)集団の混合です。考古学的研究成果より、フィンランドには9000年前より人類が居住していた、と明らかになっていますが、ヨーロッパ北東部の古代DNA研究は、ヨーロッパの他地域と比較して遅れています。

 本論文は、ロシア北西部のコラ半島の北部に位置するボリショイ・オレーニ・オストロフ(Bolshoy Oleni Ostrov)遺跡(BOO遺跡)と、コラ半島南部のチャルムニー・ヴァレ(Chalmny Varre)遺跡(CV遺跡)、フィンランド南部のレヴェンルータ(Levänluhta)遺跡(Ll遺跡)で発見された人類遺骸のゲノムを解析しました。BOO遺跡では3473±87年前頃の6人の遺骸のゲノムが解析され、ミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループは以前に報告されています(U4a1・Z1a1a・T2d1b1・C4b・U5a1d・D4e4)。このうち男性は2人で、Y染色体DNAハプログループはともにN1c1a1aです。CV遺跡では紀元後18〜紀元後19世紀の2人の遺骸のゲノムが解析され、1人は女性(mtDNAハプログループはU5b1b1a3)で、もう1人は男性(mtDNAハプログループはV7a1、Y染色体DNAハプログループはI2a1)です。Ll遺跡では1700〜1200年前頃の7人の遺骸が発見されており、このうち分析・比較に耐え得るゲノムデータが得られたのは女性3人で、そのmtDNAハプログループが報告されています(U5a1a1a’b’n、U5a1a1、K1a4a1b)。

 これらのデータは、他の古代ゲノムデータや現代人のゲノムデータと比較されました。本論文は、これら比較対象となったゲノムデータの構成要素を5区分しています。それは、ヨーロッパ西部狩猟採集民集団(WHG)、地理的範囲はドイツを中心とする新石器時代となる線形陶器文化(Linearbandkeramik Culture)の農耕民集団(LBK)、ヤムナヤ集団に代表されるユーラシア西部草原地帯の集団(ヤムナヤ)、ヨーロッパ東部の中石器時代の狩猟採集民集団(EHG)、ガナサン人(Nganasan)に代表されるシベリア系集団(シベリア系)です。

 BOO遺跡の6人ではシベリア系要素が多く、ヤムナヤ要素とWHG要素は見られません。上述したmtDNAハプログループでも、BOO遺跡の6人ではシベリア系のZ1・C4・D4が見られます。Ll遺跡の3人のうち、2人にはBOO遺跡の6人ほどではないとしてもシベリア人要素が多く見られますが、1人(Levänluhta_B)には見られません。現代のサーミ人には、Levänluhta_B を除くLl遺跡の2人ほどではないとしても、他のヨーロッパ人、とくに西方ヨーロッパ人より多くのシベリア系要素が見られます。フィン人には、現代のサーミ人ほどではないとしても、他のヨーロッパ人よりも多くのシベリア系要素が見られます。BOO遺跡の6人に先行するヨーロッパ北東部の人類集団では、シベリア系の要素が見られません。ヨーロッパ北東部の人類集団は、ヨーロッパ系とシベリア系との混合と推測されます。

 バルト海地域の9500〜2500年前頃となる106人の人類遺骸のゲノムデータが得られていますが(関連記事)、8300〜5000年前頃のバルト海地域集団には、シベリア系要素が見られません。これは、シベリア系要素のヨーロッパへの到来が5000年前頃以降であると示唆していますが、ヨーロッパ北東部の古代ゲノム解析はまだヨーロッパの他地域より遅れており、もっと早い年代だった可能性を排除できません。シベリア系集団がウラル語族をヨーロッパにもたらした可能性は高そうですが、ウラル語族のヨーロッパ北東部への拡大が3500年前よりもさかのぼりそうと推定されていることや、ウラル語族集団の交雑パターンは歴史的に複雑で、単一の事象ではなさそうなことから、単純化はできない、と本論文は注意を喚起しています。ヨーロッパに遠く離れたシベリア系要素が流入した要因として、古代のシベリア系集団は遊動的な生活を送っており、広大な距離を交易・移動し、他の集団との接触が広範囲及んでいたからではないか、と推測されています。

 レヴェンルータ遺跡の3人のうち1人(Levänluhta_B)を除く2人は、現代人集団ではサーミ人と遺伝的に最近縁でした。Ll遺跡の集団は、現代のサーミ人の直接的な祖先集団か、現代には遺伝的影響を残していないとしても、サーミ人の祖先集団ときわめて近縁な集団だったのでしょう。サーミ人は現在、おもにスカンジナビア半島北部に存在していますが、かつてはもっと広範囲に南部まで存在しており、フィンランドでは鉄器時代以降に遺伝的構成の変化が起きた可能性を示唆しています。Ll遺跡遺跡の近隣地域にはサーミ語由来と推測される地名があることからも、サーミ語はフィンランド語がフィンランドに流入する前にフィンランドで話されており、その範囲が現在よりも広範だった可能性は高そうです。ただ、フィンランドにおける移住と交雑についてさらに詳細に解明するには、もっと多くの古代DNAが必要だと本論文は指摘しています。本論文の観察パターンがフィンランド全体を反映しているのか、まだ確定できない、というわけです。


参考文献:
Lamnidis TC. et al.(2018): Ancient Fennoscandian genomes reveal origin and spread of Siberian ancestry in Europe. Nature Communications, 9, 5018.
https://doi.org/10.1038/s41467-018-07483-5

https://sicambre.at.webry.info/201811/article_52.html

http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/289.html#c2

コメント [政治・選挙・NHK275] チマチマとしたコップの中の嵐にウンザリだ。(日々雑感) 笑坊
2. 2020年9月01日 20:36:49 : adhfTJCgIs : cEVIQ0svcXN0U0E=[231]
おじいさん一人で尖閣諸島に突撃しなさい。あんな島に死活的利益などない。アホに領土問題を宣伝するためにあるだけだ。
http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/476.html#c2
コメント [政治・選挙・NHK275] 安倍辞任は日本転換の好機/田中宇 仁王像
12. 2020年9月01日 20:37:40 : Di1MeEkVSI : TURTbXVWMmNYN3c=[1374]

田中宇の話は、ここまでくると

誰もが、ひいてしまう。


http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/459.html#c12

コメント [近代史5] ローマ人の起源 中川隆
4. 2020年9月01日 20:37:50 : WyT5nCL4pQ : YzlncmJkNllTTWc=[58]
雑記帳 2018年10月26日
ローマ帝国における近親婚
https://sicambre.at.webry.info/201810/article_53.html


 不勉強なため、まだまったくと言ってよいほど疑問が解消されていないのですが、興味深い事例なので、備忘録として記事にしておきます。近親交配(近親婚)について当ブログでは、クロアチアのネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の高品質なゲノム配列を取り上げたさいに言及しました(関連記事)。おそらく人類系統にも、近親交配を避けるような認知メカニズムが生得的に備わっている可能性は高く、人類社会において定常的な近親婚がほとんど見られないのは、根本的にはその認知メカニズムに起因すると思われます。

 しかし、それはさほど強い抑制ではなく、人類の配偶行動は状況により柔軟に変わると思われます。じっさい、ほぼ全ての現代人(Homo sapiens)の社会で近親婚は禁忌とされているでしょうが、その範囲は各社会によりさまざまで、いとこ婚を禁止する社会もあれば、それよりも近縁関係にある叔父(伯父)と姪もしくは叔母(伯母)と甥の婚姻を認める社会も存在します。それでも、親子間やきょうだい間での定常的な近親婚はまず見られません。

 とはいっても例外もあり、まず想定されるのは、宗教的もしくは社会身分的理由に起因する閉鎖性です。たとえば、古代エジプトや古代日本の王族(やそれに近い支配層)で、これは高貴性と財産の保持を目的としていたと思われます。次に想定されるのは、人口密度が希薄で、交通手段の未発達やそれとも関連する1世代での活動範囲の狭さなどにより、他集団との接触機会がきょくたんに少ないような場合です。

 たとえば、現生人類の事例ではありませんが、南西シベリアのアルタイ地域のネアンデルタール人は、両親が半きょうだい(片方の親のみを同じくするきょうだい)のような近親関係にあり、しかも近い祖先の間では近親婚が一般的だったのではないか、と推測されています(関連記事)。『ヒトはどのように進化してきたか』第5版(関連記事)では近親婚についても解説されていますが(P657〜665)、近親婚は適応度を大きく低下させます。そのため、近親婚の繰り返しがネアンデルタール人絶滅の要因だったのではないか、との見解も提示されています(関連記事)。しかし、クロアチアのネアンデルタール人の高品質なゲノム配列では、近親婚の痕跡は確認されませんでした。おそらくネアンデルタール人社会においても、孤立状況に陥らなければ、少なくともきょうだい間のような近親婚は避けられる傾向にあったのではないか、と思われます。

 このように、人類系統においても近親婚は避けられる傾向にあり、それはおそらく生得的な認知メカニズムに由来するものの、さほど強い抑制ではなく、とくに現生人類系統においては、王族における極度の近親婚のように、時として柔軟な配偶行動も見られます。しかし、それはあくまでも例外的で、現生人類社会において、きょうだい間のような極度の近親婚が定常的に見られることはまずありません。

 前置きが長くなってしまったというか、ほとんど前置きになってしまいましたが、ここからが本題です。しかし、『ヒトはどのように進化してきたか』第5版では、きょうだい間の定常的な結婚の事例も報告されています(P661)。それはローマ帝国支配下のエジプトで、紀元後20〜258年の間の市民・財産登録のデータによると、残された172の調査報告書から113組の結婚が推定されていますが、そのうち全きょうだい(両親が同じ)間が12例、半きょうだい間が8例確認されています。婚前協定書と結婚式への招待状が残っているので、これらきょうだい間の結婚は法的にも社会的にも承認されているようです。

 しかし、椎名規子「ローマ法における婚姻制度と子の法的地位の関係」によると、ローマ法では近親婚が禁止されていました。ローマ法では、初期にはきょうだい間の2親等までが、その後は伯父(叔父)と姪などの3親等までが、さらに後には、いとこ間のような4親等までが、婚姻禁止とされました。しかしその後、4親等でもきょうだいの孫は例外的に婚姻可とされたそうです。では、エジプトのきょうだい間の婚姻事例をどう解釈すべきなのか、という疑問が生じるわけですが、私の見識ではさっぱり分かりませんでした。市民・財産登録されているということはローマ市民でしょうから、ローマ法の適用対象外というわけでもないように思うのですが、私はローマ史・ローマ法の門外漢ですから、専門家にとっては的外れな疑問かもしれません。まあ、この問題の優先順位は高くないので、いつか新たな知見が得られれば、その時にまた当ブログにて記事を掲載するつもりです。


参考文献:
椎名規子(2018)「ローマ法における婚姻制度と子の法的地位の関係 欧米における婚外子差別のルーツを求めて」『拓殖大学論集 政治・経済・法律研究』第20巻第2号P47-81

https://sicambre.at.webry.info/201810/article_53.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/277.html#c4

コメント [政治・選挙・NHK275] 安倍首相、辞任の真相ーー河井夫婦1・5億円一部還流疑惑に新展開(Access-Journal)/再発したんじゃないんだ……! gataro
14. 2020年9月01日 20:37:59 : vDlyXF1WRI : ekM0ZW9KQXVINGc=[7]
政治家とつるむ医者なら金か権力と密だろうし、ごまかせそうな病気ならない事にしたり作り出したりしてくれるだろ。まあ不祥事の疑惑に負けて辞めるとおぼっちゃまのプライドがきずつくので特技の仮病で同情を引きながらまた放り出して辞めてくというのは悪知恵だけは働く悪人の家系としては十分あり得る。
http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/472.html#c14
コメント [近代史5] ヨーロッパ人の起源 中川隆
8. 2020年9月01日 20:39:26 : WyT5nCL4pQ : YzlncmJkNllTTWc=[59]
雑記帳 2018年08月18日
ヨーロッパの人類史
https://sicambre.at.webry.info/201808/article_30.html


 中期更新世〜青銅器時代までのヨーロッパの人類史を遺伝学的観点から検証した研究(Lazaridis., 2018)が公表されました。近年の遺伝学的諸研究が整理されており、たいへん有益だと思います。とくに、図はよく整理されていて分かりやすいと思います。本論文には当ブログで近年取り上げた研究が多く引用されており、それらを再度参照しつつ、読み進めていきました。また、最近刊行された『交雑する人類 古代DNAが解き明かす新サピエンス史』(関連記事)と併せて読むと、さらに理解が深まると思います。私も、近いうちに同書を再読しようと考えています。

 下部旧石器時代(前期〜中期更新世)〜中部旧石器時代(中期〜後期更新世)までのヨーロッパには、現生人類(Homo sapiens)とは異なる系統のホモ属が存在していました。これらの人類の遺伝学的情報に関しては、今年(2018年)3月に一度まとめました(関連記事)。ヨーロッパで最古となる人類のDNAは、スペイン北部の通称「骨の穴(Sima de los Huesos)洞窟」遺跡(以下、SHと省略)で発見された43万年前頃の人骨群から得られており、核DNAでは種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)よりもネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の方に近縁で、ミトコンドリアDNA(mtDNA)では現生人類やネアンデルタール人よりもデニソワ人の方と近縁となります(関連記事)。本論文が対象とするのは、このSH人骨群の存在した43万年前頃以降のヨーロッパとなります。ただ本論文は、43万年前頃〜現生人類が拡散してくるまで(45000年前頃?)のヨーロッパの人類史をネアンデルタール人系統に集約させていますが、もっと複雑だった可能性が高いように思います(関連記事)。

 45000年前頃かそれ以前より、ヨーロッパには現生人類が拡散してきて、中部旧石器時代から上部旧石器時代へと移行します。ヨーロッパのネアンデルタール人は4万年前頃には絶滅したとされていますが(関連記事)、イベリア半島ではさらに3000年ほどネアンデルタール人生存の可能性が指摘されています(関連記事)。ただ、現時点では、遺伝的に明確に現代ヨーロッパ人系統とつながる最古の個体は、ヨーロッパロシアで確認された39000〜36000年前頃の個体までしかさかのぼらず(関連記事)、西ヨーロッパの35000〜34000年前頃のベルギーの個体がそれに続きます。一方、クロアチアの42000〜37000年前頃の現生人類個体は、その4〜6代前にネアンデルタール人と交雑し、現代には子孫を残していない、と考えられています(関連記事)。そのため、4万年前頃のナポリ近郊の大噴火により、ヨーロッパの現生人類とネアンデルタール人は絶滅して後続の現生人類に置換された、とも考えられますが、この大噴火がヨーロッパの初期現生人類を絶滅させたわけではない、との見解も提示されています(関連記事)。

 ベルギーの、現代ヨーロッパ人系統とつながる最初期の個体は、他の同年代の西ユーラシア人よりも多くの対立遺伝子を近い年代の東アジア人と共有しており(関連記事)、しかもmtDNAハプログループでは、ユーラシア東部やオセアニアでは高頻度で見られるものの、現代のユーラシア西部ではほとんど確認されていないM系統に分類されます。これは例外ではなく、21000年前頃となる最終氷期極大期前のヨーロッパには、他にもmtDNAハプログループMが存在していました。こうしたユーラシア東部やオセアニアとの遺伝的類似性は、グラヴェティアン(Gravettian)と関連する31000〜26000年前頃のイタリア・ベルギー・チェコの集団や、マグダレニアン(Magdalenian)と関連する19000〜15000年前頃のスペイン・フランス・ドイツ・ベルギーの集団では消滅していました。ヨーロッパの大半では15000年前頃までには、西ヨーロッパ更新世狩猟採集民集団(WHG)が優勢となり、現代の南部および北部ヨーロッパ人に遺伝的影響を残しています。WHGには、ヨーロッパの周辺地域、とくにアナトリア半島の集団との遺伝的類似性も見られます。東ヨーロッパでは、WHGと上部旧石器時代シベリア狩猟採集民との混合により、狩猟採集民集団(EHG)が形成されました。EHGは北ヨーロッパの狩猟採集民に遺伝的影響を及ぼしました。

 ヨーロッパには9000年前頃よりアナトリア半島から農耕民が拡散してきて、しだいに農耕が定着していきます。WHG系統は前期新石器時代のハンガリーや6000〜5000年前頃までのドイツではまだ強い遺伝的影響力を有していたものの、しだいにアナトリア半島からの農耕民と融合し、その独自の遺伝的構成は失われていきました。このアナトリア半島からヨーロッパに拡散してきた農耕民は、仮定上の存在である「基底部ユーラシア人」の遺伝的影響を受けていました。基底部ユーラシア人は、他の非アフリカ系と101000〜67000年前に分岐し、ネアンデルタール人の遺伝的影響をほとんど受けていない、と推定されています。後期〜末期更新世を通じて、おそらくは自然選択もあり、ヨーロッパの現生人類におけるネアンデルタール人の遺伝的影響は減少していきました。そこへ、基底部ユーラシア人の遺伝的影響を受けたアナトリア半島からの農耕民がヨーロッパに拡散してきて在来のWHGやEHGと融合したので、ヨーロッパにおけるネアンデルタール人の遺伝的影響はさらに低下し、現在では東アジア系現代人よりも低くなっています。基底部ユーラシア人は中東の農耕民とコーカサスの狩猟採集民に遺伝的影響を及ぼし、後にはユーラシア西部集団に強い影響力を有することになりました。

 現代ヨーロッパ人の基本的な遺伝的構成は、この新石器時代に確立した集団に、中央ユーラシア西北部から東ヨーロッパ南部までの草原地帯の遊牧民がヨーロッパに拡散してきて融合したことで成立します。銅石器時代〜青銅器時代の間の草原地帯の集団は、東ヨーロッパに8000年以上前に存在したEHGと、現代アルメニア人と関連する南方集団と、コーカサスの狩猟採集民と、イランの農耕民との混合の結果成立しました。この草原地帯の集団が騎馬遊牧民となり、5000年前頃からヨーロッパに拡散したことで、とくに中央部と北部に関しては大きな影響を及ぼした、と明らかになっています。ただ、草原地帯遊牧民のヨーロッパにおける遺伝的影響については、地域的な違いが見られる、とも指摘されています(関連記事)。この草原地帯遊牧民は、おもにヤムナヤ(Yamnaya)文化集団と考えられており、東方にも拡散して南および西アジアとヨーロッパにインド・ヨーロッパ語族を普及させた、と想定されているのですが、南および西アジアに関しては、この見解に疑問も呈されています(関連記事)。

 このように、古代DNA研究の進展によりヨーロッパの人類史に関して多くのことが解明されました。しかし、同時に多くの問題が新たに浮かび上がってきた、と本論文は指摘します。35000年前頃以降にヨーロッパに出現した現代ヨーロッパ人と遺伝的につながっている最初の人類集団はどこから到来したのか、中東集団は基底部ユーラシア人とどのよう過程を経て交雑したのか、基底部ユーラシア人系統が直接ヨーロッパに拡散しなかった理由、WHGが15000年以上前に最終氷期以前の人類と事実上置換した理由、EHGを創出することになった古代シベリア集団の西進理由、草原地帯からの移住民がヨーロッパで大きな遺伝的影響力を有するようになった理由などです。今後、こうした問題も古代DNA研究の進展により解明されるのではないか、と期待されます。


参考文献:
Lazaridis I.(2018): The evolutionary history of human populations in Europe. Current Opinion in Genetics & Development, 53, 21-27.
https://doi.org/10.1016/j.gde.2018.06.007

https://sicambre.at.webry.info/201808/article_30.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/274.html#c8

コメント [政治・選挙・NHK275] チマチマとしたコップの中の嵐にウンザリだ。(日々雑感) 笑坊
3. 2020年9月01日 20:39:51 : iAXxKQNP4k : dkJ0dUVYLk1RS2s=[182]
この何日かずっと中国のことばかり。幼児脳によほど染み付いているのだろう。デカップリングという言葉をおぼえて使いたがる幼児そのもの。72歳の幼児。
http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/476.html#c3
コメント [カルト28] 産経・焦る枝豆、唐突退陣に目算狂う。どこまで本気か分からないが、本気で政権交代を狙うなら、一兵卒小沢を幹事長に起用する… ポスト米英時代
1. 2020年9月01日 20:40:02 : JrjbiXz9g2 : RUg4MWdvdGJ6ZC4=[3]
世界を清らかに導いてゆくには、
やはり、本物の大和民族出身の人でないと無理なのではないでしょうか。

http://www.asyura2.com/20/cult28/msg/221.html#c1
コメント [政治・選挙・NHK275] 「密室談合」による菅官房長官の次期総理就任を許していいのか! GoTo、沖縄いじめ、公文書改ざん、メディア圧力の最大の戦犯(… 赤かぶ
11. 2020年9月01日 20:41:59 : vDlyXF1WRI : ekM0ZW9KQXVINGc=[8]
誰がやろうが安倍クローンみたいなもんだな。一応安倍夫妻という化け物を見る機会が減るのはいい事ではある。
http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/473.html#c11
コメント [近代史5] イベリア半島人の起源 中川隆
7. 2020年9月01日 20:42:12 : WyT5nCL4pQ : YzlncmJkNllTTWc=[60]
雑記帳 2018年06月27日
新石器時代におけるイベリア半島からアフリカ北西部への移住
https://sicambre.at.webry.info/201806/article_48.html


 新石器時代におけるイベリア半島からアフリカ北西部への移住に関する研究(Fregel et al., 2018)が公表されました。新石器時代には農耕が始まり、人類史における一大転機とされています。農耕の始まりに関して議論になってきたのは、農耕技術など関連文化の定着にさいして、交易などを通じた交流による伝播と、人々の移住のどちらが主流だったのか、ということです。現時点での証拠からは、文化伝播と集団移住のどちらもあり得て、地域・時代により状況は多様だった、と考えられます(関連記事)。

 本論文は、マグレブの新石器時代の住民はゲノム解析から、新石器時代への移行、さらには新石器時代における遺伝的構成の変容の具体的様相を解明しています。本論文は、モロッコの初期新石器時代となるIAM(Ifri n’Amr or Moussa)遺跡の7人、後期新石器時代となるKEB(Kelif el Boroud)遺跡の8人、イベリア半島の初期新石器時代となるTOR(El Toro)遺跡の12人のゲノムを解析し、中央アジア・西アジア・ヨーロッパの古代人のゲノム配列と比較しました。

 まず、紀元前5000年前頃までとなる初期新石器時代のIAM集団は、アフリカ北西部の新石器時代よりも前(後期新石器時代)の住民と遺伝的に類似しており、ベルベル人など現代のアフリカ北西部集団特有の遺伝的構成のみを示しています。これは、更新世〜現代にわたるアフリカ北西部の長期の遺伝的継続と、後期更新世〜完新世となる紀元前5000年前頃までの、アフリカ北西部の人類集団の遺伝的孤立を示唆します。もちろん、ベルベル人は歴史的に他地域集団の影響をある程度以上受けており、すでにローマ帝国の支配以前にヨーロッパ人と交雑していたと推測されていますが、IAM集団には、そうした他地域からの大きな遺伝的影響は確認されませんでした。

 レヴァントも含む西アジアは世界で最初に農耕が始まった地域と言えそうですが、レヴァントの農耕開始直前とも言える、紀元前9000年前頃までとなるナトゥーフィアン(Natufian)の狩猟採集民集団は、IAM集団とは遺伝的関係はかなり遠いと明らかになりました。したがって、アフリカ北西部集団、少なくともIAM集団における農耕の始まりは、地域的な集団が外部の遺伝的影響をさほど受けずに継続し、近隣地域から農耕関連技術・概念を取り入れた、と考えるのが妥当だと思われます。

 一方、紀元前3000年前頃となる後期新石器時代のKEB集団には、ヨーロッパ人、おそらくはイベリア半島集団の遺伝的影響がある、と明らかになりました。同じ頃に、イベリア半島ではアフリカゾウの象牙やダチョウの卵のような遺物が見つかっており、ジブラルタル海峡を通じてアフリカ北西部とイベリア半島との交流があった、と確認されています。KEB集団の遺伝的構成は、そうした考古学的知見と整合的です。後期新石器時代には、初期新石器時代とは異なり、アフリカ北西部地域集団は他地域から遺伝的影響を受け、その遺伝的構成は変容していきました。

 さらに本論文は、後期新石器時代以降にも、アフリカ北西部はイベリア半島などヨーロッパからの人類集団の流入による遺伝的影響を受けたのではないか、と推測しています。IAM遺跡やKEB遺跡では、後期新石器時代よりも新しい層で鐘状ビーカー複合(Bell Beaker Complex)陶器が発見されており、イベリア半島などヨーロッパとの交流が窺えます。もちろん、本論文の見解はあくまでも2遺跡の事例に基づいているので、今後アフリカ北西部で古代ゲノム解析が進めば、この地域の人類集団の遺伝的構成の変容について、また違った様相が見えてくるかもしれません。


参考文献:
Fregel R. et al.(2018): Ancient genomes from North Africa evidence prehistoric migrations to the Maghreb from both the Levant and Europe. PNAS, 115, 26, 6774–6779.
https://doi.org/10.1073/pnas.1800851115


https://sicambre.at.webry.info/201806/article_48.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/291.html#c7

コメント [政治・選挙・NHK275] 菅官房長官にも健康不安説が取り沙汰、総裁選が混沌…安倍首相辞任の裏で飛び交う噂(Business Journal) 赤かぶ
10. 2020年9月01日 20:42:48 : JrjbiXz9g2 : RUg4MWdvdGJ6ZC4=[4]
永田町も、粛清リストの対象者だらけとの情報が。

さもありなん・・・

ですね。
http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/471.html#c10

コメント [政治・選挙・NHK275] 菅氏「党員投票すべき」発言ブーメラン 世襲制限も腰砕け(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
6. 2020年9月01日 20:43:48 : vDlyXF1WRI : ekM0ZW9KQXVINGc=[9]
安倍系列の主流派から生まれる以上大半の国民の敵の自国政府になるのは変わらんのお。
http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/477.html#c6
記事 [近代史5] アイスランド人の起源
アイスランド人の起源


雑記帳 2018年06月01日
アイスランドにおける人類集団の遺伝的浮動
https://sicambre.at.webry.info/201806/article_1.html


 アイスランドにおける人類集団の遺伝的浮動についての研究(Ebenesersdóttir et al., 2018)が報道されました。アイスランドへの人類の移住は紀元後870〜紀元後930年に始まり、その担い手はヴァイキングやその奴隷とされた人々だと推測されています。アイスランドの人類集団は、初期の移住後1000年間は人口が1万〜5万人と比較的小規模で、孤立していました。現在では、アイスランドには約33万人が居住しています。

 本論文は、アイスランドの27人の遺骸のゲノムを解析し、アイスランドの現代人と比較しました。放射性炭素年代測定により、年代は最初の移住に近い1000年前頃と推定されました。ゲノム解析の結果、初期アイスランド人は古代スカンジナビア人(現在のノルウェーとスウェーデン)とゲール人(現在のアイルランドとスコットランド)から、ほぼ同程度の遺伝的影響を受けている、と明らかになりました。しかし、現代のアイスランド人では、スカンジナビア系の遺伝的影響が70%と強くなっています。これは、1100年間での急速な遺伝的浮動の結果と考えられます。他の動物集団ではしばしば見られる、孤立した集団に起きる遺伝的浮動と同様の結果ではないか、というわけです。

 ただ、別の解釈も提示されています。スカンジナビア半島からの移住、とくにデンマーク人の比較的最近の移住もまた、アイスランド人の遺伝子プールに影響を及ぼした可能性がある、というわけです。他には、アイスランドの初期住民のうち奴隷にはゲール人の遺伝的影響が強く、スカンジナビア系の遺伝的影響の強い支配層の方がより多く子孫を残した(適応度が高い)可能性も提示されています。また、奴隷は支配層よりも丁寧に埋葬されなかったかもしれないので、標本数が少なく偏っている可能性も提示されています。アイスランドは狭く、人口規模が小さくて家系図が充実しているので、今後も人類遺伝学の研究に大きく寄与していくのではないか、と期待されます。


参考文献:
Ebenesersdóttir SS. et al.(2018A): Ancient genomes from Iceland reveal the making of a human population. Science, 360, 6392, 1028-1032.
https://dx.doi.org/10.1126/science.aar2625

https://sicambre.at.webry.info/201806/article_1.html

http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/304.html

記事 [近代史5] レヴァント人の起源
レヴァント人の起源


雑記帳 2018年08月22日
レヴァント南部の後期銅器時代の人類集団のDNA解析
https://sicambre.at.webry.info/201808/article_35.html


 レヴァント南部の後期銅器時代の人類集団のDNA解析結果を報告した研究(Harney et al., 2018)が報道されました。レヴァント南部の後期銅器時代の物質文化は、質的に前後の時代と異なります。レヴァント南部後期銅器時代の文化の特徴は、定住密度の増加・聖域的な場所の導入・二次埋葬における骨壺の使用・公的儀式の拡大・銅や玄武岩や象牙の人工物の象徴的文様の彫刻や絵画的表現などです。レヴァント南部の銅器時代には、埋葬や儀式慣行の点で大きな変化が見られます。また、レヴァント南部の後期銅器時代には、「蠟型法」として知られる銅鋳造技術が用いられていました。このような文化的特徴は、レヴァント南北で共有されています。しかし、レヴァント南部の後期銅器時代の文化は、上述したようにレヴァントの前後の時代の文化とほとんど関連していないので、その起源について議論されてきました。一方の仮説は芸術的な模様に基づき、北メソポタミアのような北方からの移民によりもたらされた、というものです。もう一方の仮説は、レヴァント地域集団がこれらの文化を発展させ、北方との類似性は文化交流に起因しており移住の結果ではない、というものです。

 本論文はこれらの仮説の検証のため、イスラエル北部の上ガリラヤ(Upper Galilee)地方にあるペキイン洞窟(Peqi’in Cave)の人類遺骸のDNAを解析し、合計22人からゲノム規模のデータを得ました。イスラエルの気候条件はDNAの保存に適していないので、貴重なデータと評価されています。ペキイン洞窟は長さが17m、幅が4.5〜8mで、擬人的な模様のある200点以上の骨壺や杯などが発見されており、600人以上が埋葬されたと推定されています。ペキイン洞窟は銅器時代のレヴァントでは最大級の墓地となります。直接的な放射性炭素年代測定の結果、ペキイン洞窟は後期銅器時代となる紀元前4500〜紀元前3900年前頃を通じて使われていた、と推測されています。

 農耕が始まった頃の中東の人類集団のゲノム規模の解析結果から、当時のアナトリア半島・イラン・レヴァントの人々は相互に現代のヨーロッパ系と東アジア系ほどに異なっていたものの、青銅器時代までには相互の移住・交雑により中東の人類集団は均質化していき、現在のような遺伝的類似性が形成されました(関連記事)。イランの初期農耕民と遺伝的に最も類似している現代人は、イランのゾロアスター教徒です(関連記事)。ペキイン洞窟銅石器時代集団(PCh)の遺伝的構成は、レヴァントの新石器時代農耕民集団(NL)から57%、イランの銅器時代集団(ICh)から17%、アナトリア半島の新石器時代農耕民集団(NA)から26%と推定されます。一方、青銅器時代のレヴァントでは、紀元前2490〜紀元前2300年前頃となるヨルダンのアインガザル('Ain Ghazal)遺跡の人類集団が、遺伝的には、56%がNL系統に、44%がIch系統に由来する、と推定されています。

 このようにPChは、その前の新石器時代レヴァント農耕民集団とも、その後の後期青銅器時代レヴァント南部集団(LBSL)とも、遺伝的構成が大きく異なっていました。銅器時代には、アナトリア半島やイラン方面から住民がレヴァントに移住してきて、レヴァントにおいてかなりの遺伝的影響を与えて、均質化も進展していき、その傾向は青銅器時代にも続いたようです。PChはゲノム規模のデータでも遺伝的に比較的均質な集団と推定されていますが、Y染色体ハプログループでも、10人中9人がT系統(そのうち、より詳しく分類できた8人はT1a1a)に分類されるように、均質だったようです。レヴァントの人類集団のY染色体ハプログループは、続旧石器時代や新石器時代ではEが、青銅器時代ではJが優勢でしたから、レヴァントでは父系の点でも、新石器時代〜銅器時代〜青銅器時代にかけて、時代の移行にともない大きな変化があったようです。PChのDNA解析は、レヴァントにおける新石器時代と青銅器時代の古代DNA研究の空白期間を埋めるという意味でも貴重です。PChの遺伝的影響は、LBSLにはほとんどないようですが、レヴァント北部の後期青銅器時代の集団には一定以上あるようです。また、アフリカ東部の現代人集団にはレヴァントからの遺伝的影響が指摘されていますが、その中にPChは含まれていないようです。

 上述したように、レヴァントにおいては銅器時代に大きな考古学的変化が見られ、それが人々の移住によるのか、移住ではなく文化的交流の結果なのか、という議論が続いてきました。本論文は、上述の古代DNA解析の結果から、人々の移住による影響が大きかったのではないか、との見解を提示しています。上述したように、PChは、NLを基層に、Ich(17%)とNA(26%)の遺伝的影響で成立しましたが、埋葬習慣や人工物の模様など、レヴァント南部の銅器時代の文化のいくつかは、考古学的にはアナトリア半島と北メソポタミアの新石器時代の文化に起源があったかもしれない、との見解が以前から提示されていました。本論文の古代DNA解析の結果は、そうした考古学的見解と整合的と言えそうです。Ichは、メソポタミアを経由してレヴァント南部へと拡散してきた、と考えられます。レヴァント南部の銅器時代の芸術的表現には、メソポタミアの、イナンナ(Inanna)やタンムーズ(Dumuzi)といった神々との関連も指摘されていました。また、レヴァントの冶金工芸品製作の知識と資源も、イラン方面やメソポタミアやアナトリア半島など北方・東方からもたらされた、との仮説も提示されてきました。

 レヴァント南部における大きな考古学的変化は、新石器時代から銅器時代にかけてと同様に、銅器時代から青銅器時代にかけても起きました。骨壺での二次埋葬の消失といった埋葬習慣や定住パターンの変容、遺跡の大規模な放棄、象徴的意味合いの人工物の激減などです。これも、人類集団の構成が大きく変わったことに起因する、と本論文は指摘します。上述したように、LBSLの遺伝的構成は、NL系統が56%、Ich系統が44%と推定されており、PCh に見られるNA要素が確認されていません。Ich系統の要素は、NLとPChにはなく、LBSLに見られるので、Ich系統は銅器時代までにはレヴァントに拡散してきた、と考えられます。LBSLは、Ichの最初の拡大のさいにNLとの融合の結果成立し、NA系統の影響を受けずにいた系統の残存集団か、あるいはレヴァント外でIch系統の影響を受けつつもNA系統の影響を受けずに成立し、後にレヴァントへ再度拡散してきたのかもしれません。いずれにしても、レヴァント南部では銅器時代から青銅器時代への移行において人類集団の交替と言えそうな大事象があり、それが考古学的記録に見える文化の大きな変化をもたらしたようです。本論文は、遺伝学と考古学のデータを組み合わせた分析は過去の社会の変化の仕組みについて豊富な情報を提供できるし、他地域にも適用できるだろう、と指摘しています。もちろん、文化変容が、新石器時代〜銅器時代〜青銅器時代のレヴァントのように、人類集団の置換とも言えそうな外部からの大規模な遺伝的影響を伴わずに起きた事例も少なくなかったでしょう。

 PChの表現型についても、興味深いことが明らかになっています。ヨーロッパ系現代人集団の青い目と関連しているアレルの頻度が、PChにおいて49%になるので、PChでは青い目は一般的だった、と推測されています。これは、NLにはほとんど見られないので、レヴァントの外部からもたらされた、と考えられます。また、ユーラシア西部系現代人集団において皮膚の色素沈着と関連しているアレルからは、PChにおいて明るい肌の色が一般的だった、と推測されています。ただ、単一部位に基づく皮膚の色素沈着に関しては慎重な検証が必要とも指摘されています。


参考文献:
Harney É. et al.(2018): Ancient DNA from Chalcolithic Israel reveals the role of population mixture in cultural transformation. Nature Communications, 9, 3336.
https://doi.org/10.1038/s41467-018-05649-9

https://sicambre.at.webry.info/201808/article_35.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/305.html

コメント [政治・選挙・NHK275] 私が予想した通り、菅官房長官が 新総理と なる方向   この流れを予測した 私の思考は正しかった 真相の道
20. 2020年9月01日 20:46:41 : xDr5qbR08c : RDdLZjAvVy5yN0U=[4]
あと、平日の昼間に記事を出すな、おっさんよ。

電通のアルバイトをしているアンタと違って、すぐにクズ記事に反論も出来んわ。
 
http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/468.html#c20

コメント [近代史5] ブリテン島人の起源 中川隆
1. 2020年9月01日 20:47:31 : WyT5nCL4pQ : YzlncmJkNllTTWc=[61]
雑記帳 2018年08月07日
ストーンヘンジの埋葬者の出身地
https://sicambre.at.webry.info/201808/article_10.html


 ストーンヘンジの埋葬者の出身地に関する研究(Snoeck et al., 2018)が公表されました。ストーンヘンジは、イギリスにおける最大級の新石器時代後期の墓地遺跡で、これまでおもにその建設に関する研究が進められてきましたが、ストーンヘンジの周辺で生活していた人々やストーンヘンジに埋葬された人々については、ほとんど明らかになっていません。

 この研究は、ストロンチウム同位体分析法を用いて、ストーンヘンジで発掘された25体の火葬遺体(紀元前3180〜2380年と推定されています)に由来する骨の断片を再分析し、その再分析結果を現代のイギリスの植物・水・歯のデータに基づいた記録と比較しました。その結果、25体のうち15体がストーンヘンジ出身者で、残りの10体は、死ぬ直前にストーンヘンジ周辺との結びつきがなく、死亡するまでの少なくとも10年間はイギリス西部で過ごしていた可能性がひじょうに高い、と推定されています。

 また遺体の火葬は、さまざまな種類の燃料を用いて、さまざまな条件下で行なわれたことも示唆されています。ストーンヘンジ周辺地域出身者と同定された遺体の火葬は、ウェセックス地方の地形と矛盾しない広大な土地で生育した樹木由来の薪を山積みにして行なわれたのにたいして、その他の遺体の火葬には、西ウェールズにあるような、樹木が密生している森林地で伐採された木材の薪が用いられた、と明らかになりました。こうした分析結果から、ストーンヘンジで発掘された遺体の一部が、別の場所で火葬に付された後、埋葬目的でストーンヘンジに運ばれてきたのではない、と推測されています。と考えている。

 なお、ブリテン島では紀元前2500年頃を境に、住民の遺伝子プールのおよそ90%は置換した、と推定されています(関連記事)。ストーンヘンジを築いた集団の遺伝的影響は、ブリテン島の現代人の間ではかなり低いようです。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【考古学】ストーンヘンジにウェールズ出身者も埋葬されていた

 ストーンヘンジに埋葬された新石器人の一部が、地元出身でなかったことを示唆する研究について報告する論文が、今週掲載される。今回の研究では、人間の火葬遺体の分析が新たに行われ、埋葬された人々の一部が英国西部の別の地域(西ウェールズである可能性が非常に高い)の出身者であり、埋葬するためだけにストーンヘンジまで運ばれた人もいた可能性のあることが明らかになった。

 ストーンヘンジは、英国で最大級の新石器時代後期の墓地遺跡であり、これまでは主にその建設に関する研究が行われてきたが、ストーンヘンジの周辺で生活していた人々やストーンヘンジに埋葬された人々についてはほとんど分かっていない。

 今回、Christophe Snoeckたちの研究グループは、ストロンチウム同位体分析法を用いて、ストーンヘンジで発掘された25体の火葬遺体(紀元前3180〜2380年のものとされる)に由来する骨の断片を再分析し、その再分析結果を現代の英国の植物、水、および歯のデータに基づいた記録と比較した。その結果、Snoeckたちは、そのうち15体がストーンヘンジ出身者で、残りの10体は、死ぬ直前に地元との結び付きがなく、死亡するまでの少なくとも10年間は英国西部で過ごしていた可能性が非常に高いことが示唆されたと結論付けている。

 また、今回の研究からは、遺体の火葬はさまざまな種類の燃料を用いて、さまざまな条件下で行われたことも示唆されている。地元出身者と同定された遺体の火葬は、ウェセックス地方の地形と矛盾しない広大な土地で生育した樹木由来の薪を山積みにして行われたのに対し、その他の遺体の火葬には、西ウェールズにあるような、樹木が密生している森林地で伐採された木材の薪が用いられたことが示された。Snoeckたちは以上の分析結果から、ストーンヘンジで発掘された遺体の一部が、別の場所で火葬に付されてから、埋葬目的でストーンヘンジに運ばれてきたことが示されていると考えている。


参考文献:
Snoeck C. et al.(2018): Strontium isotope analysis on cremated human remains from Stonehenge support links with west Wales. Scientific Reports, 8, 10790.
https://dx.doi.org/10.1038/s41598-018-28969-8


https://sicambre.at.webry.info/201808/article_10.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/295.html#c1

コメント [経世済民134] 淡路島がパソナの建物だらけ…本社移転&社員千人移住、“パソナ”ランド化に地元で不安も(Business Journal) 赤かぶ
8. 2020年9月01日 20:48:08 : zMRuwIiRAm : em93QTFRem8yUFE=[41]
喜び組もですか?
http://www.asyura2.com/20/hasan134/msg/650.html#c8
コメント [政治・選挙・NHK275] 安倍首相、辞任の真相ーー河井夫婦1・5億円一部還流疑惑に新展開(Access-Journal)/再発したんじゃないんだ……! gataro
15. 2020年9月01日 20:49:09 : dxkTl1vUxc : NXlNOUwyaUpSenc=[491]
共同正犯の菅に一次政権を預け、河井の案件の様子を見て一年後、病状が回復したとして政権復帰。そして4期目を目指す。安倍一味の悪だくみ。国民が低能な宰相にこれまた同情して支持率上げ。ばかばかしいことこの上ない。 腸わた怒りでよじれる。
http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/472.html#c15
コメント [政治・選挙・NHK275] <ポスト安倍 密室談合に国民はア然>そもそも菅には立候補の資格などなし(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
37. 2020年9月01日 20:49:21 : VTH59AY6XQ : WWk1VDA0bXVWVGM=[432]
選挙無しで菅でいくって?
酷すぎる自民党

あ、大恐慌対応要員か
http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/470.html#c37

コメント [近代史5] スカンジナビア半島人の起源 中川隆
3. 2020年9月01日 20:49:59 : WyT5nCL4pQ : YzlncmJkNllTTWc=[62]
雑記帳 2018年01月12日
スカンジナビア半島の初期人類集団の遺伝的構成
https://sicambre.at.webry.info/201801/article_12.html

 これは1月12日分の記事として掲載しておきます。スカンジナビア半島の初期人類集団の遺伝的構成に関する研究(Günther et al., 2018)が報道されました。スカンジナビア半島は、ヨーロッパで最後に人類が進出した地域です。27000〜19000年前頃となる最終最大氷期(LGM)の期間で、スカンジナビア半島においては23000年前頃に氷床が後退し始め、植物や動物が再度拡散してきました。スカンジナビア半島では、北部でも南部でも、11700年前頃より人類の居住の痕跡が継続的に確認されています。11700年前頃からしばらくは、スカンジナビア半島内陸部には氷床が存在していました。

 スカンジナビア半島の初期人類集団の遺伝的構成は、これまでよく分かっていなかったので、この研究は、スカンジナビア半島の中石器時代の狩猟採集民7人のゲノムを解析しました。放射性炭素年代測定法による較正年代で、最古の個体は9452〜9275年前、最新の個体は5950〜5764年前となります。ゲノムが解析された7人中、男性は4人、女性は3人です。この7人は、ミトコンドリアDNA(mtDNA)のハプログループではU5aとU4aに、Y染色体DNAのハプログループ(男性3人)ではI2に区分されます。網羅率は、女性の1個体で57.79倍と高いのですが、その他の個体は最大でも4.05倍で、最小の個体は0.10倍です。

 ゲノム解析の結果、スカンジナビア半島の初期人類集団は、西方狩猟採集民集団と東方狩猟採集民集団の混合だと推測されています。考古学的証拠も考慮すると、スカンジナビア半島には、まず西方狩猟採集民集団が南から、その後に東方狩猟採集民集団が北東から到来した、と推測されています。東方狩猟採集民集団は、スカンジナビア半島内陸部の氷床を避けつつ、スカンジナビア半島を北方もしくは南方経由で西部へと進出した、と考えられています。このように、西方狩猟採集民集団と東方狩猟採集民集団との混合により形成されたスカンジナビア半島の初期狩猟採集民集団は、同時代の中央および南部ヨーロッパの狩猟採集民集団よりも遺伝的に多様で、これは現代とは対照的だ、と指摘されています。中石器時代のスカンジナビア半島の狩猟採集民集団の少なからぬ遺伝的多様体が現代では失われてしまった、というわけです。

 注目されるのは、高緯度地帯となるスカンジナビア半島への人類の適応です。高緯度地帯では紫外線量が少なくなるので、ビタミンD合成のために薄い肌の色の方が有利となります。ビタミンDが不足すると、くる病を発症します。逆に低緯度地帯では紫外線量が多いので、肌の色が濃くてもビタミンD合成の妨げにはならず、命に関わるような汗腺の損傷や皮膚の炎症を抑えるためにも、濃い肌の色の方が有利となります。スカンジナビア半島の初期人類集団のゲノムには、低度の色素沈着と関連する多様体が確認されており、高緯度地帯への適応を示しています。また、スカンジナビア半島の初期人類集団は、身体能力と関連する遺伝子領域(TMEM131)において、現代の北部ヨーロッパ人との強い連続性を示しています。


参考文献:
Günther T, Malmström H, Svensson EM, Omrak A, Sánchez-Quinto F, Kılınç GM, et al. (2018) Population genomics of Mesolithic Scandinavia: Investigating early postglacial migration routes and high-latitude adaptation. PLoS Biol 16(1): e2003703.
http://dx.doi.org/10.1371/journal.pbio.2003703

https://sicambre.at.webry.info/201801/article_12.html

http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/289.html#c3

コメント [近代史5] スカンジナビア半島人の起源 中川隆
4. 2020年9月01日 20:51:14 : WyT5nCL4pQ : YzlncmJkNllTTWc=[63]
雑記帳 2018年02月03日
中石器時代〜青銅器時代の北ヨーロッパの人類の古代DNA解析
https://sicambre.at.webry.info/201802/article_3.html


 これは2月3日分の記事として掲載しておきます。中石器時代〜青銅器時代の北ヨーロッパの人類のDNA解析に関する研究(Mittnik et al., 2018)が報道されました。この研究は、北ヨーロッパにおける中石器時代〜青銅器時代の人類遺骸のDNAを解析し、バルト海地域における人類集団の移住と継続性について検証しています。対象となるのは、較正年代では紀元前7500〜紀元前500年前頃の106人の人類遺骸です。このうち、41標本のDNAの保存状態は良好で、38標本でゲノム規模の一塩基多型解析データが得られました。対象となった一塩基多型領域の網羅率は平均で0.02〜8.8倍です。

 スカンジナビア半島へと拡散した人類は、まず間違いなく現生人類(Homo sapiens)のみで、その年代は11000年前頃までさかのぼります。以前の研究でも指摘されていたように、スカンジナビア半島の最初期の人類は、ロシア北西部のカレリア(Karelia)での存在が確認されている東方狩猟採集民集団と、イベリア半島〜ハンガリーまでの西方狩猟採集民集団双方の混合だと推測されています(関連記事)。さらに、中石器時代のリトアニアの狩猟採集民は遺伝的には、地理的に近い東方狩猟採集民集団ではなく、西方狩猟採集民集団とたいへんよく類似していたので、スカンジナビア半島へは、西方狩猟採集民集団が南方から、東方狩猟採集民集団が北回りで拡散してきた、と考えられています。スカンジナビア半島への最初期の人類集団の移住経路は二通りあった、というわけです。西方狩猟採集民集団は、南方からバルト海地域東部まで拡散したことになります。

 スカンジナビア半島での農耕の始まりは南部からで、中央ヨーロッパよりも1000年ほど遅れて6000年前頃となります。バルト海地域東部では、さらに1000年ほど、狩猟採集や漁撈のみに依存した生活が続きました。最初期のスカンジナビア半島の農耕民は、中央ヨーロッパ経由のアナトリアの農耕民に起源がある、との以前からの見解が、この研究でも改めて支持されました。ヨーロッパでは、先住の狩猟採集民がアナトリア半島からヨーロッパへと移住してきた初期農耕民にゆっくりと同化されていった、との見解が提示されています(関連記事)。中央ヨーロッパでも、新石器時代中期になると、最初期農耕民と先住の狩猟採集民集団との間での交雑が進行していました。しかし、スカンジナビア半島においては、すでに初期農耕民において先住の狩猟採集民集団との交雑の痕跡が強く残っています。

 バルト海地域東部においては、紀元前2900年頃より、中央ユーラシア西北部から東ヨーロッパ南部までの草原地帯(ポントス-カスピ海草原)から遊牧民が拡散してきて、大きな遺伝的・文化的影響を及ぼします。この遊牧民集団は、ヨーロッパに初期農耕をもたらしたアナトリアの農耕民集団の遺伝的影響を受けていない、と推測されています。この遊牧民集団は中央ヨーロッパおよびスカンジナビア半島の農耕民とは大規模には交雑しませんでしたが、青銅器時代の初期より、バルト海地域東部ではこの遊牧民集団と先住の狩猟採集民集団との交雑の割合が増加していきます。この研究は、狩猟採集から農耕、さらには新石器時代から青銅器時代といった文化の移行期において、各地域で人類集団の交雑・継続・置換の様相には違いがあったことを指摘しており、なかなか興味深いと思います。


参考文献:
Mittnik A. et al.(2018): The genetic prehistory of the Baltic Sea region. Nature Communications, 9, 442.
http://dx.doi.org/10.1038/s41467-018-02825-9


https://sicambre.at.webry.info/201802/article_3.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/289.html#c4

コメント [政治・選挙・NHK275] 私が予想した通り、菅官房長官が 新総理と なる方向   この流れを予測した 私の思考は正しかった 真相の道
21. 2020年9月01日 20:51:19 : niyy4hTwUA : OHU1UGRCUHhtN0k=[2965]
捏造の未知は意外と内部情報に詳しい立場なのかな?
となると、とてもそうとは思えないけれど、国賊電通関連の工作員なのか?
…やっぱ、真相の道は国賊だわ(嗤)。

ちなみに、私は菅がどうこうとは思ってなかった。
というか、誰がやっても自民党では同じ穴の狢で、安倍晋三の国政私物化路線をひた走るんだろうと思っていた。
一番それをやる意図が見え見えの菅を選ぶとは…自民党は国民にとって完全に不要だな。

話題の候補の中で一番知的で、国民への害が少ないのは石破だろう。
石破を選べない自民党は、頭の不自由な傷害者ばかりだね。

http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/468.html#c21

コメント [政治・選挙・NHK275] 「密室談合」による菅官房長官の次期総理就任を許していいのか! GoTo、沖縄いじめ、公文書改ざん、メディア圧力の最大の戦犯(… 赤かぶ
12. 赤かぶ[94064] kNSCqYLU 2020年9月01日 20:51:41 : Etqgkm55TU : RGtULnlHMS9YdlE=[23909]


http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/473.html#c12
コメント [近代史5] ブリテン島人の起源 中川隆
2. 2020年9月01日 20:52:22 : WyT5nCL4pQ : YzlncmJkNllTTWc=[64]
雑記帳 2018年02月10日
濃い肌の色と青い目の1万年前頃のブリテン島の人類
https://sicambre.at.webry.info/201802/article_10.html


 これは2月10日分の記事として掲載しておきます。1万年前頃のブリテン島の人類の復元像について報道され、日本でも話題になっているようです。これは、1903年にイギリス南西部のサマーセット州チェダー渓谷(Cheddar Gorge)のゴフ洞窟(Gough's Cave)で発見された、1万年前頃の人類(男性)の男性の復元像です。1万年前頃の「イギリス(ヨーロッパ)人」が、濃い肌の色と青い目だったということで、日本では、白人至上主義者の反応に関心を示すなど、人種差別主義的な観点からこの報道に興味を抱いている人が一定以上は存在するようです。イギリスでも大騒ぎになっている、との情報もありますが、じっさいにイギリスでどこまで話題になっているのか、私は確認できていません。

 しかし、この復元像はこれまでの諸研究から予想範囲内のものであり、正直なところ、騒ぐほどのことだろうか、とかなり疑問が残ります。もちろん、研究者の間では常識になっていても、一般層にはほとんど知られていない、といった問題は珍しくないのでしょうが、更新世〜完新世初期のヨーロッパの現生人類(Homo sapiens)の肌や目の色については、1回や2回どころではなく何度も報道されているはずで、当ブログでもそうした研究・報道をじゅうぶん追い切れていないのに、何度か取り上げているくらいです。

 ヨーロッパでは中石器時代まで薄い色の肌はまだ広まっていなかったのではないか、と推測されていますが(関連記事)、青銅器時代には薄い肌の色が高頻度で存在していた、と指摘されています(関連記事)。おそらくヨーロッパでは新石器時代に薄い肌の色が定着していったのでしょうが(関連記事)、その要因については、上記報道にあるように、農耕への依存度が高まり食事でのビタミンD摂取が困難になったことから、薄い色の肌の適応度が高くなった、との説明が有力視されています。肌の色は、薄い方が紫外線を通しやすくなります。人間は紫外線を浴びて体内でビタミンDを合成するので、紫外線量が少なくなる高緯度地帯では、ビタミンD合成のために肌の色が薄い方が有利となります。

 しかし、ビタミンD不足が原因のくる病がヨーロッパで顕著に見られるようになるのは19世紀以降であり、新石器時代にも魚から充分なビタミンDを摂取できたはずだから、ヨーロッパにおける薄い色の肌の定着は、寒さと凍傷への抵抗により薄い色の肌の方が適応度が高くなったからではないか、との見解も提示されています(関連記事)。ただ、他の要因も考えられ、青い目もそうですが、薄い色の肌も、ヨーロッパにおける定着にさいしては、直接的に生存率を上昇させるからというよりは、性選択的要因の方が大きかったのかもしれません。

 更新世末期までのヨーロッパにおいて、現生人類の肌の色は濃く、目は茶色だったのですが、ヨーロッパでは14000年前頃より現生人類の間で青い目が広がり始め、イタリアのヴィラブルナ(Villabruna)で発見された、14000〜7000年前頃の期間の現生人類男性は、復元されたチェダー男性と同じく、濃い色の肌と青い目を有していました(関連記事)。これはすでに2年前(2016年)にBBCでも報道されています。1万年前頃のチェダー男性の復元像は確かに視覚的に強い印象を人々に与えるのかもしれませんが、こうした経緯があるので、正直なところ、それほど大騒ぎするものなのだろうか、と疑問に思います。まあ、人類進化に興味を抱いてこなかった人種差別主義者にとっては、大騒ぎに値するのかもしれませんが。なお、ヨーロッパ人の明るい肌・目・髪と関連する、近隣した遺伝子HERC2とOCA2の多様体は100万年前頃にアフリカで出現した、と推定されています(関連記事)。

https://sicambre.at.webry.info/201802/article_10.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/295.html#c2

コメント [近代史5] イベリア半島人の起源 中川隆
8. 2020年9月01日 20:53:28 : WyT5nCL4pQ : YzlncmJkNllTTWc=[65]
雑記帳 2018年03月19日
新石器時代〜青銅器時代のイベリア半島の人類史
https://sicambre.at.webry.info/201803/article_19.html


 これは3月19日分の記事として掲載しておきます。新石器時代〜青銅器時代のイベリア半島の人類のゲノム解析結果を報告した研究(Valdiosera et al., 2018)が報道されました。完新世の先史時代ヨーロッパにおいては、大きな移住の波が二つありました。一つは西アジア起源の農耕民集団で、アナトリア半島を経由してヨーロッパに拡散し、ヨーロッパに初めて農耕をもたらしました。大まかな傾向としては、更新世からのヨーロッパ在来の狩猟採集民集団は東方からの初期農耕民集団にゆっくりと同化されていったものの(関連記事)、その具体的な様相は地域により違いも見られます(関連記事)。もう一つの大きな移住の波は、5000年前頃に始まる、ポントス-カスピ海草原(中央ユーラシア西北部から東ヨーロッパ南部までの草原地帯)からの遊牧民集団の拡散です。これは、ヨーロッパにおいて大きな遺伝的影響を及ぼした、とされています(関連記事)。

 本論文は、放射性炭素年代測定法による較正年代で7245年前〜3500年前頃となる13人のゲノム配列を決定し、現代および過去のヨーロッパ人から得られたゲノムデータと比較しました。網羅率は0.01倍〜12.9倍です。性別は、男性が11人、女性が2人です。ミトコンドリアDNA(mtDNA)のハプログループでは、13人9人がヨーロッパの初期農耕民と関連するK・J・N・Xに、2人がヨーロッパの初期農耕民および狩猟採集民と関連するHに分類されます。Y染色体のハプログループでも、ヨーロッパの初期農耕民と関連するG2a2やH2が見られる一方で、ヨーロッパの初期農耕民および狩猟採集民と関連するI2が見られます。

 分析・比較の結果明らかになったのは、この期間のイベリア半島内の農耕民集団の遺伝的違いは、地域間ではさほど大きくなく、各年代間では大きい、ということです。イベリア半島の初期農耕民集団は、ヨーロッパの他地域の初期農耕民集団と同様に、西アジアからアナトリア半島を経由して(おそらくは地中海北岸沿いに)東進してきましたが、中央ヨーロッパの初期農耕民集団とは遺伝的に区分され得ます。これは、東方からのアナトリア半島経由の初期農耕民集団のヨーロッパにおける拡散が、複数存在したことを示しています。また、イベリア半島の初期農耕民集団の遺伝的多様性はヨーロッパの他地域の初期農耕民集団よりも低く、ボトルネック(瓶首効果)があったことを示唆しています。このイベリア半島の初期農耕民集団と、サルデーニャ島の現代人とは遺伝的に強い関係が見られます。サルデーニャ島の現代人には、東方からの初期農耕民集団の遺伝的影響が今でも強く残っているようです。

 イベリア半島の農耕民集団の遺伝的多様性は、新石器時代中期には他地域と比較してさほど変わらないまでに増加します。これは、人口増加と、イベリア半島の狩猟採集民集団との混合が進んだためだと推測されています。上述したように、5000年前頃に始まる、ポントス-カスピ海草原からの遊牧民集団の拡散は、ヨーロッパにおいて大きな遺伝的影響を及ぼした、とされます。しかし本論文は、イベリア半島においては、ヨーロッパの他地域と比較して、この遊牧民集団の遺伝的影響は顕著に小さかった、と指摘しています。また本論文は、イベリア半島の農耕民集団における食性が、狩猟採集民集団との相互作用にも関わらず、長期にわたって大きな変化はなく、地域差も小さかった、と指摘しています。イベリア半島の農耕民集団はC3植物に依存する食性を変えず、水産タンパク質源の消費は少なかった、というわけです。


参考文献:
Valdiosera C. et al.(2018): Four millennia of Iberian biomolecular prehistory illustrate the impact of prehistoric migrations at the far end of Eurasia. PNAS, 115, 13, 3428–3433.
https://doi.org/10.1073/pnas.1717762115

https://sicambre.at.webry.info/201803/article_19.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/291.html#c8

コメント [政治・選挙・NHK275] 菅・二階“石破潰し”壮絶…推薦人集まらず総裁選出馬断念か <各社世論調査 次期首相 石破元幹事長ダントツ>(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
55. 2020年9月01日 20:55:19 : niyy4hTwUA : OHU1UGRCUHhtN0k=[2966]
反社政権って…、安倍政権もそうなんだけど?
それ以前、小泉の時もそうだよね?
…違うと言うの? 烏滸がましい…。

http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/449.html#c55
コメント [カルト28] ネトゲ・週末に超巨大台風が西日本直撃。馬鹿の仮病スピンと簾ハゲに活躍のチャンスを与えるみたいな人工台風という感じである。 ポスト米英時代
2. 2020年9月01日 20:56:02 : ZJROgtbSHn : Z2F5WW5PMnRqOFk=[4]
Unknown
10時間前
>猛烈な人工台風11号
>ECMWFの予想では・・・山口県田布施町付近に上陸して・・・・北朝鮮の金策市付近に再上陸

田布施に金策、何気に意味ありげなコースですね。
http://www.asyura2.com/20/cult28/msg/220.html#c2

コメント [政治・選挙・NHK275] 安倍首相、辞任の真相ーー河井夫婦1・5億円一部還流疑惑に新展開(Access-Journal)/再発したんじゃないんだ……! gataro
16. 2020年9月01日 20:56:43 : xYqKlw6NG2 : WS9CMEwweVhna2s=[16]

 アクセスジャーナルには 購読料を払っている あまり見にはいかないけどね〜〜

 今は サイトが攻撃を受けているというメッセージが流れて 良く見えない

 だけど アクセスジャーナルの 支援だと思って 購読料を払い続けているよね〜〜

 
http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/472.html#c16

コメント [政治・選挙・NHK275] 私が予想した通り、菅官房長官が 新総理と なる方向   この流れを予測した 私の思考は正しかった 真相の道
22. 2020年9月01日 20:59:17 : iNrHfkuqBc : SFdnUllObzNySk0=[1]
辞任前、何カ月も前から言っていたならいざ知らず、
八月の終わり、二日三日前に言ってそれで当たった当たったと言っても…

そもそも、自分の予想が当たる当たらない、
というゲームでもしていたかしら?
ちょっとあまりに突飛な内容で置いてけぼりなんですが。

客観的な事実として、
タイトルに「私の思考は正しかった」と入れる事実からして、
恐ろしく自己顕示欲が強く、
しかし受け入れられることが少ない人生を
歩んできたのが推して知られます。
こんなことわざわざこんな掲示板で
鬼の首とったようにスレまで立ててがなり立てるんですから。
こんな真相さんの人柄は推察されます。
もちろん必ず正しいものではないですが、あくまで一般論としてね。

…恥ずかしいと思わない?
関わるこっちが恥ずかしいくらいなんだけど。
「ふつう」はそういう感覚になるのでは。

ちょっと気の毒になってきました、正直。
皆さん、この人にもう少し愛情をあげましょう。
この人ほど自己評価の低い人、いませんよ。
自分に自信があったら、自分からこんなことわざわざ言い出しませんよ。

自分が誰とも知らない、
匿名の掲示板で数日前の予想を誇るくらしかない
人生なんでしょう。
普通なら忙しくて毎日いくつも話題を立てられませんよ。
(まあ、数はあるけど内容があるものかはおいておきますが。)
で、論理的思考とやらで導かれ吐き捨てられた
他の話題での予想はさぞあたったのでしょうなあ。
色々最近他のところでも挙げられていましたが、
見る限りものの見事に大外れの話題も…
それなら、下手な鉄砲も数うちゃ…
いけないいけない、かわいそうに。
真相さん、あなた気の毒な人ですね。

二日前に菅さんが次期総理と書いてよかったですね。
書いていることは事実で当たってますもんね。今のところ。
それだけで、他のあなたの何かが正しいという証明にはなりませんが。
あくまで、正しい可能性が前よりはわずかでも高くなった、
ということですが。

老婆心ながら言っておきますが、前に述べていることが正しいから
今述べていることは正しい、とはなりません。
あくまで同じ根拠、同じ思考過程が機能するという了解があって
初めて同列・同一線上で事例が扱えます。
(分かりやすく言うなら、天気予報が当たるからと言って
 ニュースキャスターの言うことすべてが正しいわけではありません。)
その意味では、真相さんが述べているこれまでの事例の多くが正しい、
ということにはなりません。
たかだか数日前、辞任後に次を考える段で
情勢も明らかになる中で出された話が
今のところ報道と合致している、というだけの話しなんですが。

まあ、こういった忠告は通じないでしょう…
http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/468.html#c22

コメント [政治・選挙・NHK275] 首相辞任会見で労わなかった記者は冷酷か/政界地獄耳(日刊スポーツ) 赤かぶ
20. 2020年9月01日 20:59:53 : p1kc7mQWEA : VUoxakxKdklpLkk=[12]
なんで労いよぉ、持病を言い訳に政権を2度も投げ出した人を労うわけないじゃん。

突然の退陣だから、多くの国民は安倍さんが入院するもんだと思ってたんだよ。

そうじゃないと辻褄が合わないよ、だって重病なんでしょ。難病の悪化で退陣なんだから、

入院しないなんておかしいよ。
http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/464.html#c20

コメント [政治・選挙・NHK275] 合流新党が悲惨なことに 枝野代表が焦り 自民党総裁選・新総理で話題持ちきりで 新党の話題が吹っ飛ぶ 真相の道
9. 2020年9月01日 21:06:35 : niyy4hTwUA : OHU1UGRCUHhtN0k=[2967]
>>8
英語直訳?
英語にはそういう表現もあったような…。
捏造には文章力は無さそうだね。
1のID見ると解るけど、初投稿だし(嗤)。
この時期、初投稿するなんて、工作員くらいしかいないよね…。

http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/463.html#c9
コメント [政治・選挙・NHK275] 枝野代表が決断。消費税減税も視野。れいわも新党との共闘可能になった。(かっちの言い分) 一平民
51. 2020年9月01日 21:07:13 : iYPr8e7Q4k : bDBicXZLY1puTU0=[91]
山本太郎はもう存在価値がない。消費税減税では何も解決しない。もっと魅力的な経済政策を打ち出すべきだ。
http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/445.html#c51
コメント [政治・選挙・NHK275] トカゲの頭切り なんと頭再生か 安倍亡霊内閣か  赤かぶ
14. 2020年9月01日 21:08:28 : niyy4hTwUA : OHU1UGRCUHhtN0k=[2968]
マスゴミが一斉に一つのことを謂い始めたら、それは国賊電通の工作が疑われます。

電通…バレバレだぞ(嗤)。

http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/458.html#c14

コメント [政治・選挙・NHK275] 菅氏「党員投票すべき」発言ブーメラン 世襲制限も腰砕け(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
7. 赤かぶ[94065] kNSCqYLU 2020年9月01日 21:09:11 : Etqgkm55TU : RGtULnlHMS9YdlE=[23910]


http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/477.html#c7
コメント [政治・選挙・NHK275] 枝野代表が決断。消費税減税も視野。れいわも新党との共闘可能になった。(かっちの言い分) 一平民
52. 2020年9月01日 21:09:27 : iYPr8e7Q4k : bDBicXZLY1puTU0=[92]
須藤元気だの山本太郎だのが国政を担う器でないのは、安倍晋三以上にひどい。
http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/445.html#c52
コメント [政治・選挙・NHK275] 私が予想した通り、菅官房長官が 新総理と なる方向   この流れを予測した 私の思考は正しかった 真相の道
23. 2020年9月01日 21:12:07 : tKZqkJERIY : WmZwLjZrYlo5L0U=[4]
バカバカしいモンを載せる貧相は、電通の下っ端会社の社員かもしれんが、ダミー会社の社員かもしれん。

ようするに胡散臭いバカ。
http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/468.html#c23

コメント [政治・選挙・NHK275] 菅氏「党員投票すべき」発言ブーメラン 世襲制限も腰砕け(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
8. 赤かぶ[94066] kNSCqYLU 2020年9月01日 21:12:12 : Etqgkm55TU : RGtULnlHMS9YdlE=[23911]


http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/477.html#c8
コメント [政治・選挙・NHK275] 菅氏「党員投票すべき」発言ブーメラン 世襲制限も腰砕け(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
9. 赤かぶ[94067] kNSCqYLU 2020年9月01日 21:13:08 : Etqgkm55TU : RGtULnlHMS9YdlE=[23912]


http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/477.html#c9
コメント [政治・選挙・NHK275] 合流新党が悲惨なことに 枝野代表が焦り 自民党総裁選・新総理で話題持ちきりで 新党の話題が吹っ飛ぶ 真相の道
10. 2020年9月01日 21:13:23 : iNrHfkuqBc : SFdnUllObzNySk0=[2]
色々気の毒になりました。
さぞアベノミクスで潤った方、と思いたいですが、
それぐらい資本をお持ちな方が真昼間から
こういった内容を書きこむとは思えない。
一応自称安倍政権を支持する一般人?でしょうから
一般的な経済力を持つ人なんでしょうが、
よほど野党や野党支持者、
権力への批判者を嫌うんでしょう。

権力には腐敗がつきもの。監視が必要なもの。
だから、権力には警戒に警戒を重ね、
批判に批判、検証に検証を重ねて初めて民主国家は機能する。

そういったことも分からず、
野党への批判の為の批判をする姿は、
まさに与党が嫌う姿そのもの。
その意味で、悪い野党そのものですね、真相さんは。

それに気付けないのかなぁ。
まあご自分では客観的に事態をご覧になっていると
言い張られるんでしょうけど。

賛美の為の賛美、支持の為の支持。
自己目的化しているのは、どうにも同じ。

ご自分のご意見が正しい、ということは
ご自分の周りの方でとどめられては?
わざわざこのような掲示板に書きこまれなくてもいいのでは。
正しいと誇るなら、価値観が共有されるところに行っては。
阪神ファンの多い甲子園でジャイアンツ応援したら
同調者は少ないですよ。
まだ遠慮など立場をわきまえ歩み寄るならまだしも、
真っ向からケンカを売り、買われてもごまかすんですから。
だから掲示板という安全に無礼が働ける空間で
狼藉を働くのでしょうが、「夜郎自大」ということば、ご存知ですか?
まさにあなた、それですよ。

まあ、論破されても気にしない、
相手を不快にすることを第一に考えての書き込みでしょうから、
その意味では常に目的を達成されている、「優秀な」書き手なんですが。
http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/463.html#c10

コメント [政治・選挙・NHK275] 日中開戦はあるのか。(日々雑感) 笑坊
12. 2020年9月01日 21:15:31 : tKZqkJERIY : WmZwLjZrYlo5L0U=[5]
ウヨ散人も雑感にも云えることは1つ。

バカも休み休みに云え。もしくは、バカはクソして寝てろ。
http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/460.html#c12

コメント [政治・選挙・NHK275] 哀れ前原誠司氏…新党に合流したくても所詮無理だった(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
39. 2020年9月01日 21:16:39 : iYPr8e7Q4k : bDBicXZLY1puTU0=[93]
前原は米国の工作員。もうばればれでしょう。こういう奴と一緒にいても何らプラス
がないと、ようやく理解が広がった。
http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/151.html#c39
コメント [国際29] トランプの元側近で極右のバノン、「壁」建設資金の私的流用容疑で逮捕(ニューズウィーク) 赤かぶ
10. 2020年9月01日 21:16:53 : LY52bYZiZQ : aXZHNXJYTVV4YVE=[6820]
〖米大統領選〗映画監督マイケル・ムーアら反トランプ勢がトランプ当選を民主党へ警告!「4年前に同じことが起きた」〖及川幸久−BREAKING−〗
•2020/08/30
及川幸久 クワイト・フランクリー
https://www.youtube.com/watch?v=Ga83eLsWfd0

差は2ポイント トランプ氏がバイデン氏を追い上げ(2020年9月1日)
•2020/09/01
ANNnewsCH
https://www.youtube.com/watch?v=qzTszGXOgJk

http://www.asyura2.com/20/kokusai29/msg/237.html#c10

コメント [政治・選挙・NHK275] 合流新党が悲惨なことに 枝野代表が焦り 自民党総裁選・新総理で話題持ちきりで 新党の話題が吹っ飛ぶ 真相の道
11. 2020年9月01日 21:17:33 : tKZqkJERIY : WmZwLjZrYlo5L0U=[6]
糞尿は自民党から端金貰ってはいるのだろうが、嘘をつく洗脳作業やっても、オマエじゃ効果ねんだよ、ボケのクソッタレのバクテリア以下のゴミクズの分際で。
http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/463.html#c11
コメント [政治・選挙・NHK275] 世論は石破が多数も、菅が一気に党内各派閥の支持を集める。岸田は安倍支持得られず、苦戦か(日本がアブナイ!) 笑坊
13. 2020年9月01日 21:17:36 : U0KYsnhuTA : dUMwR3VTTXlnaEE=[1]
>>11
コロナ対策を見ると火炎瓶以上の低脳基地害丸出し
この次の冬のコロナ地獄の中で発狂死確定だな
それでぱーと3で返り咲けれるとこそこそやっている火炎瓶も愚ワン田漏基地で
5数刻みで鮫の餌確定なんだが
盛り鮫の野味噌イソジンハシゲ野田🐷ポエム小鼠も同様
http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/461.html#c13
コメント [政治・選挙・NHK275] チマチマとしたコップの中の嵐にウンザリだ。(日々雑感) 笑坊
4. パレオリベラル[561] g3CDjINJg4qDeIOJg4s 2020年9月01日 21:20:10 : rgnT0Rw9oA :TOR RVBmV1F3VzZuQnc=[2]
⇒《武漢肺炎》

ヘイトスピーチは犯罪です。今すぐやめましょう。

全米オープンにて、大坂なおみがブレオナ・テイラーさん追悼としてマスク着用
https://mainichi.jp/english/articles/20200901/p2g/00m/0sp/048000c

大坂氏は素晴らしいです。
差別はバカがやるものです。
http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/476.html#c4

コメント [政治・選挙・NHK275] あっぱれ電通<本澤二郎の「日本の風景」(3831A)<芝居が始まる前に幕が下りた自民総裁選・大魔神死力の成果> 赤かぶ
14. 2020年9月01日 21:20:39 : tKZqkJERIY : WmZwLjZrYlo5L0U=[7]
本澤の云うことはマスゴミらしく説得力ねーんだよ。

電通のバックについてるのを、コイツ判っててしらばっくれてやがる。
http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/467.html#c14

コメント [政治・選挙・NHK275] 世論は石破が多数も、菅が一気に党内各派閥の支持を集める。岸田は安倍支持得られず、苦戦か(日本がアブナイ!) 笑坊
14. 2020年9月01日 21:21:24 : niyy4hTwUA : OHU1UGRCUHhtN0k=[2969]
「内閣」支持率が20ポイントも上がった?
…そりゃ、いくら何でも盛りすぎでしょ…捏造…。
(内閣支持率って、安倍内閣の支持率なんだよ? 流石に有り得へん…)
このブログ主は、捏造だと判っていても、それを書いたら国賊電通ネトサポ工作員の攻撃が面倒(別に怖くは無いよね?コメントとか削除するだけだから)なので、敢えて書いてないだけだと思う。

>>6
そういうあなたは国賊電通の工作員ですか?(嗤)
トータル二つ目のコメント投稿ですね。

http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/461.html#c14

コメント [政治・選挙・NHK275] 「密室談合」による菅官房長官の次期総理就任を許していいのか! GoTo、沖縄いじめ、公文書改ざん、メディア圧力の最大の戦犯(… 赤かぶ
13. マッハの市[2470] g32DYoNugsyOcw 2020年9月01日 21:21:32 : ZaRRE2yjXM : dlRuTFBDZzh0M3c=[124]
自民党の総裁選・・・・、、
この密室談合は、

 司直の手から、悪事の安倍を守るための総裁選、、

これはモリカケ安倍政治を引き継いでゆく、悪政の第二幕。、
われら正直な国民ができることは、「選挙」しかありません。

>>8 地下爺様のいうように、声を上げるとともに、選挙に行って、

    自民+公明+維新+希望+他 、、、⇦ ⇦ ⇦ NO   

野党のなかから少しでも良いと思うのをえらぼうよ。
一度でかわらなくてもいいから、腐りきった世の中を変えていこう。 選挙
http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/473.html#c13

コメント [政治・選挙・NHK275] <白井聡さんの記事、すごいです!>《1》安倍政権の7年余りとは、日本史上の汚点である 私たちの再出発は、公正と正義の理念… 赤かぶ
57. 2020年9月01日 21:21:41 : mrRIgpDvKA : dDdZakZmOVQ0WU0=[69]
操り人形の空き缶野ブタよりは
数百倍は良いかも(笑)
http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/452.html#c57
コメント [政治・選挙・NHK275] 菅・二階“石破潰し”壮絶…推薦人集まらず総裁選出馬断念か <各社世論調査 次期首相 石破元幹事長ダントツ>(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
56. 2020年9月01日 21:23:32 : tl04uLGFW2 : MGxTUnQ0cUpCeW8=[72]
>>51
そういうことですよ
今の自民党内で起こってることは、ただの薩長の内輪もめに過ぎないんですから
いわば、明治維新勢力同士の内ゲバでしかないのですよ・・・西南の役と同じです
騙されてはいけません
こんなものから、新しいものが生まれるわけがないでしょう
勝った方が、より強固に自民党のナチス体制を受け継ぐだけの事ですな
そして、そのナチスの片割れである石破と連立政権を組もうとしていたのが、小沢グループと山本太郎のれ組ですよ・・・だから、障碍者議員の中にアベトモが居るわけです
それを理解しているからこそ、リベラルは小沢や山本太郎に失望したのですよ・・・そして、ネトウヨやネトサポが、彼らを熱烈に支持しているのです
現代のナチス党員であるネトウヨなんかを救おうとするような輩に肩入れしてはいけないということですな・・・これは、人間としての尊厳の問題ですな
http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/449.html#c56
コメント [政治・選挙・NHK275] 志位委員長インタビュー 「いいところなかった」安倍政治 『サンデー毎日』掲載 コロナ対策の無策を告発(しんぶん赤旗) gataro
12. 2020年9月01日 21:23:48 : LFdj7v4TY2 : Wjd2WFhmd1NEbzI=[1653]
旧民主2党がしっかりしないから、共産れいわで安倍政権と闘ってきた約8年ともいえる。(れいわは政権発足当時はなかったが)
特に共産赤旗の桜を見る会は大スクープで、安倍を刑事告発することに成功した。これが潰瘍性大腸炎を再発するほどのストレスになったのだろう。難病の安倍を非難するなとの声もあるが、それも自分がまいた種ではないのか。

http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/457.html#c12
コメント [政治・選挙・NHK275] <白井聡さんの記事、すごいです!>《1》安倍政権の7年余りとは、日本史上の汚点である 私たちの再出発は、公正と正義の理念… 赤かぶ
58. 2020年9月01日 21:25:47 : mrRIgpDvKA : dDdZakZmOVQ0WU0=[70]
>>54
>東京地検特捜部の刷新 果たしてどこまで回復できるか?

できる訳がねーだろ。
http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/452.html#c58

コメント [お知らせ・管理21] 2020年08月 困った時、意見、提案、相談などなんでも。管理人が24時間以内に必ず見るスレ 管理人さん
134. パレオリベラル[562] g3CDjINJg4qDeIOJg4s 2020年9月01日 21:25:55 : pc6elwEkK2 :TOR dmU1WVI5c1ZnTVE=[4]
管理人さん

⇒《パレオリベラルさんは病気だから、相手にしない方がいいですよ》
http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/609.html#c133

また、根拠のないデマによる誹謗中傷が書かれていました。事実がゼロです。
非表示か特別削除をお願いいたします。
http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/609.html#c134

コメント [政治・選挙・NHK275] テレビの解説では絶対に菅の本性を言わない。安倍の数々の不正の実行支持者。(かっちの言い分) 一平民
1. 2020年9月01日 21:26:34 : niyy4hTwUA : OHU1UGRCUHhtN0k=[2970]
菅の本性は、望月さんへの対応でまるわかりである。
安倍晋三のように息を吐くようにとまではいかないけれど、それなりに嘘を吐いている。

今は嘘つき首相では、新型コロナ(少々感染が抑制傾向だが今後は確実に増加)の国難に立ち向かえない。

http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/475.html#c1

コメント [政治・選挙・NHK275] 菅官房長官にも健康不安説が取り沙汰、総裁選が混沌…安倍首相辞任の裏で飛び交う噂(Business Journal) 赤かぶ
11. 2020年9月01日 21:27:21 : LFdj7v4TY2 : Wjd2WFhmd1NEbzI=[1654]
石破以外はみんな健康不安だろう。安倍の悪事に加担して自分が追及される立場にいる者ばかりだからだ。安倍政権に関しては石破だけ潔白だ。だから総理になれとの声が高いのだ。
http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/471.html#c11
コメント [政治・選挙・NHK275] <拡散、お願いします>1025総選挙で安倍自公高笑いの大芝居(植草一秀の『知られざる真実』) 赤かぶ
21. 2020年9月01日 21:33:29 : mrRIgpDvKA : dDdZakZmOVQ0WU0=[71]
>立憲、国民合流では
「立憲主義の深化」、「原発ゼロ」が核心になる。

脳無し公務員かよ?
そんな小難しいことはどうでもいいよ。
「国民の生活」が第一なんだよ。
http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/448.html#c21

コメント [政治・選挙・NHK275] <拡散、お願いします >合流新党が大化けする変化の胎動(植草一秀の『知られざる真実』) 赤かぶ
12. 佐助[8223] jbKPlQ 2020年9月01日 21:34:58 : THpARxyKZ6 : OUNnUUJHV09lV2M=[56]
大切なことが抜けている

合流新党が大化けして,
「ルール厳守」、「原発ゼロ」、「消費税減税・廃止」の旗を鮮明に打ち立てても、基本政策を共有する政治勢力と市民の結集を図っても,国際分業の結末と商品の世界的優位性を失っていますので,世界恐慌とコロナで経済はよくなりません。

ところが新党のバックには大企業と連合などの組合が存在する。この企業には、世界信用恐慌から早期脱出するためのマニフェストが存在し標準化されている。

それは,新党が天下国家のビジョンとして企画提案し次産業革命へ大胆にシフトすることです。その次産業革命とは何でしょうか?

第一次産業革命は、蒸気機関の発明によって開始されました。そして、蒸気から石炭へ、石炭から石油へと動力の中心原料をかえながら、技術革新を拡大させました。最初は揚水や機織の動力でしたが、船・機関車・自動車・航空機と対象は拡大させました。

次産業革命とは「原発ゼロ・CO2を発生させない動力」への転換革命です。すでに実用化されていますが、大企業は既得権益(設備・技術)を失うため、ゆっくりと進行させたいと考え抵抗しています。しかもマスコミを総動員して抵抗しています。

先進工業国の基幹産業は、自動車とエレクトロニクスと住宅です。この基幹産業の好不調が、約3年半ごとの景気の上昇下降を決定しています。だから、三大基幹産業の製造は上昇すると、全産業に第二次産業革命は拡大し、景気は上昇します。

すると、企業レベルの世界信用恐慌は、三年に短縮し脱出することができます。

今回の産業革命は,エンジンレスの技術革命です。次産業革命に早期シフトした国家は、CO2の発生を75%減らすことに成功すると同時に、世界の技術革新をリードし、全産業を活性化させることができます。又、次産業革命に早期シフト企業は、大不況下でビジネスを飛躍できます。

基軸通貨の交代期に発生する信用恐慌は、輸出を二国間の物々交換を中心にします。そのため貿易の縮小はさけられないので、輸出依存では大倒産と人員整理が避けられません。

複数通貨制は世界信用収縮恐慌を発生させます。しかも複数通貨制にすると世界戦争を回避させられます。ドル一極集中は必然的にまもなく固定為替から複数通貨制に入ることになる。

5GもA1もB1もMMTも多極化もすべて,産業革命を前倒ししないと,すべて失敗し悲劇がうまれます。その理由があるが省きます。5Gは問題があるが,その三桁の周波数で逆に心地よい健康的な周波に変えられことがどきる。

そしてリチウム電池を使用した電子機器は、出火事故が避けられない,そのために蒸気機関の発明が、汽車から船、そして自動車から飛行機と驚くべき産業革命を牽引したが、電子半導体電池は、電子機器から家庭と工業電力、そして、汽車・船・自動車・飛行機・ロケットにも使われ普及するために、次産業革命の中心になる。

「原発ゼロ・CO2を発生させない動力」への転換革命は大企業の抵抗により,進路を妨げられている,その進路を変えられるのが労使の経営陣と組合なんです。これは自民党や公明党には絶対にできない,産業革命により新党のバックの組合が経営に参加させられると賃金体系も雇用も消費も変えられ,日本の商品の世界的優位性は2060年まで堅持可能です。そして環境や自然災害や植物工場による千倍食糧によって人類を救うことができる。

http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/474.html#c12

コメント [政治・選挙・NHK275] <きっこさん「期待したい」>某週刊誌「自民党から河井案里陣営に流れた1億5000万円の振込データ入手」 来週にも報じる… 赤かぶ
1. 赤かぶ[94068] kNSCqYLU 2020年9月01日 21:36:07 : Etqgkm55TU : RGtULnlHMS9YdlE=[23913]


http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/478.html#c1
コメント [政治・選挙・NHK275] <きっこさん「期待したい」>某週刊誌「自民党から河井案里陣営に流れた1億5000万円の振込データ入手」 来週にも報じる… 赤かぶ
2. 赤かぶ[94069] kNSCqYLU 2020年9月01日 21:37:43 : Etqgkm55TU : RGtULnlHMS9YdlE=[23914]


http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/478.html#c2
コメント [政治・選挙・NHK275] 菅氏「党員投票すべき」発言ブーメラン 世襲制限も腰砕け(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
10. 2020年9月01日 21:38:20 : adhfTJCgIs : cEVIQ0svcXN0U0E=[232]
菅も昔はいいことを言っていた。世襲なら少なくとも親とは別の選挙区から出るべきだ。それに政治団体を使って相続税をのがれるのは禁止すべきだ。
http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/477.html#c10
コメント [政治・選挙・NHK275] <きっこさん「期待したい」>某週刊誌「自民党から河井案里陣営に流れた1億5000万円の振込データ入手」 来週にも報じる… 赤かぶ
3. 赤かぶ[94070] kNSCqYLU 2020年9月01日 21:38:35 : Etqgkm55TU : RGtULnlHMS9YdlE=[23915]


http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/478.html#c3
コメント [政治・選挙・NHK275] チマチマとしたコップの中の嵐にウンザリだ。(日々雑感) 笑坊
5. 2020年9月01日 21:38:46 : o1ttwOWQzM : RGlDYTc0bkc1TFk=[22]
日々雑感の世界観には付いて行けないな。
多くの者が指摘する通り右翼的国家観そのもの。
見立ては異なるが敵は外側ではなく
内側に存在する。何時までも経済成長等と
言っている日々雑感にも同調出来ない。
個人的にはサンモニで青木等が言う
「成長という言葉への疑問」という
言葉に同意する。下らない競争に
駆り立てるな。それもこれも
資本主義システムだからナチュラルに
そういう思考になるのだろう。
http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/476.html#c5
コメント [政治・選挙・NHK275] <きっこさん「期待したい」>某週刊誌「自民党から河井案里陣営に流れた1億5000万円の振込データ入手」 来週にも報じる… 赤かぶ
4. 赤かぶ[94071] kNSCqYLU 2020年9月01日 21:39:58 : Etqgkm55TU : RGtULnlHMS9YdlE=[23916]


http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/478.html#c4
コメント [政治・選挙・NHK275] 松本人志と東野幸司が語った“安倍首相の功績”に絶句!「サミットの記念写真で真ん中に写った」ただの在任期間順なのに(リテ… 赤かぶ
14. 2020年9月01日 21:40:20 : LFdj7v4TY2 : Wjd2WFhmd1NEbzI=[1655]
吉本は政治を語る芸人ほどアホだな。間違っても安倍を批判するな、自民を批判するな、持ち上げることだけゆうておけと会社から言われているのだろう。それを守っていないのはウーマン村本だけだ。
吉本も政府から金をもらっているから腐っている。NHK朝ドラ「笑ろてんか」は吉本が題材だったが、戦後の部分をドラマ化しなかったな。そこにヤクザやらテレビ局支配やら不透明な金やら大きな大きな闇が広がっているから、健全な国民の皆様にはお見せできなかったのだろう。所詮そういうレベルの会社だ。
東野はかつて今田耕司と組んでいたが、今田の方が芸人としては至極真っ当だ。政治の話が出るトーク番組には一切出演せずバラエティ番組のみ出演、かつての欽ちゃん的トークでお茶の間をわかせている。東野もいろいろ事情があったのだろうが、松本一派に傾いてしまったのが失敗だった。今では顔も見たくない芸人の一人だ。
http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/453.html#c14
コメント [政治・選挙・NHK275] <きっこさん「期待したい」>某週刊誌「自民党から河井案里陣営に流れた1億5000万円の振込データ入手」 来週にも報じる… 赤かぶ
5. 赤かぶ[94072] kNSCqYLU 2020年9月01日 21:41:22 : Etqgkm55TU : RGtULnlHMS9YdlE=[23917]


http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/478.html#c5
コメント [政治・選挙・NHK275] <きっこさん「期待したい」>某週刊誌「自民党から河井案里陣営に流れた1億5000万円の振込データ入手」 来週にも報じる… 赤かぶ
6. 赤かぶ[94073] kNSCqYLU 2020年9月01日 21:42:04 : Etqgkm55TU : RGtULnlHMS9YdlE=[23918]


http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/478.html#c6
コメント [番外地8] 安倍首相とトランプ大統領が画策していた欧米資本による日本の銀行と大企業の乗っ取り 中川隆
1. 2020年9月01日 21:48:33 : WyT5nCL4pQ : YzlncmJkNllTTWc=[66]
安倍首相とトランプ大統領が画策していた欧米資本による日本の銀行と大企業の乗っ取り
安倍首相もトランプ大統領も反グローバリストではなく欧米資本のエージェント。
アベノミクスで日本が米国債を買いまくった為に、1ドルが70円以下になると日本の対外純資産はマイナスになり、日本の資産はすべて外資に乗っ取られる。特に日本国債を日銀に売って、その金でアメリカ国債を買った日本の銀行はすべて債務超過になって欧米資本に乗っ取られる。

アベノミクスとは何だったのか(Live配信2020/9/1) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=9ZMZjUkBPow

2018.5.28「安倍首相の売国政策を糾弾する」大西つねきの週刊動画コラムvol.28
https://www.youtube.com/watch?v=VFEBdHhOv5A

資金不足を続けている対外純債務国(10兆ドル;1,100兆円)が発行する米国債は、ゼロ金利の日本・欧州の金利と、2%から2.5%の金利差(イールド)があるという理由から、売れていきました。

しかし今は、コロナショックからのFRBの緊急利下げで、米国債も金利ゼロです。ゼロ金利のドル国債を買うと、日本、欧州、中国からはドル安のリスクを、金利ではカバーできません。

短期で投機的なドル先物買いの動きは別ですが、2年単位の中期では、債務国の通貨のドルに金利差がない時は、基軸通貨とは言っても「円に対してドル安」の材料になります。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/303.html#c1

コメント [政治・選挙・NHK275] テレビの解説では絶対に菅の本性を言わない。安倍の数々の不正の実行支持者。(かっちの言い分) 一平民
2. 2020年9月01日 21:49:41 : gDuJsjuxdc : LlJvaVVYTFJESUE=[1039]
🔲玉川が見たくて 付けてたら

 朝日TVの政治部長が出てきたが

 あいつ ゲス記事専門の

 三流週刊誌の記者レベルだね!

 国や国民の視点で 見るでなく

 己が生きざまに置き換えての 見方も出来ない!

 なんじゃい 会社が あれだけ 麻生にコケにされてるのに

 へらへら 笑みを 浮かべるだけ!

 あれじゃ〜渡辺 4チャンネルの方が

 スジ通してるがな・・・て 見える!

 朝日は 天声人語も 久米宏の財産をも

 葬って しもたみたい

 もったいない! もったいない



http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/475.html#c2

コメント [カルト28] きっこ・某誌が河合マネーの決済者を来週報じるらしい。馬鹿が辞任を表明して週刊誌への抑えが効かなくなったようである。 ポスト米英時代
7. 2020年9月01日 21:50:14 : mrRIgpDvKA : dDdZakZmOVQ0WU0=[72]
陰湿な岸田の官僚を使った陰謀だと思うよ。
だから岸田は嫌われた?
http://www.asyura2.com/20/cult28/msg/184.html#c7
コメント [政治・選挙・NHK275] <きっこさん「期待したい」>某週刊誌「自民党から河井案里陣営に流れた1億5000万円の振込データ入手」 来週にも報じる… 赤かぶ
7. 2020年9月01日 21:52:42 : o1ttwOWQzM : RGlDYTc0bkc1TFk=[23]
「誰の決済で河井案里に巨額の買収資金が投入されたのか」

之はミスリード。どう考えても1億5000万円の用途など
普通に使用される金とは思わないがそれでも
本質を言えば金に色はない。その金を使い買収したのは
河井であり他の誰かではない。指示もしくは買収を
目的に話し合いが行われたのならその限りではない。
又は日本独特の空気を読む「忖度」が
行われた可能性もある。これでは河井に
渡した人間は罪に問えない。買収したとされる
河井もそこの部分で争っているはず。

行為の意図を認定していく作業と言えば
良いのか。石破は「1億5000万円振り込むのは
普通はあり得ない」と述べていたので
決済した本人は説明責任が求められる。
http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/478.html#c7

コメント [カルト28] ネトゲ・週末に超巨大台風が西日本直撃。馬鹿の仮病スピンと簾ハゲに活躍のチャンスを与えるみたいな人工台風という感じである。 ポスト米英時代
3. 2020年9月01日 21:55:58 : i7bUeWDO5o : dHBiT2oyU21NOEk=[1583]
そんないかにもなコースが有り得るんだろうか。
この台風は要注目だな。

http://www.asyura2.com/20/cult28/msg/220.html#c3
コメント [原発・フッ素52] 広島原爆の3300倍 史上最大のソ連の水爆「ツァーリ・ボンバ」の記録映像が機密解除、公表される  魑魅魍魎男
9. 2020年9月01日 21:57:26 : VTH59AY6XQ : WWk1VDA0bXVWVGM=[433]
ソ連にとっての日本というのは
ロシア人を7年間も殺しまくって
ソビエト赤軍=ユダヤ人を勝利に導いた恩人なのだ

そのソ連が対日参戦するというのは、あり得ないことなんだが
ソ連には国家の存亡をかけた理由があった

今の北朝鮮の興南道で日本が実用レベルの原爆を作っているという情報を得たソ連は
一目散に興南を目指し、1945年8月12日、念願の核施設を占拠することができ
日本の科学者をロシアに連れ帰った

その8月12日に進軍したロシア兵は
日本の技術者たちが逃げ出す前に、核爆発させたキノコ雲を目撃しているのだ
それでソ連も本気になって、連れ帰った日本の技術者との共同開発が始まる

当時の核開発は、先頭にいたのがアメリカであり、原子炉も核濃縮設備もあった
ついで日本は原子炉は無いが、核濃縮設備は作っていた
その次のドイツは予算が無くて、その両方とも無かった
ロシアは蚊帳の外であり、日本の核技術がどうしても欲しかったのだ
それを入手しないとソ連の未来は無いと分かっていた

そしてその当時の日本の技術者には水爆の構想まであった
だからロシアの水爆には日本の技術者の関与がなきにしもあらず
http://www.asyura2.com/19/genpatu52/msg/860.html#c9

コメント [政治・選挙・NHK275] <きっこさん「期待したい」>某週刊誌「自民党から河井案里陣営に流れた1億5000万円の振込データ入手」 来週にも報じる… 赤かぶ
8. 赤かぶ[94074] kNSCqYLU 2020年9月01日 21:57:34 : Etqgkm55TU : RGtULnlHMS9YdlE=[23919]


http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/478.html#c8

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